ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

天からの使命があるのだろうか───宗教にかかわる人へ

2016-03-31 19:01:40 | 日記
何らかの宗教宗派に関わっている人はたくさんいるでしょう。
では、その方の使命はなんでしょうか。
自分の流派を広げ流布することでしょうか。

イスラムの一部の人は、全世界をイスラムの教えにすると語っている人も
います。子供もそれを自分の夢として、勉強しています。
キリスト教も植民地政策と同時にまず、教えを流布して、その教えによって
その国の質が変わったところで、政治的行動をする。たとえば、隣人愛で
その国の人の意識が変わると、強圧的にでても受け入れてくれる、という
ことが、あったでしょう。それを自分の優位の形で、使ってしまう。そのために
広めようとする・・・

聖書時代から、今日へ、時代が移り、科学というものの見方が
発達してきた。客観的にものをとらえ、論理(つなげてものごとを考え、
原因を探り、解決する形をだす)で考えていける人間の姿勢が
でてきた。より一般的に(多くの人に)通用する考え方、行動が受け入れられる
世の中になりました。

その欠点もあります。たとえば、ある、科学理論が認められると
それを元に次の研究の土台にしていく・・・。いったん認められた理論は肯定されて、
それを否定するものを排斥するということがおこります。しかし、それにめげないで
戦い、その理論を凌駕していく、気概があり、勇気のある科学者が今日を
開いてきたといえるのかもしれません。

多くの情報を日々、見て考えている人なら、一つの宗教宗派の考え方では、
足りないとに気づくことがあるのでは、ないでしょうか。
そこに、使命がでてきます。
つまり、たくさんの流派で、あり方を教えていますが、共通のものがあるはずです。
それを考え、探し出し、自分の流派から、一つの共通のさとり、境地へ移行する・・・

進化の現在、達しているのは、共存しているという意識でしょう。
動物も、本当は、棲み分けをしています。それは、本能に動かされてでしょう。
人間の場合は、おそらく、客観という見方を手に入れている。脳の働きが二つある、ということも
影響していると思える。本能に動かされながら、それを抑制しようという、葛藤の中に
存在しているように思います。万物の霊長というのは、本能をある程度制御できる
進化の体制に入っているから、つけられていると思います。
人間は、自然法則をいじることができるようになっているということです。
もちろん、自然法則にかなわない行動をすると、おそらく、死滅していくでしょう。(原子力
の無謀な使い方、あらゆる汚染、共存共栄をしない生き方・・・)
それがまた、大法則のおきてであると思います。

さあ、こういった科学の時代に宗教人がなさなければならないことは、なんでしょうか。
流派のなかで、こうしなければならないということに固執しますか。
医者や、看護士さんの役割を考えてみてください。人を救う仕事です。
彼らは、人の善悪や、人間性の良し悪しなど考えません。とにかく、命の
存続のために、自分の身を犠牲にされています。宗教の人もこころを救うなら、
何にもとらわれない境地で、人を救う必要があるのではないか。
もしその相手が自分の流派を認められない人なら、どうやってその人の悩み、苦しみを
解決してあげられますか・・・
ここに、天から与えられた宗教の人の使命が存在します。
相手の立場にたつには、どうすればよいか、という課題がつきつけられています。




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