ももちゃん。25日朝、永眠しました。1994年6月生まれなので、あと3カ月で21歳でした。

ももは、だいぶ前から、1日のほとんどを寝て過ごしていましたが、朝晩の雄叫びは絶好調だったし
ご飯は「あれヤダ!これヤダ!」と好き嫌いしつつ少量ながらもウエットなら食べてましたし、足腰もしっかりしていて、トイレもちゃんと自分で行っていました。
今年で21歳のお婆ちゃんだから、寝ていることが多いのも、小食なのも自然なことだし、そんな感じでずっと過ごしていくように思っていました。
12日、左頬が腫れて病院に行きました。
口内炎・歯肉炎が悪化して腫れているのですが、老齢のももには麻酔して抜歯という手がとれないため、抗生剤と消炎鎮痛剤を打つことしかできませんでした。脱水のため輸液もしました。
この日、ももは、マグロの刺身なら少し食べてくれましたが、翌日からはもう何も食べなくなりました。焼いたブリとか好きだったのだけど、それさえも食べなくなりました。
17日、腫れた頬が破れたので、病院で膿を出して消毒してもらいました。頬の腫れは、膿が出せたおかげで、何とかひいてくれました。
この頃から、ももは足に力が入らないようで、自力でトイレにはいけなくなってしまいました。
コタツ上で丸くなって寝るのも辛くなっているようで、私の寝ているベッドに来たがったため、ベッドの脚を取り去って低くし、ペットシーツを敷きつめ
クッションでバリケードを築いて、ももがベッドから落ちないようにして、ももの居場所を作りました。
ももは、クッションや折り畳んだタオルを枕にして、毛布を肩までかけて、人間のように寝ていました。
ゴハンは、ももが自分で食べなくなってしまったため、頬の腫れが引いてから、キドナやa/d缶を、朝・晩シリンジで、歯のある口の両脇にゴハンがあたると痛いので、口の奥の方に落とし込むようにして飲んでもらってました。
水は、お猪口を口元に持っていって、ももが飲めるだけあげていましたが、起き上がって飲むのがつらそうな時は、ペットチニックに付属しているスポイトで飲ませていました。
20日、水さえも痛くて飲めなくなってしまったので、病院で輸液後に消炎鎮痛剤を打ってもらいました。
23日、再度、輸液と抗生剤と消炎鎮痛剤の注射のため通院した時、脱水がかなりあるので、自宅で輸液をした方がいいかどうかを先生と相談し、1日起きに朝輸液をすることになって、自宅輸液セットを出してもらいました。
帰り際、てんかん発作を起こしたため、てんかんを止める注射を打ちました。この時、先生から、自宅でてんかん発作を起こしたら、座薬をいれるよう指示されました。
24日朝、a/dをあげてから輸液を120mmくらいしました。
朝の様子は普通だったのに、夜、帰宅すると、ももは顔を起こすこともできないくらい、状態が悪くなっていました。
10時過ぎくらいにてんかん発作を起こしたので、すぐに座薬を入れました。暫くして座薬が効いてからは昏睡しているようでした。
25日、朝5時半くらいに一度目が覚めて、私を見て1回だけかすれた声で鳴きました。スポイトで水をほんの少し湿らせる程度飲むとまた眠り、
その後はもう目覚めることはなく、8時半少し前に永眠しました。

昔のアップしていなかった写真です。
具合が悪くなってからは可哀そうで、頬が腫れている姿も、頬の傷も痛々しくて、写真を撮ることができませんでした。

2012年に口内炎で通院した後のももの写真。
ちょっと口が痛そうな表情をしています。この時は抗生剤で何とか治ったのでした。。
頬が腫れて病院に行くまでは、ゴハン食べて、トイレにいってとごく普通に生活していたのに、病院に行ってからたったの2週間で…
ももは駆け足で旅立ってしまいました。
口が痛いのは辛いから、長引くより良かったのかもしれません。
今年で21歳だから、いつどうなってもおかしくない年齢であることは頭にあったはずなのに
ミニのように、食欲廃絶から強制給仕を経て自力で食べられるようになるまでに復活するのではないかと…
希望的観測であれこれしてしまった飼い主でした。
最後は羽のように軽くなってしまっていたのに。

26日に、とらと同じ深大寺動物霊園に行ってきました。
霊園の方から「ももちゃんは脚の長い猫ちゃんですね」と言われました。
元気な時は丸々してたから気づかなかったけど、確かにももちゃんは脚長さんでした。
そして、ももちゃんはみんなに優しい良い子でした。

