
〈メンバー〉
田村(PL) 三原(SL) 小山田 柏原 佐々木 執行(敬称略)
(以下、田村さん、ピーマンさん、美森さん、智香さん、佐々木くん、執行、と書く。)
記録 執行
〈概要〉
9/17 買い出し後、福岡から名古屋まで夜行バスで移動
9/18 名古屋鳥倉登山口まで移動し、登山開始。三伏峠に泊まる。
9/19 三伏峠から塩見岳ピストン行動。
9/20 三伏峠を出発し、高山裏避難小屋まで進む。
9/21 荒川三山に登頂し、千枚小屋を通過して椹島に下山。文明を回復。
9/22 静岡市内までバスとタクシーで下り、三保の松原を観光し、カラオケにて夜を明かす。
9/23 徳川家康について学び、関連する名所をめぐる。人をダメにする施設に宿泊。
9/24 再び徳川家康を拝み、ハンバーグを食べ、帰路につく。
9/25 早朝に帰福。
〈9/17〉
福岡組の4人(田村さん、美森さん、佐々木くん、執行)は昼に今宿ルミエールに集合し、買い出しをした。買い物を終えて屋上に移動していると、鶴田さんが見送りに来てくださった。
屋上で軽く仕分けをして、美森さんは一旦帰宅、鶴田さんとはお別れ(ダッシュでバイト先へと向かっていった)、残りの3人(田村さんは一時離脱)は佐々木君の家に移動し、仕分けの続きをした。山でのゴミを減らすためにカレーに使う野菜を事前に切っておくことになり、人参と玉ねぎを切ってジップロックに入れた。また、1年2人で食パンへの情を捨てて全力で潰した。(しかしここで情を捨てきれていなかったことが後に発覚することになる。)3人で博多駅まで移動しshinshinでラーメンを食べ、美森さんと合流してバスセンターへと移動した。ここで劉先輩が見送りに来てくださり、差し入れでホットアイマスクをいただいた。これが高速バスの旅で大いに役に立った。劉先輩ありがとうございました。
名古屋行きの高速バスに乗り、博多を発った。
〈9/18〉
何度か休憩を挟み、早朝には名古屋に到着した。次のバスまで2時間近く待ち時間があるので交代で朝食をとることになった。1年生2人は名古屋のモーニングを求めて出発したが、探す能力の低さと早朝だったのとでいい喫茶店が見つからず、パン屋さんで妥協した。執行は小倉トーストが諦めきれず、あんこが入ったパンを食べた。のんびりバスセンターに戻ると大事件が発生していた。東京から到着したピーマンさんが共同装備のペグとグラシを持ってきておらず、田村さんとピーマンさんがタクシーで買いに行っているという。この時間に開いている店があったことが奇跡である。智香さんが京都から到着し、買い物組が無事にペグとグラシを手に入れて帰ってきて、なんとかバスに間に合いそうだ。乗り込もうとしたところ、発車まであと3分の時点でチケットを買っていないことが発覚。ギリギリセーフ(アウトだったかもしれない)で乗り込み、飯田へと出発した。到着が近づいて来た頃、不穏な空気が漂ってきた。バスが遅れている。飯田で伊那大島行きの電車に乗り換える予定で、その乗り継ぎ時間は12分、その電車を逃すと次は2時間後。ラインで到着次第ダッシュと打ち合わせをして、いよいよ飯田駅に着いた。着いたのはほぼ電車の発車時刻であったが、駅員さん車掌さんの寛大な処置により、乗せて頂くことができた。飯田駅の皆様ありがとうございました。伊那大島駅に着き、そこからタクシーで鳥倉登山口へと向かう。急勾配かつ凸凹が激しい道だったのに熟睡できる先輩方は流石だと思った。
鳥倉登山口に到着すると、雨。ここで3年生が2人とも雨男だと言うことが発覚する。執行は晴女のつもりだったが、さすがに勝てなかったようだ。タクシーの運転手さんのご厚意で車内で雨具への着替えと食料の分配をさせていただいた。ここでピーマンさんから一言、「これ、パン潰した?」。...1年にはパンを潰す覚悟が足りなかったようだ。
