そのほとんどは、何で怒られたのかも覚えていない。
そりゃあ、そりゃあ怒られた。
ある時は、職員室と校長室の間の別室に呼ばれ。
またある時は、正座をさせられ。
またある時は、「帰れ!」と小学校を帰された。
そんなわけで、その時は、納得して怒られていたんだと思うんだけど、
今、思い出そうとしても、そのほとんどは覚えていない。
都合が良いことに、そのほとんどを覚えていないわけだけど、
いくつかは覚えている。
今日は、その一つの話を書きたい。
俺の子どもの頃は、「ジャージ」で学校に行っていた。
それが当たり前で、それが私服であった。
ある日、新しいジャージを親に買ってもらった。
その新しいジャージを着て、早速、遊びに出かけた。
自転車で。
猛烈な勢いで、自転車をこぎ、坂を下っていた。
その時。
おもいっきり、こけた。
そして、ジャージに穴があいた。
買ってもらったばかりのジャージに穴があいた。
また、親に怒られるんだといじけて帰った。
新しいジャージに穴をあけたから、そりゃあ半端じゃなく怒られるだろうなといじけて帰った。
家に帰ると、タンスの整理をしている母がいた。
「オカア。転んでジャージを破いちゃった。ごめん」。
すると、母はこう言った。
「怪我はなかった?」
怒られるとばかり思っていた。
いつも怒られていたから、また怒られると思っていた。
今も「怪我はなかった?」というオカアの言葉が鮮明に残っている。
そりゃあ、そりゃあ怒られた。
ある時は、職員室と校長室の間の別室に呼ばれ。
またある時は、正座をさせられ。
またある時は、「帰れ!」と小学校を帰された。
そんなわけで、その時は、納得して怒られていたんだと思うんだけど、
今、思い出そうとしても、そのほとんどは覚えていない。
都合が良いことに、そのほとんどを覚えていないわけだけど、
いくつかは覚えている。
今日は、その一つの話を書きたい。
俺の子どもの頃は、「ジャージ」で学校に行っていた。
それが当たり前で、それが私服であった。
ある日、新しいジャージを親に買ってもらった。
その新しいジャージを着て、早速、遊びに出かけた。
自転車で。
猛烈な勢いで、自転車をこぎ、坂を下っていた。
その時。
おもいっきり、こけた。
そして、ジャージに穴があいた。
買ってもらったばかりのジャージに穴があいた。
また、親に怒られるんだといじけて帰った。
新しいジャージに穴をあけたから、そりゃあ半端じゃなく怒られるだろうなといじけて帰った。
家に帰ると、タンスの整理をしている母がいた。
「オカア。転んでジャージを破いちゃった。ごめん」。
すると、母はこう言った。
「怪我はなかった?」
怒られるとばかり思っていた。
いつも怒られていたから、また怒られると思っていた。
今も「怪我はなかった?」というオカアの言葉が鮮明に残っている。
初めて書き込みさせて貰います。
オカァは99の厳しさと1の優しさで
子供の心を鷲掴みにしてしまう。
オイラも一人子供がいるが、どんなに遊んでも
オカァにはかなわないんだもんなぁ
私もおてんばでしたけど。
私は学校の先生に、裁ちばさみの持つところで
おもいっきり頭、殴られたことあります。
楽雲庵さんのお母さん、見本のお母さんですね。
時には厳しく、時には優しくできるお母さん。
子供の心に響く、残る厳しく優しいお母さん。
対抗意識燃やしてる訳じゃありませんが、
うちの母もそれなりに見本の母です。
よく、「親は越えられない」
といいますが、
コレは本当の言葉だな、
と最近つくづく思います。
母だけではありません。
父親も今の私では到底越えられないし、
今後も越えられない、と思っています。
うちの父は、寡黙な父です。
楽雲庵さんのお父さんは
どんなお父さんですか?
今度気が向いたら、
お父さんの日記書いてください。
日記ありがとうございます。
母には勝てませんね。
たぶん、俺が親父になっても母には勝てないと思う。
この時点で、不戦敗。
それくらい母は偉大ですね。
また、たまあに遊びに来てくださいね。
今回はメッセージありがとうございました。
>さらさら雪さん
いつもメッセージありがとうございます。
今日はメッセージくるかなあと楽しみにしています。
やんちゃだったという記憶がないんです。
トモダチの親とかは、やんちゃだったって言う人もいるけれど、当の本人は、そんな意識はないんです。
うちの父もどちらかというと寡黙ですね。
2005年8月25日の日記で一度、書いたので、よければ読んでみてください。
親は越えられないか~。
そうなのかもしれません。