九州大学ワンダーフォーゲル部

2016年冬に作りました。九州大学ワンダーフォーゲル部公式のブログです。部活動の内容を紹介していきます。

夏合宿 八ヶ岳縦走 2019.8.21〜8.28

2019-10-30 13:11:00 | 夏合宿


夏合宿 八ヶ岳縦走 2019.8.21〜28

<メンバー>

A隊:坂口、田中、小林、斎藤、小野 B隊:氏家、三橋、武谷、松井

記録:小野

8.21

合宿の始まりは、今宿のルミエールだった。激安スーパーのため、合宿の買い出しにはもってこいだ。19時に集まったのは、坂口、氏家、小林、斎藤、松井、小野である。一通り購入を済ませたのち、今宿駅まで徒歩で移動し、筑肥線、地下鉄空港線で藤崎駅へ。この日の夜は坂口家にお世話になった。明朝の寝坊を心配しつつ、各自眠りについた。

8.22

ワンゲルの朝は早い。4時半ごろに起床して、5時半ごろには坂口宅を出た。まだ人もまばらな地下鉄に乗り、博多駅へ。博多駅では三橋、武谷と合流。博多駅からは格安チケットで新幹線に乗る。姫路駅までこだまで約4時間の旅。車内では各自自由な時間を過ごした。後にこの新幹線の偉大さをメンバーは思い知らされる。

本来であれば、この日のうちに登山開始地点の小淵沢まで向かう予定であったのだが、翌日の八ヶ岳周辺は悪天候が予測されていたため、話し合いの結果この日は姫路に留まることにした。

となればやることは一つ…

観光だ!!

こんなことしたり…

こんなことして楽しみました。

姫路市立動物園、安いのにめちゃくちゃ時間潰せて楽しかった。

この日の夜は駅前の快活クラブで一夜を過ごすことに。ネットカフェと言って侮ることなかれ、そのあまりの快適性、コスパの良さにメンバーは一夜にして快活信者になりました。

 

8.23

1日遅れで姫路を発つ。快活クラブの無料モーニングを食い、朝8時半の電車に乗る予定だった…が、ここで恐れていた事態が起きてしまう。寝坊である。本人のプライバシーを尊重してここでは寝坊した人をSとする。Sさんが起きたのは快活クラブを出る5分前だった。まさか本当に寝坊しているとは誰も思っていなかったので誰もSさんを起こさなかったのだ…何とかダッシュで予定の電車に乗ることができたのでよかった。今日は青春18きっぷを使ってひたすら東へ向かう。名古屋駅に着くと、帰路についていた南アルプス隊の皆さんと遭遇。10分程度しか話せなかったが、お互いの疲れを癒すには十分な時間だった。

その後、順調に列車は進み、予定通り小淵沢駅に着いた。途中の中津川駅で食べた信州そばがとてもおいしかった。うどん王国福岡ではこの味は体験できないだろう。

 

小淵沢駅に着くと、明日から我々が挑む八ヶ岳が雄々しく姿を現していた。 

 

駅には小洒落た展望台が併設されていたので登ってみると八ヶ岳はもちろん、富士山も望むこともできた。そんな美しい自然を背景に、地元の高校生であろうか、恋仲にあると思われる男女が青春のひと時を楽しんでいた。あまりにも絵になるその光景に我々は息を呑まれた。空気を読んで早々に退散したが、大切なひと時をメインザックを抱えた変な集団が邪魔してしまったことをこの場を借りてお詫びしたい。 (↓空気を読むワンゲラー達)




小淵沢駅前は閑散としていたが、近くによさげな定食屋さんがあったので入店。下界での最後の晩餐に皆舌鼓を打った。 

夕食後は、予約しておいたジャンボタクシーを使って登山口である観音平へ向かった。観音平に着くと、そこには闇しかなかった。闇、ひたすら闇。しかも風にそよぐ木々の音がなんか不気味。それに加えて運転手さんが熊が出る話をしていたので、急に怖くなった。でも今夜はここでテント泊するしかないので覚悟を決めてさっさと寝た。幸いクマは出なかったが、あまりよく眠れなかった。

 

8.24

いよいよ登山行動開始である。天気は快晴。まずは編笠山を目指す。樹木が生い茂る中、順調に歩いてゆく。道は歩きやすかった。初めて富士山が見えた時は感動した。木々が消え始めると、山頂に着いた。

山頂では風が強く、寒かったので早々に編笠山を後にした。少し下ると青年小屋という小屋があったのでそこで休憩をとった。そこからアップダウンを繰り返しながら歩いていくと、権現小屋に着いた。ここで昼食を摂る。簡易サンドイッチで腹を満たし、ピストン行動で権現岳へ。



山頂付近は巨石がゴロゴロしており、結構危ない所もあった。みんなスリルを楽しんでいたが、筆者はチキンなので傍観していた。

権現岳下山後は再び権現小屋に戻り、アップダウンを繰り返していく。今日はキレット小屋というところでテントを張る予定なのだが、権現岳を過ぎればもう山はない。よゆーよゆー、山楽しい〜なんて思っていたら


なんかえげつないハシゴあるんですけど。もうこんなんカイジの世界じゃん、失敗したら地下労働のやつじゃんとか思いつつなんとか梯子をクリア。ちなみに百戦錬磨の坂口さんはめっちゃ速く下ってました。

その後は特にトラブルもなくなんやかんやでキレット小屋に到着。この日の夜はカレーだった。

8.25

やっぱりワンゲルの朝は早い。3時起床。朝というより夜やん。朝食は昨日の残りのカレーを使ってカレーうどんだった。やはり1日置いたカレーは旨かった。そして5時にキレット小屋を出発。この日はまず赤岳を目指す。赤岳は八ヶ岳の中で最も標高が高いらしい。


登っている途中に雲海から朝日が顔を出した。赤岳の登山道は礫石が多く、道も細いところがあったりと危ない所も多かったが、景色は絶景だった。山頂が近づくと、登山客も増えてきた。どこから来たの〜、若いね〜という問いかけに対してテンプレ通り応対しているうちに登頂。


富士山も望める絶景だった。

赤岳の下りは急で、滑りやすく大変だった。ここで田中さんが捻挫してしまったが、たかてぃんが迅速かつ丁寧な応急処置をしてくれたおかげでなんとかリタイアせずに済んだ。風の強い稜線上をいくつかのピークを超えているうちに硫黄岳山荘へ。ここで昼食を摂った。この日も昼食は簡易サンドイッチ。


硫黄岳周辺は草原が広がっており、爽やかな感じ。硫黄岳は難なくクリア。

そこからせっかく稼いだ標高を一気に解放して夏沢峠へ。休憩の後、また標高を稼いでいく。特に展望もない箕冠山を経て、東天狗岳へ向かう。ここから西天狗岳へ有志のみでサブザックでピストン行動した。ちなみに筆者は疲労困憊だっためパスした。

いつのまにか赤岳があんなに遠くに位置していた。

ここからはほぼ下りのみ。ひたすら下って黒百合ヒュッテに着いた。この日の行動時間はとても長かったため疲れた。米と和風スープをなんとか平らげ、泥のように眠った。

8.26
この日も晴れ。本当に天気には恵まれている。ゆるーい登り坂をだらだら登ると、中山に着いた。途中、ちょうど日の出を望むことができた。

燎平のiPhoneXを以ってしてもうまく朝日を撮影することができなかったが、本当に神々しい日の出だった。
中山を下り、高見石小屋で休憩した後、丸山へ。特に展望もなく、原生林の中をひたすら歩いていると、麦草ヒュッテに着いた。ここでは下界に通じる国道と交差しており、しかもバスも通っている。完全に文明エリアじゃないか。長居すると下界に引きずられるので早々に出発…とはならなかった。各自で手拭いなどお土産を麦草ヒュッテの売店で買っていた時だった。たかてぃんのスマホが死亡した。落として画面バキバキどころかまともに起動さえしなくなった。何か山の神の怒りに触れることでもしたのだろうか。結局たかてぃんのスマホは福岡に着くまで息を吹き返すことはなかった。

失意のたかてぃんと共に再び標高を上げていく。茶臼山という山があったのだが、こいつがダークホースだった。ありがちな名前のくせに直登かつまぁまぁな急登が延々と続く山だった。だいぶ体力を消費した気がするが、そのまま縞枯山へ。文字通り山の一部の木々が枯れているせいで遠くから見ると縞模様に見えた。