13:00,準備を済ませて雨の中出発した。この日の山行は三伏峠小屋までの急登。獲得標高900m。重荷でのひたすらの急登はとにかくきつかった。しかし、序盤で雨がやんだのは幸いであった。こまめに休憩を挟みつつ、荷物を少し持ってもらいつつ、三伏峠を目指した。初日のカレーセットを持っていた執行が先輩にそれを託すとき、ザック全体がタマネギ臭を発していた。ゴミを減らせたのはよかったが、臭いの問題は要検討である。三伏峠までの道中には何割到達したかを示す看板が立っており、現実を見せられるのが辛かった。唐突に「三伏峠小屋まで200歩」という看板が現れた。
山の標識は基本的に信用しないが、これはほとんど正しかった。
三伏峠に到着である。昼間と打って変わって空は晴れ、電波もつながる最高の環境だ。時刻は17:00に近づいていたため、急いでテントを立てて入山記念カレーの調理に取りかかった。肉は焼き豚。焼き豚の汁はご飯を炊くのに使った。悪臭を放ち続けたタマネギもおいしくカレーになった。間違いなくおいしかった。
9月中旬のアルプスは日が落ちると冬のように寒く、急いで就寝準備に取りかかった。天気図を見ると予報よりも晴れが伸びそうだった。次の日に予定通り塩見岳に行くことを確認し、じゃんけんで寝る場所を決めて、この日はおとなしく就寝した
〈9/19〉
4時起床。朝食は夕飯リサイクルカレーうどん。田村さんが個人装備(?)として持ってきていたうどん出汁が活躍し、おいしかった。支度を済ませて、出発。先に水場に寄ったが、この水場が登山道からかなり下らなければならず、遠かった。当然帰りは登り返さなければならず、初っぱなからきつい。塩見岳への縦走路に入ると、空は晴れ、眼下には雲海が広がり、最高の眺めだった。南アルプスの北部から北アルプスの方まで見渡すことができ、先輩方は以前行った山の思い出に浸り、後輩は今後行きたい山への思いに胸を躍らせた。
景色を楽しみ写真を撮りながら三伏山、本谷山とアップダウンを繰り返し、いったん森に入った。方言ゴリゴリの看板に応援されながら塩見小屋を目指す。
また開けた場所に出て登り、登り、登り、ようやく塩見小屋に到着した。それまでの道中のどこよりもアルプスの山々がよく見わたせ、みんなテンション爆上がりである。それに加えて、それまで見ることが出来なかったこの日のメイン、塩見岳が目の前に現れた。
予想していたよりもずっとゴツゴツした山肌で、これから登ると思うとわくわくした。長めに休憩を取った後、いよいよ塩見岳に向けて出発した。岩の急斜面を手を使いながら登った。
場所によって岩の色が様々で、地学ガチ勢のピーマンさんがとても楽しそうだった。何度か小ピークに騙されつつ、塩見岳の西峰に到着した。3047m。
少し写真を撮ってそのまま東峰に向かった。3052m。この合宿で史上最高峰を更新し続けている1年2人にとっては塩見岳は初の3000m級のピークだ。上空は雲一つなく、眼下には雲海が残り、最高の眺めだった。
東峰の山頂で昼食をとった。メニューは焼き豚サンド、もちろんマヨは必須である。昨日のカレーに続き、焼き豚大ヒットである。今後の合宿でも活用していきたい。ハチミツもあったため、ハチミツパンも食す。バターをマヨで代用できると誰かが言い出し、ハニーマヨパンが爆誕した。好みはそれぞれだった。
三伏峠までは来た道を戻る。
道中、徐々に雲が増えてきて、雲の中を歩く場面が多々あったが、雨に降られることはなく三伏峠に帰り着いた。まだ時刻は15:00頃である。まだ夕食には早いので、大富豪で予備食のカロリーメイトの味を争うことになった。事前投票においてはチーズが不人気である。詳しい順位は省略するが、最下位は田村さんで、チーズをもらっていたことだけは書いておこうと思う。のんびりと時間を過ごした後、夕食作りに取りかかった。この日のメニューはサバ味噌すた丼と高野豆腐。白ご飯にサバ味噌缶をのせてほぐし、マヨをかけるという斬新メニューだったが、これがうまい。今後も活躍しそうな予感である。難点と言ったら、缶のゴミが嵩張るというところだろうか。丼の2杯目には高野豆腐の出汁をかけて雑炊風にした。この最高の夕食の時点で、次の日の朝に地獄を見ることになるとは予想だにもしなかった・・・。
