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Real Jeans & McCOYSTA Millennium Special

山男シャツ3

2006年09月30日 | Fuku-Shirts
【Fuku】

もうせっかくですから、もう一枚ウールシャツ、ということでこちらは2000年リリースのJoe McCoy Outdoorsmanから出た目の覚めるような鮮やかなブリックオレンジのシャツです。これもWoodsman Shirtsとかいうネーミングだったのかなあ、ちょっと忘れましたが。
こちらはチンスト付でノーフラップ、同じくネコ目のボタンがついてます。これもシルエットはちょっと日本人向けにアレンジしているようです。ただ、このウールは洗って乾燥機をかけると恐ろしく縮むので、逆に着丈が縮み過ぎてツンツルテンにならないように注意しました。このウールは圧縮ウールなんでしょうが、これまで紹介した2枚と違って、普段はもの凄く厚みがあります。ただ、畳んで上から押しこむと結構小さくはなります。だからだろうと思いますが、他に2枚よりも暖かいです。もう暖かすぎるくらい。

このオレンジはレスキューオレンジとも言うべき色目で、山で着ると本当に目立ちます。遠くからでも見失いません。

山男シャツ2

2006年09月29日 | Fuku-Shirts
【Fuku】

昨日に続いての山男シャツですが、こちらは確かカタログには載っていないJoe McCoy98年秋冬のウールチェックシャツです。
ノーチンスト、ノーフラップで昨日のWoodsmanとはだいぶ違います。ただ、アップの画像を見てもらうと判るとおり、襟の形状がもうこの上ないほどに絶妙です。非常に綺麗な剣先で、実際に着た時の襟の開き具合がもう最高です。あと、これはオリジナルからドンズバで形を抜いたのではなくて、日本人向けにシルエットをアレンジしています。まず着丈が短いし、袖の長さもちょっと短く調整してます。

このシャツは値段は結構高かったのですが、ボタンがこれまた最高のものを使っています。結構贅沢な山男です。
最近はこういう絶妙の色合いのチェックってなかなか出ないですね。

山男シャツ

2006年09月28日 | Fuku-Shirts
【Fuku】

涼しくなったとはいっても、まだこういうウールのシャツにはちょっと早いですね。でもそろそろ準備ということで、2000年に出たJoe McCoyのOutdoorラインのウールシャツ"Woodsman Pullover"です。このブロックチェック柄、色合いが絶妙です。斜めに切られたポケットフラップを見て、むかしからのアウトドア好きな方ならばお気づきかもしれませんが、斜めポケットフラップはかのL.L.Beanの名品"Maine Guide Shirts"と同じです。このあたりうまくいいとこ取りしてるなあと思います。
あと、以前にも書いたと思うのですが、この時代のマッコイズのシャツの一番のキモはなんといっても襟先の形状です。これが非常に綺麗に尖って凄くイイ形をしています。レプリカのシャツの場合にはこれが絶対に重要なんですが、メーカーによってはけっこうここのあたりを手抜きしている場合があります。あとでまた出しますが、他のマッコイズのシャツはどれも凄く襟の形状がいいんです。これは旧体制が終わるまで変わりませんでした。絶妙のパターンを切る人がいないと、このあたりは実現不可能です。

いかにも山男が着るようないかつい感じのアウトドア向けのシャツですが、ドニゴールトゥイードのウールパンツなんかにも良く合います。今年の冬が待ち遠しいですな。

ヘンなパンツ

2006年09月27日 | Fuku-Pants
【Fuku】

これもつい最近手に入れたのですが、1920年代のCarharttのエンジニアパンツをモチーフにして現代に再現したWarehouseの今期の新作のパンツです。ヘンでしょう。かなりヘンです。ベルトループは無くて、針金金具付のアジャスタストラップが両サイドについていて、サスペンダーボタンもあり、ボタン付の前立て、ヘンな形状のバックポケット(切り口が斜めです)、そしてサルファ染めのツイル(カラーデニム)は薄手で10ozも無いくらいで、頼りない生地です。

あまりのヘンさ加減に一発で気に入って、特に色目がヘンなサンドベージュを買いました。股上は浅いのに、太腿あたりはかなりゆったり目でエンジニアパンツというくらいですから、作業しやすいように上に一枚穿くパンツなのかもしれません。今の季節にはピタリですが、真冬は寒くて駄目ですね。

