九州大学ワンダーフォーゲル部

2016年冬に作りました。九州大学ワンダーフォーゲル部公式のブログです。部活動の内容を紹介していきます。

2016年夏 日本縦断チャリ 8/24~9/28

2016-12-07 22:47:49 | 個人活動(チャリ)

九大ワンゲルにもブログができたということで、記念に投稿してみます。

もともとホームページに直接貼る予定だったので、文体が固く読みにくいですが悪しからず。

2016年 日本縦断チャリの記録

パーティー:かたやま なかがわ りゅう

記録:りゅう

 

もくじ


 

1日目   0km     嘘のように速い飛行機と地獄の五時間ノンストップ特急

2日目   132km 宗谷岬につく 凄まじい向かい風に耐える

3日目   115km 延々と続くアップダウン 中川が謎のスパートをかける

4日目   146km 追い風で心地よい サッポロビールを本場で飲む

5日目   82km   札幌市内観光 フェリーがやたら快適

6日目   115km 雨 道ぼっこぼこで転倒する

7日目   0km     東北初上陸台風 停滞

8日目   166km 初パンク 八郎潟が美しい

9日目   161km 向かい風(二回目) 中川スパート(二回目) 初山形

10日目 155km 暑い。ゼリー缶を三本一気飲みする 難所を越え佐渡へ 

11日目 50km   壱岐Tシャツを着て佐渡を渡る 至高の旅

12日目 125km 親不知は自転車が通るとこじゃない

13日目 150km まさかの午前二時スタート 久しぶりの雨

14日目 99km   トンネルの泥にはまり泥だらけに…… 中川と別れる

15日目 92km   京都へ 都会すぎてビビる

16日目 28km   また台風 それでも比叡山にのぼりに行く

17日目 41km   六甲山登山の帰り、工具とシューズをコインロッカーに置き忘れる

18日目 117km 小豆島へ  工具を取り戻しテンション高め

19日目 157km 広島へ カープ優勝でカープやくざに絡まれる

20日目 16km   下痢してやる気が出ず どしゃ降り

21日目 183km 山口の道怖し

22日目 110km 船酔いでテンション低め 無事福岡へ帰宅

ここで予備日と大学の集中講義と地区連キャンプを挟むため、日が空く

23日目 187km 久々のチャリ 暑すぎ、もう秋やぞ

24日目 209km 最後だと思って距離感が壊れる

25日目 75km ついに佐多岬にゴール 新しくなってた看板で記念撮影


1日目


8/24(Wed) 晴 自宅(福岡)→JR稚内駅  0km

 12:30に福岡空港に集合。が、自分がいきなり遅刻する。何とか間に合ったが、手荷物検査で自分がチェーンスプレー、中川がでかめの六角レンチを没収された。飛行機輪行は自転車の負担が大きいため緩衝材を詰めた。中川はプチプチを忘れたため、空港の宅急便の人にプチプチを頂戴したらしい。飛行機はあほみたいに速い。18切符が基準のワンゲラーたちは困惑気味だった。ここから列車へ。札幌行は結構混む。札幌から、一日に三本しか走っていない稚内行に駆け込む。そこから5時間ノンストップ。空腹がすごかった。

 

22:54着。稚内に着くと涼しい。駅前でのビバークは快適。

 

2日目


 

8/25(Thu) 晴 →道の駅天塩(北海道)  132km

 4:30起床。ピストンで宗谷岬へ。朝日がまぶしい。別に高度を挙げているわけではないが、北に進むにつれ息が苦しくなるようだった。

 

7:00前宗谷岬着。とても良い天気。観光バスも人もいない。ここから2300km家へと帰る。ノシャップ岬はスルーした。オロロンラインに入ると向かい風が凄まじく、平地でも15kmしかでない異常事態発生。シャリバテで死にかける。天塩まで街どころか信号も建物もない。信号より風車のほうが多かった。初日がこんなだったため、今後街を見ると「都会だ!」と感動することになる。温泉はぬめぬめだった。

 

3日目


 

