背振全山記録集
55期 劉
記録集(敬称略)言及がないときは2日での成功。
第1次(2003) 色々不明
40期の田上さんが発起人。3日での成功。
第2次(2004) 色々不明
3日での成功。
第3次(2005) 色々不明
42茅島、42前田、43小島 残りのメンバーは不明
初の2日での全山縦走成功。
第4次(2006)原田→福吉 成功
40田上、42茅島、42前田、43小島、45松下
https://qwv.michikusa.jp/report/06sefuri.htm
最古の記録。最多同時達成(5人)。
第5次(2011)原田→福吉 成功
49井樋 残りのメンバーは不明(計3人)
https://qwv.michikusa.jp/report/10haru.htm
5年ぶりに復活。3日での成功。
第6次(2012)原田→福吉 失敗
50堤、51秩父、52寺嶋
6年ぶりの2日での計画も長野峠でエスケープ。
第7次(2013)福吉→原田 成功
50堤
ここから本格的に2日での縦走が復活し始める。
第8次(2013)福吉→原田 成功
52寺嶋、52崎山
第7次の一ヶ月後での成功。
第9次(2013)原田→福吉 失敗
50成吉、50志水、52川村、53井手
原田からと福吉からの合計で2隊合計10人近い大規模プロジェクトだったが、荒天のため中止。
第10次(2014)原田→福吉 成功
52大島、52岡村、52崎山、52嶋崎
崎山さんが二回目成功。(2010年代では史上初)
第11次(2015)原田→福吉 一部メンバーが成功
50楢崎、50成吉、52川村、53井手、53梶村 楢崎、川村、梶村は達成
川村さんが女子としては初めて成功(史上唯一)。
第12次(2016)原田→福吉 失敗
54光岡、54下野、54馬渡、55劉、55中川、56坂部
https://qwv.michikusa.jp/report/16sefuri.htm
世代交代が鮮明に。最多人数が参加(6人)も三瀬峠でエスケープ。
第13次(2016)原田→福吉 成功
54馬渡、54光岡
https://blog.goo.ne.jp/quwv/e/89129a3d4530ff5d8226ec802ce059c8
九大ワンゲルのブログの最初の記事。
第14次(2017)原田→福吉 成功
54馬渡、54下野、56廣瀬
馬渡さんが二回目成功。(2010年代では史上二人目)
第15次(2019)福吉→原田 成功
58中島、58増田
https://blog.goo.ne.jp/quwv/e/735c4ea062188acb50bf3a778d0f45e3
福吉からの挑戦は6年ぶり。途中強化合宿隊と雷山小屋で合流。
第16次(2019)福吉→原田 成功
58瀬田
https://blog.goo.ne.jp/quwv/e/a47ee8c6773f8e8fb3f57ac673768704
史上初めて1日(15時間37分29秒)で成功。ワンゲル記録。
背振全山縦走で振り返る九大ワンゲルの歴史
来年も、そして再来年もこのような愚行に走る勇者が現れることを願ってやまない
第4次の記録より
なぜ第一次から第三次まで不明が多いか
...(略)...さて、堤先輩ですら知らないとなると、今回の難易度は跳ね上がる。更に先輩に連絡を取らなければならないが、劉は50期の先輩より上の方の連絡先を知らない。メーリングリストで47期から49期の先輩にメールを送ってみたものの、音沙汰が無い。やはりこの世代の先輩方となると、十年以上前、つまり十分にスマホが普及していない時代に現役でいらしたので、仕様的にそもそもメールが送れていない可能性が高いと思われる。
そこで、どのあたりでどのくらい部員がいたか探ってみることにする。九大ワンゲルは1961年の発足以降、順調に部員数を伸ばしていたが1990年代以降、部員数を大きく減らすことになる。
12期古沢さんの記録(参照http://www.quwvob.com/)によると、
約20年にわたって、10名ちょっとで活動している時代が続いている。しかし、ちょうど全山縦走が始まったあたりで、部員数が跳ね上がっていることがわかる。このグラフによると、46、47期、48期、49期は現役のHPからの推定値と記載されているので、これに従って2019年現在の59期までプロットすると、
これだとわかりにくいので、時代背景や九大の伊都移転などを加えて表にすると、
