こんにちは。58期の福地です。先日、ワンゲルの中の自由な劣等生…と暗に言われた気がしましたがきっと考えすぎでしょう。なんたって主務ですから。…心当たり?…ありますよ…たくさん…。パキスタンと南米に行きたい今日この頃です。
ビビりな女子のネパールトレッキング 後編です。
後編はいろいろ起こります。文字量が多いのは許してください。いろいろあったんです。
前編ではカトマンズのドミでダニエルとジィーと仲良くなり、ナウォンというガイドを見つけてルクラからディンボチェまで歩いてきたところでした。ダニエルとジィーの高山病が心配です。
それではどうぞ
6日目 3月13日 高度順応日
この日は高度順応のため移動しない。ダニエルとジィーは調子が悪く、1日ロッジで休んでおくようだ。私とナウォンは高度に体を慣らすためにも4700~4800mくらいの場所まで登ることにした(ディンボチェは4350m)。空荷なのだがこれがなかなかきつい。

↑だいぶ高くまで登ってきた。下のほうにディンボチェの村が見える
宿に戻ってお昼を食べ昼寝をしてベーカリーの中のテーブルで本を読んでのんびり過ごした。
明日は雪が降るかもしれないとのことだったので早めに出発する。夕飯を食べて明日に備え、先に勘定を済ませた。
7日目 3月14日 ディンボチェ→ロブチェ

今日はディンボチェ(4350m)からロブチェ(4930m)まで。5-6時間歩くようだ。
朝6時過ぎにコリアンヌードル(辛ラーメン)を食べ、辛すぎて一人で号泣した。ジィーとダニエルに心配される。昨日ジィーがおいしそうに食べていたから食べてみたのに、なにこれ辛すぎんか…ちなみにこの辛さが無駄に癖になってまい、度々トレッキング中に食べては毎回泣いていた。
朝7時前に宿を出発する。最初50~100mほど登る。その後は平たんな場所を1,2時間ほど。アマダブラムから離れていくのが少し悲しい。でもまた同じ道を戻ってくるしまた見れるかな。(戻ってきませんでした。)こうしてトゥクラ(4620m)に至る。少し休憩を取った。ちなみにここの外のトイレは私の人生で汚いトイレ1位にランクインした。

↑ディンボチェからトゥクラまでの道で
ここからは1時間歯半ほど登ることになる。トゥクラパスと言ったか。下から見上げるだけでげんなりする。ダニエルは高山病できついのかだいぶ遅れている。
登り切ったところは開けており景色がとてもきれいに見える。お墓だか墓石だったか忘れたがそれらしきものがたくさんあった。

↑トゥクラパス。みんな登り切って一休み。
ここから本日の目的地ロブチェまでは30分‐1時間ほど。登りはほとんどなく楽だった…気がする。

↑トゥクラからロブチェまでの道。左側はクーンブ氷河…の端かな…違うかも。

↑凍った湖だか池だか。寒そうじゃない?寒いのよ。

↑近づいてくるヤク達。
ロブチェにトリプルルームのある宿を見つけたのでそこに泊まることにする1部屋700ルピーだ。着実に高くなってきている。お昼にチャパティにはちみつをかけて食べた。チャパティってこういう食べ方だっけ。でもネパールでやってるならきっとそうなんだろう。
部屋は寒いので暖かいサンルームでくつろぐことにする。先日から見かけているオーストラリアから来たクリスとロンドン在住ポーランド人のパトリシアと話した。2人も一人旅をしていたが途中で会って一緒に歩いてきたらしい。25,6くらいだと勝手に思っていたパトリシアは19歳だった。同い年やん!!てことで意気投合した。
パトリシアはEBC、カラパタールへ行った後ゴーキョのほうへ行くつもりらしい。ただ、今は近道になるチョラパスが雪で開通していないので遠回りしてゴーキョに行くらしい(下図参照)。パトリシアは私も来るか聞いてくる。うーん…ジィーがナウォンにあと3日ほど空いているか聞いている。空いているそうだ。うーん。ダニエルは飛行機の関係で、ジィーは体力に自信がないのでそのまま帰るようだ。私は予定は空いてはいるのだが…その時、話が聞こえていたのか近くにいたガイドがチョラパス通れるよ!と教えてくれた。なんでも昨日開通したとか。ナウォンはアイゼンとストックさえあれば行けるよという感じ。すみません。私保険の関係でアイゼンNGなんですよ…まぁ、持ってるんですけど。パトリシアと地図を見ながら予定を確認してみる。あれ、なんとかなりそうじゃん。行っちゃう?ねぇ、行っちゃう?パトリシアも行こ行こ!って言ってくるし。行ってしまえ!…こうして想定していなかったチョラパス越えが決まった。

↑ピンクがチョラパス。黄色はチョラパスを使わない場合。
ここでチョラパスについて少し補足を。
チョラパスはEBC方面とゴーキョ(きれいな色の湖で有名)の間の峠である。そこそこ危険らしく、地〇の歩き方には欄外に危険な箇所があるのでガイドを同行しろとあるのみ。しかもこの危険な箇所がクレバスなど。と書かれている。そして日が昇ると雪や氷が溶けて危険なので早朝に越える。一番標高の高い場所はチョラ・ラで5420m。手前のゾンラ(4843m)から一気に登る。超えると急な下り坂が待っているらしい。高山病のリスクも高そうだ。体調が悪く引き返しても進んでも大変という。さらに、ゴーキョの手前には大きな氷河がある。これを渡らなければいけない。
チョラパスの話はいったん置いておいて。サンルームでのおしゃべりに20代後半くらいの日本人男性も加わった。本名ではないが”あき”さんと呼ぶ。カトマンズのカツ丼屋さん”絆”の話で大盛り上がりした。300ルピー(約300円)でお腹いっぱいのおいしいカツ丼が食べられる。控えめに言って最高。この国で会った日本人のほとんどが知っていた。(今はないとかも聞いたけど)もっと熱く語れるのだがこの辺でやめておく。みんなで日本食の話を始めた。このあたりでなぜか緑茶と抹茶の違いについてほかの国の人たちから質問される。日本人2人とも全く分からなかったのですがなんなんでしょうね。

