猫に腕枕

腎不全の猫と暮らした日々+

ミニの好きな散歩道

2017年08月01日 | 猫の思い出話
ずっと銅版画をやってたら行き詰ってきたので気分転換!

久々にミニの写真をアップ。
S市に住んでいた頃、家の目の前の土手は、犬猫の良い散歩コースとなっていました。











ミニもこの土手が大好きで、よく一緒に散歩したものでした。



ごろん、ごろん。



ふっくら福々のミニたんでした。



ももちゃん

2017年03月26日 | 猫の思い出話

昨日はももちゃんの命日でした。
命日にはお刺身を買ってお供えしたものでしたが、今年はお供えの後に食べてくれるニャンコもいないので、お花だけ飾っています。
お刺身や焼き魚を食べることがめっきりなくなりました。
わくわくした目をして待っていて嬉しそうに食べてくれる猫がいてこそのお魚でした。

今日はももちゃんの昔の写真をいろいろ整理していたので、ちょっと懐かしい写真をご紹介。


ももちゃんはとっても優しい子だったから、いつも皆ニャンにくっつかれていました。


コブちゃんはももちゃんが大好きでした。


独りが好きなミニだってももちゃんが好き。


もちろんとらちゃんも。猫ベッドを猫数分買っても、一つのベッドにぎゅうぎゅうで入る2匹です。


後姿もふっくらふくふく可愛い2匹。


幾つになっても可愛らしいお嬢さんといった感じのももちゃんでしたが(←親ばかです)


S市にいた頃はみんなで土手を散歩していたので、ちょっとワイルドな顔もしていました。


懐かしいゆずとのツーショット。


この頃は、ももちゃんもとらちゃんも丸々してます。


土手を下りていくももちゃんの後姿はまん丸!


ゴロンゴロンと気持ちよさそう。


可愛いももちゃん。虹の橋ではみんなと一緒だからきっと淋しくはないでしょう。

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我が家から猫がいなくなって
銅版画熱が失われて、時々行っていた銅版画の貸し工房に暫く行けないでいたら
今年に入ってその工房が無くなってしまったことを知りました。
朝から夕方まで丸1日借りることができたので
去年猫展前はたくさんお世話になりました。
工房の方はとても良い方で、昔の古い銅版画もいろいろ見せて頂きました。
版画好きなのが伝わってくる・・そんな方でした。
猫展に間に合ったのもこの工房があったからこそなので残念でなりません。

なんだか好きなものがみんななくなってしまって
人間にとってはしみじみ淋しい春になりました。

思いいろいろ

2016年10月17日 | 猫の思い出話
すっかり涼しく秋らしくなりました。

ゆずが虹の橋に渡って11年が過ぎ、時間薬とはよく言ったもので
ゆずのことでは、後悔のような痛みを伴う思いはなくなりました。
できる治療は全てやって、やり残したことはない、と思えるからかもしれませんが
人間のその思いは、猫にとっては迷惑だったかもしれない…という反省は今もあります。
(病院が好きな猫なんていないのですから)
でも、通院しながらも、ゆずの望むだろう生活(好きな物を食べて毎日土手を散歩する)を
させてあげられた事が良かった思い出として残っているから
今、穏やかに思い出せるのだと思います。
大事なのはQOLだと、特に治らない病気の場合は思うのです。

ゆずは、最初の病院では、暴れてしまって治療を断られるような猫でした。
おまけに、そこの先生から「こういう気の強い子は下手に頑張っちゃって苦しい死に方をするんです」とまで言われて。
あ、なんか腹が立ってきましたよ(-゛-メ)
時を経て心穏やかになったはずなのに、この呪いのような言葉はやはり許せん!
・・・と今でも思ってしまいます。
そんなゆずも、転院先の病院では、先生と看護士さんの技術と優しさのおかげで
長らく暴れることなく治療ができました。
病院は選ばないとダメですね。

何年か前に、ゆずを診て下さった先生の一人、ロマノフ先生が猫友さんの主治医となった事で
先生がゆずのことを覚えて下さっているということを、猫友さんを通してうかがうことができました。
また最近、あるインタビューで、先生が勤務医時代に、
怖がりで入院も採血も出来ないほど暴れてしまって他の病院で診察を断られてきた猫を診た経験から
会話ができない動物達の治療は、それぞれの性格をよく見極めて対応を変えながら、
その子にとってベストとなる治療をする、思いやりを持って接する、を心がけている
と回答されているのを拝読し、何か少し報われたような気持になりました。
死は避けられないことだけど、転院して治療したことには意味があったのかもしれないと。
そして、改めて転院して良かったと思いました。
ゆずが転院した病院で、ゆずを診て下さった先生方はもう皆さん独立されています。
うちにはもう猫はいないのでお世話になることはないけれど
先生方のご活躍を陰ながら心よりお祈りしています。