ミニたんともケンカしないでくっついてくれたし

甘えっ子コブちゃんの面倒もよくみてくれたし

とらちゃんとも実の姉妹のように仲良しでした。
最後まで、ももちゃんは可愛くていい子でした。
ももちゃん、ありがとう。
いたらない飼い主でごめんなさい。

ももは、だいぶ前から、1日のほとんどを寝て過ごしていましたが、朝晩の雄叫びは絶好調だったし
ご飯は「あれヤダ!これヤダ!」と好き嫌いしつつ少量ながらもウエットなら食べてましたし、足腰もしっかりしていて、トイレもちゃんと自分で行っていました。
今年で21歳のお婆ちゃんだから、寝ていることが多いのも、小食なのも自然なことだし、そんな感じでずっと過ごしていくように思っていました。
12日、左頬が腫れて病院に行きました。
口内炎・歯肉炎が悪化して腫れているのですが、老齢のももには麻酔して抜歯という手がとれないため、抗生剤と消炎鎮痛剤を打つことしかできませんでした。脱水のため輸液もしました。
この日、ももは、マグロの刺身なら少し食べてくれましたが、翌日からはもう何も食べなくなりました。焼いたブリとか好きだったのだけど、それさえも食べなくなりました。
17日、腫れた頬が破れたので、病院で膿を出して消毒してもらいました。頬の腫れは、膿が出せたおかげで、何とかひいてくれました。
この頃から、ももは足に力が入らないようで、自力でトイレにはいけなくなってしまいました。
コタツ上で丸くなって寝るのも辛くなっているようで、私の寝ているベッドに来たがったため、ベッドの脚を取り去って低くし、ペットシーツを敷きつめ
クッションでバリケードを築いて、ももがベッドから落ちないようにして、ももの居場所を作りました。
ももは、クッションや折り畳んだタオルを枕にして、毛布を肩までかけて、人間のように寝ていました。
ゴハンは、ももが自分で食べなくなってしまったため、頬の腫れが引いてから、キドナやa/d缶を、朝・晩シリンジで、歯のある口の両脇にゴハンがあたると痛いので、口の奥の方に落とし込むようにして飲んでもらってました。
水は、お猪口を口元に持っていって、ももが飲めるだけあげていましたが、起き上がって飲むのがつらそうな時は、ペットチニックに付属しているスポイトで飲ませていました。
20日、水さえも痛くて飲めなくなってしまったので、病院で輸液後に消炎鎮痛剤を打ってもらいました。
23日、再度、輸液と抗生剤と消炎鎮痛剤の注射のため通院した時、脱水がかなりあるので、自宅で輸液をした方がいいかどうかを先生と相談し、1日起きに朝輸液をすることになって、自宅輸液セットを出してもらいました。
帰り際、てんかん発作を起こしたため、てんかんを止める注射を打ちました。この時、先生から、自宅でてんかん発作を起こしたら、座薬をいれるよう指示されました。
24日朝、a/dをあげてから輸液を120mmくらいしました。
朝の様子は普通だったのに、夜、帰宅すると、ももは顔を起こすこともできないくらい、状態が悪くなっていました。
10時過ぎくらいにてんかん発作を起こしたので、すぐに座薬を入れました。暫くして座薬が効いてからは昏睡しているようでした。
25日、朝5時半くらいに一度目が覚めて、私を見て1回だけかすれた声で鳴きました。スポイトで水をほんの少し湿らせる程度飲むとまた眠り、
その後はもう目覚めることはなく、8時半少し前に永眠しました。

昔のアップしていなかった写真です。
具合が悪くなってからは可哀そうで、頬が腫れている姿も、頬の傷も痛々しくて、写真を撮ることができませんでした。

2012年に口内炎で通院した後のももの写真。
ちょっと口が痛そうな表情をしています。この時は抗生剤で何とか治ったのでした。。
頬が腫れて病院に行くまでは、ゴハン食べて、トイレにいってとごく普通に生活していたのに、病院に行ってからたったの2週間で…
ももは駆け足で旅立ってしまいました。
口が痛いのは辛いから、長引くより良かったのかもしれません。
今年で21歳だから、いつどうなってもおかしくない年齢であることは頭にあったはずなのに
ミニのように、食欲廃絶から強制給仕を経て自力で食べられるようになるまでに復活するのではないかと…
希望的観測であれこれしてしまった飼い主でした。
最後は羽のように軽くなってしまっていたのに。

26日に、とらと同じ深大寺動物霊園に行ってきました。
霊園の方から「ももちゃんは脚の長い猫ちゃんですね」と言われました。
元気な時は丸々してたから気づかなかったけど、確かにももちゃんは脚長さんでした。
そして、ももちゃんはみんなに優しい良い子でした。

ミニたんともケンカしないでくっついてくれたし

甘えっ子コブちゃんの面倒もよくみてくれたし

とらちゃんとも実の姉妹のように仲良しでした。
最後まで、ももちゃんは可愛くていい子でした。
ももちゃん、ありがとう。
いたらない飼い主でごめんなさい。