天気図によると南の海上にある熱帯低気圧が台風になりそうだ。合宿前から心配された悪天候が現実的になってきた。21日から荒れそうだ。赤石岳を切ることを前提として、理想は20日のうちに荒川小屋まで進んでしまうことだが、行動時間やパーティーの状況を鑑みると現実的ではない。ただ、進まないのであれば高山裏避難小屋でストップすることになり、20日のせっかくの晴天と体力がもったいない。田村さんを中心に悩むに悩み、高山裏避難小屋でストップする方針になった。となると、翌日の行動時間は5時間程度で、朝の時間に余裕がある。これは大富豪大会をせざるを得ない。早めに就寝準備を済ませてテントに入り、まずはリゾッタの味を争う。食したことがある人の感想を元にどんどん決まっていく。執行が最下位だったが、優男ピーマンさんが不人気第一位コーンリゾッタを引き取ってくれた。その後も大富豪大会は続き、都落としが続き、大爆笑が続いた。夜が更けてきてからはサイレントモードで楽しんだ。ひとしきり遊んで眠りについた。
〈9/20〉
4時起床。朝から快晴。夜中星がきれいだったなどと話しながら朝食を準備する。朝食は羊羹お汁粉。餅をゆで、その茹で汁に羊羹を投入し溶かす、という迷メニュー。この日の羊羹はなぜかバリエーションが豊富だった。小倉、栗、抹茶、梅・・・。餅はひとり4~5個ずつ、それに加えて激甘の汁。お腹が悲鳴を上げている。それに加えて梅羊羹がくせ者である。すべての味を超越する香りを放ち、汁の処理を徹底的に邪魔してくる。なかなか羊羹スープを飲み終えることが出来なかった。2年前の初めての合宿でこのメニューを経験したことを思い出してエモを感じていた田村さんも、最後の方は非常にきつそうだった。このメニューは来年以降は採用しない方がいいと思われる。
片付けを済ませて、撤収にかかる。フライとテントがほとんど濡れていないほどの快晴で、この日も最高の景色が期待できそうだった。
準備を済ませて5:45出発。遠い水場は素通りして、南へと向かう縦走路に入る。南アルプスの醍醐味でもあるお花畑は完全にオフシーズンで何もなかった。まずは烏帽子岳を目指して登っていく。ここの「あとちょっと」が非常に長かった。やはり山での時間感覚はまともではない。この日も空は晴れ渡り、眼下には雲海が広がり、前方には富士山が見える。烏帽子岳を越えて前小河内岳、小河内岳と進む。小河内岳避難小屋は営業はしていなかったが、アルプスの少女ハイジの世界のような風景が広がっていて、ブランコがほしくなった。その後も絶景の中縦走路を進み、ところどころ崖のようなところを通り、高山裏避難小屋を目指す。
しばらく進んで昼食をとる。この日はワンゲル定番の魚ソチサンド(魚肉ソーセージとチーズのサンドイッチ)。たっぷりのマヨネーズとともに頬張った。(山の上では)これがうまい。ここでまた、この日のうちに荒川小屋まで行っておきたいという案が浮上した。時間と体力と疲労を考えると現実的ではないが、翌日の天気を考えると確実に行っておいた方がいい。進む可能性も残しつつ、高山裏避難小屋に急ぐことにした。
板屋岳や大日陰山のピークを(いつの間にか)通過しつつ、12:30ごろ高山裏避難小屋に到着した。安全を考えて、この日はここでストップすることになった。元々の予定ではテン場にテントを張る予定だったが、避難小屋の二階が無料開放されていたためそこに泊まることにした。
