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九州大学ワンダーフォーゲル部

2016年冬に作りました。九州大学ワンダーフォーゲル部公式のブログです。部活動の内容を紹介していきます。

宝満山の魅力を語る (ブログウィーク第9弾)

2020-06-06 19:00:00 | うちでワンゲル

 

こんにちは、58期の小山田です。
ワンゲルブログウィーク、楽しんでいますか?

9回目は私が担当させていただきます!

写真が少なく長ったらしい文章が続きますが、最後までで読んでいただけるとありがたいです。

~自己紹介~
 とにかく山が好きです。高校でも山岳部でしたが、九大ワンゲルに入って完全に沼にはまりました。HPの部員紹介で「下界でどんなことがあっても山に登れば心も晴れる。人生の喜怒哀楽を宝満山と共にする名前通りの正真正銘の山女。」って書かれました。(が、この文が一番似合う人は他にいると思います。私は2番目ですね。)山行きたいといつも思っていますが、金・体力・暇が足りません…(笑)週3の兼サーしながら忙しい中では結構登っているほうだと思います。

それでは本題の宝満山について、お話ししていきたいと思います。
マジで統一感ないです、文体メチャクチャです、ご注意ください。


宝満山がなぜ好きかと言われても、正直パッと応えられないことに気づいたのはこのブログを書くことが決まった時のこと。登りたくなる気持ちは理屈じゃないんだよなあ(笑)。
でも、糸島低山になんか対抗心あるし、歩荷や三郡縦走で来るだけのワンゲラーの皆さんに宝満山や太宰府のよさを知ってもらいたいのもあるので宝満山のいいことろ、好きなところを頑張って文章にしてみました。4部構成です。宝満山のことだけでなく、自分が思う山の楽しみ方もゴリゴリ織り交ぜております。
※以下の文章は宝満山に行ったことある人向けになっているかもしれません。行ったことがない人、わかりにくかったらすみません。

ご来光、人が多すぎました。

①交通の便良すぎ!
西鉄太宰府駅からまほろば号で10分足らずで登山口のかまど神社に到着するし、そのまほろば号は30分に1本の間隔で運行しているし、どこから乗っても運賃100円!!控えめに言って神。(そのためワンゲラーは都府楼前駅から乗っている)博多駅から太宰府駅行の西鉄バスも出ているのでエコラーは交通費をかなり抑えることができる。もちろん神社近くには駐車場も用意してある。
他地域に比べ登山口へのアクセスがいい福岡の中でも、宝満山はトップクラスに入ると思う。(私が知ってる中では)登山口へこんなにバスが出てるの、当たり前じゃないんですよ。
…え?伊都から遠いって?それは伊都の立地がわr…とにかく都心部からのアクセスは糸島には負けませんよ。(でもむしろ公共交通機関を使わずに手軽に低山に行ける伊都の立地、羨ましいです。特にこのご時世。山が近いキャンパス、大学生ワンゲラーにとってはありがたいですよね。)

②多くの人を受け入れてくれる難易度と多様な楽しみ方
標高は829mでかまど神社から登ると標高差は660mくらい。(私のYAMAPの記録参照)正面登山道はひたすら石段で、危険箇所はほぼない。(もちろん油断は禁物ですが)
そのため、普段登山をしない人でも体力がある程度あれば登ることができる。きついだろうけど、山頂に着くと普段の生活で感じないような達成感は得られるはず。わたしもワンゲル以外の知り合いを連れて何度も登った。初めて来た人は道中や山頂の景色に感動してくれる人が多く、なんだかこっちも嬉しくなる。
でもその一方で、我々ワンゲラーや登山ガチ勢も楽しめるようになっている。歩荷をすればいいトレーニングになる。日本アルプスなどを数日かけてがっつり縦走したい人たちにとっては近場の山を定期的に登って地道に体力や筋力をつけていくことがとても大事なので、宝満山のレベルはもってこい。入部当初は「遠くても九州内の山まで。アルプスとかはレベル高すぎるけんいいや。」と思っていた私も宝満山歩荷のおかげで屋久島にも富士山にも南アルプスにも行けるようになったのだから。宝満山歩荷めんどくせー、石段ばっかでだりーとか思っているそこのあなた、宝満山からどこへでも登れるようになれると思ったらモチベーション上がりません?なんか夢がひろがりませんか?
もちろん重い荷物を背負って時間をかけて登るだけでなく、トレランで山頂まで駆け上がるのもよきよき。ある部員が一日で宝満10往復やってましたね。すごい。私もそろそろ違う宝満の楽しみ方を味わいたいのでちょっとタイムアタックしてみたいなと思ったり。(体力ないくせに言ってみる)

とにかく、宝満山に来る人たちは、登山歴も目的も格好もさまざま。でかいザックを背負い歩荷や縦走をしているワンゲラーの他にも、見ててほほえましい家族連れ、高校生男子の集団、キャンプ場で山飯作って食べるのを楽しみに登る人、毎日宝満山の人、バチバチメイクのお姉さん、仕事がない隙にパッと登りに来る人、全身山の格好でそろえているおばさま、最近登山始めましたの人、すんごいスピードで通り抜けていく人、本当にいろんな人とすれちがう。休日の挨拶の回数は尋常じゃない。ソロでも孤独感を感じない。平日の昼間でさえも何人か人を見かける。
そして休憩中にそんな人たちとおしゃべりするのも楽しみだったりする。「大きい荷物やね~」からの「トレーニングです」「中は水です」の会話がほとんどだが、たまに別の話題で盛り上がったりもする。行く予定の山や今まで行った山の話をするのも楽しい。真夏の歩荷中に3合目でパイナップルをくれた優しいお方もいた。野北に岩登りできるところがあるよーって教えてくれた人もいた。いろんな人と会話をすると山の価値観が広がるなーって感じます。
 というかここまで正面登山道でのお話しかしてませんが、それ以外にもめっちゃルートありますからね。はよ開拓したい。一番気になっているのは猫谷川新道です。誰か行きましょう。

③下山後の観光
まあいくら交通の便がよいといっても歩荷のためだけに太宰府までいくのは面倒だという人のために。宝満山歩荷だけで帰るのはもったいない。登山の前や下山後にどっか寄ってみたらどうでしょうか。
ということで、宝満山周辺のおすすめスポットを紹介。というか観光案内です。(太宰府天満宮はあまりにも有名なのでそれ以外でいきます。あと載せてないけど都府楼前駅周辺の観光もしていってくれたら嬉しいです。)山関係ないかも。やっと写真がたくさん出てきます。

○竈門神社
 登山口の神社にガラス張りの建物があるってなかなかない。おしゃれすぎる。最近は『鬼滅の刃』の聖地巡礼で訪れる人が多いようです。


 そしてそして、主祭神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)は縁結びの神様として有名。「恋みくじ」というものがあるが、大吉が出ても当たっていない気がする人はきっと参拝をサボっているせい?まあいつも神社の前をスルーしていく人の運勢はしったこっちゃないですよね。(わたし調べ)「登らせていただきます」と感謝の気持ちで、登山の安全祈願のためにもきちんと参拝していきましょう。
(桜の写真)
ホームページ→ https://kamadojinja.or.jp/

○山の図書館
正面登山道登山口のすぐそばにある、とにかく山に関する書籍ばかりの図書館。ずっとおれる。薪ストーブのある室内の雰囲気が素敵。自分が一番お気に入りの書籍はパタゴニア地方の写真集。
ホームページ→http://yamatosyo.starfree.jp/

○宝満茶屋 新・山公
山の図書館のお隣にある、そば&ジビエの店。私は行ったことがないので早く行きたい。「♯チベット仏像」のハッシュタグが気になる。
Instagram→ https://www.instagram.com/sin_yamakou/

○宝満山 参拝隧道
 下山して太宰府駅まで歩いていくと、最後の方、道の左手に現れるトンネル。そのまま天満宮の裏につながっている。「千と千尋の神隠し」に出てくるトンネルっぽい。麻生太吉さんが昭和3年に寄進したもので、太宰府天満宮の境内の中の唯一の私有地。境内の一番奥の「お石茶屋」を営んでいた「お石さん」に惚れた麻生さんが彼女のために作った、なんてロマンティックな伝説も残っている。まほろば号に乗り遅れたときはぜひここまで歩いてトンネルを通ってみよう!!!
参考HP→https://www.aso-group.jp/history/achievement_26.html

④宝満山×歴史は面白いよ

 宝満山に限らず、山の醍醐味ってこれだと思うんですよね~。山の由来とか調べるの楽しいですよ。歴史だけじゃなくて、前回のブログにもあった植生、あとは地理や地学なども山で学べちゃいますし。こういうことも興味を持って調べてみると登山の楽しみ方が広がりますよ。(でもそんな勉強とかお堅いこと考えたずに「山に行きたいから山に行く」みたいなスタンスも大事ですよ。私も普段登るときは山行きたいしかかんがえてないことがほとんどなので。登っている途中で「あ、こんなのあったんや」って気づいて気が向いたらちょっと後で調べる程度です。)

はい、前置きが長くなりましたが、以下、宝満山の歴史です。

宝満山はですね、天武天皇の時代に信蓮上人という方が開山したみたいです。上人が修行していると突然高貴な女人が現れて、「われは玉依姫なり。この国たみをしずめ守り、皇統を守護するものなり。」と告げるやいなや金剛神の姿になり九頭の龍馬に乗って飛んでいったそうです。このことを信蓮が時の天皇に奏聞し、天皇が有司に宣下し建てられたのが今日の宝満上宮(山頂にある竈門神社の上宮)にあたるらしいです。上宮の御社殿は北を向いて建てられており、はるか海の彼方の大陸を意識していたのかもしれません。

玉依姫にまつわる馬蹄石や竈門岩は山頂付近でみることができますよ!   

以降、宝満山は神仏の鎮まる山として尊崇され、遣隋使や遣唐使が大陸に渡る前に安全や成功を祈願したそうでです。あの有名な最長や空海も来ていたらしい!!あとは、大宰府政庁の鬼門封じとして国家的祭祀が営まれてきたとか。(「鬼滅の刃」の聖地巡礼は宝満山登山もセットでやってほしいなと個人的には思う)
中世から近世にかけては修験道の山として栄えます。鎌倉時代末には彦山(今の英彦山)から宝満山まで、修験道の霊場が完成していたそうです。(個人的に宝満山の歴史で一番のエモエモポイント。これを知って英彦山から宝満山まで自分の足でたどってみたい欲がでてきましたあ!!!!)
戦国時代も戦乱の被害を受けながらも小早川氏や黒田氏の寄進を受けながら整備されていたそうです。
ただ残念なことに、明治時代の廃仏毀釈によって修験道・仏教関連のものはいろいろ破壊されてしまいました…。
でも、歴史と信仰の跡を求めて登山する人は後を絶たなかったのです。1982年には、開祖心蓮上人の千三百年忌を期に宝満山伏の末裔が中心となり「宝満山修験会」が再び結成され、以来、毎年5月には、峰入りや採燈大護摩供などの行事が厳修されています。

参考文献:竈門神社のHP、「九州の岳人たちーその登山史ー」(日本山岳会福岡支部 編)

とな感じで紹介させていただきました。興味ない人にはつまらなかったかもしれませんすいません。

でも私が伝えたかったのは、この山にはこういう歴史があるんだと知ることで、山に行ったときにじかに歴史に触れることができるよ、ってことです。山って人間の寿命よりはるかに長い時間そこに存在しているわけですからね。昔からある木とか石とか触れるだけでちょっとタイムスリップした気分になれません?数百年前を生きていた人と同じ場所に立って同じ景色を見て同じものに触れて…ってなんかロマンを感じません?(私だけですか?)

 

以上、4つに分けて宝満山の魅力をお伝えしました。
文章ほんとグダグダですね、申し訳ないです…
でも一つの山からここまで話すネタを作ったのは我ながら頑張りました。
宝満山を好きになってくれる人が一人でも増えてくれると嬉しいです。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

 


ワクワク 植物博士へのインタビュー (ブログウィーク第8弾)

2020-06-04 16:41:27 | うちでワンゲル

ー今日は自称植物博士にお話をお聞きしたいと思います。自己紹介をどうぞ

 2年の島崎です。

ー自己紹介そんだけかい!? 少なっ!!  それでは内容の方をどうぞ (いや、インタビュアー適当すぎ?まあいっかーww)

今日は植物についてお話ししたいと思います。私は植物が大好きで、自他共に植物博士と認定されています(絶対に!!) 

(ーあれ、自他ともになんだ、自称かと思ってた)

 それは、なんと、去年の誕生日プレゼントに植物図鑑をもらうほど!!(本当はキノコ図鑑が欲しかったのに… まああんまり変わらないからいっかー 十分満足(^^♪ しかも持ち運びに便利だぜ!)  コロナウイルスの影響で県をまたいでの移動ができないから福岡の山でしぶしぶ我慢している皆さんや歩荷訓練で同じ山ばっかりに登っているみんなに朗報です! ほんの少しの植物を知っているだけで山歩きが100倍楽しくなる方法をお教えします  さて皆さん、松とヒノキと杉の違いは分かりますか? 某山岳部員は実物を見てもあんなん全部一緒やん!! と叫んでいましたが、まあ常識として知っていないと恥ずかしいと私は思いますね。 

ー常識なの!!   Oh no~♪ you say good bye and I say hello~ (←私はいつもOh no って思うとこの曲が頭に流れてくる ビートルズのhello goodbye の途中の部分) では植物博士! その違いを教えてください

 

それはこちらです じゃじゃーん

ーえーっと、つまり、松はつんつん 頭に刺さると痛いよね~♪ ヒノキは平べったくてよく見たらYの形があるぜだぜ ひゅ~ひゅ~♪ ヒノキの実はいい香り~♪  杉はギザギザのやつ!! gizagiza てことですかね

そうですね 分かりやすく歌にしてみると、(カエルの歌に合わせて) 「松はつんつん頭に刺さると痛いよね~ ツン ツン ツン ツン イタイタイタイタ(>_<) ツンツンツン」って感じですかね~

ーなるほど、わかりやすいですね♡ BTY(これはby the way の略です) 植物博士はこのブログで何が一番のポイントだと思いますか?

 私がこのブログで一番言いたいことは植物に目を向けることで、1週間ごとっていう短い期間でも、同じ山に登る時に植物を見ることで楽しみが増えたり、少しの変化でも季節の移り変わりを感じることができるから、みんなに覚えなくてもいいけど少しは植物に目を向けてもらいたいっていうことです。

ー博士! わたし、山ごとの植物の特徴とかあったら知りたいです!! 

そう、それをお話ししたいなって思ってたんです good question ですね ふだんどんな山に登られますか?

ー ん~、一番好きな山は皿倉山なんですけど、たぶんみんな遠すぎていかないんじゃないかな~ (ちなみに、福智山系をよく縦走してましたね) 1つ前のブログは個人的に面白かったですヨ♡ まあ後は、王道の三郡縦走とかですかね~

 

じゃあ、とりあえずその2つの山について紹介しますね、私も春に三郡縦走を毎週してたことがあるんですけど、その時はマムシグサの、最初只の棒切れがだんだん大きくなって最後にはちゃんとした花っぽくになっちゃうっていうのにびっくりしましたね~(ちなみにあれは葉っぱです) 詳しく言うと、一週目:茶色の細い棒きれ  2週目:マムシグサっぽいシルエットが見られるようになる  3週目:マムシグサっぽさが加速 白鳥のくちばしみたいな  4週目:だんだん葉っぱが枯れていく…  5週目:マムシグサの中から赤い実がチラッと見えてくる その後は是非足を運ばれてみてください♡ マムシグサが首を長くして待ってるはず…

三郡縦走だと、スミレが登山道に生えていて場所ごとで色とか形が変わっていたりして、可愛いし、(キュンキュン) 楽しい♪ 一番見つけてテンションがあがったのはギンリョウソウ(ユウレイダケ)っていう植物で、植物のくせに光合成をせずに腐食した葉っぱとかを栄養として生きていて、白いふわふわしたのが生えているんですけど、 図鑑で見ていただけだったから実物を見てすごいれしかったですね~ でも、その時すごく急いでいて、一緒に歩いていた友達も植物に1㎜も興味なかったので、ちょっと悲しかったですね~ だからこそ、みんなに興味を持ってもらって一緒にワクワクを共有したいですね!

これがギンリョウソウ

ーじゃあ勉強しますね!! 次は福智山系についてお願いします!

 

 福智山系はやっぱり草原ですからね~ しかも、土壌が石灰岩質なので特有の植物がみられるんです!!(キラキラ) 詳しく知りたい方はこの本をご覧ください⇒熊谷信孝さんという方が書かれた「貫・福智山地の自然と植物」

 

個人的には福智山系の中では、カンドコロやフタリシズカ、モミジイチゴなどが見られましたね~ あとは、けっこうシダ植物がたくさん生えていて、ワラビやコゴミがあって、それらの調理法とかを調べて友達と共有しあったり、ワラビとコゴミとゼンマイの違いを講習会したりしました。 皆さんもそれぞれの山で気になる植物とかあったら、友達と共有したり、自分で調べてみたりしたら面白いと思います。

ー Ah bon!! 楽しそうですね!! でもワラビとかゼンマイとか食べれるし、そういうの分かってたら人生楽しくなりそう♪ 個人的には薬草とか興味ありますね

 

そうなんですね、私はそんなに食べる系の草には詳しくないので、勉強してみますね! まあ家にフキノトウとミョウガがあるくらいかな~雑草としてヨモギも生えてる… (雑草生えたら草取り大変だから生えないでほしいな~  なんかでも、雑草という名前の草はないんだって_____ )  地元の登山協会の野草を食べる会っていうのに行ったことがあるんですけど、そこでは椿の花をてんぷらにして食べていて、私も食べさせてもらったんですけど、とてもとても美味しかったです(^^♪ それからは椿の花見たら美味しそうって思うようになりましたね~  

ー椿の花か~ そういうイメージなかったですね 確かにおいしそう! (ていうか、野草を食べる会とかめっちゃ魅力的♡ いいなあ)  あとおすすめの山とかありますか?

 福岡県で有名なのは馬見山のアブラチャンとか、古処山のツゲとかですね~ あとは、英彦山のヒメシャガですね!

ーヒメシャガってなんか強そうで魅力的な名前ですね‼(ヒメ+シャガシャガ) (あら、もうこんな時間だわ oh no~♪~)  植物博士、そろそろお時間です

 

えーーーー もう時間なんですか? もっと話したいことたくさん(富士山よりたくさん何ならアコンカグア山でもいい)あったのに…  

ーでも博士、そうしないと原稿の締め切りに間に合わないんですよ ((´Д⊂グスン)

ーそれでは最後に一言よろしいですか?

 ん~そうですね、私もまだまだ悩みがつきません (。´・ω・)ん?間違えた 学びがつきません (宿題の締め切りが閉まってて、、間違えちゃったw)  はい、えーしきりなおしますね。

私もまだまだ学びがつきません ので、次皆さんにお会いする頃にはもっともっとレベル&パワーアップしたわたくしにお会いできると思います 期待してチョ 今回は福岡県の山に絞ってお話ししましたが、福岡県の山でもまだまだ紹介しきれなかった魅力がたくさんありますし、他県の山とか世界の山にもその山ごとに魅力的な植物がたくさんあると思うので、ワンゲルのみんなが少しでも植物に興味を持って下さったら、うれしいです。 植物だけでなく、皆さんが思う山の魅力をたくさん共有できたらと思います。

ー本日はありがとうございました。 パチパチパチ そういえば、スケッチ上手ですね!

はい、組織学のスケッチで鍛えられたので(笑)

ー組織学? なんやねんそれ んーわたし頭固いからちょっとわかんない  組織学かー 会社の組織を学ぶ感じかな________ 

(体の組織です)

             THE END END END ... 


 


鬼の中島と行く福智山全山縦走(2020/02/08)(ブログウィーク第7弾)

2020-06-02 19:00:00 | うちでワンゲル

こんにちわ! ワンダーフォーゲル部主将の折田です。

主将とは言っても、登山を始めたのは大学からで、別に大した実力があるわけではないですが。知識や経験は副部長や主務の方が豊富ですし。そんな感じなので、僕は歴代の主将の方々とは違って、「自分が引っ張る!」という感じではなく、部を支える方に徹してます。たまにはそういう主将がいてもいいよね笑 なんか最近はそれすら副部長と主務に任せてる気もしますが…まあ気のせいでしょう!

ちなみに僕はマイペースで登山をしています。一回も登山をしない月もあれば、週に3回以上登るときもあったり。ほんと気まぐれです笑 登るときも自分のペースで歩くので、他の人が後ろにいるときは怒られることも。他の人に合わせてペース調整するの苦手なんですよね… 瀬田とか増田とか中島とか、僕が何も考えずに歩いていてもついてきてくれるのでホントにありがたいです。彼らの方が体力あるしそりゃそうか。

そんなどうでもいい話はほどほどにして、そろそろ本題の福智山縦走について話します。この縦走路、本当は福智山で一泊するものらしいんですが一日で行っちゃったよ!っていう話です。


メンバー 中島、折田

記録 折田

 

それでは、今回の福智山縦走の話を始めます!

きっかけは期末テストの終わりが近づいた時期の、中島の「春休みになったら、どっか山行かない?」という一言だった。僕もそろそろ体を動かしたいと思っていた時期だったので、了承すると、さっそく中島から簡易的な計画書が送られてきた(さすが副部長。仕事が早い!)。

で、送られてきた計画書がこれ

ルートはJR採銅所駅からJR八幡駅までをほぼまっすぐに北上!

距離感わからない方は、googleマップでも使って調べてみてください!

