今日はいいお天気でした。秋晴れって感じの高い空でした。
今日は思いがけず、探し物をせねばならぬこととなり
急にうちに居られることになりました。
下手すると一週間以上戻れない日が多いので、
(月に6日位しか家に居られないのが現状なんですね~)
そんな偶然がちょっと嬉しかったです。
探し物は無事に夕方暗くなってから出てまいりました。善かった(^^)
「探し物」って過去と出会うことだったりしますね。
今日探してた物は「写真」でした。
あるお友達に貸して差し上げるのです。
懐かしい写真を見ながら、今の自分が居るところを振り返りながら
そして、久々に秋の空と夕月を見上げながら、
はぁ・・・・秋だわぁ・・・とシミジミ。
秋って暑かった空気が和らいで、ほっかりとしたあたたかさになります。
光は白く照りつける強いまるで剣のような鋭い光から
黄金色のやわらかい慈愛に満ちた金色に変ります。
花は散るけれど、その先に種を包み込んだ実を実らせます。
朝の神聖なひんやりした空気にショールを羽織ると
誰かに抱きしめられているようにぬくぬくになります。
街に目をやると人はあたたかな服装をして、
店頭にはおいしそうな秋の実りが並んでいます。
みんな、みんなが優しい実りの時を迎えるようです。
先日、熟成の時だと書きましたが、その時の一つ一つは
過去と言う時間を経て、実りの時を迎えるのですね。
写真の一枚一枚に刻まれた時がなければ私はここに居ませんでした。
昨日、ミクシーで友人とマイミクさんのメール交換をしました。
このお友達の一人ひとりも、今日を作ってくれた人たちです。
そして明日を作っていく、熟成の時を共に過ごす人たちです。
こうして写真を見ながら、今日の彼らにメール交換できる幸せを思いました。
いまこそ、彼らはわたしの大事な「友」なのです。
家族もまた時間を通して熟成を重ねてゆきますね。
そしてそれは日々、小さな実りを迎えるのだと思います。
先日、バレエの中山りん子先生が
お子様のれいちゃん(2歳)を連れてこられました。
れいちゃんはキッズバレエに参加してくれています。
とっても元気でおしゃまさんでやんちゃさんで
2歳とは思えないくらいお話も上手で、
身体も上手に動かす女の子ちゃんです。
そのれいちゃんにとっても感心するのは
たとえばママが「これはお友達に貸してあげようね」とか
「後からこうしようね」と言うとするでしょう?
すると、すーっという事を聞けるのです。
まだ自分自身を扱うのが精一杯で他者を思いやるという感覚の薄い
2歳くらいのこどもにとってそれはとっても難しいことです。
「すごいねえ、関心だねえ」といいますと、
りん子先生がこう言いました。
「生まれた時からね、あの子に話した事は絶対にやるようにしていたの。
絶対に嘘をついたり、裏切ったりしちゃいけないと思って
それだけは大事にしていたの。だからじゃないかな?
たとえばね、「後で遊んであげるね」って言って待っててくれたら
自分がどんなに忙しくても、絶対に5分でも10分でもいいから
絶対に遊んであげるようにしてたの。
だかられいちゃんは待てるんじゃないかな。」
う~ん、なんて素敵なんだろうか~。すばらしい!
約束を守れるって本当に素敵なことです。
小さな子供との約束はうわべだけになりがちだったり、
最初からごまかすつもりだったりしがちなのに
りん子ママは素晴らしいです!誠実です。素敵です。
このお話を伺いながら、ああ、これも一つの実りだな~と思ったのでした。
うちはご縁あって、自分の中の善きものと呼応していることもあり
シュタイナーや自然教育のクラスをやっていますが
りん子先生をはじめ、そういうのを知らない関係者の方も一杯居ます。
フツーにテレビみたり、駄菓子食べさせたり、そういう生活の人も多いです。
だから中には、ロハスな生き方をしてないし、
シュタイナー的子育てからは遠い生活をしているので、
ここに来るとそんな生き方を否定されるのではないか?