↑絆のカツ丼。おいしいのよこれが。安いし。このトレッキングの最後のほうはカトマンズに帰ってこれを食べるために歩いたようなもの。
夕飯にシェルパシチューを頼んでみた。じゃがいも、にんじん、ホウレンソウ?や餅のようなものなど具だくさん。スープは薄いガーリックスープのようなマイルドな味だった。夕飯を食べ終わり、また先ほどのメンバーでストーブを囲んでおしゃべりし、部屋に戻って寝た。部屋はとても寒かった。
8日目 3月15日 ロブチェ→ゴラクシェプ→エベレストベースキャンプ(EBC)→ゴラクシェプ

この日はロブチェ(4930m)からゴラクシェプ(5150m)に行った後荷物をデポしてEBC(5364m)に向かう。
朝早めに出発した。昨日まで絶不調だったダニエルが快調に飛ばしている。ロブチェからゴラクシェプまで3回ほど短い登りがあった。最後に少し下ってゴラクシェプに到着する。ロッジが何軒かある。トリプルルームのあったブッダ・インにする。部屋は昼でもとても寒い。窓に氷ついた雪の結晶のようなものがたくさん張り付いている。
昼食をとる。この時、未開封の堅パンを机に置いているとほかの人たちが興味深そうに見てきた。EBCで写真を撮るつもりだったのだが…まぁいいや、と開封し皆に分けてみる。クリスは本当に食べ物かと疑っている。こんなの食べ物の堅さじゃないよと言いながら食べている。味は好評だった。
いよいよエベレストベースキャンプ(EBC)へ出発した。標識に片道3時間と書かれている。何度かアップダウンを繰り返す。足元はガレ場となりあまり安定しない。ヤクの行列とたくさんのポーターたち何度もすれ違う。エクスペディションのためだと思われる燃料やいすなどを運んでいる。遠くに何張かオレンジ色のテントが見える。エベレスト登頂を目指す人たちのものだろう。もうそろそろシーズンだ。

↑え?堅パンの袋が少ししぼんでないか?気にしない気にしない

↑パトリシアと私。ジィーとダニエルとも撮ったはずだけどないのでジィーが持ってるのだろうか。
テントが見えるところよりもだいぶ手前に旗がたてられておりその付近にたくさんのトレッカーがいる。ここがEBCだ。気温は低く風が強い。パトリシアと写真を撮りっこする。その後ダニエルとナウォンがもっと遠くへ行くのを見つけたのでパトリシアとついて行ってみる。どうやらテントのほうへ向かっているようだ。話でも聞きに行くのだろうか。私とパトリシアは途中で誰もいないきれいな氷河を見つけて2人で遊び始めた。これがクーンブ氷河だろう。スケートリンクのように滑らかだ。その中に人の背丈の何倍もある青白い氷の塊がいくつもある。素手で触るとひんやりしてとても滑らかだ。

↑パトリシアと遊んだ氷河

↑とても大きい氷
しばらくするとテントのあたりから戻ってきたらしいナウォンが帰っておいでと手招きをするのでおとなしく従う。パトリシアと2人で飛ばして歩き男子軍を大きく引き離したはずだったのだが気づけばナウォンだけ前にいる。後から聞くと高山病で頭痛がしていて早く高度を下げたかったらしい。3,4時間ほどでロッジに戻ってきた。45分ほどEBCで過ごしていたことを考えるとなかなか良いペースだったのではなかろうか。高地での激しい運動は高山病のリスクが高まるためよろしくないのだがパトリシアも私も何の症状もない。謎の高山耐性。

↑EBCからの帰り。真ん中に写るのはパトリシア。

↑ロッジから少し離れたところ。ビーチと言われても信じられそうな感じの砂の広場が広がっていた。海底だった頃の名残とかなのだろうか。
ダニエルとジィーは30分ほど遅れて帰ってきた。(クリスはカラパタールに行っている)ロッジに戻るとインドネシア人のカップル(日記を書いたときは夫婦だと思っていたがまだカップルだったようだ。先日インスタで結婚式を挙げた様子が流れてきてとてもうれしくなった。)とクリスが戻ってきた。インドネシア人のカップルは強風でカラパタールの4,50m手前で引き返したようだ。クリスは登ったようだが何も景色が見えなかったとぼやいている。夕飯までみんなでおしゃべりして過ごした。ナウォンは携帯で自分の3歳の息子と話している。
夕飯にはゆでじゃがいもを食べた。ここのはだいぶ水っぽくてパンボチェのもののほうが好きだ。夕飯が終わってみんなで写真を撮ろうということで突然の記念撮影タイム。

↑ダニエルとクリスの様子が分からないけど元気にしてるといいな。ほかの人たちはインスタを見る限り元気そう。インドネシア人夫婦はヨガに筋トレに励んでいるしパトリシアは山や岩を登りまくっているようだしジィーはよく子供たちと遊んでいるよう。
ダニエルとジィーはカラパタールには登らず高山病も重いので明日の朝にゴラクシェプを出て行けるところまで下るそうだ。私はメインザックを置いて夜明け前に宿を出る。ナウォン、パトリシアとカラパタールに登り、ザックを回収してゾンラというチョラパス手前の村まで行く。同じ部屋では寝るがもう会わない。ここで2人とはお別れだ。ここまで10日近く一緒に過ごしてきた。2人ともとても礼儀正しくて親切で大好きだった。2人が何事もなくルクラまでたどり着けますように。しっかりとハグをして別れを告げる。
明日は夜明け前にない出る。簡単にパッキングを済ませ、起きてこなかったらたたき起こしてとパトリシアに頼んで寝た。
9日目 3月16日 ゴラクシェプ→カラパタール→ゴラクシェプ→ゾンラ

