猫に腕枕

腎不全の猫と暮らした日々+

ここ数日のこと

2005年10月13日 | 腎不全猫闘病記録
忘れてしまわないうちに書き留めたくて
曖昧にキレイな思い出にしてしまう前に書き留めたくて
とにかく思い出したことをつらつら。

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ここ数日、ゆずの体調が思わしくなくて
体調が悪いときに撮るのが忍びなくて
あまり写真を撮らなかった。
元気になった時に撮ろう!・・そう思ってたから。
そう、もう頑張る時期は過ぎていたけれど
こんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。
この写真は10月10日に撮ったもの。
10月10日の日記に載せた写真と一緒。
すっかり三角になった顔、鋭い目、鼻の上に付いた染み(吐いてばかりだったから)・・体調の悪さが顔に出ている。
結局10月10日に撮ったものが、ゆずの生前最後の写真になってしまった。

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ここ数日の良かったこと・・・

10月8日
ゆずの体調が思わしくないから、どこにも出かけず家で過ごした。
ちょっと触っただけでもゴロゴロゴロゴロ・・と喉を鳴らすゆず。
ソファに座り、毛布に包んだゆずを膝にのせながらテレビを見た。
その間もずっとゴロゴロゴロ・・・
自分の体の異変を感じ、不安で仕方がなかったに違いない。
時々「ゆず、大丈夫だよー。大丈夫!」と声をかけた。
ゆずだけじゃなく自分にも言い聞かせていたんだけど。

10月10日夜、またもや溜まりに溜まった洗濯物を畳むのに
前回同様ゆずに監督をお願いした。
私はいつも2階ベランダに洗濯物を干すので
取り込むとそのまま2階寝室ベッドに積み上げてしまう。
だから、ベッドの上で洗濯物畳みもアイロンがけもする。
ベッドの上の畳んだ毛布をゆず監督のお座り場所にして洗濯物畳みを開始。
今回のゆずはただのんびり私の姿を見ているだけ。
前回のように洗濯物のチェックをすることもない。
しかしアイロンがけを始めた途端、ゆずの目つきがキラリン☆と変わった。
シャツ1枚、アイロンを掛け終わって、
サッとアイロン台からどかした途端、
ウニャーン!と一鳴き、ゆずがアイロン台の上に飛び乗った。
そしてバリバリバリッと、アイロン台で爪とぎ!
出たっ!お猫さま特有の邪魔邪魔攻撃!
ヒトが本を読んだり新聞を読んだりしていると
必ず本の上、新聞の上でゴロリンとなって邪魔するお猫さま。
このアイロン台バリバリも邪魔邪魔攻撃か?!
ゆずに覆いかぶさり「こら~っ!バリバリしちゃダメでしょ~」とお腹をくすぐる。
ゆずはゴロゴロゴロゴロゴロ・・・と盛大に喉を鳴らした。
もうアイロンがけなんてどうでもいいよね。
ゆずに覆いかぶさりながら首や背中を撫ぜてあげる。
ほんわか暖かいアイロン台が気持ちいい。
ゆずも気持ち良さそうに目を瞑る。
ゆず、まだまだ大丈夫じゃん!
なんだか勝手にそう思ってしまった。
ゆずに引っ掻かれてビリリと傷が付いたアイロン台は
どんなにボロくなっても捨てられない。
アイロンをかける度きっと思い出して泣くんだろう。

10月11日
会社から帰宅後、猫部屋のドアをあけると
ヨロヨロしながら玄関まで行って座りこんだゆず。
昨日よりも息が荒くなっている。
ゆずを抱っこしてお散歩に行った。
土手の草むらに降ろしてあげると
コテンと横座りしてクンクンと土手の匂いを嗅いでいた。

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ここ数日の悔やまれること・・・

10月11日夜というか、もう10月12日に日付が変わる頃だったと思う。
投薬、輸液、一口のご飯・・・
息が荒く確実に具合が悪いとわかるゆずには
必要なかった。しない方がよかった。
具合が悪いからするべきかどうか
迷って迷ってそんな時間になってしまった。
もう薬を飲み込む力はほとんどなかっただろうと思う。
それなのに無理矢理飲ませてしまった。
薬だけお腹に入れるのも良くないと思って
一口だけa/dを食べさせたのも余計だった。
ゆずはすぐに苦しそうに吐いてしまったから。
私のせいで息がどんどん荒くなった。
輸液はおとなしくさせてくれたけど
輸液はもうただ体を通過するだけになっていたと思う。
腎臓はほとんど機能しなくなっていたと思う。
余計な苦しみ。
亡くなるほんの数時間前のこと。