縞枯山からは明日登る蓼科山もよく見えた。岩場の道を下ると雨池峠に着いた。この辺り一帯は湿原地帯で、ロープウェイも近くにあることから観光地化していた。トイレを求めて一部のメンバーはロープウェイの駅まで向かったが、筆者はそっち側に行ってしまうと千と千尋の神隠しよろしく帰ってこれなくなる気がしたので行かなかった。
観光客の合間を縫って三ツ岳へ登る。山自体は大したことなかったが人が多い。どこから来たの?という例の問いも増える。九州大学ですと言うと何故か信州大学と間違えられる事案も発生していた。三ツ岳からはやや急勾配、そして階段を上ると北横岳に着いた。


曇ってはいたが雨の降る気配はなかった。
ここからは岩場のほぼ平坦な道を進んで大岳を目指した。北横岳を過ぎると急に人がいなくなった。大岳へは登山道にメインザックを置いてピストンで向かった。岩のゴツゴツした山で足場に困った。


よく撮れてますね。

ここからはひたすら下り。ただ下り。でかい岩が多いうえに苔むしてて嫌な道だった。
予定より遅れて双子池ヒュッテに到着。本合宿最後のテン泊だ。文字通り二つの池に隣接しており、テント場は池のほとりにある。ちなみにテントを張ったところはヒュッテからは徒歩10分程の距離で隔たれていたのでトイレ等が大変だった。さらに死活問題が。水は池の水から取っているため煮沸しなければ飲めないとのこと。まじかよ。それってヒュッテの存在意義としてどうなのよと思いつつテントを張り、山での最後の晩餐。この日は文字通り晩餐だった。というのも先輩方はヒュッテの売店でビールやらチューハイやらを買い、夕食のスパゲティを肴に飲んでいたからだ。筆者はコーラで乾杯した。
そして案の定坂口さんが酔っぱらった。氏家さんは結構強かった。とにかく楽しい夜だった。が、この合宿始めての雨が降ってきて水をさされた。最後のテント泊は木の根を回避できずあまり快適ではなかった。結局水はその日のうちに煮沸しておいて明朝注ぐことにした。

8.27
前日に降った雨は一時的だったようですっかり止んでいた。まだ8月だというのに池からは湯気が立ち昇っていた。いよいよ最終日である。

この景色自体は幻想的だが、この池の水を飲めと言われて飲めるだろうか。ナスDでも躊躇するだろう。煮沸しておいた水を飲もうとした刹那、明らかに飲んだらヤバい臭いがしたので結局この日一部のメンバーは水無しで出発した。
木々の間を縫って山を登っていくと割とすぐに本日最初の山、双子山についた。


山頂付近は草原と岩場が入り交じる平原となっていた。景色も良い。水を求めて次の休憩場所へ向かった。
再び森林地帯を抜けて下り、大河原荘に着いた。ここで山小屋のおばさまに交渉し、水を手に入れることに成功した。本当に助かった。
休憩した後、いよいよ登山行動もクライマックス、最後の目的地蓼科山へ向けて出発した。
しばらくはクネクネした道を登り、その後は森の中の平坦な道を進んだ。
森が開けたかと思うと、蓼科山荘だった。ここで飲み物を買ったりして休憩。ここからは蓼科山までサブザックでピストン行動なのでメインザックを下ろして必要なものだけ移して出発した。
メインザックの重力から解放され、足取りは軽かったが蓼科山は巨石がゴロゴロした急登だった。20分経ったころ山頂に着いた。

山頂にも岩がゴロゴロしていた。植物の気配もない。雲に包まれているせいで薄暗く、黄泉の国みたいな雰囲気だ。ただ鳥居もあって神秘的な雰囲気でもあった。絶え間なく強い風に乗って雲が流れ込み、自分の横を通り過ぎていく。なんだか天気の子になった気分だ。数分前までは晴れていたとおじさんが教えてくれたがこれはこれでアリな景色だと思った。



途中の山荘で買っておいた手拭いを持って記念撮影。この手拭いに描かれた山のほとんどを歩いてきたのだと思うと感慨深かった。何より全員でここまで来れて本当に良かった。最後は曇天だったが天気にも本当に恵まれた。
ありがとう、そしてさようなら八ヶ岳。下界に帰ります。
以下文明圏となります。





ゴンドラはいいね。ゴンドラは足を癒してくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ。

こちらは八ヶ岳の山麓にある御泉水自然園です。蓼科山を下りた一行はひたすら下山し、下界へ。ゴンドラリフトを見てテンションが上がったので予定を変更して乗車。あっという間に標高を下げていきました。降りたらそこはもう避暑地にして観光地。というわけで観光です。

よくわからんモニュメントで写真を撮ってもらうくらいにはテンションが上がっていました。



いろんな動物と触れ合ったり、美味しいソフトクリームを食べて楽しみました。あとお風呂にも入って皆綺麗さっぱりしました。筆者はなぜかシャワーを浴びている時に両鼻から鼻血が噴出した。全然止まらなかった。ちなみにそっちの人ではない。

ここからはバスを乗り継ぎ、茅野駅まで下った。ここで東京方面へ向かう小林、三橋ペアとお別れ。この二人はその日のうちに東京、埼玉へ帰り着いた。ちょっと寂しくなったが、後のメンバーは松本方面へ。行きと同様ひたすら電車を乗り継ぎ西へ向かう。
寝たり、話したり、トランプをしながら過ごしているといつの間にか夜になっていた。気がつけば行きにもお世話になった姫路。時刻はすっかり0時を過ぎていた。もちろん寝るのは我らが快活クラブである。店員にはこいつらまた来たわと思われていたかもしれない。

8.28
移動を含めると合宿は本日が最後。今日はただ列車に乗るのみ。岡山駅で松井と別れた。だんだんメンバーが減っていく。山陽本線をひたすら西へ。行きは新幹線でワープした区間が在来線だとあまりにも長い。快速もないのでとにかく長い。岩国駅で昼ごはんを買った。ただの昼ご飯なのにめちゃくちゃ贅沢している気分だった。筆者の地元山口県はずっと2両編成という相変わらずの田舎っぷりだった。景色はずっと山の中で退屈だったがトランプやワードウルフのおかげで楽しめた。
博多駅に着く頃にはもう日は沈んでいた。長かった合宿がようやく終わった。

1日順延したが、行動中は天候にも恵まれ、途中リタイアすることなく無事に合宿を終えることができた。1日あたりの行動時間が長く、疲れも溜まったが素晴らしい景色を望むことができた。たかてぃんのスマホも帰福後に無事治ったのでいい合宿になったと思う。











夏合宿 裏表銀座縦走

2019-10-27 11:08:49 | 夏合宿

夏合宿 裏表銀座縦走(悪天候のため裏のみ)2019/8/17~8/21

 

西尾(PL)、福地、増田、瀬田

記録:瀬田(食当と目覚まし係も併任)

 

概略

8/17 七倉山荘~烏帽子小屋

8/18 烏帽子小屋~水晶岳・鷲羽岳~三俣山荘

8/19 三俣山荘~槍山荘

8/20 槍ヶ岳ピストン、停滞

8/21 槍山荘~槍平~上高地

 

8/14 西尾さんは後立山から他3人は剱・立山から至福の思い出とともに下山をして松本のマクドナルドで合流した。日本列島の南には台風10号がいよいよその進路を固め日本に迫っていたため、その日のうちに名古屋までいく予定だった剱隊の1年生も含めた10人でネットカフェに泊まった。

 

8/15 1年生は朝早い電車に乗るということだったため鶴さん、増田、僕は朝5時には起きて松本駅で見送った。楽しいメンバーだっただけに結構寂しかった、本当に。松本は、風は強かったが時々晴れ間も見えて台風が上陸しようとしているとは思えなかった。天気がもっているうちにと夜露でびしょびしょになったババロアを松本城公園で乾かした。剱の合宿で判明したのだがババロアの撥水性能はないに等しかったため今後の山行が不安であった。テントを乾かした後は各自コインランドリーに行ったり、松本の友人を呼びだしてご飯を食べたり、ビニール袋や行動食、撥水スプレーを買い足したりして山に備えた。

 

