
古田織部美術館

利休七哲 三斎・右近を中心に
期間:2020年12月5日(土)~2021年6月13日(日)

古田織部書状
(慶長19年)五月廿二日付、宛名は不明。慶長19年(1614)5月9日に北野天満宮において近衛信尹との両吟で連歌を巻いている。この書状にはその折の発句・脇句・第三のを記し、信尹に脇句を付けてもらったのは分に過ぎた悦びであると述べている。この時の連歌巻(賦青何連歌巻)は伝存しており(成田山書道美術館蔵)近衛信尹が書写している。
織部は信長の在世中連歌に熱心であったが、晩年の慶長19年再び連歌にのめり込んだようで近衛信尹に指導を願う書状が多数残っており、連歌会にも参加している。信尹とは連歌だけでなく茶の湯での交流も行っている。
千利休書状
十二月廿七日付、古田織部宛。織部より歳暮の祝儀に小袖を贈られた際の礼状。内容に「御陣の用意」とあり出陣の準備を織部がしている様子がうかがえ、これを小田原征伐の準備と比定している。
小田原征伐で織部は、北条方の諸城攻略に転戦し、利休も小田原近辺に滞在していたが書状の遣り取りを行っている。また熱海の湯に2人して入るなど親密な様子がであった。
他には細川三斎・蒲生氏郷・牧村兵部・瀬田掃部そして織部の茶杓などを拝見しました。
今回は織部の書状が私的に見所でした。以前京都で拝見した賦青何連歌巻(成田山書道美術館蔵)に関係し織部と三藐院の交流を物語る内容でした。