セザンヌの偉大さ
彼が考えた、自然のなかに円錐形と球形と円筒形をみいださなければならない。
セザンヌ作品の持つ真実感、存在感。
セザンヌが試みた色彩と調子の徹底した分析や、色彩をフォルムの根源的な
表現のために用いようとした考えは、今日の具象絵画を考えるとき、
おおいに参考になることだ。
セザンヌは、色彩が豊かになればなるほど、それにつれて、フォルムが充実して
くるといっている。
セザンヌは自然の触発から受けたさまざまな色彩感覚を整理し、秩序のあるかたちや
構成にまとめあげて、堅固で永久なる真実の存在物としての絵を作りあげた。
─日野耕之祐氏の産経新聞・夕刊の記事(1986・10・3)から
私が記憶している、面白いエピソードは、その時代の評論家がセザンヌは、
「レンブラントの再来だ」(共通のものを持っている、輪廻転生)、といっていたことだ。
果たして、どの観点からそう述べていたのか・・・
また、セザンヌは、ジャポニズムに影響されていないといっていたが、彼の焦点のずれた
構図などは、たとえば、道の流れのとらえかたと木々や家の配置、日本の版画の
富士山のような、山の入れ方、現代になって『芸術新潮』が特集していたことがあるが、
私は、影響されていたと思う。彼の頑固な性格が相手の指摘に妥協できなかったのだろう。
日本人の印象派の一番人気は、ゴッホであるという。日本にあこがれたゴッホは
きっと本望だろう。総体に日本人は印象派が好きだ。
後期印象派と呼ばれる人にゴッホのほかに、セザンヌがいる。私は、セザンヌの
プリズム的なタッチが好きだ、それが、だんだん極まってくると形が出来上がってくる
感じだ。それを画面で想像しながら眺めていると、感動がわいてくる。
自然の一部をそのまま写すものではなく、自然を材料にして、絵画という
一つの新しい秩序と調和をめざし、画面の組み立てを考えた。そのため、
風景でも人物でも、静物でも、自由にその一部を省略したり、変形したりした。
このような考え方がその後の絵画に大きな影響を与えたことがわかる、
セザンヌを知ることで、20世紀絵画の姿がみえてくる。
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