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KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

父の緊急入院

2017-04-01 | KOFUKU日記


昨日、父が緊急入院しました。

週の頭まで、病院の甥っ子の通信高校のスクーリングの為に、妹と一緒に上京していた父。
なれない土地で、慣れない親族に気を使い無理をしたのか、戻ってから体調が悪かったのです。

それでも、戻ってすぐから、私にお土産を届けてくれたり。犬猫と遊んでくれたり。
病院を勧めましたが行かないと。

ちょうど木曜日が自分の通院日で、父がいつものように送迎してくれる事になって居ました。
そこで、妹と話をして、私が通ってる病院に連れていく事に。

なんせ貧困層の実家、案じていましたが、聞いたら保険証も切れてると言う( ̄▽ ̄;)
そこから役所に行き、話をして、保険証を出してもらい病院へ。
なんとか説得して病院内に連れ込むも循環器科の先生がおらず、次の日の予約になりました。
とりあえずはかってもらった血圧も血中酸素も良好でしたので、良かったねー、なんていいながら後にしました。

犬猫を置いている山の家に誰もいないと大変な事になってしまうので、とりあえず私は父に山の家に送り届けてもらい、父は妹と甥っ子が付き添って病院に連れていってもらうことになりました。
病院は妹からは何処でもいいから連れていってもーと言われたのでしたが、敢えて私の街の自宅と妹の職場の近くにしました。

山の家から送り出す時、病院行きを渋る父に、薬だけでも出してもらいなよー、その方が身体が楽だよ、と言って街の家に帰しました。
また明日薬もらったら明後日迎えに来てねー、なんてバイバイして。

そして父は病院に行ったのですが、結果は即入院。
1日遅かったら亡くなっていた可能性もあったそうです。
心臓と肺に問題があるらしいです。
周りもびっくりです。
たぶん妹が受付と説明だけして、その後の付き添いを頼まれた高校生の甥っ子が1番驚いた事でしょう。

タイミング悪く、妹が職場にひとりしか居ない日で、病院の時間内に仕事が終わらず、結局病院にも行けなかったとかで、今のところ、まだ詳しい状況が何にも分かりません。
ただ危険な状態で入院した、それだけです。

これから、どのくらいの入院期間になるのか、全く分からないので、まだ誰も何も出来ない感じです。

問題は私。
私は犬との分離不安があって、犬同伴でしか移動ができません。
1人では電車やバスにも乗れません。
家が見えない範囲、走って3分以内に戻れない場所には、1人では歩いて出歩くこともできません。
家には6匹の犬が居ます。それだけの数を乗せてくれるタクシーもありません。
ですから父の車でしか行動ができませんでした。
そんな状況でしたから、だれか友人のところに訪ねたりしたくても、どうしてもできなかったのです。
そう言った事はなかなか理解されません。
説明する事もまた困難で、精神的にもつかれてしまうので、誰とも連絡を取って来ませんでした。

手紙を出すにもポストまですら行くことが出来ない私。
お金を下ろすにも、支払いをするにも、郵便局は果て。
これからどうしたものやら…。

これまでは父と交代で面倒みてましたが、とりあえず誰も居ないと犬猫は死んでしまうので、妹と相談して、とりあえず私はココに居ることに。
って言うか、なにか対策を考えないと、私はココから一歩も出られない。
電車もバスも乗れないんだから、街にすら帰れない。
残念な事に妹は免許持ってないから迎えにもこれない。
かろうじて、私たちはココのご近所の方とは仲が良いから孤立は無いからよかったのだけど。

思えば思うほど、虫の知らせだったのかと思う流れ。
全員東京に行くからと、街で保護してた猫達を山に連れてきたり、直前に神経痛のお薬を一月分出してもらったり。
何だかんだ言って、家族全員に会えたり。
お友達がワンニャンご飯やオヤツを沢山届けてくれたり。
妹がネットで食べ物とか注文して届けてくれたり。
直前に保険証出してもらったり。
まるで事前準備をした様な流れ。
それだけ父が、私たちが、彼に生涯ベタ惚れだった天の母や亡き人達に守られてるってことなのかも知れないなぁ。

とにかく、今日、妹が病院で説明受けないとなんにも分からないから、待つしかない。
今日はエイプリルフール。
嘘だといいのに。

何にしても、気弱になっているだろう父の傍に行きたくても行けない自分が辛いです。
妹の手助けもできない。
せめてここが同じ街ならね。
40㌔向こうは遠いよ。

早く良くなってくれますように。












3月7日は祐木鎧くんの命日です

2017-03-05 | KOFUKU日記

《亡くなる前年のお誕生日 ファンクラブの皆さんとポケちゃんがお祝いしてくれた時の一枚》


今年もあと2日で、我らが祐木鎧ちゃんの命日がやって来ます。

あの日、2003年の3月7日は、とても寒い小雨の1日でした。
忘れもしない、今、青木結矢さんと小西のりゆきさんが鎧ちゃんのタマシイを引き継いで演じてくれている朗読ミュージカルの、完全ミュージカルバージョンのリハーサルの日でした。

