ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

お疲れ様

2020-07-05 | わたしの思い

今朝日本の姉から知人ご夫妻の夫がホスピスケア施設で危篤に陥ったと知らせがあった。ずっと年配の知人夫妻はどちらも同じケア施設にいるが、夫の方はアルツハイマー症患者でもあり、ほとんど入所した途端に、身体の衰えが著しく進んでいた。夫妻の姉妹や子や孫たちは一同この時期にあっても病室に集まり、別れを告げた、と姉は言う。姉夫婦も家族同様にお付き合いしてきたので、家族から呼ばれてその一部屋に集った。

 

私が17歳の頃から親しくしてきたご夫婦のうち、「お父さん」のロウソクの火が今まさに消えゆこうとしているのを止めたい気持ちもあるが、生まれるのと同じに自然な営みの終息を前に、彼の85年余の生涯が皆に見守られ、この世での幕を閉じるのを静粛に受け止めたい気持ちも強い。お疲れ様でした、とうとうお帰りになられるのですね、と言う気持ちがある。

 

瞼の裏に浮かぶこの夫妻と姉夫婦と私たち夫婦で過ごしたマウイでの2回ほどのヴァケイション。共通の友人で私の大学時代の教授でもあった方の別荘宅で自炊したり、ビーチで遊んだり、ラハイナの沖に出てイルカの群れの中で青い海と空を楽しんだり。系図探求の話など、カビが生えそうな話でも、いつも熱心に聞いてくれたっけ。インターネットはおろかテレビもない別荘では、夜半はメキシカン・トレインというドミノゲームを飽きることなく楽しんだものだった。

 

中華街のあるレストランが昔からお気に入りで、先年夫とたまたま寄ったら、そこにこのご夫妻は仲良く並んでお食事をなさっていた。それが元気なお姿の最後だった。その少し後で、ご夫妻は次々にほんの小さなきっかけで怪我をしたり、骨折をしたりで、今に至ってしまった。お元気な頃は本当に活発に色々なさり、4人のお子さん、13人のお孫さんに加えて、10人のひ孫さんに負けまいとするかのように。それにしても末広がりのご夫婦である。

 

二階の末娘の元寝室を今や私の書斎、作業場(縫い物や手芸やキルトやら)にしているが、この部屋の窓から目の前に三本のButterfly Bush(Bushというよりも、しっかり木になっている、それもかなり背が高い)というライラックに似た花をつける木が植えられていて、その花が多くの蝶を呼ぶため、その名がついている。今その濃いピンクの花がたくさん咲いていて小さな蝶よりもアゲハのような大きな種がひっきりなしに飛来し、花から花へと飛び移り、喜んでいるように見える。その木々の上にカリフォルニア定番の雲ひとつない限りない青い空が広がる。そんな窓外の風景を眺めながら、ブログを書きつつ、次から次へと過ぎ去った日の楽しかった思い出が、流れてくる。楽しい時は、忽ちまちに過ぎてしまうものだ。

 

まだ日本で学び舎にあった時習った英詩の一節が、脳裏に浮かんできた。まだ十代だった私は、まさに草の輝きそのものにいたのだから、心に響いても、はっきりとしたものではなかった。それが今、風前の灯火である知人のことと相まって、もっと深くその一節を感じている。英国の詩人William Wordsworth(ウイリアム・ワーズワース)の「草原の輝き」の一節である。

 

Of splendour in the grass,
of glory in the flower,
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind;

草原が輝き 花が誇り咲くとき 
ふたたび それは帰らずとも 嘆くことはない-- 
その奥に秘められた 強さを見出したい

 

 

コメント (2)
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