以上のようになる。現在の部の記録は全て共有フォルダかブログ、twitter、HPで見られるようになっている。しかしそれは逆に記録媒体がなかったときのワンゲルを現役側から振り返りようがないということだ。幻のワンゲル部誌「峠」は22号以来消滅したとOB会のサイトに有るので、(参照http://www.quwvob.com/)23期から45期までどんな合宿をしていたかどんな活動していたか不明である。
つまり、HP作成以前の記録が存在しないこと、加えて40期前半まで各学年一桁の部員数であること、これらが第一次背振全山縦走の様子を知ることを妨げているように思われる。
出典一覧(言及のない場合は記録が現存)(時系列バラバラ)
第1次から第3次
….(略)再度OB会のサイトを立ち上げた。すると2005年と2007年のOB会の会報のページを見つけた。OB会の活動なので脊振全山のことなど書いていないだろうと高を括っていたのである。しかしそこには現役の活動紹介の一節があった。
2005年の会報には、
昨年度は、新入部員が一人ではありましたが、登山や自転車、昨年誕生したリヤカーも存続し、幅広い活動を行いました。
リヤカーって2004に始まったのか。さらっとすごいこと書いてあるなあ。
2007年の会報には、
ちなみに、あまりにも無謀なため、非公式(?)合宿として扱われている脊振合宿については、私が書き加えさせていただきました。(略)
※番外編 脊振全山縦走合宿 10月14日~15日@脊振山系
参加者 田上(40期)、茅島、前田(42期)、小島(43期)、松下(45期)
前年、3年目にして初めて2日で全山縦走に成功した脊振全山縦走合宿ですが、この合宿を初めに企画したメンバーの一人である、田上先輩が参加できていませんでした。田上先輩が就職される前に是非、という話になり、前年達成したメンバー3人と、初挑戦の45期松下を加えた5人で挑みました。初日は、原田駅~基山~九千部~蛤岳~脊振~井原~雷山小屋という、約50kmの長丁場。(略)2日目は、雷山避難小屋~羽金山~女岳~浮嶽~十坊山~福吉駅の約25km。(略)無事全員最後まで歩き通しました。
なぜこんなにキツイ企画に参加したのか。自らの限界への挑戦、とでも言えばカッコいいんでしょうが、正直なところ、自分でも未だにわかりません。それでも、この合宿に参加し、辛い思いをしながらも素晴らしいメンバーと共に最後まで歩き通した、という事実は、時間が経てば経つほど良い思い出に変わって行くんだろうな、と思っています。
(文責:43期 小島 脩平)
第四次の記録がここにもあるのか。あれ?
前年、3年目にして初めて2日で全山縦走に成功した脊振全山縦走合宿ですが、この合宿を初めに企画したメンバーの一人である、田上先輩が参加できていませんでした。
あれ?第三次が三年目で初めて二日で?
前年、3年目にして初めて2日で全山縦走に成功した脊振全山縦走合宿ですが、
答えが載ってる!!載ってるじゃん!!
第6次から第7次
50期主将の堤先輩に連絡。
劉「先輩お久しぶりです! 劉は元気です! 今回脊振全山縦走のことについてお伺いしたくて連絡させていただきました。
1.第一次が始まったのはいつか
2.先輩は何度達成されたか
3.原田からか福吉からかどちらの方が楽か
後輩に聞かれて気になったので、一番詳しいであろう先輩にお聞きしたいです!」
50期堤先輩「遅くなってごめんm(_ _)m 久しぶり!
1.ごめん知らない。申し訳無い。ワンゲルのホームページ見たら第四次が2006年の10月らしい。
2.実は一回しか達成してない。。2013年の4月に福吉からだったと思う。
3.甲乙つけがたいけど福吉からの方が楽かもしれない。私の1ヶ月後に挑んだ寺島と崎山の二人も西からで達成してたし。崎山はそのまま往復したとかって言う話も聞いたけど。 脊振討伐いつから始まったとかは私の知る範囲では49期の井樋さんが詳しいと思うけど連絡先全部無くなっちゃったんだよね。力になれなくてごめん(_ _;)」
あいかわらず鬼のように優しい先輩である。筆者も見習わないといけない。堤先輩の背振伝説は一言では尽きないが、まさか全山は一回とは。一ヶ月後に第8次だと堤さんは第7次でカウントだろうか。
劉「井樋さんって49期の主将だった方ですか?」
50期堤先輩「井樋さんは主務だね。49期主将は櫻木さん。」
井樋さんといえば、対馬縦断リアカーを3日でやった意味不明な計画が残したと下野さんに聞いたことがある。
劉「最後に一つだけ、第六次と第七次の脊振全山縦走のメンバーをご存知ですか?寺嶋さんと崎山さんがやられた全山縦走が第8次だそうです。」