と思っていらっしゃる人もお出でのようです。
でも~、私はそういう絶対責めたりしませんよ~。
テレビが悪いとも、食べ物が悪いとも、育て方が悪いとも言いません。
どの生き方のなかにも素晴らしいものがあります。
大切なのは「教育方法」ややっている事そのものより、
それを与えている親や周りの人たちの「愛」の部分であると私は思っています。
親が愛を持ってこれはいいと思ってやっていることなら、
それはそれで一番素敵なことではないかと思います。
そしていつかこども達がその愛に気づいてくれたなら、なお素晴らしいと思う。
それは10人居れば10通りの愛の形があるように、
それぞれが持っている素晴らしさや善いと思うものを
シェアしあって認め合って、生きて行けたらと願っています。
りん子先生もシュタイナーの事はよく知らないけれど、
ここはあたたかなおもちゃがあって、木があっていいわ~と言ってくださいます。
だかられいちゃんを連れてきたいんだ~って。
それで十分。善いものとはきとそういうものなのです。
きっと自然と「いいなあ」とそう感じるものなのです。
ここで仲良しのお姉ちゃん達はれいちゃんと一緒に遊んでくれます。
森のレストランを開いたり、妖精や天使になったりします。
普段のれいちゃんの遊びの中にそういうものが現れるようになったそうです。
そして「素敵」「可愛い」と優しい言葉を一杯つかうようになりました。
こんな風に共存して認め合って溶け合って行けたらいいなあ。
こどもの様に善きものを構えず、触れて持ち帰れる、
そんな人間関係や日々の学びであったら良いですね。
「○○はこうだからダメなんだ」
否定の言葉からは喜びは生まれない気がします。
だから、それぞれの良いところを認めて歩んで生きたいです。
もちろん、その方の信じるところはドンドン信念をもってなさればよいと思います。
それはとても大事だし、素晴らしいことだから。
だからこそ、人はその人の持っているものに感動するのだし(^^)
そうそう、もう一つ、実りの時で素敵な話があるんですよ~。
今日の写真はこの間のにじみ絵の授業でかかれた
「さるかに合戦」のかにと柿なんですが、
今日の作品を書いてくれたご家族のお話です。
夫婦って、家族って時々とっても難しいですよね。
「家族だから」って言う理由で相手に過度に期待したり、求めたりしてしまう。
それが苦しくなって、親子喧嘩が耐えなかったり、夫婦が上手く行かなかったりしてしまいます。
でも、それって「許しあってる」から出来ることなんじゃないかな、って思うんです。
心を許しているから、誰にもできないような態度が取れる。
「甘え」もまた「愛」の現れの一つです。
もちろん、そこに生まれる色々な「ジェラシー」もそうですね。
家族だからこそ、その甘えや驕りや焼きもちをわかって欲しいし、許して受けれて欲しいものです。
そして、こういった感覚はどの家庭にもある物なのだと思います。
このご家族とは個人的にとってもとっても仲良しなのです。
普段はこのご家族、とってもとっても仲良しさんです。
ところが時々、パパが「うちは裏では言い合いばっかりなんですよ」
とおっしゃったり、ママがきらりん!とちょっとお怒りモードだったりもします。
私はこの場合どんな返事すれば~と思いながら「あはは~」と笑っているんですが(^^;)
ところが先日、この絵を描いた日の帰りに、
パパさんが「今日の絵はママの為にかいた」と言ってくれたのだそうです。
「かにはママが美味しいようにって描いたんだ。
柿はかたくみえるけど甘いんだ」って。
素敵なお話です。
思いを込められる人が居るというのは素晴らしいことです。
家族や夫婦はたくさんの時間を過ごす分、
起こす行動とは裏腹に心がとても繊細になります。
でもそこで起きる痛みや傷は真珠のように
自分からあふれるもので包まれていつしか宝石へと変っていきます。
その美しさは痛みと悲しみを抱えた分、忍耐強く穏やかな光を放ちます。
この素敵な一つの実りの時のお話を伺えて
わたしの心もあたたかくなりました。
このかにの絵と柿の絵がその美しい愛を描き込んだものです。
本当においしそうにかけています。いい絵でしょう?
