晴れ、ときどき虹。

yaplog!から移行しました。

16年前の記憶

2005-03-22 10:17:05 | 過去日記
今朝、朝刊の訃報欄を見て驚いた。
学生時代、講義を受けた教授の名前があったのだ。
まだ51歳。
16年前のことが、一気に記憶の奥底から蘇ってきた。

その教授からは、素描を受講していた。
私が通っていた短大の隣の大学のその教授は、毎週金曜日に、
外部講師として短大に通っていた。
金曜日、毎週出題される課題。
今までそこそこに「可もなく不可もなく」課題をこなしていたのだが、
ある日の課題が、一週間考えても仕上がらなかった。
その課題とは「地面を表現すること」。

立体でも平面でも、どのような表現方法でもよかったのだが、
まったく考えつかないまま、次の金曜日、課題を提出する日が来てしまった・・・。

ふとその日の朝、私に神が降りてきたのだろうか?
お菓子が入っていた空箱と、高校時代の体育館シューズを鞄に入れ、
いつものようにJRに。
学校近くのコンビニでバーアイスを買い、朝から一人、こそこそとアイスを平らげる。
校庭の土を空箱に入れ、雑草を引っこ抜きの土に植え直す。
アイスのバーに「金魚の墓」と書き、体育館シューズを乗せた。

そう、庭の片隅の「地面そのもの」を作ったのだ。

授業が始まり、課題を提出して見てもらう時間がきた。
その教授は「これは素晴らしい!おもしろいよ!」と、やたら絶賛していた。
それまでがこんなにほめられたことがなかったので、はっきり言ってこっちが驚いた。
しかもカメラまで出してきて、写真まで撮りだしたのだ。
恥ずかしいやらうれしいやら。

後にも先にも、こんなにこの教授からほめられたことはなかったのだが・・・。

16年前。当時のこの教授は35歳。
今の私と同じぐらいの年である。
そう考えると、とてもスゴイ人だった。
まだ若かったのに・・・。

I先生。お世話になりました。
ご冥福をお祈りします。



地震が来た!!

2005-03-20 10:47:48 | 日常生活
3月20日。昼前ののんびりした時間帯。
前日にインフルエンザと診断された二人の子供たちは、
二階の寝室でTVを見ていた。
私は階下で猫のようにヒーターの前で暖を取っていた。
グラッ!
部屋が大きく揺れた。
「?」
近くで道路工事をやっているので、トラックでも通過したかと思ったのだが、
どうも様子が違う。
グラグラッと、大きな揺れが数十秒間続き、何かがカシャンと落ちた音がした。
「わ、地震だ!!」
あわてて、子供たちの様子を見に行く。
「大丈夫?何も落ちなかった?」
すると、あわてふためいた私とは対照的に、息子はベッドの上に座って、
カートゥーンネットワークの「トムとジェリー」を見ていた。
娘は何事もなかったかのように熟睡していた。
娘を抱きかかえると、ようやく目を覚ましたようで、じっと私の顔を見ていた。
息子に「NHKにして!!地震速報が入るよ!」
と、急いでチャンネルを替えさせた。
筑豊地区は、震度4~5だった。
次々と明らかになる被害状況。
こんなことは、生まれて初めてである。
しばらくすると、仕事(演奏会)に出ていた夫からメールがあり、返事を送信。
その後実家の母から電話。おたがいに無事だった。

しかし無事ではないのがパソコンが置いてある部屋だ。
日頃から全く片づけない夫が荷物を山積みにしていたので、
悲惨なことになっていた。
パソコンが壊れたとか、そういったことはないが、プリントアウトしたモノやら
自作のDVDソフトやら、ありとあらゆるモノが散乱していた。
夫から「そのまま触らないように」といわれたので、言われたとおり「そのまま」にしておいた。

遠方の友人から「地震大丈夫?」と数件メールが届いていたので、無事である旨を伝えた。
どうやら電話がつながらないらしい。

夜、夫が帰宅して、パソコン周辺の後かたづけをしていたが、自分が飲みっぱなしにして
蓋もせずにそのまま置いていた「中身が入ったコーラのペットボトル」が、見事に中身をぶちまけて周囲のがらくたを汚しており、夫は途方に暮れていた。
日頃の行いがこんな時に困るんだよねー。
と、人ごとのようにしていたら、「僕、片づけきらんけん、手伝って」だと。
結局、とばっちりを食らった私であった。