猫に腕枕

腎不全の猫と暮らした日々+

いろいろ

2005年11月17日 | 腎不全猫闘病記録
このブログを始めた時は、単なる記録のつもりだった。
でもいつからか、自分の頭の中を整理し心を落ち着かせるために
いろいろ思うことを書くようになった。
実はこの記事は、10月8日に(ゆずが亡くなる前に)書いたものだけど
上手くまとめられなくて草稿中のまま放置していた。
そのまま没と思ってたのだけど
ちょっと書き直したのでアップすることにする。
(書き直した割にはまとまってないけれど)

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ゆずが腎不全と宣告されたのは去年の3月。
入院するたびにいつもハラハラしたし
それが本当にゆずのためになるのかと自問自答もしたけれど
不思議と諦めようと思ったことはなかった。
いつも心がけるように努めたのは
「人事を尽くして天命を待つ」
つまり「人間として出来る限りのことをして、その上は天命に任せて心を労しない」(広辞苑)ということ。
悪いことを想像して鬱々する時間があったら
少しでも結果が良くなるよう、今出来ることをするということ。
そうは言っても、未熟者だから、時には前向きでいられず
ぐるぐるしていることも多々あった。
そんな時は、同じように頑張ってる猫さんの記録を読んで勇気をもらったり
某掲示板でぐるぐるを吐き出させてもらったりして
なるべく引きずらないよう気をつけていた。

ある時、たまたま検索をかけていたら、ガン闘病している猫さんのブログに行き当たった。
飼い主さんは、ガンの進行を抑えるための抗癌剤を点滴することで
確実に腎臓にダメージを与えていることの不安を綴りつつ
「ターミナルケアとは、まず何よりもバランスを取ることであり、その鍵は飼い主が握っている」とし、猫さんの体が受け入れられる限り今の治療を続けることを真っ直ぐに決意されていた。
また「命はどんなに苦しいときでも常に生きようとするものだと思ってますし、生きようとする気持ちをサポートするのが飼い主としての責任だと思っています。
逆に言うと、安楽死と言う選択はありえません」と毅然と宣言されていた。

ぐるぐるしていた私は、飼い主さんのきっぱりとした態度に、言葉に、
ハッとさせられ、身が引き締まった。
「人事を尽くして天命を待つ」に加えて
「バランスをとる」「生きようとする気持ちをサポートする」
この二つも心がけていこう、そう思った。

腎不全は不治の病だから、もちろん、人によって、猫さんによって、
選択は様々でこれが正解というのはないと思うし、
飼い主さんが考え抜いてした決断はどれも正解であると思う。
だから、先の心がけとは矛盾するようだけど、
ガンの猫さんを支える飼い主さんの決意とは異なるけど、
私の中では安楽死という選択はありだった。
苦楽の「バランス」。
その生が苦でしかないなら、安楽死を選択することもありだと思うのだ。
(幸いにもそんな選択をしないで済んだのだけども)

「生きようとする気持ちをサポートする」については
闘病生活の中にも楽しいと思えるようなことを作ること
出来る限りゆずの好きなことをしてあげることではないかと考えた。
もちろん「バランス」をとりながら。

輸液はゆずにとって苦だろうけど、輸液をしないで脱水・尿毒症が進むことの苦と比べればしてあげた方が楽になるから、ゆずの体が受け入れられる限り続けた。
通院もゆずにとっては苦だけど、エリスロポエチンの注射で体調の良さを維持できれば結果としては楽になるのでこれもやはり続けた。
甘エビ作戦は苦である通院を少しでも楽に感じてもらうための作戦だ。
子供騙しみたいだけど、結果は良好だったと思う。
お散歩はゆずの楽しみだから、出来る限り続けた。
ゆずが歩けない時は抱っこして、寒い時は毛布で包んで、出来る限り散歩した。
なるべく低淡白・低ナトリウム・低リンのフードを心がけたけど
食べてくれないことには体力がもたないから、
状況に応じてゆずが好むフードを食べてもらって体重維持に努めた。
去年は何度も入院させた。静脈点滴3回に、輸血が2回。
いずれも、ゆずがぐったりしてしまった時だ。
入院はゆずには苦だったと思うけど、入院していなかったら
もっと早くに☆になってしまったと思うし
今年に入ってからのあの楽しく土手を駆け回った時間を得ることはなかったと思う。
だから後悔はしていない。

