"FOR THE CUSTOMER"

創業120年の建設会社「今西組」の六代後継者が あなたの”いいね”を築く!

雨男と晴男、地鎮祭の挨拶、「感動をつくる」

2009年07月29日 17時17分38秒 | Weblog
「雨男と晴男」

茂原駅からタクシーに乗った瞬間、雨が降り始めた。
「まただ」と思った。

私のような雨男は、周囲から嫌がられる。
特に地鎮祭等の催しの時に、私のことを知っている人からは敬遠される。
ゴルフでもそう。
最近、誰からも誘われなくなったのは、雨男のせいである。
もしそうでなかったら、これは致命傷である。
私という人間の信用不安の問題へとつながる。

ところが。
茂原市長という方は素晴らしい。
会場にお出でになった途端、雲から青空がのぞかせる。
おかげで「イヤー実は雨男なんですよね」という自己紹介も訳なくできる。
「晴男」市長、ありがとうございます。
おかげさまで、滞りなく自己紹介させていただきました。


「地鎮祭の挨拶」

地鎮祭の挨拶は、ニチイ学館の代表取締役会長、寺田氏から始まる。
挨拶を聞きながら、我々として、改めて再認識したのがグランドオープンの日程である。
四月一日。
茂原市長は、さらに輪をかけるように「四月一日は「茂原市民の日」なんです」とおっしゃった。
工期は、そう余裕のあるものではない。
ただし、やると決めたからには、会社の組織体制を変更してでもやる使命がある。
「現場所長を生かすような会社のフォローを頼むよ」とニチイ学館の担当部長は私にアドバイスいただいた。

今回工事内容には土木、造園工事が幅を効かす。
さらに設計・施工の契約という、支店としては稀なケースである。
大阪本社から出向する、土木担当は私にこういった。
「久々に、地図に残る仕事ができます」
大成建設?
ともかく、今西組として、堂々と看板の出せる工事である。
ニチイ学館様との縁をきっかけとして、今回の工事特有のノウハウを身につけ、営業の拡充へとつなげていきたい。


「感動をつくる」

地鎮祭の挨拶、ニチイ学館の代表取締役会長、寺田氏が続ける。
「介護を通じて、感動をつくるんです。」
聞いている私の胸が震えた。
とても含蓄のある、スマートな挨拶だった。
こういう風格を私も出せるようになるようがんばりたい、と素直に思った。
従来、私は
【お客様に感動していただくように竣工させ、喜びを共有したい】がテーマだった。
建築主と一緒になって、建物ができたときの感動を共有することに至上の喜びを感じていた。
ただ今回の建築主は、高齢者や住民との「ふれあい」をねらいとした事業として建設される。
つまり、ただ建築主に感動いただくだけではなく、施設の利用者が感動するような建設が望まれている。
当社が目指す、提案型総合建設業としてのいいモデルケースになれば素晴らしい。
「こうしませんか、こうしましょう」と現場をリードする力量が問われる。
そしてノウハウをたくわえ、次なるステップにつなげたいと真摯に思う。
最後に当社現場所長の中締め。
「悲しいかな、今西組だけではいいものはできません。
市や建築主の助けが必要です。
ご協力をお願いします。」
現場所長として、本当に素直な発言だった。
会社がフォローしたくなる、頼りになる所長を誇りに思う。


素直か演技か、一ヶ月、「不況と自覚」

2009年07月29日 17時00分42秒 | Weblog
純粋か演技か

果たして、誰とでも素直に接するのはいけないことなのだろうか。

メインバンクでのミーティング。
目的を達成するための「お願い」。
「お願い」を聞いてもらえるために、あらゆる弁法を駆使する。
時に我慢強く沈黙の間に耐えることもある。
交渉の甘さによっては、即座に、会社に流れる血を止めることとなる。
役割を担い務める担当。
会社のために!
会社を代表して!
ときに演技も必要とするであろう。
他の社員には感じられない、自分にだけのプレッシャー。
受けとめる本人以外に、気持ちなど解る由もない。


一ヶ月

管理部に在籍を移して一ヶ月が経った。
一ヶ月もたてば、そのなかで思うところはでてくるものだ。

部署で役割がそれぞれ異なるのは当然である。
管理部の社員。
工事現場の社員と比較すれば、かく汗の量が違うのは間違っていないと思う。
だからといって、評価をきびしくするのは言語道断である。
職務が適当である限り。

工期のない現場の管理は大変である。
短期間での見積作成は大変である。
協力業者の値切り交渉は大変である。
けれど現実を直視、仕事を獲ってくる営業も大変である!
さらに、会社を巡る出入金管理は最も心臓に近い部分で大変である。
なりたての創業者が、資金繰りで夜もねられないことがある。

