九州大学ワンダーフォーゲル部

2016年冬に作りました。九州大学ワンダーフォーゲル部公式のブログです。部活動の内容を紹介していきます。

九州一周自転車旅 2021.03.22~04.04

2021-05-16 14:51:16 | 個人活動(チャリ)

参加者:齊藤(嵩)、齊藤(大)

文責:齊藤(大)

 

はじめに

2021年3月22日から4月4日まで、ロードバイクで九州一周の旅をしました。今後ワンゲラーの中で僕たちと同じように自転車旅をする人が出てきた時に、少しでも参考にしてもらえたらと思いこのブログを書きます。とんでもなく長いです。

前半は装備の紹介なので、自転車で旅する予定がない人は、旅の記録から読んでください。

 

旅の概観
 
 

期間:2021年3月22日〜4月4日(14日間)

総距離:1643.43キロ

総ライド時間:71時間25分

費用(旅行中):61,957円

 しっかりと海岸線を走って納得の「九州一周」ができました。一日の走行距離もほとんど100キロ前後だったので、身体が筋肉痛で動かないとか、きつすぎてもうやめたいと思うこともほとんどなく、健康的な旅でした。むしろ日数を重ねるごとに脚力がついて、どんどん漕ぐスピードが上がっていったぐらいです。天気にも恵まれ、走行中に雨に降られたのは最終日の一日だけだったのは、今回の旅がスムーズに進んだ大きな要因であることは間違いない。全体的に見て、今回の九州一周自転車旅はとても充実した納得の旅となりました。

 
装備
 <自転車>
 ・ロードバイク・リアキャリア×2・フレームバッグ・サドルバッグ・ヘルメット・ボトル(700ml)・トゥークリップ・サドルカバー・鍵

相方が紹介してくれたトゥークリップが想像以上に優秀でした。登りの時だけではなく下りの時も、足の力がしっかりペダルに伝わっている感じがしてグングン進むことができた。

 

<キャンプ道具>
 ・寝袋・テント(2人で分担)・銀マット・サンダル・アウトドアバーナー、ガスヘッド・食器(箸、コッヘル、マグカップ)・ヘッドライト

普段から山で使っている道具で十分です。テントは二テンを2人で使いました。結構キツキツではありましたが、工夫すれば足を伸ばして寝られるし、何より四テンとかだと荷物が多くなってしまうので、二テンに2人はちょうどよかったんじゃないかと思います。

 

<衣類>
○行動中
・ワンゲルT・アームカバー・サイクルジャージ下(お尻にパッドの入ったもの)・バギーズショーツ・靴下・ランニングシューズ・サイクルグローブ・サングラス・レインウエア

上半身は半袖Tシャツにアームカバー、下半身はサイクルジャージにバギーズショーツという格好で毎日走りました。毎日百数キロをサドルの上で過ごすことになるので、お尻にパッドの入ったサイクルジャージはあったほうがいいと思います。ただ、サイクルジャージだけだとガチ感がでて嫌だなと思ったので、自分はその上に短パンを合わせました。風よけのジャケットはレインウェアで兼用。これももちろん普段から山で使っているもの。

○予備、街着
・山Tシャツ・ハイキングパンツ・靴下・下着×2・薄手のダウン・キャップ

ホテルに泊まった時に着る用の衣服と、下着や靴下の替え。衣類が一番嵩張るので、どこまで妥協できるのかは大事かもしれないです。もちろんお洒落はできない。自分は長期縦走の後の下界に戻ってきた時用に持っていく服と同じ感覚で選びました。キャップはずっとヘルメットをかぶっていて髪がぺちゃんこになるので、ヘルメットをとって街中を歩く時にかぶるように持って行きました。

 

<衛生用品>
・歯ブラシ・予備コンタクト×3・コンタクトケア用品・眼鏡・薄手のバスタオル・タオル×2・汗拭きシート・日焼け止め・ティッシュ・マスク

日焼け止めは一日目の夜にドラッグストアで買いました。日焼け止めを毎日塗ってもかなり日焼けしたので、なかったら皮が剥けたりして悲惨なことになっていた気がする。

 

<自転車整備用品>
・替えチューブ・ミニ空気入れ・タイヤレバー・マルチツール・リペアパッチ・チェーンオイル・針金・ミニペンチ

パンクを修理できる道具は必須です。街の中でパンクするならいいけど、山の中でパンクして修理道具がなかったら絶望です。チェーンオイルはあったほうが快適。何日も漕いでると、だんだんチェーンがうるさくなるので定期的に油をささないと結構ストレス。針金、ミニペンチは途中のホームセンターで購入。何かしらネジが外れたりすることがよくあったので、その度針金で補強していました。

 

<電子機器>
・GoPro9・GoPro予備バッテリー×3・モバイルバッテリー(10000mAh)×2・その他充電ケーブル・イヤホン

一生に一度のことだし、せっかくなら動画に残そうと思ってGoProを購入しました。純正のハンドルマウントに走っている時は常にハンドルの上につけていて、景色な綺麗なところで電源を入れて動画をとるというスタイルでやりました。片手を離してカメラを操作すると危ないかなと思ったので、音声ガイドをオンにして基本的には声で操作していました。GoProで一つ失敗したのはGPSをオンにしていなかったので、あとでまとめる時にどこで撮った動画なのかを調べるのが大変でした。

 

