九州大学ワンダーフォーゲル部

2016年冬に作りました。九州大学ワンダーフォーゲル部公式のブログです。部活動の内容を紹介していきます。

第18次 脊振山系全山縦走

2023-05-24 11:54:01 | 個人活動(山)

記録者:齊藤(59期)

活動日時:2022年5月7~8日

 

どうも皆さんこんにちは。ワンゲル59期の齊藤です。

ワンゲルは1年半前に引退し、今年の春から九大の大学院に進学し、修士の一年です

まあ、引退…とはいっても、ちょくちょく一人だけ老害かまして活動に参加したり、後輩たちと結成したワンゲルトレラン部に所属して活動したりしているので、4つ下くらいまでなら結構知っている人もいるかもしれない。知ってる人、また山登ろうね!(^^)

 

さて、早速本題に入る。今回のブログの主題は、九大ワンゲルに代々受け継がれてきた「脊振山系全山縦走(2days)」の記録である。2020年のコロナ襲来によってしばらく活動ができずにいたため、引退後の2020年5月(当時、学部4年生)に挑戦することとなった。ずっと前から、書こう、書こう、とは思っていたものの、先延ばしにしていた。これから暇を見つけて書こうかなと思ってます。個人的には、記録係がブログを書くという文化をぜひ復活させてほしい、と思う。きっと後輩たちのためにもなるはずだ。

…話を戻しましょう。ちなみに、今回の脊振討伐では第18回目となった。

 

まず、この山域と縦走路についての説明を第15次隊の中島先輩の文から引用させてもらう。

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まずは脊振全山縦走とは何なのかを少しだけ説明する。「脊振」という響きは福岡県民や佐賀県民ならそれなりになじみがあるはず。脊振山系とは、福岡と佐賀の県境を東西50㎞にわたって走る山脈のことである。長野峠を境に西部と東部に分けられ、西部は登山者が少なく、踏み跡が不明瞭で荒れた道も多い。一方で東部は主峰・脊振山を始め、霊峰・雷山、花の都・井原山など人気の山が多く、よく整備された歩きやすいコースである。冬は日本海からの湿った季節風を一身に受け、福岡市や糸島市に雪を降らせる。脊振全山縦走はそんな脊振山地をまさしく東西に踏破する、歩行距離70㎞、累積標高6000mを優に超える山行なのである。

第15次脊振全山縦走 - 九州大学ワンダーフォーゲル部 (goo.ne.jp) より

(獲得標高に関しては、計測機器により異なり諸説。一般的には5600mほどの記載が多いよう)

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ワンゲラーたちは、代々この縦走にチャレンジしてきたらしく、途中の記録が曖昧な部分もあるが、57,58期の先輩方に託されたからやらないわけにはいかない(使命感)。いざ挑戦するとしても、間違いなく時期選びは大切である。どれも1000m以下の山ばかりであるので、勿論のこと日本アルプスの山脈のように涼しいなんてことは全くない。真夏には灼熱地獄と化すし、アブや蜂の襲撃を受けることになりかねない。あいつらの耳元での羽音は本当に煩わしくてキモイ。冬は当然寒いので、軽量化がカギとなるこの縦走において防寒着などの荷物が増えるのは好ましくない。つまり、日が短すぎず、かつ暑さが程よく荷物と体力と水分の消費が抑えられる「春」もしくは「秋」が適期だろう。夏合宿後で体力もついてる秋にするのもいいかもね~。今回はGWの土日を利用して挑戦した。メンバーは、何人かに声をかけてみたがそこまで乗り気では無さそうだったためソロだ。とは言っても、筆者は独り身に慣れているので、24時間近くの山行でお喋り相手がいないことなんて屁でもない。ソロなこともあって計画書はエスケープ先なども含めてきちんと作成した。

 

 

・・・それでは山行の記録に参る。

以下は持ち物だ。

ザック30L、シュラフ#3、ボトル、ポリタンク、ランシュー、帽子、ツェルト一式、グラウンドシート、銀マット、モバイルバッテリー、GoPro、エマージェンシーシート、芯抜きキジ紙、レインウェア上下、ガス缶110g、ガスヘッド、鍋、カトラリー、医療セット、緊急簡易トイレ、歯ブラシ、細引き、着替え、食糧(パン、うどん、おにぎり)、行動食(おにぎり、フルグラ、エネルギージェル、チョコレート)、非常食

 

軽量化のために、食糧のカロリーの大部分をフルグラにし、水は2日で4L(後述するが水は足りなかった)、2人用テントではなくツェルトとした。過去の記録では、雷山避難小屋や三瀬峠に前日のうちから荷揚げや、脊振山の自販機で飲料物の補給を行っていたが(1Dayソロトレランのセタさんは例外で(笑))、今回の目標は「単独・無補給」とした。なお、地図はGPS機能のあるスマートフォンアプリのYAMAPを使用した。

 

7:08 福吉駅を出発。たしか、この日は寝坊したので始発ではなかった気がする。

 

8:10 最初のピーク十坊山(とんぼやま)に到着。初見でこの特殊な名前読めた人いない説。途中で登りを飛ばしすぎて水を多く消費しすぎた。汗もびちゃびちゃ。反省しつつ先を急ぐ。

 

9:27 浮嶽に到着。補給食のフルグラがうますぎる!!!

9:55 浮嶽下り途中の展望岩的なところ。青空と新緑が鮮やかだ。

10:12 荒谷峠。写真は撮らずにスルー。

 

10:31 女岳着。この後、雷山方面へ向かうのだが、二丈岳へ進めば、周回型の縦走が楽しめる「糸島四座」のコンプリートとなる。特有の激しいアップダウンであるが、景色がいいし近場でよい練習になるため、休日にでも訪れてみてはどうだろうか。ただし、夏は暑い。冬は空気が澄んでいて海の沖の方まで臨むことができ、虫も少ないのでおすすめだ。

今のところ疲れも少なく快調である。

…と思ったのもつかの間、ここからが地獄だった。当時、すっかり冬は明けて春真っ只中である。暖かくなると活発になるのはなにも人間だけではない。この地域では、どうやら“蜘蛛”さんたちが多く生息しているらしく、まさにスパイダーネット地獄と化していたのだ(荒川峠⇄雷山間は特に人通りが少ないのもおそらく原因の一つ)。長い木の枝で前方を振り払いながら先を進む。腕がきつかった。それでも少なくとも100回以上は顔面に蜘蛛の巣をくらったのを覚えている。今回の縦走で一番嫌だったことだ。

 

道中でお会いした牛医のおじさま。どうやらコロナ時に新しい趣味として始めたらしい。とても足取りが軽い。ちなみにこの人は今でもYAMAPで繋がっている。

11:26 荒川峠。またも写真なし。

 

ふと足を止めた時の風景。春って新緑がとても綺麗で素敵だ。

13:12 眺望のない小さなピーク河童山に着。ご高齢の夫婦お二人に会い、激励の言葉をいただいた。先を急いではいるものの、話しかけられるのは嬉しいものだ。私もあのような老後人生を過ごしてみたい。

13:35 羽金山。珍しいことに電波基地の内部に山頂があるので、インターホンで中に入れてもらわなければならない。面倒ではあるが、整備されて綺麗だしせっかく全山縦走するなら行くことをおすすめする。ここで少し休憩。夏にみられるモクモクの雲が増えてきた。かなり暑さを感じる。行動食の炊き込みご飯おにぎりを食べた。

カメラのシャッターは半目の瞬間をとらえていた。おそらく暑い~っていう顔。

15:35 長野峠。やはり人通りが少ない区間は、荒れ気味で蜘蛛の巣も多い。ペースをあげられなかった。

 

16:28 我らがホームマウンテンの雷山に到着。10分休憩。蜘蛛の巣から解放された安堵感に浸りたいところだが、もうすでに16時半を回っており、幕営予定地は井原山を越えた先にある三瀬峠である。ゆっくりしたい気持ちを抑えて先を急ぐ。冨士山、本冨士山を通る井原山までの縦走路は、所々で小走りが出来ちゃうトレイルなので助かった。

ここから井原山までの道はとても歩きやすい。井原山は花の名峰と呼ばれるだけあって、どの季節にも美しい花を咲かせる。これはツツジ。

17:31 糸島ブルー。少しだけ休憩。相変わらずの眺望の良さで、とても好きな山の1つだ。

18:38 三瀬峠。本日のゴールだ。ぎりぎり日没あたりに到着できた。

上の写真の場所から登ってすぐのところに泊まる。1,2張はいける広さ。

今回持ってきたのはテントではなく簡易的なツェルトだ。無事YouTubeで勉強した通りに張れた。雨で浸水しない日、かつ寒すぎない時期だからこそ使えたが、テントの軽量化は個人的にかなりありがたい。サイズもぴったり、身長が低くて助かった。

↓↓↓ ツェルトの後方の細引きは木の幹に固定。

夕飯は僕の出身・熊本でなじみの深い五木のうどんだ(五木村がある)。小さいころ熱を出すとよくこれを食べていた時のことを思い出す。ちなみに、うどん出汁の美味しさもさることながら利便性も悪くないのでここでお勧めさせてもらう。一度茹でてあるので茹で時間はたしかほんの1分くらいでいいし、水量も他の麺類に比べてかなり少ない。常温保存での長期保存も可能なのだ。今回のように単体でも勿論おいしいが、ここにフリーズドライの牛丼や親子丼を乗せて肉うどんや親子うどんとして食べるのもめちゃくちゃウマい。これは筆者の極秘メニューであるため、情報拡散はお控え願う。

 

ちなみに今晩は貧相だ。普通に食事メニューみすった感があり、少し萎えた。

 

おやつを食べ、スマホの充電をしてから、この日は早めに寝た。

想像以上に暑かったためか、この時点で水は4Lのうち1.8Lほどまで減っていた。

4:30 暗闇の中にBTSのDynamiteのアラームが鳴り響く。昨年から僕もはまってよく聞いていたが、実家への帰省中に流していたのがきっかけで、今や筆者の母はジミン君の虜である。YouTubeをつけて鼻歌でメロディーを刻みながらノリノリで皿洗いをしているような具合である。このようにテンションの上がる曲をアラームにセットし、目が覚めてから一緒に歌いだすことで脳を起こすのが、筆者が普段より常用していた作戦である。

起きてすぐ、朝ごはんの菓子パンとフルグラを食べた。

 

5:10三瀬峠を出発。朝露で木々が濡れていたので上下レインウェアを着用した。雨がなくとも朝露でぬれた木沿いをレインの着用無しで進めば、ものの10mで見事にずぶ濡れなるのは必至だ。こういう縦走においては、体力のみならず気力もかなり重要であり、気分が下がるのはよくない。挑戦するつもりの君、もし100%晴れる予報だとしても、濡れるのが嫌ならレインは携行しよう。

暗い時間は他のことに気が取られないのでとても歩行がはかどる。

 

5:30 三瀬山。小さいピーク

 

6:30 金山。ここは初めて訪れたが、前後の道がとても歩きやすく、朝日に照らされる朝露と霧がなんとも幻想的だった。気持ちよくて小走りしながら時間を巻いたのをおぼえている。よくよく考えると、今トレイルランニングをやっているのは、当時この区間を走ってみたのがすごく気持ちよかったからだと思う。レインウェアを脱いだ。この後、すぐに霧が晴れて青空が広がった。

 

縦走路沿いの石楠花(シャクナゲ)。

 

つい先日、雷山で遭遇したおじさま曰はく、この年(2022年)のシャクナゲは数年に一度くらいの綺麗な咲き方だったとのこと。記憶に残るほど印象的だったので、すぐに納得がいった。

ガスに包まれたり抜けたりを繰り返した。

 猟師岩山、鬼ヶ鼻岩、唐人の舞といった小さめのピークを通過

 