ぽかぽか陽気のお昼寝日和である。グラシやレインウエアを思い思いに干した後は小屋の横の小広場で日なたぼっこをしたり雲を眺めたり小屋で昼寝をしたり、のんびりとした午後を過ごした。この日の途中にすれ違ったおじさんから小屋の先の水場はほとんど水がないと聞いていたので、小屋から相当下ったところにある水場にくみに行くことにした。急斜面を下り、沢を下り、南アルプスなのに屋久島のような場所で水をくんだ。もちろん登り返しはしんどかった。
小屋に戻って、夕食の準備をする。この日はサラミ入り麻婆春雨。そのまま食べたりご飯にかけたりいろんな食べ方をした。サラミがうまいのなんの。何人かは予備食のリゾッタも食べていた。
小屋には私たちの進行方向からやってきた男性が一人いらっしゃった。その方曰く、荒川前岳のすぐ手前に道が崩れてハングのようになっている箇所があるらしい。翌日の午前中までは天気がもつ予報だったため、早く出発して雨が降らないうちにそこを通過してしまおうという計画で行くことになった。また、下る先は椹島より二軒小屋の方が近いのではないかという情報もいただいた。その方に明朝早くに準備し始めることをことわり、早めに就寝した。・・・が、しばらくして雨の音が聞こえ始めた。翌日に不安しかない中、眠りについた。
〈9/21〉
2:30起床。外はやはり雨のようだ。おじさまを起こさないようにそろそろと朝食をとる。朝から豚骨ラーメン2束。いろいろな豚骨ラーメンがある中、久留米市民の執行は久留米ラーメンを死守した。まだ暗いうちに小屋を出て荒川三山に向けて出発した。細かい雨がしとしと降っている。はじめの1時間半はアップダウンの少ない道で、ほぼノンストップで小広場に到着することが出来た。ここから荒川前岳までが600mひたすら急登である。宝満山ラブの美森さんは宝満山ににたとえて頑張ろうとしていた。
はじめは背丈の低い森の中を登っていき、しばらく行くと吹きさらしのガレ場に出た。完全にガスっており山の上が全く見えず、遮るものがないため風も強い。少し離れたら隊員同士も見えなくなってしまいそうなほどのガスだった。
歩きにくい道を着実に登っていく。先の長い道のりが見えるのも辛いが、終わりが全く見えないのも辛いものだった。小股で回転数を意識して歩き、ちょっとした岩場を登って稜線に出た。
強い横風と霧雨と寒さとで口数が少なくなりながらも、風にあおられないように気をつけて進んだ。しばらく行くと、なんと、雷鳥がいた。天候が最悪だったのもあり、とても救われた気分がした。
さらに稜線を進んでいき、そろそろ前岳かと思われる頃、危険箇所にさしかかった。暴風雨の中通過しないために早朝に出発したが、そう都合よくはならなかった。右側のガレがえぐれており、いつ崩れるかわからないような状態である。さらにその右側の先は見えず、これから歩く場所がハングになっているかのように感じられた。高山裏避難小屋で出会ったおじさまに教えていただいたとおり、左側のハイマツを(申し訳ないが)踏み倒しながらなんとか通過した。そこを通過したらすぐに荒川前岳に到着した。
恐怖心からの解放と達成感とで気が緩んだが、ガスと強風は容赦なく、休憩は短めにしてすぐに中岳方面へと出発した。
前岳から中岳まではそう時間はかからなかった。はじめの急登に比べて登りが少ないため、だんだん体が冷えている感じがした。中岳でも休憩は最小限にして、雨風をしのげる中岳避難小屋まで進んで、暖をとって昼食をとることにした。
中岳から中岳避難小屋までもすぐに着いた。やっと体を温めることが出来ると思って小屋に入ろうとすると、管理人から今日は片付けているから小屋は使用禁止だと言われた。よくわからなかったため田村さんが事情を聞きに行くと、怒鳴られて帰ってきた。全員体が冷え切っていたため玄関先でご飯を食べるだけでも出来ないかと聞いたが、頭ごなしに拒否されたため諦めて、極寒強風のなか冷え切った魚ソチサンドを食べた。寒すぎて感覚がなく、全く味がせず、何か物体を口に詰め込んでいる感じだった。