<ウエストポーチ>
・財布・スマホ・行動食

一番よく使うものはウエストポーチに入れてすぐに取り出せるようにしていました。ずっとつけていて腰が痛くなったりすることもなかったし、買い物の時などにいちいち荷物の中から財布などを探す手間が省けるので結構おすすめです。

 

アドバイス

・自分たちが行った、3月後半から4月の頭にかけては天候もある程度安定していて、気温も寒くもなく暑すぎもせずにちょうどいいので、このような長旅をするにはいい季節なのではないかと思います。

・朝早くに出発して午前中のうちにその日の行程のある程度を進んでおくのがおすすめです。特に海岸沿いを走る時は、気温が上がるにつれて風が強くなるので、風が少ない朝のうちに通過するのがいいです。どんなに天気が良くても風が強いと全然進まない。

・計画はいく前にあまりガチガチに決めすぎない方が良いと思います。絶対に予定通りには行かないから。自分たちは、いく前に大まかなルートと距離絶対に行きたい場所だけ決めて、あとはその日にテントについた後に次の日の詳細な予定を決めるというスタイルでやりました。その日の体調や進み具合によって柔軟に予定を変えていったので、結果的には予定より一日早く帰ってくることができました。

・人数は2人が最適な気がします。1人だと寂しいし、3人、4人だともう一つ大きなテントやホテルの部屋が必要。自転車で走っている時も隊列が長くなると車からは迷惑かも。また、これだけ長い時間ずっと一緒にいるので、人数が多ければ多いほど余計に気を使うことが増える。何よりも次の予定を立てる時に意見をまとめるのが大変な気がします。

 

九州一周の記録

一日目 3月22日 糸島〜北九州

10時に相方の家に集合して、最終打ち合わせ。その後、やまにくの焼肉ランチでパワーをつける。いよいよ始まるのかという気持ちもあるが、これから始まる日々が想像もできないので、実感が湧かずになんだかフワフワした気持ち。

13時40分、出発。出発らしい写真を撮りたいよねということで、まずは桜が見頃の大濠公園を目指す。

14時35分、大濠公園着。予想通り桜が満開で、歩道のはしに自転車を並べて出発の記念撮影。たくさんの花見客から、荷物をくくりつけたロードバイクを物珍しそうにみられる。これから毎日「この人たち何してるんだろう」という視線を浴びることになるのだろう。

写真を撮り終えて再出発。天神の街を駆け抜ける。車と信号が多いのでなかなかスピードが上がらないが、これから走る道のなかで一番の都会を走っているはずだからと言い聞かせてあせらずに進む。

途中、九大の本物の正門を通過したり、バイパスを自転車で走っていいのか悩んだりしながら、18時30分ごろ北九州に到着。キャンプ場に向かう前に、商店街で夕食を済ませる。有名な鉄なべに行こうとするも、すでにお客さんでいっぱいで、待ちきれずに斜め向かいのお好み焼き屋さんに入ることにする。

ミックスお好み焼きを平らげた後、ワンダーフォーゲル部(通称ワンゲル)の部会があったのでドラッグストアの駐車場で参加。そのまま明日の朝食と行動食を購入してキャンプ場に向かう。

21時ごろキャンプ場に到着。すでにお洒落キャンパーが3組ほどテントを張っていたので、入り口近くの木の下にテントを張る。隣に並ぶ立派なテントを横目にこの旅はじめての夜。彼らとは違って我々にとってのキャンプは、目的ではなくて単にその日に寝る場所を確保する行為だと二人で息巻いてはみたものの、焚き火の炎を隣で見ると、羨ましいという気持ちは拭えない。

ドラッグストアで買ったレモンサワーを飲み干して寝袋にくるまった。

 

二日目 3月23日 北九州〜国東半島

6時に起床。昨日は真っ暗になってからキャンプ場に着いたので気づかなかったが、テントを張った木は桜が満開だった。バーナーでお湯を沸かして、昨日買っておいたインスタント味噌汁とパンで朝食をすませる。

8時30分に出発。若戸大橋は自転車が通れないので、若松渡場から市営の渡し船に乗る。船は生活の足になっているようで、通勤の人で賑わっていた。乗船時間はわずか5分程。船を待っている間に橋をバックに写真を撮るなどする。

対岸に渡ったら、北九州の街中を抜けて福岡県脱出を目指す。と、ここで相方がはじめてのパンク。河口付近の気持ちの良い道で、GoProを片手に後ろを振り返って動画を撮っていたら、道のでっぱりに乗り上げてしまったようだ。

いつか必ずパンクするとは思っていたので、2日目にパンクをしても2人ともそんなに動揺はしなかった。何回かタイヤを修理をしたことのある相方は、手際良くチューブを替えていく。僕は手伝うこともできないので、のんきに動画なんかを撮ってみる。20分で何事もなかったかのように再出発。相方のパンク修理がスムーズすぎたので、あまりパンクの経験がない僕は、これでパンクしても安心だな、なんて思っていた。

12時頃、行橋を超えて、築城に向かう何もない田舎道で突如として空腹に襲われる。お昼を食べたいとは思うものの、お店はおろか家すらほとんどないような場所でハンガーノック直前まで腹が減った。耐えられずにやっと現れた唐揚げ屋さんに駆け込む。昼食を目前にしてレストランではなく唐揚げの専門店に入るくらいには空腹だった。揚げたての唐揚げがしみる。

