ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

同僚のこと

2020-07-22 | 家族

spiritbutton.com

良き息子になれる者は良き父親となる

 

 

四か月ぶりのオフィスは、涙ぐむほど皆心が温かった。各々出勤日を決めるので、全員ではなかったが懐かしかった。私は週一日月曜日出勤という運びになったが、今日は自宅勤務のための支度準備などを主にした。休み時間に机上のコンピューターを開けて、久しぶりにブックマークを覗く。同僚で論文コンサルタントのチャックの、メモアール(回想録、思い出)の続きを読みたかったのだ。

彼は優秀な論文コンサルタントで、図書館が新装した際には、学院学生専門の「綴り方教室」を開設したりするなど、様々な学生を支援する策を始終練っている。今日は彼は自宅勤務の日だったので会えないはずだったが、朝何かの用事でオフィスにひょっこりやって来て、ドアを開けて私を見つけるなり、マスクが透けているかがごとく破顔して大きな笑顔で私の名を叫び、こう言った:「なんてラッキーなんだろう!あなたがここに今日いるなんて!」と。お断りするが、私は大した存在ではない。長い間一緒に働いていると、いわゆる「同じ釜の飯をわけあった仲間」と言う状況になるようだ。つまり私のいるオフィスは非常に皆仲が良く、キャンパスでも有名だ。

その彼が最近意を決したかのように本を書き始め、最初に出版したのは、この地域にある古いキャンプ場についてで、そこで彼は、少年時代から幾夏も過ごしてきたのだ。その本は、わかりやすく、素直な書き方で、とても好感が持てる。ふた昔ほど前のテレビドラマのワンダーイヤーズ(邦題:素晴らしき日々)的な内容である。

チャックは今年の春先、ニューヨークの出版会社からオファーがあって、新しい本出版に向けて、とても張り切っていたのだった。これはある少年の半生記のごとく、ちょっとしたエピソードや思い出をウェッブサイトにまとめ、時折更新していたのだ。その頁を私は休職に入る前に楽しく読んだが、どこのペイジだったかしっかり覚えていなかったので、自宅待機中ずっと気になっていたのだ。今朝本当にわくわくして読んだが、あるエピソードで、胸が締め付けられ、思わず落涙した。「もう彼は!まだ午後仕事あるのに。。。」とつぶやきながら、私は彼にメイルで感想を送った。この話の要約を今日は書きたい。

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チャックが物心つく頃から、彼の母親は病気がちで、臥せることが多かった。重度のルーパスで、高校もまともに出席できなかった母親は、21歳の時、ある医師が新しい治療を試み、それが彼女には効き、元気になった。それから三年ほどして、結婚した。医師は、子供は無理ですよ、と念を押した。何故なら妊娠と出産によって、病状が激変するかもしれないと言った。しかし、たったひとりの子供、チャックは生まれた。

 

幼いチャックに、ルーパスが悪化し始めていた母親は、自分にできないことをいくつか挙げて、チャックが何でも一人でできるように覚悟して学びなさい、と言った。チャックが字を読むようになる前のことだ。母親は、ジグソーバズルを幼い息子に与え、「おかあさんに助けて、とはいわないでね。」と言い、チャックはひとりで賢明にピースの多いパズルを作っていった。ジグソーバズルが終わってしまうと、リンカーン・ログ*で、その次はエッチ・スケッチ**、その次は、あれこれ、と母親はチャックに渡した。基本すべては自分でやり方を学び、母親には聞かないこと、が条件だった。母親の容態は次第に悪くなり、たくさんの薬を取らなければならない生活になった。薬の瓶の蓋を開けることすら、ままならぬ母親のためにチャックはいつでも開けて、きちんと母親が嚥下するのを見定めるのだった。

*Lincoln Logsは1916年あの建築家フランクリン・ライトの息子のジョンが作り販売したミニチュア丸太を組み合わせて小屋を作るアメリカの玩具

**Etch A Sketchエッチスケッチはフランス人が考案した機械的に絵を描く玩具で1960年アメリカでオハイオ・アート社が繰り出した玩具。

 

医師を訪問する母親に付き添い、食料品の買い物などで車を使う時さえ、幼いチャックは、母親の介助をした。恐ろしい話だが、母親がクラッチをできるだけ力いっぱい押し、凍り付いたような両手でかろうじてハンドルを握り、チャックが助手席からスティックシフト(手動変速器)を操縦した。母親と息子は一心同体のように行動し生きていた。

 

だから医師のオフィスではすぐにチャックは「自分の」本、「自分の」イス、「自分の」お気に入りの看護婦などができた。お気に入りの看護婦は、いつもチャックのほほを軽くつまんでは、「ああ、あなたを私のうちに連れて行きたいものだわ」と言うのだった。チャックは、勿論行きますとも!と、心の内で、叫んだ。それは非常に甘美な誘惑だったが、現実には彼女には夫がいるし、子供たちもいたから、チャックはいつも微笑むきりだった。

 

