新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

山本五十六

2020-01-17 11:39:01 | 新日本意外史 古代から現代まで
山本五十六

先日、映画の山本五十六を観ました。主役の役所はそれなりの演技で無難に演じていました。
しかし脚本は山本を美化しすぎ、形而上的に捉えすぎている。 故人となったが、阿川弘之著「山本五十六」の方が秀逸といえるだろう。
 この山本を演じた役者は私の知る限り歴代8人居り、時系列では以下となる。
大河内伝次郎、佐分利信、藤田進、三船敏郎、小林桂樹、古谷一行、丹波哲郎、役所広司。
 一番はまっていたのは小林桂樹ではなかったろうか。
さて、米国の国力を知り尽くしていた山本が、「一年や二年暴れてみせる」等と嘯くのは所詮は軍人の悲しいさがでしかない。
海軍が「油がないので戦争はできない」と強い姿勢を見せれば、陸軍だけでは戦争はできないから、日本は違った方向へ転換出来たろう。
 この山本を名将と評価する人も、凡将という人もいる。此処ではその評価は避けて読者の判断に委ねるが。
 
 開戦にそれほど反対なら、山本の内面の葛藤にもっと迫るべきである。
前記のように、山口多門を連れて米国滞在中、かの国の国力をつぶさに見聞した山本は米国を恐れ、米国との戦争には反対だった。 
 しかし、開戦となったら彼の戦略としてはハワイを徹底的に叩き、太平洋艦隊が二年位活動できない間に早期の和平を結ぶことだったのである。
その為には艦船や飛行場だけでなく、石油タンク、ドック、修理工場、艦隊司令部までも徹底的に叩くつもりであった。
 だがこの時の日本の軍令部の戦略は、山本の強いハワイ奇襲作戦の要請に引きずられつつ許可したが、
ハワイの艦艇をやったら、自軍の艦艇の損害を恐れて、さっさと逃げて来いという方針だった。
  だから南雲は艦船と飛行場をやったら、もう浮き足立って逃げ腰になって指揮官としては失格。これは言われた事しかやらないという
官僚的体質の最たるもの。虎の子の空母を沈めて自己の経歴に傷を付けたくないという、責任逃れで海軍軍人といえども所詮は官僚でしかない。
山口多門は、石油タンク、ドック、修理工場などを徹底的に破壊するため、第二次攻撃を主張したが聞き入れられていない。
 彼が第一航空艦隊の司令官だったら、この後の戦いの展開はかなり日本に有利に働いただろう。
その点アングロサクソン民族は徹底的にやる。
  米国のように戦時ともなれば人事はガラリと変わり、ハワイ空襲の責任をとらされキンメルが解任されると、
新太平洋艦隊司令長官抜擢されたミニッツ(当時は少将)は26人も飛び越えての大抜擢人事を平気で行う柔軟性がある。
  比べて日本は戦時といえども相変わらずの年功序列主義を棄てきれず、あたら山口のような稀有な勇将の抜擢も出来なかった。
さて此処からは歴史のI F になるのだが、
百歩譲ってどうしても真珠湾をやるのなら、山本は海軍軍令部と陸軍参謀本部を説得して以下のような作戦を日本は採るべきだったと想うのだが。
  先ずその戦略だが、正規空母6隻の他に、輸送船団と、小型空母5隻に陸軍3個師団(約六万人)を乗せ、オアフ島の砂浜に乗り上げてでも上陸しハワイを占領する。
勿論、戦艦部隊(山本も大和に座乗し陣頭指揮を執る)は同行して艦砲射撃で援護に当たる。
当時ハワイに居なかった米空母、ヨークタウンやレキシントン等は、占領阻止の為、急遽迎撃して来るだろうから
索敵を厳にして、これらと戦闘の末たとえ日本側空母に3隻程度の損害がでてもこれらを撃沈する。
 こうして太平洋艦隊の米空母を全滅させ、太平洋艦隊艦隊司令部も占領、全員を捕虜にしてハワイを占領後、次の作戦は、
(捕虜に関しては後の停戦交渉を有利に進めるため、ジュネーブ条約を遵守する)
 米国西海岸全てのドックや港湾施設の爆撃を周期的に行い、パナマ運河も向こう二年ぐらい使用不能にするため徹底的に爆撃破壊する。
さすれば新造空母や戦艦を建造するのは、東海岸の港湾に限定され、艦隊を太平洋に回航するには南米最南端のドレーク海峡を通るしかない。
 そして日本は、南極大陸最北端のエレファント島に潜水艦基地を造り、伊号潜水艦を網の目条に配置し、通過する米国艦隊(特に空母)を補足雷撃し、
網から漏れた艦船を追跡し、位置や航路を連合艦隊に逐次報告し、情報を分析し、日本空母艦隊はこれを補足殲滅する。これらの全作戦計画をハワイ占領後一年以内に行うのである。
日本が米国と戦ってワシントンに日章旗を掲げること等荒唐無稽なのである以上、
これらの作戦は所詮、米国の工業力がフル稼働し、大攻勢をかけて来るまでの時間稼ぎでしかない。
この後の段階として、アジア地区の米英仏植民地を順次開放し、体制は王政でも民主主義でも、その国の民意に委ね日本軍の軍政は厳に慎む。
文字通りの大東亜共栄圏の確立になり、日本はその盟主の位置を確保する。
 結果として南方の石油や鉱物資源も手に入り、日本の国力もつく。
 いずれアメリカは最終決戦を仕掛けてくるだろうから、ヨーロッパではドイツに勝たせるため、日本関東軍は満州に置き続ける。
これは極東ソ連軍をヨーロッパ戦線に投入させないためのブラフである。
ドイツがソ連に勝てば、それまでにアメリカと講和を成立させておいて、今度は日本は連合軍に参加して、 中東の石油資源を確保する。其の為ドイツ軍と戦うためのアラブ作戦も
立てておく。(実際参謀本部はアラブ作戦は立てていた事実がある)
これらの計画を元に米国との休戦又は和平の時期、条件(日本は相当譲歩することになるが、 満州も返し、ハワイも捕虜と一緒に返す。負けて国土が焦土になるよりは余程マシである)を探る。
以上が戦争に負けないための壮大な戦略である、というよりこうした方が少なくとも原爆は落とされなかったし戦争には負けなかった。
 戦争とは絶対負けてはならないものであり、次善の策として勝てないなら何処かの時点で終戦か和平に持ち込むしかない。明治の軍部は大国ロシア相手にそれを実践している。
欧米世界を相手の大戦争を仕掛けるのなら、これくらいの壮大な戦略を立てなければならないのに、当時の政治家も軍人も全くの素人集団に等しかった。
負けるのは必然の帰結。
 


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