8/16 台風は中国地方を縦断し、肝心の北アルプスは17日から天候が回復するという予報だったため今日中に信濃大町駅から乗合バスで七倉山荘にいきそこでテン泊することにした。七倉行きの最終バスまでの時間に信濃大町の郵便局留めで郵送しておいた松本のスーパーにおいてない可能性のある食糧(堅パンとか堅パンとか)とガス缶を受け取り、現地調達分は近くのスーパーで買い足した。郵便局留めの利用は郵送できるものや保管期間などに注意すれば大きな問題はなく、今後必要な場合は利用を検討しても差し支えはないと思う。スーパーでの買い出しでは瀬田が食パンを2斤余分に購入してしまった。1斤は七倉山荘でスープに浸したり直火でトーストしたりしておいしく食べたがもう1斤の行方は誰も知らない。食糧は1日ごとに袋に分けてじゃんけんで勝ったものから選ぶことにした。今回は小屋飯を多用することもあり日によってかなりの重量差があったため、このじゃんけんは我々にとって非常に重要なものであった。先に結果だけ公表すると、1回目は1位から福地、西尾、増田、瀬田。2回目は福地、西尾、瀬田、増田。体力順になったと思えばいいか、うん。その後バスで七倉山荘に行き温泉に入った後テントで就寝した。

 

8/17 4時起床。まず西尾さんとおじょーは起きない、想定通り。七倉―高瀬ダム間はタクシーを使う予定だったが運行見合わせで5km余分に歩くことになった。6時過ぎに七倉山荘を出発して1時間強で高瀬ダムについた。高瀬ダムからブナ立尾根の登山口までは細かい砂と礫が混ざったような道だった。地図では登山口の手前に水場のマークがあったが10分ほど探しても見つけられなかった。七倉で水は汲んでいたためそのまま急登に入ったが、もし登山口の水場を当てにして水を汲んでいなかったらと思うとぞっとした。ブナ立尾根は日本三大急登に数えられコースプロフィールはざっと約1300mを水平距離3.5kmちょっとで登る感じである。平均勾配は30%を超えバーティカルレースも十分できる急登である。もっともこんなところでレースはしたくないけど。ただ登山をする者にとっては短時間で効率的に標高を上げることができるからありがたい。また、コース上には100m毎に表示がありスマホや時計で標高を確認できなくても目標を設定しやすいのもいい。登山道は明瞭で迷いやすいと感じたところはなく、道も踏み固められていて歩きやすかった。道自体は、特に前半は細いところが多くすれ違いは少し面倒かもしれない。かなり頻繁に休憩をしながらもコースタイム5h20’のところを3h30‘で登った。烏帽子小屋から5分ほど離れた場所にテント場があり、まずグラシだけ敷いて場所をとりピストン装備で烏帽子岳を目指した。烏帽子岳は頂上付近だけ岩が突き出していて一部鎖があったが特に難しいところや危険なところはなかった。

(烏帽子岳)

頂上からはこれから歩く裏銀座縦走路、赤牛岳、薬師岳、針ノ木岳、そして先日その雄大さに圧倒された立山連峰が一望できた。これは遠くから見ただけで実際に歩いていないためどのような道なのかはわからないが針ノ木岳から烏帽子への縦走路はやせ尾根が続くポイントがありメインザックで行くにはそれなりの技術や経験が必要であるように感じた。針ノ木岳を踏むために針ノ木雪渓から入る計画も検討したがブナ立尾根から入ったのは無難な選択だったのかもしれない。以前、烏帽子小屋でアルバイトをした経験のある方に烏帽子岳ではなく四十八池とその先の南沢岳まで行くといいという話を聞いていた。個人的には南沢岳も踏みたかったが他のメンバーはあまり体力的な余裕がなかったため増田と二人で、往復30’ほどでいける四十八池まで足を延ばすことにした。四十八池はその名の通り大小さまざまな池塘が点在する場所で、白い岩の目立つ南沢岳が池塘の青とカラフルな高山植物に映えていた。四十八池まで行く人は少数なのか絶景を独り占めできた。

(四十八池から見た南沢岳)

害のない雲が何個か頭上を通過してから満足してテントに戻った。14:30に烏帽子小屋について今日の行程が終了した。結構長い時間池の前にいたためてっきり二人はテント場に戻っていると思いハイペースで帰ったがテント場に姿は見当たらなかった。しょうがないので増田と二人でテントを設営して、それでも帰ってこなかったため夕食を作り始めた。メニューはα米と切り干し大根と高野豆腐の煮物で所要時間は切り干し大根を戻す工程を含めて30分ほどである。どうせ小屋でのんびりジュースでも飲んでいるんだろうなという話をしながら二人で調理していたが完成まであと数分というところになっても二人は現れず、増田が水をくむついでに二人を探しに行った。案の定二人は小屋で駄弁っていたらしい。やれやれ、西尾さんとおじょーが小屋でジュースを飲んで休憩しているとき我々はテントを設営して切り干し大根を煮ていたのか。とりあえず、切り干し大根と高野豆腐の煮物は標高補正なしに家で普段作っているものと同程度のおいしさで感激した。

(うまい、軽い、簡単の山飯)

 入山前は、向こう1週間は晴れが続くという予報だったがここにきて急に20日以降の天気が怪しくなってきた。雲ノ平2泊、三俣2泊してゆっくり槍を目指す予定だったところを山岳レンジャーの方の助言を踏まえて1日で水晶、鷲羽を回収して三俣山荘に行くことにした。翌日は2時起床ということであたりが暗くなるころにはテントに入り就寝しようとしたが烏帽子のテント場は蚊が大量に発生しており、まずテント内の蚊を一掃するところから始まった。無事に蚊を駆除してそれぞれ寝袋に入り僕は泥のように寝た。

 

8/18 2時起床。下界から持ってきた菓子パンを食べてから西尾さんとおじょーを起こした。西尾さんが夜中にトイレに行くためにテントを開けたせいで蚊が侵入し、僕は顔を刺されたが西尾さんは夜中一人で腹痛と戦っていたらしいから許すことにした。コースタイムが長いことをふまえ、ブナ立尾根できつそうだったおじょーの荷物を1日目の食糧が消えて2㎏以上減量した西尾さんに持たせて少しでもペースを上げてほしいとお願いしたが、おじょーはなぜか頑として荷物を他の人に渡そうとしなかった。僕はこの後コース上で何度も言葉を変えてお願いしたが結局この日荷物を誰かに持たせることはなく、ペースも上がらず、正直に申し上げると僕は相当不満がたまっていた。ただ、何度もそのことに言及したことで結果的に彼女を煽り、焦らしてしまったとしたら(下山後に判明したのだが)それは反省すべきであるし、この場を借りて謝りたい。

 気を取り直して、朝食は調理が不要であったため3:35に烏帽子小屋のテン場を出発できた。ここから真砂岳まではたおやかな稜線がつづいた。道は明瞭でアップダウンも少なく気持ちの良い縦走路だった。

(裏銀座ハイウェイ、走りたい!)

途中三ツ岳で日の出を拝み、7:00に野口五郎岳に着いた。

(野口五郎岳)

