"FOR THE CUSTOMER"

創業120年の建設会社「今西組」の六代後継者が あなたの”いいね”を築く!

「あんたには負けますわ、共感、交通費」

2009年08月26日 08時56分00秒 | Weblog
彼はしきりに数えていた。
「さっきのバスは200円で――。」
交通費。
手帳に克明に記す。
几帳面さ。
まじめさ。
そして「よーわからんけど、あんたには負けますわ」と設計事務所に言わせるヒューマンパワー。
まさに、かけがえのない方だった。

夕方、帰りの新幹線。
以前は数十年と現場所長を歴任、後に営業に配属、東京―大阪を行き交う日々もあった。
「どうぞ、どうぞ。」
設計事務所と同席するや、一生懸命にビールやおつまみを分け賜う姿勢。
恥ずかしくてもいい。
ときに馬鹿にされてもいい。
一生懸命の姿勢こそが、相手を、そして味方を共感させる。
「みてくれ」は関係ない。
営業、堀内、ここにあり。
千葉でバスに同席していたとき、沖縄のパワーストーンの話を聞いた。
まー、人生いろいろ、ありますわ――
影響が誰であれ、生きることに必死のご姿勢に感激した。
もしかしたら、あのとき、自らの体のことを既にご存知だったかも知れない、と思う。

奇しくも、冊子「建築ジャーナル」2009年8月号(関西版)。
彼の現場所長としての遺作が掲載された。
「京田辺シュタイナー学校」
紙面より伝わる所長魂。
「なんでー、このほうがいいやん」と、時に上司につっかかるエネルギー。

(8月20日)、午前中、病に倒れ、天国に去られたことを知った。
「え―――――、、、、、」

彼ほど社に貢献いただいた方はいない。
献花が足りなくなるほど大勢の方が参列した通夜は初めてであった。
その人数は、堀内氏の大変高尚で懐の深いお人柄を彷彿していると言えるだろう。
私、今西良介として、また今西組として、ご冥福を、お祈りいたします。
生涯を建築、そして今西組の将来に賭けた彼を、100年後も忘れません。
彼を、私は、忘れません。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。
誇り。

堀内靖仁氏、享年49歳。
昭和35年、4月26日生まれ。
昭和58年、4月5日、今西組入社。
最終社歴、事業本部、営業部長、

私は守る。
何を?
あなたの、かけがえのないものを。
ずっと、見ていてください。
昼食にカップラーメンを食べながら、微笑むあなたは、これからも我々社員の脳裏に、残像のごとく記憶しつづけることでしょう。

「竣工祝い、補助金貧乏、立替」

2009年08月26日 08時54分39秒 | Weblog
竣工祝い

当社がお客様と出会うきっかけとは、以前の建築主さんや、関わった建築士より紹介いただくケースが多い。
当社に一元さんでお目見えになる顧客は本当わずかである。
大変ありがたい「わずか」に、「どうして当社をお知りになったのですか」と聞く。
最近こそ「ホームページを見て」とおっしゃるケースが目立つようになったが、
お答えのほとんどは「今西組が建物を建てているのを実際に見て」である。
当社はメディアでCMを活用してはいない。
また50万社存在する建設業者、大手5社の市場シェアがわずか10%の業界構造。
(自動車は大手(トヨタ、日産、ホンダ、スズキ)だけでシェア70%を超える)
ほとんどの企業が、名前すら認知されていない。
ゼネコンのCMを見て、果たして「ここに頼もう」と即決するだろうか。
それらの意味で、地域商店街のパン屋さんと似て、口コミで成り立つ商売に近いといえる。

【あなたが私にくれたもの♪】という歌詞のポップスを思い出す。
竣工祝いは、建築主によって、また時代によって変えるべきである。

以前、東京支店では、祝いとして「植樹」(木の種類は忘れてしまった)を贈っていた。
私も実際に見たことがあるが、かなりの大きな木である。
昔は敷地に計画の余裕があったため、外構の空きスペースを活用して植えたという。
ところが最近では、敷地いっぱいに建物を計画することが多くなり、この慣習は自然となくなった。
ここ数年では「掛け時計」、裏に「贈 今西組」と彫る。
よく銭湯の鏡に「○○工務店」と書いてある、あのイメージ―――。
慣習化され、社内の誰も、おかしいとは思わなくなってきている「定番」こそが、時代とともに受け入れられなくなる可能性は、ゼロではないように思う。
もう古い?
縁起がいい?
センス?
今回、ある人に渡そうと思い、流行の製品を自ら購入してみた。
解体前の建屋、その取り壊し、整地、新築着工、上棟、そして完成のストーリー。
建築主にとって、思い入れの詰まるこの期間を「生涯の記録」として届けることができるもの。
喜ばれるといい。
どう思われるかは、決してわかるものではない。
けれど、渡した直後に相手に伝わるものはある。

