ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

復興への証の錦鯉を

2011年07月18日 | Weblog
 あの大震災から4ヶ月が過ぎようとしている。
いまだ、被災地の復興の道筋がみえない、それどころか、
まだ、被害の全容が見えないところがあって、津波の被害での
地盤沈下、農地の被害、仮設住宅の確保、そして、義援金の配布すら
いまだなされていない、日本は後進国なみの、政府の対応である。
 
いつも言われる、「日本人は辛抱が強い、侍の国だ」。などともてはやされて
その言葉が、我慢の糧になっているそうだが、それも、この政府の無策と
対応の悪さであれば、被災地の人達の怒りは限界に達しており、
馬鹿な政治家たちに怒りも感じなくなくなり、あきらめにも似た
ため息ばかりが出てくるばかりで、
日本は政治の危機を叫ばなければならない。

 我々庶民が出来る唯一の復興は、被災地への関心を持ち、自分の出来る
ことからやればと思う。

 この8月6日に南相馬市鹿島区内の2箇所の池、ひとつは男山八幡神社、
鹿島区役所前の池に、中越地震での旧山古志村の養鯉業者からの
錦鯉を放流する計画を進めている。

 5月にいわき市の四倉小学校の池に放つ予定であったのだが、急遽、四倉小学校
の都合ふが生じ、中止となった経緯があるので、このたびは、充分に受け入れ先と
また、持ち込む側が十分な連絡をとり、意義のあるものにしたい。

 この計画は、神戸から福島県に友人の支援に行った、平井聡明さんが、現地の人達との
交流関係が深くなり、更なる支援が出来ないかとの話から始まった。

 復興の証となる、山古志の錦鯉が、福島のこれからの復興への力の一助となれば
と思う。

 写真  放流予定先の南相馬市男山八幡神社境内池  鹿島区役所前池
            宮司 西 道典氏