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Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2013年8月号 難民を厳しく取り締まるに政府

2014年04月18日 | 人権
2012年12月以来、ナイロビの都市部に住む難民は過酷な虐待に直面している。この年、政府は難民を強制的にキャンプに収容するという命令を可決した。

2011年後半に、ケニア国防軍がソマリアに侵攻し、テロリストグループ、アルシャバブによる相次ぐ襲撃や誘拐を激減させた。さらに、ケニア公安部はイーストリーの郊外に住む難民を含むソマリ民族にアルシャバブの一員あるいはそのシンパの嫌疑をかけ、国境付近の安全を脅かしていると主張した。そのため政府は、強制的にソマリ難民を都市部から退去させるかモガディシュに戻す、と決定した。

2012年12月18日火曜日、ケニア移民登録省は次のような命令を出した。都市部のすべての難民は登録と配給サービスの受給をやめて、指定のキャンプに戻らなければならない。移民省は自発的移住のデッドラインを1月21日とし、それ以降は強制的に移動させると決めた。難民の権利を擁護するケニアの組織、難民担当局(DRA)は、それに反対することを決めた。

政府の決定以来、難民への襲撃が劇的に増加した。ナイロビのイーストリー郊外ではソマリア人難民に対して拷問、暴行、多額の金のゆすりが蔓延していると、ケニア公安部には非難が殺到している。


【写真】イーストリーの一番街

都市部の難民は市民と商いをし、税金を払うことで経済的に貢献してきた。しかし政策が変わって以来、大半がビジネスマンから成るイーストリーの住民からは、ケニア人の武装したケニア人保安官が、不定期にパトロールしては立ち退くようにと脅迫し、そのあげく毎日のように賄賂を要求する、との苦情の声が上がっている。第6通りでKANEREに語ってくれたアブダリザック・モハメドもその一人だ。

首都にいた何千人ものソマリア人難民への襲撃や投獄に続き、イーストリーの住民達は混雑し危険なキャンプに強制的に戻されている。一方、安全省の上層部の役人は、安全を保障し市内の滞在を許可する名目で難民から現金を巻き上げている。ソマリア人難民は自分達を、「ケニア警察のための人間ATM」と呼んでいる。ますます高額な賄賂を要求されるので、ATMの烙印を押したのだ。イーストリーの難民たちはこのことに警鐘を鳴らし続けている。

いずれにしても、これらの状況は、国の安全問題の適切な対応と言えるだろうか。

移転計画はまさに差別そのものだ。なぜなら、ケニア政府は2006年難民法のもと、難民認定のあかしとして難民身分証明書を発行しているにも関わらず、難民は自由に移動する権利と滞在する権利を奪われているからだ。

1月には、ケニア最高裁判所が当局に対して、難民移転計画を一時停止するよう命令を下した。5万人以上の難民と庇護希望者が都市部を離れ、辺鄙な人口過剰の難民キャンプに行かなければならないからだ。だが5月半ばになっても、裁判所は移転計画を覆す判決は出していない。

いくつかのNGOと人権団体がこの移転に反対している。ケニア憲法に違反し、政府が批准した国際法にも違反している、というのが彼らの主張だ。しかし政府は今のところ、難民が今後もケニア都市部に宿泊することを承認していない。

KANEREヒューマン・ライツ・ウォッチの報告を見たところ、国連難民機関UNHCRは、警察による虐待について適切な記録もしていないし言及もしていない。UNHCRは難民への虐待の監視を強化し、記録し、さらなる不法な虐待があった場合は逐一、公式に糾弾すべきだ。

「人道問題の調整」を扱う国連事務局が発表した公式の報告によると、12,000人以上がソマリアに帰った。都市部の難民はキャンプに移転するようにと命令が出され、襲撃、略奪、暴行、差別的な政府の決定を恐れたからだ。しかし、モガディシュに本部を置くHIPS(2013年に設立されたソマリアの政策研究機関)によると、政府が本国帰還の呼びかけをしてから、30,000人以上のソマリ人難民が自らケニアを去った。

DRA(難民担当局)がキャンプ・マネージャーを通して6月4日付の公式通告を出した後、カクマ難民キャンプでは、ほんのわずかのソマリ人難民しか自主的本国帰還の登録をしていない。


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