平日のお昼頃、展望台まで待ち時間ゼロ。
300mまでは行けず、287.6mくらいだそう。
かなり高い気はするけど、数字ほどには感じない。
天王寺動物園を上から眺めるというのは変な感じ。
梅田の摩天楼から通天閣、新世界、あいりん、飛田、
難波、大阪城、咲島ベイエリアまで文字通り一望できる。
清濁併せ持つ大阪を真正面から眺める。堂々たる景色。
最近の高層ビルのエレベーター速いな。天井がガラスになってて、
あっという間に、吸い込まれるように昇っていくのが分かった。
JR保津峡駅から
山一つ越えて嵐山まで歩いた。
定期的に歩いてるけど、このコース本当にいい。
渓谷美、山川、つり橋、トンネル、峠道、杉林、山の花、
ふもとまで歩いてくると嵯峨鳥居本の伝統的景観も見れて、
しめに嵐山でぼーっとできる。それらがコンパクトにまとまってて
5キロくらいの行程。普段着で何の問題もなく、
人も10分に1回くらいは通るから、万が一の危険もない。
どうして人気ないのか分からない。
大々的にハイキングコースになってても良いと思うのに。
MMD(ミクミクダンス)というキャラクターの動画CG作成ソフト
今更ながら凄いと思った。
2008年くらいから公開されてるらしいが、大々的に注目され始めたのって
ここ1年くらいじゃなかろうか。
コミックプロだったか、フリーで漫画のテンプレートが最初から入ってて
誰でもCG漫画が描けてしまいますみたいの、あれに似ている。
一人の、あるいは極少数のマスターが善意で配布した高機能ソフトが
一気に愛好家の裾野を広げるっていう、ネット世界で
幾度も繰り返されてきた現象である。
これなくしてネットの進化って無い気がする。
いくらおもちゃを与えられたからって、それを金取れるくらいまで
高めるには、やっぱりプロの腕が必要やけど、
そんなん抜きにして、素人が素人なりに作って楽しむっていうのは
どこか同人誌の世界に似ている。
アマチュア無線とか。
印象派展とかいうのを観てきた。
会社にタダ券があったので。
昔フランス旅行をしたときのことが思い出された。
ツアーのテーマがパリ近郊の画家を訪ねるだったから、
まさにこの企画とドンピシャ。
ルノアールの描く女は、なんか無意味にエロを感じさせる。
ムーランドゥラギャレットにしても、画面全体の一部なんやけど
「女がエロさを醸し出しながら踊ってる」ていうのが印象的で、
今回の展覧会では、そういうダンスものがたくさん展示されてた。
細部は忘れても、なんか知らんけど脳裏に印象を焼き付ける・・・っていうのは
やっぱりこの人が天才だからかなと思った。
印象派っていうけど、カメラを技巧的に使って撮影した写真みたいな感じで、
目で見たものズバリではないけど、ほぼ写実やと思う。
世の中にある、自然・人工の鮮やかな色彩のものを写実的に描いた人、
という印象がある。
そういうのはとても僕の好み。
いわゆる合コンをした。
30前後の女と飲食したらまあこんな感じというのが
分かってよかった。
ただし、それだけ。
次はない。繰り返すほど面白くもないし、金がかかる。
半日時間取られるのも釈だ。
女子三人はなかなかの仲良しらしく、度々旅行行ったり、
ハイキングしたりするらしい。社会人になってからの事で、
それくらい親しい連れができるのは、ちょっと羨ましい。
織成館。
西陣織ミュージアム。
西陣て、かなり範囲広いらしい。
西大路から堀川(もしくは烏丸)までの東西
北大路から丸太町までの南北だそう。
曖昧な語。
京町屋の温かみが印象的だった。
織りの技術がどうのこうの、もちろんそれもあるやろけど、
京都の旧市街に、昔ながらの街並みと共に存在する、
そういうブランド力やと思う。商品が確かに良いものであろうという
裏打ち、お墨付きというか。
沖縄の福木染めの織物が展示されてた。
渡名喜島を思い出して、懐かしくなった。
あの島の素朴さをそのまま表したような
レモン色をしていた。
喫茶フランソア
河原町の旧阪急百貨店の裏あたり。
これぞ正統派純喫茶~という感じ。
ほどよい暗さの店内に、
赤い肘かけ付きの椅子がずらっと並び
ラ・カンパネラが流れる。