愛してるものたちに自分の力でおいしいものを食べさせたい、
そこに「父性」と言う力強い男性の愛情のあり方を感じました。
そのご家族がいつまでも幸せなときを刻み続け
そしてそれぞれの最後の日にこの人といてよかった、と
この家族で本当に善かったと愛を感じてくださるように
心からお祈りします。
すべての家族がその様な実りの時に満たされますように
今日は思いがけず、探し物をせねばならぬこととなり
急にうちに居られることになりました。
下手すると一週間以上戻れない日が多いので、
(月に6日位しか家に居られないのが現状なんですね~)
そんな偶然がちょっと嬉しかったです。
探し物は無事に夕方暗くなってから出てまいりました。善かった(^^)
「探し物」って過去と出会うことだったりしますね。
今日探してた物は「写真」でした。
あるお友達に貸して差し上げるのです。
懐かしい写真を見ながら、今の自分が居るところを振り返りながら
そして、久々に秋の空と夕月を見上げながら、
はぁ・・・・秋だわぁ・・・とシミジミ。
秋って暑かった空気が和らいで、ほっかりとしたあたたかさになります。
光は白く照りつける強いまるで剣のような鋭い光から
黄金色のやわらかい慈愛に満ちた金色に変ります。
花は散るけれど、その先に種を包み込んだ実を実らせます。
朝の神聖なひんやりした空気にショールを羽織ると
誰かに抱きしめられているようにぬくぬくになります。
街に目をやると人はあたたかな服装をして、
店頭にはおいしそうな秋の実りが並んでいます。
みんな、みんなが優しい実りの時を迎えるようです。
先日、熟成の時だと書きましたが、その時の一つ一つは
過去と言う時間を経て、実りの時を迎えるのですね。
写真の一枚一枚に刻まれた時がなければ私はここに居ませんでした。
昨日、ミクシーで友人とマイミクさんのメール交換をしました。
このお友達の一人ひとりも、今日を作ってくれた人たちです。
そして明日を作っていく、熟成の時を共に過ごす人たちです。
こうして写真を見ながら、今日の彼らにメール交換できる幸せを思いました。
いまこそ、彼らはわたしの大事な「友」なのです。
家族もまた時間を通して熟成を重ねてゆきますね。
そしてそれは日々、小さな実りを迎えるのだと思います。
先日、バレエの中山りん子先生が
お子様のれいちゃん(2歳)を連れてこられました。
れいちゃんはキッズバレエに参加してくれています。
とっても元気でおしゃまさんでやんちゃさんで
2歳とは思えないくらいお話も上手で、
身体も上手に動かす女の子ちゃんです。
そのれいちゃんにとっても感心するのは
たとえばママが「これはお友達に貸してあげようね」とか
「後からこうしようね」と言うとするでしょう?
すると、すーっという事を聞けるのです。
まだ自分自身を扱うのが精一杯で他者を思いやるという感覚の薄い
2歳くらいのこどもにとってそれはとっても難しいことです。
「すごいねえ、関心だねえ」といいますと、
りん子先生がこう言いました。
「生まれた時からね、あの子に話した事は絶対にやるようにしていたの。
絶対に嘘をついたり、裏切ったりしちゃいけないと思って
それだけは大事にしていたの。だからじゃないかな?
たとえばね、「後で遊んであげるね」って言って待っててくれたら
自分がどんなに忙しくても、絶対に5分でも10分でもいいから
絶対に遊んであげるようにしてたの。
だかられいちゃんは待てるんじゃないかな。」
う~ん、なんて素敵なんだろうか~。すばらしい!
約束を守れるって本当に素敵なことです。
小さな子供との約束はうわべだけになりがちだったり、
最初からごまかすつもりだったりしがちなのに
りん子ママは素晴らしいです!誠実です。素敵です。
このお話を伺いながら、ああ、これも一つの実りだな~と思ったのでした。
うちはご縁あって、自分の中の善きものと呼応していることもあり
シュタイナーや自然教育のクラスをやっていますが
りん子先生をはじめ、そういうのを知らない関係者の方も一杯居ます。
フツーにテレビみたり、駄菓子食べさせたり、そういう生活の人も多いです。
だから中には、ロハスな生き方をしてないし、
シュタイナー的子育てからは遠い生活をしているので、
ここに来るとそんな生き方を否定されるのではないか?
