路地猫~rojineko~

路地で出会った猫と人。気付かなければ出会う事のない風景がある。カメラで紡いだ、小さな小さな物語。

無 料

2008-03-12 | 『白・黒・灰』

翌檜公園で出会った女性から、鹿児島の友人がこっちへ来ていて

紹介したいので時間を作って貰えないかと、再び連絡が入った。

ネットを始めようかと思っていると話していたから、

HPを作る会社に勤めている友人を紹介してくれるとの事だった。

別に頼んで紹介して貰う訳ではなかったが、一応お会いする事にした。



若い男性と彼女が雨の中、二人で待ち合わせの場所で待っていた。

「今、新しく実績を作る為にコンテンツを持った人やデザインに強い人を探しているんです。

 勿論、無料でHP作ります。」

まだ大学を出たばかりの若い人特有の空気。

「出会った頃はまだ十代やったもんね。

 高校中退して色んなバイトして、○○工業大学まで出た努力家なのよ。」

 横にいた彼女が進める意味で言葉を副える。

私は、薄ぼんやりした気持ちで口を開いた。

「○○工業…、私の姉がそこの短大出身だった様な…」

「○○工業は国立なので短大は無いですよ。」

間髪入れずに「国立」を強調する。



日本の大学は入るのが大変でも卒業するのは簡単だ。

そもそも大学の教授は、自分の研究に忙しく生徒に教える気など殆ど無い。

自分で学ぶ環境だからこそ、何処の大学で学んでも同じ気がする。

学生時代に限らず、人は「何であるかではなく、何をするか」だ。

まして今や少子化、学校も学費を稼ぐため生徒募集に余念が無い時代に

○○工業大学出だからと、仕事を頼める程甘くは無い。



心は決まった。一応、連絡先だけは伺って帰る事にした。

無料ほど怖いものは無い。

少しだけ、自分も「若い人に懐を貸せない嫌な大人」なのかなぁと思いつつ

公園で『白・黒・灰』の猫達にキャットフードを振る舞いながら、ふと思う

…これは撮影料だから、無料じゃないよね。


年末の休み中に「無料で出来る!ホームページ&ブログ」という本を片手に

「ブログなら最短1時間で完成!」とか書いてあったが、3時間。

gooブログ、無料……どきどきしながら初ブログ完成。

こんなんで良いのかと悩みながらも更新中。




1日1回、ポチっと有効です。
 ←無料という言葉に弱い貴方、ココをクリックして我慢してみましょう。























コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光と音

2008-01-16 | 『白・黒・灰』

夏の終わりに翌檜公園で猫と遊ぶ女性と出会った。

その後も何度か会う機会があり、お互いの事を話すうちに

今年の始めに事故で亡くした弟さんと私は同級生で、

小学時代に私の誕生会に来ていた事が分かった。

顔も思い出せない弟さんを何故覚えていたかと言うと…

プレゼントが「博多人形」だったからだ。

彼女のご両親は博多人形師で、誕生会に呼ばれた子供に持たせたのであろう、

数十年経った今でも実家にその人形はある。


ある日、その女性に誘われ、

趣味で姓名判断をしているという人と会う事になった。

誘ってくれたので行く事にしたが、大方の見当は付いていた。

悪い事を散々言った後に、解決の手助けの為と言ってお金を取るシステムだ。

勿論、私はお茶を濁して(断って)帰る事にした。

自らの離婚、両親との不仲、弟の事故死。

これだけの理由があれば何かにすがりたくもなるのだろう。

その姓名判断の教えによると、

「日」は男を、「月」は女を表し、男女が居る家は(明)るく、

「日」が二つ…つまり、男が二人居る家は(暗)くなると言う。

家に男女が居ても暗い家はいくらでもある。

不幸になれと悪く名付ける親はいない。

幸も不幸も、生きている以上、大なり小なり誰にでもある事だ。

何より、明るさに「光」を、暗の中に「音」を感じ取れない「心」は道を見失う。



もう秋になる。公園では、桜の木の燃える様に紅い落葉の山に、

『白』、『黒』、『灰』の猫達が飛び込んで遊ぶ姿が見える。

カサカサと渇いた音を楽しむ猫のダンスが、鮮やかで美しい。


                      (2007年11月 記)

 ←「心」の道しるべを感じ取る事が出来る方、ポチっとお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モノクローム

2008-01-07 | 『白・黒・灰』

翌檜の木がある公園には、四匹の猫がいる。

区別できない程そっくりさんの『白』が二匹と『黒』、

…その三匹の体の大きさの絵の具を混ぜて作った様な釜猫の『灰』。

白い猫は薄命と聞く。

飼い猫なら美しいのでちやほやされるが、野良ともなれば目立ち過ぎて生きにくいのかもしれない。

では、黒猫は長生きかと言うとそうでもないらしい。

ここの猫達の中で一番したたかで、常にご馳走にありつけるのは『灰』だ。

餌をくれそうな人の姿を見つけると、何処からともなく近付いて来るのはいつも『灰』で、

丸い目でじいっと見つめながら、鳴き声とも威嚇とも違う、

お腹の辺りから「ウ~ウ~ッ」と唸り声を響かせては念力で「ご飯!」と訴えてくる。

気迫に押されついついバックの中を探して手持ちの餌をあげていると、

『灰』が全て食べ終える頃に『白』と『黒』が匂いに気付いてやって来ても、餌は殆ど無い。

『灰』は、人との距離感が絶妙な猫なのだ。

餌を食べているからといって、触れさせない。

それに比べて『白』と『黒』は、始めから人に近付けないから、いつも餌にありつけないでいる。

この「翌檜公園」には猫の事務所でいじめに遭う、泣き虫の釜猫はいない。

明日は「檜」に成れないからだ。



善か悪か。時と場面で、明日には白にも黒にもどちらにも成り得る「灰」が、

本当は一番強いのかも知れない。



 ←あすなろの木のお話を知っている方、ポチっと応援お願いします。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする