Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2013年8月号 置き去りにされているカクマの国内避難民

2014年04月18日 | カクマタウンとケニア
国外からの難民がほとんどを占めるカクマに、さらに人口が流入するにつれて、多くの国内避難民(IDP)は、自国ケニア政府から置き去りにされている。

カクマの中心部から外れた郊外に、400世帯以上のケニア人家族が住んでいる。2007~2008年の不正な大統領選挙の際の民族的な迫害を逃れてきた家族だ。5年が経過したが、これらのIDP達は、将来の見通しが全く立たない状態にいる。KANEREとのインタビューの間、彼らの多くは自らの体験を語り、2013年3月4日のケニアの選挙後に抱いた様々な希望を語った。それなのに、ケニア第2の難民キャンプの近くに居ながら、宙ぶらりん状態で不安定な生活をしているのだという。

IPDは極度に置き去りにされた状態で暮らしている。自国の政府に忘れられて、生計を立てる機会もない。家は地元のNGOから与えられているが、よりよい衣食住環境が絶対に必要だ。多くのIPDは、故郷で農業やビジネスに従事していたが、暴力を受け、農場や財産を捨てて逃げ出さざるを得なくなった。加えて、多くの者は家族を亡くしている。「私は家を焼かれた後、ナクルから逃げてきました。父は近所の人に殺されました」 3人の寡婦のひとりは、自身の苦難に満ちた逃避行を話してくれた。

ここIDPキャンプでは全員が、解決を見ない苦難の中で、絶望しきっている。匿名希望のIDPは「兄を殺した人を知っている。その人が、鉈で殺すところを見た」とKANEREに語った。

KANEREのインタビューに答えたIDPの大多数は、キスム、ケリチョ、エルドレ、ナンジヒルズ、モロ、ナイバシャ、エルゴン等の農業や牧畜の盛んな地域から来ている。しかし、カクマは乾ききった不毛の砂漠で農業や家畜の飼育には適していない。IDPキャンプのリーダー、ルオメヤナ・エコムア氏によると、2008年1月、ナティール1プロジェクトでIDPが初めてカクマに来たときには、今よりずっと人数は少なく、400人くらいが登録しただけだった。その後月日を重ねて増え続け、現在では400世帯1300人が生活している。

ルオメヤナ氏によると、世界食糧計画(WFP)が食料供給の支援をし、オクスファム教会やケニア赤十字(KRCS)が食料以外の生活必需品を支給している。しかし「これらの支援物質の配給は不十分だし、配給は不定期で、3~5カ月も間が空くことがある。私たちは、これまでに6人のメンバーを飢餓のために亡くした」と言う。

ケニア政府は、IDPの再定住を管轄する国内特別プログラム省(MoSSP)をこの土地に派遣し、土地を配分することにより融和をはかろうとした。しかし何年もの間、再定住資金として10000から25000ケニア・シリング程度の少額金を配付するだけで、IDPにとっては何の役にも立たなかった。

ケニアキリスト教会評議会(NCCK)が40家族に対して煉瓦作りでトタン屋根の家を提供してくれたものの、基本的な生活必需品である住居は、棟数も不十分で良いものではない。現状はさらに、IDPの住居やその他の必需品へのニーズと支援のミスマッチという問題がある。たとえばIDPの健康状態は劣悪なのに、難民同様の無料診療を受けるためには、5km以上離れたカクマ難民キャンプの診療施設まで歩いて行かなければならない。


【写真】IDPのシェルターが足りない

KANERE記者は、カクマのIDPが清潔な飲み水を持っていないことを初めて知った。彼らは鉱山の採鉱穴に貯まった水に依存しているが、その水は2週間ほど雨が降らないと干上がってしまう。そうなると、2キロも離れたカアボコリトダムまで水を採りに行かなければならない。ルオメヤナ氏は、「我々は全ての生活水をこのダムの水に依存している。このことが水を媒体とした病気の発生を助長しているので、清潔な飲料水の提供を長い間懇願し続けている」と話す。


【写真】水も・・・

多くの人が、カクマキャンプで21年間も閉じ込められてきた難民と同様に、深い心の傷を負っている。家族や社会で協力して立ち上がろうとする気力も失っている。また、彼らは長い間、トゥルカナの地元住民に宿を提供してもらい、滞在を受け入れてもらい、関係が改善されてきたにもかかわらず、地元住民からの差別を感じている。

インタビューの中で多くのIDPが、安全性の欠如や財産の喪失が主な理由だと前置きして、こんなキャンプではあるが、逃げてきた故郷よりはここに定住したいのだと言う。「私はシアヤ-ルアンダから10人の孫を連れて逃げてきました。この子たちの両親は、選挙後の暴動の際に殺されました。私たちの人生には何の希望もありません!」 80歳になるロビナ・アチェンゲさんはKANEREにこう話した。

今年の大統領選挙で、IDPは自分達の生活が向上するのではないかと期待していた。しかし一方で、彼らは2007/2008年の選挙後の暴動を思い出していた。カクマのIDPキャンプで、「私たちは、ケニア国民ではないのか? もう絶対に投票はしない! 最悪の状態で生活している。もう2度と平等にはなれない」と語った。

3月4日のケニアの選挙の後も、IDPの保護と永続性のある解決策へ向けての対応は、国中おしなべて非常に遅い。政府は何も動かず、この国の一員であるIDPの人々は、無視されていると強く感じている。

しかしながら、ケニア政府は最近、IDPの保護に関する法案を成立させた。これは、長い間議会で棚上げされ、閣議の承認が得られなかった案件である。この結果が、ケニアのIDPの新たな希望の始まりとなることを期待したい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