50期堤先輩「第七次が私一人で、第六次は私と51期のチチブと寺嶋になるみたいね。」
堤さんが背振全山縦走の祖という共通認識が50期代の部員にはある。それも2日での成功が6年ぶりということを考えれば、当然なのかもしれない。
堤先輩ありがとうございました。来年も北ア行きましょう。
第8次から第11次
日本アルプスの覇者こと、52期の大島先輩に連絡。
劉「お久しぶりです!大島先輩に脊振全山縦走についてお聞きしたいのですが、
1.どの代がどの次の脊振全山縦走をやったか
2.今まで複数回数達成した人は誰か
3.福吉からか原田からかどちらからの全山縦走が多いか
もしご存知でしたら知っている範囲だけで構いませんので、お答え頂けないでしょうか?よろしくお願いします。」
52期大島先輩「今知っている範囲では、
2.堤さん、崎山(二人共どちらの向きもやってるよ)
3.たぶん原田→福吉(二日目の距離が短い+下山後にまむし温泉に入れるから)
1については過去の討伐記録も調べてみます。」
さすが大島先輩。なんと記録を調べていただけることに。
52期大島先輩「第8次(2013)福吉→原田
52寺嶋、52崎山 成功
第9次(2013、延期やメンバー変更等もあり大幅に予定変更があった。当初は10名近くの参加者で両方から攻めてはさみうち合宿の予定だった。徹底した練習も行い当時のBIGプロジェクトだった)原田→福吉
50成吉、50志水、52川村、53井手 荒天のため失敗
第10次(2014)原田→福吉
52大島、52岡村、52崎山、52嶋崎 成功
第11次(2015)原田→福吉
50楢崎、50成吉、52川村、53井手、53梶村 楢崎、川村、梶村は達成
第12次(2016)原田→福吉
54光岡、54下野、54馬渡、55劉、55中川、56坂部 失敗
第13次(2016)原田→福吉 54光岡、54馬渡 成功。」
おお、、かなり詳しい。これを見ると、いかに52期の先輩方が黄金世代かよくわかる。特に第9次はものすごい計画を立てたもんだなあと思う。(天気が悪く中止となったそうですが、練習のため三郡一往復半縦走を10人規模でやるって、、)。しかし、7次より前はわからないとのこと。大島先輩ありがとうございました。
第14次
54期の馬渡先輩に連絡
劉「馬渡さんお久しぶりです!一つ聞きたいことがあるんですが、2017年の背振討伐は二人でやられたんですか?」
54期馬渡先輩「お久しぶり!そう、下野と二人で行ったよ。縦走するの?」
劉「今背振全山縦走について調べてまして。ここまでわかったところで先輩に質問しようと」
54期馬渡先輩「なるほど!こうしてみるとすごい歴史やね」
劉「2回やった人がわかっているところだけだと馬渡さんと崎山さんだけっぽいです!」
54期馬渡先輩「そうなのか!卒業までにもう一回歩きたいね~」
劉「3回目ですか笑さすがです!」
54期馬渡先輩「その時は第17次として報告します!」
馬渡さんはやりたいねを本当にやるから凄い。17次への争いはもう始まっている…
(後日、54期下野さんからの連絡で、56期廣瀬を追加しました。)
部員の感想(時系列バラバラ)
劉「ていう文章を書いたんだけど感想が聞きたい。田村よ。」
57期田村「とても面白かったです!ちょうど図書館に折田がいて話してました。改めて見るとワンゲルって歴史があるなと思いました。今の部員は過去最大のようですし、また新しい勇者が生まれたらいいなと思います。自分たちも負けてられませんね!」
劉「ありがとう。田村も期待しとるで(全山)」
57期田村「そう来ますか笑笑 伊都にいるうちにしなきゃですね、、、春にでも」
劉「俺の代わりにやってくれ」
57期田村「57期の有志でやってみます笑笑」
田村は真面目だねえ。文章を直接貼ると、筆者が自画自賛してるみたくなるので、若干編集しました。
劉「ていう文章を書いたんだけど感想が聞きたい。片山よ。」
55期片山「ようこんな情報引っ張ってこれたな笑 ここ2~3年で若干京大チャリ部味を帯びてるような気がしとるのは俺だけかいな」
京大チャリ部といえば、ゴリゴリに積雪した乗鞍で年越しを自転車とともに過ごすことで有名な日本屈指の頭のおかしい部活である。
劉「そうなの?」
55期片山「この前チャリ部が24時間の獲得標高を競うイベントやりよったんやけど、それに似た感じのを宝満山で12時間の獲得標高を競うイベントをセタが企画しようとしとる」
劉「宝満山で獲得標高を競うの?3時間くらいで飽きそう」
55期片山「そうそうw 流石に24時間は飽きるやろうから、12時間にしたらしいけど笑」
