最近、子供達の自殺が目立つ。
個人のブログに非情な書き込みをされたのしたのと
小さな世界しか持てない幼い心は傷ついたのだ。
そもそも、日記を公開するというのはどうなんだろう。
文章力もなければ、読解力もない者同士が
綴られた文字のみで心や意志を伝える事自体、
おかしな現実だ。
何か便利な物が出来ると
必ず被害者になる者が出て
加害者になる者が出る。
事件が起きては、後に付け足す様に
意志の伝わらない活字の冷たさや、
薄いコミュニケーションしか出来ない姿を嘆きつつも
その舌の根が乾かぬうちに
他人の悪口をブログに綴るような非常識な人間もいる。
まるで公開セラピーだ。病んでいる。
流行のメディアは個人のストレス解消の場でもあるのだろう。
カラオケと同じ感覚でやっているのかもしれない。
しかし、
言葉というのは発せられた時点で多かれ少なかれ意味を持ち
それを受け取った者に、良かれ悪かれ大きな影響を与える。
他人(作詞家)の言葉ではないからなおさらだ。
いつもハイテンションなスポンジ・ボブが
沈んだ様子で雨の中、
病院の植え込みに座り込んでいた。
患者か、その子供の忘れ物だろう。
今日は何位??
←クリック一つで元気になります。
とても柔らかで弾力のある
スポンジのようなモノを。
それは、つまらないモノでもあるし
大切だったはずのモノでもある。
とても柔らかで弾力のある…
吸い込みの良いモノ。
恥ずかしい部分を四角いモノ(パンツ)に
隠している奴です。
子供の頃は 世界が狭く 成長と共に拡がる
そんな中で もがきながら大きくなる
今の子達は便利な物が身近に 溢れてるから
使いこなすのが 難しいのだろう
成長期に 色々な感動をしてほしい
便利なものって意外と無駄なモノが多い。
もっともっと無駄な時間を友達と過ごして、
素敵な友情や感性を育てて欲しいですね。
「無駄な時間」を掛けて、
「無駄じゃない時間」に気付くまで…。
その目先の手軽さに“自己表現”を
勘違いして何でも書き綴る・・・。
想像力の欠如した大人(親)の責任も
大だと私は思います。
むやみに道具を渡さない。
しっかり使いこなせるようになるまで
使い方を教え、指導するのが大人の役目。
なんでも野放しすぎる。
上の記事の「自由」にも共通しますが
意味を取り違えてると
いろんな人が傷つくことになりますね。
24時間のファミリー・レストラン、
姿を消したカプセル・ホテル、
携帯、PC、ネットにブログ…、
カラオケにコンビニにネット・カフェ。
ソフトもハードもごちゃ混ぜですが…
家族が個族になっちゃう導線を作るのに一役買っている「便利なモノ達」には、少し警戒心を持って接して行かなくてはいけないですね。