隊長:かんざき いのうえ りゅう しげた なかむら くぼ さかうえ
記録:さかうえ
3月13日
20時に箱崎ルミエールに集合。天気は曇天。買い出しを行い、ラーメンをひっかけ、22時過ぎに天神バスターミナルに到着。片山先輩、下野先輩、村岡先輩が見送りに来てくださった。みかんを受け取り、その場で食す。23時40分に桜島号に乗り、出発。0時50分頃に消灯。初めての夜行バスだったので、二回ほど目が覚めた。先輩方もなかなか寝付けなかったそうで、5,6回目を覚ましたそうだ。
3月14日
6時00分鹿児島中央駅に到着。眠たそうな人もいるが、おおむね気分良好。ただし空は曇り模様。

6時27分発の電車で国分駅へ。7時09分途中で乗ってきたたくさんの高校生とともに下車。7時25分にバスで霧島いわさきホテルへ。8時38分にいわさきホテル発高千穂河原のバスで登山口へ。9時20分に到着。天気は快晴に。雲量は1。そばにあった無料休憩所にメインザックを置き、サブで高千穂峰へ。自分と劉先輩が昼食用の食パンとジャム、バナナを詰め込んで登った。

神社のわきから入るルートで、説明板には「急な傾斜が続く」とあったが、それほど急だとは思わなかった。馬の背を臨む場所にあるちょっとした休憩場所で休憩をとる。なかなかの傾斜が目に入り、気合を入れなおす。休憩が終わり、火山らしい軽石が積もってできた道に入ると、非常に登りにくくなった。安定した足場が中々確保できない中、それぞれが登りやすそうなルートを見つけて馬の背へ。お鉢が一望できる位置まで登り切った時はとてもすがすがしかった。そこからはお鉢の周りを回る形で高千穂峰への降りへ。傾斜はほとんどなく、ほぼ砂利道。いったん降った先には小さな祠があり、「これお賽銭取れるんじゃね?」と中村先輩がいうほどに小銭が詰め込まれたお賽銭箱が置いてあった。そこからは山頂までほぼ直登だが、なかなかの傾斜で430mの道のりがとても長く感じた。11時25分登頂。山頂には2組ほどのグループがおり、食事をとっていた。我々も各々満足するまで写真を撮ると昼食に移る。食事はぺしゃんこになった食パンを男3枚女2枚ずつ、ジャム4種類、バナナである。バナナはかなりやわらかーくなっていた。

天気は快晴のまま風も少なく、絶好の登山日和といっても過言ではなかった。13時30分のバスに間に合わせるべく、12時に下山開始。30分ほどかけて登った直登ルートを10分で滑り降り、行きに祈願した祠で合宿の無事を祈願。お鉢周りは特に問題なかったが、その先の馬の背はすべる上に歯止めが利かず、非常に下りにくかった。しかし、久保先輩と中村先輩が端の方に砂利道を見つけてからは、そこを一気に駆け降りることができた。馬の背を臨む第一休憩所で休憩。そのあとは行きとは違う自然研究路ルートで高千穂河原へ。13時06分に登山口に到着し、13時30分発のバスで丸尾へ。丸尾から2㎞歩き、キャンプ場に到着。その途中でコンビニがあったので、隊の多くはアイスを買ったりジュースを買ったりしてしごくまったりとしていた。キャンプ場に着いたのが15時頃。キャンプ場はかなり広いが、我々のほかにだれもおらず、ど真ん中に生えていた木の近くにテントを設営することにした。しかし、自分と中村先輩の不手際で4テンのポールを持ってくるのを忘れていたことが発覚。6テンのみを設営し、数人外で寝ようという話になった。16時30分頃まで各自自由行動をすることになり、自分含め数人は貸しボールにてサッカーもどきをすることにした。16時30分頃から中村先輩の監修の下、ラーメンを作る。先輩謹製の干し肉で出汁をとり、パスタ麺に重曹を加えて中華麺を作る。出汁には海鮮の味の素などを入れて味を調え、キャベツ、もやし、ハムを加えてスープとする。各自それに麺をつけて食べるつけ麺風ラーメンになった。

とてもおいしく仕上がっており、中村先輩の食事にそそぐ情熱を垣間見た気がした。余ったスープに、重田先輩が持ってきた追いワンで余った餃子を入れて食べた。食事が終わり、後片付けをしているときにテン場の事務所のおばちゃんが、無料でSnowPeakの家庭用テントを貸してくれた。

少々手間取ったものの組み立てに成功し、寝るのは主にそちらを使うことにして6テンに荷物を詰め込んだ。しかし、自分と劉先輩は外で寝てみることに。自分は興味本位だったが、劉先輩はきたる自転車合宿に備えてとのことだった。夜は22時30分頃までテントの中でトランプ、ウノを楽しみ、5時30分に起きるべく早めに寝ることになった。
3月15日
外で寝袋にくるまってから、最初のうちは風もなく、晴れ間が広がりそこまで寒くなかったが、夜半を過ぎたあたりから冷え込みはじめ、3時30分を過ぎたころには寝ていられなくなった。快適な睡眠を求めるよりも半ば意地になって寝袋の奥に奥にと潜っていったが、4時30分には先輩ともども耐え切れなくなりテントの中にもぐりこんだ。テントのありがたみを痛感した。5時30分に起床、テントを畳み、朝食のパスタを食べる。自分は完全に風邪を引いたようで、鼻水がすんごいことになってしまったが、持ってきていたキッチンペーパー1ロールのおかげで事なきを得た。(帰宅時には38度超えてた)7時00分に出発し、丸尾①のバス停へ。朝食のうちに話し合ったいたようで、行程を変更し、大浪池登山口から登り、えびの高原へ降りるルートをとることになった。大浪池登山口から大浪池までは石段がほとんどであり、登り40分とあったが、20分で大浪池に到着、5分休憩をとる。昨晩の寒さのためか霜が降りているところや、水たまりが凍っているところなどがあった。
大浪池の向こうに見える韓国岳にメンバーの士気は高まった。その後大浪池をぐるりと回る形で韓国岳への直登ルートに向かう。40分ほどかかったが霜の降りた道を行くシャクシャクという音が耳に心地よく、また、葉が落ちて見通しがよくなった木々の向こうに見える山々はなかなか良かった。分岐が多くあり、わかりにくかったが、韓国岳へのルートにたどり着いたところで休憩。そのあとはひたすら階段階段階段である。


アップダウンではなくアップアップの道にやや心が折れそうになるものの、SLの劉先輩にくっついて登った。山頂に近づくにつれ丈の低い木が増え、着氷も見られるようになった。風を遮るものがなく時折強風が吹いたりしたが、11時20分頃に無事登頂。


天気は昨日同様快晴。風がやや強く、時折着氷した雪が舞いあげられたりしていた。遥か向こうに桜島を臨むことができたが、名前の由来となった韓国は見えなかった。13時のバスに乗ろうという話になり、食事もとらずに下山開始。途中吹き上げる風にやや辟易としつつも12時40分ごろにはえびの高原のバス停に到着することができた。そこでまた予定を変更し、15時50分に出発するバスに乗ることにして、近くにあったえびの高原荘の温泉に入って昼食をとることにした。えびの高原荘の温泉は殆ど貸し切り状態で、露天ぶろやサウナもあり、ゆっくりと1時間ほどつかることができた。昼食はえびの高原のバス停のそばにあるうどん屋で取ることになった。そこは土産屋も一緒になっており、食事と土産選びで時間を潰してバスに乗った。バスで霧島いわさきホテルに着いたのが16時15分頃であり、国分駅行のバスが来るのが16時55分だったため、やや時間つぶしをすることになったが、あいにくと時間を潰せるような場所もなく、寒風吹きすさぶ中40分ほど待つことになった。16時55分にバスが来て、国分駅に着いたのが18時ごろ。鹿児島中央駅に着くころには辺りは暗くなっていた。鹿児島中央駅に着いた時点で夕飯をとることに。駅構内の飯屋ではなく、外に出ることに。何軒か回って座れそうな店を見つけそこに入ることに。「サフラン」という名前のカレー屋で奥様と旦那様の二人で営んでいる様子。「ジャンボ黒豚カツカレー」と「スペシャル黒豚カツカレー(?)」を大体半々で頼んで食べた。

もう25年ほどカレー屋を営んでいるらしく、期待大。なお、旦那様の方は九産大の出身らしく、話が弾んでいた。また、備え付けのテレビでWBCの日本vsイスラエル戦を放送しており、自分と劉先輩はもっぱらそちらを気にしていた。出てきたカレーは大変おいしく、ボリューム的にも満足のいく品だった。食後にアイスもついてきて、また機会があれば来たいと思った。そのあとは、鹿児島中央駅の屋上にある観覧車に乗ることになった。2グループに分かれてどちらもシースルーゴンドラに乗ることになり、自分は重田先輩と劉先輩と一緒に先に乗ることになった。ゴンドラには中から見える街並みについての絵と説明がついており、それによると天気が良ければ桜島まで見えるらしい。

中村先輩は高所恐怖症とのことで、降りてきたときに神崎先輩がとても楽しそうだったのが印象的だった。その時点で時刻は21時前になっており、「サフラン」の近くにあるカラオケ屋で2時間ほど潰すことにした。てっきり2時間歌い倒すのだと思ったら、おもむろにウノを取り出し、2時間のウノ大会が始まった。最初に勝った人が歌うという、罰ゲームなのか勝利者特権なのかよくわからなかったが、「これが『ワンゲル流正しいカラオケの利用の仕方』だよ。」と言われて、なんとなく納得してしまった。ちなみに歌ったのはもっぱら中村先輩、劉先輩、自分だった。23時を過ぎたあたりでカラオケ屋を辞し、バスターミナルへ向かう。23時20分頃バスターミナル着。23時35分にバスに乗る。行きのバスとは違い、乗客もそれなりに多かったが、風邪と、合宿の疲れのためか即爆睡。起きることはなかった。
3月16日
6時00分頃天神バスターミナルに到着。直前まで寝ており、ややばたばたとしたが、全員特に忘れ物もなく無事帰還。天神バスターミナルで解散。お疲れ様でした!