このブログを始めた時は、単なる記録のつもりだった。
でもいつからか、自分の頭の中を整理し心を落ち着かせるために
いろいろ思うことを書くようになった。
実はこの記事は、10月8日に(ゆずが亡くなる前に)書いたものだけど
上手くまとめられなくて草稿中のまま放置していた。
そのまま没と思ってたのだけど
ちょっと書き直したのでアップすることにする。
(書き直した割にはまとまってないけれど)
----------
ゆずが腎不全と宣告されたのは去年の3月。
入院するたびにいつもハラハラしたし
それが本当にゆずのためになるのかと自問自答もしたけれど
不思議と諦めようと思ったことはなかった。
いつも心がけるように努めたのは
「人事を尽くして天命を待つ」
つまり「人間として出来る限りのことをして、その上は天命に任せて心を労しない」(広辞苑)ということ。
悪いことを想像して鬱々する時間があったら
少しでも結果が良くなるよう、今出来ることをするということ。
そうは言っても、未熟者だから、時には前向きでいられず
ぐるぐるしていることも多々あった。
そんな時は、同じように頑張ってる猫さんの記録を読んで勇気をもらったり
某掲示板でぐるぐるを吐き出させてもらったりして
なるべく引きずらないよう気をつけていた。
ある時、たまたま検索をかけていたら、ガン闘病している猫さんのブログに行き当たった。
飼い主さんは、ガンの進行を抑えるための抗癌剤を点滴することで
確実に腎臓にダメージを与えていることの不安を綴りつつ
「ターミナルケアとは、まず何よりもバランスを取ることであり、その鍵は飼い主が握っている」とし、猫さんの体が受け入れられる限り今の治療を続けることを真っ直ぐに決意されていた。
また「命はどんなに苦しいときでも常に生きようとするものだと思ってますし、生きようとする気持ちをサポートするのが飼い主としての責任だと思っています。
逆に言うと、安楽死と言う選択はありえません」と毅然と宣言されていた。
ぐるぐるしていた私は、飼い主さんのきっぱりとした態度に、言葉に、
ハッとさせられ、身が引き締まった。
「人事を尽くして天命を待つ」に加えて
「バランスをとる」「生きようとする気持ちをサポートする」
この二つも心がけていこう、そう思った。
腎不全は不治の病だから、もちろん、人によって、猫さんによって、
選択は様々でこれが正解というのはないと思うし、
飼い主さんが考え抜いてした決断はどれも正解であると思う。
だから、先の心がけとは矛盾するようだけど、
ガンの猫さんを支える飼い主さんの決意とは異なるけど、
私の中では安楽死という選択はありだった。
苦楽の「バランス」。
その生が苦でしかないなら、安楽死を選択することもありだと思うのだ。
(幸いにもそんな選択をしないで済んだのだけども)
「生きようとする気持ちをサポートする」については
闘病生活の中にも楽しいと思えるようなことを作ること
出来る限りゆずの好きなことをしてあげることではないかと考えた。
もちろん「バランス」をとりながら。
輸液はゆずにとって苦だろうけど、輸液をしないで脱水・尿毒症が進むことの苦と比べればしてあげた方が楽になるから、ゆずの体が受け入れられる限り続けた。
通院もゆずにとっては苦だけど、エリスロポエチンの注射で体調の良さを維持できれば結果としては楽になるのでこれもやはり続けた。
甘エビ作戦は苦である通院を少しでも楽に感じてもらうための作戦だ。
子供騙しみたいだけど、結果は良好だったと思う。
お散歩はゆずの楽しみだから、出来る限り続けた。
ゆずが歩けない時は抱っこして、寒い時は毛布で包んで、出来る限り散歩した。
なるべく低淡白・低ナトリウム・低リンのフードを心がけたけど
食べてくれないことには体力がもたないから、
状況に応じてゆずが好むフードを食べてもらって体重維持に努めた。
去年は何度も入院させた。静脈点滴3回に、輸血が2回。
いずれも、ゆずがぐったりしてしまった時だ。
入院はゆずには苦だったと思うけど、入院していなかったら
もっと早くに☆になってしまったと思うし
今年に入ってからのあの楽しく土手を駆け回った時間を得ることはなかったと思う。
だから後悔はしていない。
もちろん、こうした判断はあくまでも私の判断だ。
良かれと思ってやったことでも、ゆずにとっては迷惑この上ないことだったろうと思う。