もちろん、こうした判断はあくまでも私の判断だ。
良かれと思ってやったことでも、ゆずにとっては迷惑この上ないことだったろうと思う。
でも、判断するのはどんな時でも飼い主だ。
飼い主の責任は重い。
信頼できる先生に意見を聞き、ゆずの様子を見ながら、一つずつ考え考え判断していくしかないのだ。

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ブログを始めた時から心がけていたことが、実はもう幾つかある。
「ブログに(腎不全闘病以外の)愚痴は書かない」
「良いことは積極的に口にする。文章にする」
「何でも前向きに受けとめる」
「小さいことでクヨクヨしない。イライラしない」
「1日1日を感謝する」
「楽しく過ごす」
よく言われる運を良くするコツとやらを全部実行に移した(笑)
クールなリアリストを目指してる(ホントか?)わりに
やってるのはそんなことかいっ!って感じだけど
世の中には努力だけでは越えられないものがある。
努力プラスα がなければ。
そのα こそ、運というものじゃないだろうか。
もちろん運だけでも超えられない。
まずは出来る限りのことをする。
それが先。
それから運を味方につけるべく日々過ごす。

不治の病だと、どうしても暗くなりがちだけど
なるべく良いことを見つけて口にする。
これは自分自身へのマインドコントロールにもなる。
スポーツ選手がよく「出来る!出来る!」と自分に暗示をかけるように
私も自分とゆずに暗示をかけた。
「ゆずはミラクルラッキーキャットだ」(実際ゆずはミラクルだった)
「ゆずはすごい」(実際すごい子だった)
「大丈夫。絶対大丈夫!」
「ゆずは良い子だから絶対発作は起こらない」
「ゆずは良い子だから絶対苦しいことなんかない」
「大丈夫。ちゃんと最後まで私は頑張れる」

あんまり頑張りすぎるとポキンと折れそうになるから
時々は息抜きも必要。
無理せず、出来る範囲で。

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実は明日は会社をズル休み。
(ズルといっても別に忙しくないし有休とっただけだけど)
ちょっと疲れが出た。
ゆずがいなくなって、頑張らなくてよくなったら
心が弱くなったみたい。

午前中は猫達とまったりのんびり過ごすつもりだ。
午後からは、散歩がてら埼玉県立近代美術館に行こうかなと思う。
藤田嗣治の絵が確かあったはず(1枚だけど)。
ベルギーの美術館の作品もきていたはず。
芸術の秋第2弾ということで、ちょっと心をリフレッシュだ!

2005年10月16日 | 腎不全猫闘病記録
10月13日朝、ゆずは軽くて小さなお骨になりました。
もう苦しいことも痛いこともありません。
打てる手は全て打ってきて、出来ることが殆どないというところまできていたから
あの夜虹の橋へと旅立ったことは、ゆずにも私にも良かったのだと思います。
ゆずには腎不全特有の痙攣発作が1度も起こりませんでした。
ずっと発作が起きないよう祈ってきました。
前の病院の先生から「こういう気の強い子は下手に頑張っちゃって苦しい死に方をするんです」
と言われて以来、絶対苦しくないようにしなければとずっと考えてきました。
輸液や注射や投薬もゆずにとっては辛いことだったと思いますが
これ以上闘病が長引き、痙攣発作を何度も起こすようになったなら
私は苦しみを終わらせるために安楽死を考えなければならなかったでしょう。
痙攣発作が起こらなくても、ご飯を全く食べず、毎日苦しそうに嘔吐する姿を見るのは辛いものでした。
ですから、あの夜、あのタイミングでの旅立ちは、神様からのプレゼントだったように思います。

お花をたくさん飾りました。
インドでは遺骨のことをフール(花)と呼ぶそうです。

写真右奥、白いユリの花束は動物病院からいただきました。
毎日甘い濃厚な香りを漂わせています。
先生、看護士の皆さん、本当にありがとうございました。
ゆずが今まで頑張ってこれたのは皆さんのおかげです。
特にI先生、お気遣いいただきありがとうございました。
「ゆずちゃんの生活の質は高かった」と言っていただいて
ちょっと心がほぐれました。