朝5時頃に起きた。廊下に出ると別の部屋で寝ていたパトリシアが出てきたところだった。ダイニングに行くとたくさんのガイド、ポーターたちが寝ている。ナウォンだけが起きていた。エネルギー補給にスニッカーズをかじったが…凍っている…歯が折れるかと思った。パトリシアの水筒の水も凍っている。
カラパタールに向けて出発する。ようやく。実はこのトレッキング、EBCトレッキングと言っているが私はこのカラパタールに行くのを目的としていた。日の出を見に行く人が多いのだろうか。カラパタールのほうにたくさんのヘッドライトの明かりが見える。昨日下から見たカラパタールの登りを思い出して少しげんなりとした。ナウォンは最初からだいぶ飛ばしている。いつも速度を合わせてくれるのに…ついて行くのがやっとなくらいだ。他の人をどんどんと抜かしていく。たまに振り返って水を飲むか聞いてくれるが。パトリシアも最初は一緒にいたのにいつの間にかいなくなっていた。
風はないが寒い。とにかく寒い。iPhone出したら秒で死ぬやつだ。それもそうなのだが…標高5000m以上の日も登っていない早朝だ。本当かは知らないが-25℃くらいだったとか違うとか。
突然ナウォンが振り返って私の後ろを指さした。見てみるとそこには朝日を浴びて輝くアマダブラムが。日が昇ってきているようだ。てか最高やなアマダブラム。30~40分ほど急登を登った後、手前に見えていた丘を巻くようにして道が平たんになった。しばらく歩いていると斜面の上のほうに旗…というかタルチョが見えた。なるほど…まだまだ登りか…相変わらずナウォンは早い。平坦な道を歩き終わりあとはカラパタールに向けて登るのみ。ナウォンと離れないように頑張る。この時点でほかの人たちをぶっちぎっている。空は明るくなりヘッドライトはいらなくなっていた。
カラパタールまで残り100-200mくらいになった時、突然ナウォンが足を止めた。怪訝に思い私も足を止める。ナウォンは前を向いたまま、ネパール語がシェルパの言葉でうめくように何かをつぶやいた。と思うと体がぐらりと大きく傾いだ。え。慌てて肩を支えたがそのまま気を失い倒れた。嘘やろ。なぜか真っ先に昨日電話から聞こえてきたナウォンの子供のことが頭をよぎった。あの子から父親を奪ったらいけないとパニックを起こしそうになる。私の持ってるスマホは使えない。ナウォンの携帯を使えるか。いや、分からん。ナウォンはずっと自分の携帯をさすっていた。寒さで充電がなくなったのかも。電波が入るかも分からん。かける番号も分からん。高山病だ。早く下ろさないと命が危ない。でも一人だったら無理。どうしようどうしよう。誰か。辺りを見渡すと10mくらい下に男の人が2人いるのが見えた。必死に大声で助けを呼ぶ。2人はすぐに気づいて駆け寄ってきてくれた。その間に水筒を取りだし水を飲ませようとしたが飲んでくれない。2人組のうち1人は熊のようなガイドだった。水を飲ませようとする私を止め、少し休ませろと言う。しばらく見ていると目を覚ました。倒れる直前に携帯を握っていたのだが落としたようだ。必死にポケットをまさぐっている。落ちていた携帯を拾って渡すと手でこすり、温めてどこかに連絡しようとしていた。家族だろうか。熊のようなガイドは自分も体調があまりよくないからナウォンを連れておりると言っている。私には2人組のもう一人、欧米人と一緒にカラパタールに行ってきなさいという。ナウォンはここで私を待っていると言ったが3人で下りろと言った。ナウォンをおいて一人だけ登るのは申し訳ない。と思っているとそれを察したのかもう一度行ってきなさいと言われた。気が引けるがゴールはすぐそこだ。写真だけ撮って来ることする。
欧米人らしい人(ガイドさんのお客さん)は10mほど前を行っている。遅れないように急斜面をついて行く。たくさんのタルチョがはためいているのは少し大きな岩の上だった。滑りやすい岩の上に2人先に座っている人がいる。だいぶ狭い。岩の上にはたくさんのタルチョがぐちゃぐちゃに置いてあるが踏むのはいやなので頑張る。一本だけ風をうけてはためいている。最後は欧米人らしき人が手をつかんで引き上げてくれた。やっと着いた。カラパタール。5545m。か5550m。地図による。どちらにせよ私の人生最高地点。

↑カラパタールと書かれた小さな石があった。
辺りを見渡すとアマダブラム方面の山は朝日を浴びて輝いている。エベレストとヌプツェの方からは日が昇っているのかまぶしい光が差し込んでくる。ヌプツェの山頂付近では雪が舞い上がっておりそれが朝日を浴びてきらきら光っていた。まるで雪が踊ってるように見えた。

↑朝日を受けて輝くアマダブラム。画面中央を走るのはクーンブ氷河なはず。

↑エベレスト(左)とヌプツェ(右)の間から三角に朝日が差し込んでくる。よく見てもらえたらヌプツェの山頂付近で雪が舞い上がっているのが分かるかもしれない。
風はあまりないが寒い。朝日が昇っても寒い。岩の上にいた人が写真を撮ってくれるというのでiPh〇neを渡した。数枚撮ったところでフル充電だったはずのスマホはお亡くなりになった。
ナウォンのことが気になるので早々に退散する。下りながらパトリシアの姿を探すがやはり見当たらない。
左を見ると相変わらずエベレストとヌプツェの間から光が三角に差し込んでいる。雪が踊っている。神様っているとしたらあんなところにいるんだろうなーなんて思った。途中で2回ほどヘリコプターがゴラクシェプに降りるのが見えた。高山病で動けなくなり搬送される人は多いのだ。ここにくるまでも1日に何度もレスキューのヘリコプターを見た。ナウォンでないことを祈りながら先を急ぐ。
ロッジの前で昨日のインドネシア人のカップルと会った。今からEBCに行くらしい。
ロッジに入るとお茶を飲んでいるナウォンの姿があった。ほっとした。大丈夫か尋ねると大丈夫だと返ってくる。パトリシアもいた。寒すぎて途中で引き返したらしい。
朝食にチャパティを食べ1時間ほどしてゾンラに出発することにした。ナウォンが心配で本当に行っていいのか考えたが様子を見ながら進むことにする。パトリシアが一人だけで行くのも心配だ。
出発する前にほかの宿に映画”神々の山嶺”の出演者のサインが飾ってあると聞いたので見に行ってみた。

↑一番右のボードの真ん中に岡田准一さんと阿部寛さんのサインがある。
いよいよゾンラに向けて出発する。ロブチェを過ぎるあたりまで来たのと同じ道だ。途中でカトマンズのドミトリーで同室だった台湾のおじさんと再会した。
ロブチェで泊まった宿で昼食を取る。しばらく休んで出発する。少し進むと分岐があった。左側の氷と雪の張った池か沢(氷河かも)を渡るとトゥクラ。右の大きなピークを巻くように進むとゾンラに着く。