好きなんだよなあ、こういうなんともヘンで全然実用的でないパンツ。

スウェーター3

2006年09月26日 | Fuku-others
【Fuku】

今回は、"ブルックス・ブラザース"とスコットランドの名門"マックジョージ(Mcgeorge)"のなんてことないシェットランドセーターです。ブルックスのは青山本店で買ったのかなあ。マックジョージは結構どこでも売ってて、お値段もお手頃で買いやすかったのですが、これは確か下北沢のアメリカ屋(あの北口バラック商店街の中のあった)で買ったやつでタグが新しいほうですから85年ぐらいのやつだと思います。

クルーネックのシェットランドの場合、結構キモになるのはネックの編み具合でここが安いやつだとすぐに伸びてしまって、なんとも格好悪くなるのですが、信頼できるメーカーのはここが絶対に緩まないんです。一度着た後(アタマが通った後)は結構広がるのですが、ちょっと置いておくと自然とネックが元に戻る(もっとも最初に買った時に比べたら伸びているんですが)んです。コットンのクルーネックの場合でも同じでやはり安いものはビヨンビヨンに伸びてしまって元に戻りません。

セーターは絶対に質の良い高いやつを買ったほうが得だと思います。こういうのは経験則ですね。

今週の一枚:「Life After Romance」ned doheny 1988

2006年09月25日 | Fuku-music
【Fuku】

70年代後半に、特に日本の西海岸音楽好きの間で一部熱狂的に受け入れられた"西海岸の御曹司"ことネッド・ドヒニー(Ned Doheny)、西海岸のロックというよりももっと軽い感じの"AOR(Adult Oriented Rock)"のくくりで日本では当たった感があり、以前に取り上げたジャクソン・ブラウンや同時期に活躍していたJ.D.サウザーやウォーレン・ジヴォンなんかと比べて、結構軽めに評価されることが多いのですが、ネッド自身はソングライティングにしてもギターの腕前でも非常に能力の高かったことはコアなファンの間では有名で、日本における異常なる盛り上がりが却って彼の実力を正当に受け入れることを邪魔したのでは、とか当時は思っていました。

70年代の西海岸のロックの代名詞ともいうべき名門レーベル"アサイラム"から73年にリリースされた1stアルバムの「ネッド・ドヒニー」は当時のアメリカ西海岸のロックアルバムとして非常に高い評価とセールスを記録し、それに続いてCBSコロンビアに移籍してリリースされた76年の2ndの「ハード・キャンディ」で日本でも火がついて、本国よりも日本で、特にサーファー連中とか六本木で夜な夜な遊んでいた偽サーファ-連中の御用達ミュージックとして愛聴されました。

ただ、その後77年からが彼にとってはいろいろと苦難の時期で、3rdアルバムの「プローン」は非常に出来が良かったにも拘らずアメリカ本国では発売されず、日本でようやく日の目を見て、その後はソングライターとしてチャカ・カーンの全米No.1ヒット「Whatcha Gonna Do For Me?」を送り出し、表舞台からは遠ざかっていきました。

彼はもともとロサンゼルスでも超のつく名家の生まれで、Doheny Driveという通りがある位の超大金持ちの御曹司で、とくにあくせく働く必要が全くない人でしたが、そうした育ちの良さが却って災いしたのか、その後は特に表に立つこともなく、その名も一部のコアなファン以外には忘れられていったと思っていた1988年、突如として日本のポリスターから日本企画のアルバムということでこの「Life After Romance」をリリースして、以前と全く変わらない歌声と優れた音楽性、非常に心象風景を映し出すことが上手い歌詞で、我々の前に再登場して、翌年にはこのアルバムをひっさげて日本でライブハウスツアーを行い、私も芝浦のインクスティックでの彼の久々のステージを堪能しました。

ライブハウスツアーといっても全くの手抜きなしで、この規模のツアーでは全く考えられないような超一流どころのバックミュージシャンと従えての彼のステージは、当時ちょっとだけ大人になりつつあったかつてのサーファー(偽も含む)連中を喜ばせました。