確かにこんな四条河原町のすぐ裏に
落ち着く場所があるのは貴重やけど、
なんかごちゃごちゃな感じは否めない。
格天井風だったり、ギリシャ風の柱だったり、
かと思ったらバロック時代のねじり柱とか
異様なほど凝ったステンドグラスとか。
これはそーいうもの、と言う感じもするが
あんまり好きじゃない。
もともとヨーロッパの、バロック建築って
好きじゃないのもあるかも。
でも歴史の重みがあるから、今となっては
立派な文化遺産である、その事は間違いない。
ごちゃまぜと言えば、この界隈、
喫茶店とか漬物屋とか
中華料理屋とか割烹とか
食堂とか、食べ物屋が多い。
これまた一軒ごとに外観がてんでばらばらで
全く統一感がない。
二条城の少し南、住宅地の中にある。
中小大名の宿泊所、いわゆる本陣にあたる施設。
当時、京都は公家を中心とした都であったため、
武士が目立たないよう、豪商の家という建前で
設置されたもの。
実際、商人である小川氏の邸宅であるが、
作りの巧妙さ、規模、内装の手の込みようからして
純粋な個人宅をたまたま利用したもの、ではないと思う。
明らかに、たぶんその当初から、幕府と商人が協力して
大名の宿泊地とするために建てた、と考えるのが自然。
20余りの部屋のうち、7つが茶室であり、
季節や身分に応じて使い分けていたとのこと。
しかしそう聞いてもなお、多すぎる感が否めない。
当時、都の近辺に自前の屋敷を構えていない、
中小の田舎大名が、なんとか都の雅な文化に触れたい、
そしてお国で自慢したい、そういう雰囲気がある。
丁度品ひとつ、襖絵ひとつとってみても、そのどれもに品があり、
技巧に満ちていて、見ごたえがある。
一言で言えば、これをプロデュースした人はセンスが良い。
近世までの豪邸というのは、部屋とか壁とか
床とか、特に内装は作者がバラバラで、痛んだり壊れたり
月日とともに、部分的につぎはぎ的に更新されていくのが
普通やけど、この邸宅はそういう中でも全体のバランスが
損なわれていないところに価値がある。
深い藍色の九条土壁とか、
床の間の川のような模様の錦細工とか
家老部屋の赤銅色の弁柄壁も絢爛だし
特に湯屋は、タイル張りの浴槽とか
赤い油なまこ壁とか追い炊き用の間仕切りとか
実用と美を兼ねていて、素晴らしいと思った。
各所の武者隠しとか隠し階段、防火の工夫、
茶室の水屋と連動した床下の排水のための樋とか
よくぞここまでと思うほど、考え抜かれた設計だと思う。
国宝級の重要文化財、と紹介されていた意味が少し分かる。
たしかに、建築物、工芸品、美術品、実用品、どの観点から見ても
超一流であることに疑いはない。
久々に良いものを見た。
特にこれといって特長のない、
普通の花火大会やった。
ただ、神戸港のど真ん中
海上からの打ち上げ花火を
ぐるりと囲むように港の各所から
群衆が固唾を飲んで見つめる、
っていうロケーションが
素敵だった。
あとそれから、観覧した場所の
隣が異人館やって、神戸らしかった。
特徴的といわれてみれば、そうなのかも。
兵庫県小野市
ひまわり畑。
ザ・サマー。
投票って、
勝たせたい党・人、というより
勝ちそうな党・人を推理して
入れるだけのような気がしてならない。
だって、下馬評でおそらく今回は○○が勝ちそうだ、って分かってて
それでも違うとこに投票する気になるのか、という。
投票して、やっぱり事前の予想の通り負けました、ってなったら
自分も負けたみたいで気分悪い。
そういう意味では、接戦の場合以外、あまり
自由意志で投票していない気がする。僕の場合。
ほぼ作業だなと。
作業であるならば、ペナルティがない以上投票に行かない
場合も考えられる。
投票率が低いのって、案外こういう理由からでは。
大阪会場に行った。
数十曲のなかからどれを歌うのか事前には分からず、
好きでない曲の歌詞を覚えるのは不可能やから、
ライブを盛り上げるというのは、考える以上に大変。
演者からのフリに的確に答えた場合にのみ
ライブは成功すると言えるけど、
もちろん客との打ち合わせなんてあるわけがない。
以上を総合して、ライブ会場で中心になるファンは、
それだけで一つの仕事のようなものだと思った。
