碧き地平線の記憶

この小さき世界の中で

司馬遼太郎さんの「街道をゆく」・・・

2010-03-02 20:16:42 | Weblog
今日の伊勢は曇り、ちょっと雨でした。
昨日の記事で、司馬遼太郎さんと書いたつもりが、名前がバラバラでした~! お恥ずかしい >、< 
粗忽者のテキトーなヤツなんで、忘れて流してください f ^、^ ;
っという事で、ワタクシの本当に好きな司馬遼太郎作品は、思い入れたっぷりな時代小説ではなく、「街道をゆく」などの紀行物がお気に入りです。  
そこには、フィクションも人物への思い入れも、最小限にしか入ってはいなでしょうから。
 
この連作の概要は・・・

『街道をゆくは、短編紀行集。1971年(昭和46年)作者47歳の時に「週刊朝日」で連載開始し、1996年(平成8年)2月に作者急逝により、43冊目の『濃尾参州記』で絶筆(未完)となった。単行本・文庫版いずれも、新版が朝日新聞出版で刊行されている。なお、初期の文庫版は、民藝運動で著名な工芸家芹沢介の装丁であった。また、題字を書いたのは、版画家の棟方志功である。

街道をゆくは、日本国内ばかりでなくアイルランド・オランダ・アメリカ・モンゴル・中国・韓国・台湾などの各地を訪ねた旅行記であり、その地の歴史・地理・人物に焦点をあてることで、司馬独自の歴史や文化に対する視点を読者に投げかけている。また、表題に現れているとおり、街道・みちに視点を傾けることで、交通という視点から、日本そして世界の歴史を展望するのが、この紀行集の特徴である。

晩年の『台湾紀行』では、司馬にしては珍しく台湾問題という政治問題について、彼独自の直截な意見を表明した。特に、当時の総統李登輝(司馬の愛読者でもあった)と対談(「場所の悲哀」、巻末に掲載)し、李登輝が、総統就任後初めて台湾の本土化政策に言及すれば、司馬は両岸問題に対する中国の姿勢を批判した。対談の内容が明らかになると、中国及び台湾、日本、アメリカで大きな波紋を巻き起こした。

との事ですが、自分が好きな理由は、一本の道を辿ってその土地の成り立ちや、幾世代もそこで生まれ、生活している人々の暮らしの匂いが、感じ取れるからです。 
これから後、幾年か経ち、自分の役割を果たしたら、カメラを友に、オートバイで、甲州街道から始まり、辿って行く旅に出ようと思っています。  
その時には、となりに司馬さんが、一緒に居てくれているような気がするかも知れません。

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