【Fuku】
演劇と歌との融合ってのは、昔から歌謡曲とか演歌の世界では当たり前で、歌い手が演技したり、映画俳優がレコードを出すなんて普通のことでしたが、所謂サブカルチャーの世界では、ジャンルの壁が厳然とあり、ようやく60年代中期ぐらいから新劇の連中を中心にしだいにそうした動きが出てきて、70年代に入り、寺山修司の"天井桟敷"の活動に代表される様々な試みがなされて、そこからまたジャンルを超えた新たな表現活動の躍動がサブカルの世界で根付いていく、なんて図式が形づいてきました。
そんな70年台の中期に現れた共同体「jam」は、劇団自由劇場のメンバーとそれをとりまくフォークシンガー達が中心となってスタートした音楽と演劇との垣根を取り払った集団で、この共同体の形で当時の様々なコンサートに登場してマイペースで堅実な活動を残し、音楽が身軽だったフォークの時代の異端児として、一部のコアなファンに絶賛されました。
自由劇場の創立メンバーで俳優座出身の佐藤"GWAN"博氏を中心に、同劇団の看板女優の吉田日出子氏、当時は俳優で現在は劇作家でもある串田和美氏に、フォークシンガーの草分けで現在は音楽評論の第一線でも活躍している中川五郎氏、当時はまだ芸大の大学院生でその後の活躍を当時誰も知る由も無かった坂本龍一氏などが中心メンバーで、当時は芸大の学生で一時は俳優もやり、また本格的なブルースシンガーとしても非常に評価の高かった朝比奈逸人氏(その後は画家として大学の先生になりました)、中村雅俊の一連のヒット作品など数多くの作品を残した作詞家の故大津彰氏などが参加し、それに今もバリバリで活躍する柄本明氏、佐藤B作氏、笹野高史氏などが客演する形で、このjamの活動はいろんなアーティスト達が有機的に結合しながら活動を続けました。この音楽と演劇との融合が、その後の自由劇場の名演「上海バンスキング」へとつながっていったことはよく知られています。
そのjamが一枚だけ残した活動の記録がこの「jam/ジャム第10回コンサート<>」で、1975年2月14日の中野文化センターでのライブです。この日、その現場に私もいたのですが、歌には素人、演劇には素人の集団ながらも非常に純粋にステージを楽しんでいる様子が客席に直接伝わる暖かい雰囲気が印象に残っています。参加した各人のその後の活躍ぶりを思うと、当時の時代背景を色濃く残したものの、今の時代では考えられないコマーシャリズム抜きの"素人臭さ"が、ある意味非常に心地よい作品であり、当時そうした活動が存在したことを今の時代に伝える意味では非常に貴重な名盤だと思います。2004年に待望のCD化により、今でも手に入りますが、これはオリジナル盤です。
ジャケット写真は故高田渡氏、撮影場所は吉祥寺の"ぐぁらん堂"のあったビルの屋上です。
演劇と歌との融合ってのは、昔から歌謡曲とか演歌の世界では当たり前で、歌い手が演技したり、映画俳優がレコードを出すなんて普通のことでしたが、所謂サブカルチャーの世界では、ジャンルの壁が厳然とあり、ようやく60年代中期ぐらいから新劇の連中を中心にしだいにそうした動きが出てきて、70年代に入り、寺山修司の"天井桟敷"の活動に代表される様々な試みがなされて、そこからまたジャンルを超えた新たな表現活動の躍動がサブカルの世界で根付いていく、なんて図式が形づいてきました。
そんな70年台の中期に現れた共同体「jam」は、劇団自由劇場のメンバーとそれをとりまくフォークシンガー達が中心となってスタートした音楽と演劇との垣根を取り払った集団で、この共同体の形で当時の様々なコンサートに登場してマイペースで堅実な活動を残し、音楽が身軽だったフォークの時代の異端児として、一部のコアなファンに絶賛されました。
自由劇場の創立メンバーで俳優座出身の佐藤"GWAN"博氏を中心に、同劇団の看板女優の吉田日出子氏、当時は俳優で現在は劇作家でもある串田和美氏に、フォークシンガーの草分けで現在は音楽評論の第一線でも活躍している中川五郎氏、当時はまだ芸大の大学院生でその後の活躍を当時誰も知る由も無かった坂本龍一氏などが中心メンバーで、当時は芸大の学生で一時は俳優もやり、また本格的なブルースシンガーとしても非常に評価の高かった朝比奈逸人氏(その後は画家として大学の先生になりました)、中村雅俊の一連のヒット作品など数多くの作品を残した作詞家の故大津彰氏などが参加し、それに今もバリバリで活躍する柄本明氏、佐藤B作氏、笹野高史氏などが客演する形で、このjamの活動はいろんなアーティスト達が有機的に結合しながら活動を続けました。この音楽と演劇との融合が、その後の自由劇場の名演「上海バンスキング」へとつながっていったことはよく知られています。
そのjamが一枚だけ残した活動の記録がこの「jam/ジャム第10回コンサート<
ジャケット写真は故高田渡氏、撮影場所は吉祥寺の"ぐぁらん堂"のあったビルの屋上です。