チャックが八歳になる少し前に、父親が出て行った。父親とは名ばかりで、何もせず、チャックがいつも病身の母親を支えていた。そして、父親は黙って去った。「父親が、自分に、『まあ、ここに座って。あのね、これからおとうさんはここには住まないから、君がおかあさんを助けていくんだよ』、とでも言ってくれても別に大した違いはなかった、」彼は言う。「自分は、母親に甘えることよりも先に母親の世話をすることをしてきたのだから。」と書いている。

 

父親はいつでも今していることよりももっとすごいことが自分を待っているかのように見果てぬ夢に取り憑かれ、安定した職を持たなかった。チャック自身の子供たちは、小さな時に、「他の子たちは大抵二人のお祖父ちゃんいるのに、なんでうちには一人しかいないの?」と聞いたそうだ。チャックは「一人のお祖父ちゃんは、いつももっと青々とした草地を見つけたかったんだよ」としか答えられなかった。そして、「ひとは、あっちのほうが、そっちのほうがここよりずっといい、と思い、そこへ行くけれど、本当は、思ってたよりたいしたことがないんだよ、」と付け加えた。

 

その子供たちも成長し、十代となり、いないお祖父ちゃんについての真相を知っているが、ちょっと前までは、父親が病身の母親と幼い息子を捨て去るなどと、理解できなかった。その話題になると、神妙な顔をする子供たちを前に、チャックは何度も言った。「心配しなくていいんだよ。おとうさんは煙のように消えはしないよ。」子供たちはまだ疑い深い目を向けると、チャックは又言った。「本当に。おとうさんはおじいちゃんの息子だけど、おとうさんはおじいちゃんじゃないんだから。おとうさんはだからおじいちゃんの息子じゃないんだ、とも言えるよ。」

 

チャックの厚紙でできた幼児向けの絵本は、頻繁に使用されたためにすり切れ、角は丸くなっていた。それでもチャックにとってそれを自分で開いては(母親はペイジさえめくれなかった)、母親に開いた頁を音読してもらうのが、本当に楽しく、わくわくしたそうだ。字が読めるようになると、チャックはたくさん本を読み、彼の世界は広がっていった。そして成長するにつれて、彼は母親が病身であることを恥と感じ始め、もし他の子供たちが知ったら、きっと自分など敬遠されてしまうだろうと恐れた。母親は中毒と言ってもいいほどプレドニゾン錠剤を頻繁に使用して、免疫抑制を高めようとする一方、母と息子は、母の障害をひたすら隠すことに長けていった。

 

学校の劇に参加することになった時、劇の責任者は母親にチャックの衣装を縫うように頼んだ。チャックは母親が口を開く前に、「うちにはミシンがないんです!」と言った。誰をだまそうと言うのだろう? 当時どこの家にもミシンはあり、あの時代服作りは、大流行していたのだ。誰もがミシンを持っていたのだ。彼の家のクローゼットにも入っていたのだ。

 

チャックの憑いた嘘は、気高くもあった。両手の指が、ハクチョウの首のように曲がってしまった母親には、ミシンを使うのは、旅客機ジェットを操縦するよりも困難なことだった。そうなってしまった手指を隠すために、セーターのポケットに両手を入れていたり、あるいはハンドバッグで隠したりした。写真を撮るときは、膝乗せ犬を抱いてごまかした。こうして母と息子の共同作戦は功を奏した。運転さえ、ふたりで協力して、外から見てわからないように、親子で車を駆ったのだった。それはチャックが16歳になり、免許を取得するまで続いた。

 

チャックは自分が看れる限り、母親の世話をし、とうとう一人の手では負えない状態に母親が陥った時、そうした施設に入れた。それまでに彼はUCLAを卒業し、結婚をして、フロリダの大学院を終え、子供も三人生まれた。

 

彼は自分が普通の人とは逆の人生を歩んできているのに気がついた。病院、薬局、医師のオフィス訪問などは、年取った人のすることで、ほんのちいさな子供の世界ではないのに、そんな世界で育った。ごく普通の優しいお父さんがいて、健康なおかあさんのいる家庭に恋焦がれてきたチャックは、成長し、その憧れが決して来ないのを知ってから、それならば、自分が人を愛し、自分の子供を愛し、夢見た家庭を造ればいいのだと決めた。チャックは父親を反面教師として良い夫、良い父親になった。人生は髭を剃ったばかりの綺麗な顔のようではないし、見栄えは対して良いものではないことが往々だが、チャックは自分は父親のようにはならないことを固く誓った。そして以前にもまして弱った母親にもっともっと愛情を持って接した。それは良い夫、良い父親になるために、良い息子でありたかったからだった。

 

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チャックの母親は、去年八十歳を少し過ぎて、亡くなった。辛い悲しい人生だったが、この母親の息子は世界で一番母親を愛し、妻を愛し、三人の子供たちを愛してきている。彼の人生の17年を私は職場で共にできて、大変に幸運なことだと思う。

 

コメント (2)
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