10月12日
ゆずの呼吸がどんどん荒くなっていくようで
心配で心配で眠ることができず
ただただゆずを撫ぜながら様子をみていた。
時々、吐きそうな仕草をする。
苦しそう・・と思ったら、目がうつろになっていった。
慌てて「ゆず、ゆずちゃん!」と呼びかけ
グニャンとしているゆずを毛布に包んで抱っこで外に出た。
すぐ前の草ぼうぼうの駐車場に座り
猫じゃらしをむしって、ゆずの鼻先に持っていく。
クンクンと匂いを嗅ぐゆず。
目が戻った。ちゃんとモノを見ている目になった。
しばらく抱っこして外にいた。
ゆずは外だということがちゃんとわかっているようだった。
良かった。もう大丈夫。自分勝手にそう解釈して家に戻った。

ゆずを猫用コタツ(小春日和)の中に寝かす。
コタツの一面を開け放したままにして。
呼吸が再びどんどん速く荒くなっていった。
目は開いているのに、もう何も見えていない。
どうしよう。
往生際の悪い私は、隣の部屋に駆け込み大慌てで本を探した。
探した本は「フォックス先生の猫マッサージ」
手にとるとすぐにゆずの元に戻った。
この期におよんで思い出したのだ。
本の最後に載っていた「気孔マッサージ」
「手のうちようのない時に・・」と書かれていたのを。
体には触れないよう手をかざし、息を吸うのに合わせて
ゆずの体から痛みや炎症を引き出していくのをイメージする。
次に息を吐きながら自分の生命力や気がゆずに入っていくようイメージする。
夢中でそれを繰り返した。
そのうち、ゆずは荒い呼吸の合間にググッ・・とくぐもったような声を漏らすようになった。
時折、脚がピクピクするようになった・・と思った途端
最後に、背中をグッと曲げ、脚をつっぱり、口を大きく開け
何かを吐き出すような、吐き出したいけど吐けないような
息がつまってしまったような苦し気な表情になった。
思わず抱き起こし(寝かしたままだと喉に何か詰まってしまうように感じたから)
「ゆず、ゆず!」と叫ぶ。
目が、目から生気がすうっと抜けていったのがわかった。
「ゆず、ゆず、ゆずちゃん!」
呼びかけちゃいけない、逝かせてあげないといけない
そう思っていたのに、何度も泣きながら呼びかけていた。
亡くなった後も。

結局私は苦しみの多いこの世にゆずを繋ぎとめようと
最後まで悪足掻きした。

ごめん。ごめんね、ゆず。本当にごめん。
ゆず、大好き。
ありがとう。

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18 コメント

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Unknown (GANBARUNEKO)
2005-10-13 23:39:27
reiさん、辛かったですね。往生際悪くなって当然ですよ。きっと。

だって私でさえ目が覚めるとゆず君居ないことが夢のようで

今だってここが更新されてるのを見て、やっぱり夢だったのかな?って思ったり。

最期にしてあげたマッサージがきっとゆず君の痛みや苦しみから救ってくれたんだってそう思います。

ゆず君もreiさんも、腎不全の多くの猫たちに希望を与えてきました。それはこれからも続いていく。

CoQ10飲ませるたびにゆず君を思い出します。甘エビ見るたびにゆず君思い出します。

いっぱいいっぱい頑張って、大好きな散歩を最期まで出来て、とても考えられない数値でさえもお洗濯畳むお手伝い出来て。



ゆず君ほんっとにほんっとに頑張ったもん。

reiさんもほんっとにいっぱい頑張ったもん。

なんて言っていいか分からないけれど、ゆず君はreiさんを選んでreiさんの元に来てほんっと幸せだったって思います。
はじめまして (rei (偶然ですが))
2005-10-14 02:11:16
とても迷っていたのですが・・・