でも、判断するのはどんな時でも飼い主だ。
飼い主の責任は重い。
信頼できる先生に意見を聞き、ゆずの様子を見ながら、一つずつ考え考え判断していくしかないのだ。
----------
ブログを始めた時から心がけていたことが、実はもう幾つかある。
「ブログに(腎不全闘病以外の)愚痴は書かない」
「良いことは積極的に口にする。文章にする」
「何でも前向きに受けとめる」
「小さいことでクヨクヨしない。イライラしない」
「1日1日を感謝する」
「楽しく過ごす」
よく言われる運を良くするコツとやらを全部実行に移した(笑)
クールなリアリストを目指してる(ホントか?)わりに
やってるのはそんなことかいっ!って感じだけど
世の中には努力だけでは越えられないものがある。
努力プラスα がなければ。
そのα こそ、運というものじゃないだろうか。
もちろん運だけでも超えられない。
まずは出来る限りのことをする。
それが先。
それから運を味方につけるべく日々過ごす。
不治の病だと、どうしても暗くなりがちだけど
なるべく良いことを見つけて口にする。
これは自分自身へのマインドコントロールにもなる。
スポーツ選手がよく「出来る!出来る!」と自分に暗示をかけるように
私も自分とゆずに暗示をかけた。
「ゆずはミラクルラッキーキャットだ」(実際ゆずはミラクルだった)
「ゆずはすごい」(実際すごい子だった)
「大丈夫。絶対大丈夫!」
「ゆずは良い子だから絶対発作は起こらない」
「ゆずは良い子だから絶対苦しいことなんかない」
「大丈夫。ちゃんと最後まで私は頑張れる」
あんまり頑張りすぎるとポキンと折れそうになるから
時々は息抜きも必要。
無理せず、出来る範囲で。
----------
実は明日は会社をズル休み。
(ズルといっても別に忙しくないし有休とっただけだけど)
ちょっと疲れが出た。
ゆずがいなくなって、頑張らなくてよくなったら
心が弱くなったみたい。
午前中は猫達とまったりのんびり過ごすつもりだ。
午後からは、散歩がてら埼玉県立近代美術館に行こうかなと思う。
藤田嗣治の絵が確かあったはず(1枚だけど)。
ベルギーの美術館の作品もきていたはず。
芸術の秋第2弾ということで、ちょっと心をリフレッシュだ!
でもいつからか、自分の頭の中を整理し心を落ち着かせるために
いろいろ思うことを書くようになった。
実はこの記事は、10月8日に(ゆずが亡くなる前に)書いたものだけど
上手くまとめられなくて草稿中のまま放置していた。
そのまま没と思ってたのだけど
ちょっと書き直したのでアップすることにする。
(書き直した割にはまとまってないけれど)
----------
ゆずが腎不全と宣告されたのは去年の3月。
入院するたびにいつもハラハラしたし
それが本当にゆずのためになるのかと自問自答もしたけれど
不思議と諦めようと思ったことはなかった。
いつも心がけるように努めたのは
「人事を尽くして天命を待つ」
つまり「人間として出来る限りのことをして、その上は天命に任せて心を労しない」(広辞苑)ということ。
悪いことを想像して鬱々する時間があったら
少しでも結果が良くなるよう、今出来ることをするということ。
そうは言っても、未熟者だから、時には前向きでいられず
ぐるぐるしていることも多々あった。
そんな時は、同じように頑張ってる猫さんの記録を読んで勇気をもらったり
某掲示板でぐるぐるを吐き出させてもらったりして
なるべく引きずらないよう気をつけていた。
ある時、たまたま検索をかけていたら、ガン闘病している猫さんのブログに行き当たった。
飼い主さんは、ガンの進行を抑えるための抗癌剤を点滴することで
確実に腎臓にダメージを与えていることの不安を綴りつつ
「ターミナルケアとは、まず何よりもバランスを取ることであり、その鍵は飼い主が握っている」とし、猫さんの体が受け入れられる限り今の治療を続けることを真っ直ぐに決意されていた。
また「命はどんなに苦しいときでも常に生きようとするものだと思ってますし、生きようとする気持ちをサポートするのが飼い主としての責任だと思っています。
逆に言うと、安楽死と言う選択はありえません」と毅然と宣言されていた。
ぐるぐるしていた私は、飼い主さんのきっぱりとした態度に、言葉に、
ハッとさせられ、身が引き締まった。
「人事を尽くして天命を待つ」に加えて
「バランスをとる」「生きようとする気持ちをサポートする」
