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ざっきばやしはなあるき  

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美術とか映画とかなんとなくぶろぐ 

カミーユ・コロー展

2008-07-27 22:42:34 | 美術[か]
「カミーユ・コロー展」@国立西洋美術館

 会期も後半になっていて、さらに日曜日ということもあり、けっこう混雑していた。特に入口直後が混んでいて、警備の人が「並ばなくてもご自由にご覧ください」などとやさしげに声をかけてくれていたが、小柄な作品がちょこまか並んでいるので、後ろ頭の塊の背後からは後ろ頭しか見えなかろう。

 1796年、パリの裕福な家庭に生まれたコローは絵の修業のためにローマに向かった。日本人からすればあこがれのパリで絵の修業をしたがるところだが、パリ生まれではそうはいかないらしい。銀座生まれが食いだおれに行きたがるみたいなものだ←ちがぅか

 コローというと、以前に八王子の村内美術館で見た《ヴィル・ダブレーのカバスュ邸》が記憶に残っているが、今回も展示されていた。だらだら坂の木立の道の向こうが、明るく開けていて、カバスュ邸らしき白い建物が見える。かなり急な下り坂で、邸宅に向かう道がとても楽しみな雰囲気で、早くあそこでお茶でもごちそうになりたいと思わせる。でも帰りは急な上り坂だなぁ、というような絵だった。だからコローの絵は、見る者に、その土地の雰囲気がリアルに伝わってくるような風景画だと思っている。

 《大農園》も好きな色合いの風景画だった。なんか空の青がいちだんとやわらかく、樹木の葉が消え入りそうにふんわりと描かれている。そして中央に牛が一匹、こちらを見ているのだが、顔がむっちゃ白い。鈴木その子かカオナシかと思うほど白い。一度その白さが気になってしまったら、どうしても牛ばっかりに目が行ってしまう。《白い顔の牛》の絵として永く記憶に残ることであろう。

 肖像画としてはチラシを飾った《真珠の女》、「コローのモナリザ」と呼ばれたようで、確かに顔の向き、姿勢、両腕の組み方もモナリザに似ている。パリ万博で、額の葉冠の影を真珠と間違えたために《真珠の女》と名付けられたといういいかげんな話。誰だ、まちがえたのは?

 最後の部屋には、「・・・の想い出」と称する、晩年に描かれた大きな風景画が並んでいる。《ナポリの浜の想い出》という絵では、子供を抱いた女性と、タンバリンのようなものを掲げた女性が手をつないで、明るく広がる浜辺から木陰の道を歩いてくる。浜辺はとても温かそうで活気にあふれているような様子。そこで過ごした時の楽しかった余韻を、語らいながらこちらに向かってくるふたりの女性。その情景がコローの生涯そのもののような気がして、ふっと寂しくなるようなコローの帰り道だ。

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