僕「…いや、長くない!? 山道を30km近く歩くの?」

中島「いやいや、折田なら行けるって」

みたいな会話を何回か繰り返した後、まあなんだかんだ言って、きつい山行は今までもいくつかやってきたし(クリスマス縦走とか乗鞍レンタカーとか)福智山から先はそんなにアップダウンないし(←きついのは福智山より手前でした)何とかなるか…と思いながら、行くことになった。

 

で、登山当日。ワンゲルにしては珍しく(?)、始発の電車に二人とも間に合う。そのまま中洲川端駅で降りてバスで北九州へ。バスの途中で福智山とかが見えたらしい。僕は寝てたから知らないけど。

バスを降りると北九州名物?のモノレールへ。二人とも田舎出身のため、珍しい乗り物に興味津々。

なんかカーブでめっちゃ傾いてたけどこういう乗り物なのかな…。まあいいや。

企救丘駅でモノレールを降りると志井公園駅までダッシュ。何しろ乗り換え時間が3分くらいしかないのに駅が200mくらい離れる。息を切らしながらなんとか電車に乗り込む。電車で少しエネルギー補給しているうちに、出発地点の採銅所駅に到着。

 

7時45分ごろに採銅所駅を出発。もちろん僕が前を歩く。YAMAPの記録によると、500m弱登る道を、40分ちょっとで登ったようなので、結構とばして歩いたんだろう。正直あんまり覚えてない笑 そんなこんなで最初の山、牛斬山に到着。

最初の山頂だしのんびり休もうと考えていると、突然中島から「今日は休憩短めで、時間に厳しく行こうと思う。折田のために(?)心を鬼にするわ。」とまさかの宣言。いや、僕のためなら休憩長くしてよ…という声もむなしく、きっちり5分後に「出発するぞ。」とせかされる。

しぶしぶ牛斬山からリスタート。もう少しやすみたかったな… そんなことを考えながら歩いていると、やたらと道が開けてきた。

草スキーができるんじゃないかって思うくらいの見晴らしの良い急な坂が現れる。「こういうの下るの楽しいだろうな」と考えながら登る。きつい… 何とか坂を乗り越えるも、休憩時間はたったの三分。鬼め…

リスタートするも、激坂ふたたび。ここまではっきりしてると潔いよね。どっかの若杉山も見習ってほしい。そんなことをぶつぶつ言いながら登る。

そうしているうちに赤牟田の辻に到着。この時点で9:37 コースタイムより1時間くらい早いペースで来てる。もちろん、鬼の中島がそれを休憩時間に還元してくれるわけもなく、4分で出発。

 

その後、念仏坂という角度が70~80度くらいある坂(壁?)を下り(↑上2枚の写真で伝わるかな…)、テクテク歩くこと50分で本日のメイン、福智山に到着。

鬼が頂上の景色を写真に撮るのに夢中になっている間にしっかり休憩。福智山、貴重な休憩時間をありがとう(20分近く休憩できた!)と感謝し、出発する。近くの水場で水質が不安定な水をペットボトルに補給し(飲まずに済みました)、のんびり歩く。途中で本日の最後の山、皿倉山も見える(奥の白い建物がある山が皿倉山)。

その後は尺岳、音滝山、白畑山、建郷山と登って行った…らしい。ごめんなさい、長すぎてあんまり覚えてない笑 とりあえず覚えていることは、

  • コースタイムより速いペースで歩いている
  • 休憩が3~5分ずつしかない
  • 僕が一日の縦走で歩く最長距離を更新
  • 「皿倉山まで残り10km」の看板でやたら喜ぶ

そんな感じだったと思う。12~13kmの間の記憶ないってこの縦走の半分くらいを占めてるはずなのに…

 

気を取り直して、市の瀬峠から記録しておこう。このあたりから僕が体力的にきつくなり始める。権現山は迂回路があったので、そっちを通るつもりだったが、分岐で間違えて権現山を通る道を選んでしまう。中島曰く、

「わざわざ権現山を通る道を選ぶなんて、さすがワンゲル部長だね。」

どうやら彼は道を間違えていることに気づいていたらしい。いや、教えてよ…てかなんでそんなに楽しそうなんだよ…こっちはこんなにきついのに… 残念ながら僕が気づいたときにはすでに戻る方が遠回りになるくらい進んでいたので、そのまま権現山を通って進むことになる。個人的にはこの山がこの縦走で一番きつかったと思う。何しろ200mくらい登るし。文字通りひいひい言いながら頂上へ到着。

その後は林道を通って皿倉山に到着。権現山から皿倉山まではそれほど遠くなかった。皿倉山はケーブルカーで6分で着く山らしく、家族連れやカップルが多い。へとへとのワンゲラー二人にはとても場違いな感じがする。

↑しっかり恋人の聖地「天空ドーム」でも写真を撮る。男同士で待っていると先に写真を撮っていたカップルがすぐ譲ってくれました笑

少し下ったところにある、国見岩で写真を撮りつつ、最後の休憩をとる。八幡の街が一望できる素敵なスポットだったのでぜひ見に行ってほしい。

さすがに最後の休憩は15分くらいとった。本当はもう少し長くとりたかったが、風で寒いので仕方ない。中島が優しくなったと思った読者もいるかもしれないが、

僕「ケーブルカーで下山したい。」

鬼の中島「ワンゲルだからダメ。」

こんな感じで最後まで鬼のままだった。仕方なく八幡駅までとぼとぼ歩く。途中、八幡駅行のマイクロバスもあったが、誘惑に負けず、とぼとぼ歩く。

で、16時23分。ついに八幡駅に到着! 行動時間8時間38分、距離28.4km、獲得標高2167mの長い長い縦走が終わった。

 

八幡駅到着後は、銭湯で汗を流し、秘密のケンミンショーに出てたらしいチキンカツちゃんぽんを食べて、伊都に帰った。

こうして福智山縦走は無事に終わった。次の日筋肉痛がひどかったことも書いておく。


一応中島の名誉のために、登山中に中島が「後輩には優しくする。」と言っていたことも記録しておく。

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 


登山の装備(ブログウィーク第6弾)

2020-05-30 19:00:00 | うちでワンゲル

こんにちは、58期の増田です。

 

例年であれば、GWに新歓合宿に行って、今頃は新入生と歩行訓練に行ったり、そろそろ歩荷(重い荷物を背負って歩く練習)を始めている頃でしょうか。部活再開の目処が立っていない中、九大ワンゲルの活動を少しでも紹介しようと始まったこの”うちでワンゲル”も6回目です。やっぱり旅の記録を見ていると、旅に出たくなりますね。先日このブログに片山さんが載せられた北海道ツーリングに感化されて、今行きたい山は大雪山系(旭岳、黒岳、トムラウシ)になりました。福地さんが上げていたネパール旅もバカ長かったですが、すぐ読み終えてしまった人は私だけではないはず。

 

自己紹介ですが、一昨日のセタ君のブログのような確固たる登山スタイルが無いので少し恥ずかしいです。私は朝起きた瞬間に「山に行こう」と決めて、ザックに水とレインウェアと地図を入れて、目をこすりながら自転車を漕いで、カメラをぶら下げて糸島の低山に遊びに行くことが多いです。コーヒーを飲みながら朝日を眺めて帰ってくるだけですが、それが好きです。なぜなら、家に帰ってもせいぜい朝9時前ですよ、なんか得した気分になりますよ。最近はもっぱら二丈岳がお気に入りです。伊都キャンパスの立地に文句を言っている人!、糸島には標高が低くても展望の良い山がたくさんあります。なんて恵まれた土地でしょうか、コンクリートジャングルよりよっぽどマシです(かく言う私もこの境地に達したのは最近です)。話変わりますが、もちろん綿密に計画を立てて臨む夏合宿も好きです。去年の剱岳は最高でした。

 

いい加減、タイトルの「登山の装備」について書けよと主将に怒られそうです。そもそも、このテーマにしたのはこれから登山を始める1年生や現役部員に少しでも参考になればと思ったからです。が、昨今の登山ブームで登山のギアやウェア、パッキングなどをまとめた分かりやすいブログやサイトがインターネット上に溢れています。最初は私も真面目に書いていましたが、「登山 装備」でググってトップの方にヒットするサイトを見た方が基本的なことはすぐに理解できると思います。また、大学から登山を始めてみようかなと考えている方は安心してください。九大ワンゲルでは例年、上級生と一緒に登山用品店に行く機会を設けているので焦って揃える必要もありません(今年の日程は未定です)。そんなわけで今回は、

に絞って紹介したいと思います。

 

九大ワンゲルの活動に沿った装備

 九大ワンゲルの部としての活動は、夏(主に日本アルプス)・秋(比較的近場)・春(最近は屋久島)の合宿、週末の歩荷やレンタカー登山が大きな軸です。私はこれらの活動に一通り参加してきたので、私の持っている装備を例に、九大ワンゲルの活動に必要な装備を紹介したいと思います。画像の横の文が切れている場合は横にスワイプしてください。

 

(1)合宿など

ザック;deuter Aircontact(75+10L) 35,000円

寝袋;mont-bell アルパインバローバッグ#3 13,000円

マット;ISUKA Comfy Lite Mattress 180 9,500円

靴;Caravan GK83_02 23,500円

ライト;GENTOS ヘッドウォーズ 3,480円(AMAZON)

レインウェア;(上)mont-bell レインダンサー 16,800円       (下)mont-bell レイントレッカー 7,400円

    一番容量を食うテントや食料などが無いので少ないと感じるかもしれません。
  • レインウェア→部員のほとんどが、このmont-bellのもの。理由はGORE-TEXという防水透湿性素材が使われているレインウェアの中で比較的安価な点。GORE-TEX以外の独自の素材を各メーカー出している(値段を抑えるため)が、耐水圧、透湿性の数値は劣る。特に重い荷物を背負ったりすると背中の蒸れが気になるのでGORE-TEXを使ったものが断トツおすすめ。
  • ザック→これは75(+10)L。九大ワンゲルの合宿では70L前後のものを使う。
  • ヘッドライト→基本的に山中では早朝使用する。最低200ルーメンは必要。
  • シューズ→合宿では最も重い人で20kg弱になるので、ハイカット、ソールは硬めのものがおすすめ。シューズは個人の足の形によって合うもの合わないものがあるので、慎重にお店の人と検討すべき(色んなメーカーを取り扱っている石井スポーツ博多店はおすすめ)。部員はcaravanのgrand kingを履いている人が多い。
  • 寝袋(青い筒状)→これは、化学繊維のもの。お金に余裕があれば、軽くてコンパクトなダウンを使ったものが絶対良いです。
  • スリーピングマット(黒い筒状)→これはエアーマット。コンパクトだが、蛇腹の折畳みマット(発砲ウレタン等)に比べて少し重くて設置に時間がかかる。個人の好みによる。
  • 食器、カトラリー類→素材はアルミやチタンが多い。正直スタッキングできればなんでも良い。
  • その他→テントや調理器具、ガス缶等は部の共同装備を使います。食料や水筒(プラティパス等)、着替えももちろん持って行きます。この"その他"が最もザックの容量を占める。

(2)服装(春先〜初秋の行動中)

tシャツ;mont-bell wic.T(九大ワンゲルT)

パンツ;mont-bell リッジラインパンツ 7,000円

靴下;GABOX メリノウールソックス 1,900円

 シンプルが好きです。

  • パンツ→mont-bellのリッジラインパンツは履いている部員が多い印象。ストレッチ性が良くてコスパ○。
  • 上半身→私は基本的にTシャツが好き。当然速乾性に優れた化学繊維(ポリエステル等)。冬はアンダーウェアの着用が推奨される。
  • 靴下→夏でも分厚い登山用の靴下(長時間の歩行による足への負荷軽減、吸汗 etc.)
  • その他→帽子やサングラスなどの紫外線対策も重要。防寒、防風用にウィンドブレーカーも必要だが、レインウェアでも代用可能。

(3)他のザック

mont-bell クロスランナーパック 15L 9,300円

THE NORTH FACE TELLUS 35L 21,450円

使う頻度は75Lのザックより圧倒的に高いです。

  • 35Lの方は、日帰り登山から週末のレンタカー合宿まで対応。15Lは糸島の低山など身軽に登ったり、走ったりする時に使用。私のようにふらっと日帰り登山に行く方は30L以下のザックがあると非常に使い勝手が良い。

 

本来なら部の共同装備も紹介したいところですが、ザッとこんな感じです。日帰り登山(糸島の低山など)をするのなら、山でも滑りにくい靴さえあれば服装やザックなどはあり合わせのものでも大丈夫だと個人的には思うので、とりあえず何も持っていない人は靴を買った方が良いと思います。

 

 

 

 

現役部員のおすすめアイテム

登山の装備の中には、持っていかなければいけないものと、便利でより快適に過ごせるようになる為のものに分かれます。特に後者は経験が多いほど発見できると思います。そこで3名の登山歴の長い58期の部員におすすめアイテムを聞き写真と簡単な説明を頂きました。私の感想も少し付けておきます。

・中島君

チタンマグ(snow peak)

「山の上で一服したいとき、サーモボトルに入れたお湯でラテを飲むのに愛用してます。ちょっと値は張りますが、チタン製をオススメします。ステンレスより軽くてサビに強い。チタンの風合いも良く、これでコーヒーを啜りながらオンライン授業を受けるのが最近のマイブームです。家でも外でも大活躍まちがいなし!!」(本人より)

 

中島君は先日のブログでも書いていたように生粋の糸島低山マニアです。私も糸島の山は好きなので、気が合うと勝手に思っています。チタンマグと聞いた時はとても共感しました。自己紹介でも述べたように、山頂で飲むコーヒーは本当に美味しいので是非試してみてください。


 

・福地さん

MEDALIST (APPLE&HONEY)

 

「シャリバテ対策に常備。飲めばだいたい回復できる。どこのお店でもだいたい売っている。似たようなゼリーはたくさんあるが、飲みやすさはこれが1番。」(本人より)

 

登山では三食分の食料の他に個人で行動食を持って行きます。エネルギーを切らさないためなので、おにぎりでもパンでもなんでも良いのですが、長期の登山の行動食で求められる条件は「日持ちする、軽量コンパクト」が基本です。そこで、こういったゼリー(この小ささで106kcal)がアウトドアショップなどでも広く取り扱われています。私は個人的にジェル系は苦手なので羊羹をよく持って行きます。行動食は人によって特徴が出るので面白いです。


 

・小山田さん(画像横の紹介文が見切れている場合は横にスワイプして下さい)

インナー

左:コロンビアの冬用インナー。コロンビアのオムニヒートに絶対的な信頼を持っていいるので愛用。

右:ファイントラックのスキンメッシュ。汗とかを吸着して外に逃してくれるので数日間着替えなくても快適。今年更にパワーアップしている。洗濯の仕方には注意。

靴袋入れ

合宿の移動日や下山後の観光でサンダルなどを履く場合、ビニール袋に登山靴入れるより安心。

スタッフサック

パッキングに便利な防水の袋。ビニール袋のように破れたり音がうるさかったりしない。自分は防寒着入れに使っている。

山の雑誌

「山と渓谷」「PEAKS」は、登山で必要な知識やトレーニング法、山道具、山系などの特集があり、かつ一冊でといろんな分野をまんべんなく網羅しているのでとても勉強になる。 「のぼろ」は西日本新聞社が出している季刊誌で、九州の山を紹介してくれるし、出てくる人もだいたい九州の人。とにかく九州の山に登りたくなる!

インソール

登山靴を履いてるうちに馴染んできてぶかぶかになりそうなときの救世主。カーブの位置や形などで数種類あった気がする。

小山田さんは5つも教えてくれました(各紹介文は本人より)。スタッフバッグや靴袋は私も見習わないといけないなと思いました。山の情報をインターネットで調べると自分の知りたい情報はすぐに得られますが、雑誌は思わぬ角度から情報が飛んできて新たな知識となることが多いです。インターネットに偏っている人は一冊買ってみると何か得られるかもしれません。インソールは陸上や他のスポーツでも使っている人が多いですね。登山で長時間歩くと足のアーチが落ちてきたり、様々な異常が出るので靴を選ぶ際にインソールや靴下もセットで考えた方が良さそうです。

 

3人ともなかなか面白いアイテムを紹介してくれました。特にジャンル等は指定しませんでしたが、さすがだなと感じました(3人とも高校は山岳部)。本当は部員やOBに片っ端から聞いてみたかったですね。時間も限られているので今回はできませんでしたが、一緒に山に行ったときに共有しましょう!

 

 

いかがでしたでしょうか。装備に関してはだいぶ荒っぽく紹介しましたが、気になったものがあればネットで調べたり、登山用品店に行って実物を試してみましょう。ただ、大事なのは山へ積極的に行くことです。行く回数が増えれば、不要なものと必要なものが分かってきます。

適切な装備で山を楽しみましょう!

(終わり)

 

 

 

 

 

 


山と遊ぶことについて語るときに僕の語ること(ブログウィーク第5弾)

2020-05-28 19:00:00 | うちでワンゲル

文責:3年瀬田

 

 大根の皮をむくときは決まって母の言葉を思い出す。僕が中学生のときだっただろうか、大根の皮をピーラーでむこうとしたら、「かつらむきもできないようでは割烹の料理人にはなれないよ」と包丁を使うように諭された。僕は料理人になりたいと言った覚えはない。単に母の料理の手伝いをしていただけであり、母の発言もありふれた冗談の一つである。それ以上でもそれ以下でもない。母は、決して冗談が多い人ではないが、人並みには(人並みがどの程度であるか、いまいちわからないけど)口にする。だから、この冗談は他の多くの冗談とともに時間を走るバスに乗り損ね、あるいはふるい落とされ、過去のものになるはずであったが、どうわけか僕はいまだに大根の皮をむくたびに思い出し、「いつ料理人になるっていったよ」とつっこみを入れることになる。もちろん、今は大根の皮は包丁でむいているし、そもそもピーラーを持ってない。よく行くスーパーでは1本100円以下で売っていることが多く…大根の話はこの辺で終わりにしよう。なんたってワンゲルのブログであり、一つの野菜についての思い出や感想を語る場ではない。あまりふざけすぎると怒られる。

 そもそもなんでこんな駄文を垂れ流しているのかというと、部の紹介としてブログを書く人を募っていたからである。何書くかも考えずにとりあえず手を挙げたんだけど、なんたって集まった人たちのコンテンツが真面目過ぎて困ってしまった。中身は面白いんだろうけどさ。一人ぐらいおいしい豆腐の食べ方について語ってもいいじゃないか。まあー、良くないのか。ブログ更新もちょうど真ん中あたりだから長い縦走路の水場みたいな立ち位置で――もっともこのブログから得られるものなんていささかもないから水場という表現も不適切かもしれないがそこはご愛嬌――次のブログの更新を楽しみにしてほしい。

 

さて、それではまず自己紹介をしたほうがいいのかな(つまらない序文なんて書かずに自己紹介から始めろよということを私は声を大にして言いたい)。

“エー,ゴホン ムムッ マッ,マイネーム イズ コウキセタ…”

すいません、慣れてないもので(毎度思うけど自己紹介って難しいよな、まったく)。

気を取り直して、僕は

トレイルランニング スカイランニング

と呼ばれる競技性の高い山岳スポーツや

ULハイク ファストパッキング

と呼ばれるスタイルで山を楽しんでいる。

ワンダーフォーゲル部には属しているけど、実際の活動はワンダーフォーゲルの精神とは真逆のLight & Fastを目指している。

洗練されたギア創意工夫で荷物はもっと軽くなる。そして軽くなった分、より遠くより高くより早く、またはより楽に山が楽しめる、僕はそう信じている。

だってさ、重い荷物(ときには体重の半分以上もある)を背負ってえっちらおっちらゆっくり歩くより、できるだけ軽い荷物のほうが色々と楽しめるでしょ。というわけでトレイルランニング、ファストパッキングについての簡単な説明と魅力、必要な装備についてぼちぼち書いていこうと思う。

 

【ファストパッキング】

 先にファストパッキングについて書くのはたぶんこっちのほうが受け入れやすいはずだからである。だってワンゲラーにトレラン勧めても全然やっていくれないもん。

ファストパッキング、あるいはULハイクはできるだけ軽量化をして登山をしようという考えである。ファストパッキングはさらによりスピーディーにという考えが入るけど。とにかく僕は重い荷物が大っ嫌いである、掃除機の音と同じくらい。

さて、荷物を軽くするといっても、必要なものを持たないというわけではない。ファーストエイドやレインウェアなど絶対に必要なものは削ってはいけない。その中で効果的に重量を減らさると思われるものは

・ザック

・テント

・寝袋、マット

・食料

・着替え

こんな感じかな。まだまだ細かいところで削れるけど今回はこれくらいで。

まず、ザック。ザックは意外と重くて、日帰りで使える25L前後だと1.5㎏くらい、小屋泊まで使える40L前後のザックは大体2㎏弱はあるものが多い。これが半分の重さになればかなり重量は減らせる。OMMやSALOMON、MONTANE、山と道など作っているメーカーはたくさんある。個人的に興味があるのはBlooper Back Packsというガレージブランド。南アルプスの麓に工房があり、今年の夏、南ア全山後に伺おうと思っていたけど...

 

OGPイメージ

blooper backpacks

ブルーパー バックパックはトレイルランナー・ハイカー・クライマー・フライフィッシャーなど、多くのアクティビストたちとの対話から生まれたバック...

blooper backpacks

 

 

次、テントはツェルトを使い、ポールはトレッキングポールを代用する。2テンからツェルトに切り替えれば、1㎏以上の軽量化になる。天気が悪くなければツェルトでも結構快適。雨の日はやったことないから今度試してみる。

寝袋は半身のもの(OMMなどで出している)やSOLのエスケープヴィヴィのような羽毛ではなくアルミを蒸着させたものを使えば0.5㎏程度軽くなる。マットは薄くて硬いものにしてザックの背面パッドを兼ねれば、重さも嵩も減る。空気を入れるような柔らかいマットじゃ寝れない?日本人は昔から畳や板の間のような硬い床で寝てきたんだから大丈夫!とはいっても氷点下になると流石に寒かった。

食料はα米やリフィルのカップラーメンのようにメインの食事の軽量化以外でも、補給食はトレイルバターのような脂質を多く含むものを選べば軽くなる。炭水化物とタンパク質は1gで4kcal、脂質は1gで9kcal。もちろんバランスは重要。

あとは、不必要な着替え。下界で着る服なんていらないし、どうしても欲しければ下山後に買えばいい!?