今後この山域を通る際には、中岳避難小屋は休憩ポイントとして考えない方がいいかもしれない。(小屋の前はそこそこ広いため、晴れたり風が弱かったりしたら外でも十分に休憩できる。)
次の目的地は今回の山行の最高峰、悪沢岳である。正直言うと、ここのあたりは寒さときつさと恐怖心とであまり記憶がないが、とりあえず悪沢までは遠く、最後の登り返しがしんどかったことは覚えている。
悪沢岳に到着した頃はもう手の感覚はなく(私は)笑う余裕もなかったが、非常に感動した。二日前に遠くから眺めた山頂にとうとうやってきたぞ!と思った。3141m。
ここでもやはり強風とガスは厳しく、写真撮影と最低限の休憩をとった後、すぐに出発した。ここで晴れて今まで通ってきた道が一望できたらどれほどよかっただろうと思った。
次は千枚小屋まで向かう。悪沢岳を越えると大きな岩を渡り歩いていくような道で、その後はガレ場が続いた。相変わらずガスは晴れなかったが、ところどころに高山植物が見られ、いいテンポで進むことが出来た。途中丸山を過ぎ、次は千枚岳である。標高はとうに3000mを切り、ところどころ森の中を歩くようなところが出てきた。千枚岳にたどり着くまでは多くの小ピークに騙された。極めつけはこのはしごである。
これは満身創痍の田村さん。疲れ切ったところで登場したはしごで、山頂だと思ったがまだ先はあった。千枚岳は遠い。あと1~2つピークを過ぎてやっと到着した。ここもほぼ素通りして千枚小屋まで下る。ひたすらガレ場を下ったあと背の低い森に入り、標高が下がっていることを実感した。二軒小屋方面に降りる登山道との分岐を通過し、いよいよ千枚小屋だ、と思ったが、ここからの下りが非常に長い。本当に長い。それになかなか急だ。二軒小屋方面に降りる予定だったので、またここを登り返すのかと絶望した。おそらく分岐から30分ほど下り、ようやく千枚小屋に到着した。12:30ごろである。千枚小屋はとても大きくきれいで、小屋の中にも入れてもらえ、質問したらいろいろ答えてもらえ、とても平和な場所だった。(どこかの小屋とは大違い。)管理人のご夫婦に、ここにとどまるべきか下るべきかを聞いたら、下るべきだろうと言われた。ここから下るとなるとさらに4~5時間の行動となるが、天候が悪化する前に降りることが先決だ。さらに二軒小屋か椹島のどちらに下るべきか聞いたところ、二軒小屋は営業していないという衝撃的事実が発覚した。聞いておいてよかったと心から思った。
こうして、この日のうちに椹島まで下ってしまうことが決定した。腹ごしらえをして出発した。椹島への到着は17:00を過ぎるかもしれないが、とりあえず下る。
テンポよく進み、前半はコースタイムの半分以下でどんどん下っていった。楽しくしゃべりながら2時間程度ひたすら下ったあと、林道を渡り、そろそろかと思ったが、ヤマップ上ではまだまだある。再びしゃべりながら下っていく。ここでの話題はほとんど宮崎だった。その理由は田村さんに聞いてほしい。さらに下ると、何度か鉄塔のそばを通過した。三郡縦走のラストの若杉のような感じがして終わりかと思ったが、なんと、岩場の登りが目の前に現れた。どういうことだ。椹島までひたすら下りだと思って完全に油断し腕力など使う気はさらさらなかったのに、ここに来て岩場とは・・・。一気にメインザックが重く感じられた。一番重いザックで最後尾を歩く田村さんは大声でわめいていた。なんとか岩を越え、坂道を登り、また平坦な道に戻った。すると次はびっくりするほど急な下りである。転げるように、でもこけないように気をつけながらひたすら下っていく。全員もう足の裏がなくなりそうとか言っていた。下って下ってさらに下ると、下の方に吊り橋が見えてきた。これはゴールか。それともまたフェイクか。吊り橋に近づいて行くにつれ、渡った先に車道が走っているのが見えてきた。ゴールは近い!みんなエンジン全開で下っていく。吊り橋の入り口がよくわからなかったが関係ない、道なき道を進んでようやく橋の端に着いた。
