九州大学ワンダーフォーゲル部

2016年冬に作りました。九州大学ワンダーフォーゲル部公式のブログです。部活動の内容を紹介していきます。

一年生雲仙合宿

2019-12-31 04:53:19 | 秋合宿

 

雲仙一年生合宿  11/16~11/17

参加者 A隊 武谷(PL)森田 馬場 池田 豊東 B隊 浅岡 藤井(野) 宮下 原口 C隊 大塚 齊藤 小林 吉岡 多田 

    Ⅾ隊 佐々木 竹ノ内 松井 中尾 藤井(勇)

 

今回の合宿は人数が非常に多く、またこれまでワンゲルの活動に参加できていないメンバーもいたので全員登頂できるようなレベルにした。

11/16 (土)

7時に天神駅に集合し、食糧分配を済ませ7時35分にバスターミナルから諫早駅行きのバスに乗り込んだ。乗り継ぎで諫早駅で雲仙行きのバスに乗り、温泉街に11時ごろ到着し観光を楽しんだ。

雲仙の温泉街はジオパークの一部になっていて、「地獄」と呼ばれる地熱によって噴気や熱水が出でいるところがいくつもあり、硫黄の匂いが漂っていた。

その後13時45分にバスで今回のキャンプ地であるエコパーク論所原に向かい4張テントをたて、男子はトランプによってテントを決めた。いつもの土の地面と違う芝のキャンプ場なので非常に寝やすかった。

キャンプ場には遊べるところがあり、レンタルのソリや竹ノ内のフリスビーなどで楽しんだ。

この日夕食はハヤシライス。暗くなるとかなり冷え込んできたので温かいハヤシライスは相性抜群でみんなすぐ食べつくしてしまった。

夕食後は就寝までお菓子を食べたり星空を眺めたりした。

11/17(日)

いよいよ登山開始ということで朝食のスープとパンを素早く食べ、バスと乗り合いタクシーを乗り継ぎ9時30分に仁田峠に行き、隊ごとに時間差をつけて出発した。

A隊B隊Ⅽ隊Ⅾ隊

最初の妙見の展望台までは急な昇りだったが、サブザックのみの行動であるからかみんな軽々登っていた。妙見神社の辺りはロープウェイが運行しているので人が多く分散して正解だった。木の葉は所々色づいてきていて、もう少ししたらちょうどいい季節かなという感じだった。国見岳からは立ち入り禁止の平成新山の何もない山肌をみることが出来た。また鬼人谷口から普賢岳の山道にはいくつか風穴があり夏には涼しそうだった。(外が寒いから差が分からない)

(昼食はパン。サンドイッチやジャムを付けて食べた。)

13時前に普賢岳に到着成功。頂上は南側が崖で下界まできれいに見えた。

紅葉茶屋から仁田峠まで一気に下り、置いておいたメインを担いで林道を雲仙の温泉街に向けて歩いた。バスに乗れるかギリギリの時間だったが、急いだ結果余裕をもってつくことが出来た。

その後足湯で有名な小浜に行き、今年リニューアルしたばかりの旅館の温泉で汗を流し、最後に小浜の海沿いを観光した。

行きと同じように帰りもバスを乗り継ぎ21時過ぎに天神へ帰京そのまま解散となった。


背振全山縦走で振り返る九大ワンゲルの歴史

2019-12-12 18:21:55 | その他

背振全山記録集

55期 劉

 

記録集(敬称略)言及がないときは2日での成功。

第1次(2003) 色々不明

40期の田上さんが発起人。3日での成功。

 

第2次(2004) 色々不明

3日での成功。

 

第3次(2005) 色々不明

42茅島、42前田、43小島 残りのメンバーは不明

初の2日での全山縦走成功。

 

第4次(2006)原田→福吉 成功

40田上、42茅島、42前田、43小島、45松下

https://qwv.michikusa.jp/report/06sefuri.htm

最古の記録。最多同時達成(5人)。

 

第5次(2011)原田→福吉 成功

49井樋 残りのメンバーは不明(計3人)

https://qwv.michikusa.jp/report/10haru.htm

5年ぶりに復活。3日での成功。

 