歩いているとき以外の快適性は落ちるけど、軽くしようと思えば結構軽くできる。

実際に僕は今年の3月に大峯奥駈道という日本最古のロングトレイルをファストパッキングで縦走してきた(本当はネパールに行く予定だったけどコロナで行けなくなってしまった)。要点はファストパッキングじゃないとできない縦走だったぞ!というただそれだけなので読み飛ばしていただいて結構である。

 大峯奥駈道は吉野から熊野本宮大社までの全長約90km、獲得標高9000m、コースタイム約54時間、通常6日以上はかかるトレイル。ここを4日(初日と最終日は移動も兼ねるため実質丸三日)でやり切った。時間はあったから1日10時間行動で行きたかったけど、5日目は台風並みに低気圧が発達して一気に寒気が入る予報だったから4日以内に下山しないとやばかった。途中に無人小屋はあるものの、食料の補給はできず、また水場は少ない。したがって予備日含めて5日分の衣食住を44Lザックに詰め込むことになった。5日分なら普通25㎏は超えるけど、水3Lとアイゼンを含めても20㎏以下に抑えることができた。もっともここまでだと軽かったから楽勝だったみたいな結末になりそうだけど、実際はゲロきつかった。はっきり言って人生で一番きつい72時間だったかもしれない。まず、吉野駅を出発して本格的な山に入ってから下界に降りるまで誰とも会わなかった。おまけに3日目の朝まで一切電波が入らなかったから2日間完璧な孤独を味わった。ちなみに、2日ぶりの電波を受信してSNSでのやり取りができた瞬間あまりの嬉しさに急激な便意をもよおしたのは秘密である。また、前半は事前の情報をはるかに上回る積雪量に苦戦した。八経ヶ岳の山頂直下は、深いところで50㎝くらいの積雪で、初めての踏み抜き地獄、夏道が使えず直登を余儀なくされ、釈迦岳の北壁は鎖場が全面凍結していて完全に僕の経験や道具は足りていなかった。雪がなくなった後半は異常に早いコースタイム(山と高原)に苦しめられた。コースタイムの0.5~0.6倍くらいのイメージでやっとコースタイムが切れるくらい。そして高度感はないものの岩場で有名な剱岳や石鎚山より難しい鎖場がひょっこり現れ、羽金山もびっくりの急登の連続、そして全体的に荒れていた。当然、朝は真っ暗な山を一人で歩くわけだが、メインのライトが急にバッテリー切れを起こし、サブの30ルーメンくらいの小さな明かり(メインは最大600lm)を頼りに歩いたり、スピリチュアルな話が絶えない玉置神社を午前4時半(3月なので真っ暗)に参拝したり、実際はずっと先までうっそうとした森なのに100mくらい下に道路を見つけて喜んだり、朝起きたら靴が凍っていて一歩一歩が激痛だったり、修験道なだけあって修行のような道のりだった。この2週間後にやった精神的なきつさとしては、宝満山10往復もなかなかきつかったけど、恐ろしく深い山にたった一人というのはかなりしんどいものがあった。次やるならソロではなく、分水嶺トレイルやOMMに出るような変態さんと2日くらいでやりたいな(笑)

 

OGPイメージ

残雪期大峯奥駈道カモシカ縦走 / セタさんの八経ヶ岳の活動データ | YAMAP / ヤマップ

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写真とかはここで。もっとも写真撮る余裕なくて(特に2日目)全然伝わらないだろうけど、景色はよかった。

こんな感じで大変だったけどファストパッキングだからできた縦走だったことは間違いない。僕は軽くなった分より多くの山に登りたくなる人だけど、軽くなった分景色を楽しんだり、カメラで遊んでみたり、楽しみ方はいろいろある。

歩荷や三郡縦走がきつくて夏合宿をあきらめる人もいるかもしれない。

はっきり言って、

くそ暑い中25㎏も背負って宝満山を登るなんてどうかしている。

ワンゲルでは歩荷ができなければ夏合宿に参加できないことになっているし、確かに重量への耐性がないと合宿は厳しいだろう。でも、アルプスは重い荷物を背負わないと入れないというわけではない。小屋を使うのもありだし、去年のワンゲルの夏合宿のような2泊や3泊程度の工程(渋滞が発生する人気ルートは1泊まで)なら日帰りでもいける(あくまで僕は、という話だけど、やっている人は世の中に五万といる)。もちろんコースタイム10時間以下の日帰りで楽しめる山もある。アルプス以外にも素晴らしい山はたくさんある。だから、歩荷がきつくても山をやめないでほしい。

山の楽しみ方は無限にある!

 

 

【トレイルランニング】

 トレイルランニング(以下トレラン←今までもトレランって略してた)とは舗装されていない道を走る行為である。山はもちろん海岸の岩場や砂浜、砂漠、凍った湖、これらは全部トレイルでそこを走れば立派なトレランというわけだ。ただ、走っていて面白いのはやはり山である(個人の感想です)。

先述のとおり、ワンゲル民にトレランを勧めるときつそうだから嫌だといわれてしまう。

個人的には宝満山歩荷を一本するより、三郡往復トレランのほうがはるかに楽なので首をかしげてしまう。

一つ言わせていただくと、トレランはずっと走っているわけではない。僕は下りと平坦は走るけど、登りはほとんど走らない、というか走れない。それでも、この前で大会では上位5%に入ったからみんなそんなもん。あくまで登山の延長であり、決してきつくて苦しいものではない。

確かにトレランは競争の面があって、最近はGaia(九大トライアスロン部)の方々とストラバ上で糸島の山々の最速登頂記録を争っている。これがとても楽しい。あるいは、トレランの競技的側面がワンゲル民には受け入れられないのかもしれない、やれやれ。

一方で多くのトレラン愛好者は大会で誰かに勝つことよりも

山を駆け抜ける爽快感自然と一体になるような感覚

に病みつきになっている気がする。少なくとも知り合いのトレラン変態おじさんたちは

僕も山を走る理由の一つは、トレラン中の何とも言えない高揚感にある。

ほら幸せそうでしょ

もうね、下りは山とダンスしているような感じ。トレイルの呼吸に合わせてステップを踏めたときの多幸感ときたら何物にも代えがたい。まあー、トレランをする最大の理由は常々申し上げているようにモテるためですが

 

 ギアについて、トレランのギアで特徴的な点は軽くて走りやすいことに加えて、特にザックにおいては走りながら荷物をいじれるところにあると思う。登山用のザックはショルダーハーネスの収納がほとんどないけど、トレランザックは写真のように胸に1L以上の収納力を持つ場合がほとんど。水1L、スマホ、補給食、ウィンドシェルを走りながらアクセスできるから立ち止まって、ザックを降ろして休憩する必要はない(ちなみに僕はじぇんじぇん休憩しない人間なので休憩したいときはちゃんと言ってほしい、コースタイム5時間分くらいぶっ続けで進み続けることになる)。

脊振全山縦走のほうにトレランについていろいろ書いたので興味があったらこちらを読んでいただくといいかもしれない。

 

 ちょっと興味はあるけど何を揃えたらいいのかわからないという人向けに、自分が使ったり、試着したりしたもの、知り合いのレビューをまとめてみる。正直福岡市内の登山用品店でトレラン用品が豊富で、トレランをしっかりやっている店員さんがいるのは石○スポーツぐらいなんじゃないかな。石○スポーツにはハセツネ完走歴のある店員さんが知っている限り2人いるし。ただ、SALOMONの直営店も併設されているから必要以上にSALOMONを推されるかも。やっぱり東京は強いよ。神田とか1日いても飽きない。

まずはシューズ。これはちゃんとしたものを買ったほうがいい。ランニングシューズで走ることもある僕が言うのはなんだけど。

シューズは主に地面の状態を感じやすいナチュラル系のシューズ(inov8全般やレース用に多い)とサポートやクッションを重視したサポート系のシューズ(HOKA全般やロング用)に分けられる(気がする)。

最初はサポート系を選ぶのが無難だと思う。シューズはまず自分の足型にあってないといくら機能が良くても怪我をするからしっかり試着しよう!おすすめとよく見かけるのは

・Speed Goat (HOKA ONEONE)←圧倒的シェア率(たぶん)、いつか買うかも

・Akasha (La Sportiva)←TJARのレジェンド望月さんが履いている

・Bajada (Montrail)←初心者に人気だったシューズ、廃版になった笑

・Caldorado (Montrail)←僕が初めて買ったシューズ、履きつぶした

・LONE PEAK (ALTRA)←合う合わないが激しい、僕は全く合わなかった

こんなところかな。僕は今のところMontrailのFKT liteとAsicsのFujiTrabuco Lyteを主に使っている。

 

 ザックは、トレランにおいては、大は小を兼ねないので容量選びが難しい。ただ、最初の一つは10L前後がおすすめ。10Lあればこれくらい入る。

 

半日以上かかるトレイルで水場は豊富なトレイルを想定した装備。レイン上下、ウィンドシェル、ファーストエイド、ヘッドライト、モバイルバッテリー、地図、ビニール手袋、ジェル、コッヘル、カップラーメン、アルコールストーブ、ライター、水1Lを入れてみた。まだ余裕はあるから携帯トイレや補給食もさらに入れられる。半日で終わるトレイルなら、クッカーは持たないし、ライトも小さいものを持っていく。

僕が使っているのはUDのMOUNTAIN VEST 4.0で使い勝手はいいけどスマホを入れる場所がないので10点減点。おすすめはこれ

 

OGPイメージ

 

 

 

 

 

値段が他のザックの半分くらい。付属のソフトフラスクは2個で5,000円弱相当だからザックは実質6,000円!

ポケットの位置は秀逸で背面もバンジーコードで絞れるから荷物が少なくても揺れないのがいい。試着してみたけど、サイズ展開が豊富でしっかりフィットする(僕はちびで華奢なので合うザックが少なく、ラリーグラスの店員には君にフィットする大型ザックは店にないと言われた)。

これはマスターピース、さすが世界のSALOMON(使ったことない感)

僕がショップの店員なら確実にこれを推す。そして浮いた金でちょっといい靴下(靴下も重要で…長くなるから止めとくけどさ)とかインナーを買わせる。

荷物が多くなりがちで容量が大きいものが良ければBlack DiamondのDistance15やRaidLightのResponsivシリーズあたりがいいかも、知らんけど。知り合い曰くTHE NORTH FACE(以下TNF)のTRシリーズはいいらしい。高いけど。

レインウェアは登山用のものでもいいけど、やっぱり専用のものが欲しくなる。レインウェアに関してはTNFのやつ全部買っとけばいいんじゃね。3種類あって総額10万くらいになるけども。TNFは晴れた日のお守り、降ったり止んだりのとき用、土砂降り用の3種類出しているので迷ったら全部買いましょう(錯乱)。

最近はシェイクドライというGORE社の透湿性、撥水性に優れた素材が流行っていて、MontbellのピークドライシェルやS/LABのMOTIONFIT 360 JKTなんかが人気らしい。

個人的にはColombiaのOUTDRYという素材を使ったレインもトレラン向きかつ耐久性が高いらしいので興味はある。

ウェアは…好きなものを着ればよろしい。速乾性のあるものでね。

他のギアについては登山で使うものを流用すればいい。ハマったら少しずつ買い足していくことになるから笑

 

 何がトレランをトレラン足らしめるのか、それは走るという行為以上に、使うギアにあると思う。トレランのギアは通常の登山よりも素早く、そして長い距離を進むことを前提にしているから、とても快適である。ハイカットの登山靴が必要な山はそんなに多くない。冬以外の低山ならトレランスタイルがもっとも適しているといっても過言ではない(気がする)。恐れず、構えず、ザックとシューズを買ったらいつの間にかどっぷりハマって、数年後には100mileレースに出ているかもしれない。ザックやサイズが合えばシューズ(オリエンやってた友人からもらった)も貸せるから、ちょっと興味があるけど買うのは...って人は不肖セタまで連絡ください。

 

 大根の話に戻る(戻すな)。ご存じのとおり、大根は先端ほど辛く、葉っぱに近いほど甘くて水分が多く、場所によって適した料理がある(僕は、細くてしゃきしゃきした大根サラダが好きだ)。しかし、ここまでが先端という明確な区切りはなく、大根自体は連続している。なんとなくここからは先端で、このあたりが中間で、となるように山を楽しむスタイルもどこかに区切りがあるわけではない(無理やり)。便宜上トレランとかファストパッキングと名前を付けているだけで、そこにこだわる必要はない。軽い荷物で、動きやすい靴で、山に行ってみると今まで見えなかった景色が目の前に広がるかもしれない。きっと病みつきになる。

 最後に僕の尊敬する山岳アスリートである、キリアン・ジョルネの動画を紹介する。

OGPイメージ

 

 

 

 

彼は世界中のビックレースを制し、マッターホルンやモンブラン、アコンカグアなど数々の名峰の最速登下山記録を持っている。低山からエベレストまでこなす目下世界最強の山屋であるキリアンが、ベースジャンパーと対決する動画なのだが、見ていてほれぼれする。なんというか、走りと山の波長がぴったり合っている見える。そして何より楽しそうなのがいい。山は遊ぶところだ。YoutubeやInstagramにはこんな面白い動画がたくさんあるから、暇な人は見てみるといいかもしれない。きっと参考になるところがある。   以上

 


ビビりな女子のネパールトレッキング 後編 (ブログウィーク第4弾)

2020-05-27 19:00:00 | うちでワンゲル

こんにちは。58期の福地です。先日、ワンゲルの中の自由な劣等生…と暗に言われた気がしましたがきっと考えすぎでしょう。なんたって主務ですから。…心当たり?…ありますよ…たくさん…。パキスタンと南米に行きたい今日この頃です。

ビビりな女子のネパールトレッキング 後編です。

後編はいろいろ起こります。文字量が多いのは許してください。いろいろあったんです。

前編ではカトマンズのドミでダニエルとジィーと仲良くなり、ナウォンというガイドを見つけてルクラからディンボチェまで歩いてきたところでした。ダニエルとジィーの高山病が心配です。

それではどうぞ


6日目 3月13日 高度順応日

この日は高度順応のため移動しない。ダニエルとジィーは調子が悪く、1日ロッジで休んでおくようだ。私とナウォンは高度に体を慣らすためにも4700~4800mくらいの場所まで登ることにした(ディンボチェは4350m)。空荷なのだがこれがなかなかきつい。

↑だいぶ高くまで登ってきた。下のほうにディンボチェの村が見える

 

宿に戻ってお昼を食べ昼寝をしてベーカリーの中のテーブルで本を読んでのんびり過ごした。

明日は雪が降るかもしれないとのことだったので早めに出発する。夕飯を食べて明日に備え、先に勘定を済ませた。

 

 

7日目 3月14日 ディンボチェ→ロブチェ

今日はディンボチェ(4350m)からロブチェ(4930m)まで。5-6時間歩くようだ。

朝6時過ぎにコリアンヌードル(辛ラーメン)を食べ、辛すぎて一人で号泣した。ジィーとダニエルに心配される。昨日ジィーがおいしそうに食べていたから食べてみたのに、なにこれ辛すぎんか…ちなみにこの辛さが無駄に癖になってまい、度々トレッキング中に食べては毎回泣いていた。

朝7時前に宿を出発する。最初50~100mほど登る。その後は平たんな場所を1,2時間ほど。アマダブラムから離れていくのが少し悲しい。でもまた同じ道を戻ってくるしまた見れるかな。(戻ってきませんでした。)こうしてトゥクラ(4620m)に至る。少し休憩を取った。ちなみにここの外のトイレは私の人生で汚いトイレ1位にランクインした。

↑ディンボチェからトゥクラまでの道で

 

ここからは1時間歯半ほど登ることになる。トゥクラパスと言ったか。下から見上げるだけでげんなりする。ダニエルは高山病できついのかだいぶ遅れている。

登り切ったところは開けており景色がとてもきれいに見える。お墓だか墓石だったか忘れたがそれらしきものがたくさんあった。

↑トゥクラパス。みんな登り切って一休み。

 

ここから本日の目的地ロブチェまでは30分‐1時間ほど。登りはほとんどなく楽だった…気がする。

↑トゥクラからロブチェまでの道。左側はクーンブ氷河…の端かな…違うかも。

↑凍った湖だか池だか。寒そうじゃない?寒いのよ。

↑近づいてくるヤク達。

 

ロブチェにトリプルルームのある宿を見つけたのでそこに泊まることにする1部屋700ルピーだ。着実に高くなってきている。お昼にチャパティにはちみつをかけて食べた。チャパティってこういう食べ方だっけ。でもネパールでやってるならきっとそうなんだろう。

部屋は寒いので暖かいサンルームでくつろぐことにする。先日から見かけているオーストラリアから来たクリスとロンドン在住ポーランド人のパトリシアと話した。2人も一人旅をしていたが途中で会って一緒に歩いてきたらしい。25,6くらいだと勝手に思っていたパトリシアは19歳だった。同い年やん!!てことで意気投合した。

パトリシアはEBC、カラパタールへ行った後ゴーキョのほうへ行くつもりらしい。ただ、今は近道になるチョラパスが雪で開通していないので遠回りしてゴーキョに行くらしい(下図参照)。パトリシアは私も来るか聞いてくる。うーん…ジィーがナウォンにあと3日ほど空いているか聞いている。空いているそうだ。うーん。ダニエルは飛行機の関係で、ジィーは体力に自信がないのでそのまま帰るようだ。私は予定は空いてはいるのだが…その時、話が聞こえていたのか近くにいたガイドがチョラパス通れるよ!と教えてくれた。なんでも昨日開通したとか。ナウォンはアイゼンとストックさえあれば行けるよという感じ。すみません。私保険の関係でアイゼンNGなんですよ…まぁ、持ってるんですけど。パトリシアと地図を見ながら予定を確認してみる。あれ、なんとかなりそうじゃん。行っちゃう?ねぇ、行っちゃう?パトリシアも行こ行こ!って言ってくるし。行ってしまえ!…こうして想定していなかったチョラパス越えが決まった。

↑ピンクがチョラパス。黄色はチョラパスを使わない場合。

 

ここでチョラパスについて少し補足を。

チョラパスはEBC方面とゴーキョ(きれいな色の湖で有名)の間の峠である。そこそこ危険らしく、地〇の歩き方には欄外に危険な箇所があるのでガイドを同行しろとあるのみ。しかもこの危険な箇所がクレバスなど。と書かれている。そして日が昇ると雪や氷が溶けて危険なので早朝に越える。一番標高の高い場所はチョラ・ラで5420m。手前のゾンラ(4843m)から一気に登る。超えると急な下り坂が待っているらしい。高山病のリスクも高そうだ。体調が悪く引き返しても進んでも大変という。さらに、ゴーキョの手前には大きな氷河がある。これを渡らなければいけない。

 

チョラパスの話はいったん置いておいて。サンルームでのおしゃべりに20代後半くらいの日本人男性も加わった。本名ではないが”あき”さんと呼ぶ。カトマンズのカツ丼屋さん”絆”の話で大盛り上がりした。300ルピー(約300円)でお腹いっぱいのおいしいカツ丼が食べられる。控えめに言って最高。この国で会った日本人のほとんどが知っていた。(今はないとかも聞いたけど)もっと熱く語れるのだがこの辺でやめておく。みんなで日本食の話を始めた。このあたりでなぜか緑茶と抹茶の違いについてほかの国の人たちから質問される。日本人2人とも全く分からなかったのですがなんなんでしょうね。

↑絆のカツ丼。おいしいのよこれが。安いし。このトレッキングの最後のほうはカトマンズに帰ってこれを食べるために歩いたようなもの。

 

夕飯にシェルパシチューを頼んでみた。じゃがいも、にんじん、ホウレンソウ?や餅のようなものなど具だくさん。スープは薄いガーリックスープのようなマイルドな味だった。夕飯を食べ終わり、また先ほどのメンバーでストーブを囲んでおしゃべりし、部屋に戻って寝た。部屋はとても寒かった。

 

 

8日目 3月15日 ロブチェ→ゴラクシェプ→エベレストベースキャンプ(EBC)→ゴラクシェプ

この日はロブチェ(4930m)からゴラクシェプ(5150m)に行った後荷物をデポしてEBC(5364m)に向かう。

朝早めに出発した。昨日まで絶不調だったダニエルが快調に飛ばしている。ロブチェからゴラクシェプまで3回ほど短い登りがあった。最後に少し下ってゴラクシェプに到着する。ロッジが何軒かある。トリプルルームのあったブッダ・インにする。部屋は昼でもとても寒い。窓に氷ついた雪の結晶のようなものがたくさん張り付いている。

昼食をとる。この時、未開封の堅パンを机に置いているとほかの人たちが興味深そうに見てきた。EBCで写真を撮るつもりだったのだが…まぁいいや、と開封し皆に分けてみる。クリスは本当に食べ物かと疑っている。こんなの食べ物の堅さじゃないよと言いながら食べている。味は好評だった。

いよいよエベレストベースキャンプ(EBC)へ出発した。標識に片道3時間と書かれている。何度かアップダウンを繰り返す。足元はガレ場となりあまり安定しない。ヤクの行列とたくさんのポーターたち何度もすれ違う。エクスペディションのためだと思われる燃料やいすなどを運んでいる。遠くに何張かオレンジ色のテントが見える。エベレスト登頂を目指す人たちのものだろう。もうそろそろシーズンだ。

