
どこからお話すればいいのか、まとまらないまま始めます。
8年間続いたこのエブリワンブログには、いくつか私なりに誇りにしていることがあります。
一つ目は、高く旗を掲げてぶれないできたこと。
このブログを始めたころ、ほかの弁護士さんのブログのほとんどが
「普通の法律家なら、おかしいと思うやろ!?」
というような社会の動きや、政治のありかたについても、さほど激しく異議を唱えないのに疑問を持ち、言うべきこと、言いたいことをきっちり言うようにしてきました。
むしろ、弁護士さんを含めて、ほかの人が言わないこと、言えないことを思い切って書いてきたと思っています。
そこを支持してくださって、ずっと応援してくださる方がたくさんいらして、しかも読んでくださる方が増えているのだと思います。
本当にありがとうございます!
もう一つ、誇りにしているのは、このブログの記事に対する反対意見や批判の声も大事にしてきたことです。
コメントへの注意書きにも、名誉毀損や人を不愉快にするなど、掲載しない場合がいくつか列挙してはありますが、冒頭で
「コメントを歓迎しています。 記事に批判的でも一向にかまいません」
と書き、最後に
「とはいえ、堅苦しいことは言いませんので、どんどんコメントをお願いいたします!」
と念を押し、いろいろな意見の方に来ていただけるようにしています。
実際のところ、掲載しないで削除することはめったにありません。
他の政治のことを扱うブログでは、そうでないところも多いと聞きますので、全方位でさまざまなコメントを頂けているのは、このブログの特長、良いところだと自負しています。
これからも、どんどん様々なコメントをよろしくお願いいたします!
あの、後ろの看板のお店のチラシを配ってるんじゃないですからね(笑)。
ところで、ここ最近、ブログの方向性について悩んでいることがありました。
それは、旗を高く掲げてぶれないのはいいのだけれど、書きぶりがやや一方的ではないかということです。
政治家にしても、政策にしても、100%クロということはめったにないわけで、むしろ、良い面と悪い面を公平に書いた方が、書いた内容がパワーを持つんじゃないか。
反対意見の人をも動かす影響力を持ちうるんじゃないかと感じていたのです。
でも、それをするとそうでなくても長くて最後まで読んでもらえない記事が、さらに長くなりますし(笑)。
今まで、私が旗色鮮明に書いているからこそ喜んでくださっていた方々をがっかりさせるような気もして、なっかなか踏み切れなかったんです。
たとえば、実は私もこのブログで「ネトウヨその世界」という「カテゴリー」を作っていまして、今回の記事をその最終回にしようと思っていたのですが、自分でも忘れていたんですが、「嫌韓・嫌中反対」というカテゴリーの中に吸収合併していました。
ネトウヨその世界4 彼らがなぜにあんなに韓国に興味があるのかがわからない
翁長沖縄県知事の娘さんのことについてデマを流したり、SEALDSのリーダーの一人の奥田さんのご家族に危害を加えると脅迫したり、彼らに異様にしつこく罵倒のツイートを投げかけたり、元朝日新聞記者の植村隆さんがかつて朝日新聞で「従軍慰安婦」のことを書いたので、彼が非常勤講師を務める大学にまで脅迫状を送ったりご家族を貶めたりするような人たちがいて、まさにネトウヨその世界と言いたくなる独自のアカンことをする人がいるんですが、それは一つ一つ、やっている行動を批判していくことにします。
ネトウヨその世界2 翁長知事を陥れようとした田母神俊雄閣下妄言録+田母神・百田・安倍3氏おトモダチの輪
ネトウヨその世界3 百田尚樹氏 ツイッターでまたデマを流す 「アメリカのマイク・ホンダ下院議員は朝鮮人」
「従軍慰安婦」=戦時性奴隷制度1 朗報!北星学園大が元朝日新聞記者雇用継続を決める
どんな意見を持っていても、性格をしていても、行動をしていても、人は皆最高の価値を持っているのだから、お互い尊重し合えるはず。
なぜなら、ネトウヨという言葉は、とても便利なんですが、やはり差別用語のような気がしますし、人格非難でもあると思うのです。
たとえば、同じレッテル張りをするにしても、私は安保法制に協力に賛同する人のことはタカ派と書くようにしているのですが、その人の意見の内容に着目して、歴史修正主義者とか、極右とか、人種差別主義者・レイシストとか書くのは仕方ないんではないかと思うんですよね。
でも、ネトウヨはなんかその人の存在価値まで否定しているような気がするんですよ。
その人の意見の中身を批判するのは良いけれど、その人の存在を否定したらいけないと思います。それは人道に反すると思うんです。
あと、今はあまり使われないんですが、B層という言葉があって、どうもメディアリテラシーの低い人をこう呼ぶらしいんですが、これも人をAとBに分けている気がしてとても感じが悪いでしょう?