第6次(2012)原田→福吉 失敗

50堤、51秩父、52寺嶋

6年ぶりの2日での計画も長野峠でエスケープ。

 

第7次(2013)福吉→原田 成功

50堤

ここから本格的に2日での縦走が復活し始める。

 

第8次(2013)福吉→原田 成功

52寺嶋、52崎山

第7次の一ヶ月後での成功。

 

第9次(2013)原田→福吉 失敗

50成吉、50志水、52川村、53井手

原田からと福吉からの合計で2隊合計10人近い大規模プロジェクトだったが、荒天のため中止。

 

第10次(2014)原田→福吉 成功

52大島、52岡村、52崎山、52嶋崎

崎山さんが二回目成功。(2010年代では史上初)

 

第11次(2015)原田→福吉 一部メンバーが成功

50楢崎、50成吉、52川村、53井手、53梶村 楢崎、川村、梶村は達成

川村さんが女子としては初めて成功(史上唯一)。

 

第12次(2016)原田→福吉 失敗

54光岡、54下野、54馬渡、55劉、55中川、56坂部

https://qwv.michikusa.jp/report/16sefuri.htm

世代交代が鮮明に。最多人数が参加(6人)も三瀬峠でエスケープ。

 

 

第13次(2016)原田→福吉 成功

54馬渡、54光岡

https://blog.goo.ne.jp/quwv/e/89129a3d4530ff5d8226ec802ce059c8

九大ワンゲルのブログの最初の記事。

 

第14次(2017)原田→福吉 成功

54馬渡、54下野、56廣瀬

馬渡さんが二回目成功。(2010年代では史上二人目)

 

第15次(2019)福吉→原田 成功

58中島、58増田

https://blog.goo.ne.jp/quwv/e/735c4ea062188acb50bf3a778d0f45e3

福吉からの挑戦は6年ぶり。途中強化合宿隊と雷山小屋で合流。

 

第16次(2019)福吉→原田 成功

58瀬田

https://blog.goo.ne.jp/quwv/e/a47ee8c6773f8e8fb3f57ac673768704

史上初めて1日(15時間37分29秒)で成功。ワンゲル記録。

 


 

背振全山縦走で振り返る九大ワンゲルの歴史

来年も、そして再来年もこのような愚行に走る勇者が現れることを願ってやまない

第4次の記録より

なぜ第一次から第三次まで不明が多いか

...(略)...さて、堤先輩ですら知らないとなると、今回の難易度は跳ね上がる。更に先輩に連絡を取らなければならないが、劉は50期の先輩より上の方の連絡先を知らない。メーリングリストで47期から49期の先輩にメールを送ってみたものの、音沙汰が無い。やはりこの世代の先輩方となると、十年以上前、つまり十分にスマホが普及していない時代に現役でいらしたので、仕様的にそもそもメールが送れていない可能性が高いと思われる。

そこで、どのあたりでどのくらい部員がいたか探ってみることにする。九大ワンゲルは1961年の発足以降、順調に部員数を伸ばしていたが1990年代以降、部員数を大きく減らすことになる。

12期古沢さんの記録(参照http://www.quwvob.com/)によると、

 

約20年にわたって、10名ちょっとで活動している時代が続いている。しかし、ちょうど全山縦走が始まったあたりで、部員数が跳ね上がっていることがわかる。このグラフによると、46、47期、48期、49期は現役のHPからの推定値と記載されているので、これに従って2019年現在の59期までプロットすると、

 

これだとわかりにくいので、時代背景や九大の伊都移転などを加えて表にすると、

 

以上のようになる。現在の部の記録は全て共有フォルダかブログ、twitter、HPで見られるようになっている。しかしそれは逆に記録媒体がなかったときのワンゲルを現役側から振り返りようがないということだ。幻のワンゲル部誌「峠」は22号以来消滅したとOB会のサイトに有るので、(参照http://www.quwvob.com/)23期から45期までどんな合宿をしていたかどんな活動していたか不明である。