91年にも3回目の来日を果たして、やはり日本での人気は健在であることを証明したのですが、その後はまたソングライターとして、あるいはギタリストとして裏方に回ることが多くなり、現在では、細々と活動しているうわさは聞こえてはくるのですが、新しいアルバムを出す話もなくて、日本の一部の熱狂的なファンは彼の活動再会を心待ちにしています。

私は、最初にLAに行った時に、Sunset大通りとDoheny通りとの交差点脇にあった"Sunset Doheny Motel"というモーテルに泊まって、すぐその斜め前にある名門のライブハウス"Roxy"と"Whiskey A GoGo"に通いました。車のラジオからは、ネッドの名曲「Fineline」、「On And On」、「Postcards From Hollywood」がよく聴こえてました。

このアルバム、よく見てもらえると判ると思いますが、ネッドの着ているHawaiian Shirts、有名なピクチャー柄の「ハイビスカス・レイディ」です。もちろんホンモノでしょう。

LIFE AFTER ROMANCE ned doheny 1988
ポリスター P33R-25004
再発:ドリームズヴィル YDCD-0012(1999)

Rivet Gunner

2006年09月25日 | トッチー
【トッチー】

マッコイズ8HOUR UNIONのリベットガンナーシャツです。このシャツは、私の一番好きなシャツですね。翌年には、グレー系の色のシャンブレーで同じくリベットガンナーシャツも出て、そちらも購入しましたが、コレにはかないませんでした。マッコイ本では、モデルが袖を引き千切ってノースリーブで着てたのが印象的でした。

ただコレは、ワークシャツではありますが、色も黒だし、革パンに合わせたり、結構キレイ目な感じにも着れます。それに縫製糸がピンクっぽい色なんですよね。コレは結構着ましたが、着て洗ってを繰り返した今は、結構黒の色もいい感じに抜けてきて、渋くなってきてます。生地は結構厚手で丈夫な感じで、まだまだ何年も着れそうです。

先程は「キレイ目でも」と書きましたが、やはり気分は洗いざらし、リメイクな細身のジーンズで、裾を出してワイルドに着るのが気分です。

chicken

2006年09月24日 | Fuku-Shirts
【Fuku】

もうこのプリントを見てもらえば、何処のか判ると思いますが、相変わらずの洒落た絵柄(しゃれで済む分にはカワイイのですが)でお馴染みのブートレガーズ・リユニオン("Bootleggers Reunion")の今年の春に出たスウェットです。

ブートのはロンTにしてもTシャツにしても、永遠のロックスタアレジェンドのシリーズとかフラワームーヴメントとかモーターサイクル・カルチャーなどなど、非常にコアな絵柄が多くて、毎回楽しませてもらっていますが、今回のスウェットのシリーズはその絵柄だけでなく、ヴィンテージ・ウォッシュされたクラシカルな2本針のスウェット本体もかなりの出来です。プリントは既に割れているか、擦れているかの超オイシイ状態で、まあ判る方には判るそのウィットに富んだ絵柄には、今回はさすがにマイりました。

ブートには本当に毎回楽しませてもらってますが、今期秋冬のレザー系もこれまた飛びっきりのオイシイやつがスタンバイしているそうで、今から楽しみです。

#まあ、いつの時代も「気の弱いやつ」っているもんねえ。私なんてその代表ですわ(^^;;;;;;;。

スウェーター2

2006年09月23日 | Fuku-others
【Fuku】

昨日に続いて、発掘されたスウェーター界の大物、同じくスコットランドのRobertsonのブランド"Donnachie"の今度はシャギードッグのシェットランドスウェーターです。シャギードッグというのはシェットランドの中でも特に毛足が長く芯が細身の上質な毛糸で編んだもので、毛足が長いので、通常のシェットランドよりも表面が毛羽立っていて、そのくせ毛糸が細いので編みが緩くて透かしてみるともうシースルー状態となるような華奢な印象があるスウェーターです。
シェットランドの中でもシャギードッグは生産量が少なくて値段もかなりお高くシェットランド界の王様とも言えるスウェーターでした。シャギードッグは確かJ・プレスが商標を持っていて、J・プレスのシャギードッグはそれこそ当時は憧れで、なかなか手に入れられなかったのですが、このDonnachieのほうは結構どこでも買えました、高かったけど。