「土建屋」として生きる時代はとっくに終わった。
「仕事が降ってきた」官庁受注全盛の時代は過去の思い出として棚にしまっておくべきである。
確かに当時、現場側からすれば「営業はなにをしているんだろう」という愚痴があったことだろう。
だからといって、現在、だれもが理解する建設不況、受注競争過多のなかで、仕事を獲るために動く営業マンに同じことは言えまい。
「見積提出が延びそうです、この量を短期間で依頼する建築主がおかしい、我々は決してわるくありません」
「工期に間に合わないのは、設計事務所のせいで、我々は決してわるくありません」
堂々と発言することとは、会社を代表した発言とは思えない。
もし発言するなら、コソッと言って欲しい。
あるいは酒の肴として活用して欲しい。

不況で生き残るには、「お人好し」ではいけない。
当社は昔から、体外的に「お人好し」の傾向がある。
許す。
また許す。
昔は許せたかもしれない。
今は許せる状況ではないということを、改めて意識いたしたい。


「不況と自覚」

各自みなさんが会社の代表だと「自覚」すること。
各部署間で、協力関係を強烈なものにすること。
仕事が減っているのは、決して営業のせいだけではない。
不況が当社を巻き込んでいるのは事実である。
顧客よりの入金が滞る事実の一つ一つが、私をそう思わせる。
よって組織バランスとして、営業にシフトする構成が私とすれば望ましい。
営業に協力しよう。
顧客をつないでいこう。
そのためにーー
まずは自身の役割に集中することがシンプルで正しい道だと思う。
だから決して「言い訳」や「大変だから」といった無用で廻りの覇気を削る堂々とした発言はよくないと思われる。

果たして、誰とでも素直に接するのはいけないことなのだろうか。
それが目的のためと思えるのなら、私は決して悪いとは思わない。
信用を築くという目的のためにーー。


東京出張、あさいちばんのしんかんせん、「銀座テファニー」

2009年07月15日 11時13分32秒 | Weblog
東京出張

本日は、関西に拠点を移してからは初となる「東京出張」である。
懐かしい、というような哀愁的感情はまだ湧かない。
どこでも、いつでも、だれとでも、態度の変わらぬ自身で人と接していきたい。
ふと「出張」と書いて、疑問が生じた。
「出張」ってなぜこう書くのだろう?
言葉ではよく「しゅっちょう」と交わすが、実際に文字にしてみると、妙な違和感が残ってしまった。
語源がわからない。
英語だと、一体なんていうのだろうか。


あさいちばんのしんかんせん

新幹線の始発とは、東京発も新大阪発も、午前6時ちょうどである。
東京にいるころもよく利用した。
今回は大阪から「朝一番の新幹線」に乗る。
そういえば私が幼少の頃、好きだった絵本のタイトルは「あさいちばんのしんかんせん」だった。
親に読んでもらい、また自分で声に出したりと、何百回も読んだ記憶がある。
絵本には、新幹線の駅名が登場してくる。
東京、新横浜、小田原、熱海、三島、静岡、浜松、豊橋・・・
三歳の頃、東京から博多まで駅名を全部暗記したら、まわりに驚かれたのを思い出した。
そんな「あさいちばんのしんかんせん」に、やがて本当に乗るとは思わなかっただろう。


「銀座テファニー」

今日も「N700系」一号車、一番前の窓側に座る。
パソコンを車内で使う私にとって、自由席は気楽で魅力的だ。
特にN700系は、全列に電源が完備されており、とても便利である。
名古屋を過ぎると、やがて窓越しに田園風景が見え始める。
田んぼのどまんなかに、広告看板を良く見かけるようになる。
さっきも「銀座テファニー」と書かれた看板を見かけた。
「銀座テファニー」?
直後に二つの疑問が生じる。
① 田んぼの所有者に、広告費としていくら払っているのだろうか
② そもそも「銀座テファニー」は果たして銀座のお店なのか
字体から察するに、数十年前からそこに立っていると推測するが、生じた疑問をそれ以上解消しようとは思わないので、忘れることにした。

ふと周りを見渡すと、スーツ姿のサラリーマンがたくさん乗っている。
熟睡されている方もいれば、スポーツ新聞を読んだり、また一生懸命パソコンと向き合う方もいる。

みんな、「しゅっちょう」である。

七夕、好き、ロータリー

2009年07月07日 08時16分56秒 | Weblog
七夕

本日は、七夕である。

今朝、ラジオFMで、関西では定番のDJヒロ寺平が、「次はドリームズ・カム・トゥルーの「七月七月、晴れ」でっせ」と言っていたのを聞いて思い出した。
しかし関西、本当に晴れである。