↑え?堅パンの袋が少ししぼんでないか?気にしない気にしない

↑パトリシアと私。ジィーとダニエルとも撮ったはずだけどないのでジィーが持ってるのだろうか。

 

テントが見えるところよりもだいぶ手前に旗がたてられておりその付近にたくさんのトレッカーがいる。ここがEBCだ。気温は低く風が強い。パトリシアと写真を撮りっこする。その後ダニエルとナウォンがもっと遠くへ行くのを見つけたのでパトリシアとついて行ってみる。どうやらテントのほうへ向かっているようだ。話でも聞きに行くのだろうか。私とパトリシアは途中で誰もいないきれいな氷河を見つけて2人で遊び始めた。これがクーンブ氷河だろう。スケートリンクのように滑らかだ。その中に人の背丈の何倍もある青白い氷の塊がいくつもある。素手で触るとひんやりしてとても滑らかだ。

↑パトリシアと遊んだ氷河

↑とても大きい氷

 

しばらくするとテントのあたりから戻ってきたらしいナウォンが帰っておいでと手招きをするのでおとなしく従う。パトリシアと2人で飛ばして歩き男子軍を大きく引き離したはずだったのだが気づけばナウォンだけ前にいる。後から聞くと高山病で頭痛がしていて早く高度を下げたかったらしい。3,4時間ほどでロッジに戻ってきた。45分ほどEBCで過ごしていたことを考えるとなかなか良いペースだったのではなかろうか。高地での激しい運動は高山病のリスクが高まるためよろしくないのだがパトリシアも私も何の症状もない。謎の高山耐性。

↑EBCからの帰り。真ん中に写るのはパトリシア。

↑ロッジから少し離れたところ。ビーチと言われても信じられそうな感じの砂の広場が広がっていた。海底だった頃の名残とかなのだろうか。

 

ダニエルとジィーは30分ほど遅れて帰ってきた。(クリスはカラパタールに行っている)ロッジに戻るとインドネシア人のカップル(日記を書いたときは夫婦だと思っていたがまだカップルだったようだ。先日インスタで結婚式を挙げた様子が流れてきてとてもうれしくなった。)とクリスが戻ってきた。インドネシア人のカップルは強風でカラパタールの4,50m手前で引き返したようだ。クリスは登ったようだが何も景色が見えなかったとぼやいている。夕飯までみんなでおしゃべりして過ごした。ナウォンは携帯で自分の3歳の息子と話している。

夕飯にはゆでじゃがいもを食べた。ここのはだいぶ水っぽくてパンボチェのもののほうが好きだ。夕飯が終わってみんなで写真を撮ろうということで突然の記念撮影タイム。

↑ダニエルとクリスの様子が分からないけど元気にしてるといいな。ほかの人たちはインスタを見る限り元気そう。インドネシア人夫婦はヨガに筋トレに励んでいるしパトリシアは山や岩を登りまくっているようだしジィーはよく子供たちと遊んでいるよう。

 

ダニエルとジィーはカラパタールには登らず高山病も重いので明日の朝にゴラクシェプを出て行けるところまで下るそうだ。私はメインザックを置いて夜明け前に宿を出る。ナウォン、パトリシアとカラパタールに登り、ザックを回収してゾンラというチョラパス手前の村まで行く。同じ部屋では寝るがもう会わない。ここで2人とはお別れだ。ここまで10日近く一緒に過ごしてきた。2人ともとても礼儀正しくて親切で大好きだった。2人が何事もなくルクラまでたどり着けますように。しっかりとハグをして別れを告げる。

明日は夜明け前にない出る。簡単にパッキングを済ませ、起きてこなかったらたたき起こしてとパトリシアに頼んで寝た。

 

 

9日目 3月16日 ゴラクシェプ→カラパタール→ゴラクシェプ→ゾンラ

朝5時頃に起きた。廊下に出ると別の部屋で寝ていたパトリシアが出てきたところだった。ダイニングに行くとたくさんのガイド、ポーターたちが寝ている。ナウォンだけが起きていた。エネルギー補給にスニッカーズをかじったが…凍っている…歯が折れるかと思った。パトリシアの水筒の水も凍っている。

カラパタールに向けて出発する。ようやく。実はこのトレッキング、EBCトレッキングと言っているが私はこのカラパタールに行くのを目的としていた。日の出を見に行く人が多いのだろうか。カラパタールのほうにたくさんのヘッドライトの明かりが見える。昨日下から見たカラパタールの登りを思い出して少しげんなりとした。ナウォンは最初からだいぶ飛ばしている。いつも速度を合わせてくれるのに…ついて行くのがやっとなくらいだ。他の人をどんどんと抜かしていく。たまに振り返って水を飲むか聞いてくれるが。パトリシアも最初は一緒にいたのにいつの間にかいなくなっていた。

風はないが寒い。とにかく寒い。iPhone出したら秒で死ぬやつだ。それもそうなのだが…標高5000m以上の日も登っていない早朝だ。本当かは知らないが-25℃くらいだったとか違うとか。

突然ナウォンが振り返って私の後ろを指さした。見てみるとそこには朝日を浴びて輝くアマダブラムが。日が昇ってきているようだ。てか最高やなアマダブラム。30~40分ほど急登を登った後、手前に見えていた丘を巻くようにして道が平たんになった。しばらく歩いていると斜面の上のほうに旗…というかタルチョが見えた。なるほど…まだまだ登りか…相変わらずナウォンは早い。平坦な道を歩き終わりあとはカラパタールに向けて登るのみ。ナウォンと離れないように頑張る。この時点でほかの人たちをぶっちぎっている。空は明るくなりヘッドライトはいらなくなっていた。

カラパタールまで残り100-200mくらいになった時、突然ナウォンが足を止めた。怪訝に思い私も足を止める。ナウォンは前を向いたまま、ネパール語がシェルパの言葉でうめくように何かをつぶやいた。と思うと体がぐらりと大きく傾いだ。え。慌てて肩を支えたがそのまま気を失い倒れた。嘘やろ。なぜか真っ先に昨日電話から聞こえてきたナウォンの子供のことが頭をよぎった。あの子から父親を奪ったらいけないとパニックを起こしそうになる。私の持ってるスマホは使えない。ナウォンの携帯を使えるか。いや、分からん。ナウォンはずっと自分の携帯をさすっていた。寒さで充電がなくなったのかも。電波が入るかも分からん。かける番号も分からん。高山病だ。早く下ろさないと命が危ない。でも一人だったら無理。どうしようどうしよう。誰か。辺りを見渡すと10mくらい下に男の人が2人いるのが見えた。必死に大声で助けを呼ぶ。2人はすぐに気づいて駆け寄ってきてくれた。その間に水筒を取りだし水を飲ませようとしたが飲んでくれない。2人組のうち1人は熊のようなガイドだった。水を飲ませようとする私を止め、少し休ませろと言う。しばらく見ていると目を覚ました。倒れる直前に携帯を握っていたのだが落としたようだ。必死にポケットをまさぐっている。落ちていた携帯を拾って渡すと手でこすり、温めてどこかに連絡しようとしていた。家族だろうか。熊のようなガイドは自分も体調があまりよくないからナウォンを連れておりると言っている。私には2人組のもう一人、欧米人と一緒にカラパタールに行ってきなさいという。ナウォンはここで私を待っていると言ったが3人で下りろと言った。ナウォンをおいて一人だけ登るのは申し訳ない。と思っているとそれを察したのかもう一度行ってきなさいと言われた。気が引けるがゴールはすぐそこだ。写真だけ撮って来ることする。

欧米人らしい人(ガイドさんのお客さん)は10mほど前を行っている。遅れないように急斜面をついて行く。たくさんのタルチョがはためいているのは少し大きな岩の上だった。滑りやすい岩の上に2人先に座っている人がいる。だいぶ狭い。岩の上にはたくさんのタルチョがぐちゃぐちゃに置いてあるが踏むのはいやなので頑張る。一本だけ風をうけてはためいている。最後は欧米人らしき人が手をつかんで引き上げてくれた。やっと着いた。カラパタール。5545m。か5550m。地図による。どちらにせよ私の人生最高地点。

↑カラパタールと書かれた小さな石があった。

 

辺りを見渡すとアマダブラム方面の山は朝日を浴びて輝いている。エベレストとヌプツェの方からは日が昇っているのかまぶしい光が差し込んでくる。ヌプツェの山頂付近では雪が舞い上がっておりそれが朝日を浴びてきらきら光っていた。まるで雪が踊ってるように見えた。

↑朝日を受けて輝くアマダブラム。画面中央を走るのはクーンブ氷河なはず。

↑エベレスト(左)とヌプツェ(右)の間から三角に朝日が差し込んでくる。よく見てもらえたらヌプツェの山頂付近で雪が舞い上がっているのが分かるかもしれない。

 

風はあまりないが寒い。朝日が昇っても寒い。岩の上にいた人が写真を撮ってくれるというのでiPh〇neを渡した。数枚撮ったところでフル充電だったはずのスマホはお亡くなりになった。

ナウォンのことが気になるので早々に退散する。下りながらパトリシアの姿を探すがやはり見当たらない。

左を見ると相変わらずエベレストとヌプツェの間から光が三角に差し込んでいる。雪が踊っている。神様っているとしたらあんなところにいるんだろうなーなんて思った。途中で2回ほどヘリコプターがゴラクシェプに降りるのが見えた。高山病で動けなくなり搬送される人は多いのだ。ここにくるまでも1日に何度もレスキューのヘリコプターを見た。ナウォンでないことを祈りながら先を急ぐ。

ロッジの前で昨日のインドネシア人のカップルと会った。今からEBCに行くらしい。

ロッジに入るとお茶を飲んでいるナウォンの姿があった。ほっとした。大丈夫か尋ねると大丈夫だと返ってくる。パトリシアもいた。寒すぎて途中で引き返したらしい。

朝食にチャパティを食べ1時間ほどしてゾンラに出発することにした。ナウォンが心配で本当に行っていいのか考えたが様子を見ながら進むことにする。パトリシアが一人だけで行くのも心配だ。

出発する前にほかの宿に映画”神々の山嶺”の出演者のサインが飾ってあると聞いたので見に行ってみた。

↑一番右のボードの真ん中に岡田准一さんと阿部寛さんのサインがある。

いよいよゾンラに向けて出発する。ロブチェを過ぎるあたりまで来たのと同じ道だ。途中でカトマンズのドミトリーで同室だった台湾のおじさんと再会した。

ロブチェで泊まった宿で昼食を取る。しばらく休んで出発する。少し進むと分岐があった。左側の氷と雪の張った池か沢(氷河かも)を渡るとトゥクラ。右の大きなピークを巻くように進むとゾンラに着く。

↑右の丘の中腹にゾンラまでの道が見える。

 

右に進む。しばらくは下の方にトゥクラとペリチェ(ディンボチェの近くの小さな村)を見えていた。そのうちピークの陰に入り見えなくなった。代わりに大きな凍った湖が現れる。軽アイゼンを取りだして装着し慎重に渡る。ナウォンの靴はアディダスと書かれたメッシュの運動靴だ。寒くないのだろうか…ナウォンの装備を見ているとルクラへ戻ってもらうべきかと考えるのだが…ナウォンにはジィーからもらったアイゼンを渡す。氷の上を渡り終えるとまた外す。

ピークの裏に回りこむとそこは雪の積もった銀世界だった。今まで歩いてきた道は雪がほとんど残っていなかったのだが…山の陰に入るとこうも違うのかと驚いた。通る人が少ないのかトレースが残っていない。時々膝まで雪に埋もれながら進む。念のためにスパッツを持ってきていてよかった。パトリシアは不調なのかやや遅れ気味だ。腹痛がするらしく水あたりかもと言っていた。

雪と格闘しながら進んでいると近くの岩の上に人影が見えた。スキーマスクにスキーゴーグル、菩提樹の実で作られたとても長いネックレス(ネパールでよく売られている)を2重にしてかけた人だ。背の高い欧米人らしい。この時点でかなり謎なのだが。その人が岩の上でくつろいでいる。何してるんだこの人。あいさつだけしてさっさと通り抜ける。この人は私とパトリシアの間でスキーマスクガイと呼ばれることになる。

朝のこともありナウォンが心配だ。靴も濡れてしまっていいるだろうし、と先にゾンラに行かせ宿で休んでもらうことにした。パトリシアと2人でゆっくり歩くことにする。パトリシアは遅れ気味なのでたまに立ち止まって待つことになる。

↑かっこいい写真が撮れた。

ふと振り返るとスキーマスクガイが踏み跡から離れて新たなルートを開拓し、よく分からない方向へ向かっている…まじで何やってるんだあの人…パトリシアと首をかしげる。

最後の上り坂を終えるとゾンラの村に着いた。小さな村だ。トレッカーらしき人はほとんどいない。雪のせいでだいぶ時間がかかった。ナウォンが出てきてロッジに案内してくれる。

ダブルで200ルピー(200円)。パトリシアは女の子同士の部屋って最高と言っている。ずっとクリスと一緒に行動していたからだろう。私が荷物を出してのんびりとしている間にパトリシアは私眉毛ないのよ、と眉を書き始める。体をきれいにし保湿を始める。まじか…そんなもの全部捨ててきたぞ…手は数日間洗ってないし真っ黒…見ていると女子力の違いに悲しくなってきたのでダイニングに行った。ぽかぽか暖かい。

しばらくくつろいでいると背の高い欧米人らしき人たち数人が到着した。そのうちの一人が私を見るなりガイドはどうしてる?と聞いてきた。ん?こんな知り合いいたっけ…とりあえず元気だよと答えて同じくダイニングでくつろいでいたナウォンを指さす。そうしていると後からやって来た人も私を見るなり同じ質問をしてくる。ん???分かった!!朝助けてくれた熊のようなガイドとその客だ!!格好が違いすぎて分からなかった。朝のお礼をもう一度言う。

↑ロッジの前でパトリシアと遊んだ

 

この宿に泊まったのはインド系の顔立ちをしたアメリカ人とそのガイド、熊のようなガイドとその客のドイツ人夫婦(カラパタールで見たのは旦那さんだけだった)、そして前々からいろいろな宿で見かけていた背の高い若いドイツ人の男の人とそのガイド、ポーター一人。パタゴニアと書かれたニット帽を被っているので私はパタゴニアボーイと名付けていた。パトリシアと話しているのを何度か見かけた。ポーターは耳の不自由な私くらいの身長の老人だ。190cmくらいある若いドイツ人お兄ちゃんのザックをこの人がからうってどういうこっちゃねん。ガイドは中年くらいのおじさんでナウォンと知り合いのようだった。シェルパのような顔をしているので地元の人なのだろうか。

今までどの宿にもたくさんの人がいたのに今はこの人たちしかいない。スキーマスクガイはちゃんと着いたのだろうか…みんな明日チョラパスを超えるようだ。

ガイド4人が集まって何時に出発するか確認しあっている。これは危なすぎてみんなで歩くとかそんな感じか…?

夕飯を食べみんなでストーブを囲んでおしゃべりする。ついでに濡れた靴と靴下を乾かす。若いドイツ人は19歳だと判明した。パトリシア、パタゴニアボーイ、私、同い年が3人そろった。

メニューにランチパック(チベタンブレッドかチャパティ、ゆで卵、ヤクチーズ2片)800ルピーとあったので明日パトリシアと2人で食べることにする。

明日は朝6時出発だ。支度をして寝た。あいかわらず部屋は凍えそうに寒い。

 

 

10日目 3月17日 ゾンラ→チョラパス→ゴーキョ

チョラパス越えの日だ。高度5420m(地〇の歩き方情報)まで登る。ナウォンが倒れませんように。ひたすらそれを祈っていた。昨日からナウォンの子供のことが頭をよぎる。(ここで強行したのが正しかったのか正しくなかったのかこれを書いている今でも迷っている。)

朝食を食べ、ロッジに泊まった人たち全員で出発する。ナウォンにはメインザックを渡さずサブザックを渡した。最初は平らな雪原だった。が、歩いているとにだんだんと傾斜がついてくる。越える峠も近づいてくる。ドイツ人の女の人が遅れ気味だ。急登を岩をつかんでよじ登る。19歳3人、そのガイド、ポーターとほかの人たちとの差がどんどん開いていく。パトリシアも少し遅れ気味。ほかの人たちはガイドがいるのでいいがパトリシアを置いていくわけにはいけない。岩を登り切って一休みする。聞きそびれていたパタゴニアボーイの名前を聞くとルーカスだと教えてくれた。

↑まだ平らな頃

↑傾斜がきつくなった

↑岩をつかんで登る

↑岩の上から後ろを振り返る。

 

この休憩ポイントに着くまでに8,9人の団体を抜かした。昨日のスキーマスクガイも混じっていてほっとした。無事に着いたようで何より。

遠くに峠らしきものが見えた。まだまだ登る…休憩を終えしばらく平な道を歩く。ナウォンの話ではチョラパスを一人で越えようとした中国人の女の子が道に迷い瀕死のところを助けられたとか。

雪が積もっていないところにには透き通るような青い氷が見える。

↑右手に見えた何か

↑氷の上に雪が積もっている

↑空気が閉じ込められているのだろう

↑迫力のある氷

↑多分奥の一番低くなったところがチョラパス

 

パトリシアはやはりお腹が痛いようで少し遅れている。他のドイツ人夫婦、アメリカ人たちははるか後方で見えない。歩いているとまた岩場があらわれた。こんなの身長150cmの人間向けじゃないとぼやくと190cmくらいあるルーカスは足が大きいと足場を探すのが大変だからそこは有利だよと言ってくれた。確かに。岩をよじ登っていると突然目の前から岩が消えた。代わりに白い山脈が目の前に現れた。今まで見えていなかったゴーキョ方面が見える。

↑ゴーキョ方面

みんな疲れていたのでここで昼食にする。お弁当をパトリシアと分け合う。3人で一緒に写真を撮った。

そうしているうちにスキーマスクガイたちの団体が到着した。スキーマスクガイはウクライナからやってきた23歳だったでマスクをとるときれいな金髪だった。朝一緒に宿を出た人たちはまだ見えない。

しばらくしてアイゼンを付け峠から下りる。エベレスト方面の山とはお別れだ。下りはかなりの急斜面だ。苦労しながら斜面を下りきる。それが終わるとアップダウンのある雪に覆われた場所を歩く。パトリシアは相変わらずお腹が痛いようでかなり遅れている。

何個目かの高い丘を登っているとナウォンの足が止まった。パトリシアが1本渡していたストックで体を支えうつむいている。まずい…先にこの先の村まで行ってもらうことにした。それが最後の丘だったのかそこからはずっと下り坂だ。

しばらくするとタンナ(4700m)に着いた。ナウォンは大丈夫そう。チャパティを食べている。ここで軽くお茶をする。雪の進みにくさとアップダウンの連続で疲れた。ここから今日の目的地ゴーキョまでは大きな氷河を渡って2,3km標高差90mほど。まぁここからは楽勝でしょう。標識には2時間と書かれている。いつも標識の時間よりもだいぶ早く着くので1時間半くらいかななんてパトリシアと話した。すぐに間違っていたことに気づくことになる。村を出て氷河の手前に着いた。目の前には想像していた氷河とは違う光景が。まず、きれいではない。泥と土と雪の積もった小さな丘がいくつも続いている。ふふふ…アップダウン…。

↑氷河の真ん中で撮った

 

ガイド2人は氷河では道がころころ変わるから自分たちが行く通りについてこいと言って慎重に道を探している。荷物が重く登り下りがなかなかきつい。パトリシアもかなり遅れている。途中でお腹が空いたがあと少しで着くはずだと耐える。足が動かなくなりそうだったら何か食べよう。なんて考えていると目に飛び込んできたものがある。高い高いほぼ垂直かってくらいの雪の壁…の上に建物が建っている…んんん…絶望。よく見るとその雪の壁に踏み跡が見える。なるほど…パトリシアを待つ間にもう1本スニッカーズをかじることにする。

↑氷河の真ん中から後ろを振り返る

 

氷河の壁にへばりつくようにして進む。しばらくすると壁の踏み跡の下端にたどり着いた。必死に登るうちに自分だけ踏み跡を見失い迷走することになった。上からルーカスのガイドのエベレスト山頂までもうすぐだ、とからかう声が降ってくる。なんとか登りきって一休みしパトリシアを待つ。

↑登ってきたパトリシア。後ろにトレースと氷河が見える

 

ナウォンが案内してくれたロッジに何も考えず転がり込んだ。1部屋200ルピーらしいし。ルーカスは別のロッジにしていた。

ゴーキョの村も雪は積もっているが雪かきがされていて歩きやすい。部屋に入るとスパッツを外し靴を脱ぎとりあえずベッドに倒れこむ。パトリシアももう一つのベッドで同じことをしている。2人とも1時間半くらい起き上がらなかった。きつすぎて笑ってる。「あなたが先に起き上がってよ、そしたら動く。」「いやよそっちが先」というやり取りを繰り返した後、ようやく体を起こす。ちなみに先に起きたのは私だ。

ダイニングに行き夕飯を食べることにする。私はゆでじゃがいも、パトリシアはじゃがいも炒めを頼んだ。だいぶ違う料理な気がするのだがほぼ同じものが出てきた。謎。

そういえばゴーキョの有名な青い湖(ドゥードゥ・ポカリとか言ったか)は凍っていて真っ白だった。何しに来たんだっけ。よく考えれば当たり前なのだけれど。

 

 