↑右の丘の中腹にゾンラまでの道が見える。
右に進む。しばらくは下の方にトゥクラとペリチェ(ディンボチェの近くの小さな村)を見えていた。そのうちピークの陰に入り見えなくなった。代わりに大きな凍った湖が現れる。軽アイゼンを取りだして装着し慎重に渡る。ナウォンの靴はアディダスと書かれたメッシュの運動靴だ。寒くないのだろうか…ナウォンの装備を見ているとルクラへ戻ってもらうべきかと考えるのだが…ナウォンにはジィーからもらったアイゼンを渡す。氷の上を渡り終えるとまた外す。
ピークの裏に回りこむとそこは雪の積もった銀世界だった。今まで歩いてきた道は雪がほとんど残っていなかったのだが…山の陰に入るとこうも違うのかと驚いた。通る人が少ないのかトレースが残っていない。時々膝まで雪に埋もれながら進む。念のためにスパッツを持ってきていてよかった。パトリシアは不調なのかやや遅れ気味だ。腹痛がするらしく水あたりかもと言っていた。
雪と格闘しながら進んでいると近くの岩の上に人影が見えた。スキーマスクにスキーゴーグル、菩提樹の実で作られたとても長いネックレス(ネパールでよく売られている)を2重にしてかけた人だ。背の高い欧米人らしい。この時点でかなり謎なのだが。その人が岩の上でくつろいでいる。何してるんだこの人。あいさつだけしてさっさと通り抜ける。この人は私とパトリシアの間でスキーマスクガイと呼ばれることになる。
朝のこともありナウォンが心配だ。靴も濡れてしまっていいるだろうし、と先にゾンラに行かせ宿で休んでもらうことにした。パトリシアと2人でゆっくり歩くことにする。パトリシアは遅れ気味なのでたまに立ち止まって待つことになる。

↑かっこいい写真が撮れた。
ふと振り返るとスキーマスクガイが踏み跡から離れて新たなルートを開拓し、よく分からない方向へ向かっている…まじで何やってるんだあの人…パトリシアと首をかしげる。
最後の上り坂を終えるとゾンラの村に着いた。小さな村だ。トレッカーらしき人はほとんどいない。雪のせいでだいぶ時間がかかった。ナウォンが出てきてロッジに案内してくれる。
ダブルで200ルピー(200円)。パトリシアは女の子同士の部屋って最高と言っている。ずっとクリスと一緒に行動していたからだろう。私が荷物を出してのんびりとしている間にパトリシアは私眉毛ないのよ、と眉を書き始める。体をきれいにし保湿を始める。まじか…そんなもの全部捨ててきたぞ…手は数日間洗ってないし真っ黒…見ていると女子力の違いに悲しくなってきたのでダイニングに行った。ぽかぽか暖かい。
しばらくくつろいでいると背の高い欧米人らしき人たち数人が到着した。そのうちの一人が私を見るなりガイドはどうしてる?と聞いてきた。ん?こんな知り合いいたっけ…とりあえず元気だよと答えて同じくダイニングでくつろいでいたナウォンを指さす。そうしていると後からやって来た人も私を見るなり同じ質問をしてくる。ん???分かった!!朝助けてくれた熊のようなガイドとその客だ!!格好が違いすぎて分からなかった。朝のお礼をもう一度言う。

↑ロッジの前でパトリシアと遊んだ
この宿に泊まったのはインド系の顔立ちをしたアメリカ人とそのガイド、熊のようなガイドとその客のドイツ人夫婦(カラパタールで見たのは旦那さんだけだった)、そして前々からいろいろな宿で見かけていた背の高い若いドイツ人の男の人とそのガイド、ポーター一人。パタゴニアと書かれたニット帽を被っているので私はパタゴニアボーイと名付けていた。パトリシアと話しているのを何度か見かけた。ポーターは耳の不自由な私くらいの身長の老人だ。190cmくらいある若いドイツ人お兄ちゃんのザックをこの人がからうってどういうこっちゃねん。ガイドは中年くらいのおじさんでナウォンと知り合いのようだった。シェルパのような顔をしているので地元の人なのだろうか。
今までどの宿にもたくさんの人がいたのに今はこの人たちしかいない。スキーマスクガイはちゃんと着いたのだろうか…みんな明日チョラパスを超えるようだ。
ガイド4人が集まって何時に出発するか確認しあっている。これは危なすぎてみんなで歩くとかそんな感じか…?
夕飯を食べみんなでストーブを囲んでおしゃべりする。ついでに濡れた靴と靴下を乾かす。若いドイツ人は19歳だと判明した。パトリシア、パタゴニアボーイ、私、同い年が3人そろった。
メニューにランチパック(チベタンブレッドかチャパティ、ゆで卵、ヤクチーズ2片)800ルピーとあったので明日パトリシアと2人で食べることにする。
明日は朝6時出発だ。支度をして寝た。あいかわらず部屋は凍えそうに寒い。
10日目 3月17日 ゾンラ→チョラパス→ゴーキョ

チョラパス越えの日だ。高度5420m(地〇の歩き方情報)まで登る。ナウォンが倒れませんように。ひたすらそれを祈っていた。昨日からナウォンの子供のことが頭をよぎる。(ここで強行したのが正しかったのか正しくなかったのかこれを書いている今でも迷っている。)
朝食を食べ、ロッジに泊まった人たち全員で出発する。ナウォンにはメインザックを渡さずサブザックを渡した。最初は平らな雪原だった。が、歩いているとにだんだんと傾斜がついてくる。越える峠も近づいてくる。ドイツ人の女の人が遅れ気味だ。急登を岩をつかんでよじ登る。19歳3人、そのガイド、ポーターとほかの人たちとの差がどんどん開いていく。パトリシアも少し遅れ気味。ほかの人たちはガイドがいるのでいいがパトリシアを置いていくわけにはいけない。岩を登り切って一休みする。聞きそびれていたパタゴニアボーイの名前を聞くとルーカスだと教えてくれた。

↑まだ平らな頃

↑傾斜がきつくなった

↑岩をつかんで登る

↑岩の上から後ろを振り返る。
この休憩ポイントに着くまでに8,9人の団体を抜かした。昨日のスキーマスクガイも混じっていてほっとした。無事に着いたようで何より。
遠くに峠らしきものが見えた。まだまだ登る…休憩を終えしばらく平な道を歩く。ナウォンの話ではチョラパスを一人で越えようとした中国人の女の子が道に迷い瀕死のところを助けられたとか。
雪が積もっていないところにには透き通るような青い氷が見える。