航空自衛隊基地前のドライブインでお昼を食べた後は順調に進み、16時ごろ、今日のハイライトである真玉海岸に到着。日本夕陽百選にも選ばれている、美しい海岸だ。

陽が沈むのを待っている間、途中で外れたトゥークリップを針金で固定する。こういう長旅では、壊れたものを自分で修理するDIY精神は結構重要なのではないかと思う。日頃パンクの修理でもなんでも、お金を払ってお店の人にやってもらうが、旅の途中にお店も何もないところで壊れたら、自力で修理する他はない。これからは普段の生活でもなるべく自分の持ち物は自分でなんとかできるようにしよう、なんてことをペダルに針金を巻きながら思う。

真玉海岸の夕陽のきれいさは写真じゃ到底伝わらないので、是非観に行ってみてください。

 

三日目 3月24日 国東半島〜湯布院

3日目はちょっとしたハプニングから始まった。キャンプ場だと思って寝ていたところが、実は廃ホテルの芝生広場だったのである。

昨日は夕陽が沈んでからキャンプ場に向かったので、ついた時には真っ暗で場所がわからなかった。ちなみに本来泊まるはずだったキャンプ場は少し先の坂の下にあって、オーシャンビューで良い感じのところだった。海からの日の出を逃したと思うと少し惜しいが、この先も海の隣のキャンプ場にいくつか泊まる予定であるので一回くらいはご来光を拝めるだろう。

今日は帰省中のワンゲルの友人が別府まで応援に駆けつけてくれる予定である。友達がわざわざ会いに来てくれるというのはとても嬉しい。ペダルを踏む足にも自然と力が入る。

国東半島は、サイクリングロードがあったりしてとても走りやすかった。海がきれいに見える道で、適度にアップダウンもあって気持ちがいいルートなので、輪行をしてサイクリングするのもすごく良いだろうなと思う。

11時ごろには別府に入る。久々に”街”という感じである。友達との待ち合わせにはまだ時間があったので、アサヒでタイヤの空気とチェーンの油を差してもらう。なんとなくブレーキの利きが悪い気がしたので、念のためブレーキ調節もしてもらう。こちらは有料だが、これから先ブレーキが利かなくて事故るよりは良いだろう。

12時すぎに友達と合流。待ち合わせ場所からおすすめのお店までは少し距離があるということで、実家のデリカで駆けつけてくれた。この車がアウトドア仕様でめちゃカッコ良かった。車に乗ってしばし文明の力を感じる。

ここまで自転車で漕ぎ続けると、車というのはとんでもない発明だと思う。自転車では下り坂で全力で漕いでやっと達するようなスピードに、アクセルをひとふみするだけで到達することができる。なにより、移動をするのに身体的な疲労がほとんどない。

お昼ご飯は、友達おすすめの別府冷麺。本州出身の僕としては、冷麺といえば盛岡冷麺と思っていたので(本場の盛岡冷麺は食べたことないが...)別府の冷麺が有名だというのは知らなかった。さっぱりしていてとても美味しい。

友達とも会ってなんだかのんびりした気分であるが、3日目はここからが本番であった。今日のうちに湯布院まで行って、明日はやまなみハイウェイにいく予定である。

別府市街から湯布院を目指す。途中、立ち寄ったコンビニで臼杵市の市議会議員をしているという方に、部屋が余ってるから連絡してくれれば泊めてあげる、と言っていただくが、残念ながら臼杵はルートには入っていない。行きません、と言うのもせっかくの厚意を踏みにじる気がしたので、曖昧な返事をしてその場を後にする。泊まることができていたら、一期一会という感じでこのブログのネタになったかもしれない。

さて、湯布院へ向かう道中である。皆さんご存知かどうかはわからないが、別府から湯布院というのは想像以上に山である。ほぼ海抜ゼロメートルから由布岳の横を通るといえばわかっていただけるだろうか。ひたすらにヒルクライムである。2人でペースを合わせるとお互いのペースが違ってますますしんどくなるので、この区間だけはお互いのペースで進むことにする。

今回の旅で一番大変だったのはどこかと言われたら、間違いなくこの山越えだろう。なにせこちらはヒルクライムなどしたことないのである。ただただキツかった。フーフー言いながら、ちょっとづつちょっとづつ進んでいく。休憩で相方と合流した時、相方がスマホから音楽を流していた。俺もそうすれば良かった。一人で黙々と登るのはさながら修行のようであった。

そんなこんなでようやく湯布院に到着。当然観光などする元気はなく、早めの夕飯を食べて、宿に直行。今夜はこの旅初めての宿泊である。貧乏旅なので、ユースホステルの二段ベッドだが温泉完備でかなり快適だった。車といい宿といい、今日は普段の生活の快適さを感じる一日だった。

就寝前、明日の予定を立てる。予定ではやまなみハイウェイを通って阿蘇まで行き、その後また海沿いに戻ってくる予定であった。が、二人とも今日の山越えでヒルクライムの大変さをいやというほど思い知ってしまった。満場一致で明日は予定を大幅に変更して、すぐに海沿いにでて南下することにした。

 

四日目 3月25日 湯布院〜佐伯

宿で朝食をいただいて、8時に出発。昨日標高を稼いでいたおかげで、大分市内までの道のりはなだらかな下りが続き、スイスイと進んでいく。朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。

大分の有名なオムライス屋さんでお昼ご飯。開店直後に入ったのですぐに座ることができたが、お昼時になると続々とお客さんがやってきて、たちまち店内はいっぱいになった。

そこからはひたすらに漕ぎ進める。今日のルートはもともとの予定とは違うので、途中立ち寄るような場所もなく、ただ足を動かし続けるだけである。

16時すぎには佐伯市に入る。もともと通る予定ではなかったので、この辺りにはキャンプ場がない。運動公園があったのでなんとかそこで寝られるだろうということでやってきた。