8/26(Fri) 雨→くもり →留萌船場公園(北海道) 115km

午前には上がる予報なので上がるまで寝た。10:00発。風はましになった。初山別付近の延々と続くアップダウンにやられる。今日は20kmごとに町があって気が楽。昨日から隊列を入れ替えつつ風よけを作っていたが、中川が坂を前に先頭に立ったところで謎のスパート。片山がちぎられた。本人は気づかぬうちに独走状態で2km走った。途中羽幌で初めてセブンを発見し、一同その都会さに感動。今日は距離以上につらかった。日の入り前に留萌に到着。公園で野宿した。迷走している台風がこっちに来ているらしい。

 

4日目


 

8/27(Sat) 晴 →ライダーハウスねこじゃらし(北海道) 146km

 留萌の朝は寒い。深い霧が出ていた。6:15発。霧の中標高106mの美葉牛峠を越えると、石狩平野のだだっ広いたんぼになった。そこからは追い風だった。中川と片山が牛乳をいろはすに入れ替えてる写真をワンゲルラインに貼って遊び始めた。12:00の時点であっさり札幌まで25kmに。当別町のうどんがうまかった。都市部は道がぼこぼこでケツが痛い。札幌につくと、時計台を発見する。中国人であふれかえっていた。予約していたライダーハウスにチェックインするまで時間があったので北大へ。クラーク像は予想を大きく下回る。後で思えば羊ケ丘展望台のクラーク像にも行っとくべきだった。きれいな芝生でしばらくのんびりする。学生がアカペラを練習していた。ライダーハウスの下の居酒屋で飲んだビールがうまかった。札幌でサッポロビールが飲めて満足満足。

 

5日目


 

8/28(Sun) 快晴 →シルバーフェリー内 82km

 8:00起。今日は苫小牧までなので気が楽だった。個人に分かれて札幌市内を観光した。やたら道が混んでいるなと思っていたら今日は北海道マラソンらしい。交通規制がなされていた。13:00発。今日も追い風だった。R36を気持ちよく進んでいく。まるで高速道路のような感じ。札幌市内は今までと打って変わって信号があったので、自転車のキャリアが重い片山は苦労していた。キリよく3ピッチで苫小牧へ。夕飯はラーメンを食べて、自転車屋で備品を購入して、空気を入れなおす。フェリーターミナルへ行くとまるで空港のような設備で博多港や松山港のようなこじんまりとした感じではなく、とても豪華だった。フェリー内も売店、浴室、コンセントも完備されていた。二等でも相当快適。夜甲板に出ると満天の星空が見えた。

 

6日目


 

8/29(Mon) 霧雨→雨 →青森まんが図書館D-ポケット(青森) 115km

 八戸港につく。ここで片山とはお別れ。片山は太平洋側を行く。明日台風が接近するらしいので今日は青森まで行って、停滞することになった。R45とR4で青森に向かう。R4は道のぼこぼこぶりがすごくて、ちっともスピードが上がらない。途中、路側帯の溝にはまって転倒する。擦り傷で済んでよかった(今後あほみたいに転倒することになる)。青森でスーパー銭湯に入る。11時に閉まるので近くのネカフェで漫画を読みながら徹夜。

 

7日目


 

8/30(Tue) 暴風雨 停滞 0km

 6:00にネカフェを出ると、風は一段と強まっていた。台風10号は本州付近で発生して散々迷走したあげく、東北の太平洋側に戦後初上陸した。運が悪い。青森に行くとひげを蓄えた変なおじさんに話しかけられた。そのおじさんはいかに青森が寂しい田舎であるかを力説してくる。スーパー銭湯があるから青森は都会ですよといったらちょっと引かれた。青森駅のベンチでいくらか寝る。100円ショップに行って銀マット(今までなしで寝ていた)、スマホの防水ケースなどいろいろ購入。隣にインターネットコーナーがあったのでしばらく遊んだ。またしてもスーパー銭湯へ。水風呂に波を作って頭から冷や水を被るおじいさんが印象的だった。休憩所のテレビでやたらリンゴの心配をしていた。さすが青森。片山は北上市でRADWIMPSが主題歌の某映画を見たらしい。再びネカフェへGO.