↑右手に見えた何か

↑氷の上に雪が積もっている

↑空気が閉じ込められているのだろう

↑迫力のある氷

↑多分奥の一番低くなったところがチョラパス
パトリシアはやはりお腹が痛いようで少し遅れている。他のドイツ人夫婦、アメリカ人たちははるか後方で見えない。歩いているとまた岩場があらわれた。こんなの身長150cmの人間向けじゃないとぼやくと190cmくらいあるルーカスは足が大きいと足場を探すのが大変だからそこは有利だよと言ってくれた。確かに。岩をよじ登っていると突然目の前から岩が消えた。代わりに白い山脈が目の前に現れた。今まで見えていなかったゴーキョ方面が見える。

↑ゴーキョ方面
みんな疲れていたのでここで昼食にする。お弁当をパトリシアと分け合う。3人で一緒に写真を撮った。
そうしているうちにスキーマスクガイたちの団体が到着した。スキーマスクガイはウクライナからやってきた23歳だったでマスクをとるときれいな金髪だった。朝一緒に宿を出た人たちはまだ見えない。
しばらくしてアイゼンを付け峠から下りる。エベレスト方面の山とはお別れだ。下りはかなりの急斜面だ。苦労しながら斜面を下りきる。それが終わるとアップダウンのある雪に覆われた場所を歩く。パトリシアは相変わらずお腹が痛いようでかなり遅れている。
何個目かの高い丘を登っているとナウォンの足が止まった。パトリシアが1本渡していたストックで体を支えうつむいている。まずい…先にこの先の村まで行ってもらうことにした。それが最後の丘だったのかそこからはずっと下り坂だ。
しばらくするとタンナ(4700m)に着いた。ナウォンは大丈夫そう。チャパティを食べている。ここで軽くお茶をする。雪の進みにくさとアップダウンの連続で疲れた。ここから今日の目的地ゴーキョまでは大きな氷河を渡って2,3km標高差90mほど。まぁここからは楽勝でしょう。標識には2時間と書かれている。いつも標識の時間よりもだいぶ早く着くので1時間半くらいかななんてパトリシアと話した。すぐに間違っていたことに気づくことになる。村を出て氷河の手前に着いた。目の前には想像していた氷河とは違う光景が。まず、きれいではない。泥と土と雪の積もった小さな丘がいくつも続いている。ふふふ…アップダウン…。

↑氷河の真ん中で撮った
ガイド2人は氷河では道がころころ変わるから自分たちが行く通りについてこいと言って慎重に道を探している。荷物が重く登り下りがなかなかきつい。パトリシアもかなり遅れている。途中でお腹が空いたがあと少しで着くはずだと耐える。足が動かなくなりそうだったら何か食べよう。なんて考えていると目に飛び込んできたものがある。高い高いほぼ垂直かってくらいの雪の壁…の上に建物が建っている…んんん…絶望。よく見るとその雪の壁に踏み跡が見える。なるほど…パトリシアを待つ間にもう1本スニッカーズをかじることにする。

↑氷河の真ん中から後ろを振り返る
氷河の壁にへばりつくようにして進む。しばらくすると壁の踏み跡の下端にたどり着いた。必死に登るうちに自分だけ踏み跡を見失い迷走することになった。上からルーカスのガイドのエベレスト山頂までもうすぐだ、とからかう声が降ってくる。なんとか登りきって一休みしパトリシアを待つ。

↑登ってきたパトリシア。後ろにトレースと氷河が見える
ナウォンが案内してくれたロッジに何も考えず転がり込んだ。1部屋200ルピーらしいし。ルーカスは別のロッジにしていた。
ゴーキョの村も雪は積もっているが雪かきがされていて歩きやすい。部屋に入るとスパッツを外し靴を脱ぎとりあえずベッドに倒れこむ。パトリシアももう一つのベッドで同じことをしている。2人とも1時間半くらい起き上がらなかった。きつすぎて笑ってる。「あなたが先に起き上がってよ、そしたら動く。」「いやよそっちが先」というやり取りを繰り返した後、ようやく体を起こす。ちなみに先に起きたのは私だ。
ダイニングに行き夕飯を食べることにする。私はゆでじゃがいも、パトリシアはじゃがいも炒めを頼んだ。だいぶ違う料理な気がするのだがほぼ同じものが出てきた。謎。
そういえばゴーキョの有名な青い湖(ドゥードゥ・ポカリとか言ったか)は凍っていて真っ白だった。何しに来たんだっけ。よく考えれば当たり前なのだけれど。
11日目 3月18日 ゴーキョで休養
パトリシアはゴーキョに2泊、私は早朝に近くのピーク、ゴーキョ・リに登ってルクラ方面に下る予定だった…のだが…パトリシアは腹痛がひどくなりベッドから起き上がれなくなっていた。数日前から痛そうだった。持っていた薬をあげたのだが効いていないようだ。腹痛だけだし高山病ではないと思うのだが何か分からない。パトリシアは私に出発しろと言うが、まさか苦しんでいる同い年の女の子を一人で置いていけるはずがない。私も2泊することにした。
パトリシアの状態が少し落ち着いたようなのでナウォンには宿にいてもらって一人でゴーキョリに登ってこようかと思った。が、今日は雪がひどくゴーキョ・リは雪に覆われている。宿の人にもこの天気だと道が見つけにくいよと言われ諦める。
この日はパトリシアの様子を見ながら本を読んだり日記を書いたりすることに。おいしいベーカリーも見つけたりルーカスの宿に遊びに行ったりもしたか。正確にはゴーキョの村の中を散策しているとルーカスのガイドにつかまって連行された。ルーカスはここからレンジョラ・パスという絶景で有名な峠を越えてナムチェに行くらしい。