ちょっと画像では色が判りにくいと思いますが、これは渋いモスグリーンです。あと黒も持ってましたが、今回は出てきませんでした。J・プレスのシャギードッグもどっかにあるはずです。このスウェーターは着るのに結構気を使ってどっかに引っ掛けないように注意しながら着たものです。そのおかげかもしれませんが、コレも全く虫喰いなしの完全な状態で残ってました。結構見た目よりも暖かいんですよね、シースルー状態だから風を通してそんなに暖かくないように見えるのですが、やはり毛糸が上質なせいか結構暖かいんです。これもこの秋に再デビューかなあ。

スウェーター1

2006年09月22日 | Fuku-others
【Fuku】

秋になると出番なのがセーターですが、ここ数年はちゃんとしたセーターを着たことってあまりなかったですね。なんかジャケットとかアウターで寒さはしのげるので、どうもシャツの上にはジャケットとかカヴァーオール、レザージャケットばかりで、セーターの出番はどうも2の次でした。カーディガンは脱ぎ着がラクなので、結構着てるんですけどね。

とか言ってセーターをないがしろにしてたら、出てきましたヨ、スゴイのが。

若い頃はもう秋から春まで毎日のようにセーターは必ずといっていいほどに着ていたので、結構良いものを買ったのですが、そのうちの自慢の一枚がこのスコットランドはRobertsonのブランドである"Donnachie"のカシミアのVネックプルオーヴァーです。これも久々に発掘されました。20代の終わり頃にボーナスでもうそれこそキヨブタで買ったものですから、もう20年以上経ってると思います。確か渋谷の"Camps"のセールで買ったのではと思います。これはもう値段が値段でしたから、本当に大事に着て、洗濯屋に出す時も細心の注意を払って渋谷の白洋舎に出しました。そのおかげかもしれませんが、今回久々に出してみましたが、虫食いも全く無くて完璧なコンディション。改めて高い良いセーターは何時の時代でも無敵だということを痛感しました。今シーズンは結構着てみたいですね、スウェーター。

タターサール

2006年09月21日 | Fuku-Shirts
【Fuku】

も一つ懐かしいものが出てきたのでご紹介。おなじみL.L.Beanの70年代のタターサール柄のボタンダウンシャツです。これはメールオーダーで直接買ったものです。78年ぐらいだったと思います。L.L.Beanもいまでは日本でもいくらでも買えますが、当時はまだショップに置いてあるところは少なくて、東京ではF&Eでもお馴染み油井さんの"スポーツトレイン"とか六本木の"アウトポスト"ぐらいでまだ単品仕入れのため、結構値段も高くて、その後ソニープラザが代理店契約して新宿や二子玉川にL.L.Beanのラインナップが置かれた時には値段がちょっと安くなったせいもあって、もう買い捲りました。
とはいってもまあ送料とか関税を考えても量がまとまればメールオーダーで頼むのが一番てっとり早くて、何度も利用して、もうテントからシュラフ、毛布までいろんなものを個人輸入しました。

このシャツは最初にメールオーダーした頃に買ったもので、確かスポーツトレインで買った赤・黒格子柄のタターサールも持っていたのですが、すっごく着心地が良くて、またサイズ的にも私にはピタリだったので、違う柄のが欲しくて買いまた。ポリエステルがちょっとまざったコットンビエラ生地に厚みのある貝ボタン、縫製も全く手抜きなしの非常にクオリティの高いシャツで、後から知ったことですが、この頃のL.L.Beanは、アメリカの名門シャツメイカーのHathaway社のOEMだったそうです。
これもBrooks Bros'のシャツ同様に襟が大きいのですが、着た時のこの襟の倒れ方が絶妙で、結構気に入って着てました。今回やはり20年ぶりぐらいにお目にかかりましたが、まだまだ着れそうです。