と思っていらっしゃる人もお出でのようです。
でも~、私はそういう絶対責めたりしませんよ~。
テレビが悪いとも、食べ物が悪いとも、育て方が悪いとも言いません。
どの生き方のなかにも素晴らしいものがあります。
大切なのは「教育方法」ややっている事そのものより、
それを与えている親や周りの人たちの「愛」の部分であると私は思っています。
親が愛を持ってこれはいいと思ってやっていることなら、
それはそれで一番素敵なことではないかと思います。
そしていつかこども達がその愛に気づいてくれたなら、なお素晴らしいと思う。
それは10人居れば10通りの愛の形があるように、
それぞれが持っている素晴らしさや善いと思うものを
シェアしあって認め合って、生きて行けたらと願っています。
りん子先生もシュタイナーの事はよく知らないけれど、
ここはあたたかなおもちゃがあって、木があっていいわ~と言ってくださいます。
だかられいちゃんを連れてきたいんだ~って。
それで十分。善いものとはきとそういうものなのです。
きっと自然と「いいなあ」とそう感じるものなのです。
ここで仲良しのお姉ちゃん達はれいちゃんと一緒に遊んでくれます。
森のレストランを開いたり、妖精や天使になったりします。
普段のれいちゃんの遊びの中にそういうものが現れるようになったそうです。
そして「素敵」「可愛い」と優しい言葉を一杯つかうようになりました。
こんな風に共存して認め合って溶け合って行けたらいいなあ。
こどもの様に善きものを構えず、触れて持ち帰れる、
そんな人間関係や日々の学びであったら良いですね。
「○○はこうだからダメなんだ」
否定の言葉からは喜びは生まれない気がします。
だから、それぞれの良いところを認めて歩んで生きたいです。
もちろん、その方の信じるところはドンドン信念をもってなさればよいと思います。
それはとても大事だし、素晴らしいことだから。
だからこそ、人はその人の持っているものに感動するのだし(^^)
そうそう、もう一つ、実りの時で素敵な話があるんですよ~。
今日の写真はこの間のにじみ絵の授業でかかれた
「さるかに合戦」のかにと柿なんですが、
今日の作品を書いてくれたご家族のお話です。
夫婦って、家族って時々とっても難しいですよね。
「家族だから」って言う理由で相手に過度に期待したり、求めたりしてしまう。
それが苦しくなって、親子喧嘩が耐えなかったり、夫婦が上手く行かなかったりしてしまいます。
でも、それって「許しあってる」から出来ることなんじゃないかな、って思うんです。
心を許しているから、誰にもできないような態度が取れる。
「甘え」もまた「愛」の現れの一つです。
もちろん、そこに生まれる色々な「ジェラシー」もそうですね。
家族だからこそ、その甘えや驕りや焼きもちをわかって欲しいし、許して受けれて欲しいものです。
そして、こういった感覚はどの家庭にもある物なのだと思います。
このご家族とは個人的にとってもとっても仲良しなのです。
普段はこのご家族、とってもとっても仲良しさんです。
ところが時々、パパが「うちは裏では言い合いばっかりなんですよ」
とおっしゃったり、ママがきらりん!とちょっとお怒りモードだったりもします。
私はこの場合どんな返事すれば~と思いながら「あはは~」と笑っているんですが(^^;)
ところが先日、この絵を描いた日の帰りに、
パパさんが「今日の絵はママの為にかいた」と言ってくれたのだそうです。
「かにはママが美味しいようにって描いたんだ。
柿はかたくみえるけど甘いんだ」って。
素敵なお話です。
思いを込められる人が居るというのは素晴らしいことです。
家族や夫婦はたくさんの時間を過ごす分、
起こす行動とは裏腹に心がとても繊細になります。
でもそこで起きる痛みや傷は真珠のように
自分からあふれるもので包まれていつしか宝石へと変っていきます。
その美しさは痛みと悲しみを抱えた分、忍耐強く穏やかな光を放ちます。
この素敵な一つの実りの時のお話を伺えて
わたしの心もあたたかくなりました。
このかにの絵と柿の絵がその美しい愛を描き込んだものです。
本当においしそうにかけています。いい絵でしょう?
愛してるものたちに自分の力でおいしいものを食べさせたい、
そこに「父性」と言う力強い男性の愛情のあり方を感じました。
そのご家族がいつまでも幸せなときを刻み続け
そしてそれぞれの最後の日にこの人といてよかった、と
この家族で本当に善かったと愛を感じてくださるように
心からお祈りします。
すべての家族がその様な実りの時に満たされますように