つまり、HP作成以前の記録が存在しないこと、加えて40期前半まで各学年一桁の部員数であること、これらが第一次背振全山縦走の様子を知ることを妨げているように思われる。

 

出典一覧(言及のない場合は記録が現存)(時系列バラバラ)

第1次から第3次

….(略)再度OB会のサイトを立ち上げた。すると2005年と2007年のOB会の会報のページを見つけた。OB会の活動なので脊振全山のことなど書いていないだろうと高を括っていたのである。しかしそこには現役の活動紹介の一節があった。

2005年の会報には、

昨年度は、新入部員が一人ではありましたが、登山や自転車、昨年誕生したリヤカーも存続し、幅広い活動を行いました。

リヤカーって2004に始まったのか。さらっとすごいこと書いてあるなあ。

 

2007年の会報には、

ちなみに、あまりにも無謀なため、非公式(?)合宿として扱われている脊振合宿については、私が書き加えさせていただきました。(略)

※番外編 脊振全山縦走合宿 10月14日~15日@脊振山系

参加者 田上(40期)、茅島、前田(42期)、小島(43期)、松下(45期)

前年、3年目にして初めて2日で全山縦走に成功した脊振全山縦走合宿ですが、この合宿を初めに企画したメンバーの一人である、田上先輩が参加できていませんでした。田上先輩が就職される前に是非、という話になり、前年達成したメンバー3人と、初挑戦の45期松下を加えた5人で挑みました。初日は、原田駅~基山~九千部~蛤岳~脊振~井原~雷山小屋という、約50kmの長丁場。(略)2日目は、雷山避難小屋~羽金山~女岳~浮嶽~十坊山~福吉駅の約25km。(略)無事全員最後まで歩き通しました。

なぜこんなにキツイ企画に参加したのか。自らの限界への挑戦、とでも言えばカッコいいんでしょうが、正直なところ、自分でも未だにわかりません。それでも、この合宿に参加し、辛い思いをしながらも素晴らしいメンバーと共に最後まで歩き通した、という事実は、時間が経てば経つほど良い思い出に変わって行くんだろうな、と思っています。

(文責:43期 小島 脩平)

 

第四次の記録がここにもあるのか。あれ?

前年、3年目にして初めて2日で全山縦走に成功した脊振全山縦走合宿ですが、この合宿を初めに企画したメンバーの一人である、田上先輩が参加できていませんでした。

あれ?第三次が三年目で初めて二日で?

前年、3年目にして初めて2日で全山縦走に成功した脊振全山縦走合宿ですが、

答えが載ってる!!載ってるじゃん!!

 

第6次から第7次

50期主将の堤先輩に連絡。

 

「先輩お久しぶりです! 劉は元気です! 今回脊振全山縦走のことについてお伺いしたくて連絡させていただきました。

1.第一次が始まったのはいつか

2.先輩は何度達成されたか

3.原田からか福吉からかどちらの方が楽か

後輩に聞かれて気になったので、一番詳しいであろう先輩にお聞きしたいです!」

 

50期堤先輩「遅くなってごめんm(_ _)m 久しぶり!

1.ごめん知らない。申し訳無い。ワンゲルのホームページ見たら第四次が2006年の10月らしい。

2.実は一回しか達成してない。。2013年の4月に福吉からだったと思う。

3.甲乙つけがたいけど福吉からの方が楽かもしれない。私の1ヶ月後に挑んだ寺島と崎山の二人も西からで達成してたし。崎山はそのまま往復したとかって言う話も聞いたけど。 脊振討伐いつから始まったとかは私の知る範囲では49期の井樋さんが詳しいと思うけど連絡先全部無くなっちゃったんだよね。力になれなくてごめん(_ _;)」

 

あいかわらず鬼のように優しい先輩である。筆者も見習わないといけない。堤先輩の背振伝説は一言では尽きないが、まさか全山は一回とは。一ヶ月後に第8次だと堤さんは第7次でカウントだろうか。

 

「井樋さんって49期の主将だった方ですか?」

50期堤先輩「井樋さんは主務だね。49期主将は櫻木さん。」

 

井樋さんといえば、対馬縦断リアカーを3日でやった意味不明な計画が残したと下野さんに聞いたことがある。

 