私たちのミュージカルカフェの中で鎧ちゃんを私とピーちゃんが最初に見つけて、救急車を呼んで、隊員の方がバタバタと駆けつけて彼を見ている間、そこに居ることが恐ろしくて、小雨の中、道路に出て、仲間たちがくるのをただただ待っていました。

一番最初に鎧ちゃんと朗読ミュージカルを演じていた雄ちゃんが来てくれて、『鎧ちゃんが死んじゃったの』と言うと、黙って肩を抱き、一緒に中に入ってくれました。
あの時、雄ちゃんが直ぐに来てくれていなかったら、もしかしたら私はあそこで、自分の中の何かが切れてしまって、この世に戻れなくなっていたかも知れない、と思い返す度に思うのです。

それから、ポケちゃんにまーちゃん、まりちゃん、万尾さん、みんなみんならまさか彼が亡くなったとは思わないムーサの仲間たちが、その日のショーの為に次々とやって来て、それはそれは泣いて悲しんで…。
お母さんやおばあちゃんもやって来て…。
まるで昨日のことの様です。

五日間、鎧ちゃんのお父さんのお家で過ごしました。
たましいの家族だった心友とも言うべき仲間たちも全員お父さんのお家で、鎧ちゃんの側で過ごしました。
お葬式まで、そこから仕事に出かけました。
夜は交代で一晩中ロウソクを灯し、お坊さんの代わりに、それぞれが信心してる宗派のお祈りや、それぞれの気持ちを歌にしたりして捧げました。
たくさんの仲間たちが遠いところ鎧ちゃんに会いに来てくれました。
なかでも、本当の兄と慕っていた劇団四季の三宅克典さん、大好きで家族の様に思っていたミュージカル俳優の石川禅さんには、お葬式が終わるまで、たくさんたくさんお世話になりました。
家族以上にお世話してくださいました。
その後もこれまた俺の心の恋人なんだよ、なんて言って慕っていた先輩の岡幸二郎さんをはじめ、鎧ちゃんが愛し慕って止まなかった先輩方やお仲間やお客様が14年経った今でも、お参りに来てくださったりして、これまでお母様を慰めてくださいました。
今日の日まで本当に支えて頂きました。
おかげでわたしたちは生きています。
心から感謝しております。

あの日から正確には14回目の命日。
仏事的には15回忌。再来年はもう17回忌です。
鎧ちゃんは私の中で、ぜんぜん変わらないんです。
今でも行きて居る気がして、ぜんぜんお墓に行く気にならないんです。
死んじゃったと思いたくないんでしょうね。
トニー賞とか見てると、どこかに居るんじゃないかと思ってしまうんです。
ものすごーく不思議な体験もたくさんあって、見えない鎧ちゃんが居るのも実感してたりするのにね。

そうかと思えば、死んだという事実はちゃんと分かって居るのか、わからせようと上の方々がしているのか、夢の様な不思議な空間で、天使さんにつれられて、天国の劇場で子供たちと演じてる鎧ちゃんも見さてもらいました。
本人もなんども現れて、いろんな事を話して教えてくれました。
それでも、未だに受け止められない私がいます。

鎧ちゃんも相方さんの米澤さんも、わたしのなかで大きすぎて。
二人とも、あんまりにも突然に逝ってしまったから、わたしのココロはまだ訳がわかんないよ。
自分の半身と言うか、タマシイそのものだったから、それはきっと、まだ暫くはどうしようも無いんだろうな。

それでも、この日、そして毎朝、写真の前に明かりを灯し、温かい飲み物をいれて捧げ、彼らの平安を祈ります。
安らかである様に、幸せであるように、と。


お仲間の皆さん、たくさんの方のご連絡先が変わってしまい、連絡がつかなくなっております。
これをご覧の皆様、お近くに鎧ちゃんの事をご存知の皆様がいらっしゃいましたら、『3月7日は鎧ちゃんの命日らしいよ』とお伝え願えますでしょうか?
そして、一瞬でも、鎧ちゃんに語りかけてくださったら嬉しいです。
仲間が大好きで、命より大切で、愛されたがりのさみしがりだった鎧ちゃんだから、きっと喜ぶと思います。


