「西本願寺への誘い」なるセミナーに参加
同タイトルの著書の筆者さんが講師となって西本願寺所縁の建築を拝見しました。

阿弥陀堂
西本願寺の殆どの建物は元和3年(1617)に火災で焼失しており、寛永年間より順次再建されたそうです。

阿弥陀堂内部

御影堂内部
さてさて1日目最後に訪れた場所は

藪内家
藪内家は藪内紹智(剣仲)を流祖とする茶道の一流派。西本願寺との関係は、2代真翁が西本願寺13世良如上人より、この西洞院正面の地を与えられ茶道師家に迎えられた事によります。現在でも正月7日には門主へ献茶を行なっているそう。
いよいよ門の内へ入ります。撮禁です。

いただいた冊子の表紙、映っているのは茶室「燕庵」です。
大坂の陣に向かう古田織部が藪内紹智に贈った茶室です。残念ながらオリジナルは元治の火災(蛤御門の変)で焼失、現在の建物は天保3年(1832)頃に門弟だった摂津有馬の武田儀右衛門が建てた忠実な写しで、慶応3年(1867)に藪内家に移築されました。
さてさて「燕庵」の前に、もう一つの茶室「雲脚」を拝見しました。
「雲脚」は藪内紹智が相伝の祝いに利休より贈られた茶室。室内は二畳台目向板、向切とやや変則的な仕様。
三角形の向板の壁が床に見立てられ、客座から見やすくなっている。侘びた風情の茶室です。
「雲脚」の露地を抜けると燕庵の中露地があり、最初に「腰掛待合」があります。
「腰掛待合」は織部好でL字型になっており、片方が貴人席、もう片方が相伴席です。
中露地には他にも、元利休屋敷にあり紹智が請うて小袖と交換した「三つ小袖の石」、利休遺品でその子少庵より藪内家に譲られた「戸摺石」、そして足利義政遺愛の「雪ノ朝」石燈籠があります。
次ぎは内露地。こちらには「燕庵」と共に織部屋敷より移されたとされる延段があります。一枚約5mの切石と大小様々な自然石を組み合わせた延段は織部の好みとされています。
また手水鉢の後方には本歌とされる織部燈籠が据えられています。
そして振り向けば「燕庵」が!
外観は茅葺屋根入母屋造、内部(こちらは躙口や各窓からの拝見)は三畳台目に一畳の相伴席が付く燕庵形式です。「色紙窓」や「墨蹟窓」など多くの窓を設け、相伴席を付ける事で室内にゆとりを持たせる等、織部の創意工夫が随所に見られました。
茶室内部に関しては以前、尾道の露滴庵で大体の感じは掴んでいましたが、今回は露地が拝見出来たのが大きい。「腰掛待合」から「燕庵」までのアプローチは異世界への入口のようです。
しかし、この藪内家の内部は利休・織部・西本願寺から贈られた物で構成されていると言っても過言ではないくらい貰い物wだらけです。特に利休と織部の影響が凄すぎです。
藪内家を退出すると外は薄暗くなっていました。次ぎの日もセミナーは続きます。