9:13 舗装路を歩いてこの山域の主峰「脊振山」に到着。

ここはキャンプ場もあれば、自衛隊のレーダー基地もある。車で山頂手前まで来れる上に、人口物や自販機もがっつりある。しっかりとした装備で矢筈峠ルートを通り下から登ってくるくると、私服を着て車で来ている人たちにめっちゃ見られて少し恥ずかしい気持ちになったことがあるのは僕だけだろうか。 

楽しみにしていたランチパック(もどき)のツナマヨ味とフルグラを食べる。

ここで水が残り1Lもない。この暑さであと30㎞もあるから、確実に足りない。水が足りない場合は潔く無補給はあきらめて自販機で補給するつもりだったので、完全にコーラと水を買う脳になってお金を投入。ところがここでアクシデント。押しても出てこない。売り切れてはいないが、どうやら自販機の釣銭不足だったようだ。なんとも運が悪い。ここで断念したくもない。脊振山系は水が豊かな山域ということもあり、途中の水場をあてに先に進むことにした。

雨の土砂崩れにより崩れた道。脊振山からすぐのところは迂回ルートがあった。

10:30 蛤岳。はまぐりだけ、と読む。このあたりでとても綺麗な水流を発見したが、YAMAPの水場マーク💧はない。飲めないこともなさそうだが躊躇した。まあ、脱水になるより翌日に腹壊したほうがましだと思って飲んだ(水自体はかなり透き通っていて味もうまかった)。どうか、そこら辺の川の水を飲むようなヤバいやつだとは思わないでほしい…(笑)。

11:23 坂本峠

11:42 七曲峠

12:33 三国峠

この手前の急坂は非常にしんどかったのを覚えている。一人なので、気持ちで負けないように声に出して自分を応援した。「〇〇〇!ファイト!」みたいにどシンプルだが、これが案外効くのだ。高校のマラソン大会の時とか、沿道の人に応援されると不思議と力が湧いてきたときの感覚に似ている。

 

この辺りは、だいぶ急いで進んだため、写真はほとんどない。というのも、先輩と同期が貴重なGWを割いてゴール地点に駆けつけてくれるとの連絡が入ったからだ。待たせるわけにもいかないし、最初に伝えた時間を目指して進んだ。本当にありがたい。とても暑く水も足りていない状況下で原動力となっていたのは、間違いなくこの人たちの応援と密かに目論むご褒美だった。

 

13:15 九千部山。ゴールはもうすぐ。10分ほど休憩。

行動食スタメンの塩豆大福は潰れて変形していたが、安定のうまさだった。ちょっぴりある塩味が非常にいい。回復。水は残り300mL。       

14:40 登山口まで降り、一般道路に出た。空腹で最後のフルグラをすべて掻き込んだため、僕の乾燥した口内はこれが決定打となりトドメを刺された。残り10㎞。ラストの水一口分を全て飲んだ。

 

ここから先はアスファルトのロード。先輩からの前情報によると、ここから足裏が逝くそうだ。一旦、登山靴のまま歩いたが、噂通り足裏へのダメージが想像以上だった。対策として持参したランシューに履き替えると、圧倒的に快適だった。数百グラムの軽量化を諦めてでも得られる効果は大きいので、ランシュー持参は必須だと個人的には思った。

15:44 基山の丘を少し下った所。暫く続いた山道も終わり、視界が一気に開けた。あの丘を登れば最後だ。その時上の方から駆け下りてくる人が見えた。過去に第16次、17次脊振全山討伐を遂げた先輩たちだった。

15:55 上には同期もいて、みんなで基山山頂にて写真撮影。わざわざ応援に来てくれたことに、この場を借りて深く感謝申し上げます。鶴さんからのマンゴープリンのプレゼントは嬉しかったけど、しばらく口が粘々になったのですぐ食べたことを後悔した。

 

16:52 原田駅にてゴール。駅前にある伊能忠敬さんの銅像と記念にパシャリ。日本中を歩いて地図を完成させたのだと思うと、すごすぎて自分なんかちっぽけに思えた。

なんとなく顔が瘦せているように見える(?)。なんたって2日間で1万kcalも消費したらしい。この時飲んだポカリとドデカミンの味は忘れがたいものだった。

帰り道は電車に乗り太宰府駅や博多駅を経由する際クサいままではいられないので、軽量化したい気持ちを抑えて着替えを用意していた。この選択は間違っていなかった。

 

19:30 マリノアシティ福岡着。姪浜駅で電車を降り徒歩で移動するなどしてまで、どうしてここへ来たのかというと、ご褒美の特大ステーキを喰らうためだ。はじめから決めていた。縦走を達成出来たら、リブロースステーキ400gを食べるのだと。ご飯も大盛り二杯食べた。これに勝る幸せはあるのだろうか(、いや無い(反語))。もし何かをするとき事前に盛大なご褒美を決めておくと、それがモチベーションになるからいいのかもしれない。身をもって体験した“肉”の力はとってもオススメだ。肉の効果は麦わらのルフィの強さが証明してくれている。

おまけ。帰りに同期がバイトするカフェに立ち寄ったらケーキとアイスコーヒーを奢ってくれた。とってもおいしかった、ありがとう!

 

縦走前に先輩に言われた一言、「縦走したら伊都キャンパスから見える脊振の景色が変わるはずだよ。」

GWが明けた翌日の学校で、窓の奥の方に東西にのびる稜線を見た時、その言葉をふと思い出した。

 

<総括>

・行動時間:21h 22min(Day1:10h 44min / Day2:10h 38min)

・総タイム:23h 14min(Day1:11h 32min / Day2:11h 41min)

・総距離:約74.7㎞

・獲得標高:約5600mD±300m程度

・総重量:約13㎏ちょっと(出発時)、うち水量4L

 

 

 今回の縦走では、暑さ、飲み水、蜘蛛の巣に非常に悩まされることとなった。まず、GWは春と言えど年によってはこの日よりも3~4℃暑い場合もあるようなので油断はできない。やはり春休みか、秋の涼しい時期に攻めるのも一つの手だろう。飲み水はなるべく軽くするために4Lとしたが、自販機で買えず結果的にギリギリでとてもよろしくなかった。飲食物は、最初は重いものの消費によって軽くできるのでケチりすぎないことが大切だと思う。衣類やギア類は途中で放棄するわけにもいかないので、必要なものの吟味やグレードアップによる軽量化で対処するのがいい。蜘蛛の巣に関して言えば、仕方なイ。途中で会ったトレイルランナーによると、5月あたりから特に増えるらしいので、GW以降にいくひとは覚悟せねばならないようだ。蜘蛛が無理な人は4月までにするのが妥当だ。

 

縦走を終えて、今回よかったなと思う点は、(過去の先輩の助言にもあった)西側からのスタート/軽量化/モチベーションの維持だと思う。序盤に述べたように、脊振山系の西側は毎度登って降りてを繰り返す。そのため、体力の落ちた後半に西側へ挑むのは得策ではない。10㎞ほど続く最後のアスファルトも足がやられるが、むしろ、疲れていても惰性で進めばよいし、山からは降りているので安全だ。まあ、二度目に比較としてやってみるのもいいかもしれない。ちなみに、二日目は長いので三瀬峠まで進んでおくのがいいいと思う。軽量化については、高カロリーなフルグラの活用、ツェルト泊は非常に有効な手段であると思う。また、前日のうちに三瀬峠や雷山避難小屋に荷揚げする方法もある。最後に、モチベーションの維持だ。今回は数々の場面でこれが大事だったなと感じた。終盤に行くほど効果が顕著で、脊振山でのツナマヨ(反省として塩味のあるものが少なかったので、ツナマヨが食べれるのは、下界で食べるのよりも5倍は味が濃くうまかった。)、九千部山での大好物・塩豆大福、ゴール地点に待つ仲間、ご褒美のステーキ。いずれもしんどい登りでの活力となった。このような長い縦走では、やはり精神的な面がやられないのが大事だと思う。気持ちさえやられなければ、極論、時間がかかってもどこまででも進むことはできる。好きな食べ物をあえて最後まで残す作戦は、単純かつ秀逸な方法だ。また、仲間を誘って2~3人で挑戦するのもお互い助け合えるのでよいかもしれない。

 

たったの2日の縦走だが、行動時間も距離も長く非常に濃い山行が楽しめる。きつさもあるが、脊振山系の山々が持つ多くの魅力を感じることができて楽しい。ぜひ福岡にいるうちに歩き通してみてはいかがだろうか。また、夏の日本アルプスに向けてのトレーニングとして、二泊三日で雷山・脊振山でのテン泊縦走をするのもいいだろう。わざわざレンタカーを借りて遠くまで行かなくても、近くにこんなにいい練習コースがのだ。この伝統がこの先どうなるかは謎だが、もし引き継いでくれる人がいれば嬉しいなと思う。読んでくれたそこの君が、九大ワンゲルの意志を次いでくれることに期待しよう。

長く拙い文章にお付き合いいただきましてありがとうございました。


遠征‼ 愛媛石鎚山 10/8~10

2021-12-24 03:32:21 | 秋合宿

                   参加者:3年ー齋藤(嵩)中尾 豊東 大寶 島崎

                        2年ー板坂 教重 井本 山西 Erik

                        1年ー木戸 田中

                    文責:田中

はじめに

2021年10月8日∼10日まで、愛媛県に遠征に行きました。

個人的には初めての遠征、部としては約1年半ぶりの遠征だそうです。

めーーっちゃ楽しかったのでよかったら読んでいってください。        

 

1日目

18:30分に学研都市駅に集合。レンタカーに乗り込みひとまず大分県は佐賀関に向かう。

初めは知らない人だらけの車内にとても緊張しましたが、女子の先輩が振ってきた恋バナで打ち解けることに成功❣好きな異性のタイプとか仕草とか話しました。出会っていきなりの会話がそれかよと思う人もいると思いますが、やっぱり恋バナはいいものですよ!初対面でもすぐに仲良くなることが出来ますからね。

といった感じでたくさんおしゃべりしながら7人乗りの車に6人という快適な車内に揺られること3時間。佐賀関港に到着しました。もう一台の車に乗っていた人たちと話しながら船を待ちました。そして船の出発の時、デッキにでて空を見上げるとそこには満点の星空が!部活の再開を祝ってくれているようでした。夜、船、星空、たくさんの仲間、、、これだけで楽しさは伝わるでしょう。あぁ、大学生してるな∼と感じました。船内では大富豪をしました。遠征にカードゲームはつきものですね。そうそう、ぶんぶんさんがみんなにジュースを買ってくれました。自販機の前で何にするか悩んでいたら1000円札をすっと入れてさっと立ち去っていきました。めっちゃかっけー!僕もこんな先輩になろうと思いました。

船を降りるとまた車。移動の疲れからか会話がだんだんなくなってきます。気づいたら寝てました。ちゃんと運転してくれる方に感謝しながら登山口にある駐車場までの道を熟睡しました。そして午前2時ころに駐車場に着き再び寝ようとするが、、、。さすがに車内で6人寝るのはきついです。すると1人「俺駐車場で寝袋敷いて寝るわ」と言って準備しだしました。車内は狭い、外は適温、そして満点の星空。僕含め4人が外に出ることを決心しました。駐車場で寝るなんて、普通では考えられないことでとても興奮しました。車内の人も外に行ってくれた人たちのおかげで広めのスペースで寝ることが出来たみたいでwinwinですね。道行く人に駐車場で寝てることに大声で驚かれたり、車のライトがまぶしかったりとあまり眠れませんでしたが、あの日見上げた星空は忘れられません。      

 

2日目

6時に起床。眠い目をこすって朝ごはんを食べます。そして7時には入山開始。個人的には8月以来の登山でとてもワクワクしていました。山行中は昨日の恋バナの話の続きや趣味の話、好きなお酒の話、行きたい山の話などでとても盛り上がりました。会話に花が咲き、景色を楽しむうちにいよいよラストスパート!石鎚山登山の醍醐味である鎖場が立ちはだかりました。なんと約150mもあるそう。結構な距離、角度でしたがこわさなんてありません!楽しさが先行してどんどん登りました。

