ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ランチタイムのレッスン

2020-07-28 | 私の好きなこと

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もうずっと昔のことであるが、よく住宅街をリアカーや自転車でやってくる修理・修繕屋業と言うのがあった。そう、昭和の話。傘、鍋、釜、ほとんどなんでもござれ。時折、道端でムシロを広げてそこでちんまりと仕事道具を取り出してハンマーやペンチやあるいは糸や針で壊れたものを直し始める。それを「見学」するのが大好きだった。壊れたり、破れたり、穴が空いちゃったりした物を捨てるのではなく、修繕するなんて、まるでマジックのようだった。その直し具合は、職人にもよるのだろうが、大抵は、驚くように本来の形に直していたように思える。

そして最近英国放送局のヒットシリーズと言われるThe Repair Shop(修繕屋)がここアメリカでも観られることになった。持ち込まれる物は、人形、ぬいぐるみ、陶器、木製品、家具、手風琴(わざとこの日本語を使ってみたかったーアコーデイオンのことである)、幻燈機(この言葉も好きだ。ースライド映写機の原型)、日本土産の古い洒落た小引き出し、アンテイークな衣装、蒸気力で動く車やボートなどの玩具、蓄音機(蝋菅式で大きな朝顔のようなところから音が聞こえる)など様々である。英国では4シーズンあるようだが、アメリカでは2シーズンだけ。自宅退避という重しを頭に乗せていた私は、勿論熱心にひとエピソードづつ鑑賞し、頭を軽くしていった。

このショウの修理職人は皆優秀で、それなりの教育と訓練を受けていて、見事に壊れたものを元どおりに直してしまうのである。小さな村の入り口や広場にずっと立てられていた村の看板を年代物にも関わらず、修理してしまうし、子供時代の愛着のこもったぬいぐるみも、かつての輝きを取り戻す。物を大切にするということは往々にしてHoarders(なんでも貯め込み、ゴミさえも捨てられないひと)、つまり汚屋敷道をまっしぐらのひとになってしまいがちだが、私がここで意味をするのは、修理が必要になる程愛用されてそれでも修理して使うことである。過去は2度と戻らなくとも過去の楽しかったことは、修理すれば再び今の自分に繋がる。

ロサンジェルスである商社で働いたことがあるが、そこで知り合った日系人の御婦人は、母親と呼べるほどの年嵩で、私は彼女と部署が異なっても、一緒に毎日お昼を食べるのが好きだった。小柄で穏やかな喋り方の彼女から習うことはたくさんあった。日系人と言うよりも日本からお嫁に来た、と言う方が妥当だが、彼女はここへ写真花嫁のごとく遠い昔やってきたのだった。

嫁ぎ先は、日系二世で、若い頃はお金があまりなく、苦労したとのことだった。1人息子が誕生し、その子の寝巻きは彼女が作り、それの丈を伸ばしたり、衣服も鉤裂きを作ってしまうと丹念に繕っていたと言う。靴下も穴が開けば、きちんと丁寧に繕うのが当たり前だった。やがて私は結婚し、ロサンジェルスから地の果てのような気がしたアリゾナへ移り、彼女はしばらくして引退した。それでも毎年今でも季節の挨拶状は欠かさない。彼女の几帳面な、旧仮名遣いの便りは、年ごとに寂しくなっていくが、今でも一人息子さんと仲良く暮らしている。そろそろ90の声を聞くのではないだろうか。

その彼女の昔の修理修繕の小さな話をいつも私は楽しみ、今も耳の奥から聞こえてくるようだ。物はたくさん持たなくても、一つ良い物を持ったら、それを長く大事に使い、時たまほころびなどを繕えば良いのよ、と。ほんの短い昼食時間に私は一生のレッスンをもらったような気さえする。私自身もやがて子供を持ち、それが5人になると、いつも彼女の言葉を思い出しては、それを右にならえしようとしたものだ。子供達は丈を伸ばすのが間に合わないほど、早く成長し、それが5人だから、丈が短くなれば、下の子に回すことにした。

今あの昼食を共にした頃の彼女の年齢になった私は、自作の子供服やクリスニング・ガウン(強いて言えばお宮参りに着せる着物的な白いガウン)は綺麗に清潔に保存し、孫たちに使う。娘たちのプロムドレスも制作したし、末娘のウエデイングガウンもデザインは私だが、日本の姉の義妹がプロフェッショナルなので、制作してくれた。こうしたガウンは定評のあるクリーナーで綺麗にしてもらい、防虫加工し、酸化しない保護紙に包み、同じ状態の厚紙の箱にきっちりと収めてもらってある。11歳の時娘が、楽器演奏のコンサートでスーツを着てみたい、と言うので作った毛織のシャネルタイプのスーツも同様である。保存するなら、本当に気に入ったもので、後に使用可能な物を、良い状態にして取っておく。Hoarderにだけはなるまい、と頑張り、断捨離の必要性も重々承知しているが、もともと子供服やガウンは飽きのこない伝統的な物を選んで作り、家族の伝統として後日の孫たちの使用を鑑みて制作したものである。少々古い例えだが、マルコス元大統領夫人イメルダのように、何百、何千もの靴を専用にしまう部屋を作りたくはない。

こうした「取ってある」物は、娘たちだけではなく、息子の妻たちも後を引き受けてくれると言ってくれている。別に私は押し付けはしない。私の足跡は私だけのものなのだし、自由にしてくれて結構でもあるのだ。そう、砂浜に残る足跡はやがて波が持ち去る。それで良い。

 

今日も懐古的な気分のためにロッド・スチュワートのLong ago (and Far Away)を選んだ。

 

遠い昔はるかな

退屈な日々は終わり
人生は四つ葉のクローバー
憂鬱な会議は終わり
ずっと昔に憧れていた希望が叶う

遠い昔はるかなところで
ある日夢を見た
そして今、その夢は私のすぐそばにある
空は曇ったけれど
今、雲は過ぎ去り
ついにあなたはここに来た
寒気が背骨を上下に走る
アラジンのランプは私のもの
私が夢見た夢は否定されず
一目で私は知っていた
ずっと昔から憧れてたのは君だけだと

 

 

コメント (6)
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