↑翌日に撮ったゴーキョの村
夕方ごろには雪もやみ日が出てきた。ナウォンがゴーキョ・リに登るなら今行くといいと教えてくれたがなんとなく気分が乗らなかった(登っとけよ~!って今思いました)。代わりに一人でゴーキョの村と渡ってきた氷河との間にある丘のようなところに登ってみた。丘…というか登り切ったところは切れ落ちていて足を滑らせると氷河に転がり落ちるようなところだったけど。上にあった少し大きな岩の上に落ち着く。目の前には昨日苦労して渡った氷河、その奥にはチョラツェだったか大きな白い山と峰が連なっている。日が落ちてきて向かいにある山々が赤く染まっていく。この絶景を一人占めとはなんと贅沢な。パトリシアにも見てほしかったけど。じっと静かに座っていると、時折氷河のほうからコロコロ、パラパラ、ズサーッというような音が聞こえてくる。氷河の両岸や中の小さな丘から土や石が落ちているのだろう。30分ほど静かに座っていたが寒いし日も落ちたので宿に戻った。
パトリシアの様子を見てみたが全く良くなっていないようだ。明日動けなかったらヘリコプターを呼ぶと言っている。ダイニングにいた別の欧米人らしき男性とそのガイドが、食中毒なら薬を持っているから言ってくれと声をかけてくれた。ありがたい。ただ、熱も下痢もなく食中毒でもないようなのだ。よく分からない。最寄りの病院だか診療所がある場所はナムチェの近く。健康ならここから1日で行けるかもしれないが普通は2日と言ったところ。
夜、ダイニングにいるとナウォンが近寄ってきた。なんだかふらふらしている。顔も赤いような。聞いていみるとビールを3缶飲んだらしい。高山病を避けるためにはアルコールを取らない方がいいのだが…。
12日目 3月19日 ゴーキョ→ドーレ

パトリシアの体調は少しだけ良くなっていた。ゆっくりとドーレ( 4084m)まで下りることにする。
朝食をとりゴーキョの村を出発する。看板の示すナムチェの方向へ。ずっとなだらかな雪道が続いている。

↑ナムチェ方面とチョラパス方面の分岐

↑ゴーキョからの道
途中、凍った湖をもう一つと凍っていない湖の横を通った。凍っていないほうには茶色のアヒルらしき鳥が泳いでいた。たくましいな。歩いているとルーカス一行に抜かされた。レンジョラ・パスは雪が深くてあきらめたらしい。
しばらく歩くと突然視界が開けた。小さな橋がある。ずっと崖沿いの道を歩いていたのだが端を渡って対岸の崖沿いの道にわたる。もう少し進んだところで個人的に一番お気に入りの写真が撮れた。

↑パトリシアの後ろ姿。

↑手前に下っている道がある

↑ポーターが荷物を運んでいる
しばらく歩くと小さな村に着いた。パトリシアがきつそうなので少しお茶することにした。昼食にするかと思ったがパトリシアはWiFiの使える場所を探しているようなので少し休んで出発する。なんどかアップダウンを繰り返しマッチェルモという少し大きな村に着いた。ここで昼食にする。パトリシアは相変わらずきつそうだ。ヘリコプターを呼ぶか聞いたが、死にかけているわけじゃないから大丈夫と返ってきた。まだドーレまで半分くらいしか歩いていないが大丈夫だろうか。
マッチェルモのあたりから天気が悪化し始めた。ふぶいてくる。たまにパトリシアの姿が見えなくなる。途中のルザという村に泊まろうかと言ったがルザの響きがloserに似ているからいやだと返ってきた。気持ちは分かる。
だいぶ時間をかけて今日の目的地、ドーレに着いた。近くにあったロッジに入る。パトリシアはダイニングのベンチに座りこんでいて動けないようだ。宿の人にWiFIがあるか聞いている。もう無理動けない。ヘリコプターを呼ぶ。とのことだった。イギリスの保険会社に連絡するようだ。電話をすると一刻も早く治療を受けるべきと判断されたようだった。詳細はまた連絡すると。日が暮れているのでヘリは明日になるだろう。パトリシアは歩けないようで2階にある部屋に行くにも助けが必要な状態だった。よくこんな状態で歩いてこれたな、宿に着くまで耐えてたんだろうなと思った。痛いのかすすり泣いているのがたまに聞こえてくる。
13日目 3月20日 ドーレ→ナムチェ

朝日が差し込んできて目が覚めた。パトリシアはダイニングにいるようだ。しばらくしてよろよろしながら戻ってきた。あまり体調には変化がなさそう。朝のうちに保険会社から連絡があったようだ。ヘリ搬送代や治療費には保険がおりるから一刻も早くカトマンズの大きな病院で治療を受けるように、とのことだった。症状から”なにか”の可能性があるから、と言われていたが私の英語力では”なにか”が日本語でなんなのか理解できなかった。ドーレからカトマンズまでヘリを手配してくれるとのことだった。パトリシアのザックなどをダイニングに運びヘリを待つ。9時ごろにようやく来た。ロッジの横の河原に降りた。パトリシアと最後にハグをする。宿の人たちがパトリシアをかかえて運び出しヘリに乗せた。そのままヘリはカトマンズへ飛び立っていく。インスタのアカウントを教えあっているので連絡は取れる。早く治りますように。
ヘリが行ってしばらくして私とナウォンもナムチェ(3440m)へ出発した。崖沿いに拓かれた道を通る。ほとんどずっと下りだった。そしていきなり急登がやってくる。今まで下る必要あった?何度か休憩しながら1時間ほど登った。モン・ラというところに着く。アマダブラムが少しだけ見えたような。その後下りキャンヅマという村でお昼ご飯に。EBCに向かう時もここで食べた。EBC方面とゴーキョ方面の分岐があるところだ。