この日の行動時間は13時間を越え、一気に2500m近く下っており、もうテンションがおかしい。渡りながら吊り橋を揺らし、叫び、写真を撮り、もう何でもありだ。
吊り橋を渡りきると、そこは下界だった。久しぶりのアスファルトを踏み、車道沿いに椹島ロッジを目指す。この車道が登りだったのが最後の難関だった。車道からちょっとした山道に入って下ると、そこは天国だった。椹島ロッジに到着だ。
本来の受付締切は17:00だが、事前に連絡していたためチェックインさせていただくことが出来た。わらわらと部屋になだれ込み、まずは風呂。何が何でも風呂。ということで4日ぶりの入浴である。人間に戻った気分がした。
お風呂から上がったら、夕食の準備に取りかかる。炊事塔が屋外だったため寒かったが、屋根とテーブルと椅子があるだけ幸せだった。この日は「じゃんけんですべてが決まるいろいろ丼」。じゃんけんですべてが決まった。田村さんはどうしても食べたかった親子丼をゲットできてご満悦であった。
(一部の人はアルコールを買い込んで)部屋に戻り、就寝準備に取りかかる・・・と思いきや、余った食パンにハチミツをかけて食べ始めた。13時間も行動したならそれだけお腹がすくのも当然だ。
ひととおり食欲と荷物整理が落ち着いたら就寝準備だ。畳の部屋に6つ布団を敷いてなんだか修学旅行みたいだった。修学旅行みたいなのは布団だけではなかった。その後の夜な夜な恋バナ大会も開催されたのだ。みんな疲れていないのか。それはそれ、これはこれである。内容が知りたい方は該当者に直接お問い合わせください。ひとしきりしゃべり、いつの間にか寝ていた。
〈9/22〉
もう起床時間にとらわれる生活は終わった。みんなそれぞれに起き、のろのろと朝食を作りに行く。卵スープにゅうめんで温まって部屋に戻ると、ロッジの従業員の方からチェックアウト時刻を過ぎていると言われた。自分たちの山行は終わったが登山者向けの施設のため朝は早い。大慌てで荷物をとりあえず出し、外で片付けることになった。少し下の畑薙ダムまでの送迎バスが10:30に出るため、それまでは思い思いに過ごす。ほとんどが結局は売店でTシャツを買い、ソフトクリームを食べた。
畑薙ダムまでのバスは超満員。膝の上にザックをのせて約1時間揺られた。畑薙ダムからはタクシーで一気に静岡駅まで出た。24時間前は暴風雨の中を死にそうになりながら歩いていたと思うと変な感じだ。ピーマンさん以外の5人は荷物を一時的に預け、6人で少しリッチなお昼ご飯を食べ、ピーマンさんはそのまま東京へと帰っていった。在来線で帰れる距離だとか。お別れが早いのは寂しかったが仕方がない。
残された5人はその夜カラオケオールと決めていたので、それまでの数時間をどうすごすか悩んだ。赤石岳を切って早めに下りてきた原因である台風はだんだんと近づいているようで、今にも雨が降り出しそうだった。そんな中いき先に決まったのは三保の松原である。台風接近中に海に行くなどあり得ないがそれがあり得るのがワンゲルだ。タイムズレンタカーを借りて宮崎チックな海沿いの道を走る。
案の定、富士山は雲に覆われて全く見えなかったが、海と松と安倍川もちを堪能できたので満足だ。三保の松原をあとにして、スピッツを熱唱しながら来た道を戻る。波がものすごく高く、台風接近中だと言うことがよくわかった。ファミレスで腹ごしらえをして荷物を受け取り、静岡市中心部のジャンカラへ。夜の繁華街をメインザックで歩くのはなかなかの経験だった。これにもいずれ慣れていってしまうのだろう・・・。
時刻は22:00。翌朝5:00まで歌い続ける。途中執行は寝てしまったが、他の4人はノンストップでオールを達成したようだ。恐ろしい体力だ・・・。
〈9/23〉
