アフリカの飢餓について書いてきて、気がつくのは、アフリカでの貧富の差の大きさでした。役人と一部の商人が、先進国の援助金や物資の配分を牛耳っていて、多くを懐に入れてしまうのは、いずこでも見られる現象のようである。アフリカ在住者のブログにも、グランドピアノ二台も備えた大きな家に住むアフリカの金持ちの様子などが垣間見られる。一方の庶民は貧しく、平均寿命も30歳代~40歳代の国も少なくない。日本人と見るや、金をせびられるのは日常。自転車でアフリカ一周中の若者も、こうした人々に追いかけまくられているという。
先進国の援助がかえって、向こうの人々のやる気を失わせているようにも思える。
所変わって、石貨の国、ヤップ島でも著しい変化が起きているという。かつての主食であったタロイモの消費が減り、輸入品のジャンクフードが、増加しているというのである。
ヤップの農業は、山に降った雨を水田に引き込み、タロイモにその養分を吸収させ、浄化して海に返すという、実に自然と調和したのであったが、最近は、水田や用水路が荒れて、海を汚しつつあるという。いったい、どのような変化が、この島を襲っているのだろうか。
2004年4月9日この島を襲った台風被害の復興に、アメリカ政府が、約35億円相当の復興援助を行った後、島のあちこちでブルドーザーが走り回り、人々は災害保障援として、もらったお金で海外旅行に出かけたり、スーパーマーケットで食料を買い込んだりして、それまでの自給的生活が激変しつつあるのだという。人口一万人足らずの自給自足の小さな島に、急に35億円ものお金が降り注いだのだから、大変である。
変化は人々の生活のみならず、自然に調和していた島の景観も大きく変えつつあるという。山は重機に削られ、海岸はコンクリートで固められつつあるという。かつてヤップの石のお金は、その貨幣がどのような歴史を刻んでいるのかが値打ちのだったが、今はアメリカから、別の次元の紙のお金が降り注ぎ、島は様変わりしつつあるという。
日本でも、ものの価値基準が変化しつつある。高度経済成長が終焉し、経済の崩壊現象とも言われた、バブル経済が申し子、「金があれば何でも」という、ハイエナ、ハゲタカ思想の登場である。その彼らが育ったバブル経済の頃、通勤電車の中では、多くの人がお金の話ばかりしていた。マンションころがしだの、株、為替でいくらもうけただのという話が通勤電車ので飛び交っていた。書店には、株関連コーナーに黒山の人だかりであった。そんな時期に子供時代を過ごしたのが、現代のハイエナ投資家たちであろうか。
こうした華々しい中央の世界と対照的な日本の地方にも、金は降り注いだ。地方に行くと、バブル期後に建てられた、さまざまな公共施設を見る事が出来る。巨大な公営の体育館、温水プール、野球場、サッカー場、公会堂、温泉・・・・その壮麗さに驚かずにはいられない。人口数千人の村にはとても似つかない施設が、村々にはある。もちろん村にはそんなお金はないから、補助金の産物である。
議員という特殊な階級も、都会よりも多い。町長や議員は視察に明け暮れ、出張費を稼ぐ。主産業は「市街地再開発」。古い商店街の道路を拡張して、公費で店舗の立替と休業補償を行う。そんなお金を吸い集める大きなパチンコ屋が郊外に林立。地方の政治は、実業の振興などは考えない。いかに中央から補助金をもらって、どう分けるかが、彼ら主眼である。アフリカの構造に良く似てしまった。
-ご参考-
ミクロネシア ヤップ島のsuyapさんのブログ ・>>>・
先進国の援助がかえって、向こうの人々のやる気を失わせているようにも思える。
所変わって、石貨の国、ヤップ島でも著しい変化が起きているという。かつての主食であったタロイモの消費が減り、輸入品のジャンクフードが、増加しているというのである。
ヤップの農業は、山に降った雨を水田に引き込み、タロイモにその養分を吸収させ、浄化して海に返すという、実に自然と調和したのであったが、最近は、水田や用水路が荒れて、海を汚しつつあるという。いったい、どのような変化が、この島を襲っているのだろうか。
2004年4月9日この島を襲った台風被害の復興に、アメリカ政府が、約35億円相当の復興援助を行った後、島のあちこちでブルドーザーが走り回り、人々は災害保障援として、もらったお金で海外旅行に出かけたり、スーパーマーケットで食料を買い込んだりして、それまでの自給的生活が激変しつつあるのだという。人口一万人足らずの自給自足の小さな島に、急に35億円ものお金が降り注いだのだから、大変である。
変化は人々の生活のみならず、自然に調和していた島の景観も大きく変えつつあるという。山は重機に削られ、海岸はコンクリートで固められつつあるという。かつてヤップの石のお金は、その貨幣がどのような歴史を刻んでいるのかが値打ちのだったが、今はアメリカから、別の次元の紙のお金が降り注ぎ、島は様変わりしつつあるという。
日本でも、ものの価値基準が変化しつつある。高度経済成長が終焉し、経済の崩壊現象とも言われた、バブル経済が申し子、「金があれば何でも」という、ハイエナ、ハゲタカ思想の登場である。その彼らが育ったバブル経済の頃、通勤電車の中では、多くの人がお金の話ばかりしていた。マンションころがしだの、株、為替でいくらもうけただのという話が通勤電車ので飛び交っていた。書店には、株関連コーナーに黒山の人だかりであった。そんな時期に子供時代を過ごしたのが、現代のハイエナ投資家たちであろうか。
こうした華々しい中央の世界と対照的な日本の地方にも、金は降り注いだ。地方に行くと、バブル期後に建てられた、さまざまな公共施設を見る事が出来る。巨大な公営の体育館、温水プール、野球場、サッカー場、公会堂、温泉・・・・その壮麗さに驚かずにはいられない。人口数千人の村にはとても似つかない施設が、村々にはある。もちろん村にはそんなお金はないから、補助金の産物である。
議員という特殊な階級も、都会よりも多い。町長や議員は視察に明け暮れ、出張費を稼ぐ。主産業は「市街地再開発」。古い商店街の道路を拡張して、公費で店舗の立替と休業補償を行う。そんなお金を吸い集める大きなパチンコ屋が郊外に林立。地方の政治は、実業の振興などは考えない。いかに中央から補助金をもらって、どう分けるかが、彼ら主眼である。アフリカの構造に良く似てしまった。
-ご参考-
ミクロネシア ヤップ島のsuyapさんのブログ ・>>>・