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コブちゃんのことは、思い出す度に痛みが伴います。どうしても。
後悔がいっぱいあるから。
そして、もう1年も経ったということが信じられないでいます。


こうして写真を見返すと、コブちゃんの甘えん坊っぷりが半端ないこと、


猫大好き、人間大好きで、めちゃくちゃ性格が良かったことがいっぱい思い出されます。


人間の起こし方は、ももちゃんが北風(絶叫目覚まし)だとしたら、コブちゃんは太陽でした。
フワフワの肉球で優しく頬をつついて起こしてくれました。


腎不全対策の高濃度水素水も嫌がることもなくよく飲んでくれました。


可愛いコブちゃん。
良かったことがあるとするなら、もう痛いことも苦しいこともない世界にいるということ。
みんな虹の橋にいるから淋しくないだろうということ。

恐怖のまだら

2016年09月30日 | 猫の思い出話
前回、近所のミミちゃんの思い出を綴ってみましたが、今回も近所の別猫の思い出話です。

とらちゃんを迎えた頃、近所にはミミちゃんの他にも様々な猫がいて、
よく我が家の庭に姿を見せていました。
そのうちの1匹が「まだら」です。
お向かいさんの飼い猫で、メスなのに超凶暴な大柄猫でした。
三毛がぐちゃぐちゃに混ざり合ったまだら模様だったので、我が家では「まだら」と呼んでいました。
もちろん本名は違います。
たぶんミーちゃんとか、飼い主さんからはごく普通の可愛い名前で呼ばれていたと思います。

まだらは、とらちゃんが家に来るずっと前から、お向かいさんに飼われていた猫なので、
家の庭も縄張りにしていたのでしょう。
とらちゃんの登場に、自分の縄張りがとられてしまう…という危機感を抱いたのだと思います。
とにかくとらちゃんを目の敵にして、隙あればとらちゃんを襲っていました。
とらちゃんに遠慮して家に来るのをやめてしまったミミちゃんとは大違いです。
我が家に来たばかりのとらちゃんは、生後4ヵ月の子猫でしたから、
体重が倍以上ある大柄なまだらに襲われたらひとたまりもありませんでした。


(うちに来たばかりの頃のとらちゃん)

ウギャギャギャギャギャッ!!というすさまじい叫び声に、慌てて外に出た私が見たものは、
とらちゃんとまだらが、もうもうと猫毛を飛び散らしゴロゴロと組み合っている姿でした。
ふてぶてしいまだらは、私の姿を見てもすぐに逃げようとはしませんでした。
とらちゃんを抱き上げる私を、キィッ!と睨みつけてから、
ゆったりとした足取りで去って行きました。
子ども相手に何もそこまでやらなくても…と思うほど、
まだらはとらちゃんに酷い傷を負わせていました。
それ以来、とらちゃんを外に出さないようにしていたのですが、
酷い目にあったのにも関わらず、とらちゃんは外に行くことを諦めませんでした。
何度も窓の前や玄関の前でニャーニャー(出して!出して!)と催促し、
ちょっとした隙に脱走しました。その度にまだらにやられるのに。

仕方がないので、私はとらちゃんの散歩にボディーガードとして付いていくことにしました。
…水鉄砲まで持って(^_^;)
なぜ水鉄砲かというと、猫は水に濡れるのが嫌いなので、
猫の躾に霧吹きを使うと効果的だというのを何かで読んだことがあったからです。
猫が何か悪さをしそうになったら霧吹きでシュッと水をかけると、
嫌いな水がかかったことで、猫はやろうとしていたことを止めます。
これを繰り返すことによって、やってはいけないことを覚えるらしいのです。
単なる水なので、猫を傷つける心配もありません。
霧吹きだとある程度距離をとっているまだらには届かないので、水鉄砲にしたのですが、
この作戦は効果覿面でした。
まだらは、2、3度水をかけられてからは、私を見ると警戒してすぐに逃げるようになりました。
なので、水鉄砲を持って行かなくても、私がとらちゃんに付いていれば、姿を現さなくなったのです。

そんなある日、土手をとらちゃんと散歩していた時のこと、
忘れ物に気付いた私は、一旦家に戻ることにしました。
「すぐ戻るからね」と、とらちゃんに声をかけ、元来た道を戻ろうとしたその時、
体を低くして忍び足で私達のあとをつけて来たまだらと目があったのです。
まだらは、明らかに「しまった!」という顔をして、逃げて行きました。
それからというもの、散歩中、常にまだらがいないか注意するようになったのですが、
まだらはいつも必ずついて来ていました。
見つからないよう叢や木の陰から、また見つかってもすぐ逃げられるよう
一定の距離を保った場所から、常に私達を睨んでいたのです…。