写真左、明るい黄色の花と淡いグリーンの花のアレンジメントはねこまたさんからいただきました。
爽やかで、元気いっぱい土手を走るゆずのイメージにピッタリだと思います。
ありがとうです。

写真手前右は、「明るく元気なイメージで」と言って作ってもらったアレンジメントです。
赤やオレンジやサーモンピンクの花が中心で、何となく通院ジャンバーの色を思い出させます。
写真手前左は、紫と青とグリーンの花のアレンジメント。
紫と青は私の好きな色。グリーンは土手をイメージして。。。

何となく足が向かなくて
実はあれから土手には行っていません。
でも、ミニが一緒に行きたがるので
来週末には猫ズとのお散歩を復活しようかと思います。

猫ズは静かです。
ゆずがいた時は賑やかだったのに
何だかひっそりしています。

ここ数日のこと

2005年10月13日 | 腎不全猫闘病記録
忘れてしまわないうちに書き留めたくて
曖昧にキレイな思い出にしてしまう前に書き留めたくて
とにかく思い出したことをつらつら。

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ここ数日、ゆずの体調が思わしくなくて
体調が悪いときに撮るのが忍びなくて
あまり写真を撮らなかった。
元気になった時に撮ろう!・・そう思ってたから。
そう、もう頑張る時期は過ぎていたけれど
こんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。
この写真は10月10日に撮ったもの。
10月10日の日記に載せた写真と一緒。
すっかり三角になった顔、鋭い目、鼻の上に付いた染み(吐いてばかりだったから)・・体調の悪さが顔に出ている。
結局10月10日に撮ったものが、ゆずの生前最後の写真になってしまった。

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ここ数日の良かったこと・・・

10月8日
ゆずの体調が思わしくないから、どこにも出かけず家で過ごした。
ちょっと触っただけでもゴロゴロゴロゴロ・・と喉を鳴らすゆず。
ソファに座り、毛布に包んだゆずを膝にのせながらテレビを見た。
その間もずっとゴロゴロゴロ・・・
自分の体の異変を感じ、不安で仕方がなかったに違いない。
時々「ゆず、大丈夫だよー。大丈夫!」と声をかけた。
ゆずだけじゃなく自分にも言い聞かせていたんだけど。

10月10日夜、またもや溜まりに溜まった洗濯物を畳むのに
前回同様ゆずに監督をお願いした。
私はいつも2階ベランダに洗濯物を干すので
取り込むとそのまま2階寝室ベッドに積み上げてしまう。
だから、ベッドの上で洗濯物畳みもアイロンがけもする。
ベッドの上の畳んだ毛布をゆず監督のお座り場所にして洗濯物畳みを開始。
今回のゆずはただのんびり私の姿を見ているだけ。
前回のように洗濯物のチェックをすることもない。
しかしアイロンがけを始めた途端、ゆずの目つきがキラリン☆と変わった。
シャツ1枚、アイロンを掛け終わって、
サッとアイロン台からどかした途端、
ウニャーン!と一鳴き、ゆずがアイロン台の上に飛び乗った。
そしてバリバリバリッと、アイロン台で爪とぎ!
出たっ!お猫さま特有の邪魔邪魔攻撃!
ヒトが本を読んだり新聞を読んだりしていると
必ず本の上、新聞の上でゴロリンとなって邪魔するお猫さま。
このアイロン台バリバリも邪魔邪魔攻撃か?!
ゆずに覆いかぶさり「こら~っ!バリバリしちゃダメでしょ~」とお腹をくすぐる。
ゆずはゴロゴロゴロゴロゴロ・・・と盛大に喉を鳴らした。
もうアイロンがけなんてどうでもいいよね。
ゆずに覆いかぶさりながら首や背中を撫ぜてあげる。
ほんわか暖かいアイロン台が気持ちいい。
ゆずも気持ち良さそうに目を瞑る。
ゆず、まだまだ大丈夫じゃん!
なんだか勝手にそう思ってしまった。
ゆずに引っ掻かれてビリリと傷が付いたアイロン台は
どんなにボロくなっても捨てられない。
アイロンをかける度きっと思い出して泣くんだろう。

10月11日
会社から帰宅後、猫部屋のドアをあけると
ヨロヨロしながら玄関まで行って座りこんだゆず。
昨日よりも息が荒くなっている。
ゆずを抱っこしてお散歩に行った。
土手の草むらに降ろしてあげると
コテンと横座りしてクンクンと土手の匂いを嗅いでいた。