以前にも書きましたが、メイン州ポートランドのL.L.Beanのリテイルストアを最初に訪れたのは、その6年後でした。

都立大学

2006年09月20日 | Fuku-Shirts
【Fuku】

せっかくですから、はっしーさんが喜びそうなネタを一発。

こないだカバンを探すついでにいろいろと納戸を漁ってたら結構懐かしいものが一杯出てきました。これは初めて買ったBrooks Brothersのボタンダウンシャツです。ブルックス・ブラザースと表記しないのは理由があって、青山にBrooks Bros'の直営店が出来るよりも前に手に入れた直のインポートモノだからです。
ところがコレ何処で買ったのかが定かに思い出せないんです。おそらく東京の都立大学(東横線ですね)にあったBrooks Bros'の直のインポートをちょこっとだけ扱っていたメンズショップだったと思うのですが、店名がどうしても出てきません。
高校3年の秋だったと思います。当時はアメ横とか行けば買えたと思うのですが、なんかの雑誌(メンクラだったかなあ)で都立大学にBrooks Bros'を扱う店が出来たというニュースを見て、速攻で買いに行った時のやつです。かなり着倒したのでもう襟のあたりとか袖口が擦り切れています。もう20年近く着てないのですが、洗濯屋でプレスしたまんまで残っていました。

私は当時はBrooks Bros'よりも手軽に手に入ったJ Press(J・プレス)派だったのですが、初めてこのBrooks Bros'のBDを目にした時は異様に大きい襟にビックリしたことをよく覚えています。でも着てみるとこの襟のロール具合がまた絶妙でなるほどなあと感心したものでした。ただ、なにせインポートだと身幅が広くて広くて袖丈に合わせると身幅がガバガバでした。それでもなんとか着ているうちに身体に馴染んできましたねえ、不思議なことに。青山で直営店が出来たときにはシャツは日本人向けにサイズ調整されていましたね。こちらとしてはそれはちょっと残念だったのですが、まあ仕方ないですよねえ、日本人に合わないシャツなんて売れないですからね。

ニューヨークはマジソン・アヴェニューのBrooks Bros'総本山を訪れたのは、その3年後でした。


【はっしー】

心の琴線をくすぐる憎らしいエントリ(笑)

日常的にタイドアップする機会が少ないんで、このところゴブになっている
ブルックス(Brooksと書かないのは...まぁ良いか(笑))ですが、
自分の中ではVAN→KENT→ブルックスの図式でトラッドのヒエラルキーが
出来てます。
私が初めてブルックスに行ったのは18の夏(^^;; 当然青山通り沿いの本店です。
あの頃青山通りからお店に上がるのに、あの階段がやけに敷居の高さを感じさせて
くれました。定番のポロカラーシャツを緊張しながら購入したのも今となっては
懐かしい記憶です。
現在地元大分にもブルックス大分支店があるためか、はたまた資本が代わって路線
変更した影響か、もうユニクロ感覚でお店に入る事が出来る様になりましたけど。

そういやブルックス・ブラザーズ青山店を出てから向かい側(だっけか?)に当時
あったKeith HaringのPOP SHOP東京に行った記憶が・・・(^^;;

TOYS McCOY TYPE A-2 V.HILTS MODEL

2006年09月20日 | はっしー
【はっしー】

そういや私の最後のエントリはいつだったんでしょうか?(笑)

さて週末は大学のサッカー部の40周年記念パーティーで北九州市へと出かけてました。そうです、台風直撃の日(笑)
北九州市最接近時刻が20時だったんですが、パーティー開始が19時(^^;; いやね、どうせホテル内なんだから飲み出したら全く関係ないんですけど、可哀想だったのが同じ時刻に結婚披露宴やってたんですよね。

さて本題はここから。
上記パーティー当日、前夜から現地について前夜祭(笑)で飲んでいて友人宅に宿泊したんですが、その朝19時まで暇があるなぁ、なんて考え、友人に『台風の中スマソけど、福岡市まで乗せてってくんない?』なんて事になり、暴風雨の中福岡市まで行って参りました。勿論お目当てはHARRYS。久々の訪問だったんですが、台風で早じまいの準備をしてるのも見ないふりして(笑)、私の視線はお店の奥の什器からブラ下がっている、黒みを帯びたA-2の山。そうです、今回のエントリのTOYS McCOY TYPE A-2 V.HILTS MODELであります。