蒸し暑いある夏の夜のこと、風が通るよう窓を開けた2階の和室で、
畳にごろりと寝転んで本を読んでいた私は、ついうっかりそのまま寝入ってしまいました。
どのくらい時間が経ったのでしょう。
ウゥーーーッという、低い唸り声で目が覚めたのですが、
とらちゃんが、窓の向こう、網戸1枚隔てた向こうにいる何かに向かって、
全身の毛を山嵐のように逆立ているのが目に入りました。
もしかして、泥棒…?!
眠気が一気に吹っ飛び、心臓がバクバクと激しく鳴りました。
ゆっくり、そぅっと、(泥棒に投げつけるため)本を掴み、目を凝らして窓の方を見てみると…
何と!そこにいたのは「まだら」だったのです。
まだらが、とらちゃんと私を鬼の形相で睨んでいたのです。
泥棒じゃなかったことに安心しつつも、まだらの執念深さに動揺した私は、
「こ、こらっ!」と、あまり迫力のない声を上げてしまいました。
すると、まだらは、シャァーーーーッ!と一発大きく威嚇し、
屋根から隣の木に飛び移り、悠々と去って行きました。
もし、とらちゃんが気づかなかったら、まだらはどうするつもりだったのでしょう?
とらちゃんを(もしかして私も?)、襲うつもりだったのでしょうか?!
怖いっ! (((( ;゚Д゚)))) まだら、怖過ぎ。。

まだらにしてみれば、猫の喧嘩に人間が水鉄砲まで持ち出して加勢してきたのが、
よほど悔しかったのだと思います。
え~~い!卑怯な!許せん!って感じでしょうか。
そう考えると、ちょっとだけまだらにも同情してしまいますが
あ、でも、あくまでもちょっとだけです。
本当にあの夜の恐怖といったら…(|| ゚Д゚)トラウマー

まだらのこうした執念深い行動は、とらちゃんが大きくなるまで続きました。
いえ、ももちゃんが来てからは、まだらも諦めたのか、おとなしくなったと記憶しています。
とらちゃんは最盛期は6キロ近くありました。
巨猫といっても差し支えないくらい大きくなったのです。
それに6キロ越えの超巨猫ももちゃんも加わったら、
まだら陣営は1匹だけなので、もう敵わない…と諦めたのではないでしょうか。

ちなみに、私はミミちゃんが、まだらは勿論のこと、他の猫とケンカしているのを一度も見たことがありません。
また、ミミちゃんはももちゃんと仲が良く、土手で2匹で遊んでいることがよくありました。
賢いミミちゃんは、他の猫と距離をとるのがとても上手かったのだと思います。
仲良くできる子とは仲良くし、距離をとった方がいい子とは距離をとり、
決して喧嘩はしない平和主義猫(^^)


(土手でくつろぐももちゃんとミミちゃん)

あら!まだらのことを書くはずが、最後はミミちゃんの思い出話になってしまいました。
それだけ、ミミちゃんは思い出深い猫でした。
まぁ、まだらも別の意味で思い出深い猫ですが…(^_^;)
まだらが初めて接した猫だったら…猫好きにはならなかったかも…しれません。

思い出のミミちゃん

2016年09月15日 | 猫の思い出話
あっという間に9月も半ばですね。
銅版画は制作意欲が落ちてしまって停滞中(-_-;)
そういう時は何か全く別のことを!…と思い立ち
10年ぶりくらいにオーディオセットを買い揃え
今まであまり聴いてこなかったジャンルの音楽を聴いたりしていました。
オーディオセットを設置するためには、部屋の模様替えが必要で、
いろいろ整理するのが結構大変だったのですが
その最中、ついつい見入ってしまった古い猫のアルバムに
家のコじゃない猫ミミちゃんの写真を見つけました。

今でこそ、周囲から「猫の人」とか、「猫といえば…」とか言われるくらい
猫好きと認識されていますが、子どもの頃は猫とは無縁の生活でした。
熱帯魚やセキセイインコを飼っていたため、
その天敵となるような猫を飼うなんて考えもしなかったのです。

そんな私が「猫が欲しい!」と思うきっかけが、
S市の一戸建てに住んでいた頃、お隣さんが飼っていた猫のミミちゃんでした。
S市の家は、最寄駅までバスで20分もかかるような所にあって、すぐ目の前は土手。
大雨の時なんかは川が氾濫しやしないかハラハラドキドキしてしまう…
そんな気が滅入るようなロケーションでした(^_^;)