そして山頂へ!頑張って登り切った後のあの景色はこの先忘れることはないでしょう。360°どこを向いても圧巻の眺め。山の壮大さをひしひしと感じました。紅葉も素晴らしかったです。お昼はワンゲル恒例らしいサンドイッチと魚肉ソーセージを食べました。味付けマヨネーズだけなので少し苦しかったです。ケチャップがあれば完璧ですね!昼食の後は天狗岳・南尖峰のピークを取りに行きました。とても狭い道でかつ人も多かったので結構時間がかかりましたが、この人の多さも石鎚山の素晴らしさを物語っているようでした。途中結構なハプニングがありましたが、それは内緒にしておきますね。バッチを買い忘れたのは後悔…

下りはあっという間でした。先輩から地図の読み方を教わりました。まだ何の知識も無いので勉強しようと思いました。

下山後はそのまま温泉へ。山の後の温泉はお決まり事なのです。愛媛県の温泉といえば。そうです、道後温泉に行きました。とても人気で30分ほど待ちました。その間にお土産探しに。僕はモケケっていうご当地ぬいぐるみを集めているので四国4県分買いました。全部で2640円もしました。先輩たちに苦笑されました。

さて、温泉ですがこれはもう僕の語彙力では言い表せないほど最高なものでした。一気に旅の疲れ、山の疲れが抜けていくのを感じました。久しぶりに湯船に浸かって最高の気分でした。もちろん風呂上がりのコーヒー牛乳も飲みました。牛乳派と対立しました。

そして待ちに待った夜ご飯。いかにもよさげな雰囲気を醸し出すお店に行きました。乾杯をして、鯛釜飯とあら汁を食べました。おいしすぎてあんまり記憶がないので省略しますね。最高でした。

ご飯の後はキャンプ場に行きました。薄暗い中テントを立てましたが、みんなでテントに寝ると狭いです。この日も外は適温、そして前日よりも満点の星空が。せっかく設営しましたが、やっぱり外で寝ました。今回は9人も外で寝ました。たぶん駐車場で寝た僕たちが羨ましかったんでしょうね。いろいろな話をしたり、星空を撮ったり、先輩の寝袋を襲撃に行ったりととても楽しみました。

 

 

 

 

 

3日目

3日目はすこしゆっくり7時起床。朝ごはんを食べて前日に急遽行くことが決まった下灘駅へ。聞いたことなく、ただの駅じゃねーかと思っていたが意外と観光名所らしい。到着して車から降りるとそこには圧巻のロケーションが!ホームにぽつりと佇むのは、古びた上屋とベンチ。何一つ遮るもののない、瀬戸内海の眺望に心ときめきました。「日本で一番海に近い駅」を前にしてみんなシャッター音が鳴りやまない。最高の朝を迎えました。

そして帰路へ。もう少しで楽しかった三日間ともお別れかと黄昏ていると、後部座席からまたしても恋バナの声が❣港まで少し寝ようと思っていましたが参加しないわけにはいきません。仲良くなり少し遠慮がなくなったのか、一日目より深い話が出来ました( ´∀` )

昼食は船旅の後、大分県名産の関サバ、関アジを食べました。サバもアジもそんなに好きではなかったですが食わず嫌いだったようです。今回の遠征最後の食事。美味しさと寂しさが心の中で喧嘩していました。

食事を終えて福岡に帰ること3時間ほど。ここにきて車内での会話は過去最高に盛り上がり。いつまでもこの時間が続けばいいのになぁとしみじみ感じました。

そして解散のとき。このメンバーでまた集まってたくさんの思い出話をしようと再集結を約束しました。

おしまいおしまい

 

おわりに

初めての遠征、先輩方のおかげでとても楽しかったです。今回唯一の同級生だった木戸くんともすんごく仲良くなれてうれしかったです。この合宿のすべてのシーンが一生の思い出になりました。初めての合宿でこんな最高な体験をさせていただき、幸せ者です。あとやっぱり山はいいなあ。これからもたくさんの山に行きたいです。最大の目標である日本アルプスには今年はコロナで行くことはできなかっので、来年こそは行きたいです。これからもずっーとみんなで山に集結できることを願って。

 

                          

                           読んでいただきありがとうございました

 

 


九州一周自転車旅 2021.03.22~04.04

2021-05-16 14:51:16 | 個人活動(チャリ)

参加者:齊藤(嵩)、齊藤(大)

文責:齊藤(大)

 

はじめに

2021年3月22日から4月4日まで、ロードバイクで九州一周の旅をしました。今後ワンゲラーの中で僕たちと同じように自転車旅をする人が出てきた時に、少しでも参考にしてもらえたらと思いこのブログを書きます。とんでもなく長いです。

前半は装備の紹介なので、自転車で旅する予定がない人は、旅の記録から読んでください。

 

旅の概観
 
 

期間:2021年3月22日〜4月4日(14日間)

総距離:1643.43キロ

総ライド時間:71時間25分

費用(旅行中):61,957円

 しっかりと海岸線を走って納得の「九州一周」ができました。一日の走行距離もほとんど100キロ前後だったので、身体が筋肉痛で動かないとか、きつすぎてもうやめたいと思うこともほとんどなく、健康的な旅でした。むしろ日数を重ねるごとに脚力がついて、どんどん漕ぐスピードが上がっていったぐらいです。天気にも恵まれ、走行中に雨に降られたのは最終日の一日だけだったのは、今回の旅がスムーズに進んだ大きな要因であることは間違いない。全体的に見て、今回の九州一周自転車旅はとても充実した納得の旅となりました。

 
装備
 <自転車>
 ・ロードバイク・リアキャリア×2・フレームバッグ・サドルバッグ・ヘルメット・ボトル(700ml)・トゥークリップ・サドルカバー・鍵

相方が紹介してくれたトゥークリップが想像以上に優秀でした。登りの時だけではなく下りの時も、足の力がしっかりペダルに伝わっている感じがしてグングン進むことができた。

 

<キャンプ道具>
 ・寝袋・テント(2人で分担)・銀マット・サンダル・アウトドアバーナー、ガスヘッド・食器(箸、コッヘル、マグカップ)・ヘッドライト

普段から山で使っている道具で十分です。テントは二テンを2人で使いました。結構キツキツではありましたが、工夫すれば足を伸ばして寝られるし、何より四テンとかだと荷物が多くなってしまうので、二テンに2人はちょうどよかったんじゃないかと思います。

 

<衣類>
○行動中
・ワンゲルT・アームカバー・サイクルジャージ下(お尻にパッドの入ったもの)・バギーズショーツ・靴下・ランニングシューズ・サイクルグローブ・サングラス・レインウエア

上半身は半袖Tシャツにアームカバー、下半身はサイクルジャージにバギーズショーツという格好で毎日走りました。毎日百数キロをサドルの上で過ごすことになるので、お尻にパッドの入ったサイクルジャージはあったほうがいいと思います。ただ、サイクルジャージだけだとガチ感がでて嫌だなと思ったので、自分はその上に短パンを合わせました。風よけのジャケットはレインウェアで兼用。これももちろん普段から山で使っているもの。

○予備、街着
・山Tシャツ・ハイキングパンツ・靴下・下着×2・薄手のダウン・キャップ

ホテルに泊まった時に着る用の衣服と、下着や靴下の替え。衣類が一番嵩張るので、どこまで妥協できるのかは大事かもしれないです。もちろんお洒落はできない。自分は長期縦走の後の下界に戻ってきた時用に持っていく服と同じ感覚で選びました。キャップはずっとヘルメットをかぶっていて髪がぺちゃんこになるので、ヘルメットをとって街中を歩く時にかぶるように持って行きました。

 

<衛生用品>
・歯ブラシ・予備コンタクト×3・コンタクトケア用品・眼鏡・薄手のバスタオル・タオル×2・汗拭きシート・日焼け止め・ティッシュ・マスク

日焼け止めは一日目の夜にドラッグストアで買いました。日焼け止めを毎日塗ってもかなり日焼けしたので、なかったら皮が剥けたりして悲惨なことになっていた気がする。

 

<自転車整備用品>
・替えチューブ・ミニ空気入れ・タイヤレバー・マルチツール・リペアパッチ・チェーンオイル・針金・ミニペンチ

パンクを修理できる道具は必須です。街の中でパンクするならいいけど、山の中でパンクして修理道具がなかったら絶望です。チェーンオイルはあったほうが快適。何日も漕いでると、だんだんチェーンがうるさくなるので定期的に油をささないと結構ストレス。針金、ミニペンチは途中のホームセンターで購入。何かしらネジが外れたりすることがよくあったので、その度針金で補強していました。

 

<電子機器>
・GoPro9・GoPro予備バッテリー×3・モバイルバッテリー(10000mAh)×2・その他充電ケーブル・イヤホン

一生に一度のことだし、せっかくなら動画に残そうと思ってGoProを購入しました。純正のハンドルマウントに走っている時は常にハンドルの上につけていて、景色な綺麗なところで電源を入れて動画をとるというスタイルでやりました。片手を離してカメラを操作すると危ないかなと思ったので、音声ガイドをオンにして基本的には声で操作していました。GoProで一つ失敗したのはGPSをオンにしていなかったので、あとでまとめる時にどこで撮った動画なのかを調べるのが大変でした。

 

<ウエストポーチ>
・財布・スマホ・行動食

一番よく使うものはウエストポーチに入れてすぐに取り出せるようにしていました。ずっとつけていて腰が痛くなったりすることもなかったし、買い物の時などにいちいち荷物の中から財布などを探す手間が省けるので結構おすすめです。

 

アドバイス

・自分たちが行った、3月後半から4月の頭にかけては天候もある程度安定していて、気温も寒くもなく暑すぎもせずにちょうどいいので、このような長旅をするにはいい季節なのではないかと思います。

・朝早くに出発して午前中のうちにその日の行程のある程度を進んでおくのがおすすめです。特に海岸沿いを走る時は、気温が上がるにつれて風が強くなるので、風が少ない朝のうちに通過するのがいいです。どんなに天気が良くても風が強いと全然進まない。

・計画はいく前にあまりガチガチに決めすぎない方が良いと思います。絶対に予定通りには行かないから。自分たちは、いく前に大まかなルートと距離絶対に行きたい場所だけ決めて、あとはその日にテントについた後に次の日の詳細な予定を決めるというスタイルでやりました。その日の体調や進み具合によって柔軟に予定を変えていったので、結果的には予定より一日早く帰ってくることができました。

・人数は2人が最適な気がします。1人だと寂しいし、3人、4人だともう一つ大きなテントやホテルの部屋が必要。自転車で走っている時も隊列が長くなると車からは迷惑かも。また、これだけ長い時間ずっと一緒にいるので、人数が多ければ多いほど余計に気を使うことが増える。何よりも次の予定を立てる時に意見をまとめるのが大変な気がします。

 

九州一周の記録

一日目 3月22日 糸島〜北九州

10時に相方の家に集合して、最終打ち合わせ。その後、やまにくの焼肉ランチでパワーをつける。いよいよ始まるのかという気持ちもあるが、これから始まる日々が想像もできないので、実感が湧かずになんだかフワフワした気持ち。

13時40分、出発。出発らしい写真を撮りたいよねということで、まずは桜が見頃の大濠公園を目指す。

14時35分、大濠公園着。予想通り桜が満開で、歩道のはしに自転車を並べて出発の記念撮影。たくさんの花見客から、荷物をくくりつけたロードバイクを物珍しそうにみられる。これから毎日「この人たち何してるんだろう」という視線を浴びることになるのだろう。