学生の体力でなければ長丁場はつらい。
そういう意味では高速バスに似ている。
ライブハウスとはつまり、会社の中会議室くらいの大きさである、
学校の体育館みたいなもんだと理解した。
これは一回きりでいい。
もし今後行くとしたら、椅子のあるところに。いやー疲れた。
羅漢が見たくなって行ってきた。
昔、石見銀山の羅漢寺の
五百羅漢を見た事があるが、
想像と違って、単に小さい仏像が
たくさん置いてあるだけやった。
それはそれで全く正しいんやけど、なんというか違った。
雪深いなかを滑り落ちそうになりながら
必死で参拝したのに、正直うーんて思った。
それと違って、ここのやつは地蔵の姿をしており
しかも一体一体、兵馬俑のように個性があって、
例えば隣の地蔵と酒を酌み交わしてたり、よりかかってたり
首をかしげてたり、変化に富んでおもしろかった。
昭和56年頃から設置されているものなので、
全然文化財でも何でもないが、苔むしていて
イイ具合に馴染んでいる。まるで何百年も前から
そこに立っているかのように。
そもそもこの寺自体、大正期に京都市内から
移築されてきたものらしいが、この馴染みようは
何やろう。
人がほとんど居らず、閑としていて緑深く、
冷水流れる所。
また来ようと思わせる、不思議なたたずまいの寺やった。
島に行きたくなったので、琵琶湖まで行ってきた。
快晴かつ波静かで、絶好の行楽日和であった。
宝厳寺とか竹生島神社はいずれも
安土桃山時代のものらしいけど、
豪華というかにぎやかというか、
楽しそうな様子が滲み出てて、ほころんだ。
桃山文化の作品て権力者が何不自由ない
状況下でオーダーして、そんでまた政治的にも
一時ではあるけど安定した時代で、
なんかこう出来上がったものからフワフワ感が
伝わってくるというか。
念願の船廊下を見られてよかった。
あんな感じで、清水の舞台風になってるとは知らなんだ。
京都から行くと、なんやかんやで5,000円くらいかかるのが難儀。
パイプオルガンが聴きたくなって
京都コンサートホール行ってきた。
やっぱ、パイプオルガンといえば
バッハ。この楽器、強弱がすごいはっきり出るみたいやから
生半可に選曲すると、ただうるさいだけになる。
やっぱ、バッハすごい。
風が涼しい。標高900mだから平地と5度くらい違うのか。
涼しいというだけで、ゆったりした気分になる。
金剛峯寺の襖絵、庭も見事。
狩野探幽、元信を惜し気もなく。まさに贅の極み。
高野山は一地方の私的な寺院でなくて、ほぼ国立の離宮レベルだと分かった。
今で言う那須とか葉山みたいな。
そう考えないと無尽蔵に使用された金と権威が説明つかない。
お金は、参拝者が嫌な気分にならん程度にしっかり取られるし、
「こうやくん」というユルキャラを使った、実際の販売戦略なんかは
素人の発想とは思えない。
それぞれ商品開発をかなり練ってやってる印象。
チラシ、応対、建築中の建屋の案内など、かなり顧客を意識したもの。
組織的なマーケティングというか。
高野山は仏教界の新宿摩天楼のよう。
重文、国宝クラスの建造物がかなり狭い範囲に密集している。
その中に、経済観念と仏教的な思想を絶妙なバランスで両立させた
高野山という社会が成立している。現代的な感覚をもった宗教町。
霊宝館、もの凄い。
たしかに仏画・仏像の本場やけど、展示物の大半が重文以上である。
後白川法皇直筆の手紙(自らの手形つき)にはびっくりした。
天皇経験者が一から全部つくった書物の原本なんて見たことない。
署名や印だけならともかく。そら国宝やわ。
奥の院の墓地、御三家から聞いたことないようなのまで、
ありとあらゆる大名家の墓がある。歴史上の著名人のほか、
最近の企業墓もあるし、もちろんそれら以上の無数の個人墓も。
死んだら有名無名、身分の上下も関係ないんやって、歴史が語りかけてくるような。
弘法大師の御堂近くに無数の個人仏と燈籠が奉納されている。
ナンバリングされてるものだけで、小仏5万体、燈籠2万個。
高野山はすごい。宗教的、芸術的、歴史的、権威的、技術的、金銭的に。
仏教がどうとか、もはやそういう次元に留まらない。