野口五郎岳の手前で剱・立山での唯一の心残りであった雷鳥に出会えてとてもうれしかった。裏銀座は三ツ岳の手前から槍ヶ岳が遠くに見えたが野口五郎岳から見える槍はより一層存在感を増して天を突きさしていた。一方南西の方角にはこれから歩く水晶小屋までの稜線が見えたが、ところどころ赤茶けていて岩が脆そうだった。真砂岳から東沢乗越まで下りそこからもう一度水晶小屋まで標高を上げるこのコースは、今までの幅が広く歩きやすい稜線とは打って変わってやせていて少し歩きにくかった。山と高原の地図には足元注意の文字しかなく見落としていた。裏銀座縦走をするときは真砂-水晶間は少し注意していくべきであると感じた。やや危険であったためかここはコースタイムの1.2倍かかった。水晶小屋で昼食の食パンとチーズをマヨネーズと蜂蜜で流し込んでいると水晶Tシャツを買いに来たトレイルランナーが暇そうにしていたので話しかけた。話によると彼はかなりの猛者でハセツネはサブ12、今年は北丹沢・山梨東部の指定4大会をすべて完走したらしく、参加予定のハセツネについて(ハセツネは台風のせいで中止になった、台風許すまじ)、ライトの問題やスタート後の渋滞について詳しい話を聞けて良かった。彼自身も今年のハセツネにエントリーしているようなので10月に東京で再開できたらおもしろい。(顔はあまり覚えてないけど、黄緑のGarmin foreathlete 245をつけていて、ultimate directionのザック、la sportivaのシューズだった、すべて王道のアイテムだからみんな使っているけど備忘録として)水晶岳までは黒っぽい岩が中心の道で途中小さな梯子があったが危険なポイントはなかった。水晶岳に11:01に登頂したが槍ヶ岳の方面には徐々に雲が出てきて鷲羽岳での眺望は絶望的になった。水晶小屋に戻るとちょうど荷揚げのためのヘリがちょうど来た。ホバリングしながら荷物を降ろし、こちらに手を振りながら機体を傾けてトンボのように旋回して東の空に飛んでいったのはかっこよかった。お目当ての水晶Tシャツを手に入れた先ほどのトレランおじさんはこれから新穂高温泉まで行くらしい。アルプスでのトレイルランは格別だろうなと思いつつ25㎏ほどのザックを背負った。11:35に水晶小屋を後にして鷲羽岳を目指した。ワリモ北分岐まで緩やかに下った後一度ワリモ岳まで登る。ワリモ山頂付近はトラバースがあり少し道がわかりにくいところやロープを使って下るところがあるがわざわざ避ける必要のある道ではなかった。一度下ったあと鷲羽岳までまた登り返す。勾配自体は急ではあるが道は明瞭で歩きやすかった。水晶小屋から1時間で鷲羽岳に着いたが一番楽しみにしていた鷲羽岳からの槍を拝むことはかなわなかった。鷲羽岳の南東には鷲羽池があり破線のルートではあるが山頂にいたおじさん曰く往復30分ほどでいけるということで増田と僕で池まで足を延ばした。勾配はきついがピストン装備なら問題ないコースだった。天気が良ければ鷲羽池まで行くといいと思う。稜線に戻り10時間の山行も三俣山荘までの下りを残すばかりとなった。白い石が転がるガレ場の下り、ここで増田がこけた。普段めったに転ばない増田の転倒には驚いたがすぐに立ち上がったのでそのまま三俣山荘までいいペースで下った。14:40三俣山荘着。

(味のある頂上標)

 

 この時点で21日以降は晴れが見込めない予報であったため黒部五郎岳を捨ててまっすぐ槍を目指すことにした。食糧については、大幅な日程短縮により小屋飯を使わなくても十分に間に合ったがジビエシチューが食べたかったから三俣山荘では小屋飯をとることにした。やっぱり小屋飯っていいね。うまいし、米食べ放題だし、コッヘル汚れないし。食えるだけ食べて(貧乏はつらいよ)テントに戻った。テン場は広いがある程度早めに来ないと風が強いところしか余ってないようなので要注意。またしても虫が多い。ガムテープを輪っかにしてペタペタと虫を取った。西尾さんは虫が苦手なのか全く働かずにここ虫いると叫ぶだけだった、やれやれ。見える範囲の虫を駆除してすぐ眠りについた。

(鹿肉の臭みを消すためかかなりハーブが効いている)

 

8/19 2時起床。みんな起きない。朝食の棒ラーメンを作っていると増田とおじょーが起きた。茹で上がっても西尾さんは起きないため試しに「西尾さん、虫めっちゃいますよ!!!」と言ってみたらはね起きた。みなさん西尾さんが起きないときは「虫、いるんだぜ!」といえばいいんですよ。二度寝できないほど覚醒しますから、やれやれ。テントを撤収して3:55に出発。西鎌尾根までは三俣蓮華岳と双六岳を通る稜線ルートと巻道ルートがあるが、今回は巻道ルートを通った。ただ、三俣蓮華は落としたかったためわがままを言って一人でピストンした。ヤマップのコースタイムで往復20分だったため10分ほどで行けると思ったが15分かかった。あとで山と高原を見たらコースタイム35分、ヤマップのコースタイムは時々トレイルラン基準なので気を付けたほうがいい。標高を徐々に下げていき双六小屋を目指す。道は整備されていて歩きやすかった。双六小屋手前の急な下りをこなして6:30に双六小屋についた。双六小屋から200mアップの急登で樅沢岳。ここは西鎌尾根と槍ヶ岳や大キレット、その先のジャンダルムまで一望できるので各々写真を撮りながらゆっくりした。樅沢岳からは50mにも満たない小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に標高を下げていく。標高2600mの佐俣乗越で昼食をとった。魚肉ソーセージと食パンを蜂蜜、マヨネーズでいただいた。西尾さんとおじょーは魚肉ソーセージのビニールすら満足に剥けないようなので剥いであげた、やれやれ。半ば義務的な昼食をとって西鎌尾根の登りに入った。佐俣乗越までは幅も広く歩きやすい道だったがここからは少しずつ大きな岩や鎖場が出てきた。特に千丈沢乗越の手前はやせ尾根で道も脆かったため千丈沢乗越についてから槍山荘までの急登に備えてヘルメットを装着した。ただ、結論から言うと千丈沢乗越手前が一番脆く落石や滑落の危険を感じたため佐俣乗越からヘルメットを装着しても大げさではないだろう。

(割と険しい)

10:07に千丈沢乗越についた。すでに槍ヶ岳は雲に包まれていて拝むことはできなかった。千丈沢乗越からの急登はガレ場の350mアップ。一気に標高を上げて槍ヶ岳を目指した。標高が上がるにつれて傾斜も上がり最後はつづら折り、楽しい登りだった。10:46に槍山荘に着いた。槍山荘のテン場はあまり大きくないのですぐに手続きをしてテントを設営した。すでに槍ヶ岳は雲の中で展望は望めなかったため後日アタックすることにした。小屋の人によると20,21日は天候が何とかなるということだったが表銀座縦走は濡れた東鎌尾根は危険であると判断して20日は槍ヶ岳の晴れを待ち、21日に上高地に下山することにした。

(槍山荘、人がたくさん)

 午後からは雨も降ってきたため2時半ごろから夕食を作り始めて早めに寝ることにした。パスタを茹でて、その茹で汁でコーンスープを作りパスタは具に魚肉ソーセージ、トマトペーストとコンソメ、オレガノで味付けをしてお好みで粉チーズをかけていただいた。魚肉ソーセージにリベンジした西尾さんとおじょー。結果は、西尾さんは諦めてナイフを使ったためDQ、おじょーは1'48”。頑張りました。翌日の晴れを願って寝袋に入った。

 

8/20 何時に起きたかは覚えていないがたぶん4時頃に起きたはず。夜中に近くに雷が落ち、岩がゴロゴロと落ちる音が聞こえて恐々としていたが無事に朝を迎えらえてほっとした。男三人は雷で起きてその後あまり寝付けなかったがおじょーは雷?何のこと?という感じだった。さすがですね。朝はパスタを茹でて、茹で汁はコーンスープにしてパスタは乾燥キャベツ、ツナとあえてコンソメで味付けした。当然美味しかった。

あたりが明るくなってから小屋に行くと既に何人かは山頂にアタックしていたが、ガスっていて風もあったため多くの人は行くか行かないか迷っている様子だった。少し迷ったがいけるところまで行ってみようということで5:40に小屋を出発して山頂にアタックした。岩は濡れていたが足場は安定していて特に危険な場所はなく20分ほどで山頂についた。先客はいなかったが後ろからついてきた人がいたので写真を撮ってもらいすぐに下山した。下りも特に危険なところはなく、基本に忠実に下れば濡れていようが問題はなかった。渋滞がなかったためか45分で小屋に帰れた。

 