写真を撮り終えて再出発。天神の街を駆け抜ける。車と信号が多いのでなかなかスピードが上がらないが、これから走る道のなかで一番の都会を走っているはずだからと言い聞かせてあせらずに進む。

途中、九大の本物の正門を通過したり、バイパスを自転車で走っていいのか悩んだりしながら、18時30分ごろ北九州に到着。キャンプ場に向かう前に、商店街で夕食を済ませる。有名な鉄なべに行こうとするも、すでにお客さんでいっぱいで、待ちきれずに斜め向かいのお好み焼き屋さんに入ることにする。

ミックスお好み焼きを平らげた後、ワンダーフォーゲル部(通称ワンゲル)の部会があったのでドラッグストアの駐車場で参加。そのまま明日の朝食と行動食を購入してキャンプ場に向かう。

21時ごろキャンプ場に到着。すでにお洒落キャンパーが3組ほどテントを張っていたので、入り口近くの木の下にテントを張る。隣に並ぶ立派なテントを横目にこの旅はじめての夜。彼らとは違って我々にとってのキャンプは、目的ではなくて単にその日に寝る場所を確保する行為だと二人で息巻いてはみたものの、焚き火の炎を隣で見ると、羨ましいという気持ちは拭えない。

ドラッグストアで買ったレモンサワーを飲み干して寝袋にくるまった。

 

二日目 3月23日 北九州〜国東半島

6時に起床。昨日は真っ暗になってからキャンプ場に着いたので気づかなかったが、テントを張った木は桜が満開だった。バーナーでお湯を沸かして、昨日買っておいたインスタント味噌汁とパンで朝食をすませる。

8時30分に出発。若戸大橋は自転車が通れないので、若松渡場から市営の渡し船に乗る。船は生活の足になっているようで、通勤の人で賑わっていた。乗船時間はわずか5分程。船を待っている間に橋をバックに写真を撮るなどする。

対岸に渡ったら、北九州の街中を抜けて福岡県脱出を目指す。と、ここで相方がはじめてのパンク。河口付近の気持ちの良い道で、GoProを片手に後ろを振り返って動画を撮っていたら、道のでっぱりに乗り上げてしまったようだ。

いつか必ずパンクするとは思っていたので、2日目にパンクをしても2人ともそんなに動揺はしなかった。何回かタイヤを修理をしたことのある相方は、手際良くチューブを替えていく。僕は手伝うこともできないので、のんきに動画なんかを撮ってみる。20分で何事もなかったかのように再出発。相方のパンク修理がスムーズすぎたので、あまりパンクの経験がない僕は、これでパンクしても安心だな、なんて思っていた。

12時頃、行橋を超えて、築城に向かう何もない田舎道で突如として空腹に襲われる。お昼を食べたいとは思うものの、お店はおろか家すらほとんどないような場所でハンガーノック直前まで腹が減った。耐えられずにやっと現れた唐揚げ屋さんに駆け込む。昼食を目前にしてレストランではなく唐揚げの専門店に入るくらいには空腹だった。揚げたての唐揚げがしみる。

航空自衛隊基地前のドライブインでお昼を食べた後は順調に進み、16時ごろ、今日のハイライトである真玉海岸に到着。日本夕陽百選にも選ばれている、美しい海岸だ。

陽が沈むのを待っている間、途中で外れたトゥークリップを針金で固定する。こういう長旅では、壊れたものを自分で修理するDIY精神は結構重要なのではないかと思う。日頃パンクの修理でもなんでも、お金を払ってお店の人にやってもらうが、旅の途中にお店も何もないところで壊れたら、自力で修理する他はない。これからは普段の生活でもなるべく自分の持ち物は自分でなんとかできるようにしよう、なんてことをペダルに針金を巻きながら思う。

真玉海岸の夕陽のきれいさは写真じゃ到底伝わらないので、是非観に行ってみてください。

 

三日目 3月24日 国東半島〜湯布院

3日目はちょっとしたハプニングから始まった。キャンプ場だと思って寝ていたところが、実は廃ホテルの芝生広場だったのである。

昨日は夕陽が沈んでからキャンプ場に向かったので、ついた時には真っ暗で場所がわからなかった。ちなみに本来泊まるはずだったキャンプ場は少し先の坂の下にあって、オーシャンビューで良い感じのところだった。海からの日の出を逃したと思うと少し惜しいが、この先も海の隣のキャンプ場にいくつか泊まる予定であるので一回くらいはご来光を拝めるだろう。

今日は帰省中のワンゲルの友人が別府まで応援に駆けつけてくれる予定である。友達がわざわざ会いに来てくれるというのはとても嬉しい。ペダルを踏む足にも自然と力が入る。

国東半島は、サイクリングロードがあったりしてとても走りやすかった。海がきれいに見える道で、適度にアップダウンもあって気持ちがいいルートなので、輪行をしてサイクリングするのもすごく良いだろうなと思う。

11時ごろには別府に入る。久々に”街”という感じである。友達との待ち合わせにはまだ時間があったので、アサヒでタイヤの空気とチェーンの油を差してもらう。なんとなくブレーキの利きが悪い気がしたので、念のためブレーキ調節もしてもらう。こちらは有料だが、これから先ブレーキが利かなくて事故るよりは良いだろう。

12時すぎに友達と合流。待ち合わせ場所からおすすめのお店までは少し距離があるということで、実家のデリカで駆けつけてくれた。この車がアウトドア仕様でめちゃカッコ良かった。車に乗ってしばし文明の力を感じる。

ここまで自転車で漕ぎ続けると、車というのはとんでもない発明だと思う。自転車では下り坂で全力で漕いでやっと達するようなスピードに、アクセルをひとふみするだけで到達することができる。なにより、移動をするのに身体的な疲労がほとんどない。

お昼ご飯は、友達おすすめの別府冷麺。本州出身の僕としては、冷麺といえば盛岡冷麺と思っていたので(本場の盛岡冷麺は食べたことないが...)別府の冷麺が有名だというのは知らなかった。さっぱりしていてとても美味しい。

友達とも会ってなんだかのんびりした気分であるが、3日目はここからが本番であった。今日のうちに湯布院まで行って、明日はやまなみハイウェイにいく予定である。

別府市街から湯布院を目指す。途中、立ち寄ったコンビニで臼杵市の市議会議員をしているという方に、部屋が余ってるから連絡してくれれば泊めてあげる、と言っていただくが、残念ながら臼杵はルートには入っていない。行きません、と言うのもせっかくの厚意を踏みにじる気がしたので、曖昧な返事をしてその場を後にする。泊まることができていたら、一期一会という感じでこのブログのネタになったかもしれない。

さて、湯布院へ向かう道中である。皆さんご存知かどうかはわからないが、別府から湯布院というのは想像以上に山である。ほぼ海抜ゼロメートルから由布岳の横を通るといえばわかっていただけるだろうか。ひたすらにヒルクライムである。2人でペースを合わせるとお互いのペースが違ってますますしんどくなるので、この区間だけはお互いのペースで進むことにする。

今回の旅で一番大変だったのはどこかと言われたら、間違いなくこの山越えだろう。なにせこちらはヒルクライムなどしたことないのである。ただただキツかった。フーフー言いながら、ちょっとづつちょっとづつ進んでいく。休憩で相方と合流した時、相方がスマホから音楽を流していた。俺もそうすれば良かった。一人で黙々と登るのはさながら修行のようであった。

そんなこんなでようやく湯布院に到着。当然観光などする元気はなく、早めの夕飯を食べて、宿に直行。今夜はこの旅初めての宿泊である。貧乏旅なので、ユースホステルの二段ベッドだが温泉完備でかなり快適だった。車といい宿といい、今日は普段の生活の快適さを感じる一日だった。

就寝前、明日の予定を立てる。予定ではやまなみハイウェイを通って阿蘇まで行き、その後また海沿いに戻ってくる予定であった。が、二人とも今日の山越えでヒルクライムの大変さをいやというほど思い知ってしまった。満場一致で明日は予定を大幅に変更して、すぐに海沿いにでて南下することにした。

 

四日目 3月25日 湯布院〜佐伯

宿で朝食をいただいて、8時に出発。昨日標高を稼いでいたおかげで、大分市内までの道のりはなだらかな下りが続き、スイスイと進んでいく。朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。

大分の有名なオムライス屋さんでお昼ご飯。開店直後に入ったのですぐに座ることができたが、お昼時になると続々とお客さんがやってきて、たちまち店内はいっぱいになった。

そこからはひたすらに漕ぎ進める。今日のルートはもともとの予定とは違うので、途中立ち寄るような場所もなく、ただ足を動かし続けるだけである。

16時すぎには佐伯市に入る。もともと通る予定ではなかったので、この辺りにはキャンプ場がない。運動公園があったのでなんとかそこで寝られるだろうということでやってきた。

ほっともっとでのり弁を買って、運動公園を目指していると良さげな河川敷を見つけた。橋の下なら夜露もしのげそうである。今夜の宿をここに決定する。後にも先にも、橋の下で寝たのはこの時が最初で最後であった。

今日は本当に「移動」という感じだったし、人生ではじめて橋の下で寝るのでなんだか心が休まらない。旅も4日目を終え、福岡からもだいぶ離れてしまった。もう進むしかない。

4日目にしてこんな調子で、果たして無事に帰ることができるのだろうか、まだ全行程の三分の一も終わってないのか、などなど、ぐるぐると考えてしまう。おまけに、疲れがたまっているのか足首がズキズキと痛い。身体の節々も痛みだした。「帰りたい」という気持ちが顔をだす。

そんな思いを断ち切ろうと、いつもより早く目をつぶってみるものの、結局夜中に何度も目が覚めてしまった。

気分は最悪である。

 

五日目 3月26日 佐伯〜高鍋

5時半にアラームが鳴る。なんとか無事に夜を越すことができたようだ。おじさんが朝日を撮りに河川敷に来ていたが、僕らのことは気にもとめず、ひたすら写真を撮っていた。朝食をとりつつテントをたたんで出発。今日はついに大分を抜けて宮崎に入る。

大分から宮崎に入るには山を超えなくてはならないが、峠道にはまったく車がいなかった。山を穿つように高速が通っていて、かつそれが無料区間なので、宮崎に向かう車はほとんど高速を通るのだろう。

傾斜はきついが、まったく車が通らないので、道全体を使ってゆっくり登っていく。途中で、ジグザグに登っていくと足の負担を減らせることに気づいた。ゲームの攻略法を見つけたみたいで、登り道が楽しくなる。

3日目にはあんなにキツかったヒルクライムを楽しんでいる自分がいる。これでまた一つ自分の限界が広がった気がした。

峠を超えたら、いよいよ宮崎県に入る。のどかな田舎道を抜けて延岡へ。

峠越えで疲れた身体を休めるためにドラッグストアの駐車場で休憩をしようとしたのだが、日陰が全くない。心なしか宮崎に入ってから日差しが強くなったような気がする。刺すような日差しに照らされて休めやしないので、日陰を求めて少しブラブラすることにする。

自転車を押して歩き始めた途端「プシュ〜」と気の抜けた音が後ろから聞こえてきた。何かと思って振り向くと、相方の後輪がぺちゃんこになっている。この旅2回目のパンクである。

仕方がないので道端でタイヤのチューブを替える。相変わらず相方はてきぱきとチューブを替えていく。途中、目の前の家からおじいさんが出てきて「どうしたね」と聞いてきたが、パンクですというとすぐに帰っていった。

パンク修理を終えたら、延岡駅に自転車をとめてチキン南蛮発祥のお店へ。パンクに時間をとられていて、お昼時ど真ん中についてしまったので、店の前はすでに大行列である。

僕はあまり食にこだわりがない、というか何時間も待つんだったら別のところでよくね?となってしまう性分である。対して相方は、料理がめちゃくちゃうまくてグルメであるので、食べたいと思ったものをきちんと食べたいと思う性格である(と、僕は理解している)。