ミミちゃんは、白地にキジトラ斑で短尾の可愛いメス猫で、よくうちの庭で遊んでいました。
「ミミ」と呼ぶと、最初こそ警戒してなかなか近くに来てくれませんでしたが、
次第に興味深そうに私を観察するようになり、ある時からは撫ぜても全然大丈夫になり、
お近づきの印に煮干しをあげたら、すっかり仲良しになりました。

お隣さんは、お蕎麦屋さんをご夫婦で切り盛りしていたため、帰宅はいつも夜遅くでした。
ミミちゃんは、日が暮れるとお隣さん宅の門柱の上でご主人の帰りを待っていましたが、
私と仲良くなってからは、私が仕事から帰ってくるのを見つけると、
サッと門柱を飛び降り、尻尾を立てて走り寄ってきました。
そして、嬉しそうに足にまとわりつきながら、一緒に家に帰るのです。
また、ミミちゃんは、出かける時も一緒に付いてきました。
最初は迷子になったり事故に遭ったらどうしようと心配でしたが、
賢いミミちゃんは、決して交通量の多い橋を渡ることはなく、
橋のたもとまで来るとお座りして、視界から私が消えるまで、じっと見送ってくれました。
お隣さんは犬も飼っていて、ミミちゃんも犬と一緒にお散歩していましたが、
やはり橋のたもとまで来るとお座りして、戻ってくるのをじっと待っていたそうです。
橋のたもとが、ミミちゃんの縄張りの境界線だったのかもしれません。

寒い冬、ミミちゃんはお隣さんが帰ってくるまで、よく家で過ごしました。
かくれんぼが得意で、ソファの下や戸棚の陰に隠れて、
私が通ると前足でトントンと私の足を軽く叩き、またさっと姿をくらませました。
かくれんぼ中のミミちゃんは、いくら呼んでも出てきてはくれませんでしたが
探すのを諦めてテレビなどを見ていると、いつの間にか私に寄りかかって寝ていたりするのです。

私はそんなミミちゃんが大好きで、ミミちゃんもそうだと思っていましたが、
どんなに仲良く遊んでいても、どんなにぐっすり眠っていても、
隣家に明かりが灯り、お隣さんが帰ってきた気配がすると
ミミちゃんは急にそわそわと隣家に向いた窓の前を行ったり来たりするのでした。
意地悪して知らんぷりすると、必死にニャーニャー鳴いて「開けて!」と要求します。
そして窓を開けた途端、一目散に帰っていくのです。振り返りもせずに!
なんでしょうねぇ。日陰の身になった気持ち(笑) 本妻(=お隣さん)には敵わないのです。
次の日になれば、またミミちゃんは遊びに来て思いっきり甘えてくれるのですが
夜になってお隣さんが戻ってくれば一目散に帰っていってしまう。
どんなに仲良くなっても、ミミちゃんの帰る場所はお隣。
どんなに仲良くなっても、ミミちゃんはうちのコにはならない。
ああ、うちのコにしたい!…って、
これ、人間相手だったら、危険な情事になるのでしょうか?(^_^;)

そんな訳で(=危険な情事にならないために)、我が家に迎えられたのが、とらちゃんでした。
確か生後4か月くらいだったと思います。
4か月といえば、まだまだチビッ子ですが、
いつものように遊びに来たミミちゃんを、とらちゃんは物凄い剣幕で威嚇しました。
ミミちゃんの方が体が大きく、その気になればとらちゃんより強いはずなのに、
ミミちゃんは喧嘩することなく、すんなり出て行きました。
そしてそれ以来、家に入ってくることはなくなったのです。
「ここはもうあのコの家だから、私が来てはいけないの」と悟っているようでした。

何だかミミちゃんに悪いことをした気持ちでいっぱいになりましたが、
ミミちゃんは、外では、そう私が一人でいる時には、変わらず嬉しそうに駆け寄ってきてくれました。
でも、とらちゃんが一緒の時は、遠慮して近くには来ませんでした。

(写真は、手前がとらちゃんで、奥、遠くにいるのがミミちゃん)

人間にもいろいろな性格があるように、猫も性格はいろいろです。
ミミちゃんは、本当に賢くて可愛い猫でした。
ミミちゃんに会わなければ、ミミちゃんじゃなければ、
猫を飼いたいと思うこともなかったし、猫と暮らすこともなかったと思います。
猫と暮らさなければ、引っ越してきた当初、気の滅入るようなロケーションだと思っていた土手が
猫との楽しい散歩道になることもなかったでしょう。

その後、ミミちゃんはお隣さんと一緒に引っ越していきました。
私を猫好きにしたミミちゃん。今も元気なら、おそらく23か24歳になっていると思います。