HARRYSにはAVIATOR KIT BAG付属のモデルしか入れてなかったんですけど、スタッフ曰く『今朝入荷しました』・・・・なんですと(笑)、もう私を待っていたとしか考えられません。
昨年『+5』ミーティングで東京のTOYS McCOY本店に行ったときから頭から離れなかったV.HILTS MODEL、一年越しにて入手完了と相成りました。
 かつてのボディコンA-2好きで、『ブカブカのA-2なんて着てんじゃねーよっ!』なんてセリフをミレスペ時には吐いていましたが、今回のV.HILTS MODELは、『Great Escape』でのHILTSの感じを重視し、私にはあるまじきサイズを選択しています。これも昨年東京のTOYSにて試着した経験からですけどね。
 
 今年も1.1mm厚のホースハイドと言われていますが、昨年の紙の様な薄さに比べれば若干厚くなっている気がします。しかし着れば一発で腕等に良い感じのシワが入っていきそうな絶妙な革の堅さが素晴らしいですね。色も劇中を再現したと言われる黒に近いシールブラウン。オマケと言うには立派で値段も高い?AVIATOR KIT BAGを片手にこの秋コスプレで旅行にでも行きたくなりますね。
 
 あ、コスプレで思い出したけど、McQUEENチノ、ウエストサイズが合わなくなったんで買いなおさなきゃ(^^;;

#今年はコイツで冬を越します。つーかHILTS買ったんで資金不足になり、予約してたMoncler、キャンセルしました(^^;;
今年はMonclestaでなくて、久々のMcCOYSTAです(笑)

【Fuku】

いやあウレシイっすねえ、はっしーさん、ゴブでした。やっぱ買ったんですね。去年のモデルにも結構惹かれてたもんねえ。サイズはやはりアレですよね、アレ(^^;;;;;。私も去年は買おうかどうしようか迷ったんだけど、結局金が無くて買えなかった。私はまだ今年の現物を見てないんだけど、トイズのページで見る限りでは今年のほうがフィニッシュはイイんじゃないかなあ。う~~むっ、イカンなあ。欲しくなってきた(^^;;;;;;;;;;。今年は革は1着限りって決めているんだけどなあ。

【はっしー】

そうです、サイズはアレです(^^;;
いやぁ、やっぱ良いっすよ、HILTS。TOYSのページではピグメント・フィニッシュってことでやや艶無しの
感じがするけど、実際はラッカーの様な艶がありますよ。オマケに絶妙な堅さがあり、ほんと一発でシワが
入って良い感じ。お勧めですよぉ~(笑)

GOOD OL' AMERICAN DINER

2006年09月19日 | Fuku-area
【Fuku】

どうもこないだのハワイ島特集以降、食べ物ネタが結構楽しいなあ、って思ってまして、ハワイから帰ってきてから、やっぱアメリカ食が恋しくなって、アメリカ食といえばしょっちゅうお世話になってる名店"The Bubble Over(バブル・オーバー)"に行きました。

ここはよくF&Eでも出てくるのでご存知の方も多いと思いますが、それとは別に某ジャニーズ系のグループの一員のファンの方にも特に有名だったり、以前は沖縄サウンドで有名なグループ"BEGIN"のメンバーがここでバイトしていたことでも有名ですね。

食べられるのは主にアメリカのダイナーで食べられるものです。ハンバーガーやホットドッグは日本ではおそらく5本の指に入るぐらいにアメリカで食べるのと同じものが食べられます。チリビーンズやメキシカン料理もかなり本格派です。
店内に流れるのは徹底して西海岸系アメリカン・ロック、それ以外の音楽は流れません。コーヒーに至っては完全なアメリカンコーヒーがもちろん飲み放題で、ここのコーヒーは本当のアメリカンです。
同じ敷地内にあるサーフィングッズとアメリカ衣料の店"SURGE COAST STORE"も結構面白いものがあります。Clarksの結構珍しい靴があります。

アメリカ食に飢えている方には絶対にお勧め。

今週の一枚:「センチメンタル・シティ・ロマンス」 1975

2006年09月18日 | Fuku-music
【Fuku】

つい最近リリースされた竹内まりや嬢の新譜「シンクロニシティー」(C/W 返信)のPVをワーナージャパンのサイトで見たら、これまたびっくりバックで、超久々にバックを務めたセンチメンタル・シティ・ロマンスのオリジナルメンバー3人(中野督夫氏、細井豊氏、告井延隆氏)に一時期ドラマーで在籍してた元シュガーべイヴの野口明彦氏を加えて、ダンナの山下達郎氏と一緒に楽しげに演奏している模様が写っているではないですか。久々に動くセンチを見たものですから、途端に懐かしくなって、この1975年8月リリースの日本のロック史上に残る記念すべき1stアルバム「センチメンタル・シティ・ロマンス」を引っ張り出しました。