 展望は一切なかったため1日晴れ間を待つことにした。雲は早くどっか行けよと思いながらテントでゆっくりしていたが、そんな思いとは裏腹に風はどんどん強くなり雨もぱらつくようになる。天候は悪化していく一方だった。午後になると雨、風ともに強くなり、気づいたときにはすでに僕のトレランシューズが水没していた、やれやれ。テントにいた増田と僕で荷物を濡れないように最善を尽くしたがそのころには風が吹き荒れ、ババロアはペグが抜け、中の人が端を押さえていないと転がってしまいそうなほど煽られた。途中までは必死にテントを守っていたが、あまりの風の強さにやけくそになり堅パンを齧りながらテントにもたれかかって天命を待った。風雨もピークを越えてテントは少し移動したが何とか持ちこたえたなというところで二人が帰ってきた。そのころから増田が体調不良を訴えた。どうやらあまり寝れてなかったようだ。テントは浸水+風で小さくなったのもあり、この日は増田だけ小屋泊することになった。16時前に増田に30分後に夕食ができると伝えた後、外が急に晴れて槍の山頂がはっきりと見えた。すでに15時を過ぎていて雷の心配はあったが雲は遠く、ここまで粘ったのだからと増田以外の3人で山頂にアタックした。この判断が間違っていたのかはいまだに分からないが槍ヶ岳までのルートに雷を防げるような場所はなく、危険な行為であったことは明白だ。ともかくいつまで晴れているかはわからないためハイスピードで穂先を目指した。10分弱で山頂につくとそこからは今まで歩いてきた裏銀座や赤牛岳、表銀座の山々がはっきりと見えた。そしてちょうど東側に雲、西側に太陽が出たため山頂でブロッケン現象が見ることができた。今まで3回ブロッケンを拝んだことがあったが、そのどれよりもくっきりとしていて写真にも容易に映るほどだった。

 

貴重な経験ができたが危険を冒したということは忘れたくない。山頂には15分ほどいたが増田に夕食の時間を伝えていることを思い出した僕は早く降りて飯にしようといいながら梯子を下りたが、なかなか次の人が降りてこない。はよしろよと思いながら見上げていると、「セタは早く降りて飯作っとけよ」と西尾さん。(正確なところは覚えてないけどそういう意味のお言葉を賜った)本人は僕には聞こえないと思っていったらしいが、しっかり聞こえていますよ。増田を待たせるのは申し訳ないので一人でひらひらと下り10分かからず小屋についた。急いでテントに戻り夕食のダールカレーを作った。乾燥玉ねぎを水でもどしながらマヨネーズで炒めていい感じになったら、カレー粉を適量入れる。1分くらい炒めたらトマトペーストを3本くらい入れて豆を投入して水を好きなだけ入れて煮込むだけ、簡単でしょ。もう一つのコッヘルでお湯を沸かしてα米を戻しながら帰りを待った。それにしても遅い。どっかで滑落したんじゃないかと少し不安になりながらも西の空は赤く雨上がりのアルプスは美しかった。小屋に3人を探しに行くとすぐに3人は見つかった。増田はやはり疲れた顔をしていた。が問題の二人は楽しそうに歩いていた。勘のいい読者ならお分かりだろう。きれいな夕陽をカメラに収めたり、おじさんに写真を撮ってもらったりしながらゆっくりしていたらしい。僕が4人分の夕食を作っている間あんたたちは…やれやれ。カレーが美味しかったから許すか(自画自賛)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食後、増田はすぐに小屋に戻り、僕たちは寝る準備をした。日が沈むとまた風が強くなってきた。テントの中に大きな石を何個か置いたが、ほとんど意味はなく風はババロアを叩き2テンほどの大きさになった。次第に雨も降りだし冷たいテントが何度も顔を叩いた。ババロアの明日に思いをはせながら目を閉じた。

 

8/21 ババロアに叩かれて起きた。寝れただけよかった。午前4時前。フルグラを食べながら外に出た。真っ白だったが雨は降っていなかった。前日に増田と早朝のアタックを約束していたためヘルメットをもって小屋に行った。西尾さんとおじょーは昨日の景色で満足したからと寝袋でぬくぬくしていたがたとえ景色が全く望めなかったとしても、僕は彼が望む限り一緒に上ってあげるべきだったのではないかとは思う。前日に増田に何も伝えずに山頂でいい思いをしたのだから、せめてそのくらいはして然るべきではないかと。僕が行けば解決する話ではあるけど、あ、それも食当の仕事でしたか。愚痴はこの辺にして(さっきから愚痴ばっかりだけど楽しい合宿でしたよ)小屋につくと何人かが山頂を見ながら逡巡していた。2回登った経験から岩が濡れいていても問題ないことは知っていたため、ためらわずに山頂を目指した。もちろん真っ白で何も見えないため登頂後すぐに下山、往復30分かからなかった。小屋に戻ると何人かに道の状況を聞かれた。あの日あの時間に登ったのはほんの数組だったと思う。その後お目当ての槍山荘名物焼き立てパンを堪能してから上高地を目指した。6:41に槍山荘を出発して槍沢まで一気に1300m下る。特に前半はガレ場の急登で足場が悪く突風で何度か転びそうになった。9:10に槍沢に着いた。ここからはよく整備された林道を歩く。横尾まで来ると同業者に交じって観光客が混じり始め、徳澤園を超えると周りはほとんど観光客になった。ひたすら歩いて12:54やっと上高地についた。悪天候時以外には使いたくないくらい長くつまらない道だった。(決して観光客を馬鹿にしているわけではない、そう、あくまで比較の問題である)道に文句を言っても今回の合宿はここがゴールである。バスに乗り込み松本まで行き、それぞれの帰路についた。

 

 雲ノ平の星空や黒部五郎岳、表銀座の山々は諦めざるを得なかったが、いわゆる裏銀座縦走はやり切れた。天候に振り回された縦走だったが前半だけでも天候に恵まれたことを素直に感謝したい。雨男がPLの合宿にしてはよく晴れたほうだろう。 以上


南アルプス北部合宿2019 8/17~8/26

2019-10-20 22:57:29 | 夏合宿

南アルプス北部(夜叉神峠~大門沢縦走ルート)合宿記録

*この合宿は秋雨前線の南下により上記の予定より大幅に短縮したが記念として元の計画も記すこととする。

参加者 A隊:田村(PL)折田 柏原 竹ノ内 原口 矢津

    B隊:中島(SPL)中村 池田 馬場 古川    敬称略

記録者 馬場

8/17(土)

この日は福岡を7時に出発し、岡山で古川と合流した後、20時半に京都に到着して柏原さんのご実家に泊まらせて頂いた。

これほど長い時間を電車の中で過ごしたのは初めてのことだったので辛さを感じていた。特に糸崎(広島)~姫路間の3時間乗りっぱなしは寝ても覚めてもまだ着かずうんざりしてしまった。ただ幸いなことにどの列車もバラければ座ることが出来た。

(辛かった。)

8/18(日)

柏原邸を8時に出発し、午前中は13時発の電車を待ちながら京都駅周辺をブラブラしていた。夕方になってきたころ中津川駅を過ぎた辺りからようやく威圧的な山々が姿を現しいよいよだなと予感させた。しかし、この日の目的地である甲府駅に着いた時に田村さんが天候悪化を鑑み日程の短縮を決断した。その後はみんなで油そば(福岡ではメジャーでないのに驚いた。)を食べ駅前の広場で大富豪などをして時間を潰し、ステーションビバーク(いわゆる野宿)で一夜を過ごした。

(風が無く暑さで少し寝苦しかった。)

8/19(月)

慣れない場所で寝たからかそれとも駅が騒がしくなり始めたからか分からないが、朝5時には目が覚めた。駅前には24時間やっているような飲食店は無かったので朝食まで各々時間をつぶしていた。

(就寝場所の近くの顔はめパネル、隣にはキ〇ィのパネルがありました。)

元々の予定では早朝のバスで夜叉神峠に向かい登り始めるはずだったが、夜叉神峠~仙水峠辺りまでをカットしてバスで長衛小屋まで一気に行ってしまうことになったので9時に出発した。アホみたいに揺れる山道を2時間進み、乗り継ぎの広河原でサンドウィッチを作って食べ、今度は満員のバスに乗り13時過ぎに長衛小屋に着いた。テント設営が完了するとまだ15時だったが夕食の回鍋肉(肉の代わりに麩)を作った。

(くっついて取りずらかった)

お肉が無いのはやはり、少し寂しかったが濃い味付けでよくご飯が進んだ。食べ終えて片付けしようとしているとにわか雨が降り始め、みんな慌ててテントの中に逃げ込んだ。他のテン泊者はちょうど夕食の支度をしていたくらいだったので早めに作り始めておいてよかった。この雨は夜通し降り続け、この合宿中一番激しく降っていたように思える。

8/20(火)

いよいよ甲斐駒臥ヶ岳登山ということで朝食に焼きそばを食べて5時40分に出発した。

(回鍋肉と同じく濃いめの味)