劉「うさぎ~行者~正面~猫谷~名前忘れたけど裏側にあるやつで往復して12時間ならちょうど良さそうではあるな」
55期片山「いやもう獲得標高やけんひたすらあの階段やろw」
関係ない話に飛ぶということは、こやつ田村の下りまで読んでないな。まあいい。当の企画者にも感想を聞いてみよう。
劉「ていう文章を書いたんだけど、という訳で感想が聞きたい。」
58期瀬田「偉大な先輩方が脊振全山に挑んでいたということが分かりとても興味深かったです。個人的には1日で全山縦走した人はいるのかが気になります(笑)。
宝満山12時間耐久については、僕は脊振全山をほぼ1人で行ったのですが、ワンゲル史上もっとも部員がいる今だからこそできる大人数で楽しめる企画もしたいなと考えたとき思いつきました。まだ思いつきの段階ですが、いつか形にしたいです。」
劉「1日で全山縦走は記録が残ってない1次〜3次でやっていなければやってないね。というかやっていたら末代まで伝説として残っているはずだから絶対やってないよ笑。宝満12時間耐久はいろんなコースに行けるなら、楽しそう。」
58期瀬田「今回の縦走がワンゲル史上初だとしたらとても嬉しいですね。確かに色んなコースで行くのは面白そうですね、検討してみます!」
ワンゲル記録を作った彼にはさらなる高みを目指して頑張って欲しいものです。
このブログの開設者に連絡。
劉「こういう文章を書いたんですが、いかがでしょうか?」
54期光岡先輩「おーすごい。あとでしっかり読みます。」
劉「もし良かったら、感想お願いします。」
54期光岡先輩「脊振全山を一日でやる人が出たのは驚きだったな。たくましい後輩が出てきてうれしい限り。僕も負けられないな。ワンゲル部員が極端に減った氷河期があったのは知ってたけど、グラフにするととてもわかりやすかった。氷河期の前と後ろでいろいろな文化が変わったみたいだから、それにも注目してみたいね。」
そういえば脊振全山を一日でやるって昔から言ってましたね。ちなみにこっちはミッツさんと瀬田ちゃんが面識ないのが驚きです。
劉「歌を歌う文化とか消滅していますからね。昔は合宿強制参加でしたし。ワンゲルが最近になって時代にあってきているのかもしれませんね」
54期光岡先輩「そうね。今後もいい方向に傾いてくれることを願うばかりだわ。」
劉「すいません返信遅れました。最後に一つだけ、第14次は馬渡さんと下野さんが行って成功されたんですか?」
54期光岡先輩「確かそうだったと思う。本人に聞いたみたほうが確実だけど。」
やはり馬渡さんも複数回やっていた。それにしても崎山さんにしろ、脊振全山を二回やる人は南米に引き寄せられる何かがあるのだろうか。稜線上でリオのカーニバルの幻想が見えるようになるに違いない。
最後に天才、崎山さんに連絡。
劉「崎山さんお久しぶりです!2010年代で、背振全山縦走を複数回やっている人は馬渡さんと崎山さんだけだと調査して分かりました!」
52期崎山先輩「お久しぶりです!調査お疲れ様!とても興味深く読ませてもらいました。まさか一日で達成する猛者がいるとは!凄い!」
劉「ありがとうございます!崎山さんは福吉からと原田からどちらの方向のほうが楽だと思いますか?堤さんの話によると第8次の時に往復されたと聞いたんですけど本当ですか?」
52期崎山先輩「どちらから行くにしろ原田↔️雷山避難小屋間がキツイところですが、原田側からだと初日にキツイところ済ませて2日目は行動時間短く温泉入って達成できる点で後味良く楽に感じた気がします。
堤さん談に関しては認識違いがあって、決して連続で往復した訳ではなく、機会を改めて逆方向から脊振討伐に挑んだというのが正確なところです。」
大島崎山両氏は原田スタート推しで、堤さんは福吉から推しだそう。意外と拮抗しますね。
今回、調査して上芝さん大倉さん志水さんが達成していないと分かった。なので崎山さんは我らが日本縦断チャリ民の中で、唯一背振全山縦走を達成していることになる...しかも2回....やはり天才.....
劉「ありがとうございます!
崎山さんが原田からと言うと説得力がありますね!
連続で往復はちょっとヤバすぎるので、むしろ安心しました笑」
52期崎山先輩「いつか往復する猛者が現れることを楽しみにしています笑」
ですって。頑張れ猛者たち!(他人事)
資料を集めすぎたため、編集中。年内完成が目標。
これを見て、表完成に繋がる情報を持っている方、感想を追加したい部員の方々は、コメントかメールで是非ご連絡ください。