あと、影響力のあるブロガーのことをアルファブロガーと呼ぶことがあるようですが、これも人にα(アルファ)とβ(ベータ)があるようで、それこそ差別的です。
確かに、職業的に自民党に雇われて安倍政権批判をする人を叩きまくるような存在もあるので、本当に困ったことなのですが、そういう人のことはネトサポと呼べばいいのではないでしょうか。
自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC ネトサポ)のネット世論誘導 ネトウヨその世界5
「頭にウジが湧いてるんだね」。安保関連法案に反対するママの会のデモに、ホリエモンと高須院長が誹謗中傷
ドイツのキール大学で僕にナチスの偉大さを教えて下さった黒木名誉教授にお会いした。励まして下さった❗嬉しい😭なう pic.twitter.com/ngia6ijUYk
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2015, 10月 2
たとえば、こういう人たちのことは、その言動の内容面を捉えて「拝金主義者」とか「ネオナチ」とか呼べばいいと思うんです。
これ、人格非難ではなくて、やっていることや言っていることの内容に対する評価ですから。かなりギリギリですが(笑)。
私は安倍首相と橋下大阪市長は本当に危険な政治家だと思っていて、安倍政権の戦争法というような個別の政策批判とは別にそれぞれ、安倍自民党の危険性と橋下維新の会とハシズムというカテゴリーを作っているほどです。
でも、もちろんのことですが、彼らにも優れた点があるから、日本国民や大阪市民の半数の支持を受けているわけですよ。
たとえば、橋下市長に関して舌を巻くのは、大阪「都」構想住民投票で敗れるまで、記者会見を頻繁に行い、しかも延々と質問がなくなるまで続けてきたということです。
もちろん、それはメディア露出こそが橋下維新の生命線であるという計算や、彼の目立ちたがりの性格のゆえんでもありますが、とにかく、ツイッターを含めて、そこまでして自分の意見を発信してきた政治家はいませんよね。
裏で記者を取り込む政治家はいても、公の場で記者と接するというのはリスクもあるから、ほかの政治家が誰もそこまでしてこなかったんです。
しかも彼は世襲の政治家ではなく、それどころか出自のハンディもあるのに、それを自力でひっくり返して、彼一代でたった8年でここまでの影響力を持つようになったのです。
そんな凄さを持った彼が、独裁体質でなく、人権蹂躙の政治家でなかったらどんなにか素晴らしかったかと思うほどで、彼の凄みを実感しているからこそ、私は彼の危険性を一生懸命皆さんに訴えてきたわけです。
でも、これからは特に、彼の危険性ではなく、彼の政治の危険性を意識して書くようにしたいと思います。
安倍首相に関しては、橋下市長ほど凄さについていまパッと思いつきませんが(笑)、とにかくこれほど長く高支持率を維持しているのには必然性と理由があるのは間違いありません。
今回も長くなりましたが、ニュートラルでいたいという思いは伝わりましたでしょうか。
私の方向性を支持してきてくださった方々にわかって頂きたいのは、政治的に「中立」になるということではありませんので、そこはご安心ください。
もう一度言うと、良い情報と悪い情報を公平に書いた方が、かえって意見がパワーと影響力を持つんじゃないかということです。
時間と記事の長さと言う物理的な制約もありますので、毎回、丁寧には書けないと思うんですが、出来る限りはそういうスタンスを意識して、これからもこのブログを続けていきたいと考えています。
そしてこれからも、この
Everyone says I love you !
