☆どのみちこの道!☆

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慰労品と祖父を見て想う

2007年11月27日 | ひとりごと
先日、以前より祖父が請求していたものが届きました。

平和祈念事業基金からの特別慰労品です。

旅行券や買い物券に引き換えられる10万円分のチケットです。

祖父は、戦後シベリアに強制抑留され、たしか6年ほど強制労働していた・・・・というのは聞いていました。

でも、国から何の手当ても出ていない事を私が知ったのは、去年、劇団四季が公演した「異国の丘」の宣伝をテレビで見てから。ニュース番組の特番だったと思いますが、抑留された方(たぶん全国抑留者補償協議会の方?)が当時のお話をされてたように記憶しています。
そして、今年に入ってから新聞などでも大きく、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止で、事業対象となる方に請求するようにという呼びかけが載っていました。


初めは、「おじいさん、もらえるもんはもらっておかなアカンね。早く請求しないと~~」と言っていました。祖父も「そうするわ~。売っぱらってお金にかえて、たまには豪華に食事でも行こうか~」「そうしよ~♪」

と軽い気持ちだったのですが、なかなかこない引き換えチケットを待つ間、ニュースで特集されたり、自分で調べたりしていたら、このシベリア抑留者に対しての国の冷酷さに、戦争も知らず、政治もうとい、おっぺけペな私でさえ怒りがこみ上げてきました。

望んで戦地へ赴いたわけでもないのに。
捕虜にならざるを得なかったのに。
労働に対して賃金が払われるのは当たり前なのに。
たった10万か!
しかも、請求してこいだと! そっちが調べて送って来いや!

私でさえ言いたい事は山ほどあるのですが、当の本人は、

「もし、戦地が南方なら自分は死んでた気がする。辛かったけど帰れただけ運が良かった。そういう時代やったからなぁ~」と言います。

祖父はもう、怒りの頃をすぎたのかそう言いますが、極寒地での労働の為か、多くの抑留者がそうであるように、心臓が弱くなり引揚後も何度か倒れ、昔から沢山の薬を飲んでいます。それでも、帰ってきてくれたおかげで、祖母と結婚し、母や伯父、私が生まれます。私が目で見ることができる、一番古い私のルーツの祖父。

もともと無口で、戦時中の事などほとんど話さないけれど、どう表現していいやらわからないほどの苦労をしたのだろうなと思いました。未だに入院したり、手術しても、未だに「痛い・苦しい」と言いません。余計痛々しいんですけど。
これが、「そういう時代」を生き抜いた人なんでしょうねー。

それにしても、母にしろ伯父にしろ(私もだな)どうしてこの、祖父の忍耐強い、「男はだまってマイルドセブン」(←特に意味ないけどCM思い出した)みたいなところを誰も引き継いでいないんだろうなーーー( ̄∇ ̄;)アハハ


お話を戻しますが、夏ぐらいにニュースで、
「帰還した約47万人の8割は亡くなっており、対象者は高齢。時間との戦いなのだから、もっと迅速に手続きをしてもらいたい」と言っておられる方がいました。祖父も5月頃に請求し、先月ようやく届いていました。
混みあってるにしても遅いよね・・・ε=(。・д・。)フー

独立行政法人という法人全体も、天下りの巣窟&税金ドロボーな信用できない法人だなーと私は思っているのですが、せめてこの平和祈念事業基金だけでも、数年後に解散するまでぐらい、馬車馬のごとく働いて、まだ慰労品を手にしていない対象者の方の為に全力を尽くしていただきたいなと思う次第です。