Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2013年11月号 コミュニティー間の紛争

2014年05月28日 | コミュニティーとカルチャー
カクマ2の住民同士の衝突が起きた後、スーダン人ヌエル族6人が警察に逮捕された。

2013年9月14日土曜日、カクマ2ゾーン2ブロック2の水場で、スーダン・ヌエル人のグループとガンベラ・アニュアック族の間でけんかが始まった。

少なくとも6人のヌエル族グループがガンベラ・アニュアックのメンバーに近づき、地元警備員が助け出すまでに、何人かが怪我をした。この6人のギャングは警察に逮捕されたが、保釈金なしで釈放された。コミュニティーの仲裁でUNHCRとルーテル世界連盟(LWF)平和構築・地域解決部門の協力により、この問題は解決された。

9月17日に平和構築ユニットが平和的な即時解決を求め、カクマ2の教会で、争っている部族間の対話会が開かれた。事前に関係支援団体が双方の部族長に警告を発したことで、平和で静かな話し合いになった。

「我々はコニュニティーのメンバーに平和を維持するように求めている。けんかが起きるたびに子供が巻き込まれるのは不幸なことだ」と言うのは、LWF平和構築担当者だ。

難民キャンプ病院では少なくとも12人が軽い怪我の治療をした。その中で激しく苦情を言い立てたのは25歳のガンベラ・アニュアックの男性と28歳の妊娠5か月だというスーダン人ヌエル族の女性だった。

UNHCRとLWF平和構築チームは、こうしたコニュニティー内の争いを収めるために、少なくとも3回の会合を開いた。「両グループが互いにけんかによる怪我の保障を要求していて、難しい仕事だった」と、LWF平和構築担当者は話している。

去年の6月にも、スーダン人ムルレ族とヌエル族のコミュニティー間のけんかで、少なくとも8人が死亡した。その中には14歳の男の子が含まれていた。その他にも20人以上が怪我をしてキャンプ病院で治療を受けた。

この醜い出来事に続き、カクマ3において少なくとも180人のムルレ族とヌエル族の青少年が逮捕され、その後ロドワーへ連れて行かれたが、拘置所に二日間おかれたのち解放された。「集団で逮捕されたのはヌエル族が160人で、ムルレ族の20人を上まわっていたが、強い警告により解放された」と政府の役人が話している。


こうした悲しい出来事の発端は、彼らが語り継いできた話によると、2011年にスーダンで、ムルレ族とヌエル族がそれぞれの家畜を襲い、若い女の子たちをさらったことだという。南スーダン出身のいがみ合う部族の中には、戦いが激化し、村ごとケニアに逃げなければならない場合もあった。

ヌエル族家族が主張するトラブルの原因は、ムルレ族の子供がある時誘拐されたが、その子の生物学的家族は実はキャンプ外に居住していたヌエル族の家族だったという。一方、ムレル族の家族は、その子は彼らの生物学上の娘であると強く主張した。

そのヌエル族家族は、南スーダンにいた時に誘拐された子供はムルレ族の家族と住んでいる子供に似ていると言い張った。しかしムルレ族の家族は、子供は生物学上の娘であると確信しており、子供の誕生証明書もあるという。

しかしながら、ヌエル族の家族はけんか腰の激しい争いをけしかけたものの、ヌエル族の村にはその子がヌエル族の家族の子だとう証拠を持ち合わせていなかった。

この二家族の問題が部族間の問題へと変わり、両部族間の戦いが立て続けに起きて、やがて激しい闘争になった。そのコミュニティーは若者を再編成して動員し、闘争からの撤収を進め、その後、ケニア警察一般サービス隊が和平を確保した。警察はキャンプ全体を監視しているが、特に争いが頻発している地域は重点的に警備している。

キャンプを統括しているアブディ・アブダラヒ氏からの情報によると、犯罪者は裁判所の処分に従い、ケニアで刑期を満了した後、それぞれの出身国に送還されるという。

激しい闘争の4日後、カクマ3の人目につかない藪の中で、腐乱した死体2体が発見され、ただちに埋葬された。激しい闘争の最中に殺された者たちの死体と思われる。

これら過去の状況から推察すると、この2部族は長年、互いに恨みあってきた。コユニティーはけんか慣れしてしまい、少し話し合えばすむことまで暴力で解決している。


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