この時も僕は「別のところでよくね?」と正直一瞬思ったのだが、本場のチキン南蛮というのと、そんなには待たないはずという相方の言葉もあって並ぶことにした。

結果は、本当に並んでまで食べてよかった。そんなに待たずに店内に入ることができたし、何よりチキン南蛮が絶品だった。

もしあの時、並ぶのをめんどくさがって他のお店に入っていたら、とてももったいないことをしただろうなと思う。それと同時に、俺は今まで何回くらい「めんどくさいから」と、美味しいことや楽しいことを逃してきたんだろうかとも思った。

これが一人ではなくて二人で旅をしてよかったと思うことの一つである。極端な話、相方がいなければ「早いから」という理由で毎日コンビニ弁当だったということもありえたかもしれない。でも価値観の異なる相方がいてくれたおかげで、この旅ではしっかり食事も楽しむことができた。

この日は二人でよかったと思うことがもう一つあった。元々の予定では、川南町のキャンプ場で泊まる予定だったのだが、結局もう一つ先の高鍋まで行くことになった。きっかけは相方が風呂に入りたいと言ったことだった。

僕は完全に旅モードで、数日間お風呂に入れないことはなんとも思っていなかったのだが、相方はしっかり街の感覚が残っていて、風呂に入りたいと言ってくれたのである。

よく考えてみればそれもそうだ。お風呂に何日も入らないという状況は、登山で慣れていると思っていたけど、それは山だから許されるのである。山に入ってしまえばそもそもお風呂がないのだから、何日かお風呂に入っていないことは何も言われない。

けれど、僕たちは今、街のど真ん中にいるのである。貧乏旅をしているとはいえ、街で ”風呂に入らないこと” と、”不潔” はイコールであるとみなされる。その感覚が僕はすっぽり抜け落ちていた。

ということで、二人で近くの温泉を探す。相方は予定通り川南のキャンプ場で泊まって、少し離れた温泉に入りに行こうと考えていたようであるが、僕は高鍋に温泉があることを見つけたので、もう少し進んでから温泉に入ろうという提案をした。

順調に進んでいたのでまだ時間に余裕はあるし、幸いなことに高鍋にも良さげなキャンプ場があった。予定を変更して、僕が考えたルートで温泉に向かう。

相方がお風呂にいくことを提案して、僕が最適なルートを思いつく。今まで相方に助けてもらってばかりだったが、ようやくここで自分も役に立つことができたはずである。

温泉は至高であった。多分今まで入ったお風呂の中で一番気持ちよかった。何より最高だったのはサウナである。なんてことないサウナだったのだが、僕は人生で最高にととのった。

足首の痛みも、昨日橋の下で寝て不安だったことも、一切の雑念がすーっと消えていった。このサウナのおかげでこの先の旅は快調だったと、振り返ってみると思う。

地元の名物スーパーで変な名前のついたお弁当を買って、帰路につく。奮発して買ったビールが最高においしい。

 

六日目 3月27日 高鍋〜志布志

今日も5時半に起床。海岸沿いは昼間になるととんでもなく風が吹くので、朝早くに出発して、陽がのぼりきる前にある程度の行程を消費してしまうというのが我々のスタイルである。テントから出ると、夜明けの海がお出迎えしてくれた。

今日の夜から明日の朝にかけて雨の予報だったので、なるべく早くキャンプ場について雨に備えたいところである。そのために宮崎市内はほとんど素通りすることとなった。

知り合いのサーファーが常々「宮崎に行って波に乗りたい」と言っていたのがうなずけるほど、宮崎の海は綺麗で荒々しかった。僕はサーフィンをしないからわからないけど、サーファーの人からしたら、自転車なんか乗り捨てて今すぐ海に入りたくなるんだろうな、なんて思いながら海沿いの道を進んでいく。

アップダウンがまあまああったので、本来はきついはずである。けれども綺麗な海を横目に走っていると、あまりきつくないから不思議だ。これだけでも海沿いを走る価値はあると思う。まあ、風が強くて海沿いなんて走るんじゃなかったと思う時もあるんだけど。

日南市に入り、有名なモアイ像があるサンメッセ日南に立ち寄る。自転車をモアイ像に立てかけて記念写真を撮ろうと思っていたのだが、なんとなんとモアイ像を見るのには入場料800円がかかるのである!知らなかった!おまけに自転車は中に持ち込めない。

単純にリサーチ不足であるし、せっかくここまできたからと思って800円を支払う。入ってしまえば、それまでの文句はどこかへいってしまい、モアイ像との記念写真を楽しんだ。

サンメッセを後にして漕ぎ進み、16時すぎにはキャンプ場に到着。今日のキャンプ場はきちんと管理されている有料のキャンプ場である。

受付で使用料を払ってテントを張る。キャンプイベントかなにかだろう、小学生たちが元気にドッヂボールをしていた。にぎやかな夜になりそうだ。

旅も折り返しが近いということで、二人で愛車の整備をする。僕は一度外れたトゥークリップの補強と、ネジがとれていた荷台に針金を巻きつける。相方は相方で、もうパンクしたくないからということで、買ってあったタイヤに交換している。

22時すぎ、雨粒がテントにあたり始めた。急いで荷物をまとめて屋根のある東屋に避難する。

管理人さんに事前に許可をもらっておいてよかった。これで、夜中にどれだけ雨が降っても、びしょ濡れになることは避けられそうである。明日はいつ雨がやむかな、なんて考えながら六日目が終わった。

 

七日目 3月28日 志布志〜垂水

6時すぎに目が覚める。東屋に避難していたおかげで、快適に夜を越すことができた。夜中に結構な量の雨が降ったようで、駐車場には大きな水たまりができていた。

雨が降ることはわかっていたので、今日は雨が止んでからゆっくりと出発することにしていた。予定よりも早く進んでいる分をここで消費する形だ。

雨が止むのを待っている間に、これからの予定を立てる。自転車を漕ぐのにも慣れて、スピードが上がっているので、予定よりも早く福岡に帰れそうだ。

「よくここまで来たな〜」なんて話していたら、小雨になってきたので出発の準備。昨日とは違う管理人さんがやってきて「ここ、無料のキャンプ場じゃないから」と言われたので事情を説明する。

12時すぎに出発。もうお昼なので、通り道にあったちゃんぽん屋さんに入る。大将が個性的なお店だった。野菜たっぷり大盛りちゃんぽんを平げる。

距離的にはいつもの半分くらいなので、のんびりと進む。雨もあがって、ほとんど濡れることなく進むことができた。雨に濡れることを予想していたので今日はホテル泊である。

泊まるのはホテルAZ。九州全土にやたらとあるビジネスホテルだ。今回の旅でも、通った街にはだいたいAZがあった。それくらいあるので、これから先もお世話になるかもしれないと思って、チェックインの時にメンバーズカードを作ってしまった。

ホテルの隣にある道の駅で夕飯の買い出しをする。ちょうどお弁当が2個残っていたので、それを買った。レジのおじさんが言うには、いつもならこの時間にお弁当は残っていないそうだ。今日は雨だからお客さんが少なかったのかもしれない。

部屋に戻って夕飯を食べたら、特にやることもないのでいつも通りの時間に布団に入る。道の駅で買った本場のさつま揚げはとてもおいしかった。

 

八日目 3月29日 垂水〜鹿児島

 

7時からの朝食バイキングをお腹いっぱい食べて、AZを後にする。目の前には昨日見えなかった桜島。今日はいい天気になりそうだ。

今日は桜島をぐるっと回って、鹿児島市内を目指す。昨日あまり進めなかった分、今日は頑張って漕がなければならない。

もう七日間も道路を走っていると、普段は気づかないようなことが目についたりするようになる。例えば道路標識。道路標識や看板はその土地の特徴を感じさせてくれるのだ。

桜島に近づくにつれて、「降灰によるスリップ注意」なんていう標識があちこちに出てくる。そんなものは他の場所では見たことがない。桜島が生きた火山であることを感じさせてくれる。

桜島をぐるりとしたら、霧島を通って鹿児島市内へ。白くまの本店に行って、巨大な白くまを食べる。時刻はまだ14時前。今日も余裕で日程を消化できたな、なんて白くまに舌鼓を打ちながらのんきに思っていた。

キャンプ場に向かう途中、アサヒに寄って自転車を整備してもらう。旅も折り返しなので、後半も安全で快適な旅ができるように、メンテナンスをしてもらった。お兄さんが優しくて、本来はお金がかかることまでサービスをしてくれた。

アサヒを後にしたら、キャンプ場へ。今日も時間がありそうだし、テントを張ったら、昨日ダウンロードしておいたラジオでも聞いて時間をつぶそうかな、なんて思っていた。

しかしこの後、私たちは冷戦時代を迎えることになる。

横断歩道を渡った時、相方の後輪がパンクした。整備をした直後に。昨日、タイヤ本体を替えたばかりなのに。

この時タイヤに食い込んだ釘は、僕たち二人の関係にも亀裂を生じさせることになった。

3回目のパンクということ、空気を入れてもらった直後ということ、ここまで120キロ以上を漕いだ疲労などが積み重なって、相方はキレた。

大きい声を出したりとかそういうことはなかったけど、キレているのがはっきりとわかった。それを見て僕の中に生じた感情を正直に書けば、それは「なんでお前がキレるの?」である。

僕はまだ一度もパンクしていない。相方がパンクするたびに先に進めず、待たなければならなかった。しかももう3回目である。こんなに何回もパンクしてるのに、待たせてごめんくらいの言葉はないのか?キレたいのはこっちだよ。とその時の僕は思ってしまった。

冷静になって振り返ると、相方は相方で「なんで自分だけ」という思いがあったのだろうとか、そういうことに想いを巡らせることができるのだが、あの時はお互い頭に血がのぼっていて、冷静になんていられなかった。

八日目にして二人の仲は最悪である。

そんな状態でパンクの修理を冷静にできるはずもなく、力任せにはめたチューブが破けてしまって、ますます空気が悪くなった。結局その日はパンクを直すことができず、自転車を押してキャンプ場に向かった。もちろん道中は無言。あたりはすでに真っ暗だ。

予備のチューブを無駄にしてしまったので、明日はまず、チューブを買ってからでないと出発できない。お店が開いてから出発するとなると、そんなにたくさんは進めないだろう。

明日は相方が楽しみにしていた指宿の砂蒸し風呂に寄る予定であった。僕としては、観光よりも予定をしっかり進めたいという思いがあったので、明日の出発が遅れる分、砂蒸し風呂には寄らず、先に進もうと提案した。しかし相方は、明日進む距離が短くなって全体の行程が遅れたとしても、どうしても砂蒸し風呂には入りたいという。

お互いがお互いに「今さら何を言ってるんだ」と思ったのだろう。結局それ以降言葉を交わすこともなく、僕はいつもより1時間も早く寝袋に入って、不貞寝した。

 

九日目 3月30日 鹿児島〜枕崎

「おはよう」

どちらから言ったのかは覚えていないが、その言葉で九日目は始まった。人間の脳はよくできているようで、寝て起きたら昨日のイライラはどこかにいってしまっていた。

昨日あんなことがあったので、お互いどこか気まずさはあったけれど、朝ごはんを食べて今後の予定について話し合う。

結局、指宿の砂蒸し風呂に寄って、枕崎に泊まるということで話がまとまった。そうと決まればあとは出発するだけなのだが、タイヤがパンクしたままなので、昨日のアサヒに歩いて向かう。