この日は24時間を人をダメにする施設(温泉はいり放題、漫画読み放題、Wi-Fiあり、寝放題)で過ごす予定で、そこの開館時刻は10:00。まだまだ時間がある。カラオケを出て路頭に迷っていると、ふと快活クラブの看板が目に入った。ここだ!と言わんばかりに吸い込まれ、3時間の睡眠をとることになった。寝て朝食をとって8:30。まだまだ時間はあるため、とりあえず公園で暇つぶしをすることになり、静岡県庁そばの駿府城公園に行った。そこでの出会いがこの二日間の行動を大きく変えることになった。
駿府城跡では天守台の発掘調査が行われており、その調査現場の横に小さな資料館があった。そこにはボランティアのガイドさんがおり、いろいろと解説していただいた。駿府城は徳川家康の居城であったらしい。
そのため近くには家康に関連する場所がたくさんあるらしく、この日の午後や次の日に行った方がよい場所も教えていただいた。天守台をひと通り見たら城内の様々な仕掛けや、堀の外の櫓を別のボランティアさんに解説してもらいながら見学した。その後徒歩で静岡浅間神社に向かうことにした。その道中ちょうど昼時だったため静岡おでんを食べてみることにした。静岡おでんは牛すじ出汁のため黒く、具に黒はんぺんが入っているのが特徴だ。さらに、おでんとかき氷を同時に食べるのがマストらしい。驚愕だった。
浅間神社でも別のボランティアガイドさんに会い、神主さんによるお祓いと、普通の観光客は入ることの出来ないエリアに入るツアーをしていただいた。お祓いをしたら存在が無くなってしまうかもなどと心配しながらも、とても貴重な経験になった。
浅間神社は7つの神社から構成される神社群で、どうせなら全部巡ろうという話になった。6社目まではよかったが、7社目は階段の上にありそうだ。その階段は地元の高校球児が階段ダッシュに使っているぐらいの階段だ。ワンゲラーには登らないという選択肢は無いため、登り始めた。3人はダッシュし始め、体力恐ろしいと思った。
無事に7社を巡り終わり、ガイドさんにお礼を言って浅間神社を後にした。ここまでで出会ったガイドさんはみな駿府ウェイブという同じ団体の方々で、たくさん案内していただいただけでなく、私たちが向かうことを事前に連絡して5つの巨大なザックを置く場所を手配していただいたり、今後の移動のアドバイスをしていただいたりした。駿府ウェイブの皆様ありがとうございました。
そのまま徒歩で本来の今日の目的地、美肌の湯に向かう。いざ入館してみると、そこは想像以上におしゃれな空間だった。ワンゲラーの来るような場所では無い。
が、周りの目を気にしないのがワンゲラーのいいところ、意気揚々と温泉に向かう。翌朝までマッサージチェアーに寝たりハンモックに寝たり漫画や雑誌を読んだり、それぞれのやり方でダメ人間になった。
〈9/24〉
夕方の高速バスまで静岡で観光する時間がある。ガイドさんに出会っていなかったらどう時間を潰すか悩んでいただろうが、もう行き先は決まっている。がしかし、ここで田村さんの散髪タイムである。他の3人は県庁の展望台に上ったり2度目の駿府城公園で朝食をとったりした。さっぱり田村さんと合流した後は再びタイムズレンタカーを借りて久能山東照宮に向かう。久能山東照宮は徳川家康の遺体がまつってある神社で、山の上にある。・・・やま?そう、東照宮に行くには1159段の石段を登らなければならず、公式サイトによるとコースタイムは20分。ワンゲラーはここをノンストップで10分で登るべきだという話になり、それを実現した。
東照宮は彫刻と彩色がとても豪華で、浅間神社で聞いた説明を元に拝観するととても楽しかった。さらに階段を56段のぼり、徳川家康公とご対面である。
数メートル先の数メートル地下に、かの徳川家康が眠っていると思うととても不思議な気分だった。スピリチュアルな気分になって、東照宮を後にした。下りは飛ぶように早く、あっという間に下りてしまった。海がきれいに見えた。
