【Fuku】
年末のテレビを見ていたときに、チャンネルを変えてたら、なんかどっかでお目にかかったようなサエナイおっさんがギター抱えて歌っていたので、ちょこっと見てたらなんか聞いたことのある曲、アレッ??これは「悩み多き者よ」じゃないかな、と思ってよく画面を見たら、なっなんと!!、70年代にかの"若き哲学者"と異名をとった斉藤哲夫氏じゃあないですか。
驚いてそのまま画面に釘付けで、よく見ると隣に小田(和正)さんがいる。もう録画も間に合わず老眼の目を皿のようにしてみてると、2曲目は「グッドタイム・ミュージック」、「されど私の人生」か例のメガヒット「ピカピカに~」かと思っていたらうれしい誤算の選曲。この時代に「グッドタイム・ミュージック」をテレビで見れるなんて思ってもいませんでした。
なんか、小田さんの番組でクリスマスの何たらという年に一回の番組だということが、その後のスキマスイッチが出ているときに判りましたが、なんともまあこの21世紀の年末に斉藤哲夫氏とはねえ、と感嘆した次第。いい年の瀬でした。
ということで、私が一番聴いていた斉藤氏の代表作「バイバイ グッドバイ サラバイ」です。
本作は1973年10月のリリースですが、斉藤氏のデビュー作でインディーズレーベル"URC"から前年に出た「君は英雄なんかじゃない」とは作風がかなり変わり、非常に内省的で鋭い言葉をたたみかけるように浴びせてきたデビュー作とはうって変わって、この2作目では、詩は友人とか故郷とか都会をテーマに当時の若者達が普通に考えていることを表現し、曲調は彼が大好きなビートルズやギルバート・オサリバンに影響を受けたと思われるポップでかつメロディアスなものへと変化し、このアルバムから始まるCBS SONY三部作である「グッド・タイム・ミュージック」、「僕の古い友達」という斉藤氏の代表作に一貫していたフォーク・ポップスとも言うべき彼のやりたかった音楽の出発点となりました。
斉藤氏は、東京は大森の定食屋さんの一人息子で、地域的なこともあってか、以前にも紹介した"はちみつぱい"の鈴木慶一氏やあがた森魚氏とデビュー前から親交があり、デビューしてからもはちみつぱいからムーンライダースのメンバーと活動することが多く、その影響もあってか、単なるフォークに留まらず、非常にポップで洒落の利いた曲調と、関西フォークに真っ向から対抗できる(別に対抗する必要はないんですが)、先鋭的な歌詞と節回しの利いた独特の歌いっぷりが評判となりました。
一般には、80年に出たCMとのタイアップ曲「いまのキミはピカピカに光って」の大ヒットで知られていますが、このヒットがかえって彼の音楽活動においての負担となってしまったことは、その後の斉藤氏の活動から理解できます。
私はこのアルバムの最後のトラックの「吉祥寺」という曲が大好きでよく聴いてました。この曲は斉藤氏の吉祥寺に住む友人のことを歌っているのですが、その"友人"の奏でるバンジョーの音が非常に効果的で、当時の吉祥寺のアングラ系(こういう言葉も今は死語ですね)のお店ではテーマ曲のようにかかっていました。
このアルバムでは代表曲と言われる「親愛なる紳士淑女の為に」や「もう春です(古いものは捨てましょう)」とかを聴いていると、70年代初期のポスト安保闘争時代の若者達が皆抱えていた古い時代に終りを告げることと新しい次の時代への突破口を見出せないジレンマが見え隠れしています。今となってはただただ懐かしい時代という凡庸な表現しか出てこないのが申し訳ないですが、まあそういう時代でした。
久々にテレビで斉藤氏の元気な姿を拝見して、私もちょっと元気が出た次第です。斉藤氏も私生活ではいろいろとトラブルもありましたが、美人の娘さんと一緒に小田さんと談笑している姿をテレビで見て、まだまだ皆さん頑張ってるなあ、と感心すると共に少しホッとしました。
またあとで取り上げますが、この年末から正月には斉藤氏だけでなく、加川良氏、友部正人氏、三上寛氏がテレビで放映され、我々世代を楽しませてくれました。年末年始のテレビもイイモノもやってくれますね、DJ OZMAだけじゃなくて。
バイバイ グッドバイ サラバイ 斉藤哲夫
CBS SONY Records Inc. ,1973/10
Re-Issued as MHCL-909, Sony Music Direct, 2006/9/20
#マイケル・ブレッカー逝去。ショック!!絶句