歩きながらいろんなことを話した。部活のこと、大学のこと、将来のこと、、、。昨日のわだかまりはどこへやら、以前よりも相方とより深く話し合えるようになった気がする。

昨日のアサヒに行ったら、お兄さんは今日もお店にいて、パンクを修理してくれた。流石にパンク修理はおまけしてくれなかったけど。

ようやく態勢が整って、指宿に向けて出発する。昨日あんなに文句を言っていたのに、砂蒸し風呂が楽しみな自分がいる。

13時すぎに指宿の街に入る。商店街でお昼ご飯を食べて砂蒸し風呂へ。砂蒸し風呂は不思議な感覚だった。身体の芯からじわーっと温まっていく感じ。気持ち良くて寝てしまいそうになる。

大満足の砂蒸し風呂を後にして、一路、枕崎を目指す。鰹が有名な街というのは知っていたが、枕崎について知っていることと言えばそれくらいであった。

ただ、それで十分だった。街に入る前から、鰹節の匂いがプンプンする。文字通り、枕崎は”鰹の街”だった。駅前の居酒屋で鰹丼を食べて、キャンプ場へ。今夜のおつまみは鰹のたたきだ。

海を見ながらの晩酌。昨日はいろいろあったけれど、過ぎてしまえばいい思い出だ。二人で、昨日は大変だったね、と振り返ってみる。

今日で南下は終わり。明日からは我が家を目指して北上する。

 

十日目 3月31日 枕崎〜水俣

太陽が顔を出す前に起きる。今日泊まったのは「火之神公園キャンプ場」。オーシャンビュー、きれいに整備された芝生、清潔なトイレ、そして無料のキャンプ場である。

長かった鹿児島も今日で終わり、目指すは水俣。曇り空の中ペダルを漕ぎ始める。昨日はおいしいものを食べて、きれいなキャンプ場でぐっすり寝られたので、身体も快調だ。

枕崎から南さつままでは、結構な山道でしんどかったが、まだ朝早くだし、こんなところで疲れてなんていられない。がんばって坂道を登る。

そういえば鹿児島ではロードキルを見かけることが多かった。車にはねられた野生動物って誰がどうやって処理してるんだろうね、なんて相方と話しながら横を通り抜ける。ふと、一歩間違えば俺たちもああなりかねないなと思ったり。安全運転でいこう。

阿久根の食堂でお昼ご飯。テレビでは春の甲子園が流れている。もう準決勝らしい。今年は甲子園を一試合も観ないで終わってしまいそうだ。

あとはひたすらに漕ぎ進める。鹿児島と熊本の県境は、山越えをしなければならないと勝手に身構えていたのだが、思ったより山道ではなく拍子抜け。

14時半ごろ、熊本県に入る。なんだか嬉しくて、看板をパシャリ。旅の終わりが刻一刻と近づいている。

この日泊まった場所は、トイレが使えないとか蛇が出るとか、Google マップのレビューで酷評されていたので、無事に夜を越せるか心配だった。しかし、実際に行ってみると、トイレはきれいで自動で電気までつくようになっているし、蛇が出そうな気配もない。

もし自分たちがネットの情報に踊らされて、そこに行くのをやめていたらと考えてみる。ネットの情報は参考にはなるけれど、実際に自分の目で見たものが本物だ。

 

十一日目 4月1日 水俣〜熊本

今日は熊本市内を目指す。距離的にも短いし、ホテル泊の予定なので、着いたらゆっくり観光ができそうだ。

自転車旅の大半は車輪の上なので、有名な観光地の横を通ることはあっても、ゆっくり観光をするということは難しい。そこで何に楽しみを見出すかということも自転車で旅する醍醐味だとも思う。

順調に進み、お昼前には熊本の市街地に入る。車も人通りも多くなる。お昼ご飯は、地元である相方おすすめの油そば。グルメな相方のおすすめだけあって、うまい。あっという間に平らげてしまった。

そのあとは熊本城へ。地震から復活をしつつあり、外側からはお城をしっかりと見ることができた。「美しい」というのが熊本城をあらわす最適な形容詞だと天守閣を見上げて思う。

熊本城を後にしたらホテルへ向かう。とその前に、相方が行きつけの自転車屋さんで空気を入れてもらう。予定ではあと4日。このままマシントラブルがなければいいが。再び仲が険悪になるのはごめんだ。

ホテルへの道は勝手知ったる相方が先導して、路地裏をスイスイと駆け抜けていく。

そしてここで、まさかのパンク。この旅4回目である。

「まじか」とは思った。だけど、パンクした時の身の振り方は、冷戦時代に高い授業料を払って学習済みである。お互い一度冷静になって、パンクを修理する。すると、驚くほどスムーズにパンク修理が終わった。

前回パンクした時は、このタイヤはチューブがはめずらいとか何とか、文句ばかり言っていたけど、結局コントロールできるのは自分だけなのだ。同じ状況を前にイライラするのも自分、文句を言うのも自分、冷静になるのも自分である。

 

十二日目 4月2日 熊本〜南島原

7時にホテルをチェックアウト。自転車を止めていた駐輪場は、日をまたいで駐輪することができなかったらしく、係員の人に注意されてしまった。今回だけなので許してください。

今日は佐賀の西側までいく計画だった。距離にして100キロほど。しかし、9時過ぎには半分ほど進んでしまった。このまま行けば、お昼過ぎには目的地についてしまう。ここまでずっと自転車を漕ぎ続けているので、脚が鍛えられてどんどんスピードが上がっているようだ。おまけに昨日はホテルでぐっすりだったので、元気が有り余っている。

ということで急遽予定を変更して、明日進む分を今日消化してしまうことにした。距離は一気に倍になって220キロ。旅も終わりが近づいてきた今、200キロを超える未知の世界に足を踏み入れるのも悪くない。果たして僕らの限界はどこにあるのだろうか。

200キロを走破するためには、午前中にどれだけ距離を稼げるかが大切だ。少しでも先に進もうとペダルを一生懸命に漕ぐ。

お昼ご飯を食べたのは13時過ぎ、120キロぐらいのところだった。ここまではまずまず順調。有明うどんをお腹いっぱい食べる。

ここからは長崎県に入って、島原半島をぐるっと三分の二くらい走る予定である。これまでの最長距離は140キロなので、そこから先は未知の領域だ。

諫早湾の堤防道路に入った時には、陽が傾きだしていた。急がなくては真っ暗闇の中を走ることになる。足にも疲労が出始めた。さらに、島原半島の坂道が追い討ちをかける。上っては下ってを何回も繰り返す。

ここまで何度もアップダウンを繰り返してきた。坂道は嫌いだけど、登り坂のあとには必ず下り坂があるのがいい。なんだか人生の縮図みたいだな、なんてクサイことが頭に浮かぶ。精神的にもだいぶ疲れているようだ。

沈む夕陽のきれいさに背中を押されながら、なんとか完走。200キロ以上の道のりを走り切った。キャンプ場近くのほっともっとに着いた時にはあたりは真っ暗。新発売のガパオライス大盛りを注文する。

海辺のキャンプ場には、外国人のカップルが一組。途中のスーパーで買ったポンカンをあげるという口実で話しかけ、ちょっと自慢げに「200キロも自転車で走ってきたんだぜ」と言ってみる。それを聞いて彼が一言

「Crazy」。

僕もそう思う。12日目にしてずいぶんとクレイジーなことをした。だが、一日に200キロ以上走ったという事実は、きっとこの先僕らを支えてくれるものになるだろう。

 

十三日目 4月3日 南島原〜伊万里

5時半、目覚ましよりも早く起きる。何日も同じ時間に起きていると、勝手に目が覚めるようになるらしい。

昨日の夜、アメリカンのカップルとは「お互い疲れてるから明日の朝ゆっくり話そう」なんて言っていたけど、僕らは今日も自転車を100キロ以上漕がなければならない。寝静まった彼らのテントを横目に、いそいそとテントを畳む。

雲仙は温泉が有名である。街のあちこちで湯気が上がっていた。湯煙の中自転車を走らせる。ここもまた、今度ゆっくりきたい場所リストに追加だ。雲仙岳に登って麓の温泉でのんびりしたい。そんなことを思いながら、自転車は長崎市街を目指す。

長崎市街はもともと通る予定ではなかったのだが、体力も日程も余裕があるので、どうせなら外側を回ろうということでやってきた。坂が多く、自転車に乗るには大変な街だ。僕ら以外、自転車に乗っている人はほとんど見かけない。

坂に疲れて、駅の近くで休憩をする。相方はグルメセンサーを働かせて、カステラを買っている。

なんだかんだでお昼になったので、街の食堂でお昼ご飯。お店の引き戸を開けるといかにも大将という人がお出迎え。二人ともちゃんぽん大盛りを頼む。大将の「残すなよー」という言葉通り、山盛りのちゃんぽんが出てきた。おいしい。

残さず食べてお店を後にし、伊万里を目指す。伊万里まで行ってしまえば、家に帰ったも同然である。最終日くらいはゆっくりしたいし、汗臭いまま帰りたくないということで、ホテルAZを予約済みだ。

順調に漕ぎ進め、無事に伊万里へ。スーパーで夕飯を買ってホテルに向かう。この旅最後の宿泊かと思うと、感慨深いものが...と思っていたが、そんなことよりも、疲れと早く家に帰りたい気持ちで、感傷に浸っている余裕はなかった。

日常の生活が近いということもあってか、今までセーブしてきたことを次々にやりたくなる。ベッドでゴロゴロしたい、永遠にYouTubeを観たい、本も読みたい。

屋根があって、壁があって、フカフカのベッドがあるというのは現代日本では当たり前だけれど、こうやって何日もそれがない生活をしていると、それがどれだけ快適だったのかがよくわかる。それと同時に、現代の都市の生活は快適すぎるのではないか?という疑問も浮かんでくる。

旅を終えた今もなお、答えは出ていない。

 

十四日目 4月4日 伊万里〜糸島

九州一周自転車旅もいよいよフィナーレである。

今日は最終日。マラソンでいえば、最後に陸上競技場のトラックを何周かするあの時間である。これまで13日も自転車を漕いできた僕らからすれば、ウイニングランといっても過言ではない。

しかし、雨である。朝からザーザー降りで、この中で自転車を漕いだら一瞬で濡れる。いや、本当に最終日でよかった。これが明日も旅が続くとなったら相当しんどかっただろう。そういった意味でも、雨に降られたのが最終日だけというのは本当にラッキーだった。

雨は止む気配がないので、意を決してサドルにまたがる。なんだかんだと雨に文句を言いながらも黙々と漕ぎ続け、福岡に入る。

「ああ、帰ってきた」というのがその時の思いで、感動とか、感慨とかそういった類の感情はほとんど湧いてこなかった。それよりも、無事に走りきれたという安心感と、これで普通の生活に戻れるという気持ちの方が強かったように思う。

我らがホームタウン、糸島の海は荒れていた。猛烈な雨と風がゴールを目前にした私たちの行手をはばむ。けれど、糸島の海は美しくもあった。ここまでずっと海沿いを走って、いろんな海をみてきたが、毎日みていたはずの糸島の海がこんなにもきれいだということは知らなかった。

これは自転車で九州を一周して良かったと思うことの一つである。今まで当たり前にあったものの素晴らしさを実感することができた。普通の暮らしの快適さも身に染みたし、見慣れているはずの海のきれいさも知った。

旅のゴールは九大の石碑の前と決めていた。14日間、僕たちは自転車を漕ぎ続け、時には橋の下にテントを張ってその中で眠り、その土地の美味しいものを食べて、温泉に入り、また漕ぎ続けた。相方と仲が悪くなったことも、何度もパンクしたことも、今となってはいい思い出だ。

この14日間の旅は、僕の人生においてとても大きな意味を持つものになるだろう。誘ってくれて、一緒に14日間をともにした相方には感謝しかない。相方がいなければ、自転車で旅をするなんてことは思いもしなかった。

石碑の前に自転車を二台並べ、通りがかりの人に写真を撮ってもらう。二人ともいい笑顔だ。日焼けした肌がまぶしい。


Annapurna Circuit Trekking vol.1

2020-06-14 00:48:40 | 個人活動(海外)

参加者:田村、鶴田、竹中(57期)

文責:田村

~目次~

1.序章

2.ネパールへ

3.カトマンズ~マナン

4.マナン~ポカラ

5.ポカラ~カトマンズ

6.帰国

7.準備編

8.さいごに

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1.序章

2018年。色々あった夏が終わり、少し涼しくなってきた頃のことだった。誰から誘われたのかもう定かではないが、自分たちもネパールへ行こう!となった。僕たち57期はそれまで複数人での海外遠征を行っていなかった。しかし、当ブログの過去の記事にもあるように、代々ワンゲルの先輩方はアンナプルナB.Cへの内院トレッキングやキリマンジャロ登山など積極的な海外遠征を行っている。ならば、と、せっかくならばまだ行っていないであろうヒマラヤのトレッキングコースを制覇しようとなった。

ところで、ネパールには大きく二つの有名で人気なトレッキングの聖地がある。エベレスト区域とアンナプルナ区域である。もちろん、8000m峰を踏破するわけではなく、ネパールでは"丘"とされる6000m以下のトレッキングを楽しむことが出来る。エベレスト区域にはE.B.C(エベレストベースキャンプ)やゴーキョ・ピーク、カラパタールといった迫力のある見どころが多くある。しかし僕は行っていないのでよくわからない。ここに行ったT田、Y村、お嬢、N尾あたりに聞いてみて欲しい。

▼参考文献

OGPイメージ

ビビりな女子のネパールトレッキング 前編 (ブログウィーク第4弾) - 九州大学ワンダーフォーゲル部

こんにちは。58期の福地です。これは私がネパールのエベレストの近くでトレッキングをしてきたときの話です。かなり長いです。前半と後半に分けまし...