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ここ数日の悔やまれること・・・

10月11日夜というか、もう10月12日に日付が変わる頃だったと思う。
投薬、輸液、一口のご飯・・・
息が荒く確実に具合が悪いとわかるゆずには
必要なかった。しない方がよかった。
具合が悪いからするべきかどうか
迷って迷ってそんな時間になってしまった。
もう薬を飲み込む力はほとんどなかっただろうと思う。
それなのに無理矢理飲ませてしまった。
薬だけお腹に入れるのも良くないと思って
一口だけa/dを食べさせたのも余計だった。
ゆずはすぐに苦しそうに吐いてしまったから。
私のせいで息がどんどん荒くなった。
輸液はおとなしくさせてくれたけど
輸液はもうただ体を通過するだけになっていたと思う。
腎臓はほとんど機能しなくなっていたと思う。
余計な苦しみ。
亡くなるほんの数時間前のこと。

10月12日
ゆずの呼吸がどんどん荒くなっていくようで
心配で心配で眠ることができず
ただただゆずを撫ぜながら様子をみていた。
時々、吐きそうな仕草をする。
苦しそう・・と思ったら、目がうつろになっていった。
慌てて「ゆず、ゆずちゃん!」と呼びかけ
グニャンとしているゆずを毛布に包んで抱っこで外に出た。
すぐ前の草ぼうぼうの駐車場に座り
猫じゃらしをむしって、ゆずの鼻先に持っていく。
クンクンと匂いを嗅ぐゆず。
目が戻った。ちゃんとモノを見ている目になった。
しばらく抱っこして外にいた。
ゆずは外だということがちゃんとわかっているようだった。
良かった。もう大丈夫。自分勝手にそう解釈して家に戻った。

ゆずを猫用コタツ(小春日和)の中に寝かす。
コタツの一面を開け放したままにして。
呼吸が再びどんどん速く荒くなっていった。
目は開いているのに、もう何も見えていない。
どうしよう。
往生際の悪い私は、隣の部屋に駆け込み大慌てで本を探した。
探した本は「フォックス先生の猫マッサージ」
手にとるとすぐにゆずの元に戻った。
この期におよんで思い出したのだ。
本の最後に載っていた「気孔マッサージ」
「手のうちようのない時に・・」と書かれていたのを。
体には触れないよう手をかざし、息を吸うのに合わせて
ゆずの体から痛みや炎症を引き出していくのをイメージする。
次に息を吐きながら自分の生命力や気がゆずに入っていくようイメージする。
夢中でそれを繰り返した。
そのうち、ゆずは荒い呼吸の合間にググッ・・とくぐもったような声を漏らすようになった。
時折、脚がピクピクするようになった・・と思った途端
最後に、背中をグッと曲げ、脚をつっぱり、口を大きく開け
何かを吐き出すような、吐き出したいけど吐けないような
息がつまってしまったような苦し気な表情になった。
思わず抱き起こし(寝かしたままだと喉に何か詰まってしまうように感じたから)
「ゆず、ゆず!」と叫ぶ。
目が、目から生気がすうっと抜けていったのがわかった。
「ゆず、ゆず、ゆずちゃん!」
呼びかけちゃいけない、逝かせてあげないといけない
そう思っていたのに、何度も泣きながら呼びかけていた。
亡くなった後も。

結局私は苦しみの多いこの世にゆずを繋ぎとめようと
最後まで悪足掻きした。

ごめん。ごめんね、ゆず。本当にごめん。
ゆず、大好き。
ありがとう。

旅立ちました

2005年10月12日 | 腎不全猫闘病記録
午前2時55分、虹の橋に旅立ちました。
体調を落としてからあっという間でした。
ゆずはもう真っ直ぐ歩くことができなくなっていましたが
最後の日も一緒に抱っこで散歩に行きました。
一緒に散歩に行ったこと、
それだけが最後の日にしてあげた唯一の良かったことだと思います。

今日はもうこれ以上書けません。

コメントを下さった皆さん、メールを下さった皆さん
応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。

頑張らないでいい時期

2005年10月10日 | 腎不全猫闘病記録
今日も体調の良くないゆずを連れて動物病院へ行った。
待合室で待っている間ぐったりしているゆず。
時折キャンキャン鳴く犬の声にビクッとするので
ずっと撫ぜて落ち着かせる。
ああ、犬と猫で待合室を分けてほしい・・。