「最後に一つだけ、第六次と第七次の脊振全山縦走のメンバーをご存知ですか?寺嶋さんと崎山さんがやられた全山縦走が第8次だそうです。」

50期堤先輩「第七次が私一人で、第六次は私と51期のチチブと寺嶋になるみたいね。」

 

堤さんが背振全山縦走の祖という共通認識が50期代の部員にはある。それも2日での成功が6年ぶりということを考えれば、当然なのかもしれない。

堤先輩ありがとうございました。来年も北ア行きましょう。

 

第8次から第11次

日本アルプスの覇者こと、52期の大島先輩に連絡。

 

「お久しぶりです!大島先輩に脊振全山縦走についてお聞きしたいのですが、
1.どの代がどの次の脊振全山縦走をやったか
2.今まで複数回数達成した人は誰か
3.福吉からか原田からかどちらからの全山縦走が多いか
もしご存知でしたら知っている範囲だけで構いませんので、お答え頂けないでしょうか?よろしくお願いします。」

 

52期大島先輩「今知っている範囲では、

2.堤さん、崎山(二人共どちらの向きもやってるよ)

3.たぶん原田→福吉(二日目の距離が短い+下山後にまむし温泉に入れるから)

1については過去の討伐記録も調べてみます。」

 

さすが大島先輩。なんと記録を調べていただけることに。

52期大島先輩「第8次(2013)福吉→原田

52寺嶋、52崎山 成功
第9次(2013、延期やメンバー変更等もあり大幅に予定変更があった。当初は10名近くの参加者で両方から攻めてはさみうち合宿の予定だった。徹底した練習も行い当時のBIGプロジェクトだった)原田→福吉

50成吉、50志水、52川村、53井手 荒天のため失敗
第10次(2014)原田→福吉
52大島、52岡村、52崎山、52嶋崎 成功
第11次(2015)原田→福吉
50楢崎、50成吉、52川村、53井手、53梶村 楢崎、川村、梶村は達成
第12次(2016)原田→福吉
54光岡、54下野、54馬渡、55劉、55中川、56坂部 失敗

第13次(2016)原田→福吉 54光岡、54馬渡 成功。」


おお、、かなり詳しい。これを見ると、いかに52期の先輩方が黄金世代かよくわかる。特に第9次はものすごい計画を立てたもんだなあと思う。(天気が悪く中止となったそうですが、練習のため三郡一往復半縦走を10人規模でやるって、、)。しかし、7次より前はわからないとのこと。大島先輩ありがとうございました。

 

第14次

54期の馬渡先輩に連絡

「馬渡さんお久しぶりです!一つ聞きたいことがあるんですが、2017年の背振討伐は二人でやられたんですか?」

 

54期馬渡先輩「お久しぶり!そう、下野と二人で行ったよ。縦走するの?」

 

「今背振全山縦走について調べてまして。ここまでわかったところで先輩に質問しようと」

 

54期馬渡先輩「なるほど!こうしてみるとすごい歴史やね」

 

「2回やった人がわかっているところだけだと馬渡さんと崎山さんだけっぽいです!」

 

54期馬渡先輩「そうなのか!卒業までにもう一回歩きたいね~」

 

「3回目ですか笑さすがです!」

 

54期馬渡先輩「その時は第17次として報告します!」

 

馬渡さんはやりたいねを本当にやるから凄い。17次への争いはもう始まっている…

(後日、54期下野さんからの連絡で、56期廣瀬を追加しました。)

 


 

部員の感想(時系列バラバラ)

 

「ていう文章を書いたんだけど感想が聞きたい。田村よ。」

 

57期田村「とても面白かったです!ちょうど図書館に折田がいて話してました。改めて見るとワンゲルって歴史があるなと思いました。今の部員は過去最大のようですし、また新しい勇者が生まれたらいいなと思います。自分たちも負けてられませんね!」

 

「ありがとう。田村も期待しとるで(全山)」

 

57期田村「そう来ますか笑笑 伊都にいるうちにしなきゃですね、、、春にでも」

 