沢沿いの山道を歩いていると急に岩だらけの道に出た。これらの岩はガッチリ組み合っていて意外と安定しているのでその上を進んでいくことが出来た。

(ダイナミックな自然を感じる仙水峠付近)

仙水峠に着いて休憩中に甲斐駒ヶ岳と摩利支天が見えたが頂上付近は雲に覆われていた。また登り始め駒津峠を通り、1時間弱尾根沿いを進むと直登路と巻き道の分岐が現れたので巻き道の方で登って行った。少し登ると植物はほとんど生えなくなり、珍しいさらさらした白砂の道になった。(踏ん張り辛く傾斜もあるので登りにくく感じた。)

その後山頂には9時頃到着したが雲は晴れず景色はまったく見えないどころか風が吹くとかなり寒かった。

(甲斐駒ヶ岳、頂上には祠があった。)

小雨が風に交じってきたので急いで仙水峠まで戻り、昼食の魚ソーパンを食べて12時過ぎにテントに帰還した。その後私が夕食まで少しくつろごうとしているとどこからか嘆く声が…それは昨夜の予想外の大雨により登山靴が中まで濡れてしまった田村さんと古川のもので彼らの片足は血の気が無くなっていた。悲劇はそれだけではなく、登山靴は無事だったものの同じように外に普段靴を置いていた人々はそれが使えなくなり、私のようにサンダルを靴代わりにしていた人以外は履き替えられないと困っていた。(サンダルは寒さや足元の小石は敵だが裸足でも履けるし濡れても問題なしということで重宝しました。)

(みんなのテント手前A隊、奥B隊)

みんなの沈んだ気持ちを復活させるため(?)に夕食のカレーを作り始め無事に具材を煮込みいよいよカレールウを入れる時になった時、池田がルウを割らずにそのまま入れようとしたのでみんな驚いていた。彼曰く人生において一度もカレーを作るという経験をしておらず、割り入れるという発想がなかったらしく(驚くことに彼はメニュー考案係である)唖然としてしまった。

(調理中の折田さん。多分ニヤニヤしてる。)

魚肉ソーセージとサラミそして隠し味の大量のマヨネーズをいれてもカレーはやはり外すことは無く安定した美味しさだった。ただカレー唯一の欠点の後として片付けは大変でキジ紙を大量に消費してしまった。

(みんなの好みの間をとって中辛)

(伝統芸。この人は自発的にやっています。よい子はマネしないでください。)

8/21(水)拠点移動のため少し早めに起きてテントをしまって、少し残した前日のカレーにうどんと水とスープの元をぶち込んだカレーうどんを急いでたべた。その後2日前に降りた北沢峠バス停まで向かい、行動用以外の荷物を邪魔にならない廂の下において仙丈ケ岳に向け6時ごろ登り始めた。大滝頭までは傾斜があるところがあり、少し辛かったが、そこから小仙丈ケ岳までは視界が開けていて雲も無くスタート地点などや甲斐駒ヶ岳などが見渡せた。

ただ小仙丈ケ岳の休憩後は雲の中で入ってしまい風と合わさり体感温度はかなり低かった。かなり視界が悪く、そんな中でも大岩の上を進む所もあり、スリルがあった。何とか9時過ぎに仙丈ケ岳頂上に到着したが視界最悪だったので甲斐駒ヶ岳にもいらっしゃって仙丈ケ岳で再会したシニアの方々とトークを楽しみ、(なんとその方々は糸島から来られているそうで驚いた。)写真を撮った後下山を開始した。

(3000m超え!めっちゃ寒い!)

帰りは行きとは違い、仙丈小屋に寄り道するようにコースをとった。この選択は正解でなんと小屋の手前の斜面で雷鳥の親子をみることが出来た!!

(近くにはハイマツ?のような植物が群生しており隠れる場所には困らなそうだった。)

親子の邪魔をしないようにそっと側を抜け、小屋に入ると風が無いため暖かくやっと一息つくことが出来た。ここの食事スペースで昼食のグラノーラを食べ、ついでに限定商品を買ったりした。

(このグラノーラは甘い分、飲み物が欲しくなるので私と田村さんはコーヒーを注文しました。)

昼食を兼ねて長めに休息をとり、しっかり体力を回復して下山を再開すると、幸い途中で天候も良くなり、上着が必要無くなるくらいにはなった。下山完了しバスで北岳の麓の広河原まで移動してテントを設営した。

(広河原のキャンプ場。手前~奥方向が広い細長いイメージ、なんとトイレは水洗)

この日の夕食(カルボナーラ)は雨が降ってきたのでそれぞれのテント内での調理になり、酸欠と火傷が少し怖かった。

メインがパンやご飯ではなく麺なのは嬉しかったが、湯切りが出来ないので麺が伸びる&ソースが薄くなるの大きな欠点だった。翌日の北岳は登って降りて、広河原14時のバスに乗る予定なので暗いうちから出発する必要がある。しかし、昨日までの長衛小屋に比べ広河原は高度が低く、少し気温が高いので寝苦しく思っていたよりも睡眠を摂ることが出来なかった。

8/22(木)

まだ暗いうち(2時)から起床してうまく回らない頭でなんとかグラノーラを食べて準備を完遂した。はぐれるのを防ぐためA・B隊混合になり、ライトで暗い山道を照らしながら3時ごろ出発した。白根御池小屋までの山道は森の中の急こう配の道で仙丈ケ岳の登山道の前半のような道がずっと続いていた。

(左側はがけ下で結構危険です。)

森を抜けると小屋につき、休憩してると東の空が明るくなり始めた。小屋の後は「草滑り」という難所で、急こう配を短い折り返しで登っていくコースである。

(日の出を迎えて小休止。浮石が多くその名の通り本当に滑る。)

草滑りを終えた辺りでこれまでの山と同じように雲の中に入ることになり、丁度尾根に出ることもあって寒さが厳しく歯の根が合わなかった。尾根道を行くと肩の小屋についたのでみんなで休憩がてらお汁粉を食べ、最後の一頑張りのためのエネルギーを補給した。

(暖かく天国のようだった。)

雨露に濡れた岩の上を進みながら安全第一で進むと、ついに8時に南アルプス最高峰、北岳に登頂しました。

(結局この3日間頂上付近が晴れていることは1秒もありませんでした。)

夜の山道を歩くという初めての経験に加え、5時間の長丁場により気疲れしてしまい、はしゃぐようなテンションになれず山頂にいる間は石に座って休んでいた。下山を始め、尾根をそれる分岐の道に入った時、この旅で唯一といっていいほど尾根付近の広い晴れ間が生まれ、断念した観音岳や薬師岳、そして奥に富士山が見えるというご褒美をくれた。

(登るはずだったの山々)

(右1/3くらいのところにある三角は多分富士山です。)

北岳の恐ろしさは帰りも非常に長く危険ということだ。草滑りは特に危険で集中力を使う。そのため滑り後の小屋での堅パンで糖分補給を行った。夜通った森の中の道に再び戻ってくると今朝よく自分がこんな道を登れたなと驚いた。やっとこさ下山し、テントを畳みいつでもバスに乗れる準備を終えると広河原小屋で野菜たっぷりキーマカレーが食べられるということなので注文してみた。

(山ではあまり食べることのできない新鮮な野菜がたくさん入っていてその味が辛めのカレーに合い、非常に美味しかった。)

時間通りバスに乗り2時間程ゆられると甲府駅に着いた。3日間というとても短い期間だったが山でのテント生活はとても濃密な時間だった。その後関東に実家がある私は甲府駅近くの銭湯で汗を流し、一人その日のうちに甲府を後にした。他の人々は甲府にもう一泊し、行きと同じように2日かけて福岡に帰ったそうですお疲れさまでした。


剱立山堅パン合宿

2019-10-13 14:50:17 | 夏合宿

「剱立山堅パン合宿」

メンバー

A隊 増田(PL) 瀬田 織 竹谷 島崎

B隊 鶴田 福地 浅岡 小川

記録 島崎

〈概要〉

7/11 JRで福岡から金沢まで移動、金沢のカラオケで夜を明かす

7/12  金沢から富山まで電車で移動、富山から室堂までバスで移動、室堂から登山を開始し   剱沢に泊まる

7/13  剱岳登山

7/14 別山、真砂山、大汝山、雄山を通って黒部ダムに下山、その後電気バスで扇沢に移動   しダムカレーを食べ、バスで信濃大町に移動しお風呂に入り、JRで松本に移動しそこで夜を明かす。