11日目 3月18日 ゴーキョで休養

パトリシアはゴーキョに2泊、私は早朝に近くのピーク、ゴーキョ・リに登ってルクラ方面に下る予定だった…のだが…パトリシアは腹痛がひどくなりベッドから起き上がれなくなっていた。数日前から痛そうだった。持っていた薬をあげたのだが効いていないようだ。腹痛だけだし高山病ではないと思うのだが何か分からない。パトリシアは私に出発しろと言うが、まさか苦しんでいる同い年の女の子を一人で置いていけるはずがない。私も2泊することにした。

パトリシアの状態が少し落ち着いたようなのでナウォンには宿にいてもらって一人でゴーキョリに登ってこようかと思った。が、今日は雪がひどくゴーキョ・リは雪に覆われている。宿の人にもこの天気だと道が見つけにくいよと言われ諦める。

この日はパトリシアの様子を見ながら本を読んだり日記を書いたりすることに。おいしいベーカリーも見つけたりルーカスの宿に遊びに行ったりもしたか。正確にはゴーキョの村の中を散策しているとルーカスのガイドにつかまって連行された。ルーカスはここからレンジョラ・パスという絶景で有名な峠を越えてナムチェに行くらしい。

↑翌日に撮ったゴーキョの村

 

夕方ごろには雪もやみ日が出てきた。ナウォンがゴーキョ・リに登るなら今行くといいと教えてくれたがなんとなく気分が乗らなかった(登っとけよ~!って今思いました)。代わりに一人でゴーキョの村と渡ってきた氷河との間にある丘のようなところに登ってみた。丘…というか登り切ったところは切れ落ちていて足を滑らせると氷河に転がり落ちるようなところだったけど。上にあった少し大きな岩の上に落ち着く。目の前には昨日苦労して渡った氷河、その奥にはチョラツェだったか大きな白い山と峰が連なっている。日が落ちてきて向かいにある山々が赤く染まっていく。この絶景を一人占めとはなんと贅沢な。パトリシアにも見てほしかったけど。じっと静かに座っていると、時折氷河のほうからコロコロ、パラパラ、ズサーッというような音が聞こえてくる。氷河の両岸や中の小さな丘から土や石が落ちているのだろう。30分ほど静かに座っていたが寒いし日も落ちたので宿に戻った。

パトリシアの様子を見てみたが全く良くなっていないようだ。明日動けなかったらヘリコプターを呼ぶと言っている。ダイニングにいた別の欧米人らしき男性とそのガイドが、食中毒なら薬を持っているから言ってくれと声をかけてくれた。ありがたい。ただ、熱も下痢もなく食中毒でもないようなのだ。よく分からない。最寄りの病院だか診療所がある場所はナムチェの近く。健康ならここから1日で行けるかもしれないが普通は2日と言ったところ。

夜、ダイニングにいるとナウォンが近寄ってきた。なんだかふらふらしている。顔も赤いような。聞いていみるとビールを3缶飲んだらしい。高山病を避けるためにはアルコールを取らない方がいいのだが…。

 

 

12日目 3月19日 ゴーキョ→ドーレ

パトリシアの体調は少しだけ良くなっていた。ゆっくりとドーレ( 4084m)まで下りることにする。

朝食をとりゴーキョの村を出発する。看板の示すナムチェの方向へ。ずっとなだらかな雪道が続いている。

↑ナムチェ方面とチョラパス方面の分岐

↑ゴーキョからの道

 

途中、凍った湖をもう一つと凍っていない湖の横を通った。凍っていないほうには茶色のアヒルらしき鳥が泳いでいた。たくましいな。歩いているとルーカス一行に抜かされた。レンジョラ・パスは雪が深くてあきらめたらしい。

しばらく歩くと突然視界が開けた。小さな橋がある。ずっと崖沿いの道を歩いていたのだが端を渡って対岸の崖沿いの道にわたる。もう少し進んだところで個人的に一番お気に入りの写真が撮れた。

↑パトリシアの後ろ姿。

↑手前に下っている道がある

↑ポーターが荷物を運んでいる

 

しばらく歩くと小さな村に着いた。パトリシアがきつそうなので少しお茶することにした。昼食にするかと思ったがパトリシアはWiFiの使える場所を探しているようなので少し休んで出発する。なんどかアップダウンを繰り返しマッチェルモという少し大きな村に着いた。ここで昼食にする。パトリシアは相変わらずきつそうだ。ヘリコプターを呼ぶか聞いたが、死にかけているわけじゃないから大丈夫と返ってきた。まだドーレまで半分くらいしか歩いていないが大丈夫だろうか。

マッチェルモのあたりから天気が悪化し始めた。ふぶいてくる。たまにパトリシアの姿が見えなくなる。途中のルザという村に泊まろうかと言ったがルザの響きがloserに似ているからいやだと返ってきた。気持ちは分かる。

だいぶ時間をかけて今日の目的地、ドーレに着いた。近くにあったロッジに入る。パトリシアはダイニングのベンチに座りこんでいて動けないようだ。宿の人にWiFIがあるか聞いている。もう無理動けない。ヘリコプターを呼ぶ。とのことだった。イギリスの保険会社に連絡するようだ。電話をすると一刻も早く治療を受けるべきと判断されたようだった。詳細はまた連絡すると。日が暮れているのでヘリは明日になるだろう。パトリシアは歩けないようで2階にある部屋に行くにも助けが必要な状態だった。よくこんな状態で歩いてこれたな、宿に着くまで耐えてたんだろうなと思った。痛いのかすすり泣いているのがたまに聞こえてくる。

 

 

13日目 3月20日 ドーレ→ナムチェ

朝日が差し込んできて目が覚めた。パトリシアはダイニングにいるようだ。しばらくしてよろよろしながら戻ってきた。あまり体調には変化がなさそう。朝のうちに保険会社から連絡があったようだ。ヘリ搬送代や治療費には保険がおりるから一刻も早くカトマンズの大きな病院で治療を受けるように、とのことだった。症状から”なにか”の可能性があるから、と言われていたが私の英語力では”なにか”が日本語でなんなのか理解できなかった。ドーレからカトマンズまでヘリを手配してくれるとのことだった。パトリシアのザックなどをダイニングに運びヘリを待つ。9時ごろにようやく来た。ロッジの横の河原に降りた。パトリシアと最後にハグをする。宿の人たちがパトリシアをかかえて運び出しヘリに乗せた。そのままヘリはカトマンズへ飛び立っていく。インスタのアカウントを教えあっているので連絡は取れる。早く治りますように。

ヘリが行ってしばらくして私とナウォンもナムチェ(3440m)へ出発した。崖沿いに拓かれた道を通る。ほとんどずっと下りだった。そしていきなり急登がやってくる。今まで下る必要あった?何度か休憩しながら1時間ほど登った。モン・ラというところに着く。アマダブラムが少しだけ見えたような。その後下りキャンヅマという村でお昼ご飯に。EBCに向かう時もここで食べた。EBC方面とゴーキョ方面の分岐があるところだ。

↑テンボチェまでの標識

 

ここからすぐにナムチェに着いた。今日は行きと違ってホテル・エベレスト・ビューを通らず平坦な近道を通った。来た時と同じ”さくらロッジ”に泊まることにした。500ルピーに値上げしていたが仕方あるまい。コンセントのある部屋にしてくれた。女一人だからなのかロッジのおばさんがすごく優しくしてくれた。

部屋に荷物をおいてカトマンズの空港で助けてくれたアウトドアショップのおじちゃんに会いに行く。もっともアウトドアショップの場所を覚えていないのだが…記憶にあるあたりをうろうろしていると突然「Kanon!!」と駆け寄ってきた人がいる。この人だ。おしゃべりしていると、売り物のタルチョを描いたネックウォーマーらしきものをくれた。うれしい。またナムチェに来ることがあったら何か持ってこよう。。

おじさんと別れて買い物をしながらメインストリートを歩いていると突然「ナマステ~」と声をかけられた。なんとなく日本語っぽい響きのあるような。見ると57期のT田さんとY村さんがこちらを見ている。あら。なんという偶然。57期の先輩方数人も同じ時期にネパールに来ていた。アンナプルナサーキットをした後にEBCに行くというのは知っていたが。カトマンズでもT田さんには3回ほど遭遇し、他の方々ともご飯を食べたのだけれど、まさかこんなところでお会いするとは。これからEBCに行くらしい。道端でおしゃべりしていると、「あ。」と聞こえてきた。これまた日本語らしい響き…と見てみるとロブチェの宿でおしゃべりしたあきさんが立っている。まじで?そんなことある?

宿に戻ると次はゴーキョで薬がいるか聞いてくれた欧米人らしき男の人とそのガイドと再会した。ゴーキョのストーブを囲んでおしゃべりしたのだ。デンマークから来た人でマートンという。ガイドの名前はライ。パトリシアのことを話すと力になれなくてごめんねと言ってくれる。いい人すぎない?あとで発覚したことだがカラパタールの岩の上にいた見知らぬ2人はマートンとライだったらしい。

夕飯には2週間ぶりに肉!!を頼んだ。ここまでメニューに肉がなかったわけではないが、高くて食べれなかったのだ。ここも安くはないけれどちょっとしたご褒美。ヤクの肉と書かれている。本物じゃないよ、本物はアンナプルナのマナンでしか食べれないなんて誰かから聞いたような気もするがどうだっていい。何の肉でもいい。肉!肉!!なのだ。ゴーキョでパトリシアと「肉食べたい。私たちにベジタリアンなんて絶対無理。」「ナムチェ着いたら肉食べよ」なんて話していたのだ。パトリシアはもういないけれど。

↑肉!!ゆでた野菜もうれしい。

 

ついでに興味をひかれたホットマンゴーも頼んでみた。飲み物欄にあるのだけどこれいかに。マンゴーみたいに甘いものをお茶のように扱うんじゃない。とだけ言っておく。

 

 

14日目 3月21日 ナムチェ→ルクラ

今日は長い1日になる。ナムチェ(3440m)からルクラ(2840m)まで歩く。行きは2日かけた道だ。

早めに出発する。ナムチェの大通りを歩いているとナウォンの姿が消えた。しばらくして戻ってきたがなんだかふらふらしているような。高山病ではなかろう。片手に未開封のビールかなにかを持っている。そういえばなんとなく酒臭いような?うーん、でも飲んできたという確信はない。ずばっと聞く勇気もない。今までとても感じよく案内してくれていたし。でも飲んだよなぁ…足元がおぼつかなく崖から落ちそうになっている。近くにいた他の隊のガイドも顔をしかめている。少しいらっとしてナウォンを置いてさっさと下る。

この日はナウォンにメインザックを持ってもらっていたが次の休憩場所で返してもらい、代わりに空にしたサブザックを渡した。ナウォンはメインザックを持とうとするが触れられる前に背負って歩きだす。やはり重いメインザックを背負うとスピードが落ちてしまいすぐに追いつかれる。今日はよく話しかけてくるがイライラしてろくに返事をしていない。最終日だしクビにしようかとも思うが女一人だしそんなことして逆上でもされたら面倒だ。さっさとルクラに着けばお別れだと思い足を早める。

↑闇に吸い込まれるロバたちが撮れた

 

モンジョだかジョルサレだかでパーミットを見せチェックアウトの手続きをする。ここのゲートの人もナウォンを見て顔をしかめている。

行きで泊まったパクディンのロッジまで下り昼食をとる。自分にしては速いペースで歩いたので疲れた。パクディンを過ぎて少し歩くとルクラまでは登りになる。最後の最後に登りだ…ルクラからの飛行機をオープンチケットで取っている。帰る前日にオフィスで手続きをしないといけない。明日の便で帰りたいので15時までにルクラのオフィスに着きたい。

休み休み登っているとナウォンは奥さんが今病気にかかってカトマンズで苦しんでいる、という話を始めた。朝、お酒を飲んだことを申し訳なく思っているのだろうか…奥さんと子供は大丈夫かな…と思いながら歩く。ルクラまであと少しというところで、後ろからプシュッという音が聞こえてきた。まさかと思って振り返るとナウォンが片手にビールを持っている。目があっても悪びれることなく普通に飲んでいる。朝に注意しなかった自分も悪いと思い、怒りを抑えて「やめて。仕事中でしょ。」とだけ言った。ナウォンはうなずく。前を向いて歩き始めようとするとまたナウォンが飲むのが見えた。抑えていた怒りが爆発した。ナウォンは、「今妻が病気なんだ」と繰り返す。「いや意味分からんやろ。お前が今ここで飲むことと何の関係があるんや。状況には同情するし早く良くなってほしいけどそんなことは理由にならん。」と自分でもびっくりするくらい英語が出てくる。「そんなに辛いならここで今日の給料とチップ渡すけん帰れ。」と言うと「ここにビール置いて行くからルクラまで一緒に行く。」とついてくる。一人で問題なく帰れますけど。言い争うのも面倒になったし15時まであと少しだ。道端に捨てさせるわけにはいかないのでビール缶だけ回収させさっさとルクラについて別れることにする。登っている途中にずっと言い訳を並べてくるのでイラッとして「Enough」とだけ言う。ジィーとダニエルがいればこんなことはしなかっただろうなと思うと少し悲しい。

ルクラに着いた。最初に到着した時は曇っていてよく見えなかったが大きな村だ。ナウォンがいい宿があるとしつこいので宿の名前だけ教えてもらった。もっとも泊まるつもりなど毛頭ないのだが。これ以上自分の居場所を明かすつもりはない。チップと今日の給料を払い、SITAエアーのオフィスの場所だけ聞いて別れた。

↑ルクラのメイン通り

 

オフィスで空席のあった明日の3便、9:30のにしてもらった。数軒ロッジを見て回った。おいしいお肉が食べたいので宿のメニューもチェックする。庭のある小さな宿に決めた。今日は贅沢に個室にシャワー、トイレが付いた部屋にしてもらった。といっても500ルピー(約500円)なのだが。ここで2週間ぶりのシャワー!…となるところだがなんだかめんどくさい。今日疲れたし。シャワー浴びるの体力使いそう。シャワーを浴びずにカフェに行くことにした。(女子力?何それ)近くにあったきれいなカフェお茶をしていると…奥に座っている人に見覚えがある。あきさん!!声をかけると驚かれた。少しおしゃべりをする。

ロッジに戻るとマートンとライがいた。偶然同じ宿を選んだらしい。

部屋に戻ってシャワーを浴びる決心をした。お湯になる期待をせずにとりあえず水を出して待ってみる。しばらくするとお湯とまでは言えないがぬるい水は出るようになった。上出来だ。いざ浴びるとなるとうれしくなってきた。トリートメントやせっけんは先ほど新しく買ってきた。ふふふ。準備は万全だ。頭からぬるい水をかぶる。暖かくはないが許容範囲。というか何日も手を洗っていたなかったのに水があるだけで幸せ。ところが…どんどん水が冷たくなってくる。そしてついに水が出なくなった。室内は寒い。…しばらく絶望して真っ裸でしゃがみ込み、震えていた。意を決してタオルを取りに行って体を拭き服を着た。悲しい。ただただ頭からつま先まで冷やしただけだった。体を温め夕飯を食べることにした。

ダイニングではマートンがハンバーガーを食べているところだった。おいしそうだったので同じものを注文する。肉も入っているようだし。マートンと一緒にご飯を食べ、長い間おしゃべりしていた。なぜか私の人生相談が始まったりもする。見たことのないデザートも試してみた。日本食の話になりカトマンズにあるレストラン”絆”のカツ丼の話をした。マートンはカツ丼に興味を持ったようで明日の夕方18時に近くで待ち合わせをすることになった。連絡先は持っていないので来るかどうか、会えるかどうかは分からない。飛行機が飛ぶかも分からないが。それはそれで面白いな。マートンとライは明日の2便の飛行機でカトマンズに帰るようだ。

部屋にコンセントがあったので充電を試みたが出来なかった。モバイルバッテリーの充電は残っていない。スマホの充電は残り10%。

 

 

15日目 3月22日 ルクラ✈カトマンズ

部屋が明るくなって目が覚めた。9:30の飛行機なので8:30くらいに空港に行くつもりだ。空港へは歩いて5分ほどで行けるはず。

宿で朝食をとり、パッキングを終える。その後、使えるコンセントを求めて昨日のカフェへ行った…のだがここもフリーチャージのコンセントはあったものの使えなかった。それどころかケーブルにつないで放置していると充電を使ったようで、iPhoneはお亡くなりになった。あぁ…スマホの地図アプリが無いとカトマンズの空港から宿までの帰り道が分からない…さようなら、カトマンズに残してきた荷物たち…

軽く絶望しながら空港へ向かう。またあの飛行機に乗らないといけない。どうか前回よりましでありますように…チェックインを済ませザックを預ける。出発ロビーへ向かうと、とっくの昔に飛び立ったはずのマートンとライが座っている。もう2時間ほど待っているようだ。朝から飛行機の音がしていたので飛んでいると思ったのだが…特に期待もせず気長に待つことにする。小さなプロペラ機が着陸しては客を降ろし、すぐに乗客を乗せては飛んでいく。

しばらくすると呼ばれた。なんとSITAエアーはほぼ定時で出発するようだった。マートンとライはまだ待っている。なんかごめん。今日の18時に集合ということだけ確認した。

行きと同じく席は自由だ。ゲートが開いた瞬間に他の乗客が飛行機に向かって走っていく。嘘やろ。マートン達と話していた私は出遅れた。かくして最後尾の狭い3人席の真ん中という悲しいポジションに落ち着くことになった。隣はふくよかなキャビンアテンダントのおば…お姉さん(この飛行機にキャビンアテンダントが必要なのか疑問に思っている)とガイドらしき気難しそうなふくよかなおじさん。どうせ挟まれるなら、もっと、こう、かわいい女の子達がよかったな…。

揺れるが行きよりはだいぶましだ。少なくとも全力で祈ってないし命の危険も感じていない。雲がなくヒマラヤ山脈がきれいに見える。最高だな。

30分ほどでカトマンズへ降下を始める。明らかにルクラよりも着陸して滑走路で減速するまでの距離が長い。…ほら~やっぱルクラ無理しとったんやんか…あんなすぐ停まるわけないもん。

バスで建物へ移動する。人の流れについて行き、自分のザックを回収して空港を出る。

うん。この空気の汚さ、暑さ…TAXI!? TAXI!?と詰め寄ってくる客引き達、クラクションもぎ取ってやろうかってくらいのうるささ。間違いない。大好きなカトマンズだ。帰ってきた。

 

これにてトレッキング終了。

 

ここからしっかり迷子になったり、宿でダニエルと再会したりするのはまた別の話。足も腰もぼろぼろだったが2,3日後にはマルディヒマールトレッキングに出かけることになる。その後、死んだ色の川でラフティングして熱を出したり(熱と川の関係は不明)帰りの飛行機がなくなったりもしたか…すべてはドミの部屋でパーティー繰り広げていたイスラエルのパリピ兄ちゃん達のせい…ということにしておく。関係ないけど。

そうそう、マートンとはちゃんと会えた。一緒に”絆”のカツ丼を食べることができた。パトリシアはすぐに回復できたらしい。食べ物や水の中にいた細菌が引き起こした胃炎?(日本語訳不明)だったようだ。退院してネパールで旅を続けていた。インドネシア人のカップルはマートンと”絆”に行ったときに隣の席にいた。私の話した日本食を食べてみたくなったとか。お気に召してもらえたようだ。クリスとジィーにもポカラ(ネパール第二の都市)で会えた。タメルにいるときは”絆”で丼ものを食べまくったらしい。ジィーは全メニュー制覇したと自慢してきた。クリスは同じカツ丼を6回と。そう、ダニエルもルクラから帰ってきてから毎日通い詰めたらしい。私そんなに”絆”の話しまくったっけ。…したんでしょうね。

 


間違えてもしっかりしているとは言われない私ですが、心優しい人たちのお陰でできたネパール旅でした。人との出会いに恵まれていたなとも。私も旅人たちを助けられる存在でありたいな~なんてなんとなく考えていたりします。

 

海外トレッキング大変そうなんて思わず、楽しそう、行ってみたいって思う人が増えてほしいな~などと…え?最後のほういろいろ大変そうだった?…あれは稀な例ですから…

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


ビビりな女子のネパールトレッキング 前編 (ブログウィーク第4弾)

2020-05-26 19:00:00 | うちでワンゲル

こんにちは。58期の福地です。

これは私がネパールのエベレストの近くでトレッキングをしてきたときの話です。かなり長いです。前半と後半に分けました。後半(6日目から)は明日投稿します。

右のスクロールバーの小ささを見てひるみました?それは写真が多いせいです。すみませんね。心してお読みください。


まず軽く自己紹介をしておこうと思います。58期の福地です。山が大好きです。ビビりで心配性です。アフリカやらネパールやら一人旅して少しはたくましくなったと思いたいのですが。めんどくさがりで沈没しがちな意識低い系トレッカー・バックパッカーたまにやってます。海外は小さいころからよく連れっていってもらってましたが一人旅はネパールが初めてです。

 

山に入るまでに人生で一番意味わからない出来事のお祭りだったりイミグレ行ったら偶然57期のT田さんに会ったり他にもネタしかないのですが、いちいち語ってたら40日分まとめないといけなくなるので本題のトレッキングのみに絞ります。いつか書きたいなぁ。トレッキング開始までが長いのはご愛敬ですよ。そこから短くなるはずなので…

 