reiさんと同じ名前で、ゆずちゃんと同い年の仔がいます。そしてお顔も似ていたので・・・



ずっとずっと見ていました。reiさんとゆずちゃんの深く暖かい絆と心の通い~たくさんの涙と勇気がわたしのなかに残っています。



駆けてくるゆずちゃん~おしっぽをピンとたてて真っ直ぐreiさんの胸に飛び込んでくるんですね。

今はお空の草原を翔けてるでしょうね。

そしてreiさんの心の中でも・・・・・



いっぱいいっぱい頑張ったゆずちゃん、どうぞ安らかに。。。

そして大きな愛で包んでがんばったreiさんの

御心もどうぞ安らかに。。。



はじめてなのに、ごめんなさい。

(本当に何と言ったらよいかわからなくて)
Unknown (くみ)
2005-10-14 09:52:17
まだ、ゆずちゃんがお引越しをしてしまったことを信じられないでいる私がいます。



reiさんがつらい中で書きとめたゆずちゃんとの最後の時のこと、自分の時とシンクロしてしまって、また仕事場で泣いてしまいました。



私は病院で「覚悟してください」と言われた時、散々自分のわがままでにごの苦痛を長引かせてしまったから、最後の時は引き止めるのをやめようって思っていました。でも、やっぱり何度も何度も名前を呼んでしまいました。いつもは隠れて一人で寝ているにごが、その日に限って寝室に入ってきて、私が起きるのを待っていたかのように膝の上に乗ってくれました。



reiさん、ゆずちゃんはreiさんが大好きで、reiさんに抱っこされて引越しできて幸せだったと思う。本当にそう思います。



麦芽さんも書いてくれたけど、私もゆずちゃんとたまらさんと宍戸さんがにごの同期生になってくれたことに感謝してます。



Unknown (えてりん)
2005-10-14 10:44:05
何度も、ゆずさんの駆けてくる姿を見にきてしまいます。



「ここ数日のこと」まるでワタシまで側に居るような

感覚になりました。



悪あがきって言うけれど、それはゆずさんはここで

旅立ったりしないって、信じられたからやったこと

だと思います。



きっと、誰だってそうしてしまうと思います。



その変わり、抱っこでお散歩行ったり、洗濯物畳みの

監督や、邪魔邪魔攻撃に、お腹コショコショ~と、reiさん

とのとても楽しいひとときを過ごすことが出来た。



“ごめんね”よりも“たのしかった ありがとう”の

ほうがいっぱいの「この数日」でしたよ。



ゆず君、またね。 (yoda)
2005-10-14 11:12:14
夕べ、同じ枕の上にいるヨダに言いました。



「reiさんは、ゆず君が旅立つ前に大好きなお散歩に連れて行ってあげて、ゆず君の旅立つ時にずっとそばにいて見守ってあげたんだよ。とっても幸せなファイナル・アワーだよね。ゆず君は幸せなお猫さんだよね。」

 

「ヨダは、私に何をして欲しい? 私は、あなたの為に何をして見送ってあげようか?」



「reiさんのように完璧に冷静に真摯に看護やお見送りが最後まで出来るかな。」



などと、ヨダと話していたら涙が止まらなくなり、大泣きになってしまいました。ヨダは、じっとして私の顔の横に居ました。今朝、起きたら眼が腫れていて吃驚しました。



悔やまれることなんか一つもありませんよ。こんな時に心の乱れない冷静な人なんていません。ゆず君の病気の苦痛を和らげる為に最大限の努力をし、ゆず君に合う獣医さんを探し出し、癒しと安らぎ場所を作って守ってあげたじゃないですか。大好きなお散歩の土手の風景のお土産まで持たせて。最後のお薬や輸液、a/dを悩みながらもあげたこと、ゆず君を思ってのことだとゆず君は知っていますよ。きっと感謝してますよ。



時々ゆず君のreiさんの元に駆けてくる写真が頭に浮かび、気をつけないと所構わず涙が出てきて困ります。私なんか実際にお会いしたこともないのにね。誰かのコメントでもありましたが、あの写真がreiさんとゆず君のこれまでのリレーションシップの全ての象徴みたいで、私も大好きです。



あの写真を見る度に心の中で何か暖かいものを感じます。言葉ではっきり言い表せないけれど「絆」や「愛」「命の尊さ」とか、そういう感じのものなんだと思います。



出会いはたくさんあるけれど、一生の中で深く繋がることの出来る動物や人の数なんて、ごく僅かですよね。私もreiさんとゆず君の強い繋がりが羨ましいくらいです。私のお見送りの番も確実に遠くないし、私もreiさんのようにヨダを見送りたいな。そんな風に思いました。