 

8日目


 

8/31(Wed) 晴 →道の駅おおがた(秋田) 166km

昨日は本当にひまだった。すっかり体も回復。台風一過の中進む。今日は15㎞交代で1ピッチ30㎞走ることに。途中中川が空き缶のかけらを踏み、タイヤごとパンク。R101へ行かず、R7のままで弘前市に出てホームセンターへと向かっていった。パッチ修理キットを買ってあっさり直す。

 

晴れの中、岩木山がキレイに見えた。反対側には八甲田山も見える。矢立峠は標高はまあまあ高めだが勾配が緩いので思ったより楽だった。暑さのほうがつらかった。とにかく暑い。順調に進み、R101,r42を通って八郎潟干拓地へ。事前に調べたとおり、果てしなく伸びる直線路で気持ちよかった。温泉に入ると、大学生がたくさんいて驚く。銭湯で話したおじさんによると、八郎潟は波がないので、水上スキーに向いていてよく大会が開かれるらしい。福大の人もいた。そのおじさんは調整池の水位を調整するところの所長さんらしい。偉い人でした……。

 

9日目


 

9/1(Thu) 晴 →道の駅庄内みかわ(山形) 161km

 5:00起。大潟村を出る。早朝は無風だったが、太陽が昇っていくにつれ向かい風になっていく。相変わらず暑い。厳しい気象状況とは裏腹に調子はよかった。しかし中川がお疲れのご様子。長めに休憩をはさんだりしてしのいだ。山形県境に近づくと鳥海山が見える。海側から見ると九重のようななだらかな山容だった。

そして初の山形へ。山形の青看板が見え始めたところの坂でまたもや中川がスパートを切り始める。見る見るうちに姿が見えなくなっていった。本人曰く、早く登ったほうが楽らしい。ちょっと意味がわからない。酒田市は想像以上に栄えていた。Mont-bellもあった。温泉併設の道の駅で野宿。(この日片山は仙台から宇都宮まで236kmを走るという伝説を残した)

 

10日目


 

9/2(Fri) 晴 →佐渡みなと公園(新潟) 155km

 4:30起。5:00出。道の駅を出た。次の休憩でコンビニを探そうとするが、なかなかない。結局一息で46km走った。多めに朝食を取り前へ進む。山形―新潟の県境は断崖絶壁で進むのは困難(笹川流れ)。えげつない坂と暑さ(35℃)に耐えられない。今度はコンビニどころか自販を探すのにも苦労した。26km走ってようやく見つけてゼリー缶三本を一気飲みする。山越えを果たすと広い越後平野へ出た。どこを見ても広い田んぼだった。R7かR113で進むか迷ったが中間を並行に走るr3を通った。道は細いが、交通量が少なく静かで走りやすかった。新潟中心地に向かっていくにつれバイパスと高速だらけで自転車でどこを通っていいかわからなくなる。銭湯を早めに上がりフェリーへ。輪行作業をしているときに、タクシーのおっちゃん5,6人に作業を見せてほしいと頼まれ人前でやったがなんだか恥ずかしくやりづらかった。22:00佐渡着。23:30公園でビバーク。虫が多い。

11日目


 

9/3(Sat) 晴 →上越科学館(新潟) 50km

 5:00起。中川の姿を探すが見当たらない。公園の蚊がうるさかったらしく、モニュメントのそばで堂々と寝ていた。6:30出。佐渡の田んぼは美しい。想像以上に景色が素晴らしかった。

 

壱岐Tを着て、佐渡をめぐる至高の旅。小木港へ向かう後半の登りはやはり離島だけあってきつかった。9:30到着。11:50発のフェリーで本州に帰る。ここまで40kmしか走っていないが、上越市に移動するので新潟市から130km移動したことになる。6月の壱岐チャリで実験したことがここで活きた。かなり楽できた。近くの科学館のベンチでビバーク。

 

12日目


 

9/4(Sun) 晴→くもり →満天の湯富山店(富山) 125km

 4:30起。あまり眠れなかった。5:00発。あまりにも眠すぎて途中のコンビニで仮眠をとらしてもらった。上越から糸魚川区間は自転車道がある。しまなみ海道みたいな走りやすさとは違うが、もともとSLが走っていた部分を改造したものなので、レンガのトンネルを通ったりして涼しかった。糸魚川からは親不知と呼ばれる難所である。トンネルと細かいアップダウンが続く。きつかったがいい景色だった。親不知を抜けてからはR8は回避して、県道(たぶん旧道が県道に繰り下げになったものだろう。)を静かに走った。近くのスーパー銭湯が午前2時まで開いているというので嬉々としてそこで就寝。