行程

1日目 3月8日    カトマンズ✈ルクラ→パクディン

2日目 3月9日    パクディン→ナムチェ

3日目 3月10日 ナムチェ→ホテル・エベレスト・ビュー→プンキ・テンガ

4日目 3月11日 プンキ・テンガ→パンボチェ

5日目 3月12日 パンボチェ→ディンボチェ

6日目 3月13日 高度順応日

7日目 3月14日 ディンボチェ→ロブチェ

8日目 3月15日 ロブチェ→ゴラクシェプ→エベレストベースキャンプ(EBC)→ゴラクシェプ

9日目 3月16日 ゴラクシェプ→カラパタール→ゴラクシェプ→ゾンラ

10日目 3月17日 ゾンラ→チョラパス→ゴーキョ

11日目 3月18日 ゴーキョで休養

12日目 3月19日 ゴーキョ→ドーレ

13日目 3月20日 ドーレ→ナムチェ

14日目 3月21日 ナムチェ→ルクラ

15日目 3月22日 ルクラ✈カトマンズ

↑なんとなく描いてみました。薄い青は氷河、濃い青は湖か池かなにかです。

※当初の予定では8日目が終わったらカラパタールに登って2,3日かけてルクラに戻るつもりでした。村と村を歩いて一番最後の村からちょっとお散歩…くらいの予定だったんです。S口さん、T村さんすみませんでした。

日程は長いですが距離は長くもなく高山病にさえ気をつければ簡単です。チョラパス以外は。

 

装備

基本は日本の山装備と同じです。寝袋は極寒に耐えうるもの。防寒着たくさん。

ここにはそれ以外で重要、あって良かったなと思ったものを。

リップクリーム(唇が恐ろしいことになる)

日焼け止め

サングラス

モバイルバッテリー

ダイアモックス(高山病の薬。カトマンズの街角で安く買える。)

ストック(氷河を渡るときは必要かも。EBCならなくてもいいと思う)

アルミのボトル(アルミだと水を入れてストーブの上に置くだけで湯たんぽの出来上がり)

当たり前ですが日焼け止めはちゃんと塗りましょうね。日焼けでお絵描きしたクマみたいな顔になった女からの忠告です。え?ちゃんと塗ったか?…途中でめんどくさくなったんですよ…2日目くらいで…

タメルにもポカラにもトレッキング用品店がたくさんあります。

 

予算

このトレッキング中は合計で6~8万くらいになったと記憶しています。ガイド兼ポーターを雇ったので1人で行けばもっと安くなるはず。これに航空券代が往復4万弱…だったような…ちなみにルクラまではカトマンズからジープを乗り継いで2日半ほど歩けばもっと安く行けるようです。

宿代は1部屋200円~700円になりました。ご飯は夕飯が一食500円~800円くらい、朝食、昼食はもう少し安いくらいになったような…安いものを食べ続けていれば。

宿代も食事代も水代も、ルクラから遠くに行けば行くほど高くなります。

 

※2019年3月時点の情報です。記録しておらず、正確な情報ではありません。悪しからず。


まぁ、いろいろなことがありまして。(居座っていたドミトリーが突然値上げして追い出されるように他のドミトリーを探し歩くとか…)仲良くなった友人とカトマンズの繁華街タメルの端にあるホステルのドミトリーに落ち着きました。

このドミでこれからトレッキングで長い間をともにする韓国系オーストラリア人のジィー(40歳過ぎ、男性)と韓国系ニュージーランド人のダニエル(23歳、男性)と知り合いました。3人とも初対面でした。そのころ、私は別のトレッキングを狙っていたのですが、その年は異常な積雪量で道が開通してないだとかでちょうどあきらめていました。

余談ですがツアー会社の情報を鵜呑みにしてちゃだめですよ。雪の情報なんて都合のいいことしか言いませんからね。ドミなんかで集める、実際にそのトレイルにいったトレッカーの声が一番信頼できます(※個人の所感です)。

そうこうして集めた情報でエベレストベースキャンプ(以下EBC)まで行くトレイルは開通している、その時点で少し雪は残っているものの行けないことはないという情報をつかみました。

ダニエルは世界中を旅している元薬剤師のお兄さん。EBCトレッキングのためにネパールに来ました。ジィーは4人の子供を持つお父さんです。数年毎に奥さんと交代で一人旅をしているそうです。他のトレッキングをする予定でしたが、積雪情報を聞いてあきらめていたそうです。私がEBCに行くために山道具をそろえに行くというと2人ともついてきました。一緒に街を歩いていると3人でEBCトレッキングに行こうということに。そしてすでにEBCトレッキングのスタート地点、ルクラまでの航空券をとっていたダニエルに合わせてジィーと私も翌日早朝の便を取りました。

 

 

それではここからトレッキング初日

日記をもとにしているので文体がガラッと変わります。

 

1日目 3月8日 カトマンズ✈ルクラーパクディン

さぁいよいよ始まる。アンナプルナサーキットを狙いタメルに沈没してだいぶたった。開通せず何も進まないことにいらいらしてサンマティ(インド人の友人)とルンビニの寺院で宿坊体験、瞑想でもやってこようかと思っていたが、思わぬ道、連れを見つけた。ようやくこの町を脱出できることにほっとしている。

↑タメルの通り

↑どこか懐かしさを感じるロゴ。タンザニアでもこんなの見かけた気がするのですが…流行りですか?

 

この日、カトマンズからスタート地点のルクラまで飛行機に乗る。そしてルクラからパクディンという集落まで歩く。ルクラのテンジン・ヒラリー空港といえば標高2800mの場所にあり、世界一危険な空港と呼ばれている。無理やり作ったであろう短すぎる滑走路…手前は崖、奥は壁である。天気が悪いとすぐに遅延、キャンセルになり何日も飛ばないことがザラだ。そしてよく落ちる。現地の人たちに「午後の便は取るな飛ばないぞ。朝一の便を取るんだ」と何度も何度も言われた…のだが、前日に飛行機を取ったので私は2便のSITAエアーだった。(カトマンズールクラ間を飛ぶ航空会社は4、5社あった。)ダニエルとジィーは1便だった。2人のフライトは6:20、私のは7:20だ。ルクラに3人で待ち合わせてトレッキングを開始するつもりだ。

早朝4時なのに1週間ほど行動を共にしていたインドの友人が起きてきてくれた。バタバタして行動食が買えなかったでしょ、と持っていたドライデーツと豆。そして記念に、とガンディーのキーホルダーをくれた。ハグをして別れを告げる。またいつかインドに会いに行くよ。(今年の春に行く予定でしたが叶いませんでした…コロナめ。せめてダルエスサラームからムンバイまでの航空券代返せ

タクシーで朝5:30にトリブバン国際空港の国内線ターミナルへ。小さな空港だ。入ったら一部天井が崩れてたのはご愛敬。

 

空港内の崩れた天井

↑天井が落ちている

ダニエルとジィーはチェックインを済ませ保安検査を受け出発ロビーへ。私はチェックイン開始まで時間があったのでそのへんの椅子で昨晩買っておいたパンを食べる。(タメルのパン屋さんは夜8-9時を過ぎると半額で売り始めるので超お得。チーズケーキがひたすらおいしいお店とかもね)

そろそろいいだろうとチェックインカウンターへ行くがここで問題が。なんとルクラの天候が悪化しチェックインできない…なるほど…

これが…これがルクラの洗礼かーーーー!!!

↑ 当時のインスタグラムのストーリー投稿から

 

 

ここから保安検査を受けて出発ロビーに着くまでにいろいろありまして。長くなるのでまとめました。福地が一人でアホを晒しまくっていろんな人に心配されたという話なのですが。簡単にまとめると

・チェックインカウンターのおじさんにここが何空港か尋ねる→トリブバン”国際空港”の”国内線”ていう紛らわしさのせいです

・電光掲示板を探すも乗る便が見つからず同じチェックインカウンターのおじさんに聞きに行く→ごめんなさい普通にありました

・チェックインカウンターのおじさん、私を心配し、チェックイン開始の前に呼びに来て一番にチェックインしてくれる→カウンター前に荷物置いて順番待ちしてた皆さんごめんなさい

・荷物が16キロほどになることが判明→飛行機乗るのに問題ないけど重すぎてトレッキング開始前からいやになる。

・Boarding passと書かれた厚紙を手にこれ何?と近くにいた現地人の乗客らしきおじさんに尋ねる→普通に搭乗券でした。いえBoarding passの意味は分かりますよ…それらしく見えなかったので…

こんなところです。私が質問した2人のおじさん、顔に「こいつ大丈夫か?」って思いっきり出てましたね…大丈夫じゃないです。とりあえず、4,5時間の遅延でチェックインできました。

 

ここから話をもとに戻して。

出発ロビーのゲートから少し離れたところに座っていたのだが、気づくとチェックインカウンターにいたおじさんが前に立っている。「こっちにおいで」と言われた。これは…あまりに頼りなさ過ぎて迎えに来られた感じですかね…搭乗を開始したらしい。ゲートの付近にいた男の人が613?と聞くので搭乗券を見せる。私が先ほど搭乗券を見せてこれが何か聞いた人だ…手招きをしておいでと言っている。これは…乗客のこの人にまで心配されている感じですかね…ゲートを抜け奥に停まっていたバスに乗りこむ。乗客のおじさんは振り返って私がいることを確認していた。ありがとうございます…。

 

駐機場には5、6機の小さなプロペラ機が停まっている。バスはそのうちの一機のそばで停まった。飛行機にはSITA airと書かれている。見ていると飛行機のドアが開き乗客たちが降りてきた。そして先ほどのバスに乗り込み到着ロビーへと去っていった。そうこうしているうちにグランドスタッフの人たちは機内から座席を取り外しはじめる。…まさかの乗客数に合わせて座席数変わる感じ…。

↑取り外される座席

のんびりと作業が行われザックが積み込まれていく。その間にチェックインカウンターのおじさんが近づいてきた。「ネパール滞在中に何か困ったことがあったら連絡しなさい。」とフェイスブックの友達申請をしておいてくれた。もう…もう…なんとお礼を申し上げたらよいか…。

積み込み作業に長くかかりそうだったので乗客は翼の下に入って待っている。わたしもそこに加わる。詳しくは話さないがグランドスタッフのお兄さんから「いいじゃん。一か国、一都市にボーイフレンド一人ずつ作れば」という衝撃発言をされたのもこのタイミングである。仕事中にナンパしてくるんじゃないよ。(すみません。調子に乗ってるんじゃないです。衝撃発言だったので…自分の容姿に関してはよく理解しております。イラっとしないで。)

乗客の一人と話しているとゴーキョ方面は雪で道がまだ開通していないことが分かった。

機内はとても狭い。座席は決まっておらず好きなところに座れる。チェックインカウンターのおじさんが行きは左、帰りは右に乗るといいと教えてくれていたのでその通りにした。

↑狭い機内。コックピットまで筒抜け

ようやく飛行機が動き始める。これで!カトマンズ脱出!!…できたのはいいが…なかなか揺れる。小さいプロペラ機だし覚悟はしていたが予想以上だ。ん…?そういえば…ルクラ悪天候…てことは…?もっと揺れるやつや!!!30分の辛抱だとひたすら言い聞かせる。吐き気も必死で抑える。何度かこれ落ちるんかなーよく落ちとるけんなーこの路線…なんて考えも頭をよぎったがそれも抑える。しばらくすると白いヒマラヤ山脈が見えてきた。ありきたりな言葉で申し訳ないが、壮大で美しい…と思った。というかそれ以外考えとる余裕ないわ。落ちそうやし吐きそうやし。高所恐怖症でもないし飛行機が怖いと思ったこともないが、今回は目をつぶり落ちませんようにとひたすら祈った。ついでに心の中でいろんな人に別れを告げた。

↑機内から

 

突然飛行機は高度を下げ始める。ルクラに着陸するようだ。揺れる。タイヤが出たのを感じ取った。突然衝撃を感じ目をつむる。祈る祈る。うーん。気持ち悪い…。体全身で飛行機が停止しようとしているのを感じた。驚くほど短い距離で飛行機は停止した。飛行機の全力を感じた気がした。目を開けて窓の外を見ると目の前には、いや、翼ぎりぎり分くらいの余裕はあるが…壁である。ちょうど飛行機が駐機場に入るために右に曲がったところだったようだ。なるほど…すこしでもオーバーランすると、この壁に激突する…と…。ぞっとした。よほど私の顔がひきつっていたのか、右に座っていた人が少し笑って音を出さずに拍手してくれた。帰りも飛行機だ…とてもとってもとーっても気が重い。もし再びここに来ることがあればカトマンズからジープを乗り継いで2日半歩く方法にしようと心に決めた。

 

飛行機を降りるとジィーが出迎えてくれた。ジィー!!もう私はてっきり置いて行かれたかと…(泣)ジィーは誰か見知らぬ男の人を連れている。見たところ現地人のようだ。建物でザックを受け取り、空港近くのレストランに入った。そこではダニエルがダルバート(カレー)を食べていた。

↑タメルで食べた簡単なダルバート。チャパティの代わりに米のこともある。

 

席に着くと店員さんがメニューを渡してくれた。開くとどれも500ルピー(約500円)以上。あまりの高さにメニューを閉じそうになった。物価が跳ね上がるとは聞いていたがここまで高くなるのか…(タメルのお手頃なカフェでトーストを食べると70円くらい。タメルを離れた大衆食堂では50円くらい…だった…気がする)。この高地までわざわざ運んできているのだから当たり前ではあるのだが。とりあえず無難にパンケーキを頼む。ジィーは待っている間にガイドコンポ―ター(ガイド兼ポーター)を探しておいたと言って先ほど連れていた人を紹介してくれた。

私が食べている間にジィーが値段交渉を始めてくれた。ガイド(仮)は若い女の子だし学生でお金なさそうだから$15/日+チップでいいよと言ってきた。安い…安すぎるぞ…なぜそんな額をすんなり出してくるのか…(相場だとガイドだけで20~25ドル/日。ただしきちんとしたライセンスを持っている人だと思われる)不安は少しあったがとりあえず了承した。ジィーは用心深く、念のために仲介してくれた人とガイドの2人に了承を得て写真を撮っていた。

↑念のために紙にも書いてサインをもらっておく

 

最初に3日分を払う約束だったので$45、だいたい4800ルピー(約4800円)払った。ちなみにガイドの名前はナウォン・シェルパ。

レストランの窓の下には例の滑走路があった。冒頭でも書いたように滑走路の端は壁と崖だ。滑走路自体は舗装されただけの坂に見える。飛行機は滑走路を外れると上昇を始める…というより投げられた紙飛行機のように見える。

↑写真だと分かりにくいかもしれない…が、短い。明らかに短い。そして坂。

 

14時頃、ようやく今日の目的地パクディンへ出発する。いよいよだ。ここ数か月バイトに打ち込んでいて体力が少し心配だが、ようやく始まるというわくわくもある。この時の天気は小雨。少し肌寒いくらい。カトマンズは暑かったのに。

ナウォンが私のサブザックを、私はメインザックを持ち歩き始めた。ルクラの集落は石が敷かれている。途中、許可状を申請する場所があった。2000ルピー(訳2000円)払い3人ともすんなりとパーミットを入手した。ルクラはEBCトレッキングの拠点とされておりトレッカー向けの建物が多い。ロッジや雑貨店、カフェが並ぶ通りを抜ける。

↑帰りに撮ったもの。わんこ達がくつろいでいる。

 

集落の抜けると林の中へといってもよく整備されている。標高2800mのルクラから標高2610まではほぼ下り坂だ。もっとも最低標高は2450mくらいになるので多少の登りはあるが。

よく牛たちとすれ違う。道のいたるところにフンが落ちているがすぐに慣れることになる。牛、ロバ、ヤクとすれ違う時は必ず山側よけなさいと教わった。たまに落とされる人がいるらしい。基本的にEBCまでの道はトレッカーのための道…というわけではなく地元の人たちが行き来する道だ。ネパールには様々な民族、顔立ちの人たちが暮らしているがこの辺の人(おそらくシェルパ族)は顔立ちが日本人に似ている気がする。

↑すれ違う牛たち。手前にいるのはダニエル

沢も多く、つり橋がよくかけてある。

↑つり橋。小さなリュックサックを背負った女の子たちは地元の子たち

 

このつり橋を抜けてすぐガイドらしき人とトレッカーらしき人のペアとすれ違った。そのトレッカーらしき人の肩を見てとっさに「こんにちは。」と出てきた。その人のザックの肩ひもは青。その上のほうに直径1cmないくらいの赤丸が縫い付けてある。間違いない。この色といい赤丸といいこれはモンベルのゼロポイントのザックだ。我ながら素晴らしい瞬発力。いえ、モンベル製品だから日本人というわけでは決してないのですが。その人はすこし面食らったような顔だったが(そりゃそうだ)挨拶を返してくれたので少し話した。

 

下って下って最後に登って本日の目的地パクディンに着いた。

ナウォンの知り合いのロッジにトリプルルームがあったので3人で1部屋に泊まることにした。1部屋で200ルピー(約200円)。これを3人で割る。さらにうれしいことに無料WiFiが。ありがたやありがたや。ダイニングにはたくさんのトレッカー客、ガイドたちが。ストーブもあって暖かい。夕飯はそのダイニングでいただく。とりあえず米だな、とチャーハンとガーリックスープ(高山病に効くらしい。何の症状もないがとりあえず予防)を頼む。ジィーはチャーハンのみ。ダニエルはモモ(餃子みたいなもの)を。ここで学んだことだが…チャーハンはだいたいどこの宿でも一番安いごはんだ。そして量が多い。本当に多い。私の感覚では3人前くらいある。なんとか食べ終えたが、次回からチャーハンは覚悟を決めて注文することに決めた。ガーリックスープはほとんど豚骨スープのような味だった気がする(なわけないだろというツッコミは甘んじて受け入れる)。ちなみにガイド、ポーターたちはまとめてダルバートを食べる。無料だったか安くなるか忘れたがそんな感じ。

↑タメルのおいしいモモ屋さんで食べたモモ。開かれたガイドブックはアンナプルナのトレッキングのページ

 

ナウォンが明日の朝食を何にするか聞きに来た。朝食は前日に決め希望の時間を書いてだしておくらしい。

部屋に戻りベッドの上にさらに寝袋を出し早めに寝た。ガイドやポーターはダイニングに寝る気がする。たぶん。

 

 

2日目 3月9日 パクディン→ナムチェ

今日はパクディン(2800m)からナムチェ(3400m)まで歩く日だ。ナムチェといえばこの辺一帯では一番大きな村だ。山の斜面にたくさんの建物が建っておりルクラより大きいとか。出発前からわくわくしている。行程を決めたダニエル曰く登りで一番きつい日らしいが。

朝食にトーストを食べ、ロッジの外に出ると白い山が見えた。昨日は雲に覆われていたが今日は顔を出したようだ。ダニエルもジィーも歯磨きをしながらにこにこしている。

↑手前の山の陰に隠れてはいるが山が見えた。名前は知らない。

 

宿代、ご飯代は1部屋で出る。ジィー、ダニエルと私でそれぞれの分を計算して清算した。朝8:00頃にパクディンを出発する。

(この日の日記を書いたのがトレッキングの最中だったためか昼ご飯までの風景の描写がございません。たぶん毎日自然に囲まれて?て特に印象に残らなかったのでしょうね。しばらくの間写真でお楽しみください。)

↑つり橋を渡ったようです。ダニエルです。

↑川です。水がきれいですね。先ほどのつり橋がかかっていた川でしょうか

↑お、途中の集落でくつろぐわんちゃんを見つけたようですね。かわいいです。もふもふしたいですが狂犬病などの可能性を考えてやめておきました。

 

途中の小さな村のレストランで昼食をとった。パッとメニューを見た感じではパクディンと食べ物の値段は変わらないか。すぐに食べれそうなチーズトーストを注文した。おいしい。

↑チーズトーストです。おいしかったそうです。それ以外の言葉はないのかね全く。

 

少し休憩してまたナムチェまで歩き始める。

 

(ここからナムチェに着くまでの描写がないので写真でお送りします。記憶ではずっと登りだったような)

↑ご飯食べた村ですかね。それかパーミット見せる関所だったかも。

↑集落の囲いの中に子馬と牛がいたようです。

↑村でゾッキョたちとすれ違ったみたいです。よくあるんですけどね。ゾッキョって言いましたがすみません。牛とヤクとゾッキョの違いがよく分かってないです。

 

村を出てしばらく歩くとモンジョに着いた。ここでさらに入域料だか別のパーミット代だったか忘れたが3000ルピー支払う。

↑緑の小屋でパーミットを見せて通過します。

↑どこかの村のおっちゃんみたいです。強盗みたいな格好ですね。一瞬ドキッとしましたよもう。中央奥やや左にあるのは…なんだっけ。とりあえず神聖なもので道の真ん中にあるときは右肩を向けます。

↑渡ったみたいです。なかなか高度感がありますね。

↑つり橋から撮ったんですかね

↑ロバたちが歩いていたみたいです。

 

15時過ぎに無事ナムチェに到着した。小雨が降っている。昨日のパクディンより気温が低く寒い。なるほどこれは大きな村だ。山の斜面にある村で私たちが到着したのは斜面の下のほう。斜面の上を見上げるとたくさんの建物が並んでいる。

↑少し登ってから撮ったもの。もっと、こう、広がってるんですよ。写真撮るの苦手なめんどくさがりを恨んでいるところです。

 

村の規模が大きいだけあってロッジやカフェ、トレッキング用品店の数も多い。坂を上り下りしてロッジを数軒偵察する。ほとんどのロッジが1部屋500ルピーだった。ナウォンがこの村にいた数日前までは200とか300だったらしいのだが値上げしたらしい。村の上のほうにあった”さくらロッジ”というところにだけ200ルピーの部屋があったのでそこに落ちついた。広々としたダイニングでとても居心地がよい。驚いたことに日本の有名な登山家の名前が入ったステッカーやサインがあった。”さくら”という名前のロッジだし日本人がよく泊まるのだろうか。

↑野口健さんのステッカー。山下建夫さんのものもあった。

 

↑まさかの。この部屋の人うらやましい!隣の部屋のドアには三浦豪太さんのサインもあった。

↑三浦さんたちと、…この宿のオーナーだったかな…違ったかも。余談だがナウォンも三浦さんや山下さんの隊に加わったことがあると言っていた。

 