診察は主治医のI先生。
体重はシッコが溜まっているものの3.6kgで前回と変わらず。
体温は38度で熱は下がっている。

自分ではご飯を全く食べないこと
だから猫缶を指で掬って無理に口に入れてること
お水も自分では全く飲まないこと
シッコの量・回数とも減っていること
日に1、2回薄茶色の液体をゲーすること
時々息が荒いこと
ほとんど動かないでずっと寝ていることをお話した。

先生は一通り触診をした後にこう言った。
 『血液検査は前回したばかりなので今日はしませんが
 BUNが高いと息が荒くなるので、BUNが上がっている可能性が高いです。
 今1回190mlで輸液してますが、ちょっと増やして200でやってみましょう。
 熱は下がってるのでバイトリルは1日おきに変更します。
 飲ませるタイミングもアルサルミンと一緒にして下さい。
 強い薬なので効き過ぎてしまうのが心配なんです。
 バイトリルは尿で排泄されるので、おしっこが減っていると
 体内でたくさん吸収されてしまいますから。
 あと少しでも食べてもらいたいのでペリアクチンを再開しますね。
 ・・・ゆずちゃん、だいぶ体調悪くなってますね。
 ただ、打てる手は全部打ってきているので
 今出来ることはもうあまりないんです』

それは私もここ3日ずっと考えていたことだった。
もう、してあげられることはあまりないんじゃないか。
それなのに頻繁に病院に連れていくのはどうなんだろうかと。
だから思い切って言ってみた。
「出来ることがほとんどないのであれば
 次回の通院、木曜ではなく土曜にしてもいいですか。
 今、週2回で通院していますが、通院回数を減らしたいんです。
 具合が悪いのに時間をかけて病院に連れてくるより
 家で寝かしておいてあげた方がゆずにはいいように思うんです。
 もちろん、大きく体調が変化した時はすぐに連れてきます」

先生はすんなり了承してくれた。
ただ『おしっこが出なくったら、その時はすぐに連れて来て下さい。
  急に全く出なくなるのでわかると思いますが
  そうなったらすぐに利尿剤を投与しないと危険ですから』と言った。

「利尿剤は、薬ですか?注射ですか?」と訊くと

『飲み薬もありますが、そこまで悪くなっていると飲めないと思うので
 注射で、静脈点滴で入れていきます。』と言う。

入院は避けたい。
去年、ゆずは3回も入院したけれど、去年はまだ出来ることがたくさんあった。
エリスロポエチンの注射だって、静脈点滴だって、まだ効果が望める状態にあった。
入院して元気になる可能性があったからリスクがあっても入院を決断できた。
でも、今はどうだろう?
ターミナルケアは、何よりもバランスを取ることが大切だ。
リスクと効果。生活の質。
去年とはもう状況が違う。

だから、もう1度思い切って言ってみた。
「静脈点滴ということは、入院ですよね?
 入院しないでは出来ないでしょうか?
 もう、入院させるのは可哀想です。
 もちろん、それだけ体調が悪いから入院するんですが
 入院中にゆずに何かあるのが一番嫌なんです。
 最期は家で過ごさせてあげたいんです」

先生は『ゆずちゃんは十分頑張ってきましたよね。
 そういうことであれば、注射と内服薬で対応しましょう』
 と言ってくれた。

そう、ゆずはもう十分過ぎるくらいに頑張ってきた。
もう頑張らないでいい時期にきたのかもしれない。

ただ、輸液と投薬はゆずの体が受け付けてくれる限り続けるつもりでいる。
ご飯も色々工夫して食べてもらうつもりでいる。
生きる気持ちを可能な限り最期までサポートする。
私が頑張ることは変わらない。

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病院から帰宅後、小さく千切ったイカのお刺身をあげてみた。
ゆず、目の色を変えて2切れだけペロリと平らげた。
その後、サイエンスダイエットシニアの缶詰を20gほど指で口に入れる。
あまり無理して吐いてしまうのが怖いので
今日のご飯は終了。
カリカリはいつでも食べられるよう数種類を出しておいた。

どうかもう苦しくないように・・・
寝る前に気合を入れて念じた。