 

13日目


 

9/5(Mon) 曇り時々雨 →アプレシオ米松店(福井) 150km

 2:00起。そしてそこから走ることに。富山から金沢に向かってのショートカット(r9)を通ったので交通量が少なく済んだ。石川県に入るとさすがに明るくなってくる。北海道から走り始めて初めて信号が縦並びから横並びに変わった。途中の高架橋で中川がパンク。チューブを変えるも替えのチューブ自身も空気が入らない。自分のチューブを分けて対処した。(後で知ったがチューブはビニール袋に入れるなり保護したほうが良いらしい。工具と一緒にいれるとどうしても摩擦でチューブがダメになることがあるそうだ。)福井の県境を越えたあたりで雨に降られる。雨はきづけば青森以来だった。14:30福井の銭湯着。そこからコインランドリーでのんびりして21:00にネカフェに入った。これも青森以来のネカフェ。この日はスマホの充電が7%くらいしかなく、地図を確かめるのに苦労した。

 

14日目


 

9/6(Tue) 曇り→晴 →道の駅浅井三姉妹の里(滋賀) 99km

 6:00出。朝マックしてから福井を出る。今日は越前~敦賀、敦賀~長浜と2つの山区間がある。敦賀に向けてトンネルの中を走行中、泥にタイヤが滑り顔ごと泥に突っ込んだ。幸い大きな怪我はなかったが全身泥まみれに。トンネルを出たところの川でじゃぶじゃぶシャツを洗った。

さらにトンネルは続く。親不知並みの難区間だった。敦賀で中川と別れる。琵琶湖の東を通って大津の祖母の家まで行くらしい。敦賀市街でいくらか買い物をして琵琶湖を目指した。今回の旅で初めて一人でこぎ始めて不思議な気分に浸る。峠道を越え滋賀に入った。琵琶湖周辺は向かい風がすごい。苦労しながら長浜へ。コンビニ店員が関西弁でしゃべりだした。また台風が来ているらしい。中川は大津、片山は岡崎(愛知)にいる。

 

15日目


 

9/7(Wed) 晴れ→雷雨 →アプレシオ四条大宮店(京都) 92km

 6:00起。一人だと起きる時間が遅くなる。長浜市街を抜けてからだんだんと都会を感じ始める。R1と合流してからはあまりにも車の交通量が多いため、例によって県道に抜けるがそれでも車は多かった。近江大橋を渡る。大津でR1に合流しようとして山のほうへ向かうといつの間にか阪急の駅に出た。私鉄の駅を久しぶりに見て感動。京滋バイパス沿いに走る。意外と坂はなかった。が、山科から京都中心地に勾配のきつい坂があり、手を押して登った。京都につく。あまりの都会ぶりにビビる。地下の駐輪場に自転車を止めて、京都のネカフェに入った。外は台風13号の雨雲ですさまじい雷雨に降られているようである。

 

16日目


 

9/8(Thu) 雨→晴 →極楽湯茨城店(大阪) 28km

 5:00出。バスと電車で登山口に到着。比叡山に登る。あきらかに雨がやばいが、突っ込む。大型トラックに抜かされつつ進むチャリに比べれば、静かな行動に心が癒される。雨が強くなり雷が落ち始めた。強烈な雨、ちょうど一か月前の夏合宿前の若杉縦走を思い出す。もはや夏合宿が遠い過去のように感じられた。

 

 

 

 

山頂の駐車場から少し上ると電波塔があって、そこの隣の小高い丘が山頂だった。三郡や背振よりかなり地味なピークだった。延暦寺に立ち寄ったりして15:00頃戻ってくる。京都を後にしてR1で大阪の中心には向かわず、R171で直接神戸に向かう。途中茨木市にあったスーパー銭湯に入り就寝。

 

17日目


 

9/9(Fri) 晴 →神戸港付近のベンチ(兵庫) 41km

 スーパー銭湯が2:00に閉まるので、またそこから漕ぎ始める。太陽が出ているうちは渋滞していた道路は夜になると走りやすいものになっていた。西宮付近でバイク集団と並走する。若いお兄ちゃんに「頑張ってください!」と言われた。三宮の駐輪場に自転車を置いてコインロッカーに無駄な荷物を入れて六甲山に登りはじめる。今日は涼しい。秋の風を感じ始めた。夏合宿と違い、荷物が軽いので走るように登れた。