「俺の代わりにやってくれ」

 

57期田村「57期の有志でやってみます笑笑」

 

田村は真面目だねえ。文章を直接貼ると、筆者が自画自賛してるみたくなるので、若干編集しました。



「ていう文章を書いたんだけど感想が聞きたい。片山よ。」

 

55期片山「ようこんな情報引っ張ってこれたな笑 ここ2~3年で若干京大チャリ部味を帯びてるような気がしとるのは俺だけかいな」

 

京大チャリ部といえば、ゴリゴリに積雪した乗鞍で年越しを自転車とともに過ごすことで有名な日本屈指の頭のおかしい部活である。

 

「そうなの?」

 

55期片山「この前チャリ部が24時間の獲得標高を競うイベントやりよったんやけど、それに似た感じのを宝満山で12時間の獲得標高を競うイベントをセタが企画しようとしとる」

 

「宝満山で獲得標高を競うの?3時間くらいで飽きそう」

 

55期片山「そうそうw 流石に24時間は飽きるやろうから、12時間にしたらしいけど笑」

 

「うさぎ~行者~正面~猫谷~名前忘れたけど裏側にあるやつで往復して12時間ならちょうど良さそうではあるな」

 

55期片山「いやもう獲得標高やけんひたすらあの階段やろw」

 

関係ない話に飛ぶということは、こやつ田村の下りまで読んでないな。まあいい。当の企画者にも感想を聞いてみよう。



「ていう文章を書いたんだけど、という訳で感想が聞きたい。」

 

58期瀬田「偉大な先輩方が脊振全山に挑んでいたということが分かりとても興味深かったです。個人的には1日で全山縦走した人はいるのかが気になります(笑)。

 

宝満山12時間耐久については、僕は脊振全山をほぼ1人で行ったのですが、ワンゲル史上もっとも部員がいる今だからこそできる大人数で楽しめる企画もしたいなと考えたとき思いつきました。まだ思いつきの段階ですが、いつか形にしたいです。」

 

「1日で全山縦走は記録が残ってない1次〜3次でやっていなければやってないね。というかやっていたら末代まで伝説として残っているはずだから絶対やってないよ笑。宝満12時間耐久はいろんなコースに行けるなら、楽しそう。」

 

58期瀬田「今回の縦走がワンゲル史上初だとしたらとても嬉しいですね。確かに色んなコースで行くのは面白そうですね、検討してみます!」

 

ワンゲル記録を作った彼にはさらなる高みを目指して頑張って欲しいものです。



 このブログの開設者に連絡。 

 

「こういう文章を書いたんですが、いかがでしょうか?」

 

54期光岡先輩「おーすごい。あとでしっかり読みます。」

 

「もし良かったら、感想お願いします。」

 

54期光岡先輩「脊振全山を一日でやる人が出たのは驚きだったな。たくましい後輩が出てきてうれしい限り。僕も負けられないな。ワンゲル部員が極端に減った氷河期があったのは知ってたけど、グラフにするととてもわかりやすかった。氷河期の前と後ろでいろいろな文化が変わったみたいだから、それにも注目してみたいね。」

 

そういえば脊振全山を一日でやるって昔から言ってましたね。ちなみにこっちはミッツさんと瀬田ちゃんが面識ないのが驚きです。

 

「歌を歌う文化とか消滅していますからね。昔は合宿強制参加でしたし。ワンゲルが最近になって時代にあってきているのかもしれませんね」

 

54期光岡先輩「そうね。今後もいい方向に傾いてくれることを願うばかりだわ。」

 

「すいません返信遅れました。最後に一つだけ、第14次は馬渡さんと下野さんが行って成功されたんですか?」

 

54期光岡先輩「確かそうだったと思う。本人に聞いたみたほうが確実だけど。」

 

やはり馬渡さんも複数回やっていた。それにしても崎山さんにしろ、脊振全山を二回やる人は南米に引き寄せられる何かがあるのだろうか。稜線上でリオのカーニバルの幻想が見えるようになるに違いない。