年末のテレビを見ていたときに、チャンネルを変えてたら、なんかどっかでお目にかかったようなサエナイおっさんがギター抱えて歌っていたので、ちょこっと見てたらなんか聞いたことのある曲、アレッ??これは「悩み多き者よ」じゃないかな、と思ってよく画面を見たら、なっなんと!!、70年代にかの"若き哲学者"と異名をとった斉藤哲夫氏じゃあないですか。
驚いてそのまま画面に釘付けで、よく見ると隣に小田(和正)さんがいる。もう録画も間に合わず老眼の目を皿のようにしてみてると、2曲目は「グッドタイム・ミュージック」、「されど私の人生」か例のメガヒット「ピカピカに~」かと思っていたらうれしい誤算の選曲。この時代に「グッドタイム・ミュージック」をテレビで見れるなんて思ってもいませんでした。
なんか、小田さんの番組でクリスマスの何たらという年に一回の番組だということが、その後のスキマスイッチが出ているときに判りましたが、なんともまあこの21世紀の年末に斉藤哲夫氏とはねえ、と感嘆した次第。いい年の瀬でした。
ということで、私が一番聴いていた斉藤氏の代表作「バイバイ グッドバイ サラバイ」です。
本作は1973年10月のリリースですが、斉藤氏のデビュー作でインディーズレーベル"URC"から前年に出た「君は英雄なんかじゃない」とは作風がかなり変わり、非常に内省的で鋭い言葉をたたみかけるように浴びせてきたデビュー作とはうって変わって、この2作目では、詩は友人とか故郷とか都会をテーマに当時の若者達が普通に考えていることを表現し、曲調は彼が大好きなビートルズやギルバート・オサリバンに影響を受けたと思われるポップでかつメロディアスなものへと変化し、このアルバムから始まるCBS SONY三部作である「グッド・タイム・ミュージック」、「僕の古い友達」という斉藤氏の代表作に一貫していたフォーク・ポップスとも言うべき彼のやりたかった音楽の出発点となりました。
斉藤氏は、東京は大森の定食屋さんの一人息子で、地域的なこともあってか、以前にも紹介した"はちみつぱい"の鈴木慶一氏やあがた森魚氏とデビュー前から親交があり、デビューしてからもはちみつぱいからムーンライダースのメンバーと活動することが多く、その影響もあってか、単なるフォークに留まらず、非常にポップで洒落の利いた曲調と、関西フォークに真っ向から対抗できる(別に対抗する必要はないんですが)、先鋭的な歌詞と節回しの利いた独特の歌いっぷりが評判となりました。
一般には、80年に出たCMとのタイアップ曲「いまのキミはピカピカに光って」の大ヒットで知られていますが、このヒットがかえって彼の音楽活動においての負担となってしまったことは、その後の斉藤氏の活動から理解できます。
私はこのアルバムの最後のトラックの「吉祥寺」という曲が大好きでよく聴いてました。この曲は斉藤氏の吉祥寺に住む友人のことを歌っているのですが、その"友人"の奏でるバンジョーの音が非常に効果的で、当時の吉祥寺のアングラ系(こういう言葉も今は死語ですね)のお店ではテーマ曲のようにかかっていました。
このアルバムでは代表曲と言われる「親愛なる紳士淑女の為に」や「もう春です(古いものは捨てましょう)」とかを聴いていると、70年代初期のポスト安保闘争時代の若者達が皆抱えていた古い時代に終りを告げることと新しい次の時代への突破口を見出せないジレンマが見え隠れしています。今となってはただただ懐かしい時代という凡庸な表現しか出てこないのが申し訳ないですが、まあそういう時代でした。
久々にテレビで斉藤氏の元気な姿を拝見して、私もちょっと元気が出た次第です。斉藤氏も私生活ではいろいろとトラブルもありましたが、美人の娘さんと一緒に小田さんと談笑している姿をテレビで見て、まだまだ皆さん頑張ってるなあ、と感心すると共に少しホッとしました。
またあとで取り上げますが、この年末から正月には斉藤氏だけでなく、加川良氏、友部正人氏、三上寛氏がテレビで放映され、我々世代を楽しませてくれました。年末年始のテレビもイイモノもやってくれますね、DJ OZMAだけじゃなくて。
バイバイ グッドバイ サラバイ 斉藤哲夫
CBS SONY Records Inc. ,1973/10
Re-Issued as MHCL-909, Sony Music Direct, 2006/9/20
#マイケル・ブレッカー逝去。ショック!!絶句