さて、待ちに待ったお昼ご飯の時間だ。田村さんが美容師さんから聞いてきた、さわやかのハンバーグを食べに行くことにした。全員がげんこつバーグを注文した。まるまるとしたハンバーグを目の前で半分に切ってもらい、ソースをかけてもらい、食欲をそそる音がジュウジュウ鳴っている。
最高においしかった。ブログを書いている今もこの写真を見て唾液が出てくるぐらいおいしかった。
さわやかを出た後は日本平に向かう。日本平は静岡の町と富士山を一望できる絶景スポットである。曇天の時に行く場所ではないだろうが、まあいい。
日本平に着くと、空は晴れ渡り・・・とはもちろんならず、曇りのまま展望台に向かった。富士山は麓しか見えず、三保の松原とデジャブだったが、資料館を見てお茶鯛焼きを食べてお土産を買って、楽しい観光だった。
静岡を発つ時間が近づいている。車で静岡駅に戻り、ザックを回収し、路線バスで静岡インターの高速バス乗り場に向かった。出発まではまだ時間があるため長旅に向けて身支度をした。
ここでこの合宿を少し振り返りたい。塩見岳から静岡駅に至るまで、このたびはある県のある市のある区の中で完結していた。それは、題名にあるとおり、静岡県静岡市葵区である。この長い旅のほとんどは静岡市葵区の中で完結しているのだ。
本当に巨大な区である。快晴のもと富士山を眺めながら歩いた塩見岳や、ひなたぼっこをした高山裏避難小屋や、暴風雨のなか死に物狂いで歩いた荒川三山や、一夜を明かしたカラオケや、ボランティアさんに出会った駿府城公園は、全て、全てひとつの区、葵区の中だったのだ。この合宿を静岡市葵区の旅と呼びたくなるのもわかるだろう。
ここで、高速バス待ちの場面に戻る。ここでもまた遅延が発生しているらしい。福岡に帰る4人は大阪で福岡行きの高速バスに乗り換えがあり、その乗り換え時間は40分。そのうち10分は移動時間である。バス乗車時現在、バスの遅延は45分。これは絶望だ。帰れない。福岡行きの高速バスをキャンセルして大阪に泊まることもことも視野に入れつつ、バスに乗り込んだ。
途中、それぞれが代わりの飛行機や新幹線を探したり、大阪の友人の家に泊めてもらえないか連絡をしたりしていたが、遅れを巻き返しつつあったので、キャンセルせずにそのまま賭けることにした。京都深草で智香さんが下車し、4人になった。グーグルマップで梅田までの所要時間を随時チェックしながらバスに揺られる。本来の到着予定時刻は22:00。現在時刻21:50。グーグルマップが表示する所要時間は10分。おや???予定通りではないか???その情報をラインで共有して静かに歓喜に包まれる。なんと予定通り22:00に梅田に到着し、走る必要はないのに次の乗り場までダッシュした。無駄にワンゲルらしさのある展開だった。無事に福岡に帰れる。そのことだけで幸せだった。22:40、無事に高速バスに乗り込んで帰途についた。
翌朝の到着前にふとTwitterを開くと、寒いというツイートで溢れている。上着の準備をして翌朝8:15、福岡に降り立った。外の空気は本当に冷たく、一気に秋になった感じがした。
バスセンターから博多駅まで通勤ラッシュの中をメインザックで切り抜け、博多駅で美森さんと別れ、他の3人で地下鉄に乗り込む。
この合宿はワンゲル史上初の高速バスを利用した合宿であったが、ハプニングに見舞われながらもなんとか予定通りに終えることが出来た。ただ、電車に比べて交通事情の影響をもろに受けやすいため、今後利用する際は乗り継ぎに余裕を持っておくべきであろう。赤石岳に行けなかったことや荒川三山が荒天だったことは無念だったが、快晴の中で塩見岳に上れたことや下山後の静岡での観光が予想以上に充実したこと、そして何よりもパーティーの仲が学年を越えて深まったことが、この合宿における大きな収穫だった。このパーティーで同窓会(宮崎合宿)の予定もあるので楽しみでならない。
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