宿に荷物をおいてジィーとダニエルとナムチェを散策に出かけた…のだがダニエルは具合が悪そうだ。頭痛があると言う。高山病の症状だ。宿を探すためによく動きまわったせいだろう。ジィーも少し頭に違和感があるようだが痛むというほどではないらしい。私はなにもない。まだ標高3400mだ。あと2000mほど高度を上げるのだが…大丈夫だろうか…。こういう時は少し歩いて体を慣らしたほうがいいとのことでゆっくり歩いてナムチェのメインの通りまで行く。ダニエルがジィーに「ケンチャナヨ(大丈夫です)」と言っているのが聞こえる。ダニエルとジィーはトレッキング用品店でもこもこのダウンジャケットを買いに行くというので別れた。

↑メインかは分からないが大きな通り

↑こっちがメインだったかもしれない。ずっと坂なのが分かってもらえるはず。

 

余談だが私たち3人、4人で話すときは英語だ。ダニエルとジィーが2人で話すときはたまに韓国語を使う。誰に話しかけているのかすぐに分かるので私は楽だった。ジィーはオーストラリアに移住したてのころ日本食レストランで働いたらしく日本語のフレーズをいくつか知っている。ご飯を食べていると、たまに「おいしい?」と聞いてくれる。私もホテルフロントのバイトで覚えた韓国語をたまに使う。「マシッソヨ(おいしいです)!」と返すと2人も笑ってくれる。ナウォンも日本人のトレッカーからいくつか日本語の言葉を学んだらしく、「きれい?(山を指さして)」「寒い?」と聞いてくれる。

一人になった私はふらふらとナムチェの村を歩き回った。いくつかトレッキング用品店や食料雑貨店を物色する。数軒目のトレッキング用品店に入ったとき、突然「あ…カトマンズの空港の…」と声をかけられた。見るとカトマンズの空港で助けてくれた乗客のおじさんがカウンターの向こうに座っている。まさかの再会だ。ルクラの空港で見失ってしまいお礼が言えず残念に思っていたのだが。話を聞くとこのトレッキング用品店のオーナーでついさきほどナムチェに戻り店を開けたところだったらしい。しばらくおしゃべりし、またナムチェに戻ってきた帰り道に会いに来ると約束した。

↑そのトレッキング用品店とは関係がない…気がする。店の上にこれまた懐かしいロゴが。

次に入った食料雑貨店は薄暗くどうやら今開店したところだったらしい。これはラッキーだ。ネパールには開店1番の客を大事にする風習があり、安くしてもらえることが多い。値段交渉が苦手な私はよくこれを狙う。行動食用に150ルピーと書かれたオレオを持っていくと100ルピーにしてくれた。うれしい。

しばらくしてロッジに戻る。

↑途中で見つけた子ヤギ

↑道の真ん中にいた牛。何を狙っているのか気になる

 

ダイニングに行くとダニエルとジィーがいたので夕食にする。懲りずにチャーハンを頼んだ。だって安いんだもの。ガーリックスープも。このガーリックスープは昨日飲んだものとはだいぶ違っていた。昨日のほうが味が強烈だったというか。というかあれは豚骨スープ。ダニエル曰く韓国でお正月に食べる米からできたスープのようらしい。ご飯を食べて早めに部屋に引き上げた。

 

3日目 3月10日 ナムチェ→ホテル・エベレスト・ビュー→プンキ・テンガ

この日はナムチェを出てプンキ・テンガまで歩く。距離としては短い。だいたいの人はナムチェで2泊して高度順応するのだが日程の関係でやや急ぎ気味のダニエルはエベレストビューホテル(ナムチェより高い場所にあるのでナムチェに2泊する人もここに登って順応する)を経由してナムチェよりも標高の低いプンキ・テンガに移動することにした。

朝起きると窓の外が明るい。晴れだ!ここ2日間くもっていたり小雨だったりしたのでうれしい。朝食前にロッジの前に出てみると目の前には白い山が。いやーテンションあがるねぇ。一緒に外に出てきたダニエルもうれしそうだ。

↑宿出たらこれですよ。もうテンション上がるしかないでしょ。右に写るのはダニエル

↑一人でにやにやしていた自信がある。そう。こういうの見に来たのよ。

 

また後で見れるから、と自分に言い聞かせて朝食を食べに行く。この日も朝食にはトーストを。だって安いんだもの。

また3人で清算を済ませのんびりとロッジを出発する。

↑どこかで丸まって寝ていたわんこ。もっふもふわっしゃわしゃしたい衝動を抑える

 

村の中は階段ばかりだ。朝からなかなかいい運動になる。と思っていたが村を抜けてもまだまだ急登だ。結構きつい。だが周りの景色は言葉が出ないほどきれいだ。ヒマラヤの山々が見える。少しだけアマ・ダブラムの頂も見えた。

 

↑村の上から後ろを振り返る。眼下には村の建物が。

↑ここの坂きつかった。下にはナムチェの村の一部が見える。きついのかジィーがやや遅れ気味(オレンジ)

↑左側からトラバースしている道が見える。アマダブラムは右側。明らかに雰囲気の違う山。かっっっこよ。

↑ジィーとナウォンが写っている。

 

そうこうしてなんとかホテル・エベレスト・ビューに到着する。今まで見てきたロッジとは違い”ホテル”感が漂っている。ここは標高3880mらしい。日本人によって建設されている。某ガイドブックによると宿泊は日本からのツアーのみらしい。(てことは日本のお金持ちシニア向けですか?バイトバイトでようやくお金貯めた大学生が足踏み入れていいところですか?)

↑ホテルの入り口。ご覧くださいこの長い階段。他との格の違いを見せつけているようです。

 

宿泊はツアーだけといったがレストランなら利用できる。せっかくなのでテラス席へ。”世界で最もエベレストに近いホテル”らしいし。館内には日本語の書かれたものがいろいろおいてある。どこかに「この地で眠る幸せ者よ」みたいな言葉が書かれた何かを見た記憶があるのですがどなたが眠ってるんですか。花の写真も飾ってあった。

↑テラスからの眺め(エベレストです。どれかは忘れました。)

↑ホテルからの眺めその2(もっと写真の撮りようあっただろというツッコミは受け付けておりません。)

 

テラス席からはエベレストが眺められる。なるほどこれは絶景だ。メニューを持ってきてもらったのでジィー、ダニエルと3人で恐る恐る開く。

た か い。

いえ知ってましたよ。知ってましたけどもね。メニューには日本食が多かった。何か頼まねばということで1ポット分のココアとナウォンの分も合わせてカップを4つお願いした。ココアをすすりながら一息ついていると中年日本人の団体が到着した。少し話をしてみるとツアーで来たらしくここのホテルがゴールだと。泊まるのはナムチェのようだが。ここで休んで散策をしたら引き返すそうだ。

休憩を終えてホテルから退散する。お昼時でお腹がすいてきたがほかの村のレストランに転がり込むまでの辛抱だ。ホテル・エベレスト・ビューを過ぎてからは下りだ。すぐに大きな村が見えてくる。ご飯…かと思いきやここを通りすぎもう一つ先の村まで。

 

↑大きな村を通り過ぎる。

 

途中、分岐を通り過ぎ小さな村に到着した。おそらくゴーキョとEBCへの分岐だったと思う。この村のレストランでご飯を食べる。天気がいいので外の席で。ここはネットが繋がるらしく、SIMカードを持っているジィーはオーストラリアにいる家族とビデオ通話を始めた。私とダニエルもジィーの4人の子供たちの挨拶しておく。かわいい。余談だがジィーは子供たちのことを私の小さなベイビー達と呼ぶ。これもかわいい。

昼にはララヌードルを食べた。パクディンからちょくちょくメニューで見かけて気になっていたのだ。ラーメンぽいうどんぽい名前だなって。運ばれてきたのは汁が多めの即席ラーメンのようなもの。日本でも食べたことのあるような味だ。食べやすい。(カトマンズに帰ってからこの味が懐かしくなり、食料雑貨店を回ってララヌードルある?って聞いていたら困惑した顔で即席めんを出された。1袋5円だったか15円だったかそのくらい。それがララヌードルかは分からないが。)

↑昼食をとったところ。牛(かゾッキョかヤクかも…ややこしいんじゃい)がうろうろしている。

 

しばらくしてまた歩き始める。

↑とても歩きやすい道。先頭はナウォン。黄色のもこもこダウンはダニエル。

 

15時過ぎ、プンキ・テンガに到着した。とっても小さな村でロッジは一軒だけだ。だいたいのトレッカーはナムチェに泊まるのだろう。沢の横にあるためかとても寒い。 部屋は簡素なつくりだ。1部屋200ルピー(約200円)。またもチャーハンを食べ(だって安いんだもの。)早めに就寝。

↑ロッジで見つけたステッカー。たぶんプンキ・テンガだった。

↑とっても小さな村。集落かも。ロッジの前につり橋がかかっていた。

 

 

4日目 3月11日 プンキ・テンガ→パンボチェ

この日はパンボチェまで。途中でタンボチェという村を通るのだがここにはチベット仏教の大きな僧院がある。楽しみだ。

朝起きてトーストとオムレツを食べる。先日までトーストだけだったのにオムレツを追加した。進化。値段は高くなったけど。

(さて。例によって風景の描写がございません。写真でどうぞ)

↑お、早速の登場ですね。ゾッキョだかヤクだか分かりませんが。牛でないことは分かりました。

↑黒いですね。穏やかな目をしていらっしゃいます。

 

すぐにタンボチェに着いた。プンキ・テンガから近いし。タンボチェは山の中の開けた場所にありエベレストやアマダブラムがきれいに見える。僧院もあった。想像していたよりだいぶ立派で大きい。

↑あれ、もうタンボチェに着いたようです。中央の大きい建物が僧院のはず。正面から撮った写真がないんですが…神聖な場所だろうし気がひけるなーなんて思わず撮っとけよ。みんな撮っとるやんって今思いました

 

↑タンボチェからエベレストとアマダブラム(途切れているが)

 

タンボチェは開けた場所にある。日本発のツアーはここへ来るのを目的とするものもあるらしい。

↑タンボチェから

↑つり橋を渡る。向かい側に道があるのが見える。

↑ア!マ!ダ!ブ!ラ!ム!!

 

パンボチェに着いた。ロッジが数軒ある。トリプルルームがあったのでそこに3人で泊まることにする。

夕飯にはガーリックヌードルとゆでたじゃがいもを頼んだ。このじゃがいもがおいしかった。小ぶりだが量が多く(7,8個)甘い。2,3個ジィーにあげた。ジィーはコチュジャンを持ち歩いているのでそれをつけて食べていた。(コチュジャンの大きなチューブを出してきたときは驚いたのだがダニエルは微塵も驚いていなかった。まさか…これ…普通…なのか…?ダニエルもたまに使ってるし…)

1日目から段々と気温が下がっている。標高が高くなっているのを感じる。ルクラからは見えなかったアマダブラムが見えるようになり、どんどん近づいてくる。村も前ほど大きいのは見なくなってきた。宿代も食事代も水代もじわじわと高くなってくる。

この日はダイニングで世界中のトレッカーたちとおしゃべりできた。と言っても私はあまり喋っていないけれど。話を聞くだけでも楽しい。

↑部屋の窓から頭をつっこんできた子牛。人の着替えをのぞくんじゃないよ

 

 

5日目 3月12日 パンボチェ→ディンボチェ

この日はパンボチェ(3985m)からディンボチェ(4350m)へ。ダニエルは高山病が悪化しているようだ。ナウォンにはダニエルの荷物を持ってもらうことにする。ダニエルはダイアモックス(高山病の薬)の服用量を増やしたらしい。副作用の手足唇のしびれも気になるようだ。ジィーも頭痛がするようだ。私はナムチェのあたりから予防のために少量服用しているが副作用はそこまでない。たまにしびれを感じるが。幸いなことに高山病の症状もない。

 

しばらく登りが続く。ずっとアマダブラムが見えるので幸せだ

↑沢がある

↑山がきれいに見える

↑ザックを降ろして休憩。中央下にあるのはゴミ箱。エベレスト街道には多く設置してある

↑手前にポーターさんが運んでいた板が立てかけられている。分かりにくいが。

↑ディンボチェが見えた。

↑泊まったロッジが写っているので。このロッジはフレンチベーカリーもあるし居心地もいい。中央左に白いストゥーパも見える

 

昼頃にディンボチェに着いた。ディンボチェからはアマダブラムやエベレストがきれいに見える。ここには高度順応のため2泊する。お昼ご飯にチベタンブレッドというものを。膨らませた揚げパンのようなものだ。(写真撮っとけよー!て今思いました。)

とってもいい天気だ。日が出てぽかぽかしている。宿の前には谷が広がっている。その谷の向こうには文字通りアマダブラムがそびえている。あの谷に下りてあの尾根を伝っていけば山頂いけるかなーなんて考えながら外の石垣に腰かけアマダブラムを眺めてのんびりする。ロッジ前で寝袋も干しておく。

しばらくして一人で周囲探索にでかけた。ロッジの裏には小さな丘がありその途中に白いストゥーパ(仏舎利塔)がたっている。ロッジの前の谷を見てみた後その丘のほうへ向かった。思っていたよりも風が強い。少し登るのに苦労した。

↑ロッジに併設してあったフレンチベーカリー

↑ストゥーパと少し雲のかかったエベレスト

↑アマダブラムとストゥーパ。タルチョがはためいている。

↑アマダブラムとストゥーパの正面バージョン

↑ディンボチェの村。ここに住んだらどんな暮らしになるのかよく考える

 

宿に帰り夕飯にベジ・ヌードルを食べる。フレンチベーカリーのおいしそうなパンの匂いに惹かれるがこらえる。学生に500ルピー(約500円)は大きい。ミネラルウォーターに250ルピー飛んで行ったのに。夜は寒いのでもう1枚掛け布団をかりて2枚重ねて寝た。アルミ製のボトルに水を入れてストーブの上に置いておいたのでそれも湯たんぽに使う。宿代は1部屋500ルピー

 


全編はここまで。

 

 


2019冬・1年生キャンプ(ブログウィーク第3弾)

2020-05-23 19:00:00 | うちでワンゲル


こんにちは。59期の執行です。
おうちでワンゲル第3弾は、昨年の冬に行った1年生(現2年生)キャンプについて。
私たち59期はワンゲル人口爆発の代で、45人もの同期がいる代だということをお見知りおきください。
記録をとっておらず、記憶をたどりながら書いているのでやや曖昧ですが、広い心で読んでいただけると助かります。

12/13(金)~14(土)
〈参加者〉
小野、小林、斎藤(大)、斎藤(嵩)、執行、関戸、多田、原口、藤井(野)、藤村、古川、豊東、宮下、矢津、吉岡、イグナス、イナラ、エリック、陳

時は2019年11月上旬。12月に能古島キャンプ場で1年生キャンプをしようというお知らせが舞い込んだ。
11月中旬には雲仙での1年生合宿が企画されていたが、なんせ1年だけで45人もいる。参加できない人も半数以上いた。筆者も所用のため合宿を諦めたうちの1人であったため、このキャンプの企画にとても心が躍った。(楽しい楽しい1年生合宿については2019年秋のブログをご覧ください!)

発案は59期のムードメーカー的存在のタ〇ヤ。合宿やレンタカー登山に参加するメンバーが固定化してきていたことや、途中から入部した人のことを考えて、59期みんなで交流を深めよう!ということで企画してくれた。そこに留学生係のだいちゃんから、入部した4人の留学生も呼ぼうと提案があった。2人ともナイスすぎる。かなりワクワクな展開になった。
タケ〇を中心に事前に装備の割り振りや買い出しについて打ち合わせを進めた。が、言い出しっぺ本人が学部の用事で参加できないことになってしまった。なんということだ。それにも関わらず先頭に立って計画を練ってくれたタケ〇は素晴らしすぎた。ありがとう。このままいくとラブレターみたいになってしまいそうなのでこの辺で自粛することにする。

能古島についてよく知らない人もいるかもしれないので少し説明する。能古島は博多湾の中央に浮かぶ島で、姪浜の「のこ渡船場」から船で15分ほどで行けるお手軽行楽地である。


季節によって様々な花が咲くアイランドパークが有名で、桜やコスモスの時期は特に人気である。
今回のキャンプの舞台はこの能古島にある能古島キャンプ場。金曜から土曜にかけての1泊2日で、木曜に買い出しをした。
いよいよ当日となった。金曜ということで、5限まである人やほかの用事がある人などさまざまであったが、特に何もない人は17:45発のフェリーで行くことになっていた。筆者は夜まで別のサークルの用事があり、20:30のフェリーで能古島に渡ることにしていた。逐一キャンプのライングループをチェックしていると、17:45間に合わない勢が大量発生。バスの遅延、渋滞にハマったなど、ワンゲルらしいなと思った。1時間に2本のフェリーが出ている能古島でよかったなと思った。
ここからは最初のほうの便で島に渡ったメンバーの情報をもとに書いていく。17:45、18:15、18:45と各々フェリーに乗り、島に向かった。

船からの景色は格別だった。
島の港からキャンプ場までは、キャンプ場の方が送迎してくださった。本来なら17:00までにもかかわらず、ご厚意で、17:15の便だけでなく、その次の便のメンバーまで送っていただいた。いきなり人に助けられ、ここにもワンゲルらしさが光った。
キャンプ場は海沿いで、海岸で遊ぶこともできるようになっていた。海の上にヤシの木でつるしたブランコがあり、ものすごく楽しそうだ。

真冬なので海水浴はさすがにできないが、夏は相当楽しいんだろうな、という感じだ。
18:00を過ぎればあたりは真っ暗。島の北部に位置するキャンプ場は港からは結構な距離があり、加えてその道中には街灯が全くなくイノシシ注意の区間があった。後から来るメンバーのことが思いやられた。
着いてからは早めにテントを立てた。ここまで読んできて、真冬ということでキャンプ場のバンガローに泊まったのだろうと思っていた方々、ノーです。極寒の中われわれワンゲル1年一同テント泊をいたしました。(数名を除く。後述します。)

それから夕食の準備に取り掛かる。献立は鍋。異論は認めない。コッヘルが6つあったのでキムチ、味噌、しょうゆなど、様々な鍋ができた。温まるものばっかりだ。そのうち1つはヴィーガンの留学生のための野菜だけの鍋。多様性の時代だなあと思った。


そうこうしているうちに5限まであった人たちがやってきた。ぶんぶんと多田ちゃんだ。さっき述べた通り港からキャンプ場までの後半は人気(ひとけ)も街灯もなく、イノシシ注意の看板が立ててあるような道。いくら男二人といえどもさすがに怖かったのだろう、爆音で音楽を鳴らしながらキャンプ場に登場した。今後何かしらのイベントに遅れて参加するときはセルフで爆音BGMをかけてみるのもいいかもしれない。
ここからは筆者の回想に戻る。筆者とののこは20:30の船で島へと向かった。

夜のマリノアシティ。
街灯がなくなるあたりまで大ちゃんとりょうへいが迎えに来てくれ、4人でキャンプ場まで向かった。話に聞いていた通りの真っ暗かつイノシシの出そうな道で、ののこと2人だったらどれだけ怖かっただろうと思った。懐メロを流し喋りながらながらしばらく歩くとキャンプ場についた。懐メロは爆音ではなかった。着いた頃にはお鍋は2周目ぐらいになっていて、冷え切った体に温かいスープが最高だった。具材が減ったらスープに色々入れて味変を始めたり麺を入れたりして楽しんだ。
ひとしきりお鍋を堪能すると、おそらくイグナスだったと思うが、探検に行こうと言い出した。もう22:00を過ぎていたと思う。島の真ん中のほうに展望台があり、福岡市内の夜景を見渡せるらしい。ということで、10人ほどで夜中の探検に出発した。
スマホの地図を頼りにして歩いて行った。冷えていた体が温まっていく感じがした。この日は月がとても明るく、途中月明かりだけで歩けるほどの場所もあった。街灯がないからこそ月の明るさに気づくことができたのかもしれない。草むらのガサガサという音に過剰反応しながら1時間弱歩いたと思う。能古島展望台に到着した。対岸に福岡市街地のキラキラした明かりが見え、眠らない街だな、と思った。

ひとしきり写真を撮って、キャンプ場へと戻った。道中、それまであまり話したことのなかった人や留学生と喋れたのでとても楽しかった。

キャンプ場に戻るともう0:00近い。寒くて凍えそうだったので、炊事場のかまどで焚火をした。ここでイグナスがアウトドアスキルを発揮して、うまく木や草を組んで火をつけ、見る見るうちに火を大きくした。

眠くなった人は順次テントに向かっていき、残った人で火を囲んで談笑した。火はとても強く、薪にしていたヤシっぽい木の皮がどんどんなくなっていく。数人がその辺から木を拾ってきてはくべ、拾ってきては遊び、を繰り返した。

ここで分かったことがある。火を見ると異常にテンションが上がるタイプの人がいるようだ。その代表が宮〇。めちゃくちゃ楽しそうだった。


火の回りでしゃべったり、海岸にあるバルコニーのようなところでしゃべったり、ぜいたくな時間を過ごした。
火を残したまま寝るのは危険なので、火を小さくし始めたがなかなか消えない。炭のような状態になってもとても暖かかった。焚火の周りで寝始める人もいた。筆者は眠気の限界がきておそらく3:00ごろテントに入ったと思う。

翌朝7:00頃起床して炊事場に行くと一睡もしていないという猛者が数名。それに加えて火もまだ残っていて、まだまだ暖かった。オールをした人々はかまどの周りで突っ伏したり耐え切れずテントに行ったりと非常に眠そうだったが、筆者は起きておけばよかったな、と少しだけ後悔した。

日の出が見えるかも!ということで海岸に行くと、いい感じに潮が引いていてブランコに乗れそうだった。


座るタイプと立つタイプがあり、筆者とののこがゆるーく楽しんでいると、続々起きてきた人たちも参戦してきた。そうこうしているうちに日の出の時間となった。雲がかかっておりきれいには見えなかったが、朝日が美しかった。

福岡の市街地の音がかすかに聞こえてきて、街が動き出したんだなーと遠くから感じることができた。

朝ご飯を食べつつ昨日の夜何時まで起きてたのー?とかいう話をしていたら、なんと、イグナスがハンモックで寝ていたことが発覚した。たしかにハンモックが張ってあった気がする。

人口密度が高すぎるテントに入っていても極寒なのに、ハンモックとは…。生粋のワンゲラーだ。ここで補足しておくとイグナスは船にチャリを積んでわたっており、港からキャンプ場までも1人でチャリで来ていた。見習おうと思った。

これはキャンプ場にあったBBQコンロ。ひっくり返った虫みたいでかわいかった。
集合写真を撮ってテントを片付けて、忘れ物を確認して、港へ向かった。喋りながらのんびり歩いていると意外と時間がギリギリになってしまい、最後は少し走って船に間に合った。眠そうな人、めちゃくちゃ元気な人、午後からバイトの人、いろいろだった。
姪浜港について、お疲れ様でしたー!と言って解散し、みんなそれぞれの帰路についた。

このキャンプを通して、同期の中が深まったとともに、いつか全員で集まってみたい!という気持ちもとても大きくなった。次は同期飲みだ!
提案をしてくれた人や中心になって企画したり会計をしてくれた人など、楽しいイベントの裏には頑張ってくれた人もいる、ということを忘れずに、これからも楽しくワンゲルを満喫したい。
ワンゲル人口爆発の59期、今後もにぎやかにやっていきます!!!