↑テンボチェまでの標識
ここからすぐにナムチェに着いた。今日は行きと違ってホテル・エベレスト・ビューを通らず平坦な近道を通った。来た時と同じ”さくらロッジ”に泊まることにした。500ルピーに値上げしていたが仕方あるまい。コンセントのある部屋にしてくれた。女一人だからなのかロッジのおばさんがすごく優しくしてくれた。
部屋に荷物をおいてカトマンズの空港で助けてくれたアウトドアショップのおじちゃんに会いに行く。もっともアウトドアショップの場所を覚えていないのだが…記憶にあるあたりをうろうろしていると突然「Kanon!!」と駆け寄ってきた人がいる。この人だ。おしゃべりしていると、売り物のタルチョを描いたネックウォーマーらしきものをくれた。うれしい。またナムチェに来ることがあったら何か持ってこよう。。
おじさんと別れて買い物をしながらメインストリートを歩いていると突然「ナマステ~」と声をかけられた。なんとなく日本語っぽい響きのあるような。見ると57期のT田さんとY村さんがこちらを見ている。あら。なんという偶然。57期の先輩方数人も同じ時期にネパールに来ていた。アンナプルナサーキットをした後にEBCに行くというのは知っていたが。カトマンズでもT田さんには3回ほど遭遇し、他の方々ともご飯を食べたのだけれど、まさかこんなところでお会いするとは。これからEBCに行くらしい。道端でおしゃべりしていると、「あ。」と聞こえてきた。これまた日本語らしい響き…と見てみるとロブチェの宿でおしゃべりしたあきさんが立っている。まじで?そんなことある?
宿に戻ると次はゴーキョで薬がいるか聞いてくれた欧米人らしき男の人とそのガイドと再会した。ゴーキョのストーブを囲んでおしゃべりしたのだ。デンマークから来た人でマートンという。ガイドの名前はライ。パトリシアのことを話すと力になれなくてごめんねと言ってくれる。いい人すぎない?あとで発覚したことだがカラパタールの岩の上にいた見知らぬ2人はマートンとライだったらしい。
夕飯には2週間ぶりに肉!!を頼んだ。ここまでメニューに肉がなかったわけではないが、高くて食べれなかったのだ。ここも安くはないけれどちょっとしたご褒美。ヤクの肉と書かれている。本物じゃないよ、本物はアンナプルナのマナンでしか食べれないなんて誰かから聞いたような気もするがどうだっていい。何の肉でもいい。肉!肉!!なのだ。ゴーキョでパトリシアと「肉食べたい。私たちにベジタリアンなんて絶対無理。」「ナムチェ着いたら肉食べよ」なんて話していたのだ。パトリシアはもういないけれど。

↑肉!!ゆでた野菜もうれしい。
ついでに興味をひかれたホットマンゴーも頼んでみた。飲み物欄にあるのだけどこれいかに。マンゴーみたいに甘いものをお茶のように扱うんじゃない。とだけ言っておく。
14日目 3月21日 ナムチェ→ルクラ

今日は長い1日になる。ナムチェ(3440m)からルクラ(2840m)まで歩く。行きは2日かけた道だ。
早めに出発する。ナムチェの大通りを歩いているとナウォンの姿が消えた。しばらくして戻ってきたがなんだかふらふらしているような。高山病ではなかろう。片手に未開封のビールかなにかを持っている。そういえばなんとなく酒臭いような?うーん、でも飲んできたという確信はない。ずばっと聞く勇気もない。今までとても感じよく案内してくれていたし。でも飲んだよなぁ…足元がおぼつかなく崖から落ちそうになっている。近くにいた他の隊のガイドも顔をしかめている。少しいらっとしてナウォンを置いてさっさと下る。
この日はナウォンにメインザックを持ってもらっていたが次の休憩場所で返してもらい、代わりに空にしたサブザックを渡した。ナウォンはメインザックを持とうとするが触れられる前に背負って歩きだす。やはり重いメインザックを背負うとスピードが落ちてしまいすぐに追いつかれる。今日はよく話しかけてくるがイライラしてろくに返事をしていない。最終日だしクビにしようかとも思うが女一人だしそんなことして逆上でもされたら面倒だ。さっさとルクラに着けばお別れだと思い足を早める。

↑闇に吸い込まれるロバたちが撮れた
モンジョだかジョルサレだかでパーミットを見せチェックアウトの手続きをする。ここのゲートの人もナウォンを見て顔をしかめている。
行きで泊まったパクディンのロッジまで下り昼食をとる。自分にしては速いペースで歩いたので疲れた。パクディンを過ぎて少し歩くとルクラまでは登りになる。最後の最後に登りだ…ルクラからの飛行機をオープンチケットで取っている。帰る前日にオフィスで手続きをしないといけない。明日の便で帰りたいので15時までにルクラのオフィスに着きたい。
休み休み登っているとナウォンは奥さんが今病気にかかってカトマンズで苦しんでいる、という話を始めた。朝、お酒を飲んだことを申し訳なく思っているのだろうか…奥さんと子供は大丈夫かな…と思いながら歩く。ルクラまであと少しというところで、後ろからプシュッという音が聞こえてきた。まさかと思って振り返るとナウォンが片手にビールを持っている。目があっても悪びれることなく普通に飲んでいる。朝に注意しなかった自分も悪いと思い、怒りを抑えて「やめて。仕事中でしょ。」とだけ言った。ナウォンはうなずく。前を向いて歩き始めようとするとまたナウォンが飲むのが見えた。抑えていた怒りが爆発した。ナウォンは、「今妻が病気なんだ」と繰り返す。「いや意味分からんやろ。お前が今ここで飲むことと何の関係があるんや。状況には同情するし早く良くなってほしいけどそんなことは理由にならん。」と自分でもびっくりするくらい英語が出てくる。「そんなに辛いならここで今日の給料とチップ渡すけん帰れ。」と言うと「ここにビール置いて行くからルクラまで一緒に行く。」とついてくる。一人で問題なく帰れますけど。言い争うのも面倒になったし15時まであと少しだ。道端に捨てさせるわけにはいかないのでビール缶だけ回収させさっさとルクラについて別れることにする。登っている途中にずっと言い訳を並べてくるのでイラッとして「Enough」とだけ言う。ジィーとダニエルがいればこんなことはしなかっただろうなと思うと少し悲しい。
ルクラに着いた。最初に到着した時は曇っていてよく見えなかったが大きな村だ。ナウォンがいい宿があるとしつこいので宿の名前だけ教えてもらった。もっとも泊まるつもりなど毛頭ないのだが。これ以上自分の居場所を明かすつもりはない。チップと今日の給料を払い、SITAエアーのオフィスの場所だけ聞いて別れた。