という、のどかな名前に意味があるブログをご贔屓にお願いいたします。
また、皆様の忌憚のないご意見をお待ち申し上げております。
これからも基本的人権の擁護とヒューマニズムを大切にする姿勢は微動だにしませんので、ご安心ください。
よろしかったら大変お手数とは存じますが、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
私は、つい昨今に貴ブログを拝見し、惹きつけられました。 反対意見をも尊重されるスタンスを取られるブログは、そんなにありませんから、本当に貴重です。
私自身は、政治的には、リベラルと自負していますが、天皇陛下を尊敬し、お正月には、必ず神社を参拝し、自身の信仰である浄土真宗本願寺派には、終生の信仰を捧げていますので、保守的な一面をも有しています。
ただし、自分が受けた法学教育の影響で、日本国憲法を厳守する立場であるのは、如何なる政党政派や団体からの影響も受けず、普遍のものに変わりはありません。
天皇陛下を尊敬するのは、その立場からのものです。 ご自身が現憲法を厳守されておられるのが私等の眼にも鮮明に映ります。 安倍首相とは絶対的に相違します。
願わくは、この国にも、北欧諸国や英国のように、君臨するも統治せずの君主を頂きながら、民主主義の原理で国を治める政治を望みたいものです。
前世紀には、左右の極端な政治原理で、国と国民を滅亡の淵に誘った諸国の運命を見たのですから、バランス感覚を保った政治が望まれるのです。
貴ブログが、そのための一助になることは間違いがありません。 今後とも宜しくお願いします。
70年前のクーデターを知らないなら、なにも解決しない。
在日とは、つまり、天皇の家族だととらえています。 創価もしかり。
天皇制を維持するには、米マフィアと共存することが前提で、とくに維新のクーデターとは、その後、国が正常になることなどありえない出来事。 そのまま、その地位にいるのですから。
また、皆さんのご意見にも背景があって、当たり前のことですが、人それぞれが「一色」ではないことがわかって、とてもありがたいし、記事を書いてよかったと思います。
このブログが、様々な方がお互いの意見を持ち寄って、建設的な意見を出しあえるようになるといいなと思います。
皆さんが先生で、私が民主主義学校の生徒ですから、よろしくお願いいたします<m(__)m>。
ニュートラルでいるのは難しいですね
「自分は中立だ」と思わずに、「自分は中立になりたい」と願い続けなくてはいけないのですから
個人的には、「論破」という言葉も死語にしたいと思っています。
「より論理的な方に軍配が上がる」という意味ではなく、「とにかく口先でフルボッコにした方が勝ち。勝った方の言うことが全て正しい」のような風潮になっているのが嫌でたまらないからです。
以前ディベートの記事もありましたが、現実の世界でより必要なのは、勝敗を決するディベートではなく、意見をすり合わせてベストな方法を共に探る「ディスカッション」だと考えます。
頭に血が上りやすい自分への反省も込めて。
させて頂くことが多かったのですが、この記事を読んで少し反省しました。自分の意見は変わりませんが、今後は批判的なりに刺々しさや嫌味の無い様気をつけようと思います。
それから8年間もの長きに渡って、政治ブログといういろんな意味で"やさしくない"分野でブログを続けて来られたこと、尊敬します。いろいろと勉強になる記事も多いです。
尚、安倍総理の凄いところですが私は何と言っても「いい意味で空気が読めない」ことだと思いますね。決して英語が得意じゃないのにアメリカの議会で演説したり
中韓のトップにそれぞれの国の言語で話しかけてみたのに無視されてもめげない!大した精神力だと思いますよ。
(1)中立の、局外中立の;中立国の
(2)不偏不党の、公平な;中庸の;中間の、無関心の
(3)〔どちらとも〕はっきりしない、不定の;〔色が〕くすんだ、灰色じみた
とありまして、ray 先生のスタンスはこの「中庸」なのかなと思いました。
○でも物事は突き詰めれば善も悪も無いのですから、何事かを批判すれば、必ずそこには何らかの「偏り」があると言えます。
○「不偏不党」を謳っている新聞だって、実際には思いっきり「偏っている」のが現実ですよね。
○ですから「ニュートラル」を心掛ける必要なんて無いんですよ。大事なのは事実と道理に忠実である事だけですよ。