-略ー
中世のイギリスはカトリックで、イギリスの王様が王妃と離婚したいと言っても、カトリックは許しません
でした。ところが、14世紀に入るとルネサンス運動あが起こり、15世紀前半になるとヨーロッパで
活字印刷が始まりました。そして、聖書がたくさん刷られると、教会中心から聖書原典主義に変わり
ました。それが16世紀のマルティン・ルターの宗教改革に繋がってゆくわけです。
それによって、ヨーロッパ中でプロテスタントのブームになりましたから、イングランドと言うか、一般的
な言葉でイギリスと言えばわかると思いますが、そのイングランドのヘンリー8世が王妃と離婚したくて
イギリス国教会をつくって、イタリアのローマ教会から離れました。
それからは、国王が今までのローマ教会の主要な学問となっていたアリストテレスの考え方ではなくて、
もっと合理的な新しい天文学や自然哲学を求めていたわけです。そこで、実験主義で証明されたものを
研究していきましょうということで、「ボイル・シャルルの法則」でお馴染みのボイルが提案して、天才的な
ロバート・フックたちと王立協会をつくったのです。1660年の創立です。
この王立協会jがロイヤルアカデミーになるわけです。王様の前で実験し、王様の前で説明する、これが
王立(ロイヤル)アカデミーです。
ニュートンが王立協会に入ってくるのは1671年ですが、晩年に王立協会の会長になりました。天才だから
会長になれたと一般の方はそう思うでしょう。でも違いますね。賢い皆さんは知っていますね。そう、
ニュートンの法則の多くは、彼が他人から盗んだものなのです。つまり、1687年に刊行されたニュートンの
力学体系をまとめた『プリンキピア』は他人のアイデアを無断で自分のものとしたものだったのです。
例えば、「慣性の法則」の発見者はガリレオ・ガリレイだし、「フックの法則」は有名なロバート・フックの
業績やアイデアです。しかし、光の性質についての発見など多くのものがニュートンの発見となってしまって
います。実際にフックは、「ニュートンは私の理論を盗んだ」と記述しています。
しかし、今日ではニュートンは重力理論を発表した天才と評されているから、たいていの研究者は、
ニュートンは立派な人なのにフックから濡れ衣を着せられてかわいそうと思って本に書いていますが、
実は逆ですよ。事実を正当に調べれば、ニュートンが盗んだと誰しもが思うでしょう。
重力理論といったって、質量の問題でなく、「引力は距離の2乗に反比例する」という簡単なことで当時
の学者たちは悩んでいたのです。というのも、当時のニュートンや王立協会は、「引力は距離の2乗分の
1で減じていく」ということを数学的にどうやって証明するかがわからなかったのです。こんなのは図で
描けば簡単でしょう。
たとえば1メートルの円をつくります。それが2メートルになったら、面積は4倍に増えるでしょう。仮に光の
明るさで考えれば光が4倍に広がれば明るさも4分の1に弱くなりますね。
だから、重力でも引力でも電磁力でも、平面の面積は距離の2乗に拡大されていくのでその分濃度が薄まる
と考えれば、2乗の逆の2乗分の1で減じていくわけです。でも、当時の人たちはそれがよくわからなかった
ようなのです。
さらに、微分積分はドイツのライプニッツが発明したのですが、それをニュートンが自分の発明としたので、
ライプニッツと争いになりましたが、ニュートンの卑怯な手口でニュートンのものにしてしまったことは
『ニュートン あらゆる物体を平等にした革命』(大月書店)を読めばわかると思います。
それに、ニュートンは『プリンキピア』で重力理論を発表する前から錬金術に夢中になって水銀中毒症に
なっていました。そのため、奇行が多く、精神的にも不安定な状態であったのです。
そうなると、ニュートンの性格が少しわかってくるでしょう。だから、王立協会でフックは盗作したニュートンの
批判をしました。日本人だったら、「君はもう出ていけ」となるでしょう。でもフックは「君のアイデアは私も
前に考えた。君は優秀だからもっと新しいアイデアを出してほしい」と言います。論争はどんどんお互い
に言うのが当時の人たちです。「じゃ、あなたの意見は?」「こうこう」「ああ、なるほどね」と議論し、
終わった後は仲よくなります。思想と人間は違いますから。
ところが、ニュートンは違いました。執拗に復讐心に燃える人だったのです。それゆえ、今の物理学者の
中にはニュートンの気質を受け継いだ嫉妬深く執念深い人たちがいるわけです。
人間は、お酒を飲んだり、お風呂に入ったり、病気にもなるし、みんな一緒ですよ。でも、教養は違います。
いろんな国に行っていろんなことを勉強した人はいろんなことを知っている。がり勉でテストのことしか
知らない人は「答えがないとわからないんです」などと言います。
「答えを出すのが話し合いでしょう」「先に答えを言ってください」。こういう人が最近多くなってきました。
思考能力がないのです。ないからアイデアを盗むしかないのです。
ー『今、知らなければいけない 重大な真実 を語るメジャーな人々 Vol.1
東京・日比谷公会堂での講演から』
五井野正 池田整冶 滝沢泰平 増川いづみ ヒカルランド刊より
■しかし、ニュートンがこんな人だったとは。本当に驚きである。私は、科学者として最高峰の人だと
思い込んでいた。伝記も読んだがそれには、すばらしい人とうたわれていた。この本では、さらに
アインシュタインのことも書いてある。現代物理の尊敬がことごとく崩れた。現代だから、真実が
すこしづつ明らかになっているのだろうか・・・発表しているものたちがウソをついているとは思えない。
今後披瀝される内容を追跡していきたい・・・
中世のイギリスはカトリックで、イギリスの王様が王妃と離婚したいと言っても、カトリックは許しません
でした。ところが、14世紀に入るとルネサンス運動あが起こり、15世紀前半になるとヨーロッパで
活字印刷が始まりました。そして、聖書がたくさん刷られると、教会中心から聖書原典主義に変わり
ました。それが16世紀のマルティン・ルターの宗教改革に繋がってゆくわけです。
それによって、ヨーロッパ中でプロテスタントのブームになりましたから、イングランドと言うか、一般的
な言葉でイギリスと言えばわかると思いますが、そのイングランドのヘンリー8世が王妃と離婚したくて
イギリス国教会をつくって、イタリアのローマ教会から離れました。
それからは、国王が今までのローマ教会の主要な学問となっていたアリストテレスの考え方ではなくて、
もっと合理的な新しい天文学や自然哲学を求めていたわけです。そこで、実験主義で証明されたものを
研究していきましょうということで、「ボイル・シャルルの法則」でお馴染みのボイルが提案して、天才的な
ロバート・フックたちと王立協会をつくったのです。1660年の創立です。
この王立協会jがロイヤルアカデミーになるわけです。王様の前で実験し、王様の前で説明する、これが
王立(ロイヤル)アカデミーです。
ニュートンが王立協会に入ってくるのは1671年ですが、晩年に王立協会の会長になりました。天才だから
会長になれたと一般の方はそう思うでしょう。でも違いますね。賢い皆さんは知っていますね。そう、
ニュートンの法則の多くは、彼が他人から盗んだものなのです。つまり、1687年に刊行されたニュートンの
力学体系をまとめた『プリンキピア』は他人のアイデアを無断で自分のものとしたものだったのです。
例えば、「慣性の法則」の発見者はガリレオ・ガリレイだし、「フックの法則」は有名なロバート・フックの
業績やアイデアです。しかし、光の性質についての発見など多くのものがニュートンの発見となってしまって
います。実際にフックは、「ニュートンは私の理論を盗んだ」と記述しています。
しかし、今日ではニュートンは重力理論を発表した天才と評されているから、たいていの研究者は、
ニュートンは立派な人なのにフックから濡れ衣を着せられてかわいそうと思って本に書いていますが、
実は逆ですよ。事実を正当に調べれば、ニュートンが盗んだと誰しもが思うでしょう。
重力理論といったって、質量の問題でなく、「引力は距離の2乗に反比例する」という簡単なことで当時
の学者たちは悩んでいたのです。というのも、当時のニュートンや王立協会は、「引力は距離の2乗分の
1で減じていく」ということを数学的にどうやって証明するかがわからなかったのです。こんなのは図で
描けば簡単でしょう。
たとえば1メートルの円をつくります。それが2メートルになったら、面積は4倍に増えるでしょう。仮に光の
明るさで考えれば光が4倍に広がれば明るさも4分の1に弱くなりますね。
だから、重力でも引力でも電磁力でも、平面の面積は距離の2乗に拡大されていくのでその分濃度が薄まる
と考えれば、2乗の逆の2乗分の1で減じていくわけです。でも、当時の人たちはそれがよくわからなかった
ようなのです。
さらに、微分積分はドイツのライプニッツが発明したのですが、それをニュートンが自分の発明としたので、
ライプニッツと争いになりましたが、ニュートンの卑怯な手口でニュートンのものにしてしまったことは
『ニュートン あらゆる物体を平等にした革命』(大月書店)を読めばわかると思います。
それに、ニュートンは『プリンキピア』で重力理論を発表する前から錬金術に夢中になって水銀中毒症に
なっていました。そのため、奇行が多く、精神的にも不安定な状態であったのです。
そうなると、ニュートンの性格が少しわかってくるでしょう。だから、王立協会でフックは盗作したニュートンの
批判をしました。日本人だったら、「君はもう出ていけ」となるでしょう。でもフックは「君のアイデアは私も
前に考えた。君は優秀だからもっと新しいアイデアを出してほしい」と言います。論争はどんどんお互い
に言うのが当時の人たちです。「じゃ、あなたの意見は?」「こうこう」「ああ、なるほどね」と議論し、
終わった後は仲よくなります。思想と人間は違いますから。
ところが、ニュートンは違いました。執拗に復讐心に燃える人だったのです。それゆえ、今の物理学者の
中にはニュートンの気質を受け継いだ嫉妬深く執念深い人たちがいるわけです。
人間は、お酒を飲んだり、お風呂に入ったり、病気にもなるし、みんな一緒ですよ。でも、教養は違います。
いろんな国に行っていろんなことを勉強した人はいろんなことを知っている。がり勉でテストのことしか
知らない人は「答えがないとわからないんです」などと言います。
「答えを出すのが話し合いでしょう」「先に答えを言ってください」。こういう人が最近多くなってきました。
思考能力がないのです。ないからアイデアを盗むしかないのです。
ー『今、知らなければいけない 重大な真実 を語るメジャーな人々 Vol.1
東京・日比谷公会堂での講演から』
五井野正 池田整冶 滝沢泰平 増川いづみ ヒカルランド刊より
■しかし、ニュートンがこんな人だったとは。本当に驚きである。私は、科学者として最高峰の人だと
思い込んでいた。伝記も読んだがそれには、すばらしい人とうたわれていた。この本では、さらに
アインシュタインのことも書いてある。現代物理の尊敬がことごとく崩れた。現代だから、真実が
すこしづつ明らかになっているのだろうか・・・発表しているものたちがウソをついているとは思えない。
今後披瀝される内容を追跡していきたい・・・