ゆず君とreiさん、感動をどうもありがとう。



You and I will meet again

When we’re least expecting it

One day in some far off place

I will recognize your face

I won’t say good-bye my friend

For you and I will meet again



by Tom Petty



大丈夫。今は一時的に離れるだけ。またゆず君と会えます。そう信じています。











Unknown (た~こ)
2005-10-14 13:33:05
誰でも、たとえどんなお別れだったとしても、後悔や自責の念を拭う事はきっと出来ないだろうと想像します。

私もそう。

それでもreiさんのされて来た事、みなさんが見守ってたゆずちゃんとの毎日はゆずちゃんが一番わかってくれてると私も思っています。

みなさんのおっしゃるとおり、ゆずちゃんがreiさんと素晴らしい時間を過ごして来た事はまぎれも無い事実です。

お辛いと思いますがどうぞゆっくり休まれて、またももちゃんやミニちゃんやとらちゃんの為にも少しづつ元気なreiさんに戻ってくださいね。
Unknown (yuko)
2005-10-14 22:16:53
今頃ゆずちゃんはもう虹の橋にたどり着き、草原をおもいっきり駆けているかなぁ・・・でもきっとreiさんのことを振り返りながら、心配しています。

だからどうか自分を責めたりしないで下さいね。



私も頑張る時期をとうに過ぎているとわかっていても”この子をどうか救って欲しい、守って欲しい”と水晶を買ってきてそばに置いてました・・・今思えばバカですよね。

最後の日も何かお腹に入れて欲しいと口に含ませたミルクで苦しめてしまったのではないか、自分が結局殺してしまったのではないかという呪縛から何ケ月も逃れられないでいました。

慢性腎不全という病気を自分でももっと調べればよかったという後悔も・・・

そしてreiさんのブログに出会いました。

私から突然送ったメールに、ゆずちゃんのお世話で大変だった時期にもかかわらず、reiさんは丁寧にお返事を送って下さり、その励ましの言葉で私はずいぶん心が軽くなった思いでした。

