
古城八幡神社
由緒によれば、能登国管領職畠山氏歴代城主の崇敬神で、もとは七尾城内に鎮座していたが、天正の兵乱で焼失、落城の後、家臣百姓等が居を構えて一村を作り古城村と称し、現在に至る。
七尾城本丸へ

妙国寺跡

畠山廟
安寧寺跡にある

温井屋敷
城主畠山氏を補佐する八臣(四臣四家)の一人である温井氏の屋敷跡。
温井総貞の時代、独楽亭なる小亭を構えており、また玉澗筆の小軸四幅一対を所持する文雅の士であった。

遊佐屋敷
畠山氏の下で守護代を務めた遊佐氏の屋敷跡と伝わる。
能登畠山氏7代・畠山義総の近臣で遊佐氏庶流の遊佐左馬允秀倫は深山の茶壺や玉澗筆の山市晴嵐を所持していた。後に山市晴嵐の小軸は能州茶人・丸山(円山)梅雪に受け継がれた。

桜馬場の石垣
七尾城でも最大規模の石垣がある。

本丸石垣

本丸

本丸からの眺望
「霜は軍営に満ちて秋気清し、数行の過雁月三更、越山併せ得たり能州の景、遮莫家郷の遠征を懐うは」
天正5年(1577)上杉謙信の猛攻によって落城した七尾城。本丸に登城した謙信が詠んだとされる。
実際は後の人の作で謙信に仮託されたものであるが、謙信が本丸からの絶景を称賛した事は事実だった。
城山神社
さて下山しましょうか。