御墓参り等、おいでくださいます方、墓所はこちらになります。
ぜひ本堂隣の母屋に御立ち寄り頂き、鎧ちゃんのお母様、横田清香さんに御声がけください。
きっと何よりの供養になることと思います。

安養寺(鎧ちゃんのご実家です)
神奈川県川崎市中原区上新城1-9-5   
JR南武線武蔵新城駅北600メートル
 TEL:044-777-0706





鎧ちゃん、今でもガラッと戸を開けて、飛び込み前転して入って来そうだよ。
いいよ、いいんだよ、いつでも待ってるよ。
ついでに、米さんもわたしの母さまもつれて来ておくれ。
そしてまたいつか、みんなで車に乗って、照明や道具や衣装を積んで、チャリティの旅をしたいねぇ。



2016年、本当にありがとうございました!

2016-12-31 | KOFUKU日記


今年も本当にたくさんの方にお世話になりました。
本当にありがとうございましたm(_ _)m
今日、私がこうして生きていられますのは、皆様一人ひとりの愛あればこそ。
感謝してもしても足りません。

実家の引越に伴って、ワンニャンズのお家が田舎の山の森の古い古民家となり、希望を持って移ったものの、設備の整わないお家での無理からカラダを壊したり、保護猫たちにたいして虐待行為によると思われる怪我や嫌がらせが続き、さらには秋に怪我がなかったのが不思議なくらいの台風被災と、なかなかハードな一年でした。

でも、振り返れば振り返るほど大変だったのに、今日を穏やかに無事に迎えられたのですから、私はやはりなかなかの強運、そしてシアワセモノなのだと思います。

それもこれも、すべては皆様のおかげさま。
来る年は寄せていただいた御心を何倍にもしてお返ししたい。
していただきましたことを種に恩送りしていきたい。
たとえ僅かでも、出来ることを積み重ねたい。
今日より明日をよりよく生きていきたい。
それが夢、願いです。

夢や願いは叶えるもの。
必ずや。心に決めて2017年、がんばります。

みなさま、今年も本当に本当にありがとうございました。
2017年もなにとぞ宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

この世よすべてのヒトコトモノたちが、美しく幸せに満たされた新年を迎えられますように。

みなさま、よいお年をお迎えください。



19日は相方さん(米澤観児)の七回忌です

2016-11-17 | KOFUKU日記

《11月19日は米澤観児6年目のメモリアルディ、そして七回忌になります》


秋も深まり、寒さが増してまいりました。
本当に久しぶりの投稿になりました。

大変ご無沙汰しておりました。
皆様、お変わりございませんか?

早いもので今年も観児さんのメモリアルディがやってまいりました。
こちらでのお知らせが遅くなってしまい申し訳ありません。
実はちびたちの引越の後、身体を壊してしまい、更に秋の初めに台風で被災してしまい、後片付けやなにやらに追われて、今年はなにも動けないまま、パソコンに向かう事やお便りを書くこともとても難しくて、お知らせがこんな時期になりました。


2010年7月1日に白血病である事がわかり、即日入院。
それから138日間の闘病。
139日目に帰天。
あれから今日(11月17日)で2083日が過ぎて行こうとしています。
今度の命日で丸6年。7回忌にあたります。

ご実家の方でも法要をなされますが、ワタクシは今年も各地に居る観児さんの心友さんたち、演劇仲間をはじめ、多くのご友人の皆様と心合わせながら、今年は山の森の家「Teatro de Musa夢の街」にて七回忌の供養をいたします。

観児さんへのコメントや御用のある方はコメント欄にお描きください。
もしくはこちらのツイッターウィジェットからアカウント(@ainonaseruwaza)ご確認のうえ飛んでいただき、そちらからDMをおおくりくださればありがたく存じます。
間違いなく観児さんにお届けいたします。

また墓所のお近くの方は命日の前後にでもお参りくだされば、彼も大層喜ぶ事でしょう。
米澤観児の墓所は東大阪になります。

住所はこちら↓
東大阪市六万寺町1-22-35
往生院六萬寺

開門時間は午前6時から午後4時までとなります。
広いので必ず受付にて米澤観児の墓所の場所をお訪ねくださいませ。
受付所にお花やお線香のご用意もありました。
墓所は細い急な坂道を上ったお山のてっぺん近くにあります。
お訪ねの際はお車やタクシーなどのご利用が無難です。
墓所からは大阪の街が一望できます。絶景です。
ぜひ相方さんと景色を見ながら語らっていただけたら…。
何卒よろしくお願いいたします。


さて、この6年の時間は私にとって短くて長く、長くて短く不思議な時間でした。
多くの人々、特に目上の方々は、もう彼のことを忘れろといわんばかりに「未だにそんな風なの?」と笑ったり嘆いたり否定したりなさいますが、私は一向に相方さんを思い出にすることが出来ないままです。
と言うか、思い出にする気に一向になれません。