 

 

山頂で地元のおじいちゃんと仲良くなる。大量のアメちゃんをもらった。有馬温泉に抜けて電車で帰る。三宮のコインロッカーに工具類とシューズを置き忘れて、駅を出てしまった。十分後、再び取りに戻るともう他のだれかに使われていて取り出せなくなっていた。あまりにばからしいことで停滞を余儀なくされかなりテンションが下がる。片山も中川も神戸にいるらしいが、合流する気にもなれなかった。近くの銭湯に入り、海の前のベンチで不貞寝。

 

18日目


 

9/10(Sat) 晴 →快活CLUB倉敷店(岡山) 112km

 7:30起。例のコインロッカーに行くと、扉が開いていて中をのぞくと昨日探していた工具とシューズが!! テンションが異様に高くなり、一気に姫路へ。夏合宿でカラオケオールした所だけに懐かしい。フェリーで小豆島へ。小豆島は決して平坦ではないが、離島の道路ということを考えると走りやすい。一応香川県なのでうどんをたらふく食べる。土庄港にあっさりついてそこから岡山港へ。夕日と児島湾がキレイだった。着いたときはもう18:00だったが倉敷まで行くことに。岡山バイパスの側道をたらたら進んだ。倉敷が都会すぎてまたしてもネカフェへ。ネカフェのテレビを見ているとちょうど広島カープが優勝するところを目撃。岡山の人はどこのファンが多いんだろうと思いながら就寝した。

 

19日目


 

9/11(Sun) 晴 →快活CLUB中央本通り店(広島) 157km

 5:45出。R2をひたすら西へ。途中尾道につく。春合宿以来のしまなみ海道を見てテンションが上がる。三原からは山越え。途中にあったMaxValuで一時間爆睡する。今日は暑さが戻り汗が大量に出る。坂道は長いものの勾配は緩く、思いのほかすんなり行けた。下り坂になってからは向かい風になる。体の調子があまり良く無くて、広島に着いた時は疲れ切っていた。久しぶりにコインランドリーを使用。中心街に行ってみると、赤いユニフォームを着た集団が大量に。結局人が少ない博多ラーメン屋に行って懐かしい味を楽しんだ。

 

20日目


 

9/12(Mon) 雨 →快活CLUB甘口市店(広島) 16km

 外は雨。今日はただひたすらにやる気が出なかった。原爆ドームと宮島に行くも下痢であんまり覚えていない。平和記念公園のベンチでゴロゴロして外国人観光客に変な目で見られる。雨が酷くなって、アーケード街の喫茶店でたそがれた。ちょうどそのころ四国周りの片山と中川が帰宅したと連絡が入る。気持ちを入れ替えて12km先の銭湯へ。カープの優勝セールで入浴料が半額になっていてラッキーだった。銭湯を出ると猛烈な雨が降っていた。道路は水たまりができていて走りにくい。ここ最近ずっとネカフェだなと思いながら就寝。山陽道は道の駅が少ないので困ったもんである。

 

21日目


 

9/13(Tue) 晴 →下関駅(山口) 183km

 6:30起。7:00出。最近起きる時間がどんどん遅くなっている気がする。昨日のどしゃ降りはやんだようで安心した。山越え区間を通り徳山へ。徳山~防府区間も坂道が多く交通量も多いのでいつものように県道に逃げる。山口県内の山陽道は蛇行しているので防府からはなるべく最短距離で行こうとする。周防大橋を渡って、小野田に入るまえにR2に復帰する。道が狭く、路側帯はあるっちゃあるけれども生い茂る雑草でまるで通れない。ましてバイパスも通っていないので、大型トラックがバンバン通り過ぎていく。トンネルでも激坂でもないのに押して歩くハメになった。20分ほど歩いて耐えきれなくなり、脇の田舎道と林道を迂回して何とか峠を越えた。標高はたったの57mだった。小野田まで出ると九州がくっきりと見えてくる。途中わき道を走って下関に入った。なぜか道がわからなくなり、小一時間ほど迷って下関駅に着いた。去年の夏合宿以来の下関駅ビバークだった。去年のようにヤンキー達の喧嘩も拝めず、静かに就寝。

