炎と水の物語 2013 Apprehensio ad Ignis et Aquarius.

広大な宇宙を旅する地球。私たちは今、どの辺にいるのでしょう. 

日本海中部地震から、29年

2012-05-29 | 人災社会学!
 1983年5月26日の日本海中部地震から、29年。
この地震の前に、「日本海に津波なし」というデマが、広くこの地域に流布された、その源を探ってみましょう。

 その前に、皆さんはアメリカ合衆国の太平洋岸に、原子力発電所が、たった一ヶ所しかないことを、ご存知でしょうか(^^;? 
 原子力発電所というと、日本ではその全てが海岸に立地しているのですが、アメリカのあの長い太平洋の沿岸に、一ヶ所しかない事は、あまり知られていないのではないでしょうか?
そう、アメリカ太平洋岸の原子力発電所は、ロスアンゼルス市北西部に一つあるだけなんです。その北のオレゴン州、ワシントン州の海岸は、人口も極少なくて、辺鄙な土地が続いていいるのですが、原発は一つもありません。  なぜなら、これらの沿岸では、過去数千年間に、巨大地震がいくつか発生していて、原子力発電所が、そうした地震に耐えうるのか疑問視されているからです。カリフォルニア州北部の海岸にあった、ユーレカ原子力発電所も反対運動で、廃炉になりました。

 さて、話を秋田に戻しましょう。この地域では、海岸に巨大な港湾や工業地帯を整備して、地域の振興起爆剤にしようという計画が、大正時代から何度も持ち上がっては、消えてゆきました。一例が、男鹿半島の船川港を整備し、フェリーを就航させ、合わせて大工業地帯を立地させようという計画がありました。 それに対抗し秋田市側でも、地元の土崎港を整備し、対岸のロシア、中国、朝鮮の諸港と結び、港に隣した大工業地帯を造成しようという計画が、繰り返し提唱され計画されてはたち消えてゆきました。

 バブル経済直前の1983年5月26日の日本海中部地震の前には、秋田から男鹿半島沿岸を埋め立て、一大工業地帯を造成しようという、「 新秋田湾工業地帯造成論 」が唱えられていました。しかし、沿岸に津波の危険性があるのでは、工業用地を造成しても、工場は来てくれません。 このへんから、秋田の津波は、無い事にされてしまったようです。私も、小学校の五年生の地理の時間に、「日本海には津波は無い。 津波は、太平洋側のリアス式海岸や、入り江だけで発生する現象だと、しかと習いました。
「日本海には津波なし」の妄説は、秋田県全域に広く、学校などを通じ普及していた概念でした。 

 1983年5月の日本海中部地震の映像を、東京でみて、背筋が凍る思いがしました。
もし、自分がその地震時、海岸にいたら、合川南小学校の生徒と、同じ目に遭ったのではないかと、直感したからです。

 日本海中部地震の翌年から、秋田県の人口は、減少をはじめ、未だに連続して減少しています。秋田では、人口減少率、高齢化率、自殺率日本一を長らく保ったままで、いまや日本でもっとも遅れた地域となってしまいました。

 太平洋側での考古学捏造による、平安時代貞観の巨大津波から目をそらさせた「歴史の書き換え事件」と双璧をなす、日本海側秋田での、地理学概念の歪曲は、日本の地震災害史に残すべき教訓といえましょうか。

 今後、太平洋側の地域でも、人口減少が、長く続く事となるのではないかと危惧します。。。。
 



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
教育の貧困と地域の衰退 (U-3)
2013-08-22 12:52:26
一秋田県民さん、コメントありがとうございます。
「日本海には、絶対に津波は無い!」と、
私は小学校の社会科の時間に、しっかりと習いましたよ~。
でも、それを教えた先生は、野球部の監督もしていて、
少女に淫らな行為をする常習犯でしたよ!

 今とちがって、当時は生徒側の泣き寝入り。。。。
公にすれば、お嫁にいけなくなるぞなどと、逆にすごんだりしてましたわ。  昔の秋田の教育は本当に酷かったんです
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。