みんな、そんなにも簡単に過去の人に出来るんでしょうか?
そうだったらある意味、すごいなぁ。
今も医師等に「自分のやりたかった事くらいあるでしょ?一番やりたかったことは?」と気持ちの移行と言うか、すり替えと言うか、勧められたり、聞かれたりするのですが、ないんですよね。
だって、私たちの一番やりたい事は、お互いが居て初めて成り立つ事だったからです。
そのせいなんでしょうか?いまだ全てが停滞(^^;)

現実は理解はしていても、本当はなくなったことすら魂が認めたがらないので(^^;)未だに彼の遺したモノに触る事も、見ることも難しい有様です。
未だに彼が観ていたお気に入りの映画やドラマは独りでは観る事ができません。
劇場にも独りではドアを開けることが出来ません。
きっと相方さんが居ないという事実を確認せざるを得ないからでしょうね。

以前の家でも相方さんのものは紙くず一つ捨てないで持っていたくせに、多くは見ることならず触れられぬまま箱に入れたままでしたが、荷物を移動した山の家でも、(今年は身体を動かせなかった事も要因の一つですが)、まだ宝箱に囲まれたまま暮らしています。
もう少し、気力と体力が回復しないと完全な片付けは難しそうです。
6年経っても、本当に紙くず一つ捨てる気にならないし(^^;)

彼の遺骨はペンダントの中に納め、彼の形見のアクセサリーと一緒に肌身離さずつけています。

もっとデザインが素敵なものも沢山ありましたが、これはね、完全防水なのです。
先日も「えっ!それはずせないの?」って笑われましたが、彼から婚約指輪の変わりに貰った銀のブレスレットは腕から絶対はずす事ができない形で装着しています。
結婚指輪の代わりの愛犬ぴーちゃんやぴぴちゃんと離れると発作が起きます。
電車にもバスにも乗れないので、何処にもいけません。人にも簡単に逢えない。
もはや人としての正しい生活が不可能になってしまい、いまや障碍者手帳を持つ身となってしまいました。
自分でも、自分自身がこうなるとはびっくりデス。周りはあの元気な人が?ともっとビックリでしょう。
本当に未だに相方さんが居ないのが謎でしかありません。
ちゃんと分かっているのに、分かっていない、不思議です。
そんなにも大事な人だったんですよね、改めて言う事もないですが。

ただ、そんな私も、引っ越して直ぐに祭壇だけはきちんと作り、天に引っ越した方々との交流の場を真っ先にしつらえました。
なんせ、母に相方さんに、ソウルメイトと、心の交流をしなくちゃいけない人がいっぱいデスから。
死を認めたくないくせに、心を出会わす場所がないのは不安って言う困った人です。
毎日、花と御香とお供えを欠かさず、子とあるごとに感謝と平安の祈りを捧げています。

本当に人格も素晴らしく、才能も豊かで、まだまだ若かった人たちが亡くなって、大したお役にも立たない私が人様にご迷惑かけながら生き残ってしまい、それを思えば申し訳なくなる一方です。

そんな私でも、おかげさまで、彼の残してくれた子どもたち(ぴーちゃんとぴぴちゃん、その子どもたちと猫たち)が今や19匹も居ますので、彼らをお世話しなきゃなりません。
乳母婆(うばーば)は間違いなく彼らに生かされております。
ちいさい無垢なる魂たちは、間違いなく彼の命であり宝でありました。
ですから、やっぱり今も相方さんに生かされているんですね。
そんな彼らとの交流の場である山の家は、ある意味、私の聖域です。

なんてったって、山の家には相方さんの好きなものしかないですもん。
自然、犬、猫、芝居の道具に、絵の道具に、てしごとの道具。
いくらでもリフォームできる家。庭も、森もあって、彼にとっては天国。
だから、きっと彼は魂になった今でも、ワンニャンと戯れてるとしか思えませんです(笑)

今頃、相方さんは天国の劇場で忙しいんだろうなぁ。
なんだかんだ言って、なにも柵なく芝居に没頭できている今が一番元気にしているかもしれないなー。
死ぬまで役者で居ることが最大の願いだと言っていたから。
いやいや、優しかったから、地上のみんなの事が心配でならないか。
何にしても、元気で安らかに楽しく過ごしていて欲しいです。
私は変わらず明日からもまた祈りの日々が続く事でしょう。

19日、皆様が一瞬でも彼を思ってくだされば幸いです。



《セルフビルド中の原宿夢の街シアターにて本読み中の一枚》