伝われば嬉しい。
心に記憶されることは、絶対に忘れない。


補助金貧乏

お付き合いいただいている顧客に、「社会福祉法人」と付くケースが多くなってきた。
政府の補助金を積極活用され、福祉施設の建設を決意されるみなさま。
我々にとっては、大変ありがたいことである。
だがひとつ悩ましいトレンドがある。
「補助金貧乏」に陥る月が顕れるようになったことだ。

大抵の場合、建物が完成してから、建築主は補助金の実行を役所に届ける。
建物に対して、補助金が出されるのだから、これは当然といえる。
だが我々にとってつらいのは、その交付が完成の数ヶ月あとにしか実行されないことである。
さらに最近、それが顕著に遅れてくることが多い。
政府の対応に時間がかかっているのが一因といえる。


立替

建築工事のあいだ、当社を含むゼネコンは、進捗分の工事代金を「立替」する。
支払条件にもよるが、億単位の立替は、自己資金だけでなかなかできるものではない。
なぜ立替をするのか。
専門工事業者と呼ばれる協力業者に、先に支払が発生するからだ。
ゼネコンの現場所長は、職人を抱える協力業者に発注し、工期中、彼らの施す防水工事等の各種施工を「管理」してまとめるのが役割の大きな一つである。
協力業者には、零細を含む小さな会社も多々存在する。
建築主の支払い条件に合わせて支払いを滞らすことができるほど、零細企業の資金繰りには余裕がない。
ましてや昨今の不況。
当社も余裕の余裕とはまったく言いきれないご時勢である。

四月の開園や、開所に向けて、年度末で終わるこれらの工事が増えれば増えるほど、四月、五月といった時期に「未収入金の不足感」を覚える。
法人の建築主はまったく問題ではない。

政府は、先の緊急施策として、ただ補助金枠を造るだけで一息つくのではなく、迅速な補助金の実行、つまりトレーサビリティー(追跡調査)の結末までを管理いただきたいと思う。
そう、思うのは私だけだろうか。
もうすぐ、選挙だが、最近引っ越した私には、選挙権がない。

給与体系、思いっきり、放浪者

2009年08月04日 16時52分30秒 | Weblog
建築と、床屋はある種似ているのだと、ある協会の会合で、同業社長はおっしゃった。

「給与体系」
絶対に自社が一番優れていると誇れる給与体系をもつ会社はそういないうように思う。
特に手当ての面で、各社は社員に対して、様々な工夫をして覇気の維持と能力啓発に努める。
当社も例外ではない。

旧態のいい部分は残しつつ、圧倒的にメリハリの効いたしくみを築きたい。
昨日お会いした協会の会長は「評価される者より、評価するものの方に問題がある」とおっしゃった。
一概に、規模に関わらず、ゼネコン社員を定量的に評価するのは難しい。
では定性的に?評価者の裁量に因る部分が大きければ、それはそれで問題である。
当社も例外ではない。

慰労会のビンゴで、一等賞として100万円を振舞う社長もいる。
「親孝行」と称して、創業記念日に、社員全員に、金一封ずつ手渡す社長もいる。
決して他社の真似すればいいというものではない。
そこに会社の独自性を見出したい。

利益がでれば、株主や社員に還元するのは当然である。
ただ利益がでなければ、報いることができない。
当社も例外ではない。


「思いっきり」

「今後も昨日の所長会議のよう、ああいう内容の発言でいいのかな?」
「そんなに気にしなくていいですよ」
「いままでどういう風にしてるのか、知らないからね」
「思いっきりやればいいんですよ。」
それからこうも言ってくれた。
「今、みんな我慢してやってんです!どしどし変えてってください!」

「放浪者」

当社の大事な顧客企業の会長が先週、お亡くなりになった。
創業者として、仕事に誠心誠意をこめられ続けた気持ちが、社葬で配布された冊子「創業者のつづり」の文脈から読み取れた。
なかに、胸を打たれた言葉があった。
会長が、まだ若かりし当時、先輩から言われて、自身による創業を決めたひとこと。

「大企業でサラリーマンするくらいだったら、放浪者でもいいから親分になれ。」

親分としての志と責任感。
自身の行動が、すべてわが身にふりかかる。
「おちこぼれたら、這い上がればいい」
ネパール仲間の先輩・野口健さんも、著書でそう述べておられた。


明日は、まもなく完成する新築物件の建築主の、表示・保存登記に必要な書類を司法書士の元に届ける。
お手伝いに域はない。
お手伝いにこそ、粋があるのだ。