なので、今度は同じ言葉を私からreiさんへ送ります。

「たくさん愛されて旅立った猫は幸せです」



私たちの子らはきっと虹の橋で待ってくれています。

今は離れててちょっと(かなり!)淋しいけど、

これからの人生はその子らに再会できるその時に

「心配せんでも大丈夫やったバイ!」

と胸をはって会うために”頑張る時間”なのだと、

最近は思えるようになりました。



虹の橋で見守ってくれているゆずちゃんに

reiさんが笑顔を見せてあげられる日が

きますように・・・

ありがとうです (rei)
2005-10-15 15:34:43
◆GANBARUNEKOさん

私も夢だったんじゃないかと感じる時があります。

現実感がなくて、うっかり別の子に「ゆず」って言っちゃったりして・・。

ゆずは十分頑張ったので、神様が「もう休んでいいよ」と休暇をプレゼントしてくれたのだと思っています。

本当に十分過ぎるくらい頑張りましたよね。

GANBARUNEKOさん、ありがとう。



◆reiさん

はじめまして。同じ名前ですね^^

猫ちゃん、お顔が似てるということは、泥棒ヒゲ模様があるのでしょうか。

ゆず、今はもう痛いことも苦しいこともなく、元気に虹の橋の野原を駆け回ってますよね。あれ以上の苦しいがなくて良かった・・そう思います。

reiさん、本当にありがとう。



◆くみさん

私も、最後の時は引き止めないようにしようって思ってたのに、どうしても名前を呼ばずにはいられませんでした。

にごちゃん、最期くみさんにそばにいて欲しかったんですね。

ゆずは超が付く淋しん坊だから、お引越しの時そばにいてあげられたのは良かったと思ってます。

にごちゃん、虹の橋でゆずをよろしく。

くみさん、本当にありがとう。



◆えてりんさん

ゆず、元気な頃は本当によく土手を走ってて、近所の子供に「あの猫、はっえーー!」とか言われてました。

辛い闘病をさせたので、お散歩はなるべく欠かさないようにしてましたが・・・

ゆずが楽しい思い出を少しでも多くもって旅立てたのだったらいいなと思います。

えてりんさん、本当にありがとう。



◆yodaさん

私も12日は試合に負けたボクサーみたいに目が腫れて酷い顔になってました。

ヨダちゃん、いい子ですね。そうやってyodaさんがお話しすることをじっと聞いていてくれるんですね。

病気になってから私もゆずによく話しかけるようになりました。どこまで理解してくれているかわからないけど、ゆずは本当によく頑張ってくれました。

「サヨナラは別れの言葉ではなくて、再び会うまでの遠い約束」

きっとまた会えますね。

yodaさん、本当にありがとう。



◆た~こさん

最期の別れの時、「ごめんね」という言葉が最初に出てきました。どうしても無理させたことには変わらないから「ごめんね。ごめんね」って。

ゆずがどこまで私のやることを理解してたかはわからないけど、とにかく精一杯、十分過ぎるくらいに頑張ってくれました。

家に来てくれてありがとう・・今心からそう思います。

た~こさん、本当にありがとう。



◆yukoさん

私も小さい水晶クラスター買って部屋に置きました。

元々鉱物好きっというのもあるんですが、良いと思われることは何でもしてあげたい心境で・・・病気の猫を思う気持ちは皆同じですね。

淋しん坊のゆずは虹の橋でyukoさんの猫さんとも遊びながら、きっと私を待っててくれますね。きっとまた会える。

yukoさん、本当にありがとう。
Unknown (chiyo)
2005-10-16 09:07:56
12日にゆずちゃんが旅立った事を知って、もう良く知ってる猫ちゃんのような気持ちでいたので、心がぽっかりして、今も泣きながら書いています。はじめまして。ずっと応援していました。

すぐメールしたかったのですが、こちらのネット環境がわるく入れませんでした。



ゆずちゃんと同じキジトラで白いソックスの男の子とらが今年の5月に慢性腎不全で旅立ちました。8歳でした。ルックスが似ていて、甘えん坊の性格や病院嫌いもそっくりで。なので、毎日読んでそして、いつもreiさんとゆずちゃんが一緒にいられる時間がたくさんありますように、神様もっともっと時間をと、祈っていました。



どんな介護をしてきても後悔はあるものかもしれませんが、トラの場合は病院で点滴されながらなくなりました。食事も海外ということもあり、大好きなお魚もたべさせることができず、リーナルケアと静脈点滴で一ヶ月以上も苦しませたことや

最後看取ることできなかったことで、今でも、時々とらのお骨の入ったつぼを抱えては、家人のいないときに、おんおん泣いています。この悲しみが思い出にかわるまで、あとどれくらいの時間がかかるか自分でもわかりません。



reiさんは、すばらしい介護されたと思います。散歩、そして好物もたべることあったり。そしてこまやかなケア。。。

ゆずちゃんは、reiさんと出会えてしあわせだったよ、ほんとうにありがとうって言ってると思います。そして、いつか虹の橋で出会ったとき、あのステキなゆずちゃんの走り、しっぽをぴんと立てて、まっすぐにreiさんのほうにかけてくる。あの走りでreiさんに向かってまっすぐに走ってきます。

また、きっと会えるのです。

reiさん今は、いっぱい泣いて、そして、少しずつ

元気になってください。



とらがなくなる前の日、「怖くないよ、ママも必ずいつか虹の橋にいくからね。先に待っていてね」と話しながら、はあはあ呼吸のあらくなっているとらに話しかけたことだけが、今の私にとっては唯一救いです。話しかけたとき、うつろになって何も見えていない目に力が戻って、理解していたように思えました。



ゆずちゃん、よくがんばったね。えらいぞ。

とらが虹の橋に先にいってるのでお友達になってね。

もう苦しいことも痛い事もなくって、元気に

虹の橋に向かって7日間歩いていってる途中かな。



reiさん、訃報を読んで、突然のメールでごめんなさい。

そして、できたら、ゆずちゃん亡き後も、このプログ続けていただけたら、というのが希望です。

reiさんも介護の疲れなど、体調くずされないように。心身ともにゆっくり休む時間もつくってください。





ありがとうございます (rei)
2005-10-17 00:06:09
◆chiyoさん

chiyoさんのとらちゃんもキジトラで白ソックスの男の子だったんですね。

甘ったれの子は可愛いですよね。

私もゆずが病気になってからよく話しかけるようになりました。

言葉は通じなくても何となく気持ちは通じるように思います。

ゆずはよく輸液を我慢してくれてましたから。

chiyoさんの言葉も、とらちゃんにちゃんと通じていたと思います。

今頃虹の橋でゆずはとらちゃんともお話ししてますね。

chiyoさん、本当にありがとう。

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