↑ルクラのメイン通り
オフィスで空席のあった明日の3便、9:30のにしてもらった。数軒ロッジを見て回った。おいしいお肉が食べたいので宿のメニューもチェックする。庭のある小さな宿に決めた。今日は贅沢に個室にシャワー、トイレが付いた部屋にしてもらった。といっても500ルピー(約500円)なのだが。ここで2週間ぶりのシャワー!…となるところだがなんだかめんどくさい。今日疲れたし。シャワー浴びるの体力使いそう。シャワーを浴びずにカフェに行くことにした。(女子力?何それ)近くにあったきれいなカフェお茶をしていると…奥に座っている人に見覚えがある。あきさん!!声をかけると驚かれた。少しおしゃべりをする。
ロッジに戻るとマートンとライがいた。偶然同じ宿を選んだらしい。
部屋に戻ってシャワーを浴びる決心をした。お湯になる期待をせずにとりあえず水を出して待ってみる。しばらくするとお湯とまでは言えないがぬるい水は出るようになった。上出来だ。いざ浴びるとなるとうれしくなってきた。トリートメントやせっけんは先ほど新しく買ってきた。ふふふ。準備は万全だ。頭からぬるい水をかぶる。暖かくはないが許容範囲。というか何日も手を洗っていたなかったのに水があるだけで幸せ。ところが…どんどん水が冷たくなってくる。そしてついに水が出なくなった。室内は寒い。…しばらく絶望して真っ裸でしゃがみ込み、震えていた。意を決してタオルを取りに行って体を拭き服を着た。悲しい。ただただ頭からつま先まで冷やしただけだった。体を温め夕飯を食べることにした。
ダイニングではマートンがハンバーガーを食べているところだった。おいしそうだったので同じものを注文する。肉も入っているようだし。マートンと一緒にご飯を食べ、長い間おしゃべりしていた。なぜか私の人生相談が始まったりもする。見たことのないデザートも試してみた。日本食の話になりカトマンズにあるレストラン”絆”のカツ丼の話をした。マートンはカツ丼に興味を持ったようで明日の夕方18時に近くで待ち合わせをすることになった。連絡先は持っていないので来るかどうか、会えるかどうかは分からない。飛行機が飛ぶかも分からないが。それはそれで面白いな。マートンとライは明日の2便の飛行機でカトマンズに帰るようだ。
部屋にコンセントがあったので充電を試みたが出来なかった。モバイルバッテリーの充電は残っていない。スマホの充電は残り10%。
15日目 3月22日 ルクラ✈カトマンズ
部屋が明るくなって目が覚めた。9:30の飛行機なので8:30くらいに空港に行くつもりだ。空港へは歩いて5分ほどで行けるはず。
宿で朝食をとり、パッキングを終える。その後、使えるコンセントを求めて昨日のカフェへ行った…のだがここもフリーチャージのコンセントはあったものの使えなかった。それどころかケーブルにつないで放置していると充電を使ったようで、iPhoneはお亡くなりになった。あぁ…スマホの地図アプリが無いとカトマンズの空港から宿までの帰り道が分からない…さようなら、カトマンズに残してきた荷物たち…
軽く絶望しながら空港へ向かう。またあの飛行機に乗らないといけない。どうか前回よりましでありますように…チェックインを済ませザックを預ける。出発ロビーへ向かうと、とっくの昔に飛び立ったはずのマートンとライが座っている。もう2時間ほど待っているようだ。朝から飛行機の音がしていたので飛んでいると思ったのだが…特に期待もせず気長に待つことにする。小さなプロペラ機が着陸しては客を降ろし、すぐに乗客を乗せては飛んでいく。
しばらくすると呼ばれた。なんとSITAエアーはほぼ定時で出発するようだった。マートンとライはまだ待っている。なんかごめん。今日の18時に集合ということだけ確認した。
行きと同じく席は自由だ。ゲートが開いた瞬間に他の乗客が飛行機に向かって走っていく。嘘やろ。マートン達と話していた私は出遅れた。かくして最後尾の狭い3人席の真ん中という悲しいポジションに落ち着くことになった。隣はふくよかなキャビンアテンダントのおば…お姉さん(この飛行機にキャビンアテンダントが必要なのか疑問に思っている)とガイドらしき気難しそうなふくよかなおじさん。どうせ挟まれるなら、もっと、こう、かわいい女の子達がよかったな…。
揺れるが行きよりはだいぶましだ。少なくとも全力で祈ってないし命の危険も感じていない。雲がなくヒマラヤ山脈がきれいに見える。最高だな。
30分ほどでカトマンズへ降下を始める。明らかにルクラよりも着陸して滑走路で減速するまでの距離が長い。…ほら~やっぱルクラ無理しとったんやんか…あんなすぐ停まるわけないもん。
バスで建物へ移動する。人の流れについて行き、自分のザックを回収して空港を出る。
うん。この空気の汚さ、暑さ…TAXI!? TAXI!?と詰め寄ってくる客引き達、クラクションもぎ取ってやろうかってくらいのうるささ。間違いない。大好きなカトマンズだ。帰ってきた。

これにてトレッキング終了。
ここからしっかり迷子になったり、宿でダニエルと再会したりするのはまた別の話。足も腰もぼろぼろだったが2,3日後にはマルディヒマールトレッキングに出かけることになる。その後、死んだ色の川でラフティングして熱を出したり(熱と川の関係は不明)帰りの飛行機がなくなったりもしたか…すべてはドミの部屋でパーティー繰り広げていたイスラエルのパリピ兄ちゃん達のせい…ということにしておく。関係ないけど。
そうそう、マートンとはちゃんと会えた。一緒に”絆”のカツ丼を食べることができた。パトリシアはすぐに回復できたらしい。食べ物や水の中にいた細菌が引き起こした胃炎?(日本語訳不明)だったようだ。退院してネパールで旅を続けていた。インドネシア人のカップルはマートンと”絆”に行ったときに隣の席にいた。私の話した日本食を食べてみたくなったとか。お気に召してもらえたようだ。クリスとジィーにもポカラ(ネパール第二の都市)で会えた。タメルにいるときは”絆”で丼ものを食べまくったらしい。ジィーは全メニュー制覇したと自慢してきた。クリスは同じカツ丼を6回と。そう、ダニエルもルクラから帰ってきてから毎日通い詰めたらしい。私そんなに”絆”の話しまくったっけ。…したんでしょうね。
間違えてもしっかりしているとは言われない私ですが、心優しい人たちのお陰でできたネパール旅でした。人との出会いに恵まれていたなとも。私も旅人たちを助けられる存在でありたいな~なんてなんとなく考えていたりします。
海外トレッキング大変そうなんて思わず、楽しそう、行ってみたいって思う人が増えてほしいな~などと…え?最後のほういろいろ大変そうだった?…あれは稀な例ですから…
読んでいただきありがとうございました。