 

22日目


 

  9/14(Wed) 曇り →自宅(福岡) 110km

 6:00起。駅ビバはやはり強制的に起こされる。昨日迷っていた道が明るくなって鮮明になる。途中唐戸市場につく。春に先輩たちとマラソンを走って以来だった。関門トンネルの人道を歩くつもりだったが、ちょうど船が出ていたのでそれに乗る。

関門連絡船は小型船で揺れが大きい。ちょっと気持ち悪くなった。小倉のコンビニで自転車に乗っていたというおっちゃんに話しかけられる。前科6犯らしい。やんちゃなおっちゃんと一時間くらい話して酔いを醒ました。R3はよく知っているだけに退屈で辛い。思った以上にメンタルをやられながら17:00頃無事帰宅。

    

 

**ここで予備日と大学の集中講義と地区連の能古島キャンプを挟むため、日が空く**

 

23日目


 

9/26(Mon) 晴 →球磨川河川敷(熊本) 187km

 昨日は能古島キャンプで飲みすぎた後遺症で昼間ずっと寝ていた。そのせいか目がさえて、徹夜で家を出る。片山も今日家を出ていたが、家のあるところが違うためこっちが追いかける形に。日が出る前に福岡市街を抜けた。暑い。もう九月も下旬だし少しは気温下がるかななんて期待していたがすっかり裏切られた。途中久留米のマックで爆睡する。今日中に追いつくのは無理そうだなと思いながら海沿いを進む。R3をなるべく通らないように走っていたが、遠回りだったかもしれない。結局追いつけず暗くなってから八代市に着いた。

 

24日目


 

9/27(Tue) 曇り時々晴 →根占港みなと公園(鹿児島) 209km

 6:00起。今日は鬼門の南九州である。どうせなら八代から内陸に入ったほうがいいんじゃないだろうかと考えてR219で人吉からえびの高原に向かうことにした。人吉までは球磨川沿いに進むだけなので楽。そこからがきつかった。400m程の上下運動。たたみかける登坂車線に心が折れかけるが、北海道から培ってきた心を無にする走法で乗り切る。片山は出水から内陸に入ったらしい。あちらもかなりきつそうだ。霧島連峰を片手に見ながら再び海を目指す。全然下っている気がしないが桜島が見えて一安心。走っていると喉がじゃりじゃりする。灰だろうか。最後だと思うと距離感が壊れる。気分良く漕げた。暗くなってからもイーブンペースで走り続けて、21:30根占港に着く。いつの間にか片山を抜いてしまった。22:00に閉まる銭湯に駆け込み、最後のコンビニで腹ごしらえして就寝。

 

25日目


 

9/28(Wed) 晴 75km

  6:30起。公園にできうる限りの荷物を置いて出発。国道の端まであっさり着く。ここからが坂道だらけでキツイと散々聞かされていたので、ゆっくり進む。確かにすごい坂道だった。しかし車がほとんど通らないので、目一杯蛇行しながら進んで耐える。生えてる植物が明らかに南国風で面白い。あと2,3kmかなと思ったところでマイクロバスに呼び止められる。ここから先は岬付近の駐輪場が工事中なので送り迎えしてもらえるらしい。写真で見たトンネルのところに着く。

 

 

 

ここでしばらく待つ。佐多岬はいま観光地化のため絶賛工事中で、再来年の春に完成予定だそうだ。そういえば写真で見た景色と違う感じだった。片山と合流して15分ほど歩いて先端部へ。

 

 

12:00.ついに日本縦断達成である。看板が立っているところは六甲山の頂上並みにさっぱりしたところだった。これから豪華になるんだろうか。ゴールしたらさぞかし感動するんだろうなと思っていたが特に何の感情を起きなかった。きっと帰ってから少しづつ実感していくものなのだろう。

 

根占港に戻り、フェリーで薩摩半島へ。そこから電車と新幹線を乗り継ぎ、家へと帰りました。

 

 


 

 

 以上で活動レポートは終わりです。長いレポートでしたが読んで頂きありがとうございました。