ビビりな女子のネパールトレッキング 前編 (ブログウィーク第4弾) - 九州大学ワンダーフォーゲル部

 

さて、今回僕が行ったのは、アンナプルナ・サーキットというトレッキングコースである。

アンナプルナという、8000m峰の中では最も最近まで登頂ができなかった最難関の名峰のまわりを1周するコースで、途中にはThorung La Passという5416m世界最高標高の峠がある。この峠を越えることは世界中のトレッカーの夢であり、巨大な"豊穣の女神"アンナプルナ山群の外周を制することを意味する。

世界一、という言葉に惹かれて何としても行きたくなってしまった僕たちはその場で航空券を取り、情報収集を始めた。ヒマラヤは3月から乾季に入るので、3月がベストシーズンであること。高い標高でも、日本のアルプスを縦走できる体力があればそこまで難なく歩くことが出来ること。この時点でターゲットと定め、日程の確保とお金の確保をした。ここ辺りの準備編については、この記事の最後の方にまとめておく。

 

2.ネパールへ

福岡ー羽田ー北京ー成都ーカトマンズ

3/4 どたばたの出発

実はこの前日まで神奈川県の川崎にて用事があり、ちょうど羽田から帰福したばかりであった。急いで食料など消耗品を買い足して、実家で夕飯を食べた。予定の飛行機は福岡を21時45分に出発するスカイマークの羽田行き最終便である。

実はこの時僕は伊都の中で引っ越しを予定しており、荷物は実家と祖母の家の二カ所に分散して保管していた。

ところで僕はかなりの"あわてんぼう"である。行き当たりばったりで動くと何かよくやらかしてしまう。

しかし、今回は大計画だったのでちゃんと1時間ほど余裕を持って出発することにした。玄関にて登山靴をはこうと思ったその時、

登山靴がない…

なぜだ、、、靴類などはこんなことが起きないように実家に持ってきているのに…

登山靴の所在が分からずめっちゃ焦った。おばあちゃんに連絡するも家になさそうだとの連絡。結局賭けに出た。実家にないので車で祖母の家に行き、自分で探すことを決意した。祖母の家まで車で30分。そこから実家の最寄まで電車と徒歩で20分。探索の時間も考えると、かなりぎりぎりだった。最悪めちゃ高い明日の朝の便で羽田に飛ぶことを考えながら、祖母家に向かった。父は車を飛ばし運転をしてくれたし、母は実家で靴を探してくれている。弟たちまで慌てているし、祖母は自宅で靴を探し続けている。僕からの連絡を受けた竹中は空港にて一人寂しく待っているし…竹中いつも集合場所に着くの早すぎるって。。

結局めちゃあっさり見つかりました。おばあちゃんが見つけてくれて玄関までもって来てくれました。。本当にありがとう。。。

結局、空港から3駅ほどさらに遠ざかってしまった赤間駅からスタートになってしまった。しかし、博多駅での圧倒的乗り換え経験により、問題なく保安検査場を通過することが出来、無事1日ぶりに羽田に戻ってこれた。これまた誰かから聞いた、羽田の国際線は椅子が寝るのにちょうどよく空港泊に適している。という情報を基に行ってみた。とても良い感じ。。目の前のローソンで耳栓を買い、24時間運営の日本最大の空港の喧騒に包まれながら夜12時ごろに眠りについた。

 

3/5 初の中国にドキドキ

なんだかんだよく眠れた。朝7時くらいに誰かが椅子を揺らすまであまり起きなかったように思う。朝天気が良かったので展望台に行くとANAの飛行機たちがたくさん!

▲遠くにスカイツリーが見える展望台

国際線ターミナルは見どころが多い。一通り散策を済ましてお腹がすいたので、今回最後の日本での食事とした。

確か吉野家かすき家だったと思う。安くておいしい日本の国民食を食べて豪華な国際線の建物を抜けて、ついに出国の時が来た。

▲人がたくさんの搭乗口。にぎやかでいい感じの場所だった。

ここでこれからお世話になるアジア最強のSIM2Flyをアクティベートする。ソフトバンクの回線に繋がったら成功だ。これはタイの大手携帯電話会社AISという会社が販売しているもので、なんとアジアを中心に14か国で4GB 8日間でJPY1,380という破格のパフォーマンス。期間延長はLINE Payで簡単にできる。これだけでタイが素敵な国であることがわかる。まだ行ったことがないので絶対行くと誓った。ちなみにネパールではNCELLにつながる。エベレスト方面では旧国営のNTCの方が強いので、空港でそちらを買う方が良いらしい。

ともかく、中国でももちろん使えるし、香港のSIM扱いなので特別なことをしなくても、LINEもTwitterもInstagramも制限なく使える。もはや家宝レベルである。気になった人はこちらからどうぞ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00XR5HJHM/ref%3Dcm_sw_em_r_mt_dp_U_Hyn5Eb81GXD34

話がそれてしまったが、今話としては中国国際航空の機内で美味しい機内食を食べながら韓国上空を飛んでいる頃だろうか。余談だが、ここから出てくる中国の航空会社の機内食は美味しいし量も多い。2種類から選ぶことが出来た。

▲まさかの横向き(汗)これはチキンかな。そういえば確かチキンorフィッシュだったような気がしなくもない。チキンの方を食べたかった。がっつり行きたい気分だったので。

▲案外、軍事境界線の近くを飛ぶ。中国は北朝鮮の同盟国だったと思うのだが、この飛行機は北朝鮮領空を飛ぶことはなかったようだった。

▲乗っていたのはこの飛行機。大きくてなかなか過ごしやすい機内だった。(写真はないです。。)

ところで、この中国国際航空は中国のフラグシップ航空であり、スターアライアンスメンバーでもある。おかげさまで今回ANAのマイルがとても溜まった。CAさんには男の人もいた。イケメンと美女でサービスの質も高いが全行程合わせて5万円台。ANAのライトユーザーとしては信じられない値段でのハイサービスだった。

4時間ほどのフライトで無事北京に着いた。この空港は上海と並び中国で最も大きい空港の一つである。そして外国人はここで指紋を登録することになる。僕たちの時はトランジットビザは不要だったが、国内線乗り換えは少し面倒だった。中国語はわからないし、英語はあまり伝わらないし。何かしらの用紙に乗り継ぎ便の情報を書いて持っていったら認めてもらえた。僕は指紋をすんなり取ってもらえたが、竹中は苦戦していた。自動読み取り機で日本語の説明もあったのでそこそこに親切。税関を通り、専用列車で国内線ターミナルへ移動した。

▲北京の夕暮れ。なんとなく中国東北部の赤い夕焼けの色だなと感じた。

ちょうどここで日本時間で19時くらい。次のフライトまでは4時間以上あったためのんびり夕飯を食べることにした。国内線なので、肩身が狭いかなと思っていたが全くそんなことはない。僕らが日本人であったからかペプシのコーラをおまけしてくれた。本場の中華料理を食べることが出来てかなり満足。トマトラーメン美味しかった。パクチーは乗せないでほしかったが…

▲北京空港のトマトラーメン

64元=1024円くらいか。物価の安さをここではあまり実感せず。空港散策をしたが特に面白いものはなく、搭乗口付近の自動販売機で飲み物を見た時に違いが面白かったくらいか。桃茶が個人的に気に入ったので飲み終わった後もボトルとしてしばらく使うことにした。

▲桃茶

夜も更けてきて、日本時間で23時近くに搭乗し、四川省の省都、成都(Chengdu、チェンドゥ)に飛ぶ。地味に3時間というまあまあな時間を過ごしたが、ここでもまさかの機内食が出た。

▲ヨーグルトをはじめとし、軽食がたくさん。マフィン美味しかった。

この深圳航空はびっくりするくらいCAさんが美人だった。竹中にもこれを話そうとしたが寝てた。時間はもう深夜だし仕方ないか。CAさんの真っ赤の制服に整った顔立ちは日本とはまた違う中華美人の風であった。ところで、機内には中国の夢とかの冊子があった。なんとなく読んでいたがさっぱりわからなかったので、僕も軽く眠ることにした。

 

3/6 ついにネパールの地を踏む!

深圳航空の機内で日をまたいだ。また、ここからこのブログの時間も現地時間をベースにする。

北京を22時ごろに出発した当機が成都に着いたのは午前1時過ぎ、思ったより多くいたお客さんとともにゲートを出る。

そこはタクシーの客引きがひしめく場所だった。はじめはスルーした僕たちだったが、国際線のターミナルに行きたかったので甘えて客引きにつかまってみた。これがやらかしであった。親切な男女だったが、50元ほどぼったくられた。たしか昼ならターミナル間移動がただだったはずだし、先に通過した鶴田は同じくらいの時間に徒歩で移動したらしい。800円あればネパールでは一泊できるのに…などと考えても始まらない。

成都の国際線ターミナルには日本人のブログでは少し有名な"寝床"が存在する。ここの仮眠スペースは飛行機の往来がない時間帯には閉じてしまうが、その近くの中華料理屋のとなりのスペースが光を遮りいい感じになる。僕たちもそこで寝ると決めていた。僕たちの寝床に行くとそこには先客がいた。欧米系の彼らはいかにも大きなザックを持っており、僕たちと同じ目的であることが伺えた。また、関西から来たという大学生二人組にも出会った。お互い深夜に徘徊していたので警戒していたが、あちらが僕たちを日本人だと気が付いて声をかけてくれた。彼らもまたネパールへ行くらしい。軽く挨拶をして、彼らと少し距離を開けて、持ってきていたシュラフを広げた。今日はここまで。全くの見知らぬ土地だったがしっかり眠ることが出来た。

▲台湾の蔡英文総統のような見た目の人だった。簡単に乗せられてしまったが普通のいい人で害はなかったので今となってはいい思い出。

▲この日の寝床。写真右側の壁が光をさえぎってくれるため寝るのに適している。この写真は朝撮ったものかな。

 