センチメンタル・シティ・ロマンス(SCR)は、1973年に名古屋で結成された生粋の名古屋バンドで、はっぴいえんど、はちみつぱいが解散した後、その流れを汲むとともに、当時はシュガーべイヴと並んで日本のロックとしては明るさと心地よさに加えて非常に垢抜けた詩の世界を表現した特異なバンドとして高く評価され、各地のコンサートを赤いワゴンのツアーバスに機材を積み込んで回って、当時としては非常に玄人筋に評価の高かったバンドでした。

最初のデビューの頃はまだベースを弾き始めて数週間とかいろいろと問題もあってなかなか自分達のサウンドが形作れなかったのですが、当時のマネージャーの竹内正美氏の強い信念のもと、必死で練習に練習を重ねて、わずか1年余りで演奏面でも歌の面でも非常に上手いと評価されるバンドへと成長して、各地のコンサートで実戦を積んで、満を持して75年にSony からレコードデビューしました。私は74年の池袋のホーボーズ・コンサートをはじめ、VAN99ホールの99円コンサートなど東京にセンチが来たときには良く見に行っていたので、74年当時はシュガーべイヴと並んで最もお気に入りの日本のバンドでした。

このアルバムを聴いてのセンチのサウンドは一言で言うと、ウエスト・コースト、それもロス志向のサウンド、と言うよりは実際にロスの街に通じる様な雰囲気、ニュアンスを醸し出していたことでした。当時は、イーグルスやドゥービー・ブラザース、リトル・フィートなんかに通じるようなサウンド指向が目立っていて私としては日本のバンドとしては非常に面白い存在だと認識していたのですが、実は彼らのオリジンとしてはそれだけではなくて、もっと古いポコ、バッファロー・スプリング・フィールドやヤング・ブラッズなどのサウンドを聴きこんで、自分達の音楽へと昇華してということを後から聞いたことがあります。

1975年当時、どちらかと言えば日本的でウェットなバンドが多い中、センチのスコンと抜けたような、カラッとしてファンキーな感覚は明らかに異質でした。が、それでいて古い日本語の使い方が妙に上手く“あんたはひょっとこ” とか “へのへのもへじの へそまがり”、とか、また曲のタイトルにしても「庄内慕情」とか「籠時」「小童」など、妙に日本情緒をかもし出すようなものが多くて、アメリカ西海岸のサウンドかと思うと唄っているのは日本語の美しさや面白さを追求している歌で、その対比が当時としては非常に斬新で、妙にすっ呆けたような詩がなんとも自然に耳に残っていたことを良く覚えています。

ただ、当時はセンチにしろシュガーベイブにしろ、他を圧倒する程クオリティの高い演奏を聴かせ、且つ凄く良質で洗練されたアルバムを作りながらも一般的には今ひとつ人気が付いて行かずに、複数のバンドが出演する対バンのコンサートでは、もっとノリを追求する勢いのあるライブバンドに押され気味でした。これはシュガーベイブにも言えることですが、あまり人気が盛り上がらなかった要因は、ロス発の洋楽をマニアックに聴き込んでいたが故の繊細さ、センスとしてのカラッと抜けるような青い空、日本の情緒を大切にした詩、このどれもが当時の日本のロック・ファンには新しすぎてピンと来なかった(一歩先に行き過ぎていた)ことなんじゃないかと当時は思いました。

そんなセンチも結成30周年をゆうに過ぎて、今はオリジナルメンバー3名を中心に地道な活動を続けています。また、3名ともその抜きん出たテクニックによって多くのシンガーのバックやレコーディングメンバーとしての活動歴も長く、特に加藤登紀子氏のバックを長年務めて、例のハイジャック事件の時には告井氏が大活躍したことは結構有名になりましたね。

まだまだ40周年に向けて活動中。日本では最古の部類に入るロックバンドとして今後の活動にも注目していきたいです。

センチメンタル・シティ・ロマンス
ソニーレコード SRCL-1905 1975.8