桑田真澄氏の体罰反対論について、
ブログ仲間の小野原さんが記事を書いていました。
桑田氏の言葉も豊かに引用されつつまとめられているので
是非お読み下さい。
私は、学校時代、決しておとなしいいい子ではなかったので
体罰もある程度は受けてきました。
もちろん、私の場合は、愛情を感じたことも、
それで教師に感銘を受けたこともありません。
なので、立場としては体罰反対派をとると思うのですが、
とはいえ、それにまっすぐ向き合ってNo!と憤ったこともなく。
それをネタにして笑いとばし、
ますます教師の神経を逆なでし、
教師の行為の無意味化をはかるという
いや~な子どもだったわけで、
そういういい加減な姿勢では、
しっかりとした体罰反対論をもつこともできないなあと
今回、気付きました。
私の場合は、そのような教師との関係をとっても平気だったのであり、
そうでない関係におかれていたら、教師の行為はどれほど重く響くのか
もっと想像力を働かせないといけないと、ずしんと思いました。
橋下氏は、体罰を愛情だと感じる意識の改革を、と言っておられますが、
同時に、私のような、無関心層の意識改革も大事だと感じました。
無関心って、やはり、一番やっかいだと思います。
大反省。
桑田氏の立派な反対論を聞いた後では、
それに大きく影響されながらになってしまうのは避けられませんが、
自分なりに、もっとしっかり、向き合ってみようと思います。
ブログ仲間の小野原さんが記事を書いていました。
桑田氏の言葉も豊かに引用されつつまとめられているので
是非お読み下さい。
私は、学校時代、決しておとなしいいい子ではなかったので
体罰もある程度は受けてきました。
もちろん、私の場合は、愛情を感じたことも、
それで教師に感銘を受けたこともありません。
なので、立場としては体罰反対派をとると思うのですが、
とはいえ、それにまっすぐ向き合ってNo!と憤ったこともなく。
それをネタにして笑いとばし、
ますます教師の神経を逆なでし、
教師の行為の無意味化をはかるという
いや~な子どもだったわけで、
そういういい加減な姿勢では、
しっかりとした体罰反対論をもつこともできないなあと
今回、気付きました。
私の場合は、そのような教師との関係をとっても平気だったのであり、
そうでない関係におかれていたら、教師の行為はどれほど重く響くのか
もっと想像力を働かせないといけないと、ずしんと思いました。
橋下氏は、体罰を愛情だと感じる意識の改革を、と言っておられますが、
同時に、私のような、無関心層の意識改革も大事だと感じました。
無関心って、やはり、一番やっかいだと思います。
大反省。
桑田氏の立派な反対論を聞いた後では、
それに大きく影響されながらになってしまうのは避けられませんが、
自分なりに、もっとしっかり、向き合ってみようと思います。