最後に天才、崎山さんに連絡。

「崎山さんお久しぶりです!2010年代で、背振全山縦走を複数回やっている人は馬渡さんと崎山さんだけだと調査して分かりました!」

 

52期崎山先輩「お久しぶりです!調査お疲れ様!とても興味深く読ませてもらいました。まさか一日で達成する猛者がいるとは!凄い!」

 

「ありがとうございます!崎山さんは福吉からと原田からどちらの方向のほうが楽だと思いますか?堤さんの話によると第8次の時に往復されたと聞いたんですけど本当ですか?」

 

52期崎山先輩「どちらから行くにしろ原田↔️雷山避難小屋間がキツイところですが、原田側からだと初日にキツイところ済ませて2日目は行動時間短く温泉入って達成できる点で後味良く楽に感じた気がします。
堤さん談に関しては認識違いがあって、決して連続で往復した訳ではなく、機会を改めて逆方向から脊振討伐に挑んだというのが正確なところです。」

大島崎山両氏は原田スタート推しで、堤さんは福吉から推しだそう。意外と拮抗しますね。

今回、調査して上芝さん大倉さん志水さんが達成していないと分かった。なので崎山さんは我らが日本縦断チャリ民の中で、唯一背振全山縦走を達成していることになる...しかも2回....やはり天才.....

 

「ありがとうございます!
崎山さんが原田からと言うと説得力がありますね!
連続で往復はちょっとヤバすぎるので、むしろ安心しました笑」

52期崎山先輩「いつか往復する猛者が現れることを楽しみにしています笑」

 

ですって。頑張れ猛者たち!(他人事)


 

資料を集めすぎたため、編集中。年内完成が目標。

これを見て、表完成に繋がる情報を持っている方、感想を追加したい部員の方々は、コメントかメールで是非ご連絡ください。


九重17summits 2019/9/24・25

2019-12-05 12:41:36 | その他

〈メンバー〉 瀬田、増田、大塚、藤井(敬称略)
(以下、セタさん、増田さん、ちーちゃん、藤井と書く)
記録:大塚、藤井

 姪浜駅に19:30集合ということで乗った電車でたまたま先輩方2人と合流。その後、藤井がセブンで足りない分の行動食等を買い足ししている間にちーちゃんとも無事合流。すぐにレンタカーを借りに行き、そのまま牧ノ戸峠へ出発した。最初に運転し始めたのは増田さんで、途中のパーキングエリアでセタさんに交代した。1年生2人は免許を持っていないため大人しく後部座席で座り呆けていた。車中では、今年の夏の話や先輩方の運転の話、下山後どうするかの話など、色々な話題が飛び出し、終始和やかな雰囲気であった。都市高速の複雑さに苦戦しながら23:00頃には牧ノ戸峠に到着。車外へ出ると濃霧でとても肌寒かった。この日は車中泊をすることになっていたので各々が車内で寝床を確保し、増田さんが前の座席で、1年生2人は後部座席で、そしてセタさんはトランクルームで寝ることになった。
 約3時間という短い睡眠時間ながらわたしはとてもスッキリしたのだが、先輩方はよく寝られなかったそう。2:00に起床し、各自持参した朝食を寝ぼけ眼で貪る。支度を整えて防寒具を着て、3:00頃に出発した。寝不足で体調が万全でないとはいえ体力が化け物の先輩方は登山道入り口からスタスタと軽やかに登って行く。1年生2人はぜえぜえ言いながら必死に食らいついて行った。夜明けには程遠い時間なため周囲の風景を見ることができないのは非常に残念だったが、よく整備された綺麗な登山道であり、日が昇った後の風景の美しさのポテンシャルを感じた。その代わり街明かりが少ないためか、空には普段は見られないほど沢山の星が見られた。稜線にいるためそこそこの風が吹いていることも手伝って、止まっているとかなり寒いが登山中の火照った体には心地よい冷気でありとても快適な登山だった。そうこうしているうちに星生山に到着。1700mを超えるピークではみんなで写真を撮ろうとのことだったので、増田さんの長い手で自撮りをしてもらった。その後も少々道に迷いながらも次々にピークを取っていく。途中で瀬田さんはトレランの格好になったのでとても寒そうだった。正直日の出前の行程は風景もあまり見えず、日の出後の行程に比べてかなり歩きやすく楽であったためにあまり覚えてないので記録も雑ですねすみません!久住山、天狗ヶ城ともはや気がついたら到達していた。その後中岳で日の出を拝んだ。天気が良く本当に綺麗なご来光を眺めることができ、これも帰福した坂口さんと宮崎にいるたけやんのおかげだとみんなで勝手に感謝した。そして、稲星山、白口岳と次々に踏破していった。

