つまり、心はどっちにはやっても、ただ一途になってはいけない。兼好の『徒然草』の
なかに「碁を打つに、勝たんと打つべからず、負けじと打つべし」と書いてあるが、
私からいえば、どちらもいけない。ただ勝敗を超越し度外視して、そのときどきの
現在になって、一挙手・一投足をゆるがせにしないようにしさえすればよいのである。
そしてつねに、強いものは勝ち、弱いものは負ける。粗忽なものは間違いが多く、
怠れば成功しない。いくら達人でも、後ろには眼がない、とかいう「事実唯真」という
ことを、常に自欺や未練なく、認識し覚悟すれば、万事自分の力一杯のことが
できることと思うのであります。
─『現代に生きる森田正馬のことば 生活の発見会編 I I 新しい自分で生きる』
白揚社
●じき【自欺】 の意味
自分の良心に反した言動を、それと知りながらすること。自己欺瞞 (じこぎまん) 。
出典:デジタル大辞泉
なかに「碁を打つに、勝たんと打つべからず、負けじと打つべし」と書いてあるが、
私からいえば、どちらもいけない。ただ勝敗を超越し度外視して、そのときどきの
現在になって、一挙手・一投足をゆるがせにしないようにしさえすればよいのである。
そしてつねに、強いものは勝ち、弱いものは負ける。粗忽なものは間違いが多く、
怠れば成功しない。いくら達人でも、後ろには眼がない、とかいう「事実唯真」という
ことを、常に自欺や未練なく、認識し覚悟すれば、万事自分の力一杯のことが
できることと思うのであります。
─『現代に生きる森田正馬のことば 生活の発見会編 I I 新しい自分で生きる』
白揚社
●じき【自欺】 の意味
自分の良心に反した言動を、それと知りながらすること。自己欺瞞 (じこぎまん) 。
出典:デジタル大辞泉