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1305 岐阜歴史博物館 岐阜の茶の湯

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岐阜です。金色の信長像

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岐阜歴史博物館

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特別展「岐阜の茶の湯」
期間:5月17日(土)~6月30日(日)

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数寄厳之図
1558年稲葉一鉄から香道の志野省巴に贈られた侘び茶以前の茶室と道具飾り等を示した茶書。元は京の茶人・不住庵梅雪が美濃を訪れた際に斎藤道三に伝授された伝書。
不住庵梅雪は珠光流の茶湯を行なった人物で上洛後の織田信長が茶頭に任命した人物。梅雪の指名は稲葉一鉄の推挙があったのであろうか。
築山庭作伝
作庭造園に関する江戸時代に出版された書物。中に斎藤道三の露地庭数奇屋の図があり、それによると庭には桜の樹が多く植えられていた。あくまで伝承ではあるが道三の風流ぶりが伺える。
織田信長黒印状 抛筌斎宛
1575年越前一向一揆攻めの織田軍に弾丸を送った千利休に対し信長が送った礼状。
文中の原田備中守は信長の家臣・塙直政の事。直政は当時南山城・大和の守護を兼ね朝廷より備中守に任じられた織田家臣団の中でも出世頭とも言える存在であったが、1576年の石山本願寺との戦いで戦死している。
竹茶杓 千利休作
太い樋が通り強い蟻腰の一般的な利休の茶杓。筒は千宗旦で「利休作」と書かれている。裏千家今日庵伝来で閉館した大松美術館の蔵品。
大松美術館の蔵品では同じく長次郎作の黒楽茶碗「万禮人」も展示されていた。
津田宗及日記
堺の商人で茶人であった津田宗及の茶会記の写し。1574年岐阜にて信長が宗及一人を招いての茶会の様子が書かれている所が展示されていた。そこには岐阜に着いた宗及の元に取次役の塙直政がやって来て、宗及のまだ観ていない茶道具を見せるから知らせよとの信長命を知らせている。
羽柴秀吉書状写 斎藤利堯・岡本良勝宛
1582年信長の死後、柴田勝家や織田信孝らと対立関係にあった秀吉が信孝の家臣2人に宛てた手紙の写し。原本は伝わっておらず写本が数点あるのみ。手紙では秀吉が自らの正当性を訴えると共に信長より受けた恩は一生忘れないとし、信長より戦の恩賞として茶道具一式を与えられ茶湯を許された所謂「茶湯御政道」について述べられている。
織部百箇条
織部直筆の茶書で約100条より成る。冒頭に「利休口伝」とあり利休よりの教えを記した内容となっている。
古田織部書状 本阿弥光悦宛
織部より光悦に宛てた直筆の手紙。光悦より鑑定依頼のあった瀬戸茶入を出来が良いとし、昨日の茶会での亭主ぶりを褒めている。またその時使われたのであろう茶碗を所望している。茶碗の詳細は不明ですが、もしかすると光悦自作の楽茶碗かもしれない。
光悦は茶の湯を織部に学んだとされている。またこの書状のような織部の書は光悦に影響を与えたのではないかと歴史学者の桑田忠親が指摘している。織部の文字は光悦のような能書では勿論ないがそのデザイン性について述べているのだろう。
共筒茶杓 古田織部作
櫂先長く強い蟻腰の竹茶杓。節の上下で色の濃淡があり片身替わりの様な意匠となっているのが織部らしい。共筒には「城泉州様」とあり、おそらく元武田家家臣で後に徳川家康に仕えた城和泉守昌茂に贈られたものだろう。
近代中京の茶人であった森川如春の旧蔵品。
醒睡笑 安楽庵策伝著
美濃出身の僧策伝が著した笑い話集。後の落語に影響を与えた事から策伝は落語の祖と言われる。また内容には利休や織部等茶の湯に関する話しも含まれる。

岐阜に関する茶の湯の資料、なかなか珍しい物が多くて楽しめした。
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