 さて、本番はここからである。九重経験者の3人は、白口岳登頂後それはそれは浮かない顔をするのである。曰く、まだ半分も来ていない、ここからがきついのだ、と。九重初心者のわたしはその言葉に恐れを感じずにはいられなかったが、果たしてそれが現実となった。大船山への道が地獄のようであった。地獄は言い過ぎか。どちらにせよきつかった。まず、アップダウンの大きさである。そして急な下りが割ともれなく滑るのである。勇気ある歩行を見せたセタさんを始め、増田さん以外のメンバーは全員滑り台のような登山道の餌食となった。また、朝露も大きなダメージを与えた。両脇に生い茂る草がもれなくべちょべちょであったために、登山靴の水没を免れることはできなかった。さらに、一番キツかったのが藪漕ぎである。正規ルートでないためか、かなり強力な藪が行く手を遮る。先頭を歩いていた短パンのセタさんは特にキツそうであった。かなりのアップダウンと神経を使うスリップしやすい道、朝露で重くなった靴、進路妨害をする藪に体力を奪われながら、4人で必死に歩いた。頂上に着いて休憩をとった時には、疲れのためか、みんな背中合わせで無口で行動食を口に運んでいたのが個人的にはなかなかシュールな光景で面白かった。その後は、北大船山をしれっと取り、坊ガツルまで下りが続く。疲労の中淡々と下っていく。これからこの下った分を登らなければいけないと思うと、頂上と頂上を直接行き来できるロープウェイでも作ってほしいものだとしみじみと思った。坊ガツルに着くと、目の前にそびえる三俣山の大きさに心が折れそうになる。最後の力を振り絞って、三俣山の本峰へ向かう。なんとか到着し、写真を撮ったところで絶望的な事実が判明した。北峰がなかなかに低いのだ。しかも急な下り。セタさん以外の3人は、1700mも超えてないしという言い訳のもと、本峰でセタさんが行って帰ってくるのを待つことに決めた。太陽が燦々と照らす山頂での日向ぼっこは気持ちよく、セタさんが20分程でどろどろになって帰って来た頃にはもはや動く気力も吸い取られていた。それでも歩かないことには下山できないので、南峰、西峰を取りに行く。こちらもなかなかきつかった。そうして目的のピークを全て取り終えた我々は、帰りたい、温泉に入りたいと言う強い志で下山した。車道に出ると、やまなみハイウェイを1時間登り、牧ノ戸峠に帰着した。帰ってきた時は、同じ日にこの場所を出発したとは到底思えないくらい長い1日だった。各々が登山靴を脱いだり帰り支度をしたりして、車に乗り込み、筋湯温泉へ向かった。下山後の温泉は格別だった。

 帰りの車は全員がぐったりしていた。最初に運転していた増田さんには非常に申し訳なかったが、あとの3人全員が眠気に耐えきれず眠ってしまった。全員が少し眠って回復したところで、この後どうするかと言う問題が浮上した。最初はどこかで夕食を食べようとしていたが、このままいけばギリギリレンタカーを今日中に返却できるという説が浮上。めちゃめちゃ帰りたそうな増田さんとせっかくだからどこかに行きたそうなセタさんの攻防が繰り広げられたが、結局そのまま学研都市でレンタカーを返却。サイゼリヤで夕食を食べ、そのまま解散した。
 今回の山行はなかなかキツイ日程で、九重は当分登らなくてもいいかなと思うくらい九重を過剰に摂取したような気になった。ただ、とても楽しい山行であったので、またこういったきっつい山行もたまには行きたいと思った。