7/15 一年はJRで松本から大阪に移動、大阪で台風に行く手を阻まれる

7/16 台風も過ぎ去り福岡に帰ってくる

〈7月11日〉

それぞれ自宅の最寄り駅から電車に乗って夏合宿がスタートした。前日の買い出しで皆に遅刻を心配されていたつるさんもちゃんと来た。それぞれ自宅の最寄り駅から電車に乗り込み、戸畑で下関行に乗り換える。この電車ではたけやんと福地さんが寝ていた。下関で岩国行に乗り換える。一年男子は歌ったりしゃべったりして結構盛り上がっていた。途中徳山で乗ってきた岡山まで行くというおじさんが乗ってきたのでその人としゃべった。岩国で糸崎行に乗り換えた。多くの人が一斉に同じ乗り換えをしたので座れなかった。たけやんは広島駅の看板、マツダスタジアムなど広島っぽいものを見つけて写真を撮っていた。広島駅を過ぎてからはおばあちゃんの家まで行くといって乗ってきた幼い兄妹のせなくんとこっちゃんに出会った。約1時間2人とおしゃべりをしながら電車に揺られた。たけやんは子供としゃべるのがうまかった。駅でバイバイして別れたが、ずっと手を振ってくれていてかわいかった。2人のおかげで広島からは退屈することがなかった。糸崎駅で相生行に乗り換える。熾烈な椅子取りゲームに勝利したけやんと私は座ることができた(不利な先頭車両に乗っていた先輩方は見捨てた)。この電車は終始満員だったがたっぷり寝ることができた。相生で網干行に乗り換えこの電車は乗っている時間がとても短い。網干で夕食を買い足した。網干で敦賀行の電車に乗り換える。この電車は今日一番長い3h30minだった。始発だから座れが途中人がどんどん多くなりザックが邪魔とおじさんに注意されたので逃げる。私のマットで瀬田さんが海音にたたかれていた。敦賀で福井行の電車に乗り換える。だんだん眠くなってくる。たけやんはとうとう床で寝てしまった。福井駅で26分の乗り換えだ。恐竜がたくさんいたので恐竜と記念撮影。つるさんと瀬田さんと浅岡は10分でそばを食べてくるといって早食いそばをしに外に出ていった。その後まもなく大満足で帰ってきた。増田さんがうらめしそうにつるさんを見ていた。電車に乗ってからはとても眠かった。夜は金沢駅周辺で寝床を求めて歩いた結果カラオケで寝た。カラオケは初めてだったのだがハイテンションの人が多いなあと思った。体に音が響くなか意外と眠れるものだなと思った。

 

 

〈8月12日〉

朝から富山行の電車に乗る。朝早いからか人が少なくゆっくりできた。誰もが電車の中で足りない睡眠を補充した。富山駅でバスの時間まで1時間あったのでそばを食べた。ここからバスで2時間半かけて室堂まで行った。たけやんとつるさんは家に葉書を送っていた。これからも機会がある度に送る予定だそうだ。室堂は観光地という感じで人もたくさんいた。剱岳で亡くなった人数が立て札に書かれていて増やさないように気を付けようと思った。天気は少し晴れたり曇ったりと微妙だった。今年の北アルプスはとても暑いと聞いていたが肌寒い。ここから火山の噴火口みたいなところや池を通る。

歩き始めて1時間ほど経つと川に出た。初アルプスでテンションが上がってしまった瀬田さんはショートパンツになって川へ飛び込み泳ぎだす。つるさんは橋の上から川へ飛び込もうとしてみんなから止められた。諦めてそのまま川で泳いでびしょびしょになっていた。増田さんの気苦労が絶えない。その後B隊から出発した。ここからはずっと登りだった。A隊も出発したのだがいつまで経ってもB隊の姿が見えない。きっと別のルートで行ってしまったのだろうということになって連絡を取ろうとしたがなかなか気付いてもらえなかった。登り切った剱御前小舎で昼食をとった。メニューは食パンに焼き豚をのせてマヨネーズをかけたサンドイッチのようなものだ。食べているとB隊もやってきた。どうやら違う道に行きかけたが引き返してA隊の後から登ってきたようだ。マヨネーズがカロリーにしか見えなくなってしまった福地さんはマヨネーズを大量にパンにかけていた。その後は登って降りてテント場についた。テントがたくさん張ってある中でテントを張れそうな場所を探してテントを張った。一年男子はビーチバレーボールを膨らませて山と海の融合だといってビーチバレーをしていた。テント割を決めて夕ご飯づくりに取り掛かる。今日のご飯はシチューだ。タマネギ、ニンジンを小さく切って炒めていい感じになったら、水を入れて煮込み、シチューの素を入れる。その後鮭フレークを一鍋に人瓶入れ、火を止めた後とろけるチーズを入れて混ぜると出来上がり。「シーフードシチューだ」「いや、鮭のクリームソース煮?」というようなおいしいシチューが出来上がった。九大ワンゲルの新定番になるだろう。暗くなるころには就寝した。


 

<8月13日>

2時起床で朝ご飯はパスタを茹でてゆで汁でコーンスープを作りパスタにはトマトペースト、ハーブ、粉チーズを混ぜて食べた。今日はペルセウス座流星群がよく見える日だそうで流れ星がしょっちゅう流れていた。天の川とかも見られてきれいだった。よく晴れて剱岳に登れそうだと嬉しくなった。剱岳は光の列が見えてもう登っている人がたくさんいるなあと驚いた。4時ごろテント場を出発して登っていった。よく晴れていてだんだん明るくなっていって、剱岳も影から光に照らされていって、晴れてよかったなとテンションが上がった。人は多かったがスムーズに進めた。途中はずっと岩がごつごつしていて、崖みたいになっているところは怖かったがゆっくり登る。先輩がいると安心感があった。岩の隙間などには小さな花が咲いていてかわいい。瀬田さんはたけやんの写真をいっぱい撮っていてお父さんみたいだった。山頂に到着して、7:30に昼ご飯の堅パンを食べた。一年生に堅パンが大人気で堅パンファンの瀬田さんは嬉しそう。山頂からは四方の山や海が見渡せてとても気持ちがよかった。山頂で1時間くらい写真を撮ったり堅パンを食べたりしてゆっくりした。

 

下りは慎重に降りた。カニの横ばいなどでは瀬田さんが見ていてくれて足場を教えてくれた。途中、前剱、一服剱では先ほど登った剱岳を見ながら堅パンを食べて休憩してその先の下りに備える。その後も慎重に降りて昼前にテント場に帰ってきてのんびりした。つるさんと瀬田さんと福地さんは買ってきたお酒を雪渓に冷やしに行った。私は時間があったので山岳診療所の医師の方にお話を聞きに行った。医師の先生はとても丁寧に山岳診療所の話や剱岳のお話をしてくださった。悪天候時の滑落はヘリでの救出が無理で助からない可能性が高い、遠くから来た人は悪天候時も無理しがちだから気を付けてねといわれた。テントに戻ってまたゆっくりした。アルコールを摂取して気分が上がってしまった瀬田さんは走ってくるといって坂を登れるところまで登り駆け下りていた。思い思いの午後を過ごしつつぼちぼち夕ご飯づくりに取り掛かる。今日の夕ご飯は炊き込みご飯。米を水につけ鯖缶(身をほぐす)、ニンジン(小さく切る)、しょうゆを入れる。水の量は瀬田さんの腕の見せ所だ。しばらく置いておく。たけやんが瀬田さんのコッヘルを勝手に開けてお箸を拝借してマシュマロを焼こうとして怒られた。瀬田さんはたけやんに手を焼いていたが、結局瀬田さんがマシュマロを焼いてくれてみんなで食べた。マシュマロがおいしかったので許してくれるそうだ。瀬田さんはこころが広い。十分水につけたので米を炊き始める。風が強かったので人間を風よけにして火を守った。少し焦げてしまったが食べれそうなご飯が炊きあがった。油揚げを入れて温めて完成。塩やマヨネーズをお好みでかけておいしくいただいた。この日は一日中剱岳を拝めていい日だった。