翌朝は空港職員の足音で目が覚めた。隣の中華料理屋の朝は早く、もう営業を開始していた。ところでここ成都は三国志で劉備率いる蜀の国の都として栄えた都市である。いまでも中国有数の大都会として知られている。地下鉄に乗れば成都パンダ繁育研究基地にもいくことが出来る。この日僕たちは12時半の飛行機でネパールへ飛ぶ予定だったので、朝ごはんを食べて空港内を探索するだけにした。

▲この日の朝ごはん。成都にも朝マックは存在していた。

四川料理屋もあったが、めちゃ辛いことが想像できたので、東アジア最後の食事は慣れたマクドナルドで採ることにした。日本と変わらぬ味。外国に行くとマックがホームになるというがなるほど。支払いの際に現金を渡すと露骨に嫌な顔をされたが、ごめんねと思いつつやり過ごす。この国は決済方法が進化しており、圧倒的にスマホ決済の比率が高い。ここ成都でも現金を利用する人は皆無で、おそらく僕たちのような外国人くらいだろう。

ここらへんで人民元がなくなってしまったため、ATMで下す。なぜかこの時の設定をやらかしており、その後1万円くらいリボ払いのような感じで飛んで行ってしまった。まあ、いいか。

長い通路を歩き、中国人民ではない方で税関を通る。保安検査では靴を脱いで検査だったが、僕はここで引っかかった。なんかいかがわしい粉でもついていたのだろう。登山靴怪しいもんね。丁寧だったけど体中をタッチされて疑いが晴れた。ひとまず安心。やっと、ネパールの首都、カトマンズへのフライトが始まる。

▲カトマンズって中国語だとこう書くんだね。。

時刻は12時半。次にここから出る飛行機は関空行だったのでここまでなら日本が近いと感じているが、これから先はヒマラヤの向こう側。容易に日本に戻ることはできない。なんて、全く思わずこれから先のことにとてもワクワクしながら他の多くの乗客とともに遠くに待っていた飛行機へと進んだ。

▲ずっとお世話になっている中国国際航空

この飛行機の搭乗時間は3時間半ほど。カトマンズと日本は3時間15分の時差がある。隣にいたのはネパール人の方で、薬草(?)の取引をしているようだった。中国へは何回も来ているらしく、僕たちのような人によく会ってきたそうだった。「カトマンズはとても素晴らしいところだから、いい時間を過ごしてきておいで」優しい人だった。しかし、この人搭乗中にCAさんに何度も飲み物のお代わりをしていたのがおかしくて面白かった。ここら辺ではよくあることよくあることらしい。

▲当機の機内食。豆と肉のお弁当の味付けは絶妙に良かった。飲み物はかなりの頻度でおかわりが出来る。

おじさんと話をしたり、トイレに行ったりくつろいだりしているうちに、白銀の大地が左側に見えるようになってきた!

▲中国とネパールの国境付近からの景色

まぎれもなくこれが世界の屋根"ヒマラヤ山脈"である。空の青さと対比されてその神々しさが際立っている。数日後にあの中にいると思うとわくわくが止まらない。隣のおじさんに許可をもらって写真をたくさん撮った。

※ネパール語ではヒマールと呼ぶ。意味は雪山で、サンスクリット語では雪の住みかというらしい。いかにも世界の屋根って感じがして良いですね。

いつの間にかヒマラヤ山脈を越えていたらしい。徐々に高度を下げるとそこにはかなりの大きさを持つ都会が現れた。カトマンズである。天気は晴れ。気温は高く、それまでの服装では汗ばむほどだった。

▲カトマンズのトリブバン国際空港は小さくてかわいらしい空港である。

竹中とふたり、ザックを受け取り、事前に用意していた観光ビザを出して入国した。検査などはとても簡易的で大丈夫か?と疑うほどであったが大丈夫らしい。

ここから2週間のネパールでの思い出に入っていくことにする。

つづく。。。

追記。ここまでで11400文字を超えています。。どれくらいになるのやら…


復帰戦

2020-06-09 22:24:03 | 夏合宿

文責:利根龍二 参加者:利根龍二

 

九州一周のトラウマ(はじめに)



2018年夏休み、帰省先で観たあの高校球児の有志の姿にぼくは心を打たれた。何かあるとすぐに影響をうけまくるぼくの心は燃えていた。何かやろう。でも、何する。あ、そう言えば、ワンゲルの先輩でチャリ旅たのしいぜ!って言ってる人いたな。よし、九州一周しよう。一瞬の思い付きだった。今思うと、バカだ。思いついたら行動せずにはいられない人間のぼくは、ネットでチャリ旅記事を探し、持ち物をリスト化し、それらをamazonでポチポチ買っていった。よし、これであとは商品が届くのを待つだけ。この時、野球の試合はまだ続いていた。

さあ、荷物が届いてさあ出発。計画は30分くらいでたててしまった。ほぼ無計画と言える。amazonで色々と買い過ぎたせいで、出発時に財布の中に入っていたのは2万円だった。ぜんぜん、足りるだろうと思っていたがこのせいで、大地獄をみる羽目になった。道中の詳細は省くが、一言でいうとぼくはチャリ旅恐怖症に陥った。道中はほとんど雨だった。台風にも襲われた。あれもこれもと積み込み重くなった荷物のせいで、何度もパンクした。予算がなかったので、大雨の日も野宿だった。着替えも全て濡れてしまっていたので、濡れたまま寝た日もあった。無計画にチャリ旅を実行した自分のせいだ。なんてバカなんだ。

チャリ旅を終えると、普通なら、一度チャリ旅をすると、最高だった!またやりたい!そう思うのだろう。それくらい、チャリ旅は人を魅了する力があると確かに思う。でもぼくは、もうやりたくない。はじめて、チャリ旅をする人にはよく計画を練っていってほしい。でないと、きっとこうなる。こんなトラウマがあって、1年半チャリ旅を中断していた。その代わりに鉄道旅をよくしていた。2020年春休み、何かのきっかけでロードバイクいじりにハマり、速く走れるようになったこのチャリでチャリ旅をしたいと思った。そして、九州一周旅の失態を踏まえ、荷物の軽量化、天候の確認を徹底を行い、四国一周旅を実行することになったのであった。

 

最高のスタート(1日目)


2月26日:坂出~徳島
実家の兵庫から、坂出まで輪行、そして組み立て11時出発進行。昼は高松でうどんを食す。コシがあって、うみゃい!とりあえず、こうやって言っておけば、うどんの食レポは何とかなる。しかし、ほんとに美味しかった。夜は、徳島の新鮮な魚介類わんさかわんさか。宿代より高くついてしまった。疲労感はほとんど残っていない、明日からのライドが楽しみ。最高のスタートがきれた。

 

満点の星空(2日目)



2月27日:徳島~室戸岬
7時起床予定が、起きたのは9時45分。やばい。チェックアウトまで残り15分。急いで、準備しチャックアウトには何とか間に合う。徳島が生んだ鬼のチャリ乗り、青木君がおすすめしてくれたそば米汁を朝食にとる。やさしいお味。そして安い。300円以下で朝食が食べれてしまう。

 

ナイスな情報ありがとう。昼飯、NHK朝ドラ「ウェルかめ」のロケ地、美波町でとる。豚玉だった。19時ごろ日が落ちた。街灯のほとんどない海沿いを走った。そこで見た水平線上から真上まで広がる星空が忘れられない。プラネタリウム。星空にうっとりしながら、30km程海沿いを漕いだ。20時、目的地、室戸ジオパーク到着。ここには風呂がある。体に染みた。管理人さんに、閉館した後、敷地にテントを張っても良いか聞くと、こころよくokしてくれた。室戸町の人はきっとみんなこころが暖かいのだろう。晩飯、この時間(午後九時)はコンビニ・飲食店はあたりには一切ないので、チョコレートとラスクで空腹を満たし、就寝。

 

 

カツオ寿司(3日目)



2月28日:室戸岬~高知
6時起床。室戸岬から朝日を眺む。朝日をパシャリ、良い写真。すぐさまLINEのアイコンに設定した。

この日はゆっくりと海沿いの景色を眺めながら、チャリを漕ぐ。ぼくはどんな大人になりたいのかな、たしかそんなことを考えていた。今思うと、ナニもの思いにふけってんだ。と思うが、ぼーっと将来を考えたりできるのも、チャリ旅の魅力かもしれない。そんなこんなで高知市到着。高知なら当然カツオだ!昨日は、チョコとラスクで我慢した。今日は値段も気にせず、うまいものを食うぞ!明神丸本店に行く。店内に入ると、丁寧に店員さんが迎えてくれる。高級感のある店内、お客さんは見るからに富裕層。クロックス、ジャージ姿の私は明らかに浮いていたが、まあ許してほしい。カツオ寿司を食らう。うみゃい。え、それだけ?そう。これだけ。どう頑張っても味が思い出せない。。。この日はホテルでゆっくりと就寝。

 

スーパースターなおばあちゃん(4日目)



2月29日:高知~四万十市
9時起床。駅前広場で荷造りをしていると恰幅の良いおばあさんに声を掛けられる。どこ行くの?とおばさん。坂出から右回りで、四国一周してます。とぼくは答える。あら、そうなの。頑張ってねと立ち去る。5分後、私若いもんが頑張ってる姿好きなんよー。がんばってね。はい。と1000円。頂いてしまった。渡すとすぐに立ち去ってしまう。かっこいい。また5分後、おばさん来る。これも足しにし、と1000円。驚き、嬉しい。すぐに立ち去ろうとするが、こんな優しいおばあさんは見たことない。スーパースターに思えた。記憶にしっかりとどめておきたい。ほんとに嬉しかったしありがたかった。おばあさん、どうか長生きしてください。

画像は国道沿いにいた自由なニワトリたち。

 

思い出の沈下橋(5日目)



3月1日:四万十市~宇和島
昨日は、四万十川キャンプ場で野宿。7時半、テントの外から聞こえる声に目が覚める。見ると、サッカー少年団がすぐ傍で練習している。これはお邪魔しました。すぐに荷造りをし出発。四万十川沿いを北上した。四万十川、懐かしい。小学生の頃一度きた。沈下橋、父さんが飛び込んで死にかけた所だ。パシャリ。家族LINEに送信。

17時、宇和島到着。宇和島は鯛めしが有名だ。かどやで鯛めしを食らう。鯛の刺身とだしが白飯に絡んでめっちゃうまかった。愛媛に行った際は是非!

熱いお湯との向き合い方(6日目)



3月2日:宇和島~松山
松山に向けて出発。宇和島~八幡浜までの山道、あちこちにみかん畑があった。とってものどかだった。

17時、松山到着。道後温泉に向かう。神の湯、思ったより入湯者は少なかった。正面にあるお湯の流れ口には圧巻。ここには、いかにも神様!!ってかんじの人がでかでかと彫られている。なんかご利益ありそう。てか、お湯がアッチい。ぼくは熱いお湯が苦手だ。熱くなったら、冷水シャワーを浴びる、そしてまた湯船に浸かる。これを何度も繰り返す。寒暖差がキモチいい。これがぼくの熱いお湯との付き合い方。苦手なものはある。でもそれとどう向き合うか。それが大事。

 

異端な人(7日目)



3月3日:松山~坂出
6時半、起床してさあ出発。途中、75Lのリュックを背負い一輪車で山道を登る大学生に出会った。一輪車とは驚いた。駅伝部に所属しているらしく、なんと箱根駅伝にも出ているらしい。なんという猛者だ。その人に出会って自転車なんてまだ楽なもんだと思った。当初は新居浜市のキャンプ場で一泊する予定だったが、短縮し坂出まで走りゴール!時刻は午後5時半。兵庫の実家に着くと、母さんがお風呂を沸かして、ご馳走を作って待ってくれていた。最高だわ。

 

おわりに



ここまで、ぼくの旅録を読んでくださりありがとうございました。九州一周旅のトラウマも克服し、チャリ旅の魅力にも気づけた気がします。次は夏の北海道でチャリ旅したい!!!