この二つも心がけていこう、そう思った。
腎不全は不治の病だから、もちろん、人によって、猫さんによって、
選択は様々でこれが正解というのはないと思うし、
飼い主さんが考え抜いてした決断はどれも正解であると思う。
だから、先の心がけとは矛盾するようだけど、
ガンの猫さんを支える飼い主さんの決意とは異なるけど、
私の中では安楽死という選択はありだった。
苦楽の「バランス」。
その生が苦でしかないなら、安楽死を選択することもありだと思うのだ。
(幸いにもそんな選択をしないで済んだのだけども)
「生きようとする気持ちをサポートする」については
闘病生活の中にも楽しいと思えるようなことを作ること
出来る限りゆずの好きなことをしてあげることではないかと考えた。
もちろん「バランス」をとりながら。
輸液はゆずにとって苦だろうけど、輸液をしないで脱水・尿毒症が進むことの苦と比べればしてあげた方が楽になるから、ゆずの体が受け入れられる限り続けた。
通院もゆずにとっては苦だけど、エリスロポエチンの注射で体調の良さを維持できれば結果としては楽になるのでこれもやはり続けた。
甘エビ作戦は苦である通院を少しでも楽に感じてもらうための作戦だ。
子供騙しみたいだけど、結果は良好だったと思う。
お散歩はゆずの楽しみだから、出来る限り続けた。
ゆずが歩けない時は抱っこして、寒い時は毛布で包んで、出来る限り散歩した。
なるべく低淡白・低ナトリウム・低リンのフードを心がけたけど
食べてくれないことには体力がもたないから、
状況に応じてゆずが好むフードを食べてもらって体重維持に努めた。
去年は何度も入院させた。静脈点滴3回に、輸血が2回。
いずれも、ゆずがぐったりしてしまった時だ。
入院はゆずには苦だったと思うけど、入院していなかったら
もっと早くに☆になってしまったと思うし
今年に入ってからのあの楽しく土手を駆け回った時間を得ることはなかったと思う。
だから後悔はしていない。
もちろん、こうした判断はあくまでも私の判断だ。
良かれと思ってやったことでも、ゆずにとっては迷惑この上ないことだったろうと思う。
でも、判断するのはどんな時でも飼い主だ。
飼い主の責任は重い。
信頼できる先生に意見を聞き、ゆずの様子を見ながら、一つずつ考え考え判断していくしかないのだ。
----------
ブログを始めた時から心がけていたことが、実はもう幾つかある。
「ブログに(腎不全闘病以外の)愚痴は書かない」
「良いことは積極的に口にする。文章にする」
「何でも前向きに受けとめる」
「小さいことでクヨクヨしない。イライラしない」
「1日1日を感謝する」
「楽しく過ごす」
よく言われる運を良くするコツとやらを全部実行に移した(笑)
クールなリアリストを目指してる(ホントか?)わりに
やってるのはそんなことかいっ!って感じだけど
世の中には努力だけでは越えられないものがある。
努力プラスα がなければ。
そのα こそ、運というものじゃないだろうか。
もちろん運だけでも超えられない。
まずは出来る限りのことをする。
それが先。
それから運を味方につけるべく日々過ごす。
不治の病だと、どうしても暗くなりがちだけど
なるべく良いことを見つけて口にする。
これは自分自身へのマインドコントロールにもなる。
スポーツ選手がよく「出来る!出来る!」と自分に暗示をかけるように
私も自分とゆずに暗示をかけた。
「ゆずはミラクルラッキーキャットだ」(実際ゆずはミラクルだった)
「ゆずはすごい」(実際すごい子だった)
「大丈夫。絶対大丈夫!」
「ゆずは良い子だから絶対発作は起こらない」
「ゆずは良い子だから絶対苦しいことなんかない」
「大丈夫。ちゃんと最後まで私は頑張れる」
あんまり頑張りすぎるとポキンと折れそうになるから
時々は息抜きも必要。
無理せず、出来る範囲で。
----------
実は明日は会社をズル休み。
(ズルといっても別に忙しくないし有休とっただけだけど)
ちょっと疲れが出た。
ゆずがいなくなって、頑張らなくてよくなったら
心が弱くなったみたい。
午前中は猫達とまったりのんびり過ごすつもりだ。
午後からは、散歩がてら埼玉県立近代美術館に行こうかなと思う。
藤田嗣治の絵が確かあったはず(1枚だけど)。
ベルギーの美術館の作品もきていたはず。
芸術の秋第2弾ということで、ちょっと心をリフレッシュだ!