2020春 しまなみ海道チャリ(ブログウイーク第2弾)

2020-05-21 15:53:13 | うちでワンゲル

こんにちは!!中島先輩からのバトンを受け取りました59期の武谷です。

今回は、春休みに愉快な仲間たちと行ったしまなみ海道について書いていきます。今回が武谷のワンゲルブログ初投稿のため、どっきどき。最後まで読んだら、きっと!お家の中のあなたも!おそらく!しまなみ海道の美しい海の中、心地よい風に吹かれている気分になることでしょう。


<メンバー> 

3年 田中 三橋 (以下、田中さんと明菜さん)

2年 サイトウ 武谷 (サイトウの”さい”は難しい方の”さい”らしい、よくわからないのでカタカナね。以下、たかと)

<日時> 2020年2月21日~22日


この合宿(?)は明菜さんの「しまなみ海道行きたくね???????」という一言から始まりました。よくしらなかったけど、あの明菜さんが行きたいというのだからめちゃくちゃいい所に違いないと考えた武谷が「行きたい!」と返事をしたのが12月。1月下旬に田中さんとたかとを誘うと快くOKしてくれた。

あの明菜さんが行きたいと行ったしまなみ海道について簡単に説明を。

しまなみ海道は広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約70㎞のサイクリングロード。美しい海と島々の絶景からサイクリストの聖地とも呼ばれるのだとか。自転車道はきれいに整備されているし、レンタル自転車やサイクリングターミナルも充実、パンクや故障時のサポートもとてもしっかりしているので私たちのような自転車初心者でも安心してサイクリングできます。今回、私たちは6つの島を経由して今治市(今治タオル)から尾道市(尾道ラーメン)までを1日かけてレンタル自転車でサイクリングする計画です。


2月21日 

朝発の7時半発の高速バスに揺られて正午過ぎに広島入り。前日まで関西にいた武谷はここでメンバーと合流。今日は高速バスしまなみライナーで今治市まで移動の予定だが、まだまだ時間はあるのでとりあえず広島風お好み焼き!!!

 

武谷のような3食お好み焼きでも生きていける人間には、たまらない。塩レモン焼きそばも絶品でした!!

まだまだ時間があるということで、広島城へ行くことに。一人だけ7階にあるお好み焼き屋さんからエレベーターを利用した田中さん。エレベーターを使ったくせに到着が遅いので先に広島城に行っちゃいました。ところが田中さんが来ないんだな、これが。さすがに電話をかけると軽く道に迷ったらしい。何とか合流して皆そろって仲良く広島城へ。広島というと原爆ドームのイメージがあると思いますが、実は城もあったんですねえ。しかも、すごく近くに。近づいてみると確かに、原爆ドーム一色になっちゃうのが分かるくらいこじんまりとしたお城でした。ここでお城の高さ当てゲームをすることに。優勝者はたかとで最も離れていたのは明菜さんでした。実際の大きさの3倍近い数字を自信ありげに言っていました。小さなお城でも中の展示品は結構充実。楽しめます!おだやかな午後を過ごせました。

しまなみライナーに乗って今治へ。明日自転車で渡る橋たちを、夕焼けの瀬戸内海と小さな島々を見ながらバスで渡っていきます。明菜さんと絶景をカメラに収めようと頑張りました。明菜さんはこう見えてエモい写真を取るプロです。

今治駅前から今日の宿であるサンライズ糸島まで徒歩で一時間程度。タクシーだと20分ちょっとの道のりですが、やはりここはワンゲラーとして歩くことに。途中の焼き鳥屋さんで晩御飯。ここで盛り上がったのがだめだった。気づけばチェックインの時間までわずか!大人しくタ〇シー使いました。(ワンゲラーの先輩方に文明の利器を使ったなど声を大きくして言えることではないので、タ〇シーと表記しています)

車中、明日の天気についての話題に。実はなぜか明日だけ雨の予報。T中さんが「俺は雨だったらレンタカーでも全然いいよ」とワンゲラーとしてあるまじき発言。(こんなことワンゲラーの先輩方の耳に入ると先輩が肩身の狭い思いをしてしまうため、プライバシーを尊重してT中さんと表記しています)

無事にチェックイン。ほぼ貸し切り状態の浴場を楽しみ、就寝。

2月22日

サイクリング当日。天気は昨日からの予報通り雨。雨でも来島海峡大橋を見ながらの朝ごはんは格別。雨の対策をしっかりとして、自転車についての簡単なレクチャーを受けたら出発。

この天気でも、大きな橋にテンションが上がるメンバー。誰もいないし大きな声で歌いながら進みます。今回の旅で驚いたのは田中さんの声量。たかとはああ見えて平井堅のものまねがうまいんです。

橋はなかなかの高さですぐ下には海。最初はちょっと怖いですが一瞬で爽快感に変わります。もはや雨も気持ちよくなってくる。来島海峡大橋を渡り終わると最初の島、大島へ。大島のど真ん中を抜けていくルートです。そのため軽く山越え。雨に打たれながら住宅の間や畑の間を抜けていきます。次の島は「伯方島」。そうです、あの有名な「伯方の塩」の伯方島。CMのおかげでどうしても「はっ!かっ!たっ!のっ!し!お!!」としか伯方の塩を言えない日本人はたくさんいるはず。伯方島に着くころには、雨も止んできました。さあ、ここで外せないのが塩ソフト。(あれ、、昨日のブログには塩プリン。今日は塩ソフト、、。これってご当地スイーツブログ、、、??)

伯方島に入ってすぐの道の駅でいただきました。たかとが絶対うまいと言って買っていた、たこのから揚げにも絶品。さすが!ワンゲルの料理番長は目のつけどころが違いますね。

何だかわからないけど指から血が出ていた明菜さん。ここの道の駅の方が治療してくれました。あたたかい。イスラエル出身のご夫婦にもここで遭遇。今日中に今治から尾道まで行くことを伝えると驚いて「若いね!」と言われました。わーい。大切にしよう、今の若さ。

甘いもので元気をチャージして次に目指すは大三島。大三島は大きく観光スポットもたくさんあるみたい。タイムリミットもあるのでどんどん進む。尾道駅前のサイクリングターミナルに午後6時までに自転車を返さねばならないのです。順調にいけば間に合うでしょうが、余裕をもって行動しておくことはいいことです。(のちにこの行動に感謝することになる)

次の生口島につながる多々羅大橋の前のサイクリストの石碑で記念写真。

多々羅大橋上には愛媛県と広島県の県境が!ここからは広島県。

この橋を渡り終わるころには晴れ間も見えてきました。

メンバーの日ごろの行いの良さを感じますね。

レモン畑の間を向けて海沿いに出ると、真っ青な海が広がっていました。テンションがさらに上がるメンバー。写真を取る手も止まりません。そろそろお腹がすいてきた。目指すは瀬戸内名物レモン丼。海沿いをひたすら走ってお店に到着。

味はいうまでもなく最高。一瞬で皆食べ終わりました。お水までレモンの味、そしてグラスのコースターもレモン🍋お手洗いに行ったあきなさんが「ちょっとここのトイレすごいよ、」と大興奮。トイレに興奮するなんて変な先輩だなと思いながらも、トイレを覗きに行ってみる。これがびっくりすごかった。とってもきれいで広いんです。たぶん、皆さんの想像の2倍きれいでおしゃれです。。

お腹が満たされたら因島に向かいます。因島では、名物のはっさく大福を狙います。

ところが事件は因島へ向かう生口橋手前で起こります。さあ、生口橋!というところで振り返ると田中さんの姿がないのです。急いで引き返す3人。ここで、田中さんからパンクしたという連絡が。その場で田中先輩を待ちます。ところが、待って持っても来ない田中さん。自転車で様子を見に行っても見当たらない。実は田中さん自転車を押しながら、本来ならば曲がる角に気づくことが出来ず、そのまままっすぐ進んでしまっていました。何とか合流して、自転車をレンタルしたところや自転車屋さんに電話を掛けるとすぐ来てくれるとのこと。よかったよかった。いろいろなところに電話をかけてくれた、たかとありがとう。新しい自転車をGetして先を急ぎます。ここでのタイムロスや天気回復による皆の写真撮影によって思ったよりも時間がない!

急ぎ気味で因島のはっさく大福屋に到着するも、売り切れでした。さすが人気店、夕方には売り切れてしまうみたい。

最後の島である向島に渡る橋、因島大橋はこれまでの橋と違い車道の下に自転車道があります。これが中々楽しい。

因島のビーチで少し休憩

住宅街や街を抜けて進んで行くと渡船場に到着。因島から尾道までは船で渡ります。

なんとか、ぎりぎり滑り込みでゴーーーール。前半かなりとばしていた自分たちに感謝!

完走すると認定証がもらえます。 やった!

疲労感はあるけれど達成感がすごい!!

もちろん尾道ラーメンを食べてから広島市内へ戻りました。

なかなかアップダウンが激しいコースでしたが、海のきれいさと橋の壮大な感じを味わうことのできる楽しい自転車旅でした。

最後に一緒にいってくれたメンバーの皆さん、ありがとう。時が経った今でもブログを書きながらニヤニヤできるいい思い出になりました。

 


我らがホーム・糸島低山のご紹介(ブログウィーク第1弾)

2020-05-19 19:00:00 | うちでワンゲル

こんにちは。58期の中島と申します。

突然ですが、本日より三週間にわたって、現役部員有志たちがブログを定期更新していきます。新型コロナウイルスの影響でオフラインの部活の再開が見込めないなか、部員の書き物で楽しめたらいいなと思っています。火木土19時の週3ペースで、フリーテーマでアップします。何を書いてもいいってことにしているのでおそらく微塵の統一性もない3週間になると思いますが、どうぞお楽しみに。

 

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第1弾の今回は無類の糸島低山好きである筆者が、伊都キャンパス周辺の低山をいくつかサラッと紹介していきたいと思います。

新型コロナウイルスによって自治体から登山自粛が呼びかけられている場合があります。最新の情報をチェックし、適切な行動をとりましょう。(記事で紹介する糸島低山は2020年5月19日現在、糸島市より、域外からの来訪を自粛するよう要請が出ています。 2020年5月27日現在そういった要請はなされていませんが、逐次情報の確認をお願いします。)

伊都キャンパスが位置する糸島半島は福岡のリゾート地としてすっかり定着し、海沿いにはおしゃれスポットがたくさんあります。なかでも一番有名なのは「二見ヶ浦の夫婦岩」ではないでしょうか。青い海に白い鳥居が映える素敵な場所です。筆者も暇なときに自転車でフラーっと遊びに行きます。そういったものがメディアに多く露出することから「糸島=海」というイメージがバシーッと植え付けられているかもしれません。天神の本屋さんにドシンと積み上げられている糸島のガイドブックの表紙も、もれなくビーチの写真。ですが我らが糸島半島、実は魅力的な低山の宝庫でもあります。いや、筆者はむしろそっちを推したい。伊都キャンパスからすぐに行けるので、まさにホームマウンテン。それではさっそく筆者オススメの「糸島オーシャンビュー低山」を4座紹介していきます。

↓伊都キャンパスおよび糸島半島を衛星写真で。海が近く、低山もたくさん。

 

 

1.立石山(たていしやま・209m)

まずはこの山からご紹介。立石山は糸島半島の西端にあり、糸島低山の魅力を凝縮した最強低山です(個人的見解)。立石山のトリコになる部員続出。伊都キャンパスから自転車で45分ほど、筑前前原駅からバスも出てます。立石山の魅力は「海がめっちゃ近い」「岩肌歩きが楽しい」に尽きます。文字での説明は野暮ですので、ここからは写真多めでいきます。

↓立石山の登山口はなんと海水浴場。いくらなんでも海が近すぎる。

↓岩肌歩き。眼下には芥屋の透き通った海。

↓30分ほどで山頂の先の展望台に到着。

↓糸島半島の西端の山であるため、西側は海が広がります。

↓立石山には腰掛けて海をゆったり眺められる岩が点在しています。波音を聞きながら、物思いにふけるなんてのもアリ。アリ、というか筆者はたまにこの岩の上でボーっとしてます。

下山したら、目の前の海水浴場で遊ぶもよし、ちょっと足を伸ばして芥屋の大門に行くもよし。立石山の南西には超有名なプリン屋さん(お塩屋さんがやってます)があるので、登山の疲れを甘いプリンで癒すもよし。無類の甘党である筆者はここのプリンが大好きです。濃厚でなめらかなプリンに、糸島の海水からできたお塩を振りかけて。。。ダメだ、書いてて食べたくなってきた。ちなみに冬場は近くの岐志漁港に牡蠣小屋が軒を連ねます。

↓塩プリン。絶品。後ろの山並みはこれから紹介する山たちです。

 

 

2.浮嶽(うきだけ・805m)

浮嶽は脊振山系の主要なピークのひとつ。山頂には浮嶽神社の上宮が鎮座し、地域では霊峰として知られているそう。名前の由来は「海に出ていたときにシケに遭い、霧に浮かぶ浮嶽の山容を見つけて助かった」というお話からきているとかいないとか。でも確かに空に向かってググっとそそり立つ姿は、海から見ると良い目印になるのかもなあ。そしてこの浮嶽、実は山頂は展望がありません。山頂から5分ほど東に下ったところに「大岩展望台」という絶景ポイントがあります。大岩展望台はその名の通り、ひとつの巨岩が山腹から海側に突き出ており、視界を遮るものは何もありません。糸島の山はどこも比較的登山者が多いのですが、浮嶽はあまり混雑しないので、日にちや時間帯を選べば、青い空と青い海をひとりじめできるかも。ちなみにこの大岩展望台の下には朱色が映える白龍稲荷があります。

とここまで手放しで絶賛してきましたが、実はこの山、福岡側は少しアクセスに苦労します。最寄り駅はJR福吉駅になるのですが、5㎞強のアスファルト歩きを強いられます。ある程度の経験があり健脚者であれば、単体で登るより十坊山~浮嶽~女岳~二丈岳の糸島四座をやっちゃったほうがお得だと思います。(ワンゲルで去年の冬に糸島四座縦走をした様子がこのブログにあがってますので、そちらもぜひ。)

↓二丈岳から女岳(手前)、浮嶽(奥)を望む。どちらもきれいな円錐形。

↓大岩展望台の下に鎮座する白龍稲荷。

↓大岩展望台。個人的にいちばん好きな景色かも(達成感含め)。

↓浮嶽神社上宮。

 

 

3.十坊山(とんぼやま・535m)

「十坊」と書いて「とんぼ」と読みます。十坊山も名前の由来には諸説あるそうなのですが、麓に10の宿坊(僧侶や参拝者のための宿泊施設)があったからという説と、豊臣秀吉による九州征伐の際、浮嶽にあったお寺が兵火で焼かれ、十坊山に逃れた10人の僧侶が山頂で捕まり殺されたからという説が二大巨頭のようです。後者だったら、なんとも切ない歴史ですね。そんな十坊山も今ではファミリー登山でにぎわう人気の山。人気の理由は、やはりその景色にあります。オーシャンビューってなんでここまで人を惹き付けるんでしょうね。。。何度登っても飽きません。ちなみにアクセスは抜群で、JR福吉駅からそのまま歩いて登ることができます。アスファルトは2㎞ほどでしょうか。

↓ずっと見てられます。

↓山頂には「坊主岩」という巨岩がありまして

↓鎖を使って岩に登ることもできます。人と比べてこのサイズ感。

下山後は、まむしの湯でさっぱりするのがオススメ。まむしの湯は露天風呂が広く、ワイン風呂や緑茶風呂、酒粕風呂など、いろんな種類のお湯を楽しむことができます。とっくにハタチ超えてますが、ドリンク風呂はいまだにワクワクします。小さいころ行った温泉のコーヒー風呂が大好きでした。それとここの看板ネコちゃんがかわいい。そしてこの山もまた冬になると、近くの福吉漁港に牡蠣小屋が立ち並びます。糸島の冬といえば牡蠣小屋、といわれるほど有名です。牡蠣を食べるためにわざわざ市外や県外から足を運ぶ人も多く、牡蠣小屋渋滞なんかも起きます。ともあれ、冬は十坊山に登って、まむしの湯に入って、牡蠣小屋でビールが最強。(お酒は20歳になってから。)

↓看板ネコちゃん。お客さんにはいっさい媚びません。なんなら睨んでます。

↓牡蠣。

↓お店によってルールは異なりますが、いろいろ持ち込んで焼けるのも醍醐味。今年は行けるかなあ。

 

4.二丈岳(にじょうだけ・711m)

今回、最後に紹介するのは二丈岳です。こちらは十坊山と並んで景色がよく、ポピュラーな山です。おもな登山口は2つあり、加茂ゆらりんこ橋から入山するコースとJR筑前深江駅から入山するコースにわかれます。初心者向けなのは前者。二丈渓谷という沢沿い歩きのコースとなり、水の流れ落ちる音を聞きながら、涼しい気分で登山を楽しめます。一方、筑前深江駅からのコースはひたすら鬱蒼とした樹林帯の登りとなり、健脚持ちでないと少しキツい登山になります。ただ、駅から山頂までの距離が短いのは深江コースになるので、登りはゆらりんこ橋から入り、下りは筑前深江へ下りるのがベスト。個人的にはここで歩荷ができないか画策してます。

↓加茂ゆらりんこ橋。ここが一般的な登山口。きらびやかな下界ファッションの観光客も多い。

↓みんな大好き、二丈岳のゾウさん。

↓登山道は途中まで二丈渓谷に沿って進む。ものすごく気持ちのいい道。

↓春のゆらりんこ橋は菜の花と桜の共演が有名。海と可也山も入っちゃうこの構図が好き。

↓山頂からは海と糸島半島が一望できます。

ちなみに深江側に下りると、「二丈温泉 きららの湯」があります。きららの湯はラドン泉で、糸島唯一の天然温泉でもあります。浴場は広く清潔で、ゆったりと疲れを癒すことができます。ここの露天風呂はなかなかの解放感です。行けばわかります。風呂上りは「伊都物語」の飲むヨーグルトが定番ですね。あんなにドロッと濃い飲むヨーグルトを他にぼくは知りません。大好きです。ちょっとお高いので、登山後のプチご褒美にしてます。温泉に浸かった後は筑前深江駅まで歩いて筑肥線で帰路に就くわけですが、駅前に「いなほ焼き」のお店があります。いなほ焼きとは「手で持って食べられるお好み焼き」みたいな軽食で、福岡では有名らしいです。電車の待ち時間にペロっと食べられて、部員に人気です。お気に入りはやっぱりめんたいかな。ここにも看板ネコちゃんがいます。

 

さて、今回は伊都キャンパスから近い、立石山、浮嶽、十坊山、二丈岳を紹介しました。いかがだったでしょうか。どの山も見晴らしがよく、リフレッシュにうってつけの山です。また冒頭でお話しした通り、糸島はリゾート地として名を馳せているので、下山後の楽しみもたくさんあります。海、温泉、グルメもセットで一日中楽しめるのが糸島低山の最大の魅力かもしれません。もちろん糸島にはまだまだ魅力的な低山がたくさんありますが、その紹介はまたいつか。糸島低山、いいなあと思っていただけたら幸いです。

九大ワンゲルでは、ご近所である糸島低山でトレーニングも行います。春夏秋冬、朝から晩までこれからも糸島低山を愛でながら、大切に登らせていただきます。(コロナはやくおさまれ)

→つぎは5月21日19時に更新予定。おたのしみに!!

【追記】

今回紹介した四座に「高祖山」「可也山」を加えた6つの山の山頂には、登頂記念木札が設置されています。地元の「ILIS山守会」の方々のご厚意で設置されており、登頂した方は誰でも記念に木札を持ち帰ることができます。そしてその木札がかわいいのなんの。うちの部員たちにも人気です。筆者は全部集めちゃいました。2020年5月現在は上記全6種ですが、今後も新たな木札が誕生する予定とのこと。糸島低山の魅力がどんどん増えていきますね。

↓ 全6種の木札たち。なかでも二丈岳の木札は季節で絵柄が変わります。かわいい。