ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

春に

2020-07-24 | 人間性

春に野原を踊るように飛び跳ねる駿馬のごとくに、あらわれて、そして十年を三回迎えたところで目の前から消えてしまった人がいる。これから本命の人生が始まらんと言う時に。

その春の馬は、娘の一人と同年に誕生したから、彼が3歳の頃は、12歳頃には、と大した空想力を持たずとも、娘の成長に合わせれば容易に浮かんでくる。これから果てしない成功と挫折と栄光と反省と、それでも価値のある時間がその一生にたくさんあっただろうことを想像すると深いため息が漏れる。おそらく誰にも告げず、誰にも知られずにたった一人で悩み、底しれない淵へと追い詰められてしまっただろう。その時は悲壮な灰色だっただろう美しかった瞳は、そのまま閉じられてしまった。もし壊れた心のかけらがほんの少しでも見えたならば、と残される者は自問自答を繰り返す。

カリフォルニア州オークランド在住の32歳クレッチ・ユボゾさんは言う。

 

Photo credit: Goodmorningamerica.com

クレッチ・ユボゾさん

 

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一見すべてを持っているように見える人々を失うことは、非常に怖いことである。見た目にだまされる可能性があることを私は直接知っている。

自殺未遂の直前、私はまさに、「すべて持っているように見えた」者だった。私の好きな分野での仕事、良い人間関係、そしてニューヨークタイムズで最初の学部生としての出版。順風満帆ながらも私は絶えず自殺することも考えていた。

なぜ私は誰にも連絡を取らなかったのか? 真実は私は救いを求めたのだ。私は悩んでいることを静かに話そうとしたが、助けの代わりに、私が利己的で劇的で、祈る必要があると言われたきりだった。そんなメッセージは何の役にも立たなかった。私は自分が重荷のように感じ、その痛みを隠し、何もないかのようなふりをするのを学んだ。一度性的暴行をされた後、私の感情を押しつぶす長年が最終的には自殺未遂に発展したのだった。

癒しは人それぞれである。私にとっては、癒しは、ずっと避けてきた感情を再び繋げ、自分の周りに境界線を引き、トラウマに基づく治療、メンタルヘルスの擁護者に交わり、そして有害な人々を人生から取り除くことだった。 私は家族や友人だけの、私が躓いたら捕獲してくれる安全網を構築したのだった。

誰かが肉体的に病気のとき、私たちは何をすべきかを正確に知っている。 キャセロールを持参し、花やカードを送り、痛みを抱えている人が何を必要としているのか考えを巡らす。 自殺を感じている人たちにとっても、それは変わらない。 個人的に、私は人とのつながりを必要とし、頭の中での孤立感と否定的な考えを妨げようとする。

だから、お互いに親切でありたい。 その考えを共に持つあなたの心強い友人と、「忙しすぎて」消えてしまっている友人を本当に大丈夫なのかチェックしなければならない。 自殺の兆候を見逃さず、苦しんでいるときに人々が声を上げて大丈夫かと尋ねて行けたら、そんな世界を作ることができれば、他の誰かが死ぬのを防げるのではないだろうか。

 

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コメント (2)
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