 〈7月14日〉

2時起床で昨日の炊き込みご飯に少し水を入れて温めて食べた。今日も晴れていて流れ星が見えた。テントをたたんで4時に出発した。まず、別山に登る。日の出を見たいと少し急いだ。ちょうど日の出くらいに山頂に到着し、山頂でゆっくりした。瀬田さんとつるさんは日の出を求めて一つ向こうのピークまで走っていってしまった。東の空は稜線のあたりに雲がかかっていたので何回か日の出を楽しんだ。                       

 

 

ここからは気持ちのよさそうな稜線沿いの縦走路を進む。これが本当の縦走だ、三郡縦走は縦走じゃないと三郡を貶し始める部員達。風が強くて日陰は寒かった。堅パンとともに真砂岳、大汝山、雄山の順に登った。雄山では山頂に行くためには参拝料が必要で、山頂で神官さんに安全登山の御祈祷をしてもらった。

 

その後お神酒を頂いた。のどが陣と温まった。そこからはひたすら下った。一の越山荘までは岩の道だった。一の越山荘から東一の越方面に下る。一年生のこの道絶対楽しいやつじゃないですかという声を聞いて、増田さんは「その気持ちを最後まで忘れんといてくれ」といっていた。ここから1000m以上ひたすら下ることになる。この道は植物の垂直分布が見られて個人的には楽しかった。下るにつれてだんだん草の丈が伸びてきて暑くなってきて通る人が少ないのか歩きにくい道になってくる。東一の越につく頃には下りに飽きてきた。黒部ダムカレーをモチベーションになかなか近づかない黒部ダムを見ながらひたすら下る。途中でロープウエーに手を振ると中の人が手を振り返してくれた。下って下って下ったころ、黒部平(ロープウエーの駅)までたどり着いた。

 

ここで休憩したが台風10号が近づいているので上級生は今後の登山が、一年生は福岡への帰り道が気になるようだ。たけやんと瀬田さんが「遠くの山より目の前のカレーや!」「明日の台風より目の前のカレーや!」といって盛り上がっていた。さらに下るとようやく黒部ダムの湖岸にたどり着いた。ダム湖岸に沿って歩いた。黒部ダムの大きさと人の多さにびっくりした。カレー屋さんはとても人が多くて長蛇の列だった。お店の人に聞いてみると扇沢でも同じものが売ってあってそっちの方が空いているということだったので先にバスで扇沢まで行くことにした。扇沢でとりあえずカレーを食べた。その後出発間際のバスに乗り込み、信濃大町駅にたどり着いた。ここでも一年生は台風が気になって電車に乗るか乗らないかで揉めたが、とりあえず目の前の風呂や!と団結して、公共浴場まで歩いて久し振りのお風呂を堪能した。その後電車に乗って松本駅まで行き、そこでご飯を食べた。この頃早寝早起きの生活をしていたので飲み屋街を歩きながらとても眠たかった。数あるメニューの中から山賊焼き定食10皿を注文した。量が多くて豊富な種類の揚げ物をおなか一杯になるまで食べられた。その後ネカフェで夜を過ごした。

 

〈7月15日〉

一年生は今日行けるとこまで行こうと松本駅から名古屋方面の始発の電車に乗った。先輩方が松本駅まで見送ってくれてうれしかった。台風による強風のため快速列車が運転を見合わせていたり、田舎の小さな駅で乗っていた電車が運転見合わせになったりしながら大阪まではたどり着くことができた。尼崎から先は正午ごろから終日運転見合わせということだったので男子は織のおばあちゃんの家へ行き女子は大阪で一泊することにしてそこで分かれた。雨と風がすごくて台風が来てるんだなと実感した。

〈7月16日〉

幸い私たちが乗りたい電車はほぼ通常通りだったので大阪駅から福岡に向けて出発することができた。台風の影響かコンビニが開いておらず朝食、昼食を堅パンに頼ることになってしまった。ダイヤの乱れは多少あったもののこの日は穏やかな旅ができた。九州に入ると見おぼえがある景色でほっとした。天候にも恵まれ堅パンによる絆も深まり良い合宿だったと思う。


夏合宿 後立山 2019/8/8~16

2019-10-13 13:07:55 | 夏合宿

夏合宿 後立山2019/8/8~16

隊員: 坂口(PL) 西尾 中尾 吉岡 (敬称略)

記録: 吉岡

8/8

自分は高速バスで中尾・坂口先輩は電車でそれぞれ西尾先輩の実家のある広島に向かった。高速バスの出発する博多駅に坂口先輩と2限にテストを控えた鶴田先輩が見送りに来てくれた。バスが予定より早く着いたので駅の近くにあった原爆ドームを観光していると西尾先輩が迎えに来てくれた。夜は西尾先輩のおばあ様にお好み焼きをごちそうになった。広島のお好み焼きはそばを使っていて自分には新鮮でおいしかった。追加を要求する中尾は勇者だった。この日は西尾先輩のお宅に泊めさせてもらい、寝る際にお借りした部屋に西尾先輩の若かりし頃の写真があった。天使のわっかは純粋な心とともに消えてしまったようです。ツボに入ってしまい布団に入った後も少しにやけてました。ごめんなさい。西尾先輩・ご家族の皆様には大変お世話になりました。

8/9

この日は広島から白馬まで一日中電車に乗っていた。夜になってやっと4人揃って座ることができトランプやウノを楽しんだ。大富豪中尾は一向に都落ちしなかった。白馬駅で発見した足湯を堪能し、寝る前に鶴田先輩に願掛けしてもらったオロナミンcを景気づけにいただき、その後駅の近くで野宿をした。人生初野宿は少し不安だったがよく眠れた。

8/10

早朝バスに乗り登山口に向かった。猿倉を出発し少しすると大雪渓にたどり着いた。少し寒かったが神秘的で綺麗だった。大雪渓を抜けると今度は日が照りかなり暑かった。白馬岳頂上宿舎のテント場はほとんど埋まっていた。白馬岳は宿舎と離れたところにあり、謎に二往復した。上から見る大雪渓も良かった。一度目と二度目とで同じ場所からも違った景色を見ることができ二往復した甲斐があった、、、。やっぱり割に合わない気もする。この日坂口先輩の体調が悪くなったので早く寝た。

8/11

朝にはまだ少し具合が悪そうだったが昼頃にはケロッとして完全復活していた。 さすが我らが部長(女帝)です!この日のメインは不帰キレット。近くから見ると名前の通り帰れるか心配になった。

 

 実際に登って見ると案外すんなりいけた。中尾は暇があると何か食べていた。その後の唐松岳、山頂宿舎では人があふれていた。テント場はほとんど埋まっていて傾斜を開拓していると近くにいたおじさま達がテントをずらしてスペースをつくって下さった。夕食は高野麻婆。改善の余地あり。その後、先輩達が奢ってくれたコーラzeroを近くの雪渓で冷やしておいたのでそれを取りに行く係を決めるため大富豪行われた。めんどくささと外の寒さが相まってみんないつも以上に必死だった。大貧民中尾とってきてくれた山でのコーラ格別だった。

8/12

テント場を出発してすぐにキレット?が続きかなりスリルあった。キレット小屋を目指してひたすら進んだ。

キレット小屋!!

 

小屋泊は何もかも快適すぎた。まさにオアシス。特にご飯は美味、至福の一時でした。寝床では消灯時間までトランプやワードウルフをした。寝心地も最高だった。小屋泊またしたい、、、。

8/13

キレット小屋を出発した後も険しい道が続いた。途中途中雲海がよく見えた。

 

 

この日の昼食はカップラーメンで個人的にかなり楽しみにしていたが小屋食の後ではかすんでしまいました。予定より早く種池ついたので各々時間をう潰したり、安定の、トランプとワードウルフを楽しんだ。夕食の鯖缶カレーは見た目から油断して仰向けいるとまさかの小屋食に匹敵するぐらい美味しかった。缶をずっと持ってた永遠の食当??こと西尾先輩には感謝です。鯖缶カレーは引き継いでいきます。最後のテント泊の夜も眠くなるまで遊んだ。坂口先輩の「カービィーに似ている芸能人」でオードリー春日は味方もウルフもかき乱した。

8/14

種池から扇沢に下り近くの温泉に入った。5日ぶりのお風呂そしてその後のアイスを少し寂しさも感じながら堪能した。信濃大町駅で荷物を整理しそれぞれ帰路についた。天候に恵まれ、無事に終わることができてよかった。夏の思い出となった最高の合宿だった。