織姫と、彦星が、出会える年に一度のチャンス。
だが果たして彦星は、織姫のことが本当に好きだったのだろうか。


好き

電話を切った後、ある友人にむけて、言葉には出せなかった想いがあった。
「相手を好きになりたいのに、
相手を好きになれないのは、
相手を好きになるつもりが毛頭ないからだよ」


ロータリー

ロータリークラブという、奉仕活動の社交場がある。
アメリカのシカゴに本部を置き、世界中(ネパールにもあります)に支援、寄付等の活動をしている団体である。
私は6月まで、東京・本郷ロータリークラブという文京区、千代田区、台東区をメインエリアとするところに在籍していた。
振り返ってみれば、最年少の私などに、「会員になれば対等なんだから、気にしなくていいんだよ」という優しいお言葉を皮切りに、さまざまなお声がけやお気遣いをいただき、大変お世話になった。
60人、平均年齢60代のコミュニティーの中で、一年半という短い間ではあったが、鍛えられたことというのは、必ず私の人生にとって精神的な支えとなることだろう。
「きっとこの方は、何かを私に言おうとしている」
各シーンでそう感じるようになったのは、入会して半年ほどたってからだった。
形式上のアドバイスは、みなさんが事あるごとに、みなさんから優しく説明いただける。
ただ、本当に大事な「人との距離感」や「言葉の間」、「お知らせする順番」や「言うタイミング」「相手の立て方」は、自ら聞かないとわからない。
「あの方の「ふとした仕草」や「目配せ」は、私にこのタイミングで何かを教えてくれているんだ」
タイムリーなアドバイスが、今となれば大変貴重な財産となる。

やはりみなさん、巣に戻れば、一大企業を率いる主である。
代表取締役会長がずらりと名簿に並ぶ。
それなりの方が60人も集まれば、そこに歪やたわみが生じるのは当然。
事なかれ主義を貫くのも大変な労力だが、
まとめるのは、もっと大変である。
まるで車の自動洗車機のスポンジが、両側から迫ってくるかのように、ギューっと教え込まれた感覚が今なお、残っている。
本郷ロータリーの皆様、大変、感謝してます。
現在は本郷の会員ではありませんが、ロータリアンとしてお付き合いいたしたく、
今後も、よろしくお願いします。
どうか長い目で、ご指導ください。

長い目?

巣に戻れば、一中小企業を率いていくこととなる後継者の私として、また経営の立場としての私を、長い目で待ってくれる者は誰一人いない。

最近は、そのことを肌身で感じることが多い。
だが果たして彦星は、織姫のことが本当に好きだったのだろうか。
七夕は、きっと来年もやってくる。

全員力

2009年07月06日 08時35分17秒 | Weblog
妙に、いつもより私は積極的だな、と思うことがある。


全員力

「キッチンの調理、現実的にはIHとガス、どちらのほうがいいのですか、イマニシさん?」
こんな質問をされたこと、一度はあるのではないでしょうか。
前々回のブログをふりかえる。
【「私と出会えて、ラッキーですね」
みなさんがお客様に、こう堂々と言える「プロフェッショナル」たることを願って。】
そろそろ具体的なアプローチが、私のメッセージには求められているようだ。

社員によって、答え方がばらばらでいいのか。
会社として、統一した見解を示せた方がいいのか。

役所工事と民間の口コミで112年間生き抜いてきた当社にとって、できれば避けたい答え方がある。
「お客様次第だと思います」
「どちらもいいところあるんですけれど、、、」
「インターネットによれば、、、」

昨今、インターネットを引用しての情報収集は主流になりつつある。
え、本当に?
わざわざ本を紐解く手間いらず。
「検索上位だから、つい信用しました」
「人に聞くより、早いんです」

だが、お客様がせっかく声に出して質問されているのには、理由がある。
あなたの見解を聞こうとしているのだ。
思い込みでもかまわない、「私の経験では、こう思います」
以前より、お客様は、お客様自身で、インターネットを活用し、情報を簡単に手に入れられるようになっている。
ということは。
お客様のほうが賢い、ということがありうる。
お金を出すほうが、慎重に調べようとするのは当然のことである。
当社の下手な返答によっては、すぐに信頼を損なうことがありうるのだ。

社員によって、答え方がばらばらでいいのか。
会社として、統一した見解を示せた方がいいのか。

いずれにしても、みなさんが伝えるメッセージが、「私の経験によると、、、」から始まる、強いものになるよう、まず習慣づけることが必要ではないかと思われる。
全員でそのようになれば、そんな「全員力」を互いが誇りに思えてくるときが必ずやってくる。
きっとお客様は、それを求めていると思う。

【今後、システムキッチンは、友人や親戚を招いて食事会をするようなときに、普段使わないような方に利用されるケースが出てくると思います。
キッチンの調理器は、ガスのほうが、防災の点と認知度の広さより、誰がいつ使っても使い方を誤らない点で、いいと私は思います。】