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今週の一枚:「とりわけ10月の風が」林ヒロシ 1975

2006年06月05日 | Fuku-music
【Fuku】

一昨日の土曜日から、東京の単館公開(渋谷のイメージフォーラム)ですが、かのイラク人質事件に巻き込まれた日本人女性をモチーフにした映画「バッシング」が公開されました。
昨年のカンヌ映画祭で日本から唯一コンペティション参加をいう栄誉を得た作品で、日本では全くと言っていいほどに話題にされなかったのに反して、海外では非常に高い評価を得ました。

この映画を自主制作し、脚本と監督を務めたのが小林政弘という人で、彼はテレビドラマのシナリオライターから映画製作に入り、いずれも自主制作という形でこれまで6作品を発表してきましたが、そのどれもが様々な映画賞を取っており、高い評価に反比例して興行成績が振るわないという日本映画独特のつらい状況下にあっても常に前向きに新たなテーマを取り上げて映画製作に取り組んでいる非常にアグレッシヴな方です。

昨年のカンヌ出品の際に小林氏のこれまでのキャリアがいろんなメディアで紹介されたのですが、その時に彼は30年前にはフォークシンガーであったということが触れられていました。今回の映画「バッシング」では、彼が30年前に作った曲「寒かったころ」がエンディングテーマに使われて、それを契機として彼が30年ぶりに歌手活動を再開するという話を人伝えに聞きました。なんでもライブもやるそうです。
彼が歌っていた時代は、丁度私が多感な高校生の頃で、以前にも触れた74年に池袋で開かれた月例コンサート「ホーボーズ・コンサート」ではかの高田渡氏や中川五郎氏などと一緒に出演し、当時としてはちょっと老成した風体で、21歳の若者が感じる思いを、少年の面影を残した青い歌声でこれまた非常にアグレッシヴに唄っていた光景を何度も見る機会に恵まれました。

"林ヒロシ"というなんともありふれた名前でギターを奏でてハーモニカを吹いて唄っていた彼は、最初は3人組の"林亭"というグループで、佐久間順平氏(現在:弦楽器奏者)と大江田信氏(現在:渋谷の某レコード屋店主)と組んで、以前にもここで触れたアメリカのフォークリヴァイバルブームの立役者"ニューロストシティランブラーズ"をコピーして、あちらのフォークソングやブルースの曲に日本語の歌詞を乗せる形で非常に評価の高い作品(夜行列車のブルース、名古屋まで12キロ、etc)を世に出していましたが、まもなくグループを離れてソロとなり、全国のライブハウスを高田氏らと一緒にまわって、自作の歌を聴かせてくれました。

その彼が満を持して自主制作の形で世に出した唯一のレコードが、1975年の秋にリリースされたこの「とりわけ10月の風が」で、確か200枚ぐらいしか作っていなかったと思いますが、私はこのレコードを当時よく通っていた吉祥寺の"ぐぁらん堂"で、当のご本人の前で買いました。
バックにはかの坂本龍一氏が参加しており、彼のピアノが非常に印象的な「たそがれ時」や「六月・松本の夜」、林氏のハーモニカが非常に効いている「イタリアの天使」などなど、単なる四畳半フォークとは一線を画した垢抜けた楽曲は当時の批評家の間で密かに話題になりました。
その後、林ヒロシ氏は彼女と結婚するために歌手のキャリアを捨てて、実直な郵便局員となり、音楽シーンから静かに消えていきました。

それから15年ぐらい経った頃、その彼が本名の小林政弘となりCBCとかHBCなどの地方局製作のドラマの脚本を書いて結構高い評価を得ているという話を人伝えに聞いた時には驚きました。
丁度その後ぐらいに、奇跡的に自主制作の「とりわけ10月の風が」がMIDIでCD化されて再発売され、私は即手に入れました。

今回、ここに紹介するにあたって、実家の納戸にしまったはずの当時のアナログ盤を探したのですが、なかなか見つからずに結局はCD盤(オリジナル盤とは曲順が違います)を紹介しますが、そのライナーにオリジナル盤の画像が掲載されていますので、それでご勘弁。でも必ずあるはずです。こうしたレコードは絶対に手放していないですから。

とりわけ10月の風が   林ヒロシ
Originally Released in 1975
Reissued for CD, MDCL-1210 MIDI Inc. 1993
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