ほっともっとでのり弁を買って、運動公園を目指していると良さげな河川敷を見つけた。橋の下なら夜露もしのげそうである。今夜の宿をここに決定する。後にも先にも、橋の下で寝たのはこの時が最初で最後であった。

今日は本当に「移動」という感じだったし、人生ではじめて橋の下で寝るのでなんだか心が休まらない。旅も4日目を終え、福岡からもだいぶ離れてしまった。もう進むしかない。

4日目にしてこんな調子で、果たして無事に帰ることができるのだろうか、まだ全行程の三分の一も終わってないのか、などなど、ぐるぐると考えてしまう。おまけに、疲れがたまっているのか足首がズキズキと痛い。身体の節々も痛みだした。「帰りたい」という気持ちが顔をだす。

そんな思いを断ち切ろうと、いつもより早く目をつぶってみるものの、結局夜中に何度も目が覚めてしまった。

気分は最悪である。

 

五日目 3月26日 佐伯〜高鍋

5時半にアラームが鳴る。なんとか無事に夜を越すことができたようだ。おじさんが朝日を撮りに河川敷に来ていたが、僕らのことは気にもとめず、ひたすら写真を撮っていた。朝食をとりつつテントをたたんで出発。今日はついに大分を抜けて宮崎に入る。

大分から宮崎に入るには山を超えなくてはならないが、峠道にはまったく車がいなかった。山を穿つように高速が通っていて、かつそれが無料区間なので、宮崎に向かう車はほとんど高速を通るのだろう。

傾斜はきついが、まったく車が通らないので、道全体を使ってゆっくり登っていく。途中で、ジグザグに登っていくと足の負担を減らせることに気づいた。ゲームの攻略法を見つけたみたいで、登り道が楽しくなる。

3日目にはあんなにキツかったヒルクライムを楽しんでいる自分がいる。これでまた一つ自分の限界が広がった気がした。

峠を超えたら、いよいよ宮崎県に入る。のどかな田舎道を抜けて延岡へ。

峠越えで疲れた身体を休めるためにドラッグストアの駐車場で休憩をしようとしたのだが、日陰が全くない。心なしか宮崎に入ってから日差しが強くなったような気がする。刺すような日差しに照らされて休めやしないので、日陰を求めて少しブラブラすることにする。

自転車を押して歩き始めた途端「プシュ〜」と気の抜けた音が後ろから聞こえてきた。何かと思って振り向くと、相方の後輪がぺちゃんこになっている。この旅2回目のパンクである。

仕方がないので道端でタイヤのチューブを替える。相変わらず相方はてきぱきとチューブを替えていく。途中、目の前の家からおじいさんが出てきて「どうしたね」と聞いてきたが、パンクですというとすぐに帰っていった。

パンク修理を終えたら、延岡駅に自転車をとめてチキン南蛮発祥のお店へ。パンクに時間をとられていて、お昼時ど真ん中についてしまったので、店の前はすでに大行列である。

僕はあまり食にこだわりがない、というか何時間も待つんだったら別のところでよくね?となってしまう性分である。対して相方は、料理がめちゃくちゃうまくてグルメであるので、食べたいと思ったものをきちんと食べたいと思う性格である(と、僕は理解している)。

この時も僕は「別のところでよくね?」と正直一瞬思ったのだが、本場のチキン南蛮というのと、そんなには待たないはずという相方の言葉もあって並ぶことにした。

結果は、本当に並んでまで食べてよかった。そんなに待たずに店内に入ることができたし、何よりチキン南蛮が絶品だった。

もしあの時、並ぶのをめんどくさがって他のお店に入っていたら、とてももったいないことをしただろうなと思う。それと同時に、俺は今まで何回くらい「めんどくさいから」と、美味しいことや楽しいことを逃してきたんだろうかとも思った。

これが一人ではなくて二人で旅をしてよかったと思うことの一つである。極端な話、相方がいなければ「早いから」という理由で毎日コンビニ弁当だったということもありえたかもしれない。でも価値観の異なる相方がいてくれたおかげで、この旅ではしっかり食事も楽しむことができた。

この日は二人でよかったと思うことがもう一つあった。元々の予定では、川南町のキャンプ場で泊まる予定だったのだが、結局もう一つ先の高鍋まで行くことになった。きっかけは相方が風呂に入りたいと言ったことだった。

僕は完全に旅モードで、数日間お風呂に入れないことはなんとも思っていなかったのだが、相方はしっかり街の感覚が残っていて、風呂に入りたいと言ってくれたのである。

よく考えてみればそれもそうだ。お風呂に何日も入らないという状況は、登山で慣れていると思っていたけど、それは山だから許されるのである。山に入ってしまえばそもそもお風呂がないのだから、何日かお風呂に入っていないことは何も言われない。

けれど、僕たちは今、街のど真ん中にいるのである。貧乏旅をしているとはいえ、街で ”風呂に入らないこと” と、”不潔” はイコールであるとみなされる。その感覚が僕はすっぽり抜け落ちていた。

ということで、二人で近くの温泉を探す。相方は予定通り川南のキャンプ場で泊まって、少し離れた温泉に入りに行こうと考えていたようであるが、僕は高鍋に温泉があることを見つけたので、もう少し進んでから温泉に入ろうという提案をした。

順調に進んでいたのでまだ時間に余裕はあるし、幸いなことに高鍋にも良さげなキャンプ場があった。予定を変更して、僕が考えたルートで温泉に向かう。

相方がお風呂にいくことを提案して、僕が最適なルートを思いつく。今まで相方に助けてもらってばかりだったが、ようやくここで自分も役に立つことができたはずである。

温泉は至高であった。多分今まで入ったお風呂の中で一番気持ちよかった。何より最高だったのはサウナである。なんてことないサウナだったのだが、僕は人生で最高にととのった。

足首の痛みも、昨日橋の下で寝て不安だったことも、一切の雑念がすーっと消えていった。このサウナのおかげでこの先の旅は快調だったと、振り返ってみると思う。

地元の名物スーパーで変な名前のついたお弁当を買って、帰路につく。奮発して買ったビールが最高においしい。

 

六日目 3月27日 高鍋〜志布志

今日も5時半に起床。海岸沿いは昼間になるととんでもなく風が吹くので、朝早くに出発して、陽がのぼりきる前にある程度の行程を消費してしまうというのが我々のスタイルである。テントから出ると、夜明けの海がお出迎えしてくれた。

今日の夜から明日の朝にかけて雨の予報だったので、なるべく早くキャンプ場について雨に備えたいところである。そのために宮崎市内はほとんど素通りすることとなった。

知り合いのサーファーが常々「宮崎に行って波に乗りたい」と言っていたのがうなずけるほど、宮崎の海は綺麗で荒々しかった。僕はサーフィンをしないからわからないけど、サーファーの人からしたら、自転車なんか乗り捨てて今すぐ海に入りたくなるんだろうな、なんて思いながら海沿いの道を進んでいく。

アップダウンがまあまああったので、本来はきついはずである。けれども綺麗な海を横目に走っていると、あまりきつくないから不思議だ。これだけでも海沿いを走る価値はあると思う。まあ、風が強くて海沿いなんて走るんじゃなかったと思う時もあるんだけど。

日南市に入り、有名なモアイ像があるサンメッセ日南に立ち寄る。自転車をモアイ像に立てかけて記念写真を撮ろうと思っていたのだが、なんとなんとモアイ像を見るのには入場料800円がかかるのである!知らなかった!おまけに自転車は中に持ち込めない。

単純にリサーチ不足であるし、せっかくここまできたからと思って800円を支払う。入ってしまえば、それまでの文句はどこかへいってしまい、モアイ像との記念写真を楽しんだ。

サンメッセを後にして漕ぎ進み、16時すぎにはキャンプ場に到着。今日のキャンプ場はきちんと管理されている有料のキャンプ場である。

受付で使用料を払ってテントを張る。キャンプイベントかなにかだろう、小学生たちが元気にドッヂボールをしていた。にぎやかな夜になりそうだ。

旅も折り返しが近いということで、二人で愛車の整備をする。僕は一度外れたトゥークリップの補強と、ネジがとれていた荷台に針金を巻きつける。相方は相方で、もうパンクしたくないからということで、買ってあったタイヤに交換している。

22時すぎ、雨粒がテントにあたり始めた。急いで荷物をまとめて屋根のある東屋に避難する。

管理人さんに事前に許可をもらっておいてよかった。これで、夜中にどれだけ雨が降っても、びしょ濡れになることは避けられそうである。明日はいつ雨がやむかな、なんて考えながら六日目が終わった。

 

七日目 3月28日 志布志〜垂水

6時すぎに目が覚める。東屋に避難していたおかげで、快適に夜を越すことができた。夜中に結構な量の雨が降ったようで、駐車場には大きな水たまりができていた。

雨が降ることはわかっていたので、今日は雨が止んでからゆっくりと出発することにしていた。予定よりも早く進んでいる分をここで消費する形だ。

雨が止むのを待っている間に、これからの予定を立てる。自転車を漕ぐのにも慣れて、スピードが上がっているので、予定よりも早く福岡に帰れそうだ。

「よくここまで来たな〜」なんて話していたら、小雨になってきたので出発の準備。昨日とは違う管理人さんがやってきて「ここ、無料のキャンプ場じゃないから」と言われたので事情を説明する。

12時すぎに出発。もうお昼なので、通り道にあったちゃんぽん屋さんに入る。大将が個性的なお店だった。野菜たっぷり大盛りちゃんぽんを平げる。

距離的にはいつもの半分くらいなので、のんびりと進む。雨もあがって、ほとんど濡れることなく進むことができた。雨に濡れることを予想していたので今日はホテル泊である。

泊まるのはホテルAZ。九州全土にやたらとあるビジネスホテルだ。今回の旅でも、通った街にはだいたいAZがあった。それくらいあるので、これから先もお世話になるかもしれないと思って、チェックインの時にメンバーズカードを作ってしまった。

ホテルの隣にある道の駅で夕飯の買い出しをする。ちょうどお弁当が2個残っていたので、それを買った。レジのおじさんが言うには、いつもならこの時間にお弁当は残っていないそうだ。今日は雨だからお客さんが少なかったのかもしれない。

部屋に戻って夕飯を食べたら、特にやることもないのでいつも通りの時間に布団に入る。道の駅で買った本場のさつま揚げはとてもおいしかった。

 

八日目 3月29日 垂水〜鹿児島

 

7時からの朝食バイキングをお腹いっぱい食べて、AZを後にする。目の前には昨日見えなかった桜島。今日はいい天気になりそうだ。

今日は桜島をぐるっと回って、鹿児島市内を目指す。昨日あまり進めなかった分、今日は頑張って漕がなければならない。

もう七日間も道路を走っていると、普段は気づかないようなことが目についたりするようになる。例えば道路標識。道路標識や看板はその土地の特徴を感じさせてくれるのだ。

桜島に近づくにつれて、「降灰によるスリップ注意」なんていう標識があちこちに出てくる。そんなものは他の場所では見たことがない。桜島が生きた火山であることを感じさせてくれる。

桜島をぐるりとしたら、霧島を通って鹿児島市内へ。白くまの本店に行って、巨大な白くまを食べる。時刻はまだ14時前。今日も余裕で日程を消化できたな、なんて白くまに舌鼓を打ちながらのんきに思っていた。

キャンプ場に向かう途中、アサヒに寄って自転車を整備してもらう。旅も折り返しなので、後半も安全で快適な旅ができるように、メンテナンスをしてもらった。お兄さんが優しくて、本来はお金がかかることまでサービスをしてくれた。

アサヒを後にしたら、キャンプ場へ。今日も時間がありそうだし、テントを張ったら、昨日ダウンロードしておいたラジオでも聞いて時間をつぶそうかな、なんて思っていた。

しかしこの後、私たちは冷戦時代を迎えることになる。

横断歩道を渡った時、相方の後輪がパンクした。整備をした直後に。昨日、タイヤ本体を替えたばかりなのに。

この時タイヤに食い込んだ釘は、僕たち二人の関係にも亀裂を生じさせることになった。

3回目のパンクということ、空気を入れてもらった直後ということ、ここまで120キロ以上を漕いだ疲労などが積み重なって、相方はキレた。

大きい声を出したりとかそういうことはなかったけど、キレているのがはっきりとわかった。それを見て僕の中に生じた感情を正直に書けば、それは「なんでお前がキレるの?」である。

僕はまだ一度もパンクしていない。相方がパンクするたびに先に進めず、待たなければならなかった。しかももう3回目である。こんなに何回もパンクしてるのに、待たせてごめんくらいの言葉はないのか?キレたいのはこっちだよ。とその時の僕は思ってしまった。

冷静になって振り返ると、相方は相方で「なんで自分だけ」という思いがあったのだろうとか、そういうことに想いを巡らせることができるのだが、あの時はお互い頭に血がのぼっていて、冷静になんていられなかった。

八日目にして二人の仲は最悪である。

そんな状態でパンクの修理を冷静にできるはずもなく、力任せにはめたチューブが破けてしまって、ますます空気が悪くなった。結局その日はパンクを直すことができず、自転車を押してキャンプ場に向かった。もちろん道中は無言。あたりはすでに真っ暗だ。

予備のチューブを無駄にしてしまったので、明日はまず、チューブを買ってからでないと出発できない。お店が開いてから出発するとなると、そんなにたくさんは進めないだろう。

明日は相方が楽しみにしていた指宿の砂蒸し風呂に寄る予定であった。僕としては、観光よりも予定をしっかり進めたいという思いがあったので、明日の出発が遅れる分、砂蒸し風呂には寄らず、先に進もうと提案した。しかし相方は、明日進む距離が短くなって全体の行程が遅れたとしても、どうしても砂蒸し風呂には入りたいという。

お互いがお互いに「今さら何を言ってるんだ」と思ったのだろう。結局それ以降言葉を交わすこともなく、僕はいつもより1時間も早く寝袋に入って、不貞寝した。

 

九日目 3月30日 鹿児島〜枕崎

「おはよう」

どちらから言ったのかは覚えていないが、その言葉で九日目は始まった。人間の脳はよくできているようで、寝て起きたら昨日のイライラはどこかにいってしまっていた。

昨日あんなことがあったので、お互いどこか気まずさはあったけれど、朝ごはんを食べて今後の予定について話し合う。

結局、指宿の砂蒸し風呂に寄って、枕崎に泊まるということで話がまとまった。そうと決まればあとは出発するだけなのだが、タイヤがパンクしたままなので、昨日のアサヒに歩いて向かう。

歩きながらいろんなことを話した。部活のこと、大学のこと、将来のこと、、、。昨日のわだかまりはどこへやら、以前よりも相方とより深く話し合えるようになった気がする。

昨日のアサヒに行ったら、お兄さんは今日もお店にいて、パンクを修理してくれた。流石にパンク修理はおまけしてくれなかったけど。

ようやく態勢が整って、指宿に向けて出発する。昨日あんなに文句を言っていたのに、砂蒸し風呂が楽しみな自分がいる。

13時すぎに指宿の街に入る。商店街でお昼ご飯を食べて砂蒸し風呂へ。砂蒸し風呂は不思議な感覚だった。身体の芯からじわーっと温まっていく感じ。気持ち良くて寝てしまいそうになる。

大満足の砂蒸し風呂を後にして、一路、枕崎を目指す。鰹が有名な街というのは知っていたが、枕崎について知っていることと言えばそれくらいであった。

ただ、それで十分だった。街に入る前から、鰹節の匂いがプンプンする。文字通り、枕崎は”鰹の街”だった。駅前の居酒屋で鰹丼を食べて、キャンプ場へ。今夜のおつまみは鰹のたたきだ。

海を見ながらの晩酌。昨日はいろいろあったけれど、過ぎてしまえばいい思い出だ。二人で、昨日は大変だったね、と振り返ってみる。

今日で南下は終わり。明日からは我が家を目指して北上する。

 

十日目 3月31日 枕崎〜水俣

太陽が顔を出す前に起きる。今日泊まったのは「火之神公園キャンプ場」。オーシャンビュー、きれいに整備された芝生、清潔なトイレ、そして無料のキャンプ場である。

長かった鹿児島も今日で終わり、目指すは水俣。曇り空の中ペダルを漕ぎ始める。昨日はおいしいものを食べて、きれいなキャンプ場でぐっすり寝られたので、身体も快調だ。

枕崎から南さつままでは、結構な山道でしんどかったが、まだ朝早くだし、こんなところで疲れてなんていられない。がんばって坂道を登る。

そういえば鹿児島ではロードキルを見かけることが多かった。車にはねられた野生動物って誰がどうやって処理してるんだろうね、なんて相方と話しながら横を通り抜ける。ふと、一歩間違えば俺たちもああなりかねないなと思ったり。安全運転でいこう。

阿久根の食堂でお昼ご飯。テレビでは春の甲子園が流れている。もう準決勝らしい。今年は甲子園を一試合も観ないで終わってしまいそうだ。

あとはひたすらに漕ぎ進める。鹿児島と熊本の県境は、山越えをしなければならないと勝手に身構えていたのだが、思ったより山道ではなく拍子抜け。

14時半ごろ、熊本県に入る。なんだか嬉しくて、看板をパシャリ。旅の終わりが刻一刻と近づいている。

この日泊まった場所は、トイレが使えないとか蛇が出るとか、Google マップのレビューで酷評されていたので、無事に夜を越せるか心配だった。しかし、実際に行ってみると、トイレはきれいで自動で電気までつくようになっているし、蛇が出そうな気配もない。

もし自分たちがネットの情報に踊らされて、そこに行くのをやめていたらと考えてみる。ネットの情報は参考にはなるけれど、実際に自分の目で見たものが本物だ。

 

十一日目 4月1日 水俣〜熊本

今日は熊本市内を目指す。距離的にも短いし、ホテル泊の予定なので、着いたらゆっくり観光ができそうだ。

自転車旅の大半は車輪の上なので、有名な観光地の横を通ることはあっても、ゆっくり観光をするということは難しい。そこで何に楽しみを見出すかということも自転車で旅する醍醐味だとも思う。

順調に進み、お昼前には熊本の市街地に入る。車も人通りも多くなる。お昼ご飯は、地元である相方おすすめの油そば。グルメな相方のおすすめだけあって、うまい。あっという間に平らげてしまった。

そのあとは熊本城へ。地震から復活をしつつあり、外側からはお城をしっかりと見ることができた。「美しい」というのが熊本城をあらわす最適な形容詞だと天守閣を見上げて思う。

熊本城を後にしたらホテルへ向かう。とその前に、相方が行きつけの自転車屋さんで空気を入れてもらう。予定ではあと4日。このままマシントラブルがなければいいが。再び仲が険悪になるのはごめんだ。

ホテルへの道は勝手知ったる相方が先導して、路地裏をスイスイと駆け抜けていく。

そしてここで、まさかのパンク。この旅4回目である。

「まじか」とは思った。だけど、パンクした時の身の振り方は、冷戦時代に高い授業料を払って学習済みである。お互い一度冷静になって、パンクを修理する。すると、驚くほどスムーズにパンク修理が終わった。

前回パンクした時は、このタイヤはチューブがはめずらいとか何とか、文句ばかり言っていたけど、結局コントロールできるのは自分だけなのだ。同じ状況を前にイライラするのも自分、文句を言うのも自分、冷静になるのも自分である。

 

十二日目 4月2日 熊本〜南島原

7時にホテルをチェックアウト。自転車を止めていた駐輪場は、日をまたいで駐輪することができなかったらしく、係員の人に注意されてしまった。今回だけなので許してください。

今日は佐賀の西側までいく計画だった。距離にして100キロほど。しかし、9時過ぎには半分ほど進んでしまった。このまま行けば、お昼過ぎには目的地についてしまう。ここまでずっと自転車を漕ぎ続けているので、脚が鍛えられてどんどんスピードが上がっているようだ。おまけに昨日はホテルでぐっすりだったので、元気が有り余っている。

ということで急遽予定を変更して、明日進む分を今日消化してしまうことにした。距離は一気に倍になって220キロ。旅も終わりが近づいてきた今、200キロを超える未知の世界に足を踏み入れるのも悪くない。果たして僕らの限界はどこにあるのだろうか。

200キロを走破するためには、午前中にどれだけ距離を稼げるかが大切だ。少しでも先に進もうとペダルを一生懸命に漕ぐ。

お昼ご飯を食べたのは13時過ぎ、120キロぐらいのところだった。ここまではまずまず順調。有明うどんをお腹いっぱい食べる。

ここからは長崎県に入って、島原半島をぐるっと三分の二くらい走る予定である。これまでの最長距離は140キロなので、そこから先は未知の領域だ。

諫早湾の堤防道路に入った時には、陽が傾きだしていた。急がなくては真っ暗闇の中を走ることになる。足にも疲労が出始めた。さらに、島原半島の坂道が追い討ちをかける。上っては下ってを何回も繰り返す。

ここまで何度もアップダウンを繰り返してきた。坂道は嫌いだけど、登り坂のあとには必ず下り坂があるのがいい。なんだか人生の縮図みたいだな、なんてクサイことが頭に浮かぶ。精神的にもだいぶ疲れているようだ。

沈む夕陽のきれいさに背中を押されながら、なんとか完走。200キロ以上の道のりを走り切った。キャンプ場近くのほっともっとに着いた時にはあたりは真っ暗。新発売のガパオライス大盛りを注文する。

海辺のキャンプ場には、外国人のカップルが一組。途中のスーパーで買ったポンカンをあげるという口実で話しかけ、ちょっと自慢げに「200キロも自転車で走ってきたんだぜ」と言ってみる。それを聞いて彼が一言

「Crazy」。

僕もそう思う。12日目にしてずいぶんとクレイジーなことをした。だが、一日に200キロ以上走ったという事実は、きっとこの先僕らを支えてくれるものになるだろう。

 

十三日目 4月3日 南島原〜伊万里

5時半、目覚ましよりも早く起きる。何日も同じ時間に起きていると、勝手に目が覚めるようになるらしい。

昨日の夜、アメリカンのカップルとは「お互い疲れてるから明日の朝ゆっくり話そう」なんて言っていたけど、僕らは今日も自転車を100キロ以上漕がなければならない。寝静まった彼らのテントを横目に、いそいそとテントを畳む。

雲仙は温泉が有名である。街のあちこちで湯気が上がっていた。湯煙の中自転車を走らせる。ここもまた、今度ゆっくりきたい場所リストに追加だ。雲仙岳に登って麓の温泉でのんびりしたい。そんなことを思いながら、自転車は長崎市街を目指す。

長崎市街はもともと通る予定ではなかったのだが、体力も日程も余裕があるので、どうせなら外側を回ろうということでやってきた。坂が多く、自転車に乗るには大変な街だ。僕ら以外、自転車に乗っている人はほとんど見かけない。

坂に疲れて、駅の近くで休憩をする。相方はグルメセンサーを働かせて、カステラを買っている。

なんだかんだでお昼になったので、街の食堂でお昼ご飯。お店の引き戸を開けるといかにも大将という人がお出迎え。二人ともちゃんぽん大盛りを頼む。大将の「残すなよー」という言葉通り、山盛りのちゃんぽんが出てきた。おいしい。

残さず食べてお店を後にし、伊万里を目指す。伊万里まで行ってしまえば、家に帰ったも同然である。最終日くらいはゆっくりしたいし、汗臭いまま帰りたくないということで、ホテルAZを予約済みだ。

順調に漕ぎ進め、無事に伊万里へ。スーパーで夕飯を買ってホテルに向かう。この旅最後の宿泊かと思うと、感慨深いものが...と思っていたが、そんなことよりも、疲れと早く家に帰りたい気持ちで、感傷に浸っている余裕はなかった。

日常の生活が近いということもあってか、今までセーブしてきたことを次々にやりたくなる。ベッドでゴロゴロしたい、永遠にYouTubeを観たい、本も読みたい。

屋根があって、壁があって、フカフカのベッドがあるというのは現代日本では当たり前だけれど、こうやって何日もそれがない生活をしていると、それがどれだけ快適だったのかがよくわかる。それと同時に、現代の都市の生活は快適すぎるのではないか?という疑問も浮かんでくる。

旅を終えた今もなお、答えは出ていない。

 

十四日目 4月4日 伊万里〜糸島

九州一周自転車旅もいよいよフィナーレである。

今日は最終日。マラソンでいえば、最後に陸上競技場のトラックを何周かするあの時間である。これまで13日も自転車を漕いできた僕らからすれば、ウイニングランといっても過言ではない。

しかし、雨である。朝からザーザー降りで、この中で自転車を漕いだら一瞬で濡れる。いや、本当に最終日でよかった。これが明日も旅が続くとなったら相当しんどかっただろう。そういった意味でも、雨に降られたのが最終日だけというのは本当にラッキーだった。

雨は止む気配がないので、意を決してサドルにまたがる。なんだかんだと雨に文句を言いながらも黙々と漕ぎ続け、福岡に入る。

「ああ、帰ってきた」というのがその時の思いで、感動とか、感慨とかそういった類の感情はほとんど湧いてこなかった。それよりも、無事に走りきれたという安心感と、これで普通の生活に戻れるという気持ちの方が強かったように思う。

我らがホームタウン、糸島の海は荒れていた。猛烈な雨と風がゴールを目前にした私たちの行手をはばむ。けれど、糸島の海は美しくもあった。ここまでずっと海沿いを走って、いろんな海をみてきたが、毎日みていたはずの糸島の海がこんなにもきれいだということは知らなかった。

これは自転車で九州を一周して良かったと思うことの一つである。今まで当たり前にあったものの素晴らしさを実感することができた。普通の暮らしの快適さも身に染みたし、見慣れているはずの海のきれいさも知った。

旅のゴールは九大の石碑の前と決めていた。14日間、僕たちは自転車を漕ぎ続け、時には橋の下にテントを張ってその中で眠り、その土地の美味しいものを食べて、温泉に入り、また漕ぎ続けた。相方と仲が悪くなったことも、何度もパンクしたことも、今となってはいい思い出だ。

この14日間の旅は、僕の人生においてとても大きな意味を持つものになるだろう。誘ってくれて、一緒に14日間をともにした相方には感謝しかない。相方がいなければ、自転車で旅をするなんてことは思いもしなかった。

石碑の前に自転車を二台並べ、通りがかりの人に写真を撮ってもらう。二人ともいい笑顔だ。日焼けした肌がまぶしい。