8月29日(水)。
鹿児島は35度の真夏日。
暑い・・・暑いじゃないか!!(誰に怒っているんだ??)
今日は、予定していた知覧の「知覧特攻平和会館」に。
私は、知覧はこれで二度目の来訪になる。
前回は、’95年だったので、もう12年前のことだ。
今回は子ども達も一緒だし、長い時間この炎天下で歩くのはつらかろう(夫が)と、武家屋敷には行かなかった。
ああ、残念!
昨年の加世田平和祈念館に続き、特攻隊の資料館を二年連続で観ることになった。
感想は・・・。
もう、あえて書くまい。
ただ、知覧特攻平和会館に展示してある零戦が引き揚げられたのが、昭和55年。
「35年ぶりに引き揚げられ・・・」といった説明文があるし、引き揚げられたときの写真も展示してあった。
昭和55年。
私が10歳の時である。
今、元号が替わり平成19年。
戦後62年。
だんだん戦争を体験した世代が少なくなっていく中、この飛行機が物語るものは・・・。
平和会館へ続く道にあるたくさんの石灯籠。
それは、この戦争で亡くなった若き特攻隊員達の命の火である。
私は、この会館の様子を、写真に収めなかった。
中はもちろん撮影禁止なのだが。
子ども達が、再びこの地を訪れて、また何かを感じ取ってくれたら、私はそれでいい。
写真は、知覧のお茶畑。
向こうに見える山は、開聞岳です。
(追記 9月1日)
鹿児島は35度の真夏日。
暑い・・・暑いじゃないか!!(誰に怒っているんだ??)
今日は、予定していた知覧の「知覧特攻平和会館」に。
私は、知覧はこれで二度目の来訪になる。
前回は、’95年だったので、もう12年前のことだ。
今回は子ども達も一緒だし、長い時間この炎天下で歩くのはつらかろう(夫が)と、武家屋敷には行かなかった。
ああ、残念!
昨年の加世田平和祈念館に続き、特攻隊の資料館を二年連続で観ることになった。
感想は・・・。
もう、あえて書くまい。
ただ、知覧特攻平和会館に展示してある零戦が引き揚げられたのが、昭和55年。
「35年ぶりに引き揚げられ・・・」といった説明文があるし、引き揚げられたときの写真も展示してあった。
昭和55年。
私が10歳の時である。
今、元号が替わり平成19年。
戦後62年。
だんだん戦争を体験した世代が少なくなっていく中、この飛行機が物語るものは・・・。
平和会館へ続く道にあるたくさんの石灯籠。
それは、この戦争で亡くなった若き特攻隊員達の命の火である。
私は、この会館の様子を、写真に収めなかった。
中はもちろん撮影禁止なのだが。
子ども達が、再びこの地を訪れて、また何かを感じ取ってくれたら、私はそれでいい。
写真は、知覧のお